「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 イエスの再臨は「1914年」からではない。 

ものみの塔(エホバの証人)の最大の教理は「1914年」です。
ものみの塔協会は、こう主張しています。
イエスは神の王国の王として、目に見えない「(再」臨在」をしている。

「再臨在1914年説」が間違いであれば、ものみの塔の教理は壊滅します。
(それでもなお、ものみの塔についていく組織愛好者はいるでしょうが)

ここでは「1914年再臨」説の矛盾を、マタイの聖句から明快に証明します。


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 「十四万四千人」は王・祭司ではない。「大群衆」は天に行く。 

最近話題になった地検特捜部のやり方は、はじめにシナリオありきである。
それから、証拠と思えるものを継ぎはぎし、犯罪話を強引にでっち上げていく。

ものみの塔の「教理」も、はじめにシナリオありきだ。
まずものみの塔独自の教理があり、それをもっともらしく見せたいために、
考えに合いそうな聖句を探し出して、無理やり継ぎはぎしている。
だから、ある聖句を書かれている通り、文脈に沿って素直に読むと、
ものみの塔の唱える教理とまったく違う場合がある。

クリスチャンを「天的級」と「地的級」とに2分類するのは独自の教理。
ものもの塔協会は、クリスチャンを2つのグループに分けている。
「十四万四千人」は王・祭司として天から地を千年間支配し、
「大群衆」は大患難を通過して地上で永遠に生きると言っている。

今回は『ヨハネへの啓示(黙示録)』だけから(つまり他の書の聖句は考慮せず)、
「十四万四千人」と「大群集」に関わる聖句を、文脈から、文字通り、素直に読んでいく。
そうすれば、ものみの塔の教えの誤りが簡単に分かる。

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★念のために繰り返すが、ここでは『啓示』の書だけから教理の正邪を論じている。

 ものみの塔の「預言解釈法」の分析。 

ものみの塔は、独自の聖書解釈を大胆に発表し、気軽に訂正するので有名だ。

ものみの塔協会の出版物は、信者内では数年で使われなくなることが多い。
にもかかわらず、そのような書籍は廃棄処分せず、公に配布されているが。

しかしながら、エホバの証人の信者たちは、ものみの塔の聖書解釈は
「油注がれた残りの者」だけができる特別な解釈だと信じ、絶大な信頼をおいている。
今回は、その「ものみの塔」独特の《預言解釈法》について分析してみたい。

※「霊的成就」という独自の預言解釈については、このブログ記事が本邦初。

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 エホバの証人は真面目だが、組織信仰には問題あり。 

エホバの証人には、基本的に、真面目で、純粋で、霊的志向の人が多くいます。
信者になった人の中には、最初、家に訪問してきたエホバの証人の人柄や態度に
感心して、勧められるままに聖書研究を始めた人もいます。 私もその一人でした。

布教を最重要視している点では、エホバの証人に敵うキリスト教教団はないでしょう。

ですが、エホバの証人(JW)の「信仰」には非常に大きな問題があります。
それは「神信仰」ではなく、強度の「組織信仰」です。すなわち人間崇拝です。


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 ものみの塔が「神の組織」かどうかの見分け方。 

聖書には、真の預言者を見分けるための、非常に簡単明快な判断基準がある。

「もし預言者が神の名において話しても、
 その言葉が実現せず、その通りにならなければ、
 それは神が話されなかった言葉である」
申命記18:22

この聖句は、非常に簡潔明快なことを言っている。
すなわち、聖書預言の解釈が、当たれば本物、外れれば偽者ということだ。

エホバの真の預言者であれば、預言の解釈を間違えることなどあり得ない。
ものみの塔はこの聖句を無視しているが、この聖句は非常に重要である。

の組織」かどうか、その見分け方を考えたい。1

今回は、ものみの塔が「唯一の神の組織」かどうか、その見分け方を考えたい。

 ものみの塔の統治体は、本当に「忠実で思慮深い奴隷」級か。 

前回は、神が人々を個別に導いてきたのであれば、ものみの塔が主張する
「神の地上の唯一の組織」という教理はあり得ないことを考えた。

今回は、続編として、
1.マタイ24章の「忠実で思慮深い奴隷」級は、実在する聖書的集団なのか?
2.使徒15章の「エルサレム会議」は「統治体」の存在を証明しているのか?
 という点を論じたい。

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