「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ふっと色情を抱くのは罪か? 

ちょっと前、二股交際とか言われて、芸能界で大変な騒ぎがありました。

そんな話に、興味も関心も未経験もミジンコもないわたしですが、
そのときテレビに出てきた人たちの苗字。
「塩」とか「谷」とか、「石」、「田」、「山」、「路」と、
自然界にあるモノの名が使われてることに無理やり気づきまして。
こういったコトって、男にとっては自然かい? なんて思いましたね。

ええと、この話のどこが面白いかと言いますとお、ちょっと、そちらの奥さま。
自然界と自然かい?がシャレになっていましてね。
これ、ゆうべ寝ないで考えたんすから。 (^^;)
このあとは絶体絶命に面白いすから。体だけは大事にして読んでくださいよ。

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自分のブログは、日本一だ、世界一だ、宇宙一だ、と主張する人がいても、
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 続・バプテストのヨハネは「勇気を与える」人だった。 

今回の記事は、前回ブログの続きです。

というのは、前回のブログ「バプテストのヨハネは『勇気を与える』人だった」についての
コメント(疑問)をいただいたのですが、当方のうっかりミスで消去してしまいました。

それで、返事を前回ブログの『続編』として書かせていただくことにしました。

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コメント(疑問)
タイトル:イエスの皮肉では?
深い洞察記事読み入りました。この部分には疑問が残ります。

「しかし興味深いことに、イエスはそのあとヨハネを最大限に称賛している。」
のところの11:11 「女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は
起こされていません」 はその後に続く文を読むかぎり、
ヨハネに対するイエスの皮肉ではありませんか?

「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。
しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」
「彼よ・り・は・・・」 だとすると今回の記事全体のコンセプトがずれてくるような
気がしますがどうでしょうか。

 バプテストのヨハネは「勇気を与える」人だった。 

首を皿に載せられて祝宴の席に出された人と言えば、誰の名を思い出すか。
バプテストのヨハネだろう。

浸礼者ヨハネは生前、イエスを疑っているかのような質問をイエスにしたことがある。
ところが疑られたはずのイエスは、ヨハネを「最大の預言者」だと褒めている。
ヨハネは疑ったのに、なぜイエスから褒められたのか?

今回は、じつはヨハネは疑り深い人ではなかったのだ、と弁護する話である。

サロメ写真

※ヨハネは、ユダヤの領主ヘロデの不道徳な結婚を 大胆に非難し、牢屋に放り込まれ、
ヘロデの前で 官能的な「七つのヴェールの踊り」を踊った少女サロメへのご褒美として、
首をはねられ、悲惨な最期を遂げた。 --マタイ14:1-12,戯曲『サロメ』

 トマスは、見て信じた「幸いな人」だった。 

十二使徒の一人に「トマス」がいる。彼は、疑り深い使徒として知られている。

なぜならトマスは、イエスが復活したと仲間の弟子たちから聞いても、
私の手を釘の跡と脇腹の傷跡に差し入れない限り決して信じない」と言ったからだ。

トマスが信じるようになったのは、八日後、イエスが、トマスにも現れて体の傷跡を見せ、
そして「あなたは私を見て信じたのですか。 見なくても信じる者は幸いです」と
トマスを叱って諭したから、と思われているようだ。

トマスは かわいそうに、印象が良くない。 彼は本当に疑り深い性格だったのか。
だからイエスから叱られたのか。 ヨハネ20章を調べ、トマスを弁護したい。

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 「人はパンだけで生きるのではない」は霊的食物の話ではない。 

「人の生くるはパンのみによるにあらず、
神の口より出づるすべての言による」

これはイエスが語った言葉で、非常によく知られている。(マタイ4:4 文語訳)
しかし、この聖句は非常に誤って解釈され、教えられている。

これは、人が生きるためには、体を養うパンも必要だが、
神の言葉の学びも必要である、という意味だろうか。 

そうなら、霊的食物を大事にしなさいということになり、
じつに当たり前の教えをイエスは述べたことになる。

これはイエスが悪魔サタンの質問に対して答えたものだが、
イエスは、そんな凡庸な答えを悪魔サタンに言ったのではない。

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両者のやりとりの根底には非常に重要な意味があったことを考えたい。

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