「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 男子は、大事の際には死ぬべきか。『葉隠』の生き方。 

勧められて、三島由紀夫の『葉隠入門』を読んだ。
『葉隠』の書は「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一節で知られてる。

その言葉は私の中では、1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説し、
5分後に割腹自殺を遂げた三島由紀夫の生き様とイメージが重なっている。

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『葉隠聞書』山本常朝 万治2年(1659)- 享保4年(1719) 訳は三島由紀夫

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。
別に仔細なし。胸すわって進むなり。


訳:武士道の本質は死ぬことだと知った。つまり生死二つのうち、いずれを取るかといえば、
早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといって面倒なことはないのだ。
腹を据えて、余計なことは考えず、邁進するだけである。


ha.jpg
http://remus71.deviantart.com/art/hagakure-140750341

我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。

訳:人は誰でも、死ぬよりは生きるほうがよいに決まっている。となれば多かれ少なかれ、
生きるほうに理由が多くつくことになるのは当然のことだ。


図に外れて死にたらば、犬死 気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。

訳:ところが、死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、それは犬死、
気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これがつまりは武士道の本質なのだ。


生きるか死ぬかの場面に際したときは、生に執着せず、死を選ぶのが美しい生き方であり、
日常で常に死を覚悟していることが生を充実させることなのだろう。

秋山

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
だが一方で、『葉隠』は、人は好きなことをして楽しく生きたほうがいいとも述べている。

人間一生 誠にわずかの事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に
好かぬことばかりして苦を見て暮すは愚かなことなり。


訳:人間の一生なんて短いものだ。とにかく、したいことして暮らすべきである。
つかの間ともいえるこの世にあって、いやなことばかりして苦しいめにあうのは愚かなことである。

この事は悪しく聞いては害になること故、若き衆など之は語らぬ奥の手なり。
我は寝ることが好きなり。 いよいよ禁足して寝て暮すべきと思うなり。


訳:もちろん、このことは悪く解釈しては害になることなので、若い人などには、
結局のところ話すことのできなかった秘伝といったものである。私は寝ることが好きだ。
現在の境遇に応じて、家にとじこもり、寝て暮らそうと考えている。

 
美しく生きて死ぬことと、したいことをして楽しく暮らすこと。この二つの生き方は
矛盾しているようで、実は両立できる。もし片方が欠ければ確かに人生は味気ないだろう。

20120113143954.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、山本常朝は、「武士道といふは死ぬ事」「と見付けたり」と言った。
「見付けた」とは発見したということで、これは当時「武士道といふは死ぬ事」である
という概念が世間一般にはなかった、あるいは極めて弱かったということを示唆している。

常朝が隠遁生活に入った元禄時代は太平ムードがみなぎり、若侍たちは武士道どころか、
衣装や持ち歩く刀や鍔(つば)にまで、その形・意匠を凝りまくり、外見を華美に飾ることに
うつつを抜かしていたそうだ。日本の男性は女性化していたのである。

女のように見える軟弱軽薄な男たちを見て、常朝はこのように嘆いている。

三十年以来 風規相替はり、若侍どもの出合ひの話に、金銀の噂、損得の考へ、内証事の話、
衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて・・・是非なき風俗になり行き候


わたしは、衣服はスニーカーのように男女共用がいいと思っている。前合わせも
左右男女別に分けないほうが、選びやすく、買いやすく、売りやすく、安くなるのではないか。

晴信
        鈴木晴信「二月 水辺梅」

また、当時は自分の金と殿様の金と見分けのつかない、いわゆる社用族的な武士が
目に付いていた。会社ならぬ藩の中で、若侍たちはすでに自分の保身出世しか願わなくなっていた。
常朝は、そんな人々の目つきが卑しいと言っている。

今時の奉公人を見るに、いかう低い眼のつけ所なり。スリの目遣ひの様なり。大かた身のための欲得か、
利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構へをするばかりなり。


武士道や騎士道が唱道されたのは、現実の社会にはその逆の行動が顕著であったからかもしれない。

騎士
        騎士への叙任

『葉隠』の山本常朝は君主が死んだとき殉死を願ったが、追腹禁止令で叶わず、
42歳で剃髪出家。30年後の享保4年(1719年)、61歳の時に畳の上で死んだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『葉隠』は、生きる上での男の美学を推奨している。男色を美化している箇所もある。
聖書と同じく、自分が共感できる部分を処世訓として読めば益があると思った。

私は《君主のためには死をも辞さずに生きるべき》の思想が根底にあるのが気になった。
これはキリスト教が教える神への「献身」と同じ考えだ(黙示録2:10)。

神のために生きるために日常で嫌だと感じることを我慢しながら無理にしているなら、
それは『葉隠』が勧めていることとは違うだろう。それは真の幸福と言い難いだろう。

ただ、思想というのは、その時代の世相風潮と無関係ではない。『葉隠』の教えは封建社会
の中では、当然の信条であったかと思う。思想・信念にも事情があるのですね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました・・・♥
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長文ごめんなさい。

こんにちは~

 沖繩返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を囘復せねば、左派のいふ如く、自衞隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒?する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の眞姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。これを骨拔きにしてしまつた憲法に體をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、眞の武士として蘇へることを熱望するあまり、この擧に出たのである。

これは昨年、自分のブログに載せた、三島の遺書とも言える、檄の最後の下りですが、長文お許しください。

三島が腹を切ったのは、ちょうどおいらが、自衛隊にいた20才の時でした。
何の因果かその頃、三島の「豊饒の海」を読みふけっていました、葉隠入門は三島が死ぬ3年前くらいに読んだと記憶しています、あの頃でも、死を美化する様な彼の行動には、承伏出来ないものがありましたが、彼の檄に記した言葉は今の世相を見透かしていたように思われます。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。
今の世、こんな精神は困りものですが、この精神を一笑に付していまう世も、又恐ろしいことだとおいらは思います。

でもおいらに持論は「死んで花実が咲くものか」・・・です。

2012/12/13(木) |URL|ばく [edit]

三島の「金閣寺」が、金閣寺を美しいと思うあまり、火をつけてしまう
男のはなしだったと思うのですが、大好きでした。
三島の美学なのですね。切腹も三島の美学。
金閣寺は好きだったけど、せっぷくはいただけないかも。
実際自分が死ぬかも、と思ったら、じたばたしてあわてるしがんばるもの。

生きたい、と願うのが人間臭くてよいですよね!

2012/12/13(木) |URL|abe [edit]

ばく さんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
なんと、17歳で『葉隠』を読み、20歳のときは自衛隊におられたんですか。
まあ、ばくさんは、やはり並のひとではないようですねー^^)。

≫今の世、こんな精神は困りものですが、
≫この精神を一笑に付してしまう世も、又恐ろしいことだと思います。
確かにそうですね。何か事あると、すぐ日本刀を振り回したがる人も困りますが、といって国旗掲揚を異常に拒否する人もおかしいと思います。
選挙が近いですが、それにつけてもアメリカには、戦略的な政治力を持つ有能な人材が多いことに感心しますね。おかげで、日本は戦後をまだ引きずっています。

≫死んで花実が咲くものか。
そうです。精々長生きして、生きて花実を咲かせましょう。できれば一輪でもいいから、目立たない所にひっそりでもいいから、美しい花を咲かせたいものですね。ばくさんも健康に十分気をつけて、北の大地にとびきり大きな花を咲かせてくださいよ。

2012/12/13(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

abeさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
三島の『金閣寺』は読んだことがなかったので、Wikipediaを読みました。精神的にかなり深いものがありそうですね。そんな本が「大好きだった」んですか。
そう言われてみると、abeさんの精神思考や人生観のようなものは、人の心をえぐる最近の極楽鳥シリーズのお話にも表れているような気がします。

三島由紀夫もあれほどの才能と頭脳を持っていながら、自分の信じる生き方の美学のために死んだことを考えると、美学や信念というものについて、いろいろ考えることがありますね。もっとも三島本人はそう行動することが正しくて幸せだと思ったのでそうしたのでしょうから、傍から見て、ひとがとやかく言うことはできないと思いますが。

≫生きたい、と願うのが人間臭くてよいですよね!
ほんと。そう思います。人間臭いのはいいことではないでしょうか。だって、それが人間である証拠なんですから。一切無欲で何事にも動じず、霞を食らって山で隠遁生活しているような清廉高尚な人生は、本人は幸せなのだと言っているとしても、私はあまり真似したくないなあと思います。(;^_^

2012/12/13(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

活字の苦手なbabaが
興味のあった三島由紀夫の写真が最初にあり
本当に最後まで真剣に読んでしまった
楽しかったです
バーソさんありがとう♪

2012/12/14(金) |URL|babatyama [edit]

babatyamaへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
このところネタがなかったので、苦しまぎれに手早くまとめたのですが、
こんな面白くもない硬い文章をよく全部読んでくださいました。m(_ _)m

大義のために命を捨てることを厭わない精神は立派で賞賛すべきでしょうが、
でも正直、『葉隠』の教えには、それほど感銘は受けませんでしたね。
憂国の志士にはバイブルで、時の権力者には指南書なのでしょうが、
わたしが凡人中の凡人のせいかもしれません。(;^_^

2012/12/14(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

うーん、やっぱ難しいわぁ
わたくしねぇ、昨日が赤穂浪士討ち入りの日(現代の暦で)だったから
武士道についてもすこーし本を読んでいたのぉ
まさにGOODなタイミングで(笑)
三島てんてーは好きな作家さんだけれど、『葉隠入門』は読んでいないわぁ
なんとなーく難しそうで避けていたのよねぇ
男色の美化とか興味あることばっかで、読む気になってきたわぁ
これもちょとおべんきょ中なのよねぇ
両性具有の美、みたいなことなんだけれど・・・
なんたって平安の世から男色日記なるものがあるんだものぉ
あれっ? またエロ話のほうに偏っている?
いや~んっ♪

2012/12/15(土) |URL|きまぐれひめさま [edit]

きまぐれひめさまへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
吉良上野介は『忠臣蔵』では悪役ですが、地元では評価が高かったとか、いや領地にはほとんど行ってないので、それは同情による作り話だとか、いろんな説があるようです。
歴史というのは、いろいろ書き換えられたり、言い伝えられているうちに話が変わったりして、真実が分かりにくいところがありますね。

『葉隠』は、赤穂浪士は泉岳寺で切腹しなかったのが落度だ。敵を討つまでの間が長すぎる。もしその間に吉良が病死でもしたらどうするのか、と非難していました。

それにしてもひめさまの興味範囲は広いですね。「両性具有の美」とはよく分かりかねますが、人類すべてを広く深く偏りなく愛すということでしょうかね。

2012/12/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

今現在、女の私が男の方の
武士道と切腹を考えますと
男の方は、最後の瞬間に泣かずに(これは我慢でしょうか?)
それも腹を横に裂く、死に方をするなんて
なんと、辛い生き方なのだろうと
思うばかりです。

もちろん武士の妻も夫の後を追って
首に小刀を当て死んだり、
舌を噛んだりしますが、、、。(時代劇の見過ぎでしょうか?)

なんとも恐ろしいばかりです。

中国やエジプト(日本もですが。)その他いろいろの国では
王が亡くなると一緒に殉死させられたのですよね。
沢山のお供を連れて死んでいったのです。(ため息が出ます。)

武士道では、自分の意志で殉死を選び
罪ある時は、自らを裁き切腹をするんですよね。

日本人は、潔いと言うか真面目と言うか、
日本男児は、大変です。

バーソさんは、やっぱり武士道
カッコいいと思うのでしょうね(*´▽`*)


今回は(カッコいい男の話♡)

どこの国よりも、日本の男性は、
強いと思わずにはいられません♡

2012/12/17(月) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

ゆりさんならではの、なかなかいい調子の名文コメントですね。
カッコ書きのところなど、流れが変調されていて、うまいもんです。
で、我慢というより、やせ我慢じゃないでしょうか。
時代劇の見過ぎというより、熟知精通じゃないでしょうか^^)。

確かに、「女はつらいよ」という映画はありません。
女は感情が先に来ますから、つらいと思うのは当たり前。
ですが、男とはつらいことでも頑張るものだという前提観念があるので、
ああいう頑張らない人の映画が日本人の多くに共感を呼ぶのでしょうか。

武士道はかっこいいですね。でも、さぞかし腹や首や舌は痛いでしょうね。
愛する人のためには痛くても我慢したいですが、偉い人のために死ぬのは御免です。
才能のある人が、自ら死を早めるのはもったいないですね。

2012/12/18(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]


はぁ? ブシドーってなにそれー。
セップクとかマジキモいんですけど。フツー無理だしww
つか、いまUchi Cafeのプレミアムロールケーキ食べてるんで。
あんま話しかけないでください。 ね。

な〜んて、イマドキの男子からは見向きもされそうにない精神ですが、
《男子》として生まれたるもの、心のどこかに『サムライ』の魂は
持ち続けていたいものだという気がします。

『サムライ』とは、『さぶらう(=さ守(む)らう)』ことであり、
寸土(わずかながらの地)を守る人と書きますから、
性差(おもに社会的差異)のうえで《男》に与えられている
ひとつの役割でもある・・・ と言えるかも知れませんね。
“誰か(や何か)から守られているだけの男”・・・では、
さすがにちと情けなひ。。。(;´ェ`)

とはいえ、切腹は激しくノーサンキューッッ!!(声を大に〜♪)
でも、『武士に二言はない』とか、
『武士は食わねど高楊枝』、あたりは実践していきたいところかなぁ。
あ、『武士は相身互い』なんて美しい言葉もありましたっけ♪

・・って、硬派な記事に、こんなユルいコメントでゴメンナサイ。
師走のバタバタで、モロモロ処理能力オーバー気味ぃ〜・・・凹

>美しく生きて死ぬことと、したいことをして楽しく暮らすこと。
>この二つの生き方は矛盾しているようで、実は両立できるのだ。
>もし片方が欠ければ、確かに人生は味気ないだろう。

ここの部分、イイですねえ。個人的に深く賛同いたしまっす(^^)♪

2012/12/18(火) |URL|G.D.M.T. [edit]

コンニチワ!

”美しく生きて死ぬことと、したいことをして楽しく暮らすこと。この二つ  の生き方は矛盾しているようで、実は両立できるのだ。もし片方が欠 ければ、確かに人生は味気ないだろう。”

この言葉には、励まされます。
私もソウありたいです。

私にとっても、”死”とうものは、
神(いるなら)からの贈り物だと想っています。
自殺願望がある訳ではないです。(笑)

いつもそばにおいて、
自分の命の価値が
今どれだけあるのか感じる事が
常に出来ます。

お邪魔いたしました~。

2012/12/19(水) |URL|なりびと [edit]

G.D.M.T.さんへ。(^^)

私の言いたいことに賛同していただいて、うれしいです。

侍とは、そういう意味なんですか。相当詳しいんですね。
日本のスポーツ代表を、侍ジャパンとかサムライブルーと言います。
日本男子には、侍精神に対する憧れのようなものがありそうです。

>“誰か(や何か)から守られているだけの男”・・・では、
>さすがにちと情けなひ。。。

確かに、私もそう思います。はい、守られたいです(あら?)
弱い外交を見ていると、極右化や好戦化は困りものですが、
もっと頭のいいサムライがもっと出てきてほしいと思います。

それにしても、G.D.M.T.さんは、Uchi Cafeの甘さと、ブシドーの苦さと
両方を兼ね備えている方のようですね。まさに現代男子のカガミ。
毎朝、カガミを見て、うっとりしたりしてませんか^^)。

「武士に二言は無い」の名文句で思い出すのは、結婚した頃、
うちの奥さんが「ブスに二言は無い」と言ったことです。
ちなみに、私は『武士は食わねど歯磨き三回』を実践しております(笑。

2012/12/19(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

なりびとさんへ。(^^)

訪問、コメント、ありがとうございます。
記事の中の要点(?)によく注目同意してくださいました。

> 私にとっても、”死”というものは、
> 神(いるなら)からの贈り物だと想っています。

おー、シンクロニシティとでも言うべきでしょうか。
ちょうど似たようなことを書いてある本を読んだばかりです。
死を意識すれば生が充実するといった趣旨のことが書いてありました。

日常で死を意識して生きている人は、そんなに多くはいません。
でも、「食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」と言うような人は、
結局は、無意識に死を意識しているのかもしれません。

なりびとさんは命を大切にしておられるようですね。
ブログの内容が深いと感じました。
そのうち、ゆっくりと訪問して、コメントさせていただきますね。

2012/12/19(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ご無沙汰です。

バーソさんへ

こんにちはAKIRAです。
三島の写真にドキっとしました。

力技でアメリカにねじ伏せられた我が国を憂いて立ち上がった張本人が、
力づくで説き伏せることなど出来ない見本そのものなのですから
1970年11月25日の演説で彼になびくことはないであろうことは、
想定内だったはずで、つまりこれは
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の実演であったとするならば
「狂気の沙汰」と言った石原慎太郎の方が
正しい気がしますね。
三島には生きて、戦って欲しかった。

そう思います。  AKIRA

2012/12/19(水) |URL|ARAKI AKIRA [edit]

ARAKI AKIRAさんへ。(^^)

率直な感想、ありがとうございました。

>三島には生きて、戦って欲しかった。
私も同感ですね。生きていれば、三島ならではの筆の力で戦えたでしょうし、
あるいは他の方法を誰かと一緒に試みることができたかもしれません。

もちろん、日本では過去、個人の力が社会を大きく変革したこともありました。
ただ、覚めた目で言うなら、三島が役不足、力不足だったというよりも、
あの時代にはあの出来事は適切な方法ではなかった、ということかもしれません。

やはり、「想定内だったはず」なんでしょうかね。
だとしたら、特定の美学に酔うというのは怖ろしいことだし、悲しいことですね。

おそらく、人が信じる、それぞれの生き方の美学というのは、
是非とか善悪とか損得とか、そうした合理性・論理性を超えたものなんでしょう。

信念について言えば、私の人生には、自分では正しい道だと確信しながら、
振り返ってみれば、結果的に愚かしい道を長年走り続けたという経験があり、
あまりひとのことは言える立場にはないのですが・・・。

2012/12/19(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様はこれのためなら命を投げ出してもいいというものがおありですか?あるのでしたらそれが何なのか教えて欲しいです。

僕には特にないのですが、あった方がかっこいいでしょうか?

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

以前は、そういう意識をかっこいいと思い、憧れていました。
今は、家族のためならそうするだろうと思います。目の前で他人の子供が危険にさらされているのを目にしたような場合は、咄嗟にそうするだろうと思います。
ですが、とにかく名誉が第一で、そのために死ぬなんてことは立派だとは思いません。

あったほうがかっこいいか? 
かっこいいかどうかで人生を生きる気持ちは私にはありません。
あなたは、ひとがどう思おうと、そんなことは本当は関心ないのではないですか。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

他人がどう思っていようがこちらに影響を及ぼさない限りにおいてはどうでもいいです。でもそれが良い考え方なら取り入れたいので関心はあります。

僕は自尊心が高すぎるあまりに、自分と違うもの、弱いもの、あやふやなもの、美しくないものを見下してしまうのが悪いクセです。反省して修正していきたいと考えております。

つまり、悪い考え方を持っているだけなら構わないのですが、それを社会に対して発信されている場合、それが社会を変化させてしまうような気がして嫌な気分になります。悪い考え方を嫌だと思うことは自由にしていいのでしょうか?他者を尊重していないことになりますか?嫌だと思ってもお互い言わないのが尊重ということでしょうかね。でも嫌な考え方を広められるのが本当に嫌なのです。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

Re: タイトルなし

わほマンさんへ―――バーソより。
拙ブログの一番最初の記事(2012/02/20)に、まとめて返事を書きました。
そちらを見てください。
(返信がないと思われないため、ところどころにこれを出しておきます)

2014/11/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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