「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 マイケル・A・シンガー著の 『いま、目覚めゆくあなたへ』 。 

死ぬまでの最後の一週間、何をするかを考える。

一人の死神が、事故死した青年の姿を借りてN.Y.・マンハッタンに現れた。

ジョー・ブラック(ブラッド・ピット)という名のその死神は、
死期が近い大富豪パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)の家を訪れる。

だが、その大富豪が寿命を全うするまでには、まだ少しの時間が残されていた。
そこで、死神ジョー・ブラックは、パリッシュの案内で人間界の見学を始める。

大富豪の娘スーザン(クレア・フォーラニ)は、青年ジョーを見て驚いた。
彼の姿は、先日コーヒーショップで出会った魅力的な青年その人であったからだ。
そして、ジョーのほうもスーザンの好意を気に掛けるようになっていく・・・。

映画 『 ジョー・ブラックをよろしく 』 ユニバーサル・ピクチャーズ

1998年アメリカ映画。ブラピが少年のような純な目をしている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マイケル・A・シンガー著の 『いま、目覚めゆくあなたへ』 を読んだ。
心が軽くなる、いい本だ。自分の意識を見つめ直す大きな助けになった。
その書から、「死」について言及されている箇所を引用した.
(写真は文章とは無関係です)。

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死ぬまでの最後の一週間、あなたが何をするか正直に考えてもらいたい。
考えたら、残りの人生をどのように過ごすのかを自問してみよう。
  無駄に費やすだろうか? 
  その時間を棒に振るだろうか? 
  あたかも死がずっと先にあるかのように過ごすだろうか? 
  あなたはどのような生き方をするだろう? 

死があなたに尋ねているのはまさにそのことである。

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あなたが死について考えずに生きているとしよう。
死神があなたのところにやって来て、こう言う。
 「さあ、来なさい。行く時間ですよ」
 「えっ、あなたは、最後の一週間にわたしがなにをしたいか決められるよう、
 警告してくれることになっていたはずです。僕はもう一週間あたえられることに
 なっている」とあなたは訴える。

死神が何と言うだろうか? 
きっとこう言うだろう。
 「何を言ってるの! 過去、一年だけでも五十二週あなたにあげたわ。
 それ以前も十分な時間をあなたにあたえてきたのよ。
 どうしてもう一週間必要だと言うの? 
 これまでの週、あなたは何をしてきたの?」

あなたは何と答えるだろう?
 「僕は注意を払ってこなかった。・・・・・・大切だとは思わなかったんです」
 と答えるとすれば、まことに愚かなことだ。

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死はいつ訪れるか分からない。
死からの教えを、人生の一瞬一瞬を精一杯生きるために活用してもらいたい。
 なぜなら、すべての瞬間が大切なのだから。一瞬一瞬を精一杯生きる------
 それが、余命一週間しかないことを知るときに起こることだ。

最後の一週間には、すべてのことがふだんより何百万倍も意味を持つ。
 もしそのような心構えですべての週を生きたらどうなるだろう?

死は偉大な教師だが、死を意識して生きている人は少ない。
 あなたはいつ息を引き取ってもおかしくない。
  それは年を取った人たちだけではなく、
  赤ん坊やティーンエージャー、中年の人にも言えることである。
   最後の息を引き取るときがいつ訪れるのか、誰も知らないのだ。

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愛する人たちに対して、わたしたちがいかに無神経かを見つめてもらいたい。
 彼らがずっとあなたのそばにいるのが当然だと思っている。
  もし彼らが死んだらどうなるだろう? 
  もしあなたが死んだらどうなるだろう?

もし今夜が彼らと会う最後の機会だと知っていたらどうだろう?
それでもまだ身近な人たちに日頃抱いている些細な恨みや不満を持ち続けるだろうか?

今日だけしか会えないと知ったら、
 恐らく愛する人たちを大切に思う気持ちが一気に高まるだろう。
 
誰とでも一瞬一瞬をそのような感じで一緒に暮らしたらどうなるか考えてもらいたい。
 あなたの人生は実際に違ったものになるだろう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
映画の中で、大富豪役アンソニー・ホプキンスは娘に言う。
「愛は情熱だ。その経験のない人生は意味のないものだ」。

書の中で、著者マイケル・シンガーは読者に言う。
「人生は自分に贈り物を与えてくれる。その贈り物は生まれてから死ぬまでの間の
起こる出来事の流れである」。

喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。人生の経験はすべて貴重な贈り物なんですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マイケル・A・シンガー著 『 いま、目覚めゆくあなたへ 』
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★関連する過去の拙ブログは、
 ・余命わずか。とたんに、人生いとおしい。
 ・「今日」という日は、最高のプレゼントである。


(最後まで読んでくださり、ありがとうございました)

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最後の一週間 おそらく 生きてきたように死んでいくと思います

2012/10/30(火) |URL|milestone [edit]

私の年になり
一人の時間が多くなりますと
ほとんど毎日死を感じています
でも毎日完璧には過ごせません(-_-;)

2012/10/30(火) |URL|babatyama [edit]

うーん、やっぱり哲学だわぁ
『死』ってあまり好ましくない捉えられ方をするけれど、わたくしは
そうは思えないのよねぇ
まっ、天国に行けるとも思っていないけれど(笑)
輪廻転生 一期一会
なんてことを柄にもなく考えちゃいましたわぁ
つまるところ、ブラピはかっこよくてアンソニーさまは美しいっ!!
毎日を切に生きることだけは心がけておりますわぁ

そうそう、断舎利とか流行っているようだけれど
あれって本質からかけ離れていっていると思うわぁ
やるんだったら仏教をきちんと理解していただきたいもんだわぁ
わたくしは俗にいう断舎利は無意味だと思っておりますのぉ
もちろん仏教をきちんと理解しているとも思っていないし(笑)

2012/10/30(火) |URL|きまぐれひめさま [edit]

milestoneさんへ。(^^)

はじめまして。ようこそおいでくださいました。
初コメント、ありがとうございます。

≫最後の一週間 おそらく 生きてきたように死んでいくと思います

この「生きてきたように→死んでいく」という比喩はちょっと面白いですね。
「生」と「死」は真逆の事柄なので、「ように」という類推比喩は普通はできないからです。
「生きてきたように→生きていく」という言い方はありますが。

milestoneさんの日本語の言い回しを文字通りに解釈すると、

1.「死んでいく」ことが「生きてきた」ことのようだと例えられているわけですから、milestoneさんの今まで「生きてきた」状態は、「死んでいく」状態のようだ。つまり生きてはいても死んでいる、ということになりませんか。(^Δ一)

2.あるいは、「死んでいく」ことは「生きていく」ようだと受け取れなくはないので、死んでいくときも実は「生きていく」のだ、と解釈できるかもしれません。
であれば、milestoneさんは、「死んでいく」という言い方はしているものの、実は永遠に生き続けると思っているのだ、ということになるでしょうか。(^v^)

3.本当は、milestoneさんの真意は、「最後の一週間、生きてきたように生きて、それから死んでいく」という意味なんでしょう。
であれば、今までの人生に全く悔いはない、最後の一週間が来てもジタバタなんかしない、という自信と満足感の表明なんでしょう。であれば、たいしたものです。^^)/


☆私は拙ブログで何度もこう言ってきました。すなわち《人間は何でも自由に自分のしたいことをしたほうがいい。ただし人に迷惑を掛けない限り》と。

今回の記事は《人間は何でも自由に自分のしたいことをしたほうがいい。人生に悔いが残らないように》ということです。そうすれば人生の一瞬一瞬がもっと輝くはずだということです。むろん「ただし人に迷惑を掛けない限り」の但し書き付きですが。

聖書的には、神は人間に自由意志を与えたと考えられています。神は基本的に人間のすることに干渉しません。神はアダムやカインの行為を止めようとはしませんでした。

人間に「自由意思による選択の自由」があるのであれば、《悔いが残らない人生》を選択することもできますが、《悔いが残る人生》を選択することも自由でしょう。

この《悔いが残る人生》の選択については、他の人が客観的に見てそう判断してるにすぎず、当人の中では、自分の人生に悔いはないと思っている、と考えられます。

周りから何を言われようと、ある人が、自分の選択した人生に自信があり、喜びや満足感もあり、最期のときに悔いも残らないと確信があるのであれば、その人は幸福な人生を歩んでいると言えるかもしれません。

人が幸福かどうかは、他人がその人の基準で勝手に判断して決定するものではなく、当人がそう思うか思わないかで決めるものであろうからです。

ただし、完全な人間はいません。聖書では「心は甚だ偽るものである」と言われています。「鰯の頭も信心から」とも言われます。
ですから、間違った自信や、根拠のない喜びや、考え違いの可能性も、人間にはあり得ることも考慮しておくべきではないでしょうか。
つまりは、物事はよくよく調べたほうがいいでしょうね、という話でした。

長くなりました。現役の方とお見受けしたので、こういう書き方をしました。お気にさわったら、ごめんなさい。感想、意見があれば、またコメントをくださいね^^)。

2012/10/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

babatyamaへ。(^^)

いつも真面目なコメント、ありがとうございます。

「ほとんど毎日死を感じている」というのは、とても いい生き方ですね。
それは一瞬一瞬を貴重に思って、人生を大切に生きている証拠です。
充実した毎日を生きている証拠です。
だから、babatyamaのブログには、強いエネルギーを感じるんですね。

「残りは5分の1」と思わず、「残り3分の1」と思うのもいいですね。
そう思うだけでも、普通以上に、より長く生きられる、と私は思っています。

デルヴォーもそうでしたが、芸術志向の人は大体が長生きじゃないですか。
昔はそうでない画家もいましたが、それは生前に才能が認められなかったので、
多くは貧困のために長生きできなかったのではないでしょうか。

どうぞ、よく食べて、楽しい絵を描いて、長生きしてくださいよ。
ひとを楽しませたいと思う精神は、長生きの秘訣のように思いますね^^)。

2012/10/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

きまぐれひめさまへ。(^^)

感性豊かな楽しいコメント、いつもありがとうございます。

ひめさまのコメントを読んでいると、いろいろと詳細に書きたくなるのですが、まとめて簡単に書かせていただきますね。

「輪廻転生」で生まれてきても、何かのきっかけで会う人は特別な縁があるのでしょうし、ある場合には「一期一会」と思ったほうがいい貴重な出会いなのかもしれませんね。

幼児暴行殺人をした人など、死んだら地獄に行ったほうがいいと思える人もいますが、でも人類は全員が極悪人ではないのですから、死んだら「天国」に行くと思っています。特にひめさまは間違いなく絶対に大丈夫ですからね^^)。

なお、少しでも罪を犯したら死後、裁かれて「地獄」に行くのだと信じている人は、その人が信じている通りの「地獄」のような場所に行くと思います。
死んだら滅んでしまって「無」の状態になると信じている人は、その人が信じている通りの頑固な無意識状態にととまると思います。

「断舎利」についても、おっしゃる通り。モノへの執着心から離れることでしょうから、そういう精神状態になれれば、人生からストレスがなくなっていくでしょうね。

ただし、モノを持たない、モノを楽しまない、モノは悪だ、という徹底した考えには、私は賛同しかねます。
物質の肉体を持つ人間は、物質のモノを楽しむように出来ているのでしょうし、それは間違いではない、と思うからです。精神の高さと物質の豊かさは別に相反するものではないと思います。

2012/10/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

まさに!!

精神の高さと物質の豊かさは別に相反するものではないと思います。

わたくしの言いたいことを簡潔に代弁してくださってありがとなのぉ♪
極端なのよ、ああいう系の主張ってさぁ
もーね、大っ嫌いなの、あゆのにハマる人って
しかも、それを人にまで押し付けてきてさっ
曲解甚だしいったらありゃしないわぁ

わたくし、天国かしらっ?! 
まっ、いちお、神様の子だからぁ だいじょぶか(笑)
ちなみにねぇ、わたくしのクリスチャンネームってねぇ・・・
マリア・ヴェロニカって言うのぉ
自分でヴェロニカって決めて
神父様がマリアも付けた方がカッコいいよって♪

2012/10/30(火) |URL|きまぐれひめさま [edit]

きまぐれひめさまへ。(^^)

サイドのコメント、ありがとうございます。

人間、立派なことをしているという自負心が強いと、
そのことをしてみたらどうか、とひとに押し付けたり、
それをしてない人を見下したりする傾向がありますね。
そうすると、「善」が「独善」になりかねません。

で、ここで突然、「高慢と偏見」という小説を思い出しました。
有名なのに読んだことがないので、いま図書館に予約しました。

ところで、おお、なんと、マリア・ヴェロニカですか。
ものすごく いい名前ですねー。好きな傾向の名前です。
イタリアかスペインにそんな名の女優がいそうですね。
前半が清らかで、後半が色っぽくて。
そんな相反する概念が絶妙に結合しているところが、
まさにひめさまのイメージにぴったりだなあ^^)。

2012/10/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

病院の仕事をしていると、
長いこと付き合ってきた身内のような患者さんの
癌や、恐ろしい病と向き合ってしまいます。

恐ろしい死について、
向き合わざる得ないので、
まず思うのは、『コワイ』『辛い』『死にたくない』
という気持ちです。

いつ死ぬかは誰にもわからないけれど
苦しんで死ぬのが怖いと恐怖してしまいます。

一昔前の様に、告知などされずに
家族に病名を隠されて、死んで行きたいとも
思います。

ナースなのに、随分弱虫なのですが、
ある日突然、ポックリ死にたいと
心から願う私なのです。

2012/10/30(火) |URL|ゆりママ [edit]

バーソさまへ

今晩はAKIRAです。
今回もまたすばらしいテーマですね。

若い頃は(まだまだ若いですが)後悔ばかりしていて
ああすればよかった、こうすればよかった、と、
あとで考え、よく落ち込んでいました。

ある日、ふと、織田信長は本能寺で死ぬとき何を思ったのか、と
考えたとき、彼はおそらくそれほど後悔はしなかったのではないか、
志半ばで死ぬことは残念だろうけれども、それは結果であって、
自身が行ってきたことに後悔はしなかったのではないか。

十年ほど前、そう考えた時から、
信長の足もとにも及ばないにしても、
後悔しないように、生きてゆこうと思いました。
生を駆け抜けようって、思いました。

岐路に立ち、迷い、気持ちが揺らぐことがあっても、
そこに正義はあるのか、と問えばおのずと答えは見つかりました。

だから、私はきっと、残り1週間でもいつもと変わらないでしょう。
いや、そうありたいです。

と、カッコつけといてなんですが、

泣きじゃくるでしょうね。
寂しくて。> <、  AKIRA

2012/10/31(水) |URL|ARAKI AKIRA [edit]

むずかしいなぁ

おはようございます。
死ぬって、死んでみなきゃ分からないないし
生きるってのも一寸先は分からない
この世に誕生したすべての命に、平等にあたえられたチャンスは、死んで行く事。
明日ぽっくり逝くか、101才の朝に逝くか、それでもみんな旅の途中なのよね。
やっぱ、死ぬって、死んでみなきゃ分からないからあんまり考えんでおこ・・・

ただ、還暦すぎて、残りの人生は、なんて考えた事もあったけど、ひょっとしたら、オギャーって生まれたその日から、残りの人生なんだと爺は思った、そして残りの人生がどんだけあったかなんてのは生きてる限り分からない、心臓が止まり、脳味噌が微かに生を保っている間に、「ああ、おいらの残りの人生ってこんなにあったんだ」なんて確認した後逝ければ、最高かもなんて・・・

高尚な命題記事に汚点的コメントで失礼。

2012/10/31(水) |URL|ばく [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

いつも心のこもったコメント、ありがとうございます。

病院では「苦しんで死ぬのが怖い」という思いが、実感として強いのでしょうね。
特に身内のような患者さんだと、ゆりさんなら、さぞ辛く感じることでしょう。

多くの宗教では、人は死んだあと天国(極楽)で永遠に生きると教えています。
聖書では「最後の敵である死」をキリストが滅ぼすことを述べています。

私は、以前は、人間は死んだら塵に還って《無存在》になると思っていました。
でも今は、死んだらみんな天国に行って《永遠の存在》になると思っています。

有神論の原理から言うと、
神が永遠の存在で、人間がその神の創造物であるなら、
人間も同じく永遠の存在でなければ、物事の道理に合わなくなります。
ですので、全ての人は永遠の世界(天国)で永遠に生きると考えています。

とはいうものの、やはり死への怖さはあります。
苦しみながら死ぬのが一番いやなことでしょうね。
私も病名は知らされずに、できれば「ポックリ」がいいです。^^;

2012/10/31(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

AKIRAさんへ。(^^)

真摯で素晴らしいコメントを、ありがとうございます。

≫「ああすればよかった、こうすればよかった、と後でよく考える」
 というのは、人生を真摯に懸命に生きてきた証拠ですね。

≫「そこに正義はあるのか、と問えばおのずと答えは見つかる」
 これはとても素晴らしい生き方だと思います。拍手をして賞賛します。
 そんな生き方には、基本的に《悔いなど無い》に違いありません。

『本能寺の恋』の登場人物は皆、自分の命をしっかり見つめてますね。
自分の生き方に信念と誇りを持っていて、「生を駆け抜け」ています。
他人を恨んだり憎んだりしていません。みんな好人物ばかりです^^)。

≫「信長は・・・志半ばで死ぬことは残念だろうけれども、それは結果であって、
≫自身が行ってきたことに後悔はしなかったのではないか。
 その考え方に、全く同意します。

よく、自分の目標を達成するために、全てを犠牲にする生き方がありますが、
それだと、目標に達しない場合には、人生は失敗だったということになります。

でも、目標に向かって歩む、そのひたむきな生き方を楽しんでいるのであれば、
結果はどうであっても、幸福な人生だったなあ、と回想できるように思います。

≫「私はきっと、残り1週間でもいつもと変わらないでしょう」
 私もAKIRAさんと同じようでありたいと願っています。(^v^)

2012/10/31(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ばくさんへ。(^^)

真面目な深いコメント、ありがとうございます。

確かに、生も死も闇の中。こうだ、とはっきり言明できる人はなかなかいません。

≫「すべての命に、平等にあたえられたチャンスは、死んで行く事」
 死は「平等なるチャンス」ですか。面白い言い方ですね。
 なるほど。考えてみると、死をいやなものと思うなら《ピンチ》でしょうが、
 死を活かそうと思うなら、《チャンス》になるのでしょう。
 その場合の《チャンス》とは、《準備》とか《対応》ということでしょうか。
 
野球の「ピンチヒッター」という用語。
これは「チャンスヒッター」ではないか、と長年思っていました。
あのSONYも不調のようですが、また斬新なモノ創りをする社風を活かして、
別の道を切り開いていけば、ピンチがチャンスになるのでしょうか。

このところ、有名人の死亡報道が相次いでいます。
桑名正博のように59歳の若さで亡くなった人もいますが、
大滝秀治(87)、若松孝二(76)、藤本義一(79)の皆さんのように
最近はずいぶん長生きになりました。

「みんな旅の途中」でも、いい旅を送ってきた人ばかりのように見えます。
あのように惜しまれる人生を送れれば最高ですね。
でも、そうでなくても、自分で悔いがなければそれでいいとも思うのですが^^)。

2012/10/31(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん 丁寧なお返事ありがとうございます。
「生きてきたように死んでいく」というのは 私の言葉ではありません
淀川キリスト教病院の柏木哲夫さんの言葉です
私のコメントは正確には「生きてきたように死んでいきたい」ということにして置けばよかったですね。「感謝」と「ユーモア」を持ちながら 
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001897/0/kouza/section3.html ここを見られると だいたい 解っていただけるかなと思います。

2012/10/31(水) |URL|milestone [edit]

今日はいつもより早くノルマも果たしたし、ささ、ちょっとゆっくりできるかな、と思ってバーソさんのブログを覗いたら、いきなり「残り一週間の命、って、ズドーンです。。

う~~ん、わたしも入院したことがあって、病室の周りの方達は、みなさん癌で、昼夜関係なく、苦しんで吐いてる方とかいらっしゃって、辛くなりました。まだ若いかたとか。。。いつもあの光景が頭のすみにへばりついているので、ゆりママさんの恐ろしいという感覚は、わかります。
わたしもポックリ死にたいから。あと一週間っだったら、ひらきなおるだろうな。ああ、よく頑張ったな自分、って。

2012/10/31(水) |URL|abe [edit]

milestoneさんへ。(^^)

またのコメント、ありがとうございます。

紹介されたブログを見ました。いい記事ですね。

≫ドイツのユーモアの定義には「にもかかわらず笑うこと」という定義がある。
≫とてもつらい状況であるにもかかわらず、笑うことができる。それがユーモアだ。
≫ユーモアとは、愛と思いやりの現実的な表現である。

私も共感し、賛同しますね。
辛い悲しいイヤなことがあっても、深刻にならずに、それはそれとして受けとめる。
できれば軽く笑うことができれば、人生の経験が楽しくなるでしょうから。

2012/11/01(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

abeさんへ。(^^)

お忙しいのに、長めのコメント、ありがとうございます。

ノルマの作業ですか。ルーティーンの仕事ということでしょうか。
毎日ずいぶん遅くまで頑張っているんですね。えらい! ^^)/
でもね、体だけは大事にしてくださいよー。
(あ、三平みたいだけど(^Δ一)

≫ああ、よく頑張ったな自分、って。
んー、すごくいいセリフじゃないですか。
いま人生を懸命に駆け抜けているっ、という真摯な境地が表れています。
充実した日々を生きてるんだっ、という実感を感じますね。^^)/

時間が取れたら少しでも休養して、できればたっぷり遊んでくださいよ。
そして、体だけは大事にしてくださいねー^^)。

2012/11/01(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

一週間!

一秒でも長いと思う時が多々あり、一秒は儚いと感じる時も、ままある。

現実問題として。
明日寿命が尽きて困るのは、僕ではなく遺された妻子の方でしょう。
当人(=僕)は、淡々と次の展開へと進むだけ…かと(笑)。

なにはともあれ。
僕自身の余生が判るとしたら、ぜひ知りたいですね。

2012/11/03(土) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

≫一秒でも長いと思う時が多々あり
ほう、多々あるんですか。面白いですね。
と思ったら、
≫一秒は儚いと感じる時も、ままある。
んー、どうも人生の時間についての感覚が鋭敏のようですね。

≫当人(=僕)は、淡々と次の展開へと進むだけ…かと(笑)。
淡々と、ですか。たいしたものです。
死は次の次元に移動するだけだ、と達観しているのでしょうね。

≫僕自身の余生が判るとしたら、ぜひ知りたいですね。
私も知りたい気はままありますが、知りたくない気も多々ありますね。
知ったら、面白くないというより、怖ろしい気がします。(^Δ一)

2012/11/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

思い出した言葉

私の思索のベースは河合隼雄さんなんですです
彼の言葉から 好きなものを上げてみますと「おはなし おはなし」から

「人間の人生を一つの物語としてみることは、意義深いことと思っている
自分の人生を物語としてみるとき、さしずめ、「主人公」は自分と言うことになるがそれが一番大切な存在ではないことを知ることによって、
その物語が深みをもつのではなかろうか。
主人公としていろいろ体験しながら、自分よりも大切な存在とは何かを
常に問いかける姿勢をもち続けることによって、たとえ答えは
簡単に出てこないとしても、人生が豊かになると思われる。」

「玉ねぎ」
玉ねぎは特有のにおいをもっている。それは時に「くさい」と表現したくもなるすべての宗教はくさみをもっているし「うさんくさい」傾向さえもっている。しかし、それが玉ねぎの特徴だ。
時々、「私どもの宗教は合理的・科学的に正しいことが
証明されています」などと主張する宗教があるが、あんなのは「わたしどもは、無味無臭の玉ねぎの育成に成功しました」というように聞こえてくる。素晴らしいことかも知れないが、食べる気はしないだろう

2012/11/25(日) |URL|milestone [edit]

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2012/11/25(日) || [edit]

milestoneさんへ。(^^)

続々と、ゾクゾクしそうな情報をありがとうございました。

私は神の話や人生の話をするのが好きなんですが、以前は、たまたま職場に、み使いの言葉が分かるという単一教会の人と、キルケゴールが好きな人がいたので、たまに少し話ができた程度。会衆の中には一人も話し相手がいませんでしたね。

そして以前は、キリスト教専門の書店にはよく行きましたが、一般の本はほとんど読まなかったので、まあ、私自身も偏狭な知識音痴の人間でした。
「神との対話」の本を読んだのがJWをやめたきっかけでしたので、ここ数年は精神世界の本ばかり読みあさっていて、やはり偏狭と音痴に変わり無しの状態です。

河合隼雄さんは名前は聞いたことがあるものの、本は全然読んだことがないのですが、「主人公」の話も「玉ねぎ」の話は、利他愛や包容力のようなものを感じました。早速、図書館に予約です。

私は、世の中には「偶然」というものは無いと思っているのですが、こうしてmilestoneさんと知り合えたのも何かの「縁」でしょうか。

2012/11/26(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

考え方の違いで 偶然だと思えばそうだし 縁だと思えばそうなると思います。私にはわかりません 仏教の十二支縁起によれば 他との関係で成り立っているわけですから パーソさんとの出会いも必然だったのかもしれません。
私は広く浅くがモットーですから 追求されれば「本を読んで下さい」と逃げ込んでしまいます。パーソさんの知的好奇心の一助になれば うれしいです。 次回は今紛争しているシリアからシルクロードを渡り東北の山形県 盛岡に渡るお話ができるかもです。地図を広げて考えて見て下さい

2012/11/26(月) |URL|milestone [edit]

milestoneさんへ。(^^)

≫考え方の違いで 
≫偶然だと思えばそうだし 
≫縁だと思えばそうなる。

いやー、面白いですねー。私はこう思っているのです。
 考え方や意識の違いで 
 偶然だと思えば、偶然のようになるし、 
 縁だと思えば、縁があるようになる。

図書館には原則、土・日にしか行かないので、すぐには借りられません。
借り手が他にいると、貸し出し期間は一人当たり2~3週間ですので、
もっと時間が掛かります。
感想は必ず書きますので、のんびりとお待ちください^^)。

2012/11/27(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

コンニチワ!

この映画、WOWOWで、
久しぶりに見ました~。

改めて、みると結構深いメッセージが
込められているようで、面白かったです。

今では、色々あり、”死”は、
ワタシの友であります。
”死”がワタシを貫くまで、
ワタシの傍にいてもらうつもりです。
決して離しはしません。

というか離れられるはずが
ありませんよね~。(笑)

”死”という友人は、語り合わずとも、
常に勇気を、与えてくれる存在です。

神よりも、頼りになる存在かも?
それとも、”死”は、本当は、
仮面を被った、神なのかもしれませんね~。

そもそも神がいるかどうかは、疑問なのですが(笑)。

お邪魔いたしました~。

2012/12/24(月) |URL|なりびと [edit]

なりびとさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

おー、なんと、「死は友人」ですか。
なりびとさんの人生観は、かなり一般の常識とは違いますね。
普通は、死は世の中で一番怖いもので、あんまり友にはしたくないものですから。

「死は勇気を与えてくれる」「神よりも頼りになる」ですか。
これは逆説的な言い方なんでしょうか。
死があるからこそ、生を強く意識できるということなんでしょうね。

ちょっと前に読んだ瞑想の本にも、死は怖いものではないとは書いてありましたが、「神よりも頼りになる」というのは、ちょっと驚かされる言い方です。なりびとさんは、どうしてそのように思うようになったんだろうと思いました。

「神がいるかどうかは疑問」ですか。
「ある」ではなく、「いる」という言い方は、宗教教団が教えてきたような《人格的な存在としての神》は信じないという意味なんでしょうね。
こんなコメントは初めてで、興味深いです。ありがとうございました。

2012/12/24(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

その場その場で最も幸せな行動、もしくは最大の幸せに近づくためのギャンブルをする他ないと思います。それは残りの寿命とは関係ないように思います。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

そう思うのはいいことだと思いますね。人間の未来は分かりません。だから、その時々の選択なり決定は、まあ、「ギャンブル」という一面があるのでしょうか。

自分の残りの寿命というのは、若いときに《考える》人はいるでしょうが、でも実感としては、死が実際に身近になるまではなかなか分からないものだろうと思います。
分からないからこそ、このような文章を書く人がいて、本になっているのでしょうから。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは!

私、夫を看取ったころを思い出しました。

がんセンターの病室に、私もずっと泊まっていました。

亡くなったとき、看護師さんが、「亡くなっても、耳だけは、しばらく聞こえるので、
声掛けをしてあげて下さい」というのです。

私は、なぜか声かけが、できませんでした。

それが忘れられない。

深夜、もうすぐ12時になるころでした。

その場面が、自分の中に、ずっと残る出来事です。

2015/03/17(火) |URL|森須もりん [edit]

森須もりん さん ありがとうございます^^)

「亡くなっても、耳だけは、しばらく聞こえる」というのは、
なんと言っていいか、ちょっとうれしいような、ちょっとこわいような、ですね。
女性のほうが長寿なので、大抵の場合、妻が夫を看取ります。
私は看取られるほうですが、死の間際に妻の声が聴こえたら、かなり気になるでしょうね。どんな気持ちになるでしょうかね。あまり聞きたくないような気もするのですが。

ここで紹介している本の中で、著者はこう問いかけていました。
 死は偉大な教師だが、死を意識して生きている人は少ない。
 最後の一週間には、すべてのことがふだんより何百万倍も意味を持つ。
 もしそのような心構えですべての週を生きたらどうなるだろう?

森須さんは、こういうことが身近な環境にいます。いろいろと考えさせられることがあるのでしょうね。なんであれ、生きてるうちが花なんでしょうか。(笑)

過去記事も読んでいただき、うれしいです。

2015/03/17(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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