「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 聖書預言の『世の終わり』は、「白髪三千丈」語法だ。 

マスコミは、大げさで、仰々しくて、針小棒大な誇張表現の名人だ。

飲食店の食材は、「秘伝の」、「こだわりの」、「厳選された」が決まり文句。
ちょっとした技術があると、すぐ「達人」、「匠」、「・・・界のカリスマ」。
スポーツ紙は気軽に「世紀の決戦」とか「運命の対決」「死闘を制す」と書く。
昔からあるプロ野球は、なんとまあ、「スーパーベースボール」超野球である。

昨今、「超」の字が、超やたらに超使われていると思うことが超ないだろうか。

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じつは聖書にも、超誇張表現の預言が多いのだが、真摯純朴なる聖書研究者たちは、
それを字句どおりに受け取り、大変な解釈間違いをしている場合がある。

今回は久々に聖書の話。「世の終わり」なんてものは無い!がテーマです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.聖書の預言書は《比喩的誇張表現の宝庫》だ。

聖書の預言者は誇張表現を多く用いた。そのほうが与える印象度が強いからだ。
一例として「エドム」という国についての旧約預言を見てみたい(下線筆者)。

イザヤ34章2-10節抜粋(口語訳)
彼ら(エドム)は殺されて投げすてられ、その死体の悪臭は立ちのぼり、
山々はその血で溶けて流れる。もろもろの天は巻物のように巻かれる

主(神)の剣は血で満ちている。主がエドムの地で大いに殺されたからである。

エドムのもろもろの川は変って樹脂となり、その地は変って燃える樹脂となって
夜も昼も消えず、その煙は、とこしえに立ちのぼる


ここで、「山々は血で溶ける」とか「天は巻かれる」とか「煙が永遠に立ち上る」と
描写されているが、この言葉通りのことがエドムに起きたわけではない。

平家物語に「盛者必衰の理をあらわす。猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」
とあるのと同じく、この預言は、一つの国が滅びることを誇張表現で述べたに過ぎない。

確かに「エドム」は歴史から消滅したが、エドム人は存続している。
Wikipedia:「エドムは、パレスチナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域。
エドム人は後にヘレニズム文化でギリシア語化し、イドマヤ人と呼ばれた。
エルサレム神殿の大改築をしたヘロデ大王は、イドマヤ人である」

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2.「世の終わり」は無い、と明快に解釈できる聖句もある。

じつは大昔、ノアの大洪水の直後に神は二度と地を滅ぼさないと約束している。
創世記8章21節(新世界訳)
エホバ(神)はその心にこう言われた。
「二度と再び わたしは人のゆえに 地の上に災いを呼び求めることはしない。
人の心の傾向は その年若い時から悪いからである。
二度と再び わたしは自分が行なったとおりに あらゆる生き物を撃つことはない


二度と生き物を滅ぼさない理由は、人の心は生まれながらに不完全なのだから、
神のような完全さを要求するのは無理だと神が認知し、情状酌量をしたからだ。
(全知全能の神にしては、理解と同情と認知があまりに遅すぎるが)

神は心の中で認知したので、人類(ノアとその家族)に、こう宣言する。
創世記9章11-13節(新改訳)
「私はあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では
断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない」

「私とあなたがた、およびあなたがたと一緒にいるすべての生き物との間に、
私が代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。
私は雲の中に、虹を立てる。それは私と地との間の契約のしるしとなる


この二度と地を滅ぼさないという神の約束を『虹の契約』と言う。
つまり空に美しい虹が見えている限り、「世の終わり」は絶対にあり得ないのだ。

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3.「世の終わり」を言ってるような比喩的表現の預言もある。

創世記の《虹の契約》の話を持ち出すと、教会から次のような反論があるだろう。
すなわち、《水による裁き》は二度とないが、今度は《火による裁き》がある。

旧約聖書 マラキ4章1節(新世界訳)
「見よ,炉のように燃える日が来るからである。そして,すべてのせん越な者,
また悪を行なうすべての者は まさに刈り株のようになる」
と,万軍のエホバは言われた。


「炉のように燃える」とは、比喩的な《怒りの火》のことである。

新約聖書 ペテロ第二3章7,8節(新改訳)
当時(ノアの時代)の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ
不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。


こちらは大洪水の「水」と対比しているので、文字通りの「火」の裁きのように見える。

●いずれにせよ、ここでは《文学的コモンセンス》を働かせるべきところだ。
例えば、オレは刀剣で人を殺すことは絶対にしないと堅い約束をしておきながら、
爆弾で大勢の人を殺しまくる人がいれば、それは間違いなくマトモな人ではない。

では、神は人類を「水」で滅ぼさないが、次は「火」で滅ぼす、あるいは
「火のような燃える怒り」で滅ぼすのだ、と考えるのはマトモな思考だろうか。

要点は、神は人を殺しまくるのか、そうでないのか、である。
神が二度と地を撃たないと契約したにもかかわらず、いや、神はいつか全地を裁いて
滅ぼすのだと言い張る人は、神をイカレた神としているのではないか。

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4.ミケランジェロの「最後の審判」は、あり得ない世界を描いている。

聖書には《白い馬に乗るキリストが鋭い剣で諸国民を討つ》とか、《世が始まって以来、
起きたことがないような大患難がある》と表現されている箇所があるにはある。

それらの言葉を、文字通りに解釈するか否かは、センスと常識の問題だろう。
要は、神は基本的に愛の神で、キリストは愛の人であることを思い出すことだ。

聖書に「最後の審判」や「世の終わり」の凄惨残酷な描写があるとしても、
マザー・テレサやマハトマ・ガンジーが絶対に人殺しをしないのと同様に、
いや、それ以上に、神とキリストが、平凡に生きる一般人類を殺しまくるはずがない!
と考えるべきではないか。

そう思う常識を《信仰》と言い、そう思わない信仰を《妄信》と言うのである。

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
★参考:「宇宙主権の論争」の教理の誤りを論じています(本邦初) → コチラ
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ハルマゲドンの火を弱めてくださってありがとうございます!!
「水では滅ぼさないが火では滅ぼす」なるほど~と思ってましたが…

「奴の行先を教えれば、ナイフで殺しはしない」
「分かりました。言います…〇〇です」
「よし、わかった。もうお前に要は無い」ニヤリ(`ー´)┏パンっ☆)゚O゚)

っていう教えなんですね(笑)
確かに!ナイフじゃ殺さないがピストルでは撃っちゃうけど何か、みたいな。
神はこんなツマラナイ小細工して実際と違う印象もたせるメリット何にも無いですもんね…
そのつまらないtower事を真に受けてた自分が悲しい。・゚・(ノД`)・゚・。

2012/10/17(水) |URL|やせ蛙 [edit]

聖書は一度は読みたいと思いながら
babaの知能では無理だなと諦めています
姪が聖書の話しをbabaに分かりやすく
おもしろおかしく話してくれることがあるくらいですが
こちらのブログで少しは触れることが出来るのは
嬉しいことです♪
コメントは難しいですが
密かに読ませて頂きます

2012/10/17(水) |URL|babatyama [edit]

やせ蛙さんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

話の要点を、面白い例えでまとめていただいて、うれしいです。

ひとつ追加説明をさせていただきますね。
ペテロ第二3:7,8では、「今ある天と地」と言ってます。
「これから遠い将来のいつか来る天と地」ではないですね。

つまり、当時の人々に「今ある天と地」と言ってるわけですから、
ペテロの時代から「二千年後の天と地」が滅びる!
なんて概念はペテロには全くないのです。

だから、ペテロは信仰の仲間に「愛する者たちよ」と述べ、
神の約束は まもなく今の時代に実現するので、
心して生活していなさいと励ましているのです。

ではその成就はいつか?というと西暦70年しかありません。
その時、エルサレムの城壁は崩壊し、当時の「世」が滅びました。
パウロも、その西暦70年の「世の終わり」のことを述べているのです。
彼の手紙の文章に《緊急感》があるのはそのせいなんですね。

「tower事」は、あははは、うまいですね^^)。

2012/10/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

babatyamaへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
ご自分に関心のないことでも、毎回コメントしてくださり、
ありがたいことです。申し訳ないことです。
とてもうれしいですが、どうぞ無理しないようお願いしますね。m(_ _)m

姪御さんが聖書に詳しいなんて、教会に通ってるんでしょうか。
おもしろおかしく話してくれるなんて、いいですね。

聖書を知ってると良いなあ、と思えるのは、
欧米の本を読むときや、洋画を見るときでしょうか。
聖書の話が会話の中によく出てくるので、おもしろいですね。

もし聖書を読むなら、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの名がついた
4つの福音書がいいでしょうか。イエスの名言が記録されています。
イエスの言葉にはあまり宗教色はないので、読みやすいと思います。

2012/10/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

バーソさまへ

こんにちはAKIRAです。
超おもしろくて、至極勉強になりました。
秘伝のブログを厳選された記事でこだわりの内容に仕上げ
達人として、いや匠として、いやブログ界のカリスマとして、
うん、こう書くと確かに安っぽくなる。
なるほどオモロイです。

ガチ勉強になりました。www
また来ます。 AKIRA


2012/10/17(水) |URL|ARAKI AKIRA [edit]

ARAKI AKIRAさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

ガチ勉強になりましたか。ほんとですか。
おー、それは、それは、なんと言っていいか、
いたく、いたって、著しく、えらく、大いに、極めて、この上なく、
こよなく、至極、尋常でなく、すこぶる、すごく、たいそう、大変、
たまらなく、とっても、とびきり、鳥肌が立つほど、並外れて、
はなはだ、非常に、ひと方ならず、まことに、めちゃくちゃに、
まことにもって、滅法、無性に、やけに(以上、五十音順)うれしいですね。

ありがとうございました。またのおいでを超お待ちしています。(^Δ一)

2012/10/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

私は、キリスト教的思考はできないかもしれません。が、
神はなんでもなさる、神はどんなことでも躊躇せずになさる、と
思っています。
それをどううけとめるか、それだけが人に与えられた選択肢だと、
そう、思っています。
(私の言う「神」とキリスト者の言う「神」が同じかどうかは
私にはわかりませんが・・。)

2012/10/17(水) |URL|takako.t.maru [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2012/10/18(木) || [edit]

takako.t.maruさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

私は以前、キリスト教的思考に完璧にどっぷりと浸かってた人間です。
でも現在、聖書のある部分については、反キリスト教的思考になりました。
その「反」の部分を時々ブログに書いているのですが、
その部分とは「神」の概念(特質)に関することが多いと思います。

「神」という言葉はよく知られている言葉ですが、
確かに、そのイメージはひとり一人みな違うようですね。
でも「それをどう受け止めるのか」と考えるようなひとは、
自分の内面をよく見つめているひとだろうと思います。
takakoさんは、内面も外見も頭脳もたいしたもんですね^^)。

2012/10/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

要は、神は基本的に愛の神で、キリストは愛の人であったことを思い出すことだ。

聖書に「世の終わり」や「最後の審判」の凄惨残酷な描写があるとしても、マザー・テレサやマハトマ・ガンジーが絶対に人殺しをしないのと同様に、いや、それ以上に、神とキリストが、平凡に生きる一般人類を殺しまくるはずがない!と考えるべきではないか。

そう思う常識を《信仰》と言い、そう思わない信仰を《妄信》と言うのである。


うんうんっ!! まさにわたくしが考えていることとおんなじっ!!
仏教的には『愛』って煩悩になるらしいけれど
ちょと受け取り方が違うだけで、お釈迦様も同じことを言っているとおもうのぉ

聖書を今の感覚でそのまんま読んでしまうと、かなり危険な香りがするんだけれど、絵をみたり音楽を聞いたりするときには聖書を読んでいた方が理解しやすいのよねぇ

マグダラのマリアがイエスさまの奥さんだったってのは、どーなんだろ
一理あると思いつつ、修行僧のようなストイックなイエスさまを求める
わたくしもいたり、人間ぽく『愛』に生き『愛』に悩まれたイエスさまも求めちゃうわぁ

なんだかバーソさまの記事とあまり関係のないお話になってしまったけれど(笑)

2012/10/18(木) |URL|きまぐれひめさま [edit]

きまぐれひめさまへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。もうカゼは大丈夫なんでしょうか。

こんないい言葉が聖書にあります(コリント第一13:3文語訳)。
 「たとひ我わが財産をことごとく施し、
 又わが體(からだ)を焼かるる爲に付すとも、
 愛なくば我に益なし」

「愛」は無条件で与えるものです。「愛」は見返りを要求しません。
私を愛してくれなければ、あなたを愛さない、なんて言いません。
あなたがどうであっても、私はあなたをひたすら愛している、と言います。

「愛」というのは、聞いて、心地いい言葉ですねー。
「愛してる」と言われると、もっと気持ちいいでしょうね。
「愛してる」と言うのも、気持ちいいでしょうね・・・と
 推測未来形で言わなければいけないのが残念なところです。^^;

(イエスは健康な成人の男性で、愛にあふれる人でしたから、
愛する女性がいなかったはずはないと思うのですが、どうでしょうか)

2012/10/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

鍵コメさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
自分が今したいと思うことをすると、
自分の幸福感を味わえるようになれるのでしょうか。
もちろん、ひと様に迷惑をかけない限りですが。

2012/10/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

黙示思想

こんばんは(*^_^*)
お久しぶりです。

聖書にやたらと終末思想が多いのは、あの時代には黙示思想が大流行していたからだという説を読みました。
そのことについてブログを書こうと思いつつ、なかなかうまくまとめられずにいます(^_^;)

ずっと先の未来に対する予言ではなく、その時代の「今」そこにいる人たちに対する「預言」であったことを考えると、いつの時代の人も「これこそ自分たちの時代のことに違いない!」なんて自意識過剰なのは、人の性かもしれませんね。。。

2012/10/19(金) |URL|りんご [edit]

ちょっと、しょぼしょぼのしょぼい頭で考えられないのですが、超、って言葉はすごくよく使うので、わたしも誇大広告表現人間かなぁ、とも思います。でも、すごく褒められると、すごくうれしいんですよね。
だから脅しにも弱いかもです。かみさま、バーソ様しあわせをわけてくださいませませ~~。

2012/10/19(金) |URL|abe [edit]

りんごさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
「黙示録」のギリシア語《アポカリプス》は、覆いが外される の意なので、
新世界訳は「啓示」と訳し、自分たちは理解ができるのだと匂わしています。

ノストラダムスの予言が曖昧な書き方ゆえにどのようにも解釈できるように、
「黙示録」にも象徴表現が多く、何が正解かは明確に分かりません。

普通に読めば、全編血だらけの凄惨なB級SFホラー映画のように見えます。
ただ、現在の聖書66冊から、この「黙示録」を除くと《THE END》がなくなります。
つまり悪魔が完敗する結末シーンがなくなるのです。
黙示録をどのように受け止めるべきか、りんごさんの分析が楽しみですね^^)。

2012/10/19(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

abeさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
超お忙しそうですね。いいことだと思います。目薬、時々差してくださいよ。

「超」の発声はのカタカナの「チョー」のニュアンスですが、便利な言葉ですね。
ちなみに、わたしの口癖は「ちょっと」です。すぐ「ちょっと」と言います。
「すごい」とか「チョー」とか、あまり言いません。感受性が鈍いのでしょうかね。

その点、abeさんは、感受性、感覚が鋭敏で、芸術家の感性 超たっぷりの方ですね。
絵はうまいし、文章はうまいし、感受性は鋭いし、褒められると喜ぶし、
涙もろいし、感動しやすいし、脅しにも弱いんですか。あら。(*^_^*)

2012/10/19(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

超町長

そうそう、マスコミの誇大前置詞、気になりますよね~
テレビ欄の見出しでも、目が赤いだけで「号泣」
文句を行ったら「激怒」
川口浩探検隊では、ピラニアに噛まれただけで、
「川口浩が食われた!」でしたから。
そんなことが聖書にもあるんですね~。
ちょっとちがうか。
あ、「ちょっと」って言っちゃった。

2012/10/20(土) |URL|こみ [edit]

こみさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
確かに、ちょっと涙目なのに「号泣」というのは気になってました。
あまりにオーバーな表現は、オオカミ少年の話と同じで、
かえって効果が減少しますね。おそらく文章力が三流の証拠なんでしょう。

でも、ここで、ふと、ブログづくりに思いを馳せるなら、
日常のちょっとした些細なことを過大発展させて面白おかしく話を創作する
というのは、こみさんの超得意分野じゃなかったでしょうかね。(^Δ一)

2012/10/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは~
少し今回の記事は、私には難しくって(*^_^*)
記事についてのコメントは、
控えさせて頂きます。(すいません。)

聖書って、もう少しわかりやすく書いてあって
紙ももう少し分厚かったら、(薄すぎる気がします。)
私が、見た聖書がタマタマ薄い紙だったのかも、、、。

私も是非 読破してみたいです。(*^。^*)





2012/10/21(日) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママさんへ。^^)

コメント、ありがとうございます。
毎回、気をつかっていただいて、すみませんね。
いつもありがたいことだなあと深く感謝しておりますからねー。

今回は対象が、キリスト教の信者向けなんですね。
聖句を引用しているのは、信者に根拠を示そうとしているのです。

キリスト教には、いい教えも沢山ありますが、
そうでない教えも実は結構あります。
すべての人間は生まれながらに罪びとであると決めつけておいて、
神はその人間を厳しく裁くのだ、という教えは最たるものです。

間違った教えによる、神への怖れから開放され、
精神的に自由になってほしいと願っているので、
こうして時々、おかしな教えと思える点を書いています。

聖書はページ数が多いので、特殊な技術で紙を薄くしています。
繰り返し めくられるので、薄くても丈夫な紙になっています。
水にも強く、万年筆での書き込みにも対応しているそうですよ。

分かりにくさについては、全くおっしゃる通りで、
全体的に、非常にとっつきにくい本だと思います。
なにしろ2千年前の本で、基本的にユダヤ人が主な対象ですからね。
(ここだけの話、読破しようと思わないほうがいいかもしれませんね。
 もし読むなら「マタイによる福音書」だけでいいと思いますよ^^)。

2012/10/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おはようございます

唐突ですが、私は今までに聖書を読んだことがありません。

だけどホテルに泊まると必ず、聖書が部屋にあるので
人の心に大きく浸透しているものだろうなあと思います。

わたしの従妹がキリスト教系の学校にいってました。
聖書はあるだけで落ち着く・・・と話していました。

子供の時に、近くの教会の行事に憧れていました。
行ってみたいと母に言いました。
音楽やお菓子や行事の飾りが魅惑的だったのです。

母は教会に私を連れていってくれました。
(母も全く、キリスト教に関係のない人ですが)

教会の人と話す母の後ろにいた私は、途中で逃げて帰りました。

今もその時のことが懐かしくよみがえります。
お菓子に魅力を感じた自分が恥ずかしいと
思ったような記憶があります。
母だけ残して、ささっと家に帰ったのです。

行きたかったら、一人で、行ったらいいじゃないの。。。という母のコトバでした。
母は教会の知識は全くありません。
子供が喜ぶ事をさせたかったのだと思います。、

あのとき、行ってたら違う感性を持っていたかもしれません。
小学校の低学年のころの思い出です。


2015/06/18(木) |URL|森須もりん [edit]

Re: おはようございます

森須もりんさん。こんな記事まで読んでいただいて、ありがとうございます^^)
 聖書は永遠のベストセラーです。多くの人はイエスの教えに心を打たれます。
教会も抹香臭くない清らかなイメージがあります。ですが教会の歴史は、国家間の戦争や権力者の支持、貧者や異端者への圧迫など問題の多いものでした。
 
 聖書は全体としては良書のように見えますが、そうでもない箇所もけっこうあります。極論を言えば、旧約聖書はイスラエル人が異邦人を皆殺しにする歴史の書。新約聖書は神が不信者を最後の審判で皆殺しにする預言の書です。

 なので、一般の評価とは違って、聖書はなかなかに危険な書でもあるのです。
良いと思えるところだけ読めば素晴らしい良書で、聖書が好きだという人はそういうところだけしか読んでいないのでしょう。私も以前はそうでした。

 とは言いつつも、私は聖書が好きで、好きな聖句がたくさんあります。イエスの教えが書かれた「山上の垂訓」はお勧めの箇所です。
 アンドレ・ジッドで有名な「狭き門」とか「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」「女を見続けて情欲を抱く者はみな姦淫を犯すのです」「羊の覆いをつけた狼「豚に真珠」などの有名な言葉は、新約聖書のマタイによる福音書の5章から7章に書かれています。
無料で読めるサイトもたくさんありますよ。
http://bible.salterrae.net/ 
この中では口語訳聖書が読みやすいと思います。

2015/06/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おはようございます。

この前『彼ら』が自宅にやってきた辺りからいろいろと思い悩むことが多々あって、いろいろ本を読んだり考えたりした結果、「すべては体験である。よいことであれ、悪いことであれ体験しなければわからない。だから『彼ら』の好きにさせようではないか」。

という結論に達し、自分の中で腑に落ちました。

2016/10/26(水) |URL|通りすがり [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
> 「すべては体験である。よいことであれ、悪いことであれ体験しなければわからない。だから『彼ら』の好きにさせようではないか」。
という結論に達し、自分の中で腑に落ちました。

 そうですか。腑に落ちましたか。それはいい気づきですね。
  確かに体験しなければ分かりません。その体験の度合いは人によってレベルが違うのでしょうが、みんな誰でも同じ。彼らもいつか腑に落ちる時が来るのでしょう。特に最近は情報が得やすく、組織のほうもかなりひどさが目立ってきていますから。数十年前の頃は考えられないほど、上層部のやり方はこの世的を通り過ぎて、もう悪の分野に入ってきています。組織は人間の質如何で変わりますね。
  
 人間はみんな悩んで大きくなったというCMソングが昔ありました。野坂昭如が歌っていましたが、人生には悩みが付きもの。でも悩むからこそ進歩できるのだと考えると、問題により対処しやすくなりますね。

2016/10/26(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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