「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 子どもたちの遊びは、人の生き方を示していないか。 

ギターの名曲「愛のロマンス」といえば、
映画 『禁じられた遊び』 の主題曲である。
☞ YouTube
わたしは高校生のとき、この曲に憧れてギターを買った。
出だしから、ほとんど開放弦で弾ける曲なのだが、むろん今でも弾けない。
愛のロマンスの実践編については、むろん言うまでもない。 

『禁じられた遊び』は、巨匠ルネ・クレマンが製作した反戦映画の傑作だ。

img_439733_8990359_0.jpg

機銃掃射で両親を失った5歳の少女と、南仏の農家の11歳の少年が、
墓作りに夢中になり、十字架を作ったり盗むことまでもして、
昆虫や動物の墓を水車小屋に作っていく遊びが哀しく描かれている。

禁じられた遊び

戦時下に、死の意味も分からず夢中に墓作りをする二人の子ども。
子どもらの遊びは無垢なものである。汚れなき遊びである。

今回は、子どもの遊びから得られる人生観のつもりらしき
怪しき見解のごときものを述べさせていただきます(^^)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新約聖書には、ユダヤの子どもたちの遊びが語られている。

easter joys

イエス・キリストは、当時の不信仰な世代を、遊んでいる子どもたちに例えた。
今の時代を何にたとえたらよいか。
広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」

マタイ11:16,17 新共同訳

当時、預言者ヨハネが現れ、(葬式のときのように)葡萄酒を飲まずにいると、
批判的な人々は「彼は悪霊に取りつかれている」と悪口を言った。
イエス・キリストが現れ(結婚式の時のように)楽しみながら飲み食いすると、
批判的な人々は「見ろ、大食漢で大酒飲みだ」と悪口を言った。

いま、神の福音が(笛が吹かれているかのように)広められているのに、
お前たちユダヤ人は、せっかくの神の招きに全然反応しようとしない。
それでは《笛吹けど踊らぬ》子どもみたいじゃないか、とイエスは指摘した。


ユダヤの子どもたちは「お葬式ごっこ」や「お嫁さんごっこ」をして遊んだ。
1世紀の時代も、子どもは《禁じられた遊び》を無垢な心で楽しんでいたのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
平安時代の子どもの遊びが、大河ドラマ『平清盛』で歌われている。

『梁塵秘抄』には平安末期の歌謡曲である「今様歌謡」が収められている。
遊びをせんとや 生まれけむ 戯れんとや 生まれけむ 
遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ ゆるがるれ

巻第二(三五九)

メロディは現存してないので、大河ドラマ全編の音楽担当者である
吉松隆氏が、初音ミクさん(歌声合成ソフト)に歌ってもらったそうだ。
わたしはテレビドラマは見ないので、今回Googleで検索して知った。



大岡信著『新編折々のうた第二』には、次のような説明がある。

「普通に読めば、無心に遊ぶ子供の姿を見つつ、つられて
我が身までゆらぎ出すようだ、と大人が歌っている歌である。

しかしその解釈とは別に、これを当時の歌謡の重要な
作者兼歌手だった遊女の歌だろうとする見解もある。

《遊び》も《戯れ》も、当時の言葉では、春を売る行為、またはその人を
指す語でもあった。その観点から読めば、無心に遊ぶ子らの上に
すでに将来の流浪の人生を予感した歌となり、意味は一変する」


いずれにせよ、平安の子どもたちも《無心に》遊んでいたのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
子どもたちは、人生の《今》を上手に楽しんでいる。

norman.jpeg

くうねるあそぶ」というクルマのCMが昔あった(井上陽水が出た)。
時代はバブル全盛期だったと思う。日本中が浮かれていた。
糸井重里が書いたそのキャッチフレーズを見て、
コピーはうまいが、しかし堕落思考だなあと思った。

が、平成20年代半ばのいま、そのフレーズを考えると、
「くうねるあそぶ」は人間の本能であり、生き方の基本ではないか、
人生はつまるところ遊戯であり、ゲームではないか、と思うようになった。



むろん、世の中のためになることをするのが正しいと思うのなら、
それは申し分なく立派なことで、それが楽しみながらできるなら最高だろう。

がしかしですよ(30年以上遊びとは絶縁の年月を送った私の意見では)、
無心・純真・無欲・夢中・無邪気に遊ぶ子どもたちのように、
未来や過去を思い悩まず、人生の《今》を存分に楽しむ----
そんな生き方が、神から創造された人間の本分ではないだろうか?
とまあ、いま恥ずかしながら思ったりするのであります。^^;
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禁じられた遊び

ナントカのひとつ覚えで、こればっかり弾いていましたね(^^ゞ
他の曲は弾けんのかと言われるくらい(^_^;)
ギターを手放した今では懐かしい思い出になりました。

2012/07/12(木) |URL|chiyuin [edit]

chiyuinさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

「禁じられた遊び」はギター初心者の定番ですね。
わたしもこれを一番最初に練習しました。
二番目は、古賀政男の「影を慕いて」でした。
買ったギター教本では、二番目に易しかったように思います。

映画は『汚れなき悪戯』のほうが印象に残っています。
孤児の少年が屋根裏部屋イエス像に話しかけると、
イエスが答え、会話が始まります。

「おまえは良い子だ。何か望みを叶えてあげよう」
「ママに会いたい。天国に行きたい」
人々は、像の下で眠るように死んでいる少年を見ます。

映画を観た当時はその種の話は信じていませんでしたが、
いまは考えが変わり、あり得る話だと思うようになりました。

「マルセリーノの歌」もギターで聴くとなかなかいいですね。

2012/07/12(木) |URL|バーソ [edit]

こんにちは。

知の巨人とは、まさにバーソさんのような方を指すのではないでしょうか。
「禁じられた遊び」を導入として、聖書を説き、
かと思うと今様に入って大岡信氏の解説を取り上げ、
とどめを刺すように糸井重里のコピーまで俎上に上げて、
「アソビ」とはなんぞやと結論づけるその鮮やかさ!

バーソさんの論には、みじんも破綻がないです。
畏れ入りました。
NANちゃんは、やはりアシカの脳ですわい(^_^;)。

2012/07/12(木) |URL|NANTEI [edit]

子供は疲れを知らずに遊びますね。
子供の頃は私も遊んだはずなのに、
保育園実習の時、子供とひたすら遊ばなければいけない
状況に大変すぎると、疲れ果て嫌になった覚えがあります。
大人の私は、ひたすら遊ぶなんて
できないとその時きずきました。
でも、これが映画を見るとか、
おしゃべりをする!ということなら、
楽しく出来るので
これが本当の(大人の遊び)ですね!

バーソさん、遊ばなかったのですか?♡
これからはたくさん遊んでくださいね。💜

禁じられた遊び、ギターで知ってましたが
映画を見たことなかったです。

子供は、残酷な遊びも好きですね。
いじめのことが今話題です。

思うままに遊ばせるのもいいですが
大人が関わり導いてあげないといけないですね。

葬式ごっこ、自殺の練習、
学校の先生、大人ならいけないと言わないといけませんよ。

2012/07/12(木) |URL|ユリママ [edit]

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2012/07/12(木) || [edit]

バーソさん これからたくさん遊んでくださいね。
バーソさんの面白がる遊びって、なんだろう?バーソさんは奥が深いので、なんだろ。
私の遊びってなんだろうな。

梁塵秘抄、よいですね~。まえ~まえ~かたつむり~って、口ずさんでしまいます。
遊女にたとえる見解、なんか切ないですね。

2012/07/13(金) |URL|abe [edit]

NANTEIさんへ。(^^)

わー、ありがとうございます。うれしいですねー。
こんなに褒められると、穴を探したくなくなりますね。
ただ、「知の巨人」とまで言われると、
さすがにナポレオンの話をまた思い出しますが^^;
NANTEIさんは本当に人を喜ばせるのがお上手ですね。

人生は遊びだという考え方は、いいことがあるように思うのです。
山あり谷あり迷路ありの人生が、挑戦ゲームに見えてきます。
当面の問題に集中するので、過去や未来にあまり目が行きません。
さあ、このヤマをどう乗り越えようか、という気になり、
少しは気が楽になるという益があるのではないかと思います。

むろん、いま過酷な状況にあり、苦しんでいる方々の前で、
こんな話を他人事のように言うことはできません。
それは極めて愛の欠けたことであり、申し訳のないことです。

「幸い」と「辛い」の違いは、たった線一本の違いですが、
「辛さ」は、それを体験した人にしか分からないものだと思います。


「近頃、辛口の酒が少ないとお嘆きの貴兄に」
というCMが昔ありました。

辛い(つらい)は、辛い(からい)とも読めます。
もし、つらさの感情を、からさの感情に変えることができるなら、
事態は変わらずとも、少しは気が楽にならないでしょうか・・・。
もっとも気が楽になるだけなんですが。

NANTEIさんのブログを拝見していると、感性知性にあふれ、
さぞかし、いい人生を過ごしてこられたことだろうと思います。
それにつけても私、いい噺も、いい本も好きなんですが^^)。

2012/07/13(金) |URL|バーソ [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

保育園実習もあるんですか。精神科実習もありましたね。
お年寄りの世話もあるしで、いろいろ大変なお仕事なんですね。
本当にお疲れ様です。ありがとうございます。m(_ _)m

そうです。子どもは子どもの遊び。大人は大人の遊び。
ひとにより、遊び方はさまざま。それが面白いんですよね。
みんなが同じことをして、みんなが同じことで笑って、
衣食住もみな同じスタイルなら、ちょっと気味が悪いですよね。

わたしは某キリスト教団にいた間、遊びとは全く縁が無かったです。
まずそんな時間が全くない。そんなことをする気も全然ない。
口幅ったい話ながら、神と人のために生きて(いると思って)いました。

でもかなり後で気がついたのですが、別に神のご意思ではなかったんです。
これって、恥ずかしながら、オロカながら、と言うべき話ですね。(ノ_-。)

確かに子どもは残酷なところがありますね。
いまわたしは公園では、蟻を踏まないよう、地面を見ながら歩きます。
でも子どもの頃は、蟻の穴に水を流し込んだりして面白がっていました。

いま問題になってる「イジメによる自殺」。
あれは学校が悪いと思います。
普段から「イジメは悪い」ということを耳タコになるぐらい教えるべきです。
生徒にもっと気を配るべきです。そうしたら顔を見ただけで分かるはずです。
イジメの証拠は見つからなかったなんて、あきれかえるコメントです。
いまの教育委員会なんて、どうしょうもない団体だと思います。
組織というのは、いつも自分たち組織を守ろうとするんですね。

2012/07/13(金) |URL|バーソ [edit]

abeさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

はい。まあ、これから精々遊ぼうかとは思っています。
が、どんな遊びをしたらいいのか、あまり思いつきません。
遊び慣れてないせいでしょうか。視野が狭いせいでしょうか。

いましているのは、精神世界の本をいろいろ読むことと、
あと、カメラとクルマ関係の情報を知ることぐらいですね。
外に出かけるのはちょっとおっくうになっています。(;^_^

せめてパリとヴェネチュアには、死ぬまでに一度行きたかったのですが、
海外旅行は、もう身体の事情が許してくれなくて、残念です。

abeさんは遊んでいるようで、じつはあまり遊びはしてないそうですね。
美術展にはよく行ってるようですが、でもこれからは、
自分の好きなこと、やりたいことを何でもするようにしてくださいねー。

あれだけの才能と実績があるんですから、いろんな方法にチャレンジして、
道がすうーっと大きくひらけていくといいですね。
そう思っていつも心がけていれば、きっとそうなっていくと思いますよ。

あの童話なんかすごいですよ。ストーリーの先が見えなかったし、
言葉がもいろいろ気が利いていて、面白かったですから。
絵も端正な構図と色調で、ああいうの好きですね。

とにかく人生は悔いが残ったらいけません。
この先、いろいろ大変でしょうが、頑張ってくださいねー^^)。

2012/07/13(金) |URL|バーソ [edit]

おはようございます(*´∀`*)

「遊び」って、いろいろありますね。
どこかに行くとか、誰かと過ごすとか…
でも、それだけじゃなく、自分が楽しいと思ったらそれはもう「遊び」かもしれない。。。なんて思ったりします。

私は手作りが好きなので、布やビーズを見ながら
「これで何ができるかな」
と考える時間も楽しくて(^.^)
なかなか制作にまで行き着かないこともあるのですが(^。^;)
それでも妄想…想像を膨らませる時間は楽しいです♪

本を読んだりごろごろしたり。
もちろんおしゃべりしたり。

遊びには決まりなんてないから遊びなんだとも思います…って、ただの面倒くさがりなだけかも〜(^^ゞ

2012/07/14(土) |URL|りんご [edit]

りんごさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

遊戯というと、幼い子どもの遊び。
遊興というと、「のむ うつ かう」と言いたくなります。
夜遊び、火遊びというと、少し怖さがあります。

≫自分が楽しいと思ったらそれはもう「遊び」。>
確かにそうです。
そう考えると、人が楽しんで することは、みな遊び。。
人間は究極的には快感を感じるために生きているのでしょうかね。

「精神的快楽」が最高善だとする考えは、古代ギリシャの哲学者
エピクロスの主張ですが、それは形を変えて続いています。

聖書にも出てきますよ。
「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」です。

 1.最初はイザヤ書22:13(紀元前8世紀頃とされています)。
 2.次はコリント第一15:32(これは西暦1世紀です)。

でもアダムの時代から、人間は、たとえ禁じられていても
自分がしたいことをしてきたのではないでしょうか。
その結果は問題ありの部分が多々ありますが。

りんごさんは、布やビーズの創作も上手そうですね。
想像を膨らませるのが楽しいというのは、創造力がある証拠。
作品をぜひ一度見てみたいものですね。
いいものを見て楽しむのも遊びですから^^)。

2012/07/14(土) |URL|バーソ [edit]

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2012/07/14(土) || [edit]

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2012/07/15(日) || [edit]

禁じられた遊びだけはギターで弾けるわ~

わたくし、また明日から入院することになったの~(涙)
でもバーソさまを心の支えにがんばってくるわ♪
いつもそばにいてくれてありがとv-415

2012/07/16(月) |URL|眠れぬ森のお姫さま [edit]

眠れぬ森のお姫さまへ。(^^)

あらー、またですか。うわっー。(ノ_-。)
早く退院しすぎたんでしょうかね。

ゆっくり休んで気力を高めれば
体力のほうも付いてくると思いますよ。
気力。気力。
もう健康になったぞお!くらいの気持ちでいてくださいよ。

ダーリンもみんなも付いているので、
がんばってくださいねー。

2012/07/16(月) |URL|バーソ [edit]

僕の場合、鬱の症状が悪化すると

「無心・純真・無欲・夢中・無邪気に遊ぶ子どもたち」と近い状態に陥ります。
「無心」と「無欲」、あとは「無邪気」も入れても良いかと。

ただ、子どもらと違うのは、人生の《今》を無為に過ごす事でしょうか?

「純真」と「夢中」を得られる事が出来るなら、子どもらの様に遊べるのかも知れませんが、流石に其れは無理なんでしょうね(笑)。

2012/07/16(月) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

さすが、やしまさん。
類義語の微妙な違いに目を留められましたね。

確かに「純真」は、大人には難しいかもしれません。
大人は、とかく世俗の垢にまみれていますから。

「夢中」は、なにか趣味とか仕事とか遊びで
夢中になっている大人がいるように見えますが、
さすがに子どもと同レベルとまでは行かないのでしょう。

人生は謎だらけです。
わたしは全能の神がなぜ悪を放置しているのか?
に長年、関心を持っていました。
 某教団の「宇宙主権の論争」という教理は、
 神が悪を許している理由をキリスト教的に論じたものです。

神とサタンが世界を支配しているという二元論的考え方で、
よく出来てはいますが、その教理にはかなり穴と矛盾があり、
わたしは過去の記事で論じています。
 http://barso.blog134.fc2.com/blog-category-9.html


いま、納得して受け入れている考えは、
 神は自分の分身(人間)を創って、いろいろな体験をさせる
 ことによって、様々な感情(楽しさ、面白さ、辛さ、悲しさ、
 空しさなど)を代理体験しているのだ、というものです。

この考えなら、神が地球上の悪を許している理由が説明できます。
 神は人に自由意志を与え、好きなことをさせているというわけです。

では神は人の不幸を見て胸が痛まないのか?という疑問については、
 人間は、いま人生ゲームを仮想体験しているようなもので、
 それは現実ではないのだ、ということになります。
 http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-53.html
 http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-26.html


そうであれば、
どんなことをしていても、人は自分の人生ゲームをしている。
人は何をしていても、その時々に必要なことをしている。
それがその人の当面の課題である。・・・と思うようになりました。
 ただ、直線を速く歩いているのか、ちょっと回り道をして
 ゆっくりめに歩いているのかの違いはありますが。

そうであれば、
人生の《今》は貴重なものゆえ、大切に扱ったほうがいい。
だが、何をしていても、《今》していることは当人のいわば課題であり、
人生には、究極的には《無為》はないのではないか、と思っているのですが。

やしまさんのように才ある方は、
《いやあ、無為は無為だよ》と言われるかもしれませんね^^)。

2012/07/17(火) |URL|バーソ [edit]

う~ん???

才なんて、無いと思いますよ~。
褒め言葉としては、十分過ぎるほどありがたいのですけどね。やはり此処は自分をシビアに見ないと。
だって!才あるならば、少なくとも其れを活かして、職にしてますから!(笑)


ところで、御話変わりますが。

>>全能の神がなぜ悪を放置している
きっと放置している訳では無いと思います。

ただし。
主権が及ぶ範囲と言ふのは「例え全能であっても自らも法(則)に従う以上は限りがある」ように、僕は思ふのです。

闇が光の反対ではなく、光の無い状態が闇であるように、ね。

2012/07/17(火) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。(^^)

興味深いコメント、ありがたいですね。

まず最初に申し上げたいことは、
才ある鷹は、大体は爪を隠しているものらしいですよ(笑)。
 
ところで、イエスは死の間際にこう叫びました(マタイ27:46)。
「私の神、私の神、なぜ私をお見捨てになりましたか」

人はよく《なぜ神は災いを放置しているのか》と考えます。
これは神を信じる者ならば、当然抱くような疑問なんでしょう。

-------------------------------------------------

さて、この種の論議は好きなんですが、少々前置きをさせていただきます。

まず、やしまさんと私の抱く「神」の概念は少々違うように思います。
(「宗教の神」ではないという点は一致しているようですが)

また、私の神概念は間違いないと言い切れるものでは全然ありません。

さらに、人はそれぞれに異なる考えを持っていいのだ、そうでなければ
地球上にこんなに人間は大勢いらない、とも思っています。

ですから、私の述べることは、やしまさんへの反論というよりは、
私の個人的な考えに過ぎません。
しかもその個人的な考えさえ、流動的で、現時点でのものです。

それに大体が、形而上的なことは客観的に証明しがたいものです。

-------------------------------------------------
     (ということで本論に入ります)

≫例え全能であっても自らも法(則)に従う以上は限りがある。

「例え」とありますから、やしまさんが必ずしも全能の神を信じている
ということではなく、神が全能ならば、という前提の論議だと思います。
全能であっても、何らかの限界や制限があるだろうということですね。

私の「全能の神」の概念は、ちょっと違います。
文字通りの「全能」、オールマイティです。
限定や不自由が一切なく、全てが自由にある「全能」です。

「朕は国家なり」 という、太陽王ルイ14世の言葉があります。
これは「私がルール・ブックだ」の意です。
ルールを創る者は、自分のルールに束縛されることはありません。
つまり私のイメージする「神」は、法(則)に従う必要がないのです。

言い換えると、その神は、ある意味《光だけの存在》ではありません。
全能であるゆえに、光も闇もすべて包含している、と考えます。
(もし闇がないならば全能ではないということになりますから)

それゆえ、この地球上には、光も闇も存在するのだと思うのです。

2012/07/19(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「例え」の意味は、バーソさんの推察どおりです。

全知全能の(いわゆる)神様と言ふ存在が、在るか無いか?
こう問われたとしたら僕は、大抵無いと応えます。
但し。たま~に、在るとも応えてます。

無いと応えている時は、「無い」という言葉の前に「出逢ったコトは」とか、「知ら」という言葉が付き、在ると応える時は、質問者の発する全知全能の定義が明確な時で、かつ、僕も其の定義に同意している時。

普段の僕は、神様という存在(或いは概念、或いは思想)が、全知全能であるとは思っていませんから(笑)。

恐らく(←と言うのは僕自身の考えも、未だ流動的なため)僕の中では、神様という存在が生じる前にも別の神様が居たと思ふのです。丁度、此の宇宙がビッグバンを経て誕生する間にも、此処とは異なる別の宇宙が存在した(そして今も存在している)様に。← brane cosmology です。


もう一つ。
仮に、全知全能の尊き存在がルールを創っていたとしても、そのルールを一番最初に従う(=束縛される)のはルールを創った当人でしょう。
此の点は、バーソさんと明確に異なりますね。
とは言え、毎日6時に起きると言ふルールを創ったら、守るのは本人ですが、破るのも本人ですから、「束縛されない」と言ふ意味では同じかも知れませんね。


追伸:
此の話題は、往復書簡になりそうですね。

2012/07/19(木) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。(^^)

こういうやりとりが何回か続くと、
ブログが重くなり、表示が遅くなるかもしれません。

それでとりあえず、ひとつ専用欄を設けることにしました。
そのほうがお互いに見やすく、書きやすいと思いますので。
それで「カテゴリ」に『8.その他』を追加をしました。

続きは下記のほうで、お手柔らかにお願いします^^)。
7/20『子どもたちの遊びは人の生き方を示していないか』コメント続編。
http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-64.html

2012/07/21(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

 >遊びをせんとや 生まれけむ 戯れんとや 生まれけむ 
         遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ ゆるがるれ
 関係ないけど遊びつながりで。
 このフレーズを使った某パチンコチェーンのCMがあります。
 なかなかセンスが良いCMで、チェーン店の名前がパチンコ屋とは知らない人が見たら、どこのお店のCMかと勘違いしそうな程。
 私は最寄り駅前に2店舗もあるので、流石に気が付きましたが。^^;

 話の構成が巧みなんでお聞きしますが、集会で講演とかされてました? もしそうなら準備が大変と聞いてましたから、その当時の経験がここで遺憾なく発揮できますね。
 どの記事を読んでも、話の流れと落としどころが宗悦なんで若しかして、と思ってしまいました。

2012/09/07(金) |URL|元研究生になりたい [edit]

元研究生になりたいさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

CMって面白いですね。
CMの質(中身)と、クライアントの質とは必ずしも合致しない場合があります。
建物の外観だって、パチンコ屋の店頭にポスターが貼ってなければ、
なんの店だろうと思うほど、造りが立派な建物が多いですから。

話の構成が巧みと、お褒めにあずかり恐縮です。
はい。JW時代は30年近く、下手な公開講演者でした。

2012/09/07(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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