「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 『十戒』は戒律ではない。人間への期待であり信頼である。 

昔、『十戒』という映画がありました(1956年製作・アメリカ映画)。
「古い奴だとお思いでしょうが」・・・鶴田浩二
「古い話で恐縮だけど」・・・萩原健一 
「つい二三日前にもテレビの番組欄に出てましたよ」・・・バーソ^^)

監督はセシル・B・デミル。左右に分かれた紅海の底をイスラエル人が
渡って逃げるシーンは有名で、当時の大スペクタクル映画でした。

十戒の絵

主役はチャールトン・へストンという面長の俳優。
「ミケランジェロが作った聖書中の人物像にそっくり」だったので、
デミル監督は、彼をモーセ役に抜擢したのだそうです。
photo_20120617111552.jpg
モーセは東洋人なのに、西洋人の顔から選んだ
というのがちょっと興味深いですね。

ちなみに、現代のユダヤ人が白人種の顔に見えるのは、
紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家
「ハザール汗国」の末裔だから、という説があるようです。

で、今回は『十戒』の話から始まって、日本の社会を良くする話です。


『十戒』は、石の板に10項目ほど書かれた「言葉」です。


moses1_20120617103158.jpg

じつは『十戒』で使われているヘブライ語の動詞は「否定未完了形」で、
「命令や禁止」の意味のほかに、「行為の可能性」の意味もあるそうです。
したがって、次のように訳せます。
「汝、殺すなかれ」→「殺さないであろう」または「殺すはずがない」
「汝、盗むなかれ」→「盗まないであろう」または「盗むはずがない」

つまり『十戒』は、(神が愛しているあなたがた)人間が、
人を殺したり盗んだりするはずがないでしょう!
という神からの信頼の呼びかけであるというわけです。
(これ、なかなかいい話ではないでしょうか ^^)。

※原語に「戒め」の意はなく、『十戒』とは文字通りには『十の言葉』です。
※日本語入力は、「じゅっかい」ではなく、「じっかい」で変換されます。

ニール・D・ウォルシュ著『神との対話』
「10の戒め」などというものはない。そんな戒律がどうして必要なのか? 
神が欲するものは何でも存在するではないか? 
どうして神が誰かに戒律を守れ!と命ずる必要があるのか?

もし神が戒律を課すなら、当然守られるはずではないか? 
どうしても命令したいと思ったくせに、命令が守られるかどうか、
成り行きを見ているなんて、おかしくないか?



ユダヤには非常に数多くの「律法」がありました。


mose.jpg

旧約聖書には、『十戒』を筆頭に、非常に多くの「律法」があります。
ユダヤ人の宗教の特徴は律法主義です。戒律や規則を守りきることで
自らを義人となり、神から是認されようというものです。

キリストは、すべての「律法」は二つの「愛」に要約されると言いました。
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、神を愛せよ」
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」


すなわち、「神への愛」と「人への愛」です(マタイ22:37,39)。
そうすると、
神の「律法」とは「人間への期待」であり、
その「期待」に応えて行動することがすなわち「愛」である

となりませんか。

子供を信頼している親は、そんなことをしてはだめ!と叱ったりせず、
良い子はそんなことをしないでしょ!と励ましますが、
それと似てるでしょうか。

人間、命令されると反発したくなるかもしれませんが、
期待されるとその期待に応えようという気持ちがありませんか。

aaaaaa.jpg

それで、学校教育についてですが
二次関数や因数分解の難しい公式とか、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト
など、木星の衛星の名を覚えさせてテストに出すことが本当に重要でしょうか。

心の教育に力を入れるほうが、はるかに有意義で必要なのではないでしょうか。

教育内容は、ルールや規則を細かく教えるというよりも、
行動の正しい動機付け、すなわち「人に期待されている愛」を教えるわけです。

それも週に1時間程度のおざなりではなく、毎日カリキュラムに組み込みます。
むろん、堅苦しくなく、面白く、楽しく、宗教抜きで、自由に、です。

日本と世界を良くしたいのなら、その教育法が最善ではないですか。
そうすれば、いい考え方を持つ政治家がどんどん出てくるかもしれませんよ。

モーセ

前述のマタイ22:37,39を、山浦玄嗣さんの「ケセン訳」で引用します。
 
「心の限り、命の限り、思いの限りを尽くして、
そなたの御あるじである神さまをば大事に致せ」。

 「見ず知らずの他人をも進んでおのが身内となし、
これをおのれのごとくに大事にせよ」


「大事にしなさい」という言い方のせいでしょうか。
命令形が気にならないのが不思議ですね。
_ _ _

The-Lord-of-the-Rings_20120617125602.jpg
今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんよ。(^^ゞ

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こんばんは、バーンさん。

今、日本を変えなければその先の日本が見えません。

もっとも、遅すぎたのでこうなってしまったのだと思いますが
やはり、教育は大切なファクターだと思います。

家庭での教育から、学校での授業でも
道徳、人への接し方は特に大切な項目だと思います。

私などは修行が足りないので
なかなか、子供を叱らずに、とはいきません。

親に対して言ってはいけない言葉を投げつけられる
のは私が悪いのだと思いますが。
まあ、これは個人的な事なので関係ないのかもしれません。

そして今は人を蹴落としてでも、会社に残らなければいけない
現状。

鬱状態の人々が急増していますよね。

社会が警報をならしていると思います。





2012/06/17(日) |URL|りもママ。 [edit]

なんて、懐かしい♡
この映画、チャールトン、ヘストンがかっこ良くって♡

お話も、当時の映画にしては、海が割れるシーンも
まるで、本当のようだったし、
モーゼの母親が(ライ)に侵されている
シーンでは、医学的にもとても興味がありました。
キリスト様も出てきましたが、後ろ姿と、足の
出演でした。
キリスト教を知らない私がみても、
(十戒)は、いい映画だと思いました。
とっても長い映画です。
短時間では、描ききれなかったのだと思います。

十戒にしても、聖書にしても
日本語に訳す人いかんで、
いろんな解釈に変わっていきますね。

赤毛のアンの翻訳をした、
私の尊敬すべく(村岡花子さん♡)の、
引き込まれるような翻訳♡

日本人に赤毛のアンを愛するように仕向けた
功労者だと言えるのではないでしょうか!

聖書の、翻訳も
村岡花子さんに、再編してもらったら、
とっても親しみのある
物になるかもしれませんね♡

>>子供を信頼している親の
子供のさとし方が、いいですね。

(良い子はそんなことしないでしょ♡)

否定されるのは、辛いですものね。
褒めて育てる♡
私もこれで、イチコロです♡













2012/06/17(日) |URL|ゆりママ [edit]

りもママさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
思いつきで書いたような拙なるブログに、
まじめな感想をいただき、恐縮してしまいました。

確かに「人を蹴落としてでも」という風潮。
これは日本だけの問題ではなく、人類普遍の問題でしょう。

その原因のひとつは、おそらく、人間も動物の一種だとし、
弱肉強食社会を是とする考え方が意識の背景にないでしょうか。

もうひとつは、政治家にビジョンがないせいではないでしょうか。
「将棋は3手先を読め」という言葉があります。
将棋のプロは何百手先を読むそうですが、
素人の将棋なら3手先を読むだけで大抵勝てるよというわけです。

いまの政治家は、1手先しか、目先の駒しか見てないように思えます。
大局的に見てないので、いつも目先の小さなことが争点です。
(報酬を思い切ってかなり小額にすれば、ボランティア意識の人が現れ、
社会の幸福を真に考える誠実な政治家が出てくるように思うのですが)

しかし長い目で見れば、百年前より三百年前より良くなっていませんか。
でも、もっともっと日本と世界が今以上に良くなるには、
人々の意識が変革することが必須で、それも、子供のときから変わる
ようにできるなら素晴らしいなあと思います。

2012/06/18(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
いつも感じたことをたっぷり書いていただき、
非常にありがたく思っています。感謝です。(^Δ一)

『十戒』の映画。いろいろ印象に残ったようですが、
ライのシーンを覚えているなんて、さすがですね。
わたしは全然覚えていません。

当時のイスラエルでは、ライ病患者は社会的に隔離遮断されていました。
歩いていて、誰かが自分に近づくと、大声を出して警告しなければ
なりませんでした。だから人ごみの中には入るのは無理でした。

病気が移るからというよりは、霊的に穢れているとみなされたのです。
ここは、酷い話じゃないか、本当に神の言葉なのか、と思える箇所です。
(ライは伝染しません。神ならそれが分かるはずですから)

「赤毛のアン」の翻訳者が日本語訳を作るというのはいいですね。
「源氏物語」は、いろんな作家が現代語訳で書いています。
そんなノリで気軽に読めれば、特に女性にウケるかもしれませんね。
ゆりママさんが、医学的箇所だけ訳すなんて、いかがでしょうか^^)。

2012/06/18(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。

宗教の成り立ちというのは、一筋縄ではいかんもので。
ユダヤ教についてはまだ読んではおりませんが、
仏教てえのになりますと征服者にして、少数民族のアーリア人が、
現地の民草を慰撫しようてんで、印度古来からあった孔雀信仰や、
その他の土俗信仰の都合のいいところを摂り入れて、
徐々に古代仏教の体裁を整えてきたと申しますな。
中央アジアに広がりクシャン王朝の頃には、ヘレニズム的な思想とゾロアスター教まで合流するのでございます。これがシルクロードを経て中国に入りますてえと、老荘の神仙思想と混合しましてな、それが新羅、百済を経て日本に入ってきた頃には、ああた、シッタルダももう知ったるだ?てなくらい面変わりしていてのでございますよ。
ちなみに現在も古代インドの原始信仰だった孔雀信仰が、仏典のなかにその名も「孔雀教」として残っているので・・・。

えー、「十戒」とはずいぶん離れてしまいましたが、なに人間が作った神ですもの、言葉のあやというものを織り込んでおかなければ、昔も今もなにかと都合が悪いんでな。あまり締めつけるとお布施も少なくなるのでございますからな。
ええと・・・
この映画は何度も観ました。
海の割れるシーンはデジタル技術のなかった当時で、
最も優れた映画技術と言われています。
ちなみに私はその俳優のことを「チャールストン」と呼んでいました。
たわけな奴です^^。

しかし、いつもよき修身的お話し、お見事でございます。

2012/06/18(月) |URL|NANTEI [edit]

NANTEIさんへ。(^^)

薀蓄たっぷりの面白いコメント噺、ありがとうございます。

宗教というのは、概ね成り立ちが似ているのではないでしょうか。

1)最初、カリスマ的な人間が唱えた、気の利いた言葉がある。
2)それは大抵、リーズナブルで納得できる神聖な教えである。
3)やがて組織宗教となり、流布される過程で、土着の宗教と融合する。
4)その際、時の政治指導者がそれを利用し、宗教指導者も迎合する。
5)結果、両者に都合のいいように、教えは捻じ曲げられる。
(キリスト教の歴史がまさにそうでした。信者は被害者でした)

現代の宗教はその結実であるので、「ねじれ経典」かもしれない、
と思って、マユツバ研究者になるのが、まあ安全かもしれませんね。
(私はそれに気がつかずに長いこと宗教組織に所属していた戯け者です)

世界には、「聖書」は神の言葉だと信じる人が非常に多いのですが、
これはおかしいなあ、妙だなあ、とハートで感じるような教えは、
専制的かつ独善的な権力者が考え出した「人間の教え」だろう、
と考えてまず間違いない、といまの私は思っています。

「ああた」・・・志ん生は好きでした。ちょっと舌が回らない、
飄々とした口調の噺家でした(もう殆ど覚えていませんが)。

落語が好きだったのは、シャレもオチもそうなんですが、
江戸の下町言葉の調子の良さと、宵越しの銭は持たねえや
なんて粋がる(意地っ張る)その気性が面白かったからです。

NANTEIさんの文章は、何とも いい調子で、頗る、甚だ、至って、
大層、滅法、堪らなく、事の他、好きですねえ。はい。

経典の重ーいお話。きょうてん動地の思いでした。
シッタルダのお話。す、すっ、ゴータマげましたでげす。(^^ゞ

2012/06/18(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは。

十戒が禁止令というより
「〜〜するはずがない。」
という信頼の言葉だというのは、私も聞いたことがあります。
格調高い文語調の十戒も味わい深いですが、優しく語りかける十戒の方が、私も好きです(^.^)

私は、障害を持った方々と関わる仕事をずっとしてきていて、特に最近は学校内での支援をしています。
その中でただ、やってはいけないことを禁止するよりも、いいことをした時に褒めたりお礼を言ったりするほうが、不思議と全体の行動が落ち着いてきたりしますね。
やっぱり、人は否定されるよりも、期待されたほうが伸びるんだなぁ。。。としみじみ思います。
そうやって落ち着いてきたら、ほかの友達からの視線も自然と同じ仲間として暖かくなって、一緒に楽しめるようになってくるので、本人もますますいい表情をするようになってきて、その様子を見るのは嬉しいものです。
いつもいつもうまくいくわけでもないし、めざましく変わるわけでもありませんが、毎日の中の小さな幸せをおすそ分けしてもらえている気分です(^.^)

聖書に関しては、結構人の考えも入っているかなぁ。。。と秘かに思う無宗教の私です。

2012/06/18(月) |URL|りんご [edit]

りんごさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

そうなんですか。やりがいのある立派な仕事をされてますね。
世の中で、やりがいがある仕事ほど、いい仕事はありません。
この種の仕事は、本当に「気持ち」が伴わなければできない仕事です。
りんごさんは、ふだん思っていることと、普段することとが
同調できていて、たいしたものですね。素晴らしいですね。

以前、わたしは、熱心さで知られている宗教組織に所属していて、
神とキリストから命じられた「奉仕活動」は、
やりがいのある仕事だ、立派な活動だと信じていました。
ですから、自分としては誇張でなく、自分の人生をかけていました。

でも、長年伝道していても、聖書の話を聞いてくれる人はごくわずか。
無料の聖書研究に応じてくれる人は、もっとわずか。
それから集会に来るようになって信者になる人は、さらにわずか。

そんな目に見える成果のない活動でしたが、それに打ち込んでいました。
仲間の信者たちを、聖書から教え、励ます・・・それも義務としての仕事でした。

しかし、あとになって客観的に見れば、単なる宗教活動でしたね。
その宗教組織の上層部にとって得になるだけの活動だったかもしれません。

伝道される側の家の人たちにとっては、家にしょっちゅう伝道者が
やって来て、さぞ迷惑だったろうと思います。

当時はその活動こそ、神とキリストの命令・戒律だと思っていたのです。
その宗教の用語では、「エホバのご意思」だと言われていました。
その言葉は絶対であり、信者にとっては呪文のようなものでした。
神の「命令」とか「戒律」というのは絶対命令なのです。
(それは前回のブログ「オウムの信者」の記事でも扱いました)


今は、神の「命令」「戒律」などというものは一切ない、と思っています。
そんなものは、宗教組織の人間が考え出したものだと思っています。

あえて神の命令らしきものを挙げるなら、「愛」だけです。
本当は聖書にもそう書いてあり、キリストもそう言っているのですが、
宗教は教えをいろいろ捻じ曲げ、余分な規則を付け加えているのです。


それに引き換え、りんごさんの仕事は、素晴らしいですね。
まず相手のひとから喜ばれる仕事ですよね。
感謝されるでしょうし、賞賛されることもあるでしょう。
こちらの努力に対して、目に見える成果があるでしょう。
「毎日の中の小さな幸せをおすそ分けしてもらえ」ているのですね。

障害のある方は、いろいろ不利益が多いでしょう。
視線や言葉による「いじめ」に遭いやすいのではないですか。
同情心でする態度も、時には差別に思える場合もあるのではないですか。

人間は無神経のところがあって、とかく自分に経験のないことには
感情移入ができないものです。感情の薄い人は同情心に欠けがちです。


そんなことを考えると、やはり子供のときからの教育は大事だと思います。
わたしは、子供のときに母親から言われたこと、それから本で読んだことや
先生から教えられたことが、性格に大きく影響を与えたように思います。


りんごさんの「学校内での支援」は易しい仕事ではないでしょう。
でも、優しいりんごさんに向いている仕事ではないですか。
これからもぜひみなさんのためにも頑張ってくださいねー。
私も心の中で応援していますからねー。^^)/

2012/06/19(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

海が割れるシーン、たしか『大魔神』にもあったような。
もちろんこちらはパクッたんでしょうが。
十戒、十の戒めが「やるな!」じゃなくて、
「やらないよね」だったとは。
結局、こうでなくてはならない、という言い方は、
誰かに都合のいいことなんだろうと思ってしまいます。
ニュアンスだけでもずいぶん違ってきますね。

2012/06/19(火) |URL|こみ [edit]

こみさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

「大魔神」と聞いて、佐々木投手を思い出しましたが、
聞いたことはあるがなんだったかなあと思って検索しました。
特撮時代劇に登場する守護神。1966年大映製作。
ああ、そう言えば、あの鎧を着た巨大な武士。
思い出しました。テレビで見たような気がします。

最近は特撮がCGで、実写とまったく見分けがつきません。
「スタウォーズ」もそうですが、昔のほうが特撮は面白かった気がします。
あんまりうまいと当たり前に感じて面白くない、ということなんでしょうか。
マギー司郎のように多少下手に見えるほうが面白いということがありますね。

『十戒』も、制限・命令ではなく、信頼・期待の言葉だと思うと、
身近に感じ、ではやってみようか、という気になりますね。

確かに言葉はちょっとニュアンスが違うだけで、受ける感じが随分違います。
こみさんの文章は、ちょっとした言葉のニュアンスの工夫が面白いですね。

2012/06/19(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

初めまして

拙ブログを訪問いただき有難うございます。
貴ブログを拝読させて頂く度に或るものを感じます。
多分それはバーソさんの精神遍歴なのでしょうね。
あ、いいとか悪いとかいうことではありません。
それがバーソさんのブログの特徴なのだと思います。
本当は感想を書かなきゃいけないのかもしれません。
でも、初回のコメントでもあり、感想は次回以降にします。
ただ、最近面白い言葉に出会いましたので御紹介申し上げます。
「日本人は戒律嫌いの儀礼好き」なのだそうです。
どう思われますか?

2012/06/20(水) |URL|chiyuin [edit]

chiyuinさんへ。(^^)

訪問、コメント、ありがとうございます。

「日本人は戒律嫌いの儀礼好き」とは面白い話ですね。
確かにそういうところがあるように思います。

人間関係の最初として「挨拶」「礼儀作法」が重んじられ、
「義理」という言葉も、ある種の「精神的儀礼」に思えます。

花を飾るのに「花道」と言い、茶を飲むのに「茶道」と言う。
日常のことが、究めるべき『道』とされ、そのことに
人生をかける日本人もいます。

宗教でも似たところがあるように思います。
オウムで有名になったイニシエーションも「通過儀礼」でした。
大きな宗教組織ほど、仰々しい服装や儀礼儀典があるようです。

以前わたしが所属していたキリスト教団は、
基本的に「戒律好きの儀礼なし」でした。
が、そのかわり、組織の命令は一字一句厳密に守らなければならず、
それが絶対の戒律であり、通過儀礼のようなものでした。


貴ブログは、噛み砕かれた「精神世界」のようですね。
雲黒斎とか、『神との対話』(対象がWASPですか)。
水の味を変える話とか、ものすべてエネルギーの話とか、
とっつきやすい対話形式で「博学多識」が披露されていきます。
熊本弁の説明もなかなか面白いと思いました。

紅顔の美少年と厚顔の好々爺の語呂合わせは
わたしの波動と共振するところがあるようです^^)。
これからもよろしくお願いいたします。

2012/06/20(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私のアホを露呈してしまうコメントになってしまいますが、
十戒は、年の離れた姉につれていってもらった、初めての洋画でした。
海、割れるところはいまだにおぼえてますよ。
ちょっと、かなり懐かしくてコメントしてしまいました。

2012/06/21(木) |URL|abe [edit]

abeさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
どうぞ卑下なんかしないでくださいよー。
才能ある人が謙遜したら、うちら才能ない人間は、
どないしたらええの?と思うてしまいますねん。(#^.^#)

「初めての洋画」だったんですか。
よく覚えてますね。

わたしの多分 初めての洋画は『禁断の惑星』です。
それに出ていた「ロビー」という名のロボットが
懐かしくて、そのおもちゃを2年位前に買いました。

Wikipediaを見たら、1956年製作とのこと。
だったら『十戒』と同じ年です。面白いですね。
『禁断の惑星』は、もっと古い映画かと思ってました。

あれ、abeさんのほうがずうーっとお若いはずなのに、
どうしてでしょうか。変ですね。(@_@;)
わたし、もっと幼少の頃に見たんでしょうかね。

2012/06/21(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あれ?生まれる前の制作ですか。。。
じゃあ、リバイバルなのかな。まだちっさいころだったので。
禁断の惑星は知りませんでした。
姉には寅さんシリーズとか、よく連れていってもらったので。
父親に、初めて連れていってもらった映画は、田村正和の眠り狂四郎でした。まだ小さかったけど、衝撃的でした。うちの父、ばっかじゃないの、って、今思います。(^.^)

2012/06/21(木) |URL|abe [edit]

abeさんへ。(^^)

考えたら、映画は、大きい映画館で「封切り」を見る場合と、
小さな映画館で古ーいのを何年も遅れて見る場合がありましたね。

そういえば私、子供の頃は封切館で映画を見たことがほとんどなく、
大抵、家の近所の映画館で、2本立てを見てました。

やっぱりabeさんはお若い方だったので、とりあえずひと安心です。
お若くてお美しいのはいいことですねー。(手、もみもみ^^)。
それにしても『十戒』は相当古い映画なんだなあ、と述懐しました。

2012/06/22(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

初コメですぅ♪

わたくし、こう見えてもクリスチャンなの~
パパは天台宗のお坊さんなの~
どっちもどっちってカンジがする今日この頃よぉ

『十戒』はDVDが擦り切れるんぢゃないかと思うくらい観たわぁ

難しいお話は・・・わたくしニガテなのぉ
でも神様仏様は愛しているわぁ
どっちかにしろって言わないでねぇ
わたくしの中では、神も仏も一緒みたいなもんだから♪

2012/06/23(土) |URL|眠れぬ森のお姫さま [edit]

眠れぬ森のお姫さまへ。(^^)

初コメント、ありがとうございます。

「こう見えても」と言われても、そうは見えませんよー。
もっとも、「こう」の意味がよく分からないで、言ってますが^^)。

姫さまは、かなり感覚の鋭い方のようにお見受けしてますよ。
フルートもピアノもお上手そうですね。聴いたことはありませんが^^)。

宗教に縁が深い家族関係なんですね。
「どっちもどっち」なんて、いい感覚じゃないですか。

「神も仏も一緒みたい」って、わたしも大体そのようなものです。
とにかく、この物質世界とは別に、目に見えない世界もあって、
その世界は、人間より意識レベルが高いように感じる今日この頃です。

難しいコトはよく分かりませんので、その話はこのくらいで・・・。
ありがとうございますねー。^^)/

2012/06/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

衆議院解散

パーソさんが書かれているように やっぱり教育ですわ
教育が人を育て国を成長させますからね
国会議員の方の中で法案を作られる力量の議員が何人いるでしょうか?
今回の選挙で公約で教育を重点項目に掲げる方は一目おきたいですね
真紀子ちゃん 頑張って 筋通してねv-218

2012/11/17(土) |URL|milestone [edit]

milestoneさんへ。(^^)

今回の3つの派の政治方針を比べた一覧表を見たら、
増税・原発・TPPといった目先の政策上の違いがあるだけで「大同小異」。
根本を変える大きな政策方針を打ち出す発想はないのかと思いますが、
しかしながら、政治家というのは国民が選んだ代表者であるわけですから、
この政策も、いまの日本人の平均意識の表れなんでしょう。
であれば、確かに教育が一番大事なんでしょうね。基本ですから。

2012/11/17(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

『十戒』の映画 以前テレビでやってたのをみました。
海が割れるとこが印象的で 道ができたところを人々が渡っていく。。
そこだけしか覚えてませんが(^^;、
とても印象的でした^^
最後の審判 少し信じてたかも。。

でもいまは、
神様がそういうふうに命令する。。ということに不自然さを感じます。
狭量すぎますよね。
人間が想像した神の概念のような気もします。

神様の愛は人が想像できないくらい
もっと深く広く大きい気がするから。。

小さい微生物~無限の宇宙まで創造されて養って運行されて
全人類の過去現在未来すべてを把握できる存在が。。以下省略

私の頭ではこの辺が想像の限界です(^^ゞ

2014/08/10(日) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

「十戒」の映画は、紅海が二つに割れて、イスラエル人が干上がった紅海を渡って、
そのあと、追ってくるエジプト人が海の藻屑になってしまうシーンが見せ場でしたが、
これを現代に当てはめて考えると、独善的・排他的な恐ろしい話じゃないでしょうか。
聖書の神は、特定の人々だけに恩恵を与える(とされる)人格的存在なのですね。

精神世界では、神とは無条件の愛のエネルギーそのものであるという教えがあります。
地球は、上と下、明と暗、愛と憎しみ、成功と失敗・・・というように二元性の事象で成り立っているように見えるが、それは幻想にすぎない。人間は、神の(目に見える)分身として、その二元性の世界で自分のキャラ(個性)を楽しんでいるのだというわけです。

ともあれ人間はいま生きているこの瞬間を精一杯楽しめればいいのではないでしょうか。
kotorinさんは、自分の持てる才能を上手に活かしていて、だから「時間を上手に使うこと」なんて考え方は、とてもいいと思いますね。

2014/08/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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