「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「オウム」は問題だが、信者には哀れな一面もある。 

昨年暮れだったか、オウムサリン事件の平田容疑者が自首した
と思ったら、6月3日、菊池直子が出頭してきた。

写真を見ると、眼も眉も頬も感じが違っていて、まるで別人だ。
すれ違っても分からないだろう。
付き合っていた人が、分からなかったと言っている。
_ _ _

「オウムサリン事件」があったのは17年前の1995年
当時は職場が築地。駅の周辺には、大勢の警官、パトカー、白バイが集合し、
交通が完璧に遮断整理され、恐ろしく物々しい雰囲気だったのを覚えている。

亡くなった方々、病気になった方々、関係者の方々は、本当にお気の毒だ。
被害者の方々には慰めの言葉もない。
長野の河野義行さんが、サリンで意識不明に
なった奥さんを優しく看病する姿はいまも目に焼き付いている。

oumu_20120606165607.jpg

しかし、そのオウムの信者も、ある意味では、被害者ではないだろうか・・・。

以下は、某キリスト教団で長年熱心な信者だった私バーソの個人的感想である。
(注:わたしは大望生活はしていますが、逃亡生活はしておりません)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
聖書には、神から「殺せ」と命じられ、大勢の人間が
大勢の人々を殺しまくった記録が意外なほどたくさんある。


旧約聖書の記録をひとつ挙げる。
昔、イスラエルに、モーセの後継者になったヨシュアという指導者がいた。
彼は神から、カナン人を滅ぼし尽くせと命じられ、その命令を実行した。
※カナン=地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯。

「彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで
町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」ヨシュア記6:21


イスラエルは子供も赤子も皆殺しにした。凄惨の極致の修羅場である。
だがそれは神の命令でしたのだ。(申命記7:2,20:16,レビ記27:29)

最初に滅ぼした町がエリコ。
黒人霊歌「ジェリコの戦い」は、そのときの勝利を歌ったものだ。
☞ YouTube  Joshua Fit The Battle Of Jericho

battle-of-jericho_20120606184127.jpg

なぜそんな大虐殺が正当化されたのか?

キリスト教会では概ね次のような説明がされている。
「義にかなった目的を果たすために神が悪人を滅ぼすのは、神の原則だ。
カナン人の罪悪の種類は伝染性があり、民衆の間に広がり始めていた。
もしカナン人に憐れみをかけて、生かしておくなら、イスラエルは
霊的に堕落し、多くの人が不義によって神から罰を受けることになる」


ここで言わんとしていることは非常に恐ろしい。自分たちの霊性を守るためには
他人(異邦人・不信心な者)は抹殺してもいいと言っているのだ。

聖書中で、神が殺した人間は約200万人(実数=2,038,344人)。
ノアの大洪水時など不明分の推定を含めると約2,500万人になるそうだ。☞ 典拠

一方、悪魔サタンが殺したのは10人だけ(ヨブの息子と娘たち)。
それさえ、ヨブの信仰を試すために、神がサタンに許可を与えたせいだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というと、いや、信仰ゆえの殺人行為は旧約聖書だけの出来事であって、
新約聖書は愛と赦しの書だ、などとキリスト教は弁明する。


しかし過去のキリスト教同士の宗派争いや魔女裁判を思い出してほしい。
怖ろしい拷問道具による虐殺に、生きながらの火あぶりさえ行われたのだ。

Witch_20120606183926.jpg

さらに「ハルマゲドン」はどうか。神の最後の審判があると教会は言う。
だが、それは地球上の何十億もの人々の殺人を意味するのではないか。

パソコンの調子が悪いときは、普通どうするだろうか。
調子が悪いPCは、破壊し、破棄するのが当たり前だろうか。
いや、PCに詳しい人なら、パーツを交換し、リセットボタンを押し、
再起動をして、本来の調子を回復させようとするだろう。

では全能なる愛の神が人類を破滅させるなんてことがどうしてあり得るのか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Sergey Gladyshev

「信仰」とは、神だけは絶対と理屈や証拠抜きで確信を持つことである。

「信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である」
新約聖書 ヘブル11:1塚本訳 (後半の文意に注目)

つまり「信仰」に起因する行動は、信者にとっては確信的な「正義」なのだ。
ユダヤ教とキリスト教の殺戮の歴史は、オウムが足元に及ばないほど酷い。

「オウム」を肯定しようとか、信者を弁護しようとしているのではない。
神を信じる「信仰」は「信念」に基づいていて宗教的な「正義」であるゆえに、
「宗教」は本質的に恐ろしさを秘めている、ということを言いたいのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
compass mariners
オウムの熱心な信者たちは、
泊り込みの集中講義で、独自の教義を脳中のRAMに集中入力された。
ヘッドホンで、心のCPU(中央処理装置)を周波数的に狂わされた。
人間に元々備わっている「良心」という安全回路は強制削除された。
konpus.jpg
マインドコントロールされた信者は、「世間的な常識」から外れやすい。
彼らは、師・麻原から命じられるままに、良かれと思って行動したのだろう。
彼らは、真面目であったがゆえに、命を懸け、信念に従って行動したのだろう。

「信仰」というものをわたしは否定してないので、彼らを、あわれと思うのだ。
20120606162856e80_20120606195414.jpg
長く逃亡生活を続けていた間、彼らはいったい何を考えていたのだろうと思う。
20120606162856e80_20120606195648.jpg
いま菊池直子は、もう逃亡しなくていいのでホッとしている、とのことだ。
江川紹子さんは「生きていてよかった」と言っている。


(このブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました)
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いつも、人間の本質を抉るような深淵のお話し、
背筋を伸ばして読ませてもらってます。

宿題がたまるばかりで、だんだん不登校になりそうです(笑。
あ、先週の宿題、勘弁してもらっていいですか(一一’モミモミ)
駄目???
なら、答えになってませんが・・・
http://nantei1943.blog129.fc2.com/blog-entry-116.html
でいかがでせうか(^_^;)

いつも、ずしりとくる世界。
ついてゆけるかどうか・・・(;一_一)

2012/06/06(水) |URL|NANTEI [edit]

恐らくどんな宗教でも

平等と博愛を謳っているのでしょうけれど、あくまでも!此の「平等と博愛」は、各々の宗教における信者に対するモノと言ふ前提条件付きであって、他の宗派や他宗教、無神論者に対するモノでは無い。

其々の宗教における神様仏様の器量は、広いように見えて、案外狭いのかも知れませんね。

2012/06/06(水) |URL|やしま [edit]

こんばんは。

加害者であると同時に、被害者である…。
そういうことって、本当に多いと思います。
ほかの事件等でもそう感じることがよくあります。

もちろん「人間界の掟」として犯した罪の償いはせねばならないと思いますが…気が付けば罪に手を染めていた、そういう心の闇はどうして作られたのか、生まれたばかりの頃にはきっとあどけない微笑みを浮かべていたのだろうに…と、様々な事件を聞くたびに、被害者への哀悼と共に加害者の心の闇の理由に思いを馳せてしまいます。

神さまがいるのなら、人がどうにもしてあげられないような悪人や罪人の心を救い出して欲しいと、いつも思います。
好きで悪人になった人など、いないと思うので。。。

特定の宗教の神は、いつも条件付き(その宗教に入った人のみ救う)なので、どんなにありがたいお話を聞いても心が動きません。
そういう条件など一切ない神さまじゃないと神さまだと言えない、なんて思っております。。。

2012/06/06(水) |URL|りんご [edit]

NANTEIさんさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
「ボッシュとブリューゲル。」拝見しました。
絵画の洞察・薀蓄も、さすがです。恐れ入りました。

ブリューゲルはボッシュの模写から、農民画家という画業を確立する。
ピカソも模写から青の時代を経て、具象とは違うキュビズムを確立する。
芸術家は学びと変転を経験し、自分を表現する術を掴んでいくのでしょうか。

わたし、才能などおよそ縁がないせいで、すぐ影響を受けます。
このところ、文体が変わりました。文字列もセンター合わせになりました。
しかしながら内容は・・・ええとお、むずかしいです。
これは遺憾なことです。が、如何とも し難いことです。イカンです。
どーもすみません。(^^;)

2012/06/07(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

やしまさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
ひろく平等と博愛を謳いながら、自分たち以外には狭小である。
宗教の普遍的な問題点を指摘してくださいました。
全くその通りではないかと思います。

恐らく、それは自分の宗教(信念)に自信があるせいではないでしょうか。
自分に自信があると、排他的になり、独善的になりがちです。

わたしの以前いた教団が全くそうでした。
他宗教を「大いなるバビロン」と呼び、神から滅ぼされると言います。
世間の人々を「世の人」と呼び、劣る人間であるかのように言います。
カトリック教会を攻撃し、彼らのヒエラルキーはおかしいと言うのですが、
自分たちには、より明確な階級制度が厳として存在しています。

問題は、中にいる信者は、そんなことは気にしてないということです。
これは怖いことだなあ、と思っています。

2012/06/07(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

りんごさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
「心の闇」とか「心の中の善の部分」とか、「こころ」のことを
いつもよく考えているようですね。

「特定の宗教の神はいつも条件付き」というのは、分かるような気がします。
というのは、救いは無条件で、どんな宗教でも救われる、のであるなら、
その宗教の存在理由がなくなります。僧職者不要になります。
どんな組織でも、組織の最大目標は、組織の存続ということなんですね。

そのような宗教が教える「神」は、自分たちに都合のいいように
かなり捻じ曲げられているはずだと考えられます。
「神」を「宗教」を通して知るというのは、問題があるかもしれませんね。

リンゴさんのブログ。素晴らしいですね。文章もうまいなあと思いました。
幾つか読ませていただきましたが、5月はすごい量ですね。
近いうちに全部読んでから、そちらのほうにコメントさせてもらいますね。

2012/06/07(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2012/06/07(木) || [edit]

こんばんは。

今回の「オウム・・・」の記事についての感想をまだ書いてなかったですね。
オウムであれXX教であれ、○○学会であれ、根は同じだと思います。問題は理屈以外のものに縋りたいという人が絶えないからでしょう。オウムの幹部の多くが高度の教育を受け、常人よりも理に優れている筈だったその不可解さ。それは1と0から成り立っているというコンピュータ理論と、下手するとその新しいDNAのようなコンピュータに、支配されてゆくのではないかという懼れを持った、特殊な人々だったのかもしれません。
文明が画期的な進歩を果たそうとしたとき、得てして激しい懐古の動き
があったと思いませんか?しかもそんな時に決まって大本教あるいは、天理教の教祖といった霊力を備えた(という幻影)存在が現れるのです。
これは未来永劫、変わることはないでしょう。
何故なら人類の歴史100万年、道具は進歩したけれど心は決して進化してないのですから・・・。
というところで、おあとがよろしいようで^^。

2012/06/07(木) |URL|NANTEI [edit]

NANTEIさんさんへ。(^^)

洞察あるコメント、ありがとうございます。

「文明が画期的な進歩を果たそうとしたとき、決まって、
霊力を備えた(という幻影)存在が現れる」とは、
本当にそうですね。面白いことだと思います。

聖書の宗教も、神の民(旧約時代のイスラエルや、新約時代の
クリスチャンのことですが)に何か変動や困難が生じようとしたとき、
決まって、奇跡を行い、神のお告げを語る預言者が現れました。
エホバの奇跡は、いつの時代も常時あったわけではないのです。

「神道」は、明確な経典も教義もなく、森羅万象を神々と信じ、
建物の新築時などに、ただお祓いをするだけの宗教だ、
と以前は思っていましたが、不思議な霊力を発揮できるという点で、
仏教以上にかなり力がある宗教のように思っています。

昨年は東北に地殻の大変動もありました。世界の気候も不順です。
昭和、そして平成の今は、時代の大きな激動期なんでしょうか。

高校生のとき、谷口雅春創設の神道を少しかじりました。
人間は神の子であるから病気などはないと思えばなくなる、
との文章を見て、これはちょっと自分には合わないなと思い、
それ以上は進みませんでしたが、人間の生と死については、
小学生の頃から、ずーっと一番の関心事でした。

われわれは、どこから来たのか? 
われわれは、何者か?
われわれは、どこへ行くのか?

ゴーギャンが描いたその大きな横長の絵。
何年か前、美術展で見ました。
ちょっと感動的でした。さすがに迫力がありました。

2012/06/07(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

栄の町を歩いていた時、
オウム真理教に誘われたことが、あります。
3人の信者に、囲まれて怖かった思いがあります。
信者たちは、本当に心の底から麻原氏を、
信じているのがわかりました。

何故、そんなに妄信的なのだろう?
私の病院にも
自分を見失い、自分を導いて下さいと、
医師のところに来る方々がいます。

その人達は、自分がどうしていいか
わからないのだと思います。

(先生、私こんなにつらくて・・・
 どうしたら良いの?)
(今度は、何時来ればいいの?)
(良くなっても薬は飲んだほうがいいの?)
(日曜日は病院休みだから、悪くなった時は
 どうするの?)
(今度は、何時来たらいいの?)
(どうしよう)
(どうしよう?)


・・・自分では、決められないのです。

そして、 先生にどうしたら良いかを
聞きたいのです。

(先生が、決めて下さい)
(先生が言ったことなら、なんでもします。)

人に依存する所が大きいのです。

特に、困った症状を抱えている場合
治療する側の先生に、頼りきり、
妄信的にまるで、支配して、命令して、
欲しいと、願っているかのようです。
毎日毎日通って見えます。

私の病院だけでも、3~4人はこんな方々が
みえるのですが、

私には、理解の範囲を超え、
大型連休にもなると
先生の不在を・・  (旅行にでも行こうものなら
心配のあまり、調子が悪くなるんです。)
嘆き悲しみ、紹介状まで用心のために書いておくことに・・・

今回バーソさんのコンテンツをよんでいて、
ふと、
宗教と、迷える患者さん達が
重なって見えてしまいました。

熱心な信者さん達は、
ヘッドフォンで、良心を削除され
不安のなかで、
頼れる人を見つけてしまったような(それが麻原氏だったのか?)
そんな気がしてしまいます。

(元々、最初から人を疑って掛かる人なんて
いませんものね!♡)

PS
菊池さんの変わり様にビックリ!
同業者だったことにビックリ!

バーソさんのコンテンツに
ゆりママは、こんなにもコメントを毎回
書いてしまうのにもビックリ!
すみません。私のコメントをさくじょしてくださいねm(_ _)m

2012/06/07(木) |URL|ゆりママ [edit]

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2012/06/07(木) || [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。

たしかに「妄信」も「盲信」も怖いですね。
オウムの場合は、それが「猪突盲進」になってしまったんでしょうか。

病気も、症状がよくなるかどうかの問題ももちろんありますが、
よくならなかったらどうしょうと考えて不安が大きくなりがちなので、
その不安を取り除く精神のケアが重要だということでしょうか。

確かに宗教に来る人にも似たところがあります。
自分の考えや判断に完璧に自信がある人はそんなに多くはいません。

誰でも自分の人生をうまくやっていきたいと思うので、
そういう人が、「自分を見失い、自分を導いて下さい」と
宗教や先生や占い師のところに来るのかもしれません。

おっしゃる通り、「人に依存するところが大きい」のでしょう。
ゆりママさんの人を見る洞察力の通りだと思います。

ゆりさんのコメントは毎回楽しみにしています。
長い文章もとてもうれしく、ありがたく思っています。
今回も、このままひとつのブログになりそうな内容です。
毎回、気合を入れて読んでいただき、感謝しています。
いつもすみません。ありがとうございます。

2012/06/08(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2012/06/08(金) || [edit]

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2012/06/14(木) || [edit]

少し間があいてしまいましたが、
この日この写真のこの場所に私はいました。
ただし事故の約一時間後です。

当時の私が仕事をしていたオフィスは、
築地本願寺の裏手の一画にありました。
ですから出勤は日比谷線を利用して築地駅で降りていたわけです。

ただし私は束縛された社員ではなく、
好きな時間に行って要望された仕事を遂行する、
という契約を交わしていたものですから、
出勤時間は自由だったのです。

この日はたまたま銀座で打ち合わせが入っていた都合上、
私は家からJRに乗ってそのまま有楽町駅に出たのです。

打ち合わせを終えて晴海通りをオフィスに向かって歩いてくると、
丁度築地交差点あたりがただならぬ気配。

本願寺方向を見ると、
そこはこの写真のような修羅場になっていました。

銀座での打ち合わせがなかったら、
日比谷線の同じ車列に乗っていたかもしれません。

でも、だからといって運の不思議を語るつもりはありません。
確率論の研究家によると、確率は結局均されるということですから、
正も負もなんびとにも等しくやってくる筈。

しかし・・・やはり腑に落ちないことが多いですね。




2012/06/15(金) |URL|NANTEI [edit]

NANTEIさんへ。(^^)

再びのコメント、うれしいです。ありがとうございます。

ついに最後の人物が逮捕されました。
自分のしたことは自分で責任を取るのが
当たり前ですから、必然の結果が表れたように思います。

事故の約1時間後に現場におられたとのこと。
わたしはビルの階上から直後の現場を見ました。

人生では、いろんな電車が走っているように見えます。
「確率」という名の電車。
「運命」という名の電車。
「選択」という名の電車。

乗る電車の違いで、レールが違い、終着駅が違ってきます。
しかし人生は、終点までの移り変わりを楽しむ
山あり谷あり晴れあり嵐ありのゲームのような気がします。

楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
苦もまた楽しからずや。
と思えるなら、どんな人生も面白くなるような気がします。

わたしは近頃、「苦」にするか「楽」にするかは、
自分の「意識」が大きく関係すると思うようになりました。

NANTEIさんとは、
どうも同じ業界だったような気がするのですが。

2012/06/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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