「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 人生は「自己探求ゲーム」。スリルあり、喜びあり、ロマンあり。 

「人生はゲームのようである」というのは、
精神世界では珍しい考えではありません。
わたしも以前、書いたことがあります。

この考えがコンピュータゲームの仕組みに例えられて、
非常にうまく説明されているブログがあります。
ご了承を得たので、紹介させていただきます。

(わたしバーソの責で若干短めに編集。写真も添加しました)


aa.jpg
Art Print by Jurek Nems

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『もっとあの世に聞いた、この世の仕組み』
(雲 黒斎さん)の「ゲーム開発秘話」より

SELF QUEST

ゲームの名は『セルフ・クエスト(自己探求)』です。

このゲームを開発したのは、あるクリエイターですが、「the」の付く「Creator」です。
すなわち、造物主、神です。

しかし、この「神」は、一般的に信じられている宗教的な神様のことではありません。

この「神」は、唯一の実在である「意識」であり、
これ以外の存在はすべて実在しない架空のものです。

わたしたちが日常的に目にしているアレコレは、疑いようのないほどリアルに感じられますが、
じつはそのすべてがゲームの世界の中にあるものです。

本当は、このゲームを開発したクリエイターしか、実在しないんです。

このゲームは、誰かが 別な誰かに提供するために創ったものではありません。
なぜなら、このゲームの開発者である神自身(意識)以外に、何も実在しないのですから。

だから、このゲームを開発したあと、それをプレイできるのは「神」だけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そもそも「ゲーム」とはどういうものでしょうか?
=障害や制限の中でストレスを味わいながら、最終ゴール(ストレスを乗り越えて
 得られる達成感や開放感)を楽しむ娯楽活動です。

そのゲームを楽しむうえで必要不可欠となるものは何でしょうか?
=ルール(思い通りにならない不自由性)です。先が読めない展開です。

もしゲームに、障害やストレスやルールがなかったら・・・
=いざゲームをスタートして冒険を始めたものの、スライム(弱いモンスター)すら
一匹も出てこない。なんのイベントも発生しない。プレイする前から、
すべての問題・障害が解決し、先の展開はすべてわかっている。
最初のスタートから、一気にエンディングへ・・・。

そんなゲームだったら、全然面白くないでしょう。誰も買いません。


20120516154759ead.jpg
Andrew Prokos

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

だとしたら、この時点でちょっと困ったことが起きてしまいます。
上記の2つの条件が、神には「あり得ない」からです。

・無限の創造性がある神に、障害があるはずがありません。ストレスがあるはずがありません。
思い通りにならないことなんて何一つないし、先が読めないなんてことがあるはずがありません。

・まして神は、「創造主」であり、「ゲームの開発者」です。
開発者自身がゲームをプレイするのですから、完全なネタバレ状態です。
そのままではちっとも楽しくありません。
_ _ _

そこで開発者は、このゲームの中に とんでもないプログラムを埋め込むことにしました。
記憶喪失プログラム」です!


つまり自分がゲームの開発者&プレイヤーであることを忘れるプログラムを創り出したのです。
しかもその忘却プロセスをも、ゲームの一環として成立させてしまったのです。

★そういうわけで、「自己探求(セルフ・クエスト)』とは、
 1) 自己が何者であるかを徹底的に隠蔽し(=自らに巧妙な罠を仕掛け)、
 2) 隠し終えたところで、再度探り当てる(=自分が仕掛けた罠を解いてゆく)
   という2つのプロセスを楽しむ人生ゲームです。

USA-Map-II_20120519171306.jpg

ここまでお話すれば、もうおわかりですね。
つまり、ゲームの世界とはこの現象界のことで、ストレスや苦しみのど真ん中に
立たされている「キャラクター」とは、じつは「あなた/わたし」のことです。

そして、その「あなた/わたし」の正体は、何を隠そう、このゲームの開発者であり
プレイヤーでもある「神」そのものなんです。

_ _ _

この状況はキャラクター(あなた/わたし)にしてみれば、たまったもんじゃありません。
いま自分が苦しいのは、ご先祖様やサタン、悪霊、動物霊、事故、病気、災害のせいかと思い、
「なぜ神様は世界から苦しみを消し去ってくれないのか」と思ってしまいます。

しかし、プレイヤーと開発者にしてみれば、「お前はゲームの世界に存在するアバター
(実在しない者)なんだから、何があっても大丈夫なんだよ」といった具合です。

Miami-Sunset-with-Cool-Clouds.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「あなた/わたし」が人生ゲームに影響を与えることはできるでしょうか?
ゲームの中のキャラクターにはできません。
できるのは、ゲームよりも上の次元。プレイヤー、もしくはクリエイターです。

世界(自分)の「認識レベル」がプレイヤーの次元に移ればどうなるでしょうか?
・「今の状況」や「その世界でどのように動くことが適切か」などが明確になります。
・ストレスを「イベント」として、苦しみを「モンスター」としてとらえられます。
・そのことを通じて「よりゲーム(人生)を楽しむ」という余裕も生まれます。

さらに上位のクリエイターの次元である「唯一の意識」に移ればどうでしょうか?
・ゲーム世界の「書き換え」さえ可能になります。ゲーム世界(現象界)を形作るプログラム
(カルマ)自体を変えてしまえる力があるからです。

そうすると、苦しみやストレスから解放されるには「悟るしかない」となります。
つまり、意識をキャラクターの次元から、プレイヤーやクリエイターの
次元にシフト(アセンション)するしかない、となるわけです。

San-Francisco-Golden-Gate-Bridge-and-Moon.jpg

苦しみから解放されるには「悟るしかない」とはいうものの、
それは強制でも、脅迫でもありません。

自分の意識がどこの次元にフォーカスされていようが、
結局、実在するのは「神」だけなのですから。

「その事実に気づ いても気づ いなくても、すでに人間は今の時点で、
この世界(ゲーム)のキャラクターではなく、創造者なんだ!」ということです。


だから、「神」に近づく努力も、神を求めることも、ひざまずくのも、
あがめ奉るのも、感謝を捧げることも、じつは全部ナンセンスです。
なぜなら、それをしているのが「神自身」なんですから。
_ _ _

「悟ったって、悟らなくたって、どっちでもいいじゃない」と言う人もいるでしょうが、
キャラクターの次元で苦しむのはもういやでしょう。

どっちでもいいのなら、わざわざ苦しむほうを選ばなくてもいいじゃないのでしょうか。

(雲 黒斎さんのブログ引用終わり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


以上、個人的には腑に落ちる話ですが、いろんな感想が思い浮かぶでしょう。

a.完全無欠な神がゲームをする必要があるのか。何か不足があるのではないか。
b.人生は、愛の意識が、愛の薄い舞台を創り、内なる愛に目覚めていくゲームか。
c.この世の暗い出来事を見ると、悪魔(対立神)が存在するとしか思えない。
d.いつか予定の時に行動を義なる人々を救うのが愛と正義の神じゃないのか。
e.全滅してもリセットしてやり直せるゲーム(輪廻)は、飽きないのか。

精神世界の「考え」というのは証明しがたいものです。宗教の「信仰」にも似ています。
ある考えが納得できようと、あるいは同意できまいと、
多分それはそれでいいのだろう、とわたしは思っています。
なぜなら結局、人生の道は、自分で選択・設定し、自分で歩んでいくものだからです。
この世界は、自分が信じたものを見る世界だと思うからです。



(このブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました)
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私だけは、記憶喪失プログラムいらなかったな~。
神気分でいたかった。

2012/05/19(土) |URL|abe [edit]

こんばんは。
おひさしぶりです。

人生ゲーム(っていうと、別のゲームになっちゃいますね(^^ゞ)のプレイヤーもキャラクターもクリエイターもみんな同一人物、ということでいいでしょうか。

人(に限らず全てのもの)はみんな唯一の存在で
人の数だけ、神がいる
なんてことを、つらつら考えていたところでした。

2012/05/20(日) |URL|りんご [edit]

abeさんへ。(^^)

コメント、ありがとうございます。
「神気分でいる」というのは、今現在でもできますね。

自分の未来は自分が創っていますし、そうできるはずです。

自分は宇宙の中心にいるのだ、と思って、
自分の幸福のために生きよう、と決めるのはどうでしょうか。
自分が幸福になれば、まわりの人も幸福にしてあげたいという
気持ちになり、実際そうなっていくと思います。

今のこの瞬間をピックアップすると、別に不幸じゃないですよね。
誰もが幸せになれます。そうなれる権利を持っています。
幸せになろう、幸せでいよう、と思ってみることです。
それがいちばんいい生き方だと思いませんか。(^^)v

2012/05/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

りんごさんへ。(^^)

おひさしぶりです。コメント、うれしいですね。
りんごさんは、よくものごとをつらつら考えていますね。(^^)v

「プレイヤーもキャラクターもクリエイターもみんな同一人物」。
人生は神(唯一の意識)のゲームのようだという考え方は、
宇宙の仕組みを合理的に説明している、と考える人は少なくありません。

人生や宇宙の解釈については、古来、いろんな考え方があります。
・愛や正義や怒りなどの心を持つ人格神が世界を支配している。
・人格のない自然法則のようなものが支配している。
・すべては偶然が支配している。

宇宙観や人生観というものは人によって様々ですが、
その人の考えるイメージがその人の世界を創っているように感じます。

世界は神によって支配されている、という考えにはメリットがあります。
なぜなら、その人の世界は神によって支配されるだろうからです。
神により、その人にとって最善の導きがあるだろうからです。
パスカルも言っていたと思いますが、有神論者のほうが得みたいですね。

世界を見回すと、いろんな問題が数多くあります。
でも長い目で大局的に見れば、世界はだんだん良い方向に向かっている
ように思います(東西ドイツの分離がなくなった頃から、アメリカに
黒人大統領が生まれたり、最近は核問題が真剣に考えられたり・・・)。

わたしは物事を楽観的に考えるようにしています。
そうすれば楽観的な世の中になるだろうと思うからです。
そうならないとしても、そう思っているほうが楽しいからです。

2012/05/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは、バーンさん。

人生を楽しくするのも、辛くするのも
自分自身が作ったゲームの方向性によるという
考え方でよいのでしょうか?

今から、最高のクリエイターになれる様に
努力をしようと、決心を、いたしました!
ただ、ヘタレなプレイヤーです故、
バーンさんの記事を見ながら
頑張りたいと思います。

いつも、ありがとうございます。

2012/05/20(日) |URL|りもママ。 [edit]

りもママさんへ。(^^)

まじめな、いいコメントをありがとうございます。

わたしは、自分の人生を振り返ってみると、
自分が意識した(あるいは潜在的に意識した)方向に
人生の道が開けていったように思います。

辛かったこともありますが、それも自分で志向したのでしょう。
今の時点で思うと、それも良いことだったな、と思います。
人生はゲームであり、レッスンでもあるからです。
すべては「結果オーライ」のように思えます。

人生は明るい意識で生きたほうがいいですね。
そのほうが今この瞬間が愉しいですものね。

りもママさんは、明るい志向の方のように見えます。
クリエイターとして素晴らしい才能を持っています。
アクセのHPでも、その他のことでも、
これからもっともっといい人生が開けていくと思いますよ。
ブログを拝見してると、そう感じます。

2012/05/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

今回は、全く知らない
ゲームの世界のお話で、
とっても難しかったです。
(私ゲームを、知らなすぎるのです。)
ゲームほとんどしたことがありません。

でも、ゲームって、壮大なテーマがあって、
作られているんですね。
ゲームを作った人が、創造主!
神様には、誰でもなれるかも?

すいません、今回私は
ゲームという不得意分野のためか、
(ゲームに苦手意識があるんのです。)
コメントがおかしいかもしれません。

すいません。

2012/05/20(日) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

苦手な分野でも愛のコメント。感謝申し上げます。

何を隠そう。わたしもゲームはほとんどしたことが
ありません。思い出すのは双六ぐらいです。

Wikipediaによると「ゲームとは、遊びや遊戯と訳され、
勝敗を決めるためのルールや環境または他人との相互作用を
元にした、普通、楽しみのために行なわれる活動」です。


歴史の最初、「唯一の意識」だけが宇宙に存在していました。
ところが、自分独りだけでは、何にも変化がなく、
何の感情も湧かないので、自分の分身を創って、いろいろゲームを
してみたら面白いだろう、と考えたわけですが、
その際ゲームを面白くするために、山あり、谷あり、川ありの
世界を創ったのではないか、という考えです。

その「神」の分身が、人間であり、自分であり、他人であり、
世界であり、世界のいろいろなモノである、というわけです。


「原因と結果の法則」では、モノ(結果)には必ず原因があります。
その原因を神と一般に呼んでいて、それは合理的な思考です。

でも、
神が世界を創ったという考えには、大きな《疑問》が生じます。
創造者である「神」がいるのなら、なぜ人生には問題があるのか、
世界の問題を神はなぜ解決しないのか、と疑問に思うわけです。

A.宗教は、問題の根源は悪魔だ、それを救うのは誰々だなどと
言いますが、その考えでは悪いのは人間(自分たち)ではないので、
世の問題を自分たちで解決していこうという動機付けが弱くなります。

B.あるいは、神などはいない、すべて人間で解決していくべきで、
人間は「適者生存」の動物的本能で生きるのが正しいという
考えもありますが、この考えでは弱い人たちが不利益をこうむります。

C.人生は神(=神の分身=人間)のゲームだという考えは、
つまりは問題の原因は、自分たち人間の考え方であるので、
まず自分の意識を変え、そのようにして自分と世の中を変えていこう、
ということですので、問題が解決しやすくなる利点があると思います。

どの考えを受け入れて自分の人生を歩んでいくか。
それで人生と世界はずいぶん違ってくるように思うのですが。

2012/05/21(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ええと・・・

二日かけてなんとか読みました(^_^;)。
どえりゃあ、難しい!!

で、ぜんぜんちがうかもしれないですけどっ・・・
昔、立川談志が、この世は「つもり」で出来ている、
と言ってたことを思いだしました。

食べたつもり、飲んだつもり、見たつもり聞いたつもり・・・
で、けっきょく人間生きたつもり、とどのつまりが死んだつもり、
てえんだがね、そう思や楽なもんだ!

やっぱ違うようですな(;一_一)’

2012/05/21(月) |URL|NANTEI [edit]

NANTEIさんへ。(^^)

えーっ? ふつかも掛けていただいたんですか。
なんと有り難いことでしょうか。
光栄です。深く深く感謝申し上げます。

さすがNANTEIさん。ご指摘の通り、ぴったりの要約です。

「とどのつまりは、生きたつもり、死んだつもり」。
「そう思や楽なもんだ! 」てなもんです。全くその通りです。

そう思えるよう小生、ひごろ汗だくだくで頑張っております。
いえ、ほんとのところは、でくでくで生きております。

今回のブログ。元は「雲黒斎」という方が書いたものですが、
談志の戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士」だそうで、
なんとも面白い巡り合わせ(シンクロニシティ)だと思いました。

それにしてもNANTEIさんの文章はすこぶる知的で面白いですねー。
「ああ、極め付けのコメントを聞いた・・・つもり」。\(^O^)/

2012/05/21(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私の娘!
私とは、違いゲームが大好きです。
どっかの仮想の世界で、
どっかの知らないお人と
グループで、狩りに行って
宝物をゲットしたり、
怪物を退治したり、
死ぬこともあります。
女の子なのに戦闘的な子に
なってしまうのでは?と、心配したり
何処の誰かも知らない人と関わるなんてと
心配、心配、心配・・・

でも、どうやら彼女は
心底ゲームを自分のものに
して、自分で管理しているようです。

ゲームをしながら、ちょこっとの時間で
素早く会話して
助け合い、気に入らない人とは、
いくつものお別れをして、
新たに気の合うゲーマーと、
グループを作り
日々戦いの毎日を繰り返しています。

私からしたら全然理解できませんが
毎日のように
ゲーマーの人の事を私に語ります。
〇〇さんは、20歳のくせに
子供っぽくて、
戦いでも卑怯な手を使うから
嫌だ!とか、
〇〇さんは、
手伝ってくれるし、(化け物退治のことらしい)
宝物を分けてくれた!
そんな会話をします。

私や、バーソさんの
会話のような感じなのでしょうね。

誰かが作ったゲームを、
娘は、最高に楽しそうに
モノにしています。

バーソさんの(C)の事は、
娘の事と同じ事なんですね♡

2012/05/21(月) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママさんへ。(^^)

あ、ありがとうございます。
いやー、うれしいですね。再びのコメント。
時間掛けて、たくさんの文字で説明してくださって。

確かに人生は「心配、心配」問題いっぱいですが、

「心底ゲームを自分のものに
して、自分で管理している」
なら、不必要に心配する必要がなくなります。

世界がゲームだと思うと、
「誰かが作ったゲームを、
最高に楽しそうに
モノにして」
生きることができますね。

じつは「誰か」とは=「神」=「自分」なのですが。
どんな人生でも仮想だと思って楽しめればいいですね。
娘さんは楽しく毎日を過ごしていますね。いいですねー。

2012/05/22(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人生ゲームを楽しいと思ったことがないです。でも小さい頃から勉強をしなくちゃならないこととして教えられたように、人生をしなくちゃならないこととして捉えています。

たまたま僕は勉強しなくていいやって思いませんでした。でも人生しなくていいやって思ったらじさつします。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

>人生ゲームを楽しいと思ったことがないです。
何か食べておいしいと思ったことがないですか。何かを見て面白いとか感動したことがないですか。好きな人と会う時間が楽しいと思ったことがないですか。秋の空の雲や紅葉を見て気分がよくなることはないですか。それらは《楽しい》ことです。

この人生は先が読めず、いろいろ変化がいっぱいあります。それはいわばゲームのようなものだと考えると、じつに貴重で、面白いのではないですか。
ですが、あなたがそう思わなくても、私は全然かまいません。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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