「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 人間は「いのち」を意識的に生きれば幸福である。 

すべてのモノには「命」と「意識」があるはずだ
ということを、前回・前々回 考えました。

「命」と「意識」があるということは、命を意識的に生かすことができる、
ということです。

今回は、どう意識的に生きたら幸福かについての、私的な人生観です。
立派な正当論ではありませぬゆえ、少々ご注意と、多少ご期待を・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. 忙しくしているのがいいのか、のんびりしているがいいのか。

daniel pollera
daniel pollera
☆こんな話があります。
ニューヨークの大都会で成功した裕福な実業家が、優雅なバカンスを満喫するために、
南の島にやってきました。
と、そこの砂浜で、現地の青年が何もせず、ボヤーっとしているのを見つけた金持ちは、
「キミはそこでいったい何をしとるのかね」と訊ねました。

「あなたは何をされているんですか」と青年は問い返しました。

「わたしはな、毎日一生懸命 働いてね、仕事で成功したんだよ。だから、そのおかげで、
こうして休みが取れて、のんびりしとるんだよ」

すると青年はこう答えました。
「ああ、のんびりですか。それなら、いつも わたしがしていることですね」

_ _ _

両者の人生観は、いかがなものでしょうか。Q&Aで考えます。

Q:実業家は仕事に追われ、休暇でしか幸福感を味わえないので哀れでは?
A:実業家は、ふだん忙しく仕事をして、日々充実感を味わっていました。
そしてバカンス中も満足感を味わっていました。彼は、自分の命を意識的に満喫していたのです。

Q:青年は、毎日遊んでいで、何も意味あるものを生み出していないのでは?
A:青年は、日々のんびりしていることが好きでした。自分のゆとりある生活パターンに
満足感を感じていました。彼は、自分の命を(無意識だとしても)十分満喫していたのです。

☆両者とも日々「いのち」を楽しみ、幸福感を感じ、満足しています。
幸福とは、本人が自分の現状を楽しいと感じていればいいのではないですか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2. 競争に、勝つほうがいいのか、負けたらダメなのか。

明るい人々
マスコミの報道で、「勝ち組」「負け組」という言葉を時々目にします。
いま人気の48人の若い歌手たちも、ファンの総選挙によって、仲間うちで勝ち負けの
区分がつけられたりしています。

この人生観は、いかがなものでしょうか。これも Q&Aで考えます。

Q:この世は競争社会なのだから、勝ったほうがいいのでは?
A:世は競争社会だと思い込んでる人は、勝ったほうが幸福でしょう。勝利感や優越感・
高揚感が味わえ、優雅なセレブ的生活が楽しめます。これは満足できる生き方です。

Q:競争社会でも、自分の好きなことをして人生を過ごしたほうがいいのでは?
A:自分が好きでもない土俵に立って、無理して必死にまわりの人間と戦う義務など
ないでしょう。何でも自分の好きなことを自由にして、楽しく日々を過ごせるなら幸福です。

「走る」ことには選択肢がいろいろありますね。
ある人はマラソン競争で1位になるのが歓喜でしょうし、ある人はゴールまで
完走できたら満足でしょうし、ある人は100m、200mの短距離を速く走るほうが快感でしょうし、
ある人は近所の公園で気軽にジョギングをするのが快適でしょうし、
ある人はそれらを本やテレビで見て疑似体験するのが愉快でしょう。

☆「走り方いろいろ」なら「人生の歩み方もいろいろ」でいいのじゃないですか。
自分の「幸福」の定義を占い師や宗教家に決めてもらうのもどうかと思いますが、
社会の常識的なマニュアルや識者のハウツーなどに従おうとするのも同じことではないですか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3. 何かを活発にするのがいいのか、何もしなくてもいいのか。

cowboy little vjpg
Q:人間は何か有意義なことをすべきで、そのほうが人生が楽しいのでは?
A:自分のハートが情熱を燃やせることは、すべて自分にとって有意義なことでしょう。
愛ある親は、愛する子のハートが熱いことを望むはずです。「根源の神」も同じでしょう。
であれば、人間は、
食う・飲む・遊ぶの娯楽を一切あきらめ、清く正しく貧しく生きないでもいい。
ひとの益を第一にするために悲壮な顔で自己犠牲の生き方をしないでもいい。
他人に迷惑を掛けない限り、自分個人の喜びを思う存分追い求めたらいい。
そうすれば、自分も喜べ、まわりも笑いが生まれ、世界が癒されませんか。

聖書の神は「幸福な神」とされています。その人生観はこうです(※テモテ第一1:11)。
「わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、
楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない」
 伝道の書3:12 (口語訳) 

Q:なにも意義あるものを生み出してない人生は失敗なのでは?
(例:特に趣味がないとか、家に閉じこもってるとか、何もしたくないとか)
A:そうしていたければ、全然かまわないし、別に悪いことではないでしょう。
ただじっとしているのに飽きたら、そのときは動けばいいだけのことです。

「悪い」というのは、自分はダメだと思ったり、引け目や罪悪感・敗北感を感じることです。
自分を失意させ、気持ちを沈ませる感情を温め続けることに何の得があるでしょうか。

聖書にはこう書かれています。イエスの言葉です。マタイ6:28,29(塚本訳)
「野の花の育つのを、よく見てごらん。苦労をせず、紡ぐこともしない。
栄華を極めたソロモン王でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった」 


vintage illustration lily
デンマークの哲学者キルケゴールの注解はこうです。
野の花は神により見事に養われている。だから、人は、野の花と同じように、
神に養われている人間の素晴らしさを自覚して、人間であることに満足していなさい。
人間が満足を見出していないのは、互いと比較して自分の不幸を思い煩っているからだ。


「野の花」はすべて神から養われ、祝福されています。「野の花」は人間に見られることを
期待して咲いているわけではありません。ただ野に在るだけで存在価値があるのです。

人間は「野の花」以上の存在です。地味であっても、ひとから注目されなくても、
人間は生きてるだけで価値があるのです。
 SMAPの35枚目のシングル『世界に一つだけの花』は、こう主張しています。
    「小さい花や大きな花
    一つとして同じものはないから
    No.1 にならなくてもいい
    もともと特別な Only one
♪」 

作者の槇原敬之は、こう述べています。
「この曲を書けたこと自体、自分の才能だとは思っていない。
神様のプレゼント(神託)だ。そうでなければこんな曲は書けない」

_ _ _

根源の「神」は愚かではありません。
価値のないものが、この宇宙に存在するはずはないのです。
人は、生きて、呼吸しているだけで、価値があり、愛されるべき存在なんですね。

Playing-With-Puddles_20120314142758.jpgDorothy Tennant
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なんか、元気がでました。
やりたいことをやっていけば、おのずと道は開ける。

でもこれ、恋人同士とか夫婦間の、浮気とかも
ゆるされてしまうのかしらら。。(^ω^)

2012/03/20(火) |URL|abe [edit]

abeさんへ。

コメント、ありがとうございます。

≫ゆるされてしまうのかしらら。。>
 ↑
語尾が「らら」となってるのが興味深いですね。(^^)

人間関係で何かを決定すべきときは
「いま愛ならなにをするだろうか?」
と考えるといいようですよ。

愛なら、誰かを愛すことを差し控えたりしない。
でも愛なら、誰かに隠し事をするようなことをしない。
愛なら、誰かを悲しませるようなこともしない。

一般的な愛は、わたしはあなたを愛すから、
あなたもわたしを愛してほしい、と思いますね。
でもこれは交換条件付きの取り引きであって、
愛ではないそうですよ。

愛なら、相手を束縛しない。
相手に何かを要求したりもしない。
相手を制限したりもしない。
愛なら、相手に与えるだけだそうですよ。

「根源の神」は、この種の愛の神なんです。

2012/03/20(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは、バーンさん。

今回は昔懐かしいアメリカの絵の感じが
いいですね。

バーンさんの文章を読ませて頂くと
いつも気持ちが楽になります。

「もともと特別なOnlyOne」は
こんなに素敵な言葉が見つからないほど
特別なOnrlyOneですね。

グリーンのハートも素敵!

2012/03/20(火) |URL|りもママ。 [edit]

りもママさんへ。

コメント、ありがとうございます。

文章内容についてのコメントはよくあるのですが、
画像についての感想は初めてすね。(^^)
グリーンのハートにも気がついていただいて、
(じつは自分でも気に入ってるんです)
さすが、りもママさんらしいなと思いました。

人間が皆、自分は特別なOnrlyOneだと気づいたなら、
もっと自分を大切に思うようになって幸福になり、
そのようにして、一人ひとりが幸福になっていけば、
まわりみんなが自然に幸福になっていくのでしょうね。
そうなればいいですね。

2012/03/20(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

シンクロ?

こんにちは。

記事を読んでいると、
「もしかしてシンクロしている?」
と、思っちゃいました(^_^;)

いろいろな幸せのかたち
いろいろな幸せの感じ方、受け止め方

この頃、よく考えていたもので…。

他人にはわからないその人なりの幸せのかたちがある。
そういうものをお互いにゆるやかに認め合えればいいなぁ…
と、思っています(*^_^*)

幸せは心の中からやってくる。
どこかからの押し付けや、「○○せねばならない」という義務からではなく。
そんな気がしています。

気持ちがほんわかなるような記事をありがとうございます♪

2012/03/21(水) |URL|りんご [edit]

りんごさんへ。

コメント、ありがとうございます。

≫「他人にはわからないその人なりの幸せのかたちがある。
そういうものをお互いにゆるやかに認め合えればいいなぁ…>
 ↑
=まったくその通りだと思います。

≫幸せは心の中からやってくる。 どこかからの押し付けや、
「○○せねばならない」という義務からではなく。>
 ↑
=これもまったく同感ですね。

イエスは「わたしの荷は軽くて心地よい(マタイ11:30)」
と言われたのですが、宗教の教えていることはまったく逆で、
人間に不必要な重荷をいろいろ負わせています。

イエスは、「重荷を人に背負わせるが、自分では指で動かそう
ともしない(マタイ23:4)」者は偽善的指導者だと述べました。

「シンクロニシティ」は意識や思考が同じ“場”に生じます。
波長が同じか近いと、「引き寄せの法則」が強く働くので、
それで、りんごさんとわたしが知り合うことになったんでしょうね。

知らない人同士が意見を交換し、気持ちを通じ合えるのっていいですね。
いま、わたしは、これも一つの幸せだと感じています。

2012/03/21(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

どんなに勧められても
嫌いなものは好きになれないし
人の感じ方ほど違うものって無い気がします。
冒頭のバカンスの話は、
仕事をバリバリこなし、成功をおさめた人は、
つかの間のバカンスこそが至福のときだと感じるでしょうし、
苦しみのない平和の保てる落ち着いた生活を好む人にとっては、
のんびりと生活できることこそ幸せだと感じるのでしょう。

私はどちらなのだろうと考えた時
選べない自分がいました。
どちらでもありたいし、
どちらにもなりえますね。

花の例えの方がしっくりきます。

>>人間は「野の花」以上の存在です。地味であっても、ひとから注目されなくても、人間は生きてるだけで価値があるのです。

バラの花が豪華で美しいから好きだとか、
小さなかすみ草が可愛らしく可憐だから好きだとか、
人の好みもそれぞれですね!

今回のテーマ(人間は「いのち」を意識的に生きれば幸福である)
は、結構考えさせられました。






2012/03/22(木) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママさんへ。

コメント、ありがとうございます。
率直なご意見、とても興味深く、ありがたく思いました。

≫どんなに勧められても 嫌いなものは好きになれないし
人の感じ方ほど違うものって無い気がします。>
 ↑
その通りですね。わたしもそう思います。

一般に「幸福」とは、ある状態(例えば物質的にモノが豊かになるとか、
精神的に心が豊かになる)ことだ、と社会や識者などから定義らしきものが
定められていて、その基準や条件を満たすか満たさないかで、幸福か幸福で
ないかが区分けされているように思います。

記事の論点の第一は、幸福の定義は自分で決めていいものであって、ひとと
同じことをしなくても、自分で幸福だと感じればそれでいいんじゃないですか、
ということです。

そう言うと、では自分は何も幸福だと思えることを何もしてないので不幸なんだ、
と感じる人がいるかもしれません。

そこで第二の論点として、そうじゃないですよ、何をしていても、
何もしていなくても、人間は存在していること自体に価値がある
(と実際に思っている)ので、だから、生きていて、人間であること
に幸せ感をいま感じてほしい、と言いたくて記事を書きました。

--------------------------------------------------------------------

「幸福を追い求める」という言い方があります。
その言い方は、幸福とは今現在にはなくて、先の将来のどこかにあるものだ
という考えです。だから「追い求める」と言います。

つまり、今現在、無理して努力して頑張れば“将来”幸福になれる、
だから今は我慢すべきときだ、幸福は今は味わえなくてもしょうがない、
と思われてはいないでしょうか。

アリとキリギリスの話も、夏に太陽の暑さを我慢して懸命に働いたアリが、
冬が来たときに幸福感を感じたでしょう、ほら、憐れなキリギリスを
見てごらん、という教訓話です。

真摯に働くべきだとの考え方はいいとしても、観点を変えて、
幸福感について考えれば、この話には少々おかしな点がないでしょうか。
幸福とは“今現在”感じるのが本来であるはずだからです。

アリとキリギリスの話では、夏シーズンと冬シーズンという同等の期間を
比較する話でしたが、人間の人生の大抵のことでは、いま現在の長い年月
を幸福のために我慢して努力していけば、いつか将来に、短い時間だけ
幸せになれる可能性があるかもしれない、というふうに考えられて
いないでしょうか(もちろん、その考えが正しいと思う人は、
そう思っても全然かまわないのですが)。

--------------------------------------------------------------------

「南の島のバカンス」の話は、じつは、物質志向は良くない、精神的に
豊かなほうがいい、と教えるための例え話で、何かの本で読んだ話です。

この例え話については、ひとによって対照的な感じ方があると思います。

1.実業家については…彼は、バカンス中、仕事で自分は成功したことを
思い出して、満足感を感じていただろうと考える人もいるでしょうし、
彼はつかの間のバカンス中しか幸福ではなく、その満足感は空虚じゃないか
と考える人もいるでしょう。

2.島の青年については…彼は、日々のんびりしていることへの満足感と、
都会人への優越感を感じていただろうと考える人もいるでしょうし、
彼は、退屈な日々に空しさを感じ、成功した実業家に羨望と敗北感を
感じていただろうと考える人もいるでしょう。

3.そしてもちろん、実業家と青年とは違う、もっと他の生き方を
選択したほうが楽しいのに、と考える人もいるでしょう。

--------------------------------------------------------------------

人生観については、いろんな意見や感じ方があるものでしょうし、
その意見や感じ方はみんな、その人にとって正しいもの、もしくは
適切なものだろうと思います。

というのは基本的に、自分の人生は自分のためにある、と考えるからです。
それに、まず自分が幸福でなくて、他の人を幸福にすることなどできる
のだろうか、とも考えるからです。

むろん、人のために生きるべきで、それが幸福だと思う人は、それで
全然かまわないどころか、それが一番立派で崇高なことだと思います。

キリストは「他の人のために命を投げ打つことほど立派なことはない」
と言われました。人のためになる奉仕活動(あるいは仕事)と
自分のしたいこととを両立させる生き方ができる人は本当に恵まれている
なあと思います。ゆりママさんはそうですね。

(口はばったいことながら、以前わたしは、神と人のために生きる
ことこそ正しいことだと考えたので、365日でバカンスなど一日たりとも
ない“自己犠牲的宗教ONLY活動”活を長年必死に行なってきました。

つまり、人として幸福になることより、人として正義を行なうことの
ほうを選んできましたが、真の意味で幸福であったかどうか、わたしの
人生はかなり無理していたと思います)

結論は、ゆりママさんのおっしゃる通りです。どんなに勧められても
嫌いな生き方はしないでいいし、逆に、どんなにダメだと言われても、
自分の好きな生き方をしたらいいと思います。その考えは幸福の基本だ
と思います(むろん人に迷惑を掛けない限り)。

けっこう考えていただいたとのことで^^、まことにありがたく、
感謝申し上げます。

2012/03/23(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2012/03/23(金) || [edit]

自分の思い行いを

バーソさん、こんにちは。

いつもありがとうございます!!

他の人に意識を向けると、
「あの人はこうしたほうがいい」
「あの人はこうやった方が幸せじゃないか」
と思うことはしばしばありますが、
それは自分を基準にして物事を見ているだけなんですよね。

相手の存在を無視してしまっているかもしれません。

自分にできるのは、
自分が考えること、自分が行うこと。

だから、自分の人生が満足いくように動く(動かないという選択肢もあり)ことが大切なんですね。

そして、自分を大切に、自分の人生をエンジョイできたら、
それは周りにとっても素敵なことなんだろうなぁって思いました。

とっても大切な気づきをありがとうございます!!

2012/03/24(土) |URL|ぜん [edit]

ぜんさんへ。

コメント、ありがとうございます。

≫それは自分を基準にして物事を見ているだけなんですよね。
相手の存在を無視してしまっているかもしれません。 >
 ↑
そう思います。わたしは聖書を長年学んでいましたので、
街で誰かの行動を見たとき、これは聖書的に良くないとか
良い、と心のうちで思って、すぐ正邪を判断する傾向がありました。

当時は、自分の霊的認識が高いからだと思っていましたが、
全くそうではなく、単に人への愛が弱かっただけでした。

物事にすぐ善悪のレッテルを貼るというのは、なにかの宗教経典を
学び、それが唯一最高だと思ってる人間の陥りやすい傾向です。

ぜんさんのブログを拝見していると、
善良で、ポジティブで、感謝の心があふれていて、感心します。

どうぞ率直なご意見もどんどんお願いいたします。

2012/03/24(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

価値を見出せない物は

無数にあっても、真なる意味で「価値の無いもの」は、無い…。

意味深いですね☆

2012/04/04(水) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。

コメント、ありがとうございます。
(ブログ再起動、お待ちしておりました)

> 無数にあっても、真なる意味で「価値の無いもの」は、無い…。
 ↑
キリスト教は、世界が悪いのは、この世の神であるサタンのせい、
人間が悪いのは、アダムの原罪を受け継いだせい、と言っています。

神の基準に達しない者は罪びとで、裁きに値する、と言ってるということは、
すなわち、生きる価値がない、無価値だ、と切り捨ててるようなものです。

この考えでは、「神」は愛がなく無力だ、ということになります。

キリスト教の教えには、良い教えもたくさんあるのですが、
本質的には暗い考えがベースになっていて、そうした暗い部分の教えは
人間の宗教組織が思いついた解釈だろう、と思っています。

2012/04/04(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

自分の幸せや、生き方というのは自分で決めればいいと思います。
だから実業家もニートも幸せでいいんじゃないでしょうか。
不幸なニートは何かアクションを起こした方がいいような気はしますが、その人にとっては数ある不幸の中でニート生活が一番ましなんでしょうね。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

「神」はどこにいますか?
時間の流れる無機質的な宇宙空間に価値なんてものはないと僕は思っています。
人が生きることに価値があり、愛されるべきだなんて本当ですか?僕はその説は胡散臭いと思っています。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

>自分の幸せや、生き方というのは自分で決めればいいと思います。
>不幸なニートは何かアクションを起こした方がいいような気はしますが、
>その人にとっては数ある不幸の中でニート生活が一番ましなんでしょうね。
確かに、生き方は自分で決めればいいのです。この若者の場合は発言を見る限り、仕事が見つからずに引きこもりになっているニートではないようなので、「不幸なニート」という言い方は適切ではないでしょうね。
また、どんな状態にあろうとも、なぜ不幸だと他人が言い切れるのですか。ひとの幸福感は他人が決めることではないでしょう。

ある人がこういうことを書いています。
  全力で怠けている。
  命を懸けて、ゴロロゴロしている。
  相当のエネルギーを使って、無気力を味わっている。
ある人に関して、今はこれでいい、という見方もできるのですよ。

>人が生きることに価値があり、愛されるべきだなんて本当ですか?
>僕はその説は胡散臭いと思っています。
胡散臭いだと思ってもけっこうです。ただ、生きることに価値があるとは思わないような人は、つまらない人生を送っているのだろうと推測できます。人は愛されるべきだとは思わないような人は、ひとから愛されることもあまりないだろうとも思っています。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

僕は、生きることに価値のない人、つまりじさつする人に向かってその人の人生をつまらないなどとは言えません。
そして人に愛されたくても誰からも愛されない人がけっこう沢山いることを僕は知っています。僕は愛されない人に向かって愛されるべきだなどとは言えません。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

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