「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 モノみな同じで、命あり、意識あり。〈その2〉 

一般に動かないとされる「無生物」にも、命と意識があるはずだ、
(むろんレベルの違いあり)という前回の話の続きです。

前回は科学的っぽく論じましたが、今回は抒情的かつ詩的っぽく書きました。
きっと涙なくして読めますよ (^^)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
無生物にも「意識」がある。

2013457c6a.jpg
1.地球には自浄作用がある。
まずは昭和の詩人が書いた、海への想いを見てください。

   かなしくなったときは(When You Are Sad)  寺山修司

   かなしくなったときは
   海を見にゆく

   古本屋のかえりも
   海を見にゆく

   あなたが病気なら
   海を見にゆく

   こころ貧しい朝も
   海を見にゆく

   ああ 海よ
   大きな肩とひろい胸よ

   どんなつらい朝も
   どんなむごい夜も
   いつかは終る

   人生はいつか終るが
   海だけは終らないのだ

   かなしくなったときは
   海を見にゆく

   一人ぼっちの夜も
   海を見にゆく

   「寺山修司少女誌集」 角川書店

どんなときも心を癒してくれる海を見にゆくという詩ですが、
海には「自浄作用」があることを前提にしていますね。

昔から、海には廃棄物が棄てられたり、事故で油が流れたりしてきました。
でも、生命の海と言われる通り、海の水は、微生物の働きや化学反応と
物理作用などによって浄化されてきました。

これは、「地球」に海洋をきれいにする絶妙な自動制御システムが備わっているから、
と考えるのが論理的ではないですか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たき
www.topwalls.com

2.地球の全体水量は変わることがない。
地球は水の惑星で、海と陸の比率は7:3ぐらいです。
いくら大雨が降っても海の水量に変化がないのは不思議だ、と古来思われていたようで、
旧約聖書にはこう書かれています。

 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。
 川はその出てきた所にまた帰って行く
  ----伝道の書1:7 (口語訳)

レオナルド・ダ・ヴィンチは、海があふれない理由を、「海に注いだ水は、
地下の割れ目を通って山頂に戻り、再び川の水となる」からだろうと考えました。

むろん事実はそうではなく、雨や雪として降る水量と、太陽熱で蒸発する水量が
変わらないよう、そのバランスが絶妙に自動制御されているからです。

それで、「地球」の絶妙な自動制御システムは、やはり「地球」が作動させているのだろう、
ということになりませんか。

>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Poster by Salvador Dali
Salvador Dali

3.岩石も、永い年月で見ると変化している。

日本の古代の歌人は、小さな石は大きな岩に変わる、と詠っています。

    君が代は 千代に八千代に
    さざれ石の 巌(いわお)となりて
    苔のむすまで


バジル・H・チェンバレン(英国の日本研究家)は次のように訳しています。
    A thousand years of happy life be thine!
     Live on, my Lord, till what are pebbles now,
     By age united, to great rocks shall grow,
     Whose venerable sides the moss doth line.

    汝(天皇=日本国)の治世が 幸せな数千年であるように
     われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
     時代を経て、あつまりて 大いなる岩となり
     神さびたその側面に 苔が生(は)える日まで
※カッコ内注釈は管理人

時代を経ると小さな石が「神さびた岩」になる、という表現が興味深いですね。
“小さな石が大きな岩になる”のは非科学的だとの意見があるようですが、
でも物理的に間違っているわけでもなさそうです。
Wikipedia 
これは地質学的に一般的な現象である。小さな砂粒が大きな石になる例には細石や
ストロマトライトなどが知られており、またチャート(SiO2)や石灰質岩により
他の岩石破砕物を固結する例もよく見られることである。堆積岩、水成岩である
砂岩や礫岩などは、砂の粒子が大きな岩体に固結する仕組みとも言える。


☆それで、永い目で見れば岩石も “変化している” ということは、
岩石は “動いている”、あるいは “生きている” と言ってもいいのであり、
そうであれば、一般的に “動かないモノ” と分類される無生物も「意識」を持っている、
と推論できると思うのですが、どうでしょうか。

>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すべてのモノに「意識」をあらしめた、根源の「意識」がある。

ゆり

1.宇宙を統御している「原因と結果の法則」にしたがえば、
生物・無生物という“結果”には、それを存在させた“原因”があるはずです。

2.生物・無生物という“結果”すべてに「意識」があるのであれば、
その生物・無生物を存在させた根源の“原因”には、さらに大きなレベルの「意識」があるはずです。

3.つまり、宇宙には、生物と無生物の「意識たち」を誕生させ、活動させ、
維持している根源の「意識」が存在すると考えられるのです。  

その「根源の意識」を、「神」と呼んでもいいでしょう。

でも、宗教組織の教える宗派的な「神」は、この根源の「神」とは似て非なるものです。
たとえば、
・キリスト教会は、神は裁きの日にキリスト信仰のない者を滅ぼすと言います。
・一部のカルトは、教団の信者でない者は神により皆滅ぼされると言います。
(そんな教えは、利己的で、愛がなく、真の神を愚弄してるとは思いませんか)

でも根源の「神」は、完璧に中立・公平で、えこ贔屓や罰とは無縁のはずです。
人間に仕えてもらう必要もなく、性質や属性があるとすれば愛だけのはずです。

なぜ根源の「神」は愛であると思うのか?というと、
今でも地球には本質的に、美しさ、優しさがあふれている、と思うからです。
人間の本質は愛である、と思うからです((3.11以降は特にそう感じます)。

そういうわけで、私は、 
愛の意識である「根源の神」を信じていますし、信じたいと思っているのです。
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COMMENT FORM

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こんばんは、バーンさん。

最初の寺山修司さん、いいですね~。

私も、時に家の近くの海に行きます。
やはり、海には自浄作用が有る事を感じます。

どんな時も心が洗われる自分がいます。

「愛」を持って全ての人や物に接したいです。
コアとして、その部分はしっかり
ぶれない自分でいたいものです。

2012/03/09(金) |URL|りもママ。 [edit]

壮大ですね~。感動しました。バーソさん凄い!

生かされてるんだな~、って思います。

2012/03/09(金) |URL|abe [edit]

まずは最初の詩にとてもとても感動しました。
優しい言葉であふれていました。♡


>>でも、宗教組織の教える宗派的な「神」は、この根源の「神」とは似て非なるものです。
 たとえば、
・キリスト教会は、神は最後の審判で、キリスト信仰のない者を滅ぼすと言っています。
・一部のカルトは、教団の信者でない者は、神により皆滅ぼされると言っています。
 ( ↑ これらの考えは、じつに利己的で、愛がなくて、バカっぽいと思いませんか)

しかし根源の「神」は、完璧に中立・公平で、えこひいきや憤りや罰とは無縁のはずです。
人間に仕えてもらう願望も必要もなく、性質らしきものがあるとすれば愛だけのはずです。

なぜ根源の「神」は愛であると思うのか?というと、
 今でも地球には本質的に、美しさ、優しさがあふれている、と思うからです。
 人間の本質は愛である、と思うからです( 3.11の大災害の後は特にそう感じました)。

そういうわけで、
わたしは、愛の意識である「根源の神」を信じていますし、信じたいと思っているのです

全く大、大、 同感です。
自分たち以外は認めないと、言っていることに唖然とします。
子供たちは、これをどう感じるのでしょう?(T_T)

私は神様は空の上にいて、皆を見ていると思ってます。
でも誰にも見えないし、誰もかかわれない。
人間をただ優しい目で見ている。
私の亡くなったご先祖樣や、父はそこに一緒にいます。
そして父は私を見守っていると思います。

私も死んだら子供たちを見守ってあげたいし
一回だけ本当に困ったとき助けてあげたいと思っています。

2012/03/10(土) |URL|ゆりママ [edit]

りもママさんへ。

コメント、ありがとうございます。

やはり寺山修司に反応されましたね。
なんとなくそう思っていました。

「愛」を持つことをコアにして、ぶれない。
とてもいい言葉です。
わたしもそうありたいと願っています。

2012/03/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

abeさんへ。

コメント、ありがとうございます。
「壮大」って感想、いいですね。
「生かされてるんだな~」って感覚もいいですね。

自然を、地球を、宇宙を思えば、人間なんて小さなものです。
でもその小さな存在が、こうして生きている、生かされている。
そう思うと、人生って素晴らしいですね。

2012/03/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ゆりママさんへ。

コメント、ありがとうございます。

宗教でも占いでも何かの教えでも何でもそうだと思いますが、
自分だけが優れてるとか、自分だけが正しいなどと言う人がいれば、
確かに気をつけなければいけませんね。
特に金銭や労働や奉仕を過度に要求する場合は要注意です。

「神」を優しいと思うのは、思う人のこころが素直なせいですよ。
自分の感受性が「神」のイメージに反映してるのだと思います。
ゆりママさんなら、つい子どもさんを何回でも助けるんじゃないですか。

2012/03/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。
記事の更新、心待ちにしておりました。
その割にはコメント、出遅れましたけれど(^_^;)

海には「全てを呑みこみなお静か」というイメージがあります。
3.11以来、この「全てを呑みこむ」という言葉を使ってはいけない気がして、自粛しておりましたが…。
悲しみも苦しみも全て呑みこんでも、茫洋と静かでありたい、と思ったりもします…なかなか難しいですけれど。

ところで。
この頃、また、よく思うことがあります。
それは
「神が愛」
なのではなくて
「愛が神」
なのかも…ということです。
人の心の愛に触れると、自分も浄化されるような幸せな気持ちになるし、自分もそうであったらいいな…と思うので。
地上の楽園は、どこか遠くにあったり、特定の信者さんの為だけにあるのではなくて、愛や優しさを感じることのできる人のところにあるのではないかと思います。。。

相変わらず、自分勝手に独り言みたいなコメントになってしまいました(^_^;)

2012/03/10(土) |URL|りんご [edit]

そうですね。

>>その「根源の意識」を、「神」と呼んでもいいでしょう。
賛同です!

2012/03/10(土) |URL|やしま [edit]

やしまさんへ。

コメント、ありがとうございます。

「根源の意識」を「神」と呼んでもいい。
 ↑ やしまさんの「神」概念と同じでしたか。

宗教により、「神」のイメージが異なるので、
誰にでも通用する共通の言葉があるといいんですが。

いずれにせよ「根源の意識」から分かれた「分身の意識」が、
われわれ人間の本質である、と精神世界では言われていて、
これについては、神道やチベット仏教など、世界中の宗教哲学に
ほぼ同じような教えがあるようで、興味深いですね。

2012/03/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

りんごさんへ。

コメント、ありがとうございます。

≫悲しみも苦しみも全て呑みこんでも、茫洋と静かでありたい>
  ↑
この心境、素晴らしいですね。悟りの心境ではないでしょうか。
悲しみも苦しみも受け入れられたら、人生で悩みはなくなりますね。

≫「神が愛」なのではなくて「愛が神」なのかも>
  ↑
精神世界では、「神」=「愛」=「生命」=「エネルギー」です。
「愛が神」と思うと、宗教的な人格神のニュアンスが薄れるでしょうか。
そう思ってもいいかもしれませんね。

≫地上の楽園は、愛や優しさを感じることのできる人のところに
あるのではないかと思います>
  ↑
まったくその通りだと思います。平安や幸福は、
「愛」の思いを持つ人が、より感じられると思います。

こんな聖句があります→「愛さない者は神を知るようになって
いません。神は愛だからです」(ヨハネ第一4:8)。
神と同じ波長の人が神を知ることができるのですね。

2012/03/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はじめまして

バーンさん はじめまして。

先日、エべン・アレグザンダー医師を検索していて辿りつきました。
とても興味深い内容の記事が多く 嬉しくなって時々お伺いしてはあちこち読ませていただいてます。

今日、お伺いしたら、この記事だったので?
新しい記事と思ったら 2012年の記事でした。
不思議です。。
内容にとても共感しました!特に『根源の意識』のくだりですね。
読ませていただきありがとうございます。
また時々お伺いさせてください。

2014/04/15(火) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

はじめまして。ようこそ拙ブログにおいでくださいました。
「死後の世界は存在する」ということに関心がおありでしょうか。
私も同じです。人間と宇宙の本質、根源の神のことに関心があります。

以前は長年、死後の世界のことは邪悪な霊に関わることで、危険だ
と思っていたのですが、今では、死後の世界が無いという考えは
不合理的で、物質を超えた見えない次元は在るのが当然だと思っています。

というか、物質世界と霊的世界は重なり合って在るのだろうと思っています。
私は、まだ求道中の者です。何か良い情報があればぜひ教えてくださいな。
またのお越しをお待ちしています。感想も述べていただければうれしいです。

2014/04/15(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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