「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 愛の神は、人を断罪などしない。マグダラのマリア編 

最近、テレビのニュース番組で面白いと思ったことの一つは、
有名人の男女が熱い仲になったりすると、
「まだ妊娠はしていません」とコメントされる場合があることです。
最近の結婚観が少しばかり表れていますね。( ← 非難してるわけじゃないです)

結婚観と言えば、以前は「エホバの証人」だった関係で、信者同士の結婚式のときに、
演壇から下手な「結婚の話」を100名ぐらいの出席者にしたことが何度かあります。
(一応 念のため申し添えておきますが、もったいぶった話し方はしませんでしたし、
汝と汝はいま何時?といった話し方は、ぜひしようと思いつつも、しませんでした^^)。

そのときは、結婚は神が創始された神聖な取り決めですといった話をしたのですが、
でも後になって思うと、じつは聖書の結婚観には少々違和感を感じる点があるのです。

1 john-willam
john William Waterhouse
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
聖書には、現代人には到底同意できないような原則がある。
時代や男女別により、規則と規則の適用の仕方がかなり違うのも気になります。

《旧約時代:モーセの律法を信じるユダヤ教の時代》
・一夫多妻を容認か推奨(有名なソロモン王は、妻700人、そばめ300人)。
・夫は、気に入らないという理由だけで妻を離婚できる(離縁状一枚でOK)。
・女が不倫した場合には死刑(男は同じことをしても死刑にはならず)。

《新約時代:イエスの死後に始まったキリスト教の時代》
・一夫一婦制で、離婚禁止です(神が結びつけたものは離してはならない)
・離婚できるのは片方が姦淫をした場合のみです(もう片方が許すことも可)。
・妻は一家の頭(かしら)である夫に従え(これは旧約時代から変更なし)。

※注:離婚が認められてないなら、実質的に結婚が破綻した場合は?
教会法では離婚の否定を原則としつつ、婚姻の無効、未完成婚、別居制度などの方法によって
これらの問題の解決が試みられたとされる。---Wikipedia「離婚」


イエスは独身だったのでしょうか?
ユダヤ教のラビ(師)は既婚が条件のように思われていました。イエスは年齢およそ三十で、
ラビ扱いされていたようなので、結婚していた可能性もあります(ルカ4:16-20)。

※イエスが独身とされた理由は= 1)初期の僧職者がイエスを神的な救い主にしたかった、
2)教会内で女性の影響力を弱めたかった、3)聖書に記述がない(抹消された?)。

では妻は誰かというと、正統派のクリスチャンなら目をむくでしょうが、
マグダラのマリアだったという説があり、小説『ダ・ヴィンチ・コード』にもその話が出てきます。

改悛のマグダラのマリア--ホセ・デ・リベーラ
La Magdalena penitente(Jusepe de Ribera)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1世紀、姦淫の罪を犯した女が捕まえられたことがあります。
 この女性、カトリックの伝承ではマグダラのマリアとされています。

姦淫の現行犯は、残虐な石撃ちの刑です。居合わせた人々は、ちょうどローマの闘技場で
剣闘士が負けたとき、殺せ 殺せと、親指を下に向けて叫んだ群衆のように、
ナマの死刑シーンを面白がって見たいと思っていたかもしれません。

イエスはどうしたでしょうか。 ヨハネ8:3-11(新改訳抜粋)

  イエスは言われた。
  「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」


ユダヤの律法では、最初に石を投げるのは証人たちでした(申命記17:7)。
しかし、イエスは、「罪のない者が最初に石を投げよ」と言われます。人々はどうしたでしょうか。

  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、
  イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

  イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。
  行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」



この話についての解釈もしくは教訓は、見方により、2つあると思われます。


【A】:一般的な解釈
罪のない者が最初に石を投げよと言われたとき、最初に、年長の者から一人ひとり
去っていったと書かれている。
ということは、誰も他の人の罪を裁いてはいけない。なぜなら自分も同じ失敗を
しているあろうからだ。人は年を取ると、そのことを承知しているものである。

そもそも人は罪を犯してはならない。だが、罪を犯しても、悔い改めて、
イエス・キリストを信じるなら救われる(特定の教会に所属するなら救いは確かである)。


【B】:あまり一般的でない解釈
女は罪を犯したにもかかわらず、イエスは、私はあなたを罪に定めないと述べた。
ということは、一度罪を犯したからといって罪びととして断罪されることはない。

この女がイエスを信じたという記述はない。
ということは、人はイエスを信じなくても、すでに赦されている。
つまり気リスト教、または特定の教団だけが救いの宗教ということはない。
  
私は、神の「無条件の愛」を信じており、【B】の考えを受け入れています。

※注:このヨハネ8章の話は有名ですが、収録していない写本もあるそうです。
聖書によっては、注釈文を入れたり、小さな活字で印刷したりしています。

john-william (1)
john William Waterhouse

最初に年長の者から一人ひとり去っていった。
わたしは、最初に去っていったのは年長者だった、という箇所が好きです。
人生には失敗が付き物なので、人は誰でも後悔の念や罪悪感が溜まっているものであり、
それゆえにこそ他人の失敗には寛容かつ同情的でありたいと思うからです。

また、一人ひとり去っていった、というのも興味深いです。
他の人が去ったのを見たので自分も同じことをした、というのではなく、
ただ自分自身 のことを振り返り、自分の意思で行動したからです。

~~~~~~~~~~~~~~蛇の足~~~~~~~~~~~~~~~~

★「後悔」は良いものですが、「罪悪感」は非常に良くないものです。
・「後悔」=過去の失敗は、教訓だと受け止めるものです。学んだことは現在と将来の
人生に活用していこうとするので、人の意欲と向上心を高めます。
・「罪悪感」=過去の失敗は、ダメ人間であることの証拠だと決め付けるものです。
人の心をクヨクヨと長いあいだ落ち込ませるので、自信と向上心を失わせます。

★男と女が離婚するとき、申し立て理由の第一は「性格の不一致」だそうです。
「性格の不一致で別れたい、と二人が言ってるって? 二人共 そう言ってるんだった ら、
性格が一致してるんじゃないですか?」---先代・三遊亭円楽の枕話より

★「同時に二つ以上の恋をすることはできるが、同時に一つ以上のデートを
することはできない」---安野光雅著『空想工房』より


関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

最近の女子は強いですよね。「裁かれるぅ? はぁ?」って、なりそう。

私はか弱いけど。

2012/02/09(木) |URL|abe [edit]

Re: タイトルなし

abeさん コメント、ありがとうございました。
神は人を断罪しない!というのが話の趣旨ですから、
「裁かれるぅ? はぁ?」という反応でもいいかもしれないですよ。
地獄で永遠の責め苦とか、最後の審判といった教えは、
宗教指導者が言ってるにすぎない おかしな考えですから。

2012/02/09(木) |URL|バーソ [edit]

ダヴィンチコード映画で見ました。イエスの子孫がいては、まずい!!
衝撃的でした。
バーソさんが、年長者から去っていった。の部分が好きなのに同感です。
年とれば取るほど知恵が付き、罪深いですよね。
だから赤ちゃんを(天使のようだ!)って、言うんですね。

石打ちの刑(stonninng)
これって、イスラム社会の出来事だと思ってました。
キリスト教でも石打の刑が出てくるなんて、驚きました。
私は人が人を罰するなんておかしいと思っています。

誰かが裁かなきゃいけないとしても、・・・

私の義理の姉、婚家でのつらさに宗教を拠り所にしました。
義姉の頼みに負けて一度そこを訪れましたが、駐車場に入るのも本殿に入るのもお布施が必要・・・

二代目の教祖様が生き神さまだと皆がひれ伏するので
出来ずにいる私を誰かが後ろから押しおじぎを無理やりさせました。
とっても怖かったです。

すいません。
私は話がよくそれるのです。
バーソさんのご意見がすごく理解できたから、
夢中になって書いてしまいました。
(少々熱くなりすぎました。)

2012/02/09(木) |URL|hulamamayuriko [edit]

hulamamayurikoさんへ。

hulamamayurikoさん、コメント、ありがとうございました。
感想を見て、わたしと同じ波長をお持ちの方だなと思いました。

●キリスト教は、イエスの死後、弟子たちが始めたものです。
イエスはユダヤ教徒なので、石打ちの刑を否定はしてません。
だから、罪のない者が石を投げよと言われたのです。
文章が言葉足らずだったようなので、加筆修正しました。

でも、キリスト教は非常に残虐な歴史を持っています。
例えば魔女裁判。今でも教会の地下室にはおぞましい拷問器具が
残っています。プロテスタントも殺戮ではカトリックに劣りません。

●特にひどいカルト宗教の見分け方は簡単です。
何かを過度かつ不当に要求するかしないかで見分けられます。
何かとは、高額な金銭、無料の労働奉仕、人間に対する崇拝です。

●人間は誰でも弱いものであり、救いを求めているものです。
たぶんそれは人間らしいことなんだろうと思います。

お義姉さんは日々苦しい状況から逃れられないわけですから、
何かに頼りたいという思うのは当然のことです。
もう少しマシな他の宗教を探してみるのはどうでしょうか。
それよりも、本をいろいろ読むのもいいと思いますが。

自分は強いんだと思っている人でも、内面の深いところでは
他からの優しさや関心、そして救いを求めています。
ただ自分では気づいてないだけ、あるいは認めたくないだけ、
と思っているのですが。
(何年か前の秋葉原無差別殺傷事件も、犯行理由は、
人から かまってもらえないから、ではなかったでしょうか)

●わたしは、神が人を罰するという考えも
非常におかしいし、間違っている、と思っています。

いろいろとお忙しいなか、ありがとうございました。

2012/02/10(金) |URL|バーソ [edit]

はじめまして

もう随分前からブログ記事を読ませていただいておりました。

「神は人を裁かない」
実は、私もこの頃そう思えてならないので、思わず、初コメントしてしまいました。

「神が無条件の愛である」なら、そして「全知全能」であるのなら…
どんなに罪深い悪人であろうとも、滅ぼすことはありえないんじゃないかと…。
悪人であるがゆえに「救わない」のであれば、神はその人を見捨てたことになってしまう。
誰かを1人でも、見捨てるような神は、無条件の愛ではなくなってしまうし、悪人であるがゆえに、更正不可能だというのなら、それは全能でもないということになるのでは。。。

そうやって、あれこれ考えていると、決して誰も滅ぼさない、という結論にしか行きつかなくて。

そんな時に、ちょうど、バーソさんの今回の記事を見たので、とても嬉しくなってしまいました(^_^;)
もしかしたら、バーソさんの意図とは違うかもしれませんが。。。

実は私自身は無宗教なのですが、JWに大切な人がいる関係で、あれこれ考えたりするようになりました。
もしも、的外れでしたら、申し訳ありません。。。

2012/02/10(金) |URL|りんご [edit]

りんごさんへ。

りんごさん、初コメント、ありがとうございます。
拙ブログに何度も訪問いただいたそうで、感謝いたします。

「神は人を裁かない」 なぜか。
1.「神が無条件の愛である」、2.「全知全能である」
全くおっしゃる通りで、完璧に同意します。
同じ考えの感想をいただき、うれしい限りです。

りんごさんは「無宗教」ということですが、
論理的に考えると、その結論しかないと思います。
愛の神は、たたる神でも、のろう神でもないのです。

地獄、最後の審判、世の終わり、ハルマゲドンなど、
こんな恐ろしいものがあるはずが無いのです。

でもキリスト教会では、神の恐ろしい裁きと罰を教えます。
なぜかというと、それは、
1.神の愛と全能性に対する認識に欠けるからです。
2.裁きがなければ教会の存在理由が弱くなるからです。
3.裁きがなければキリストを信じる必要もなくなります。
 そうすれば、キリスト教と教会組織が崩壊します。
 寄付は集まりませんし、僧職者も失業します。


「JWに大切な人がいる」ということですが、
まずJWの教理が大幅に間違っていること、
そして聖書もけっこうおかしなことを言ってること、
そんなことを分かってもらえたら いいですね。
(その方が心を広くして聞いてくれるなら、
わりあい簡単に分かってもらえるんですけどね)

またぜひ感想を聞かせてください。

2012/02/10(金) |URL|バーソ [edit]

こんにちは、バーンさん。

キリスト教の結婚感など、大変勉強になりましたが
やはり、バーンさんが最後に書かれている事に
共感いたしました。

寛容の精神と自分自身をふり帰り、行動する大切さを
もう一度、自分に言い聞かせたいと思います。

2012/02/11(土) |URL|りもママ。 [edit]

りもママさんへ。

とてもいいコメント、ありがとうございました。
りもママさんのブログとはジャンルがずいぶん違うのに、
はるばる(?)当ブログまでお越しいただき、感謝しています。

<寛容の精神と自分自身をふり帰り、行動する大切さを
もう一度、自分に言い聞かせたいと思います。>

わたしは説教じみた話にはしたくないと思っているのですが、
話を簡潔に要約し、いい感想にしてくださいました。
(これは何よりも、わたし自身に適用したいことです)

わたしも、少年の心のようでいくつもりでいます。
これからもよろしくお願いします。

2012/02/11(土) |URL|バーソ [edit]

ありがとうございます

優しい気遣いのお言葉、ありがとうございます。

調子に乗って、もう1つ、思うことを書いてもいいですか。
イエスの言葉を突き詰めると、無宗教になるような気がします。。。

サマリア人の喩えのところで、
なぜ、わざわざ「サマリア人」だったのだろう?
と思いました。
他の宗教の人間であっても、人としての心があれば、それでいいのだと伝えたかったのかな、と、素人ながらに感じました。

もちろん、私が、無宗教なのは、そういうことを考えてのせいではないのですが…。
私は、JW世界に居る彼と世の中の、はざまに居たいと思っています。
そして、本当は、どこにも境界線などないのだと、わかってもらいたいと思っています。
いつのことになるのか、そんな日が本当に来るのか、わかりませんが…。

記事から離れて自分勝手なことをつらつらと書いてしまいました。

これからも、広い視点での記事を楽しみにしています。

2012/02/11(土) |URL|りんご [edit]

ナザレのイエスも人の子

妻帯者であっても何ら不思議でないですよ。

イエスに限らず、地球と言う名の星に、人として生まれ、人として死す。

姿形が人ならば、人という制約の中でしか行動できませんもの。

2012/02/12(日) |URL|やしま [edit]

りんごさんへ。

りんごさん、またのコメントうれしいです。
できれば、もう少しお話したいと思ってました。
少し考えてお返事を書きたいので少し時間をいただけるでしょうか。
今日(日曜)の夕方までには書けると思います。

2012/02/12(日) |URL|バーソ [edit]

やしまさんへ。

やしまさん、コメントありがとうございます。

<姿形が人ならば、人という制約の中でしか行動できませんもの>

確かにおっしゃる通りだと思います。

以前わたしは、人生にさまざまな悪がある理由が
聖書の「原罪」の教理では解けませんでしたが、
現在は、人間は、いわば“人としての制約”を味わうために
地球に生まれてきた、と考えるようになりました。

だから、苦しみ、悲しみ、憎しみ、恨み、喜び、楽しみが続く
さまざまな人生を体験し、ネガ・ポジ両面の感情を十分味わい、
それを課題として受け止め、クリアしていくことは、
極めて人間らしいことなのではないかと思っています。
(求道中の身ゆえに、偉そうな断定めいたことは言えませんが)

ありがとうございました。

2012/02/12(日) |URL|バーソ [edit]

りんごさんへ。

遅くなりました。ごめんなさい。
りんごさんは、聖書のことはよくご存知と思いますが、
一応、簡単に箇条書きします。

1.サマリヤ人の喩えについて、
<他の宗教の人間であっても、人としての心があれば、
それでいいのだと伝えたかったのかな、と感じました>

この喩えの要点は、まったくその通りだと思います。

サマリヤ人とユダヤ人は、祖先は同じ民族なのですが、
後年、他民族の血が混じり、宗教的にも違いがあったため、
ユダヤ人からはさげすまれ、嫌われていました。
(韓国と北朝鮮、黒人のアメリカ人のようなものかも)

ユダヤ人は、他民族とは違うのだという選民思想を持っており、
祭司・レビ人は、指導者としての特権階級意識がありました。

イエスは、ユダヤの宗教家よりも、蔑まれたサマリヤ人のほうが
よほど人間的で、愛があり、憐み深い、と言われたのです。
イエスは、「愛」を教えに地上にやってきたのです(ルカ10:25-28)


山上の垂訓の中(マタイ5:45-48)で、イエスは、
神は、悪人にも善人にも太陽や雨という恵みを公平に与えている、
だから、その神の完全さを見習いなさい、と人々に教えました。
神がある特定の宗教だけを救うという考えはイエスにはありません。

もし、ある特定の人々や教団だけしか神が救わないのであれば、
神は不公平であり、愛が無いということになります。
でも、神は愛であり、公平であると聖書は明確に述べているのです。

ですから、自分たちだけが救われると強く主張する教団は、
愛がなく、神の不公平を信じており、それはカルトの証拠なのです。

宗教や宗教組織が人に絶対必要なものであるなら、
もし無人島や牢獄で一人だけになったらどうするのでしょうか。

宗教は教義で成り立ち、教義は人間の解釈で成り立ち、
解釈はひとの考え方の違いで無数にと言っていいほど存在します。
だからキリスト教には何百もの派があるのです。

そういうわけで、
<イエスの言葉を突き詰めると、無宗教になる>。
=これも正しい考え方だと思います。


2.
<私は、JW世界に居る彼と世の中の はざまに居たいと思っています>

JW世界は極端だが、といって世の中が良いわけでもない。
<はざまに居たい>がそういう意味なら、気持ちはよく分かります。
彼を救うために近くに居たいという意味なら、
ぜひそうしてあげてください(ただし向こう側には絶対行かないで)。
愛は必ず伝わるものですし、愛には強い力があるからです。

3.
<本当は、どこにも境界線などないのだと、わかってもらいたい>

境界線は、人間同士の間にもなく、人と人の間にもないはずです。
それは、人が勝手に引いた架空の幻想線に過ぎません。

JWの組織の上手なところは、その境界線を信者の心の中に、
マインドコントロールで浸透させていることです。
だから信者のほうも、自分が世の人ではないこと、
JWであることを誇りにしています。
誇りにしているので、人の言うことは聞きませんし、
ちょっとやそっとでは信念を変えないのです。

これは1世紀の選民意識や特権階級意識によく似ていませんか。
わたしもJWだった頃は、そういうことがよく分かりませんでした。
内部にいると、物事を中立的に正確に見られないのです。

これはわたし個人の経験ですが、
JWだったとき、少し疑問があったので、ネットを見てみました。
そうしたら、ものみの塔には多少の間違いがあるどころか、
想像した以上のたくさんの間違いと、それを隠す組織の
隠蔽工作が数々あったことが分かって非常に驚きました。
禁じられていたネットを調べたので、真実が初めて分かったのです。

全体国家や独裁政権では、情報を制限しています。
制限するのは国民に知られてはまずいことがあるからです。

りんごさんの「大切な方」が、ちょっとでいいから、
JW以外の情報を見てくれればいいのですけどね。
そうしたら、あとは雪崩のように呪縛が解けていくと思うのですが

あ、それから、
<そんな日が本当に来る>と必ず思うようにしてください。
そう思うことはとても大切なことだと思います。

何かあればメールでもいいですよ(プライバシーは厳守します)。

2012/02/12(日) |URL|バーソ [edit]

感謝いたします

バーソさん
とても心のこもったご丁寧な返信を頂き、本当に嬉しく思いました。
ありがとうございます。

私は、人は「自分という枠」を通してしか物事は考えられないので、1人1人考えは違うものだと思いますし、キリスト教の宗派以上に、人の数だけ考え方やさまざまな解釈の違いがあると思っています。
ですから、JWで言うような「一致」は到底、無理があると感じています。

「自分たちだけが救われる」
という教えは、裏を返せば
「自分たち以外は救われない」
ということになり、結局は「恐怖」による精神コントロールだと感じました。
「自分を愛してくれるものだけではなく、自分の敵をも愛せ」
とイエスが教えたのに、神が
「自分に従わない」
という理由で滅ぼすのでは、言っていることとやっていることが違ってしまうのでは…と、初めて聖書を通読した時から、心の中で納得がいかない思いがしたのですが、その後更にその思いは強くなるばかりでした。

元々は、JWに居る彼のことを理解したい一心で、あれこれ調べ始めたのですが…。
人生そのものを差し出させるようなJWの教義に共感もできず、また、伝道が義務化されているので、他の人の人生を変えてしまう責任を感じているのだろうかと疑問も尽きず…。

非常に複雑な事情ゆえに、現在は連絡すら取れない状況ですが、でも、バーソさんがおっしゃって下さったように、
「必ずわかってもらえる日が来る」
と信じていきたいと思います。
バーソさんの言葉、とても心強く感じられました。
本当にありがとうございます。

2012/02/12(日) |URL|りんご [edit]

りんごさんへ。

丁寧なご返事、こちらこそ ありがとうございました。
りんごさんの考え方は極めてごもっともだ、と思います。
物事の道理を非常に適切に理解し、判断している方だ、と思いました。

わたしの場合、最初に会った伝道者の中年男性が非常に良い人柄の方でした。
いまどきこんな人が世にいるのか、こんなふうになりたい、と思いました。
とても感心したので すぐ聖書研究に応じたのですが、それが間違いの元でしたね。
あなたのように、まず最初に聖書を通読すればよかったと思います。

ただ、いま振り返ってみると、自分の場合には、“学び”のために必要な経験だった
のかもしれないと思うようになりました(もっと年月が短ければよかったのですが)。

このように言うと、「大切な人」も、JWの経験は“学び”だということになって
しまいますが、いずれにしても、ひとの選んだ生き方を変えることはできません。

でも、今の時代は昔と違って、いろいろな意味で いい時代です。
JWに関する情報もネットにあふれていて、調べることが非常に簡単にできます。
だから、あとは、調べようとする気持ちがあるかどうか だけです。
真理を求めている人なら、意欲がわき、考え方も変わるはずだと思います。


「大切な人」という言葉、久しぶりに聞きましたが、心に残る言葉でした。
愛は、相手に なにか(物・気持ち)を要求するということは一切ありません。
(愛の神が人間に奉仕や献身を要求するという教えは、おかしいのです)
「大切にする」とは、相手を大事にすることであり、“利己欲”がありません。
だから「大切にする」とは、「愛」の定義にしてもいいかなと思いました。

りんごさんの またのコメントを楽しみにしています。

2012/02/13(月) |URL|バーソ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2012/02/15(水) || [edit]

どんな宗教であれ人の自由を奪っては、いけないですよね。
なにかを強制するのは、NGです。

私は職業がナースということで
{輸血をしてはいけない。}そんな決まりがあるのは
悲しくなってしまいます。
やっぱり人が 命を奪う権利はない!と、考えます。

何かを信じるって 難しい選択ですね。
すごく考えないといけないと思います。

2012/02/19(日) |URL|ゆりママ [edit]

ゆりママ さんへ。

コメント、ありがとうございます。

まったくおっしゃる通りだと思います。

人間は“自由意思”を神から与えられた、と聖書は教えています。
だから、人間は本来、他のひとに迷惑をかけない限り、
基本的に、何をしても自由であるはずなんです。

ところ宗教は、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、
と言って、いろいろな戒律を信者に押し付けます。
不必要な制限をして、信者を精神的に支配するわけです。

「輸血禁止」の教えも、一寸まぎらわしい聖書の言葉があるんです。
だから、聖書に精通してない人は、信じてしまうのです。
だから、信者が悪いのではなく、そう教える宗教教団が悪いのです。

宗教は、人を 救われた気持ちにさせるのが存在理由の一つなんでしょうが、
確かに、なにを信じるかはよく考え、よく調べる必要がありますね。
コメント、ありがとうございました。

2012/02/19(日) |URL|バーソ [edit]

コンイチワ!

☆バーソ☆サマ、エホバの証人(過去)だったんですね~。

家にもよくこられます!

ワタシは誰でも、宗教の勧誘ダイダイ大好きデス!

こないかな~
最近誰も来ないかな~な~んて想ってます。
来られて、時間がある時は、
想う存分お話します。

直ぐに引き下がられる時は
え~もうオワリ~なんてガッカリです。

けんかごしではないのですが、
見えない世界について議論するのは大好きです!

周りのミンナは呆れ顔ですけれどね~(笑)。

ちなみに、マグダラのマリア大好きデス。
彼女に罪の洋服を着せるなんて~。
罪を洋服を着せた存在が、
それを脱がせてくれないと、
いつまでたっても、
人類は進化を喜べない存在のままです。

これは、勝手なワタシの思想です(笑)。
あまり宗教の事は詳しくアリマセン。

ちなみにちなみに、
ワタシは、宗教に入って
そこからイチヌケした人が
ダイダイダイ好きです。

お邪魔いたしました~。

2013/01/23(水) |URL|なりびと [edit]

なりびとさん ありがとうございます^^)

こんな古い記事まで読んでいただき、ありがとうございます。

エホバの証人の英語は Jehovah's Witnesses ですので、
仲間内では略して、JW(ジェイダブリュー)で通じます。

その教団に30年以上所属して、宗教の勧誘を熱心におこないました(恥。
数万軒以上のお宅で、ドアをトントンするか、ブザーを鳴らしたと思います。
一般の家、店舗、会社、学校、交番、教会、神社、飯場、駅前伝道にも行きました。
その中で、なりびとさんのような方に会えたのは、数人でしょうか(悲。

トム・ケニオン著「マグダラの書」では、マグダラのマリアはイエスの妻です。
ゲイリー・レナード著「不死というあなたの現実」でも、そう書かれています。
聖書の世界は男性優位ですので、マリアはおとしめられたような気がします。

今は精神世界を知り、宗教と聖書の呪縛から解かれました。ありがたいことです(嬉。

2013/01/23(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様はエホバの証人だったのですね。バーソ様のことが少しわかったような気がします。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

そうです。非常に熱心なほうでした。人生をかけて打ち込みました。愚かなことをしたと以前は悔やみましたが、今は、まあ、貴重な経験をしたのだろうと思っています。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2016/12/04(日) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 ヨハネ8:1-11について。
 有力な写本にはこの部分が欠落しているゆえに正典の一部ではないかもしれないということで、新世界訳では、そのことの注釈をつけて小文字で書かれていますが、そうするのも一理あることです。他にも、そうしている聖書翻訳があります。

 ただ内容は、いかにもイエスらしく、罪ある女をこころよく許しています。でもパウロの考え方なら死罪に値する罪をおかした女で、この点はイエスの教えと反すると言えるでしょうか。

 聖書を読んでいる人は、福音書の有名な逸話なので知ってますが、協会の出版物には出てこないので、福音書を全部読んでない人は知らないでしょうね。中には、そういう人もいるのです。

2016/12/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:http://barso.blog134.fc2.com/tb.php/42-7e16ab8b

back to TOP