「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 円谷幸吉の遺書は、素朴ゆえに感動的だ。 

今年2012年は7月27日から、夏季オリンピックがロンドンで開催されます。

東京オリンピックのとき、マラソン競技で銅メダルを受賞した円谷幸吉さんが
書いた遺書のことを「ブロとも」のReコメントから思い出しました。

円谷さんの「遺書」は非常に感動的で、涙なくしては読めません。

というわけで、ひと様の文章とヒントでお涙をちょっぴりでも頂戴しょう
と涙ぐましくも厚かましい意図と魂胆が見え隠れする《感動的文章》の第2編です。

他のサイトでも扱われていますが、少し違う切り口で書きました。
(以下敬称略)

つぶらや4

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

円谷幸吉は、裸足のランナーとして知られるアベベに続いて、
2位で国立競技場のトラックに帰ってきました。

でも、かつて父から「決して後ろを振り返るな」と叱られたのを思い出し、
最後まで後ろを振り返らずに走ったため、3位の選手にトラックで抜かれてしまいます。

円谷選手は銅メダルを とったのですが、そのあと、まわりの期待や重圧に負け、
4年後のオリンピック開催の年に、自らの死を選択します。享年28歳でした。

  遺書

  父上様 母上様 三日とろろ 美味しうございました
  干し柿 もちも 美味しうございました

  敏雄兄姉上様 おすし 美味しうございました

  勝美兄姉様 ブドウ酒 リンゴ 美味しうございました

  巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ 美味しうございました

  喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒 美味しうございました
  又 いつも洗濯 ありがとうございました
 
  幸造兄姉上様 往復 車に便乗さして戴き 有難うございました
  モンゴいか 美味しうございました

  正男兄姉様 お気を煩わして大変申し訳ありませんでした

  幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
  良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、 
  光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
  幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、真嗣君、 
  立派な人になって下さい

  父上様 母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません
  何卒 お許し下さい

  気が休まる事なく 御苦労、御心配をお掛け致し 申し訳ありません
  幸吉は 父母上様の側で暮らしとうございました


  1968 1 9

遺書

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当時のマスコミや人々の反応は・・・

●当時のマスコミは、円谷幸吉は国民的重圧や愛国心のせいで
自殺したのだろうと論評し、「五輪至上主義は問題であると警鐘を鳴らしました。

●円谷の関係者は、ノイローゼによる発作的自殺ではないか、
自らの後継者を作れなかった悩みが自殺につながったのでは、などと批判的な憶測を語りました。

三島由紀夫は、関係者たちの無責任な言葉に怒りました。
「傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺」であり、「この崇高な死を
ノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、
生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」

遺書では、親族一人ひとりの名を挙げて、食べ物に対するお礼が繰り返し繰り
返し述べられています。この遺書のすごさは、まさにここにあるように感じられます。

川端康成は、幸吉の素朴な文章について、こう書きました。
「繰り返される《おいしゅうございました》といふ、ありきたりの言葉が、
じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。
美しくて、まことで、かなしいひびきだ」。
「ひとえに率直で清らかである。おのれの文章をかへりみ、恥ぢ、いたむのは勿論ながら、
それから(川端)自身を問責し絶望する」
 
野坂昭如は、言葉の繰り返しについて、ある種の力があると評しました。
「いわれなき重圧を背負わされ、疲れはてたあげくの、悲鳴といえばいいのか。
《ありがとうございました》《美味しゅうございました》のくどくどしいくりかえしが、
生者調伏(生きている者を呪い殺す)の呪文のごとき印象(を与える)」

diego-rivera-the-flower-carrier.jpg
diego-rivera

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まことに僭越ながら、わたしはこんなことを思いました。

1.まず、遺書には、恨みや憎しみの感情が微塵もないことに気づきます

自殺の決意に至ったのは、まわりの人間のせいもかなりあったと思えますが、
遺書にあるのは、ひたすらお礼と、お詫びと、気遣いと、両親への愛情の言葉です。
彼は、誰も憎んではいません。人を 許しているように思えます。
これは、すごいことではないでしょうか。

「許す」とか 「赦し」は、宗教家やスピリチュアル関係者の常套句になっている感さえある、
とてもいい言葉です。でも、その言葉を聞いたり読んだりして感動することはあまりありません。

それは“至極もっとも”のことであり、時には少しばかり独善臭や偽善臭を 感じたり、
そう言うあなたはどうなの?と、心の中で言いたくなったりすることもあるからです。
言葉は、それを 裏打ちする“なにか”がないと、命を 持たず、どこか空々しいものがあるのです。

でも、彼の文章には、ただただ誠実さだけしかないように感じます。

2.彼の文章が心を打つのは、最期の言葉というゆえもあるでしょう

もし遺書でなければ、下手な文章だ と悪口を 言われるのではないでしょうか。
でも遺書だと、文章は俄然、力を持ちます。 人の最期の言葉には嘘がない、
本当の思いが語られている、と思われるからです。

そう考えると、究極的には「言葉」は、真実で、純粋で、素朴で、飾りがなく、
作為もなく、そして「愛のある言葉」が、人の心を 打つのかもしれません。

とすれば、これは書く人のハートの問題なんですね。

_ _ _

言葉とは常に自分に還ってくるものです。
ここで、「それを言っちゃぁ おしまいよ」になってしまいました。

わたし、偉そうなことを言える立場には全然ありません。
今回もどうかご勘弁のほどを、とお詫びして終わります。

diego-rivera-el-vendedora-de-flores.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蛇の足 (^^)

★円谷幸吉の死と遺書は、悲しいことではありましたが、彼の心情に共鳴する
日本人全体のハートを 広げる点で良い影響があったのではないでしょうか。

★オリンピックなどの国際大会では、わたし、“ がんばれ、ニッポン ”人になります。
でも、選手がよく「日の丸を背負っているから」と、責任感と悲壮な決意を述べるとき、
そんな重いものを 背負わないでいいのに、それよりも楽しみながら自らの
目標を目指してほしい、自己ベストが出れば最高で素晴らしい、と思うのですが。

★「ゆるし」は、大きく分けると2種類あります。
一つは、相手に罪はあるが、憐れみにより許してやろうという「博愛的なゆるし」。
もう一つは、相手にはそもそも罪などないので許すのだという「根源的なゆるし」。

人間にはそもそも罪などないので、ひとを憎んだり嫌ったり恨んだりしてはいけない
という「根源的なゆるし」は、いまのわたしの目標です。それは自分に愛があるからではなく、
それが自分には難しいので、そう願っています。

★新約聖書 ルカ 23:33,34 (新世界訳)
「“どくろ”と呼ばれる所に着いた時,
彼らはそこでイエスを杭につけ,そしてその悪行者たちを,一人をその右に,
一人をその左にして杭につけた。 しかし イエスはこう言われるのであった。
『父よ,彼らをお許しください。 自分たちが何をしているのか知らないのですから 』」


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やっぱり、バーソさんの「ありがとう」に、私は、死ぬ前の人の嘘のない誠実さをかんじたのでしょうね。だから切ない気持ちになったんだろうな。。。バーソさん、優しいから。

2012/01/15(日) |URL|abe [edit]

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2012/01/15(日) || [edit]

Re: タイトルなし

abeさん、
いつも優しいお言葉、ありがとうございます。
どんな人にでも優しくなれると最高なんですけどね。
なかなかそうはできないのが残念です。

2012/01/15(日) |URL|バーソ [edit]

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2012/01/16(月) || [edit]

なんだか根源的なゆるしって
すべてを手放す覚悟ができた人が持てる境地なのかなあって
感じました。

「生と執着心」が切っても切り離せないのは、
裏返すと「死と根源的なゆるし」って答えになるのですかねぇ。


2012/01/17(火) |URL|じゅこすけ [edit]

Re: タイトルなし

じゅこすけさん、いい感想、ありがとうございます。
いつも いいところに注目されますね。

「根源的なゆるし」とは、死や超越の境地というよりも、
一般的な言い方で言うと、悟りの境地 でしょうか。

悟りとは広い意味を含む言葉ですが、わたしの話の文脈では、
物事には本来、悪とか罪などはない、ということです。

悪とか罪は、人間が判断して基準を決めています。
その証拠に、時代、国、宗教が違えば、その基準も違います。

でも「根源的なゆるし」には、それ以上の理由があります。
誰かが自分に対して何かの悪いことをしても、その人には、
本来 罪がないのだと信じ、だから、ゆるすことです。
憎しみや恨みを手放し、心を自由にすることです。

例えばですが、Aという人がいつも自分をバカにするとします。
それは自分の意識が 鏡に映って現れてるのだと考えます。

つまり、自分には人をバカにする高慢さがあるのかもしれない。
あるいは、自分は人からバカにされてもしょうがない人間だと
いつも思っている自尊心の弱さがあるのかもしれない。

そのように、すべての状況の中に神の力が働いていると見ます。
そんなふうに考えると、Aさんは悪者ではなく、
自分が気づかなかった心の弱点を気づかせてくれる
親切な先生であり天使であるということになります。

そしてまた、自分も、Aさんの被害者ではなくなります。
そこには、加害者も被害者も、悪も罪もないというわけなんです。

これは、理解・実行が難しいんですが、説明も難しいんです。
また、コメント、お願いします。

2012/01/17(火) |URL|バーソ [edit]

おはようございます。

初めてコメントさせて頂きます。
学生時代、陸上競技をやっていた関係で
円谷幸吉氏関連の書物、何冊か目を通した経験がありました。

> 1.まず、遺書には、恨みや憎しみの感情が微塵もないことに気づきます。

= 私もバーソさんの言われるような感想を持ちました^^

近年、鹿児島県知覧特攻平和会館へ足を運んだのがきっかけで、
特攻隊員の遺書を読み漁るようになりました。
10~20代の若い方の遺書ばかりでした。
文面が円谷さんと共通していると感じました。
円谷さんの遺書を読んだ時と同じ気持ちになりました。


> これは書く人のハートの問題なんですね。

= 言葉は、発する時以上に、どう受け取るのか。
そっちの方が大切なのかなって思うことがあります^^
バーソさんのハート、ステキだなって思いました。
とても勉強になりました。ありがとうございます。

2013/01/29(火) |URL|パンとぶどう酒 [edit]

パンとぶどう酒さん ありがとうございます^^)

コメント、ありがとうございます。
丁寧な感想文、ありがとうございました。

このブログを書くとき、実は他にも幾つか遺書をネットで検索しました。
その中で、日航機の墜落事故の際、家族宛てに手帳遺書を残した男性がいて、
短い単語の羅列のような文章でしたが、読んでて涙が出ました。
心のこもった文章は、上手下手に関係なく、自然に心に通じるものがありますね。

昨今のマスコミは些細なことを大げさに言う誇張表現が多すぎて、
かえって番組自体の値打ちが落ちているような気がします。

10~20代の若い特攻隊員なら、その遺書には純粋な気持ちがにじみ出ていて、
さぞかし心を打たれるものがあるのでしょうね。
本当に戦争は二度とごめんです。
気軽に戦争賛成のようなことを言う人の気がしれません。

2013/01/29(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

残された家族のことを想ったら決して自殺なんて出来ないはずです。

僕は円谷と言う人は自分勝手な情けない人間だと思います。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

家族のことを考えてないということは無かったでしょうが、それよりも《お国のため》という意識が非常に強かったのでしょう。情けないというよりは、かわいそうだと私は思います。責めるとしたら、そういう教育をした人たちのほうが責められるべきです。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

多少なりとも人に迷惑を掛けているので自爆テロと大差ないですよね。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

僕は自分より何よりも家族を大事にしているので、家族を大切にしない円谷選手の生き方(死に方)を認めることは出来ません。自分のために死ぬことを僕は否定します。でも大切な人のために、ひいては国のために、ひいては宗教のために死ぬ場合はしょうがないのかもしれないと思います。

野坂氏が指摘していますが、自分の純潔さを押し出すことで、純潔でない人々を非難する意味合いが少なからず含まれているようにも感じます。もしくはその清廉さによって私は悪くないと自身のじさつを正当化する言い訳しているかのようです。

こんなものを美化してはいけません。子どもが変な影響受けますよ。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

戦争で国と家族を守るために特攻するのはしかたのないこととして、特攻される方にも国と家族がある。これが戦争の悲しさですね。

自分の信条を守るために、他人の信条を尊重しない人がいます。でも相手にも守りたい信条があるのです。だから他者を尊重しない行為はすべからく自分に返ってくるのだと思いました。情けは人の為ならずですね。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

「例えばですが、Aという人がいつも自分をバカにするとします。
それは自分の意識が 鏡に映って現れてるのだと考えます。

つまり、自分には人をバカにする高慢さがあるのかもしれない。
あるいは、自分は人からバカにされてもしょうがない人間だと
いつも思っている自尊心の弱さがあるのかもしれない。

そのように、すべての状況の中に神の力が働いていると見ます。
そんなふうに考えると、Aさんは悪者ではなく、
自分が気づかなかった心の弱点を気づかせてくれる
親切な先生であり天使であるということになります。

そしてまた、自分も、Aさんの被害者ではなくなります。
そこには、加害者も被害者も、悪も罪もないというわけなんです。

これは、理解・実行が難しいんですが、説明も難しいんです。 」


上のバーソ様のコメント読ませていただきました。同感です。僕はこれに近い感覚で他者に攻撃的になるので受け入れられないことが多々あります。でもあまり気にしません。ものごとの本質を分かってない人なんだなと思うだけです。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

僕はバーソ様のことを親切な先生、天使と思っております。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

Re: タイトルなし

わほマンさんへ―――バーソより。
この記事は、自殺を美化するものではありません。稚拙な文章でも心を打つことがある、という話をしています。その証拠に、これはカテゴリが「命や死」ではなく、「文章」です。あなたは、少し読解力が不足してますね。ピントがズレてますよ。

拙ブログの一番最初の記事(2012/02/20)に、まとめて返事を書きました。
そちらを見てください。

2014/11/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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