「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「いまいくよ」。竹崎駆動くんの感動的な詩。 

涙腺という名の蛇口には、感動を止める水栓は付いてない。

オトコは泣くな、ひと前では涙を見せるな、とよく言われます。
まったくもって その通りでしょう。

だから、わたしは、金輪際、絶対、極力、なるべく、なんとか、
できるときは、まあ、おおむね、そのようにしてきました。

涙腺の制御が少々無理な場合には、ひと目につかない穴を必死に探し、
穴が見当たらない際には、あたかも眼のゴミをぬぐうかごとき
世間を欺く所作をしてきました。

一昨年だったか、ノーマン・ロックウェル展に赴いた節には、
不覚にも眼と鼻孔から液体が流出してきたので、ごく自然なアクションにて
ポケットからティッシュを取りいだし、その紙成分の下の部分にて鼻をかみ、
その上の端のほうにて眼付近の水分を素知らぬ顔をして素早くぬぐった、
という見事なる事例もあります。

わたし、「鼻のかみ方」と「もののあはれ」を知っている、
ナイーブで、あわれな人間なんですね。

というわけで、わたしが涙した感動的な文章を紹介します。

ノーマン・ロックウェル
Norman Rockwell 1894.2.3-1978.11.8

竹崎駆動くん(高知県・春野町立東小6年)の詩


朝日小学生新聞・童話屋主催『第1回みんなの「のはらうた」』大賞作品(2005)。
応募者は野原の虫や花や雲になったつもりになり、作者の名前も考えました。

    いまいくよ
                 やご ぎんじ

      おひさま、
      ぼくのなかに こんなに、
      ぴかぴかのはねが あったんだよ。
      きっとお空もとべるよ。

      おひさま、ねえ見て
      こんなに動くんだよ。

      おひさま ねえ聞いて
      かさこそ こそばゆい音もするよ。
  
      おひさま、おひさま、
      あきらめなくて よかったよ。
      おひさま、おひさま、
      いまいくよ。

  
とんぼ

わたし、今まで、子どもの文や絵で、うまいなと感心したことはありますが、
感動したことはありません。
でも、この詩を読んだとき、本当に文字通り熱い涙が出てきました。
いま読み返しても、目がうるみ、胸にどっと込み上げてくるものがあります。

名前は「やご ぎんじ」ですから、トンボの幼虫のヤゴが成虫のギンヤンマに
変態するときの気持ちを描いたものかもしれません。
なぜ感動したのか、こう考えました。(もうすでに感動された方は、
以下の駄文は読まないほうがいいかもしれません。感動が冷めますよ)

やご君は水中から出てきたとき、すぐ空を見上げた。
青空に一点、大きく光輝いているものがある。 まぶしい。
その光は世界を優しく照らしている。 あたたかく自分を見つめている。

やご君は、生みの親を知らない。
だから、自分は天空に輝く光によって生まれてきたと思った。
彼にとって、その光は母親だった。 その光は神さまだった。
だから、まず最初に、「おひさま」と呼んで、話しかけた。

最初の驚きは、自分の中でうごめく新しい生命だった。

   おひさま、
   ぼくのなかに こんなに、ぴかぴかのはねが あったんだよ


続いて、こう話しかけた。
 
   おひさま ねえ見て こんなに動くんだよ
   おひさま ねえ聞いて かさこそ こそばゆい音もするよ



彼は、みずみずしい感覚で、自分の感じたこと・発見したこと・驚いたことを
「おひさま」に一生懸命説明しようとした。
※上記3つのフレーズは、触覚・視覚・聴覚で感じた順番になっています。

いぬととんぼ

むろん、作者は、以上のような思考・感情で書いたのではないかもしれません。

でも、「おひさま」「おひさま」、と最後の段落では四回も呼びかけ、
全体では七回も呼びかけています。
この反復と、そして最後の言葉も要注目です。
「いまいくよ」と結んで、おひさまの下に、母親のそばに、すぐに飛んで行きたい気持ちを
言い表しています。 タイトルは「いまいくよ」です。


おそらく、作者の竹崎駆動くんは、いつもお母さんに、自分の思ったこと、
感じたことを 何でも知ってほしい、と思って話しかけているのではないでしょうか。

いつも母親を信頼し、いつも互いに心を通じ合わせている、そんな温かなふれあいが
常日頃あることが感じられます。

この詩には痛いほどの、子どもの《いたいけな心》があります。
 

最後の段落にある、この言葉もなかなかです。

   あきらめなくて よかったよ

ぴたり決まっていますね。いえ、ぴたり決めています。
あきらめないという言葉。最近は、タレントやスポーツ選手が流行りのように
使っていますが、この「あきらめなくて よかった」には ちょっとかなわないのではないでしょうか。
やご君の言葉にはウソ臭さのようなものがありません。


最後は、わたしのつまらない“まとめ”です。

1.感動的で説得力のある文章は、リフレイン(反復)が効果的だ。
(選挙カーでの名前の連呼は、説得・感動とは対極の無策だと思うのですが)

2.ありきたりで単純だとしても、心から出た素朴な言葉は心を打つ。
(茨城弁で飄々と話すマギー司郎は、純朴に見え、つい笑いを誘われます)

3.人間には生来、きれいな心と みずみずしい感性が備わっている。
(心が洗われるとよく言われますが、汚れる前はきれいだったんですね)


聖書の言葉です。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。
 ・・・見よ、それは極めて良かった」(創世記1:27,31)

「口から出てくるものは心から出てくる」(マタイ15:18)

「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」(マタイ5:8)
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読んでいてきれいな情景が心に広がる詩って
心を豊かにしてもらえてとても好きです。
とてもきらきらしたうただなぁと思いました。

こんなみずみずしい詩をかくこの子の将来が、
とっても楽しみですi-237

2012/01/11(水) |URL|じゅこすけ [edit]

Re: タイトルなし

感性を感じさせる感想をありがとうございました。
「きらきらした」という言葉、いい表現ですねえ。
じゅこすけさんの絵だって、将来が、いえ、
今だって、毎回楽しみなんですよ。

2012/01/11(水) |URL|バーソ [edit]

バーソさん、ほんとにナイーブな人なんですね。

私も心の清い人になりたいと思いました。

2012/01/12(木) |URL|abe [edit]

Re: タイトルなし

abeさん、コメント、ありがとうございました。
きれいな色ときれいな線で絵を描く人は、
まちがいなく心もきれいな人ですよ。
だって、
心のきれいな人は、目も澄んでいるでしょう。
イエスの言葉 → 「体の光は目である。
あなたの目が澄んでいれば全身が明るい」。
それに、
目が澄んでいなければ、きれいな構図や
配色だって思いつかないでしょう。
それに、
なによりも、絵を見る人たちに、
きれいだなあ と思わせることなんて
なかなかできないでしょう。
でも、
絵もやはり、本や写真で見るよりよりも、
実物を見るほうがはるかにいいですね。
N・ロックウェルも本では感動しませんでした。

2012/01/12(木) |URL|バーソ [edit]

誰でも思ってることを上手に表現しましたね。
この小学生に100点満点をあげたいです。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

そうですね。こんなみずみずしい感性を持って、こんな文章が書けるのは素晴らしいです。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

みずみずしいのは感性じゃなくてトンボの羽じゃないですか?

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

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