「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 狭くて細い「真実」への道は、明るく、広く、照らされている。 

明けまして おめでとうございます。今年も より良い年でありますように。
拙ブログに ご訪問いただき、ありがとうございます。

じつは新年の挨拶を文章で書いたのは、「あれから40年!」と漫談の綾小路きみまろ風に
言いたくなるほど、ずいぶん久し振りです。
自分の宗教とは違う神道の祝日は祝わない、という狭小な習慣があったのです。

でも今、普通のことを普通にして、なんだか岩窟王が世間様に出てきたような
少々晴れやかな気持ちです。※原作:A・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』

ブログタイトルの『バーソの徒然』は古くさいなとの自己不満足を感じていたこともあり、
『バーソは自由に』 に改題しました。よろしくお願いいたします。

今回はネガティブは薄味、薬味少々、点火物不使用の安全愚材でお届けします。
「人生の道」はじつは明るい、がテーマです。

a Lavender-

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昨年は思ってもみなかった大変な出来事がありました。
今年2012年はどうなのでしょうか。

今年は人類が光の次元に入る、いや、 マヤ暦は2012年で終わっているとか、
温暖化がさらに進行する、いや、長期的に見れば寒冷期の真っ最中だ、
などなど、両極端な予測・見解があるようです。

それにしても、人生には、これが正解という「真実」はないのでしょうか。
「群盲 象を表す」という有名な話がありますが、こんな無名な話もあります。

「象は優しくて有用だ」と言う人は耳の小さいアジア象を見た人でしょう。
「象は凶暴で恐ろしい」と言う人は耳の大きいアフリカ象を見た人でしょう。
「象は空を飛ぶよ」と言う人は耳の超大きいダンボの絵本を見た子供でしょう。
「象はタイガーより強い」と耳やかましく言う人は魔法瓶の会社の人でしょう。
「象は毛がカタいゾウ」と耳をふさぎたくなるようなダジャレを言う人は、
 子どもの頃、遊園地の子象に乗って頭の毛に触った感触を、
 ついおとといのことのように覚えているわたしのことです。

五人五話。十人十色。百人百様。それぞれの考えはそれぞれに真実です。
つまり人の信じていること、それがすなわち(その人の)真実なのですね。

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では、それぞれの真実が様々にあるということは、
究極の「真実」に至る道も様々にあるということなのでしょうか。


聖書は、狭い道を通れ、広い道は駄目だよ、とキビしいことを言っています。
同様では、天神(てんじん)様の道も細道で、御用のない者、通しゃせぬと厳しいです。

アンドレ・ジイドも『狭き門』 だぜ、とキビしいです。 ジイドの名は、
今はジッドという表記のようですが、わたしが最初に読んだのは十代後半でした。

アリサは、いとこのジェロームから求婚されます。
でもアリサは、妹もジェロームを愛していることを知っているので、こう言います。 
「わたしたちは幸福になるために生まれてきたのではないんです」
「では、魂は幸福以上に何を望むというんだろう」とジェロームは訊ねます。
「それは聖らかさ・・・」とアリサは低い声で言います。
 ※山内義雄訳(新潮文庫 昭和29年発行・昭和58年72刷)

※「聖らかさ」という言葉は、だいぶ以前 読んだ別の翻訳本では、
確か「聖(ハギオス)よ」というふうな訳され方をしていました。
「ハギオス」というのは、分離の意で(神のために)取り分けることです。
単に精神的に“聖らか”というよりも、俗から離れ、神のために生きることです。

それから、アリサは彼から身を引き、去っていきます。
時がたち、アリサが亡くなったという知らせと共に、彼への想いがつづられた
彼女の日記がジェロームに届きます。日記には、「主が示したもう路は、
二人並んでは通れないほど狭いのです」と書かれていました。

●死去の手紙は院長から来たので、アリサは修道院にいたと思っている人がいるが、
養護院の院長だ、と榊原康夫著作の本(書名失念)に書かれていました。
●昔はこんなに純粋な女性がいたのかと驚きますが、ジイドは1869-1951(昭26)年の
人ですから、この話、そんなに大昔の時代でもないんですね。


★読後感は、哀れなような、でも幸福なような? です。
以前読んだときは、神に仕えることとは、人間の幸福を犠牲にしなければいけない
ものなのか、とアンハッピーエンドだった印象が記憶に残っています。

でも、いま考えると、アリサ本人にしてみれば、
ひょっとしたらハッピーエンドの部分もあったかもしれないな、と思ったりします。

というのは、アリサの信仰 は 純粋すぎるほど純粋でした。
本人の信じる真実がその人の真実であるとすれば、アリスの信仰は彼女自身に、
信仰ゆえの幸福感をもたらしたかもしれない と思うわけです。

b Iceland-Poppies

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ちょっと待ってください。 では、そうなると、
宗教の教団、例えば「ものみの塔協会」を信じきっている信者も幸福だということになり、
では協会の批判をするのは、信者であるエホバの証人の幸福感を ジャマするので
よくないんじゃない?ということになってしまいますね。

そもそも、エホバの証人とは、従順さと純朴さを持つ人々の集合体だと言えなくも
ありません 。その証拠に、わたしもJWでした。 (^^)
なんたって素直ですから、ものみの塔だけが「神の言葉」を正しく教えているという
ウソに見事に洗脳されています 。その証拠が、このわたしでした。 

で、JWの中には、アリサのように“聖”であろうとして、エホバへの奉仕に真摯に
打ち込んでいる人たちがいます ( 奉仕と言ったって実態は、ものみの塔に入らなければ
救われない、と教える「組織宣伝」活動なんですが)。


問題は、年月が10年20年と経過し、世の終わりは来ない、地上の楽園も来ない、
統治体は虚偽を教えていたとはっきり分かる時が来たときです。その時には
アンハッピーエンドの結末がさみしく待っているのだろう、と危惧します。

んー、困りました。そうなると、信仰ゆえの幸福感は真実だ、とは
ちょっと言い難いような気がしてきます。

pd orche

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★いずれにしても、人は、自分の人生の道を自分で選択しています。
そして、自分が選択した人生の道は、自分が信じる方向に というか、
信じたい方向にひらけています。

アタシっていつも男運が悪くって・・・と嘆く女性がいますが、
そうなるのは たぶん、その女性が毎回、同じような波長の男に惹かれているためで、
だから毎回、同じような失敗を繰り返しているのです。

これは、類は友を呼ぶ、似たもの夫婦、同じ穴のムジナ、吉野家には牛丼好きが集まってくる、
といった原則であり、「引き寄せの法則」が作用しているのでしょう。

つまり、人は、すべて自分の精神思考と波長が合うものを、自然に自分に引き寄せているのです。

であれば、ここがハイライトで、真面目な結論なんですが、
真実の人生の道も、真実を求める人の心の波長に呼応し、どんどん近づいてくる。
真の人生の道は、真の光で明るくライティングされていて、次々に開けていく・・・。
と、まあ、かなり口幅ったいのですが、そのように信じている次第です。
( ここまで読んでくださったあなたの道もきっと明るくひらけていますよ )

e Summer-Breeze

以上の話、毒にも薬にもならなかったでしょうが、薬味は用意しました。
『 My Way 』(作詞:ポール・アンカ/日本語訳:NHK)
歌詞は、自分が信じた通りに生きてきた道がいい道だ、と言っているようです。
フランク・シナトラの声で聴くと、古き良き時代のアメリカを思わせるのですが、
いまカラオケで上司に歌ってほしくない曲の第1位だそうです。

愛し笑い泣いた日々

敗北も人並に知っている
今すべてがなつかしい思い出

そのすべてを思い返せば
胸を張って私は言える
信じた通りに生きてきたと

自分に正直になれないなら
人は生きている意味がない

正直におもねることなく心を語る
正々堂々と闘ってきたと

すべてを自分が信ずるままに
( And did it my way )



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からくり童子 風のジード

謹んで、新春のお慶びを申し上げます。
昨年は、からくり童子 風のジードをご訪問頂き、誠に有難う御座いました。
本年も、変わらぬご愛顧を宜しくお願いいたします。

からくりオム

2012/01/01(日) |URL|オム [edit]

Re: からくり童子 風のジード

新年からのご訪問と丁寧なるご挨拶、
まことにありがとうございました。
からくりオムさんのサイトはずいぶん面白い内容ですね。
また訪問させていただきます。
こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。
バーソ

2012/01/01(日) |URL|バーソ [edit]

あけまして、おめでとうございます。^^

今年もよろしくお願いします。

2012/01/01(日) |URL|kenken20110501 [edit]

Re: タイトルなし

kenkenさん
明けましておめでとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。
「更にステップアップ」は、いいですね。
バーソ

2012/01/01(日) |URL|バーソ [edit]

明けましておめでとうございます。
なぜ「My Way」が第一位に選ばれちゃったのでしょうか?
歌詞を読んでみても正統派で熱い歌詞だと思ったのですが…
今の時代熱血漢は受けないってことなのでしょうかね(;・∀・)
では、どうぞ今年もよろしくお願いいたします^^

2012/01/02(月) |URL|じゅこすけ [edit]

Re: タイトルなし

じゅこすけさん
新年早々、ご挨拶とコメント、ありがとうございました。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。

「My Way」が第一位に選ばれた理由は、古いからではないでしょうか。
シナトラ・ヴァージョン録音は1969年(昭45)なので43年前のことです。
ということは、それを25歳頃に知って、いま歌う人は58歳ぐらい。
若い社員からは、ふるーいッて思われるんじゃないのでしょうか。

あるいは、シナトラがうますぎるため、この歌は、誰が歌っても
つまらなく聴こえて、がっかりするせいかもしれません。

有名な歌を、他の人が歌うのは難しいみたいです。
マル・マル・モリ・モリの歌だって、たぶん誰も
芦田愛菜ちゃんには かなわないと思います。

2012/01/02(月) |URL|バーソ [edit]

なんか、元気でてきました。

私もバーソさんに引き寄せられて、いい方向に向かうといいな。

2012/01/02(月) |URL|abe [edit]

Re: タイトルなし

あべさんの絵と文も、なかなか元気、出ますよ。
これからもその瞬発力で、仕事もブログもお願いします。
ありがとうございました。

2012/01/03(火) |URL|バーソ [edit]

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2012/01/05(木) || [edit]

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2012/01/05(木) || [edit]

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2012/01/06(金) || [edit]

昨日、全文を読みました。(←通算二度目)

Smartphone版で読んだので拍手はしておりません。ごめんなさい。

僕は、此方のブログに掲載されている特定宗派のコトは、正直殆ど知らない立場です。
では「何故全文を読んだのか?」と、疑問に思われるかも知れません。

理由は単純で、僕の智に対する興味対象であり、聖書と教義の矛盾に対する論陣に興味を惹かれたからです。

さて、バーソさんのブログ全文を読了して、更に興味が増しました。

僕が以前、ナザレのイエスと呼ばれた人間の行動について興味を抱き聖書を読んだ(←触り程度です)際に感じたコトですが、聖書の記述自体は幾多の矛盾が生じているように見受けられます。
勿論、矛盾する記述には背景や事情があり、ナザレのイエス亡き後、後世の者達に拠って出来事や言葉が編纂され歴史と共に付加、或いは削除した結果、現在の聖書と言ふ名の書物となっているコトが、一つの原因かも知れません。

バーソさんはかなり聖書に精通しておられるようですが、聖書自体の矛盾点については、どのように考えておられるのでしょう?

聖書と教義の矛盾に対する論陣を張られる方ですから、きっと「(僕にとって興味深い)バーソさんなりの考察がある」のではないか?と。

此方への返信では短くて語り切れないと思いますので、今後の記事に期待します。
どうぞ、よろしくお願い致します。

2012/01/07(土) |URL|やしま [edit]

Re: 昨日、全文を読みました。(←通算二度目)

やしまさん、コメントありがとうございました。
なんと、全部読んでくださったとのことで、
ありがたく、感謝申し上げます。

拙ブログで、聖書とその教義を論じているわけは、
聖書とその教えは、人の考え方・生き方に大きく影響を及ぼし、
人の一生を全く変えてしまうからです。

聖書が神の言葉だと思うと、神に逆らうことはできません。
ある教団が神の代理だと思うと、ただ従うしかありません。


わたしが長年所属していた「ものみの塔(エホバの証人)」は、
「世の終わり」、すなわち「神の最後の裁き」が非常に近いので、
自分の時間・労力・資産全てを投げ出して、神のご意思のために
懸命に生きなさい、それが正しい生き方だ、と教える教団です。

「神のために生きる」は まぁいいとしても、問題は、
教団の勧める生き方があまりにも非聖書的で極端なため、
多くの信者が大変な自己犠牲の生活を強いられていることです。


ブログでは今まで、2つのことを論じてきました。
1.ものみの塔教団は、聖書を正しく解釈していない。
2.聖書は、すべての言葉が霊感を受けてはいない。

それが分かると、信者は、不必要な制約から解放され、
自分の最善の人生が自由に歩めるようになります。

-----------★------------------------★------------

●聖書自体の矛盾については、やしまさんのおっしゃる通りで、
 「矛盾する記述には背景や事情があり、ナザレのイエス亡き後、
 後世の者達に拠って出来事や言葉が編纂され、歴史と共に付加、
 或いは削除した結果」だと思います。

 また、内容的にも、確かにそう言える根拠があると思います。


●現存する新約聖書は、イエスの教えや人格とはかなり乖離しています。

やしまさんも、よくご承知のように、
ブッダは経典を書かなかったという言葉がありますが、
イエスも経典は書きませんでした。新約聖書は弟子たちによるものです。

イエスはクリスチャンではなかったという言葉もありますが、
キリスト教という組織宗教を始めたのは後世の弟子たちです。


●旧約聖書についても、到底 神の言葉だとは思えない内容があります。
たとえばイスラエル人が約束の地カナン(パレスチナ) に入るときには、
その地の原住民は全て皆殺しにせよ、子供も家畜もみんな殺せ、
という神からの命令があり、それは聖戦という名目で実行されました。

オウム真理教の麻原よりも、ブッシュのイラク侵略よりも、酷い命令です。
そんな命令は、愛のかけらもない、男の征服者の考えであり、
絶対に「神」の考えではあり得ないことを示します。

であれば、聖書は神の言葉だからと全面的に信じて、
いま聖書の道に全面的に従おうとする生き方は賢明ではない、
ということになります。

-----------★------------------------★------------

世に、聖書に否定的な本やサイトなどは沢山ありますが、
大抵は、無神論者や不可知論者によって書かれたものです。

でも、拙ブログは違います。わたしは有神論者です。
聖書の神エホバは、宇宙の真の神を表してはいない。
真の神は愛の神であり、聖書の裁きの神、復讐の神とは全然違う。
と、そんなことを書いているつもりです。

もちろん、わたしは、模索中、求道中の、未熟な者です。
偉そうなことは言えません。
ただ感じていること、思っていることを書いているに過ぎないのですが。

これからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。


2012/01/07(土) |URL|バーソ [edit]

こんな、厳かな聖書の議論の中、私のチャラっとしたピースの写真が
貼り付けられていてよいのでしょうか?大丈夫ですか?バーソさん。

ま、ご愛嬌ということですよね!

2012/01/07(土) |URL|abe [edit]

Re: タイトルなし

コメント、ありがとうございました。
ピースは好きなんです。きれいなものも好きなんです、何でも。
なお、ピースに相当するヘブライ語[シャローム]には、平和や平安という
意味があり、「こんにちは」の挨拶の言葉として使われています。

2012/01/08(日) |URL|バーソ [edit]

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