「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ブランドと信仰、プライドと信念。それは美しくない宗教である。 

今回はちょっと調子と文体を変えて、ブランドと信念と謙遜さの話をします。
まずは、どうってことのない話からお付き合いのほどを・・・ (^^;)

「L」と「V」マークの模様で有名な茶色のブランドバッグがありますね。
2978.jpg
(そのマークは爪にだってある)

そのバッグを持ってないように見える女性に、あれはビニール製なんですよ、
と、親切にそっと優しく教えてあげたことが何度かあります。
すると、大変です。
今までの経験ではまず、嘘だッ、信じないッと言われます。
当該バッグは未所有のはずなのに、きつい反応が返ってきます。
いや、ほんと、あれはね、布地に塩化ビニールをコーティングをしててね、
だから、あの模様がきれいに印刷されててね・・・と、さらに懇切丁寧に材質を
説明しようとすると、
いやだッ、絶対本革よッ、縫製だって違うのよッ、なんてイヤなヤツゥ、
とヒンシュクを買います。つまり徹底的に、憎まれ、嫌われ、恨まれ、うとまれます。

でもね、本革製と思いたいのは分かるけど、10万円もするL.V.バッグでも、
本体はビニールなんだから、原価はおそらく何千円かで、だから香港の
偽ブランド品は1万円で売っても儲かるんだよ、と補強論拠を列挙して
論破反論反撃したくなるところを、ぐっとこらえ、我慢し、忍耐します。

じつは、辛抱強さという特質は、わたしの得意とするところなんですね。
単に気が弱いのでそうなってしまう、ということもあるのですが。

20041119yumezitenpanf.jpg

―――――――――――――――――――――――――――――――――
それにしても人は真実を言われて、なぜ怒るのでしょう?
なぜ調べて確かめようとしないのでしょう?


●高価なブランド製品が安価な材質のはずがないじゃないか、
 と思う至極当然の推論のなせるわざかもしれません。
●自分の所有物を低評価されるのはじつに不愉快だ、
 という人類共通の性向のゆえんかもしれません。
●いずれにせよブランド信仰という宗教の深みにどっぷりとハマッているのではないか、
 と推論愚考します。
●おそらく真実というものは永遠に知りたくないのでしょうし、
 知らないほうがきっといい場合もあるのでしょう。
               _ _ _

念のために補足しておきますが、わたしは別にL.V.の製品に、恨み、つらみ、
憎しみ、妬み、歯ぎしり、その他もろもろがあるわけではありません。
L.V.のバッグをお持ちの方、ごめんなさい。どうか、ご容赦ください。
特定のファッションブランドのデザインが本当に素晴らしいなら、
あるいは大好きなら、高いお金を出しても別に悪くないと思っています。

わたしの大好きなゴッホの絵だって、原価を考えると、あちこち塗り残しはあるし、
キャンバスは高いものではないでしょうし、大体が気持ちと勢いだけで描いているような
筆づかいで、まあ、それがいいのですが、制作時間は小さい絵なら精々3~4時間の
ように見えます。原価と価値は比例するものでないことは十分承知しております。

yumeji001.jpg
※これもわたしの好きな竹久夢二(1884-1934)の絵です。



――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここからはエホバの証人の兄弟姉妹に申し上げたいことです。

さて、師走も半ばです。新年が近づいたので、必然的に信念の話になります。
すなわち、ブランド信仰から、プライド・信念の話に話題が勝手に移ります。

ものみの塔(エホバの証人)というキリスト教の一派があります。
長年、「世の終わり」が近い、近いと言って「神の裁きの予定の年」を宣伝しています。

1970年代の信者たちには、近頃では考えられないほどの緊迫感・真面目感があり、
多くの人が家を売り、会社をやめ、家族の反対を押し切って伝道活動に励みました。
でも、神の予定のその「年」は、いまだに到来していません。
               
竹久夢二 j

「愛しちゃったのよ あなただけを 命をかけて」なんて切ない歌詞があった気が
しますが、ともかく、イワシの頭も信心からです。多くの人にとって、
自分の宗教は絶対です。強固な宗教心を持っている人は、他の信仰を認めません。

でも、それは盲目の愛のようなものではないでしょうか。愛自体は強いんでしょうが、
何と言っていいか、客観的に見ると真実の愛とは認めがたい場合があるように思います。
               _ _ _

大体、別に宗教でなくても、人は自分の信念を非難されることを嫌います。
自分の考えが正しいか間違っているかは どうでもよく、ただただ自分の考えを
固守しようとする傾向があります。

自分の考え・信念を守るということは、自分のプライドを守るということでしょう。
それは聖書的に言うと、誇りが強すぎるということです。
そして、誇りの強さとは、すなわち謙遜さの弱さです。
これは男の最大のウイークポイントだと思うのですが、どうでしょう。
               _ _ _
        
巨人軍の清武(元)GMが、GMの権威を渡辺会長から無視されたと怒りました。
ナベツネのほうは、トップの権威を無視するんじゃねえと怒り、
社長も、自分に相談がなかった、権威を無視されたと怒り、
あのミスターも、ジャイアンツの伝統と権威を汚されたと怒り、
野球評論家たちは、日本シリーズの最中にあんな会見をして神聖な野球を
台無しにされたと怒りました。あの事件では、ずいぶんいろんな人が怒りました。
まあ、わたしは清武氏に同情をしたいのですが。

人間は物事の良し悪しより、プライド・名誉を守ることのほうが重要である、
ということがこんなスポーツニュースにも表れています。
信念の恐さ、名誉心の恐さ、どこにでもあり、といったところでしょうか。

竹久夢二 c

全米でベストセラーになったある本の中に、こんな趣旨の話がありました。

 「もし、東京から、北海道に行こうと思って旅をしているとき、
 名古屋に来たことに途中で気づいたなら、あなたはどうするか。
 つまり、今まで長く旅を続けてきたのを無駄にしたくないと思って、
 そのまま目的地に行き着かない旅を続けるのか」(日本的に改訳)
   ※ニール・D・ウォルシュ著『神との対話』
              _ _ _

この人生は一度限り。聖書では、命に至る道は狭くて細いと言われています。
あなたは、自分の歩んできた道は正しい、と絶対の確信があるでしょうか。

伝道(布教)活動という重荷を背負い、組織の取り決めという制限に縛られ、
険しい苦しい道を歩み続けることが 本当に愛あるエホバのご意思なのだろうか、
と考えてみるのはどうでしょうか。

むろん「狭くて細い」道なので、いろんな点で努力は必要なのでしょう。
でも真実に神が「愛の神」であるなら、人間が楽しく喜びつつ歩める道こそが
本来の「道」であるはずです。それが神のご意思であるはずです。 

もしそうでないなら、その神はおかしくないでしょうか。
そうなってないなら、そんな神は偽ブランドの神だと思うのですが。


――――――――――――――――――――――――――――――――――
★参考:「宇宙主権の論争」の教理の誤りを論じています(本邦初) → コチラ
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素晴らしい!

信仰とは、盲目になるコトや思考を捨て去るコトではなく、無自覚な己に対する疑心を持つコトなのかも知れませんね。
ありがとうございます。

2011/12/16(金) |URL|やしま [edit]

Re: 素晴らしい!

やしまさん、質の高い要約と励まし、
ありがとうございました。

人生、再起動・再起動の繰り返しだったようですが、
「僕は今も、未来が愉しみ」というのはいいですね。

過去はもうないし、現在はたったいま過ぎたし、
未来だけまだ決まってないのですから。

バーソ

2011/12/16(金) |URL|バーソ [edit]

ニール・D・ウオルシュさんの言葉、はっとさせられました。
間違いを認める事は今までの自分の否定のような気がついしてしまいますが、
ニールさんの言葉を考えると、間違いを認めることで自分の目指す正解に近づけるってことですもんね!
よい言葉をおしえていただきありがとうございます^^

2011/12/29(木) |URL|じゅこすけ [edit]

Re: タイトルなし

コメント、ありがとうございました。
いい感想を読むと、うれしくなります。
「間違いを認めることで自分の目指す正解に
近づく」とは、全くその通りですね。
じゅこすけさんの絵は素直な心で画かれて
いるのが感じられ、心がなごみます。

2011/12/29(木) |URL|バーソ [edit]

バーソさんの記事を読んでると、難しいけど、背筋がピンとします。

来年もどうぞよろしくおねがいしますっ!!!

2011/12/31(土) |URL|abe [edit]

Re: タイトルなし

コメント、ありがとうございました。
まれこさんの絵を見ていると、
きれいな色、伸びやかな線で、
背筋の緊張がほどけます。
来年もまた、目と心の保養にさせていただきます。

2011/12/31(土) |URL|バーソ [edit]

自尊心がある人間なんてくだらないですよね。
ちなみに私は人間のクズです。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

>自尊心がある人間なんてくだらないですよね。
自尊心は必要なものです。ありすぎるのは問題だと思いますが。

>ちなみに私は人間のクズです。
こういう言い方をする人は、謙遜さを表しているのではありません。強い自負心を表しています。違いますか。あなたは実際には自尊心がかなり強い人でしょう。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あたりです。バーソ様のことを不快にさせてしまったこと謝ります。ごめんなさい。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

はじめまして!

はじめまして!
現在大学四年の学生です。
卒業論文を書くに当たって、宗教とブランドを結びつけて考えようと思っていたら、このブログに行き着きました。
ブランドのこれからを、宗教の歴史や今後の方向から学べないかと思っているのですが、何か参考になる文献などはご存知無いですか?
宜しければご意見お願いします!

2014/12/20(土) |URL|けちゃん [edit]

けちゃんさんへ。

「宗教とブランド」。この卒論のテーマ、面白そうですね。
この記事は、自分の思ったことを書いただけですが、質問されて少し考えてみました。

ブランドと言えば、それ自体の質が良い場合と、それほどでも無い場合があります。
質が良い場合は、食品や着物で創業何百年を誇る老舗の物や時計、外車など。材料が違うとか作る技術が違うといった場合が多いようで、価格は高価な場合が多いようです。

質がそれほどでもないほうは、第一にファッションでしょう。有名で、外国製で、しかも高価な商標であればあるほど、人々は、そのモノが本質的に良いものかどうかはあまり気にせず、ほぼ盲目的に良いと信じて、憧れを抱き、所有欲を抱き、購入行動に出ます。

商標を信じる(信仰)心は、はっきり言えば理性的で合理的な思考の所産ではなく、自分の自尊心や虚栄心を満足させるためが目的で、そのために不当に高価な金銭を払っている場合が少なくないのではないかと思います。ですが、ブランド信仰というのはそのような理屈の上に成り立つものではないですね。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

宗教の場合、こういった商業主義にかかわるブランド志向が当てはまるでしょうか。
当てはまるなら、宗教は大手の宗教だけになり、弱小宗教は存在しないはずです。
ところが世の中には宗教は無数にあります。キリスト教だけでも細かく分けると何百もある、とギネスブックに書いてありました。
        _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 

では何を規準に人は自分の宗教を選択しているのか。
人によって違うでしょうが、《自分にとって益になる》宗教を選んでいるのでしょう。
例えば、幸福な気持ちになれる。病気が治る。仕事や人間関係がうまくいく。死後に天国に行ける。神を信じられるようになる。人生の真の目標を持てた気がする。安心する。

つまり何にせよ、ご利益があるからこそ、人は自分の宗教を選んでいるのであり、ある宗教が有名ブランドで、著名だから信心する、ということはあまり無いように思うのですが、どうでしょう。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

現世ご利益は、多くの場合、ご利益があったように見えても、宗教の教えにより当人の意識が変わったために、結果として、おのずと状況が好転したということがあるでしょう。
あるいは当人が、神様仏様から恵みを頂いたと単に信じ込んでいるに過ぎないケースもあるでしょう。鰯の頭も信心からと言われる通りです。これは他人は否定できません。

人々から信仰の対象になる宗教には、こういう特徴がありそうです。
1.病気が癒される。生活が向上する。何でもうまくいく。ツキが回ってきた。
2.教えが驚くほど素晴らしい。精神がやすらかになる。気持ちがほっとする。
3.経典の解釈・講義が道理にかなっていて人生の深遠をきちんと教えられた。
4.将来がどうなるかを予言していて、不思議なほどピタリと当たる。
5.霊界の仕組みや現象をうまく説明していて、なるほどと納得できる。
6.教団もしくは宗教指導者が、清貧で誠実で信心深く、信用できる。
7.宗教の経典は世界的に著名で信用できる。(聖書・コーランなど)
8.特に素晴らしい教えや奇跡は無いが、指導者がとびきり優しい。(イエスの方舟)
※注意:信者を操る技術に長けていて、寄付集めがうまい教団もある。

上記の事柄は、普通の凡人にはまずできないことで、カリスマ的な特別の霊的才能が必要です。
宗教の教祖はみなカリスマ性を持っています。イエスも良い教えと奇跡を数々行ないました。釈迦も同様です。有名な(ブランド)宗教はみな、教祖に偉大な伝説的ストーリーがあります。

戦後や最近出てきた新興宗教にも、必ず神がかり的な要素が付随しています。小学校を出てないので字が読めない人が字を突然書き出したとか、そんな話が必ずあります。
        _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 

そういうわけで、私の考えた結論を言うと、宗教的リーダーのカリスマ性の有る無しが、人をその教団の信仰に誘うか誘わないかの分かれ目になっている、と思うのですが。
すなわち《宗教のブランドとは、宗教リーダーのカリスマ性である》ということです。

そして、そのカリスマ性には、宣伝力も大いに関係していると思います。要は信者にそのカリスマ性を盲目的に信じさせる能力が必須であるように思います。これは商品の宣伝広告法と同じですね。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

私は、資料を探すときは、まずネット検索、そして、市区町村の図書館の検索システムをよく利用します。本の内容はAmazonのレビューが参考になりますよ。
キリスト教の教理についてなら、だいたい答えられると思います。遠慮なくどうぞ。

2014/12/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2014/12/22(月) || [edit]

けちゃんさんへ。追加します。

前回、「人々の信仰の対象になる宗教の特徴」について8項目を列挙しましたが、それは救いや平安やご利益など《自分が信じられる宗教》を熱心に探し求めている場合です。

その他に《地域社会が奉じる宗教》という場合もあり、こちらのほうが多いでしょう。

例えば、日本人は釈迦や先祖を仏として祭る仏教徒が多く、イスラム圏はアッラーとマホメット」がほとんどで、ユダヤ人はエホバの神、キリスト教圏では主なる神とイエス・キリストを信じる人が多数派・・・といった具合に、自分が住んでいる地域社会の宗教だから、親や友人みんなが入っているから、だから疑わずに自分の宗教にしていますが、それらの宗教も広い意味では著名なブランド宗教と言えるかもしれません。

ただし日本人の場合、日ごろ熱心に信仰しているわけではなく、ふだんは冠婚葬祭程度の付き合い方です。信仰の教義についてはまるで関心がなく、葬式は仏教で行ない、結婚式は神道でし、キリスト教のクリスマスやバレンタインデーを祝い、ついでにパリ祭も祝い、旅行先の神々に手を合わせる・・・といった具合に多くの宗教概念が曖昧に混在している点が世界では非常に珍しいと言われています。そういう日本人の雑多な多神教的な宗教観を山本七平(イザヤ・ペンダサン)は『日本教』と言って揶揄しています。

購入理由が「前回買ったら良かったから」というのは商品の質に満足したからです。「気にいってるブランドだから」というのも同様です。アップル教の人は、商品の質が気に入っているのに加え、創設者を崇拝視するまでになっているので指名買いしてるのです。

それらの場合は、自分が認めていて大好きだから買っているのでしょうから、それは確かにブランド信仰でしょう。こういう商品を買う人は、質や伝説を求めています。商品の特別のブランド性を好んでいます。それは決して、地域社会で認められていて、親が買っているので、何となく自分も買っているというのではないでしょう。

地域社会で奉じられている宗教と同じく、地域社会の多くの人は(高価なアップル製品ではなく)、安くて信頼の置ける日本製やさらに安い韓国製を買っています。
そういう人はアップル派とは違う志向の人です。商品の内容についてはあまり気にしていません。友人が買っているから、近所で安売りしていたから、たまたまデザインが気に入っただけの理由で買っているのでしょう。

2014/12/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

宗教について
日本人の中でも熱心度は人それぞれありますが、それでもキリスト教徒の大抵の人は頻繁に聖書の言葉を聞き、それを日々に活かしたいと言う思いを持ち、自分の内面をみつめて内なる闘いに、強弱あれど(中にはファンション的に身につけて自己満足の方もいますが、それでも)真面目に取り組んでいると思います。それに金銭の要求はありません。献金はしてもしなくても自由ですし、教会員になれば自分で金額を決めて毎月献金する定額献金と言うものがあります。100円でも何万円でも下限上限はありません。もし経済的な事からしないからと言って請求もされないし、全て自由です。その使い道は明朗会計で教会員が運用し、監査委員に依ってチェックされ総会に於いて最終チェックと正誤がしっかり話し合われます。
神道は国体の為に作られたものと理解しています。今もその町の有力者で構成される組織形態で運営されて、お祭りの神輿に関わる者に新参者余所者は極力排除するのが常です。これが現与党選挙支援組織にもなっているのです。庶民はお祭りを楽しむこともありますが、七五三、年始、商売繁盛など願い事のお札、色んな方法で集金されていますね。ここでは信仰という世界とは違う展開なのではないでしょうか。
仏教はおそらく入って来た当初は純粋に宗教哲学を持った宗教だったと思いますが、政治に利用されながら今のように広がって行く間に、死という人間誰もが逃れられない瞬間に関わる宗教から離れた集金システムが張り巡らされた。
そこには生きるものへのメッセージを本当に語られる機会は殆ど無く、庶民が受けるように出来てません。真宗大谷派(一部不届きものもいます)は別として大抵これが実態でしょう。
むしろ遺族が悲しみの最中でさえ足元を見て法外な金銭を要求するという腐った坊主に悲しみが吹っ飛ぶくらい驚愕する事か!日本人に浸透しているのは宗教とは名ばかりの形式のみで、慣習に頼った集金組織に思えます。寺と墓石業者と葬祭業者と医療の癒着利権構造が組まれてますね。
日本人の大半の人は真の信仰というものを知らないのではないでしょうか。
他はカルトという宗教とも信仰とも言えない代物で、脅しに依る詐欺そのもの或は詐欺まがいの別物で論外ですね。


2015/08/26(水) |URL|carmenc [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
こんな古い記事もよく読んでくださいました。宗教にもお詳しいですね。

キリスト教会では、献金は基本的には心に決めた通りでよいとされていますが、ただ、多く蒔けば多く刈り取るとか、神に喜ばれる行為と言われます。教会の中には旧約時代と同じく十分の一献金を定めている教会もあるようですね。私の母は、教会への寄付は宣教活動をしているのと同じだと言われたそうです。

以前所属していた教団では金額は定められてはいませんでしたが、その代わりに自分の時間や精力すべてを教団に捧げることが要求されていました。こっちのほうがはるかに大変です。末端の会衆(教会)の収支発表は毎月きちんとされていましたが、肝心の本部ではまったく会計発表はされていませんでした。ここに大きな問題があるのですが、末端の信者は本部を信じきっています。

本質的に組織というのは組織を存続させることが第一の関心事で、組織の中枢にいる人が益を得られるような仕組みになっています。宗教が「集金組織」というのはまさしく適切な表現だと思います。この世の沙汰もカネ次第なんですね。

聖書には悪魔は光のみ使いに偽装するとありますが、カルト教団というのは見た目に清く美しく見えるのが特徴のような気がします。カルトかどうかを見破る秘訣とは、やはり何を要求しているかでしょう。真の信仰とか真の愛の実践を要求し実践しているなら、それはカルトに見えても良い宗教のように思います。

2015/08/26(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、こんばんは^^
過去記事にコメント失礼致します。

ものみの塔についての記事を拝読して、☆バーソ☆さんの誠実なお人柄と、人を思うお気持ちに、心を打たれました。
私が昔係わっていた教団は神道系で、基本的にゆるくて自由な所ではありましたが、信者が「やめる」と言うと、他の人たちがその人の事を、「きっと何か悪い事が起こるだろう」と思うようなところがありましたねぇ・・。
宇宙全体の神様だと言いながら、その神社を離れることが、神様を離れることだと考えるのは、ものすごく矛盾していると思いました。

人生観や世界観が変わるということを、私は一生の間に、二度以上は経験すると良いのではないか、と思っています。
たとえば、信仰に目覚めることによって一度変わるわけですが、「これこそ真理だ」と思って、そこで固まりがちですよね・・。
真理の問題については、一言で述べることはできませんが、たとえば、自分にとって必要な教えというものも、人生のいろんな局面で変わっていくものだと思いますし、たとえ客観的にこの上なく正しい真理であっても、それに執着して身動きが取れなくなる事自体が非常に問題で、人間の精神の在り方として健全とは言えないのではないかと思います。
一度、「これこそ真理(真実)だ」と思った事を、もう一度離れられるようにならないと、自由な精神を得ることはできないのではないか、という気がします。
勿論、それはただの相対主義ではないし、その時々で信じるものがあって良いと思うんです。
ただ、いつでも離れられるというのが大事かなぁ、と・・。
☆バーソ☆さんの事をろくに存じ上げずに申し上げるのは失礼かもしれませんが、こちらのブログのタイトルやサブタイトルには、☆バーソ☆さんのそうした自由な精神が現れている感じが致します。

L.V. は、ビニールですよねぇ。
カッコ悪いので、私は貰っても持ちたくないと思いました。
まあ、誰もくれませんでしたけどね・・笑

すっかり長くなってしまって、すみません。

2015/10/14(水) |URL|Ariane [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん 過去記事も読んでいただき、ありがとうございます^^)
私が昔係わっていた教団は神道系で
 私も母の影響で高校から大学の頃、谷口雅春さんの本をよく読みました。
 いろんな教えを混合したような感じで、なかなかいいのですが、人間は神の子(だから病気は薬を飲まなくても治る)というのと、天皇崇拝の思想が宗教的に狭いような気がして、どうもなじめませんでした。

人生観や世界観が変わるということを、私は一生の間に
二度以上は経験すると良いのではないか
 卒業し結婚してからすぐ、男の伝道者が家にやってきて家庭聖書研究を勧められ、そのご夫婦と、こちらも夫婦で聖書を教えてもらうことになりました。
 すごく俗世から離れている純粋な男性で、その人柄に打たれ、自分もそうなりたいと思い、集会に行くようになりました。教団は清貧で誠実で、こんな教団は他にはないだろうという自負と喜びがあり、ずいぶん長く居ましたね。
 その間、一日も休みなし、一切遊びなし、海外はおろか国内旅行もなし、テレビも映画も見ず音楽も聴かず、子供も作らず、過労で大病もして、まあ、熱心に《真理に打ち込み》ました。でもネットのおかげで目が覚めました。

一度、「これこそ真理(真実)だ」と思った事を、もう一度離れられる
ようにならないと、自由な精神を得ることはできないのではないか
という気がします
 そうですか。私も一時は愚かな選択をしたなあとかなり悔やんだのですが、その後、自分には必要な経験だったのだろうと思えるようになりました。

L.V. は、ビニールですよねぇ
カッコ悪いので、私は貰っても持ちたくないと思いました
 L.V.がイヤなのではなく、カッコ悪いのですか。おお、さすがです。ひと頃は電車に乗ると若い女性の5人中、4人ぐらいが持っていましたね。
 本来ひとが持っているようなものは避けるのがファッションの正統的な考え方だと思うのですが(特にデザイナーの方はそうでしょう)、ひとが持っているから自分も持ちたいという意識も一般にあって面白いものですね。

2015/10/15(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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