「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 天の声、地の声、人の声。その玄妙なる調和を聴く幸福。 


世界には「声」が三つある。

天の声、地の声、人の声だ。


人は、地の声、人の声は聞いている。
だが、天の発する声を聴いている人はあまりいない。



adandeliojpg.jpg

※photos by pixabay.com.



宙の叡智を語っているのが天の声だ。

きらめく星々は、根源者の無限のエネルギーを語り、
大空は、その霊妙なる業を示す。
昼は昼に創造の不思議を伝え、夜は夜に恩寵の言葉を送る。
耳には聴こえなくても、その声は世界の果てにまで響き渡っている。



地の鼓動を知らせているのが地の声だ。

木々の葉の間を過ぎる風。ビルの谷間を抜ける風。窓の隙間を通る風。
さわさわさわっ、ごーごーっ、ひゅーひゅーぴゅーう。
地が息を吐けば世界は騒ぎたち、息を止めればひっそりと静まる。
風の音は、万象が多様な形で実存していることを示している。



dan0.jpg



がいない森で木が倒れたら、音は聴こえないという。
空気の振動を音に変換する聴覚器官がなければ、音は聴こえない。

認識する主体が存在しないなら、音は存在しない。

存在するとは、知覚されること。

ならば、自分がいなければ世界は存在しないのか。



aandelp.jpg



口は一つなのに、耳が二つあるのは、
自分が話すことの二倍、ひとの話を聴きなさいという意味だそうだ。

イエスの得意の語り出しは「聴く耳のある者は聴きなさい」だった。


天の声は常に発せられているが、
心の耳をそばだてる者だけが探知できる仕掛けになっている。

自然の神秘に驚嘆し、その恵みに感謝する心で、
その声は聴けるようになっている。



aaadajpg.jpg



天の声、人の声を、心を静めて聴ける人は幸いだ。


地のさまざまな雑音を、協和音として聞ける人は幸いだ。





―――――――――――――――――――――――――――――――――
上学は神で聴き、中学は心で聴き、下学は耳で聴く。(荀子)

精神を集中して聴くのが最上。心に留めて聴くのは当たり前。耳で聞くだけは学びではない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※写真はフリー画像を拝借しています。

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ブラボー!

(*′☉.̫☉)……う、う、美しい!
心に深くしみわたります。
静寂の中で、天から降りたような珠玉の言葉たち……。

冗談おいて、詩人バーソの感。(^_^ ;)

タンポポ画像のチョイスも素晴らしい!
最初…………個性的な人々。
その次……旅立ちの瞬間(とき)を待つ。
三番目……世界を巡る。
最後…………命の在り様を観る。
な~んちゃって、言葉と画像がベストマッチ。

“地のさまざまな雑音を、協和音として聞ける人は幸いだ。”
これは覚者の精神域……大好きです。

超理論的なバーソさんと、
シンプルなバーソさんの融合を感じて、
マジ、感動しましたよ!(*^▽^*)

2017/07/08(土) |URL|風子 [edit]

天の声

バーソ様
おはよう御座います。

天の声を聴くことが出来ない私ですが最近韓国時代劇などで良く耳にするフレーズです。
王は誰が決めるのかということが常に出てきます。
民であれば問題ないのですが王の世襲か重臣の思惑で決まっていることが殆どです。
そして都合よく天が決めたなどと言っています。
北朝鮮の金王朝もいまだにそんな感じですね。

愛新覚羅

2017/07/08(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: ブラボー!

楓子さん コメントありがとうございます^^)
 タンポポ画像の注解。よくぞ考えてくださいました。なるほど、そうか、と思いました。 
 絵の感じ方は、人それぞれでいいのでしょう。別にイメージが固定されているわけではありませんから。
 ちなみに私はですが、最初の黒バックのは宇宙のイメージ。次は風のイメージ。その次は意識がなければ存在がなくなる。最後は命の有様といってもいいですが、私としてはそれにプラスして協和音のつもりでした。でも楓子さんのほうが精神世界的ですね。

 なお、「天の声」については元が旧約聖書にあるのです。詩編19編にある聖句をアレンジしたのですね。

 この話は、天の声、地の声、人の声の他に、心の声を聴く回路の話ですから、魂の声とか内奥の声という言い方を加えて、もっと説明しても良かったかもしれません。

> 地のさまざまな雑音を、協和音として聞ける人は幸いだ。
 良かったですか。じつはここはずいぶん考えたのです。
「協和音」という言葉が一般的でないですし、「和音」「美音」じゃおかしいし、ちょっと他にまとめようがなくて、こうなりました。
 この詩もどきは、私なりの信仰が出ていると思います。唯物論の方には全然ピンと来ないと思いますが。

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 天の声

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 最近韓国時代劇などで良く耳にするフレーズです。
王は誰が決めるのかということが常に出てきます。

 そうなんですか。政府のことを江戸時代は「お上」と言いました。上にいる人は、とかく偉そうに「天の声」と言いたくなるのでしょうか。

 新約聖書に、時の支配者ヘロデの発言を「あれは神の声だ、人の声ではない」と群衆が叫び始めたときに、神のみ使いがヘロデを撃った。それは彼が神に栄光を帰さなかったからだ、という記述があります。

 隣りの独裁政権の国でも、そういうことがあればいいのですが、やはり力の支配には大国でも敵わないところがありますね。

 何よりも人間崇拝は愚かしいという認識を持てばいいと思いますが、あの国では情報統制されているので、仕方がないことがありそうです。かわいそうなものですね。

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様、こんにちは

今、こそっとリビングバイブルを買いました
中古で229円が650円で送料なしなので新品を買うよりも安く済みました
感謝します

それより、今回の記事も素晴らしく、また写真も圧巻でした
詩人ですねと何度言えば宜しいのでしょう(笑)
薫子が、一番感銘を受けた言葉は
天の声 、人の声を、心沈めて聴ける人はさいわいだとその下の地のさまざまな雑音を協和音として聴ける人は幸いだです
薫子も、かくありたいですが、、そこまで生きとおす
まで時間が要るでしょうね(笑)
イエス様は素敵です
薫子に試練も与えられますが、、ほんの少しの奇跡も多く与えて下さるお方だと思います

2017/07/08(土) |URL|薫子 [edit]

こんばんは

壁に貼るかPCの壁紙にしたくなるような哲学的で
思索に富むいい文章ですね。
天の創造の音(成り立ち)は科学者にまかせても
太陽からくる磁気嵐の音、木星の嵐、土星の輪をくぐる
衛星の音・・・、いつかは聞いてみたい。

なるほど言われてみれば聴く人がいなければ音はないに等しい。
自然の中で無音の営みが無限に繰り返されているんです。
風で揺れている木々や草花を動画で見るのが好きです。
自分がいないその世界でも風が吹き世界が動いていることを
想像できるからです。
雨や雪、風に揺れる草花を撮ってもすぐ動画は終わってしまいます。
20秒ほどビデオに撮り、Gif化してやればエンドレスに再生できます。
私のデスクトップではずっと雪が降り風が吹いています。(笑)

2017/07/08(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

薫子さん コメントありがとうございます^^)
 いい程度の聖書が届けばいいですね。最初はマタイからですね。
 一日なんページと決めないでも、読み始めたら、普通の伝記物語を読むように、すうーと通して楽に読めると思います。
 まずマタイを読んでイエスのした話などが大体、頭に入ったら、次はマルコですね。マルコはマタイの短縮版のようなものですから、これもすうーっと読めると思います。
 次はルカですが、マタイとほぼ同じながら、ちょっと違う話も含まれているので、これもぜひ読みたいものです。その後はヨハネでもどこでもいいですが、ヤコブもいいでしょうね。

 さて、私の書いた文章と選んだ写真を褒めていただいて、うれしいです。良かったのは、最後の二行でしたか。そこは、結論のところですかから、結論がよかったと言われるのは、うれしい限りです。

 イエスは少しの奇跡も与えてくださると思っていますか。そういう信仰もいいことですね。ただし、神は人間に試練を与えることはしないと聖書に書かれていますよ。(コリント第一10:13)
 なので、神やイエスから試練が自分に来ることはないと思ったほうがいいでしょうね。何かあったときは自分の成長のためにある、その試練をくぐりぬければ一段と人間性が上昇すると思うのはいいことですが。(^^♪

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 おおー、「壁に貼るか、PCの壁紙にしたくなるような」ですか。文学にも詳しいエリアンダーさんにそう言われると、すごくうれしいです。

> 天の創造の音(成り立ち)は科学者にまかせても
太陽からくる磁気嵐の音、木星の嵐、土星の輪をくぐる
衛星の音・・・、いつかは聞いてみたい。

 なるほど。そういう音もあるのですね。磁気嵐と言われると、ザアーザアーというノイズを想像してしまいます。土星の輪をくぐる衛星の音は、ガツンゴツンと小さな岩がぶつかっている音を想像します。
 ビッグバンのときはどんな音がしたか。たとえ人間が存在していても絶対に聞けない音なんでしょう。「オーム」というマントラは宇宙のすべての音を含んでいるのだとか。音はエネルギーつまり動くもの―――それは生命と同義―――があることの表明であり、証拠なんですね。

 私も草原の葉が風にそよいでいるような動画は好きです。動物が出てきたり、天気の変動が起きたりしないでも、草がそよそよと動いているだけで、生命の不思議な営みを感じます。見ていて飽きないですね。

> 自分がいないその世界でも風が吹き世界が動いていることを
想像できるからです。

 そうですか。これも思索的な感想ですね。自分がいない世界なんて、かつては想像するだけでも怖ろしくてたまりませんでしたが、いまはそういうものだと思えるようになりました。

 そのうち、草花の風で揺れるシーンを動画で撮って、Gif化のエンドレスに再生になるようトライしてみます。

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

天は豪雨を降らせて諌め、地は鳴動し、地震をもって人々に警告しています。
「裁きの時はきた。汝悔い改めよ」とね…今も昔も預言者の声は、政治家先生を始め、人々には馬耳東風。
ヤジと罵声しか聞えないようです…こんな時代を生きてみると、なぜ正論を述べたイエスが磔になったのか?よく理解できます。
私には、人々のヤジや罵声だけでなく、天の声も、地の声もちゃんと聞こえてるんですけどね(嘆)

2017/07/08(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 確かにこのところ、異常な豪雨や地震など、天災が多いですね。日本人のモラル感は世界トップレベルだと思っているのですが、日本にばかり天災が多いような気がします。自然災害は地球が悲鳴を上げている叫びだという話があるのですが、なぜ日本に多いのかと思います。

 政府も地方自治体も、さして必要のないテーマ館などの建物を造るよりも、河川の氾濫や台風の被害を避けることに最大の努力と金を使ってほしいものだと、このところの九州の災害を見て、つくづく思います。

 「民の声は神の声」というラテン語の格言があり、独裁国家では必須の格言です。しかし昔、大衆は半分は利口、半分は馬鹿だと言った政治家がいましたが、その通りで、大衆が無知だというの場合もあり得ますから、「民の声」が国家と国民を破滅へ誘うこともありそうです。

 昨日だったか、かなり驚いたのは、東京都の自民党の議長だったかの人が落選した。その原因は、小池百合子が知事になったときのあいさつ回りのときに握手をしなかったからだと報道されていましたが、じつは握手はしていたのだが、あるテレビ局がその部分をカットして編集して報道したので、握手を拒否したように見えたというのが事実だったそうで、その局の謝罪も一応あったそうです。こういう話を聞くと、報道も信用できず、民の一人としては何を信じたらいいのかと思いますね。

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

わたしなりの感想を書かせてもらいます

こんばんは、バーソさん
コメント書かせてもらいますね

> 世界には「声」が三つある。
> 天の声、地の声、人の声だ

これは、そうだなって思いましたけど
わたしの感覚では、人の声が、
心の声となると思いました
人を動かすのは、やはり心の声であると
しかし、心の中に幾度となく言っくる声は、
聞いたことは良くありましたが、
心の中に言ってくる声は、
良くないことをいうことが多く、
わたしの経験では、最終的には、
自分の発している声を信じることになります
やはり、天の声、地の声、人の声なのかもしれません
人の声は心の声だと、わたしは思いました
そうすると論理的に正しいと思います

> 人は、地の声、人の声は聞いているが、
> 天の発する声を聴いている人はあまりいない。

わたしなりの、天の声に対しての
考えをいいますと
天の声を聞けるかどうかは、
自分の置かれている環境にもよると思いました
自分が聞く環境を作っていなければ、
おそらく、天の声はきこえない
人が作った環境で人の思うようなことばかり
聞いていては聞こえないものだと思いました

> 宇宙の叡智を語っているのが天の声だ。

> きらめく星々は、根源者の無限のエネルギーを語り、
> 大空は、その霊妙なる業を示す。
> 昼は昼に創造の不思議を伝え、夜は夜に恩寵の言葉を送る。
> 耳には聴こえなくても、その声は世界の果てにまで響き渡っている。

宇宙の叡智とは、と言われると
自然そのものかなと思いました
人間の作ったものは、自然の上に成り立ち
自然がなければ、作ることすらできない
自然の力を借りて、生きていることを自覚したとき
宇宙の叡智は静かに語り掛けてくるのかなって思いました

> 大地の鼓動を知らせているのが地の声だ。

> 木々の葉の間を過ぎる風。ビルの谷間を抜ける風。窓の隙間を通る風。
> さわさわさわっ、ごーごーっ、ひゅーひゅーぴゅーう。
> 地が息を吐けば世界は騒ぎたち、息を止めればひっそりと静まる。
> 風の音は、万象が多様な形で実存していることを示している。

これは、そのままだと思いました
大地の息吹かなと

> 人がいない森で木が倒れたら、音は聴こえないという。
> 空気の振動を音に変換する聴覚器官がなければ、音は聴こえない。

これは、どこかであったような感覚です
昔見たことがある光景なのか
どこかで見た映像なのか
脳裏にある感じがします

> 認識する主体が存在しないなら、音は存在しない。
> 存在するとは、知覚されること。
> ならば、自分がいなければ世界は存在しないのか。

バーソさんが昔思われていた感覚に少し似た感覚を
昔、わたしも持っていたことがあります
わたしがいることが自然だという感覚
ここに書かれているように
自分がいなければ、音は聞こえない
これは、最もだと思います
わたしの見ていない世界の音は
全く聞こえないと思いました

> 口は一つなのに、耳が二つあるのは、
> 自分が話すことの二倍、ひとの話を聴きなさいという意味だそうだ。
> イエスの得意の語り出しは「聴く耳のある者は聴きなさい」だった。

これについては、わたしなりの考えがあります
耳は二つありますが、塞ぐ手も二つあります
わたしの今の感覚としては
聞く必要があることは聞いても、
聞かなくてもいいことは
聞かなくてもいいかなって考えです
聞きすぎると疲れてしまうことがあると
いう思いから来ています

> 天の声は常に発せられているが、
> 心の耳をそばだてる者だけが探知できる仕掛けになっている。
> 自然の神秘に驚嘆し、その恵みに感謝する心で、
> その声は聴けるようになっている。

天の声と少し近い話で、
天候の話しに持っていきますが、
天候の管理には厳しい存在がいると
いうことを最近知って
ああ、そういうことかって思ったことがありました
世界はおそらく何かの意識体のもとで動いている
そんな感じが最近するようになってきましたけど
その意識体の更に奥に何かがあって、
その何かが世界に干渉し始めたのかなと
今、書いていて、ふと思いました

> 天の声、人の声を、心を静めて聴ける人は幸いだ。

天の声を心を静めて聞けても
人の声を心を静めて聞く余裕が
今のわたしには欠けているような気もします
それはそれでいいのかなとも思いました

> 地のさまざまな雑音を、協和音として聞ける人は幸いだ。

雑音を協和音として聞けたら
幸いだとわたしも思います
どちらかというと、バイクの音よりは
風の音のほうが心地よいのは確かだと思います

わたしの考えと組み合わせて
バーソさんの言われる考えを繋げてみると、
天と地と人(心)の声は
繋がっているかなって思いました

わたしなりの感想を書かせてもらいました
良い文を読ませて頂き、ありがとうございました

わたしの思っている天の声と
少し違っていたのが印象的でした
わたしの思う天の声は、
澄んだ白い感じの声や、
綺麗な小鳥のさえずりにも
似た澄んだ感じがしています
なにかしら、心に響く声音を
持った存在かなと思っています
自分に語り掛けてくるその声は、
おそらく、意味があって
語り掛けてきていると思うからです

2017/07/08(土) |URL|真 [edit]

Re: わたしなりの感想を書かせてもらいます

真さん コメントありがとうございます^^)
 あー、よく考えた長文の感想文で、うれしいです。
 時間が掛かったでしょう。
 でも私のほうも、ちょっと以上考えないと書けません。
 今は夜10時です。今晩中に返コメを書くのは、ちょっと無理です。

 明日のお昼までに書きますから、少し待ってくださいね。(^^♪

2017/07/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/07/09(日) || [edit]

Re: わたしなりの感想を書かせてもらいます

真さん コメントありがとうございます^^)
 
> 心の中に言ってくる声は、
良くないことをいうことが多く、

 自分の心の中でしゃべっている声は、二つあるように思います。一つは、こんなことをしたらいけないよという咎めの声。もう一つは、このぐらいはいいじゃんという釈明の声。この釈明の声のほうが強い人がいるので、モラルや修身など、倫理の教えが必要だと言われます。
 でも人の口から出る言葉は内面から、すなわち心から出るので、人の声は心の声だとも言えるでしょう。

> 天の声を聞けるかどうかは、
自分の置かれている環境にもよると思いました

 そうですね。街なかでは、夜は照明のせいで、満天の星や天の川は見ることができません。また昼間の景色を見て、自然界の叡智を考えることなども難しい環境になっていますね。現代人は《自然》から離れすぎていて、自然の声が聴こえなくなっていると思います。

> 少し似た感覚を昔、わたしも持っていたことがあります
わたしがいることが自然だという感覚
ここに書かれているように
自分がいなければ、音は聞こえない

 真さんはその種の感覚が繊細ですね。そんな感覚があるのですね。普通の人は、なかなかそういうことまでは思いが行かないと思います。

> 耳は二つありますが、塞ぐ手も二つあります
 なるほど。そんなことは思ったことがなかったですが、でも聞きたくない音は、聞かないほうがいいのはよくわかります。勝手に聴かされるのは困ります。でも、いつもいつも同じことを聞かされていると、それが当たり前になってくる怖さもありそうです。

> 世界はおそらく何かの意識体のもとで動いている
そんな感じが最近するようになってきましたけど
その意識体の更に奥に何かがあって、
その何かが世界に干渉し始めたのかなと

 うーん、そうですか。これは真さんの世界です。モノにはすべて意識がある。人の小さな細胞にもある。岩にもそれなりの意識がある。地球も大きな意識体で、さらにもっと大きな意識体があってもおかしくないのでしょう。地球はアセンションの時代に入ったと言われてますし。

> 天の声を心を静めて聞けても
人の声を心を静めて聞く余裕が
今のわたしには欠けているような気もします
それはそれでいいのかなとも思いました

 あ、私もそうですね。

> どちらかというと、バイクの音よりは
風の音のほうが心地よいのは確かだと思います

 多気筒エンジンの高回転音などは美音に聞けることがありますが、夜中のけたたましいバイクの音は不快に聞こえます。音の大きさに加え、乗っている人の悪意も感じるからでしょう。

> わたしの思っている天の声と
少し違っていたのが印象的でした
わたしの思う天の声は、
澄んだ白い感じの声や、
綺麗な小鳥のさえずりにも
似た澄んだ感じがしています
なにかしら、心に響く声音を
持った存在かなと思っています
自分に語り掛けてくるその声は、
おそらく、意味があって
語り掛けてきていると思うからです

 そうですか、そういうものと感じているのですね。このたびは、天の声は特に空の星々に絞って書きました。地の声はモノの隙間を通る音に限定して書きましたが、その他には滝の水音や鳥のさえずりや海の波のしぶきの音など、いろいろあると思います。それらは、心で感じて聴くものであり、理性で推量して聴くものでもあるのだろうと思いますね。

 長文の感想をありがとうございましたね。(^^♪

2017/07/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか、写真と結びの二行がよかったですか。
 そう言っていただけると、私としてもすこぶる幸いだ、です。(笑)
 
 イエスは「聴く耳を持つ者は聴きなさい」と述べました。人は誰でも耳を持っているのですが、大事なことを聴く耳は持ってない。もっと心して大事なことを聴きなさいと言われているのですね。

 羅漢の耳が大きいのは徳を積んだせいですか。よく「福耳」と言われて、釈迦や仏教の高僧などに耳の大きい人がいますが、西洋の宗教家には耳の大きい人は見たことがないような気がします。浅田真央さんも耳たぶが大きかった気がします。私は小さいほうですね。困った。(笑)

2017/07/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

音は波動なので、皮膚で感じることができる。
温かい音や冷たい音、柔らかい音や硬い音。
皮膚を持たない魂だけの存在だとしても、
魂で感じる音もあるかもしれない。

自然の中に全身を投げ出してみたい。
全身で音を感じてみたい。
街中の騒音に現在を感じて今を生きるのも、
これはこれでありだな、とも思う。



ご連絡
演奏会のプログラムを「番組表」といいます。
一つ一つの演目を「番組」といいます。
だからテレビで視聴できる番組には私出ていないのです。
ごめんなさい。

2017/07/09(日) |URL|宝香 [edit]

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2017/07/09(日) || [edit]

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2017/07/09(日) || [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 音は波動なので、皮膚で感じることができる。
 なるほど、肌で感じる音というのがあります。だから、これは凄いっと感じる音を聴いたときに、鳥肌が立ったり、身体が震えたりするのでしょうかね。

 人は「温かい音や冷たい音、柔らかい音や硬い音」という言い方をよくします。音は耳で聴いて、頭脳で瞬時に咀嚼し、これはどんな音かを考え、その印象を、自分の既知のなにかの感覚か、あるいは知っている何かのモノに置き換えて、頭脳にフィードバックしているのじゃないでしょうか。
 だから、ある音にシャープな印象を受ければ、「冷たい音」とか「氷のような音」、あるいは「凍り付くような音」といった比喩を思い付くのでしょう。その言葉が皮膚感覚と同じ場合が多いというのも面白いことですね。やはり人間の五感で言える形容の言葉がいちばん分かりやすいからでしょうか。

 確かに「魂の音」と感じるような名(生)演奏もありますね。高価でないオーディオで聴くCDではあまり感じませんが。

 大自然の音を感じることもあれば、街中の騒音の中に身を置いていたいこともある。そうですね。私は、普段は都会で、時々自然というのがいいですね。といって別荘を持ちたいと思ったことはありません。思っても無理なんですが。(笑)

 そういえば番組表と言いましたね。YouTubeで見る方法はないのですか。(^^♪

2017/07/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 聖句を思い出しました。イエスの言葉ですが、こう言っています
 「わたしの羊はわたしの声を聴きます」、「よその者には決して付いて行かず、むしろその者からは逃げるのです。よその者たちの声を知らないからです」(ヨハネ 10:27,5)
 「わたしの羊」とは、イエスに従う者という意味です。

 またステファノは、自分を殺そうとするユダヤ人にこう言っています。
「かたくなで、心と耳に割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に抵抗しています。あなた方は、父祖が行なったとおりに行なうのです」
(使徒7:51)
 割礼とはある部分を切除すること。なにかのメッセージを聴く際には、心も開く必要があるのですね。

 物理的な耳は、人は皆が持っていますが、ある種の声を聴ける人は、この聖句では、信仰が関係していることを示唆しているようです。
 いい鋸が木材を切る音は大工さんがよく聴き分ける。ヴィオリンの名器の音は音楽家がよく聴くことができる。霊的な声は心がそういう方向に向いている人がよく聴けるのでしょう。

 と言っても直接に天の声が聴こえる人は稀で、大抵は思いの中で、聴けているなあと感じていることが多そうです。聖書も後者の《聴こえ》のことを言っていると思います。

2017/07/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

姿変わり名変われどそれはそれ

 輝く星に、吹く風に、寄せる波に、姿は与えられ名は与えられる。ある場所では星は女神となり、ある場所では風は翼となり、ある場所では波は魚となる。雷雲はある所で英雄となり、火はある所で竜となり、闇はある所で王となる。人のある場所でそれらは神となり、神は人々の上に君臨した。人の住む所に神が在り、姿を変え、名を変える。神とは人の想いが生み出した存在であろうか。しかし、人無き荒野にも星は輝き、人無き氷原にも風は吹き、人無き海原にも波は流離う。

2017/07/09(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 姿変わり名変われどそれはそれ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 うーーーーむ、すごい。何と言っていいやら。困った。こういう詩文を書かれると困るんです。返コメを書きようがない。人の気も知らないで。ったく。(^_-) 
 しかしまあ、見事なものです。できれば行変えをしてほしかった。そのほうが決まった。が、バーソに恥を欠かせまいとして、あえてそうしなかったのか。そうなんでしょう。うーむ、書くのに、何時間ぐらい掛けたのでしょう。いや、たぶん何十分かで書けたのでしょう。それにしても、たいしたものです。
 
> 人のある場所でそれらは神となり、神は人々の上に君臨した。人の住む所に神が在り、姿を変え、名を変える。神とは人の想いが生み出した存在であろうか。
 ここを見ると、今回のために書き下ろした本邦初登場の詩文のようです。いつか、どこかで書いて保存していたものではなさそうです。ありがたや、ありがたや。
 この最後は「あろうか」と「か」を付けて、気を使っているのに気付きましたが、実際この通りだと思いますね。一般の宗教が教えている人格神とは、人の思いが生み出したものだと思います。

 古代の人々は、嵐や大波や火山の噴火などの自然の驚異を見て、人間の知恵と力をはるかに超えた《超存在》のようなものを感じ、それを人間の偉大なスーパーバージョンとして考え出したものが、いわゆる人格神だと思いますね。
 ただし神は君臨するものだとしたのは、地上の人間の支配者が人民の上に君臨しているのを見て、ならば神はもっとそうあるべき存在だろうと推測して、だんだんと崇拝対象に祭り上げられていったのでしょう。

 もし宗教が教える人格神が宇宙の偉大で愛のある創始者であるなら、ちっぽけな人間から仕えてもらう必要などないでしょうし、仕えられなければ不快になり、仕えられればご満悦になるなんてこともないはず。

 宇宙の偉大なものを「神」として感じることはいいのですが、いろいろ決まりや儀式をくっつけ、専用の神殿を造り、祭司を置き、人々から賽銭・寄付類を受け取るシステムにしたのは、明らかにそれで利益を受ける連中です。すなわち時の政治指導者と、協力してうまい汁を吸う宗教指導者です。宗教の神々は特権階級が造り上げていったのでしょう。

 いつの時代も一部の特権階級が人々から利得を巻き上げている構造は大昔から変わりません。宇宙にそんな崇高な人格(属性)を持つ神が存在するなら、欲深い愚かな人間は困ったもんだと思っているでしょう。

 いい詩です。本当に。ありがとうございました。(^^♪

2017/07/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

今回は、バーソさんのお写真でないのが残念ですが、文章と合っている写真を選んでいらっしゃると思いました。

面白いなぁ、という気がしたのは、「声」について語られているのに、音のない世界にいる感じがするところです。

「天の声」は普通、心の内で聴くものだと思います。

2017/07/10(月) |URL|Ariane [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/07/10(月) || [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん コメントありがとうございます^^)
 写真が合ってましたか。よかったです。今までの人生は年中まったく休み無しのために忙しすぎて、写真は知り合いの人を記念写真的に撮るぐらいの経験しかなく、風景や花の写真などはまず撮ったことがないのです。なので、ひと様にお見せできるレベルではなく、写真を載せてもカテゴリは「カメラ」としています。「写真」というカテゴリは拙ブログには無いのですね、と写真の下手さの言い訳をします。(^^ゞ
 
 > 「天の声」は普通、心の内で聴くものだと思います。
 はい、地の声と人の声は文字通りの音ですが、天の音は無音です。
 「天の声」の部分は聖書の詩編19編を元にして書いています。そこでは無数の星などの自然界の畏怖べき事象を見ている人間が、その背後にある偉大な叡智を感じて、その啓発されたような感覚を、天があたかも声を出して語っている(ようだ)と隠喩で綴っています。天は「自然」という書物を通して(無言で)語り掛けているのだと語っています。
 そして以前であれば私は、さらに神は「聖書」を通しても語り掛けている、と言ったと思います。
 しかし現在は、神たる存在はいろいろな方法で語り掛けていると思います。たとえば沈思黙考で、瞑想で、座禅で、真摯な祈りで、ふと耳に聞こえてくる音楽で、たまたま読む詩や本で、誰かがしゃべっている言葉を通して、天の声は聴くことができる。その天の声を聴く方法は、人によって、理性で、感覚で、直観で聴く場合がありそうです。

 美術館で素晴らしい芸術作品を見れば、それを描いた画家は素晴らしい才能を持っている、とは誰でも思考を働かせればで分かります。あるいは自分の感覚や感性で気づきます。そして、たまに絵を見た瞬間にピリリと来て鳥肌が立って感動する人もいるでしょう。そのような、特に感覚の鋭敏な人は特に「心の内で聴く」と言えるのでしょうか。そういうふうに天の声を聴ける人は「幸いな人」だと思いますね。(^^♪

2017/07/10(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。良かったですね。がんばって、と言うより、楽しみながらそうできればいいですね。
 なんでもそうですが、何かをするときは、無理してまですると、楽しくないので続きません。長続きさせるためには、自分はいいことをしているという気持ちも役立つかもしれないですね。(^^♪

2017/07/10(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

世界には「声」が三つある。

天の声、地の声、人の声だ。

なるほどと思います。

人の声は、耳で聞く声と心で聴く声があるかと思います。または、声なき声を聴くことも可能です。

人の声ほど「信憑性に欠けるもの」かも知れません。

しかしながら、雑音を雑音として片付けられないこともあります。

本音を見透かしながら、聴こえない耳で聞いているのです。


耳は2つ、口は1つですね。

ああ、反省しなければなりません。
無口なので・・・。
あ、いや六口でした。

ああ、でも左耳が聞こえづらいので、1対1ですね(^_-)-☆

地の声は、自然界の戒めのように聴こえます。優しい時もあれば、怖いこともあります。
人間が自然界までも支配することは、不可能ですから。

人間は、全ての生き物の頂点と思い込み過ぎることは非常に危険だと思います。

常に謙虚さが求められると思います。

天の声は、突然の聴こえる場合が多いです。
信仰心の薄い私ですが、たぶん突然です。

ううん、これは天の声ではないかも知れません(*^_^*)

これは、ふわっとしておきます。

意味不明な内容になってしまいました。

きっと、バーソ様なら美しくまとめてくださることでしょう。

うふふ。

2017/07/11(火) |URL|Miyu [edit]

Re: こんばんは

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 人の声は、耳で聞く声と心で聴く声があるかと思います。または、声なき声を聴くことも可能です。 
 「声なき声」は何となくわかります。弱者が助けを呼び求めるときの叫び声なんていうものがそうでしょう。人の声を心で聴くとは、相手の本音を見透かす、あるいは内心の苦しい感情までくみ取る、ということでしょうか。Miyuさんはそういう人の悩みを聴く仕事を毎日しているのでしょう。よくやってますね。

 左耳が聴こえづらかったでしたか。そういえば以前聞いたことがあるような、ないような。でも私と同じですよ。私は、検査では左耳は、低音部が若干聴こえづらいのだそうです。目はいいのですけどね。
 
> あ、いや六口でした。
 あははは、口八丁、手八丁みたいですからね。これは私とは正反対。私は一口どころか、無口のほうですから、Miyuさんと口げんかしたら、敵いません。たぶん腕力でも。脚力でも、蹴飛ばす足力でも。(冗談ですよ。あの細い脚では無理です。(笑)

 確かに「地の声」は、戒めでもあり、優しさでもあり、人類の精神態度によって、どちらにでもなりそうです。最近は警告の声のほうが多いみたいで、予想もしない災害が増えていますね。

 天の声が聴こえる人は、特別な人。恵まれています。突然聴こえるのですか。それは心の耳に天から直接聞こえるのでしょう。
 ある人がこんなことを述べています。 「人のあるべき態度は、神を《見る》ことよりも、神の声を《聴く》ことである」。
 聖書では、神がイスラエル人に対して、「聞け、イスラエルよ」という呼びかけで、いつも教訓的な言葉を語っています。人間もひとの声をよく聞く謙遜で素直な態度が大事なようですね。

2017/07/11(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

神は、特定の宗教や思想を信じる人にではなく、
誰にでも等しく現れているように感じます。

下記のジョークは、
神というものの現れ方を示唆しているようで、
面白いなと思いました。

ある敬虔なクリスチャンの男が川沿いを散歩していると、誤って足を滑らせ川に落ちてしまった。
岸に向って必死に泳いでいたが、流れが急で全然進まない。
すると、そこへ偶然にもボートが通り掛かり、助けの手を差し伸べるとその男はこう言った。
「いや、大丈夫。私には神様がついている。神様が助けてくれるから、助けは必要ない」

しばらくすると、また別のボートが通り掛かり、同じように男を助けようとした。
「私のことは神様が助けてくれるから大丈夫だ。さぁ、行ってくれ」
しかし、結局男はそのまま力尽き、死んでしまった。

天国に着いた男は神様に会うとすこし怒りながら尋ねた。
「神よ、どうして私を助けてくれなかったのですか?」

神は言った・・・
「何を言っておるのだ?2回も助けのボートを出したではないか・・・・・」

2017/07/12(水) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 神は、特定の宗教や思想を信じる人にではなく、
誰にでも等しく現れているように感じます。

 ああ、Korvaさんらしいコメントです。
 世の中には、神の声を全く感じない人と、よく感じる(聴こえる)人がいます。そしてその中間の人が多いのですが、天の声らしいメッセージが聴こえたときに、それが神の声だか、自分の第六感だか、勘違いだか、あるいは妄想だか、よく分からないという人もいると思います。

 直観とはインスピレーション、すなわちスピリット(霊)が内側にイン(入る)ことをしてきた考えと思ってもいいようですが、しかしながら人間はたいてい理性による判断のほうを優先しますね。科学万能時代になり、だんだん霊的な感覚が鈍ってきているのでしょう。

 ジョークですね。また私に合わせていただいて、ど~も。(^_-)
 そうです。こういうふうに、たまたまのように、その辺にいる人間を通してでも、神は語っているという場合も多いと思います。この場合の神とは、自分の信じている神だと思っている人もいますし、じつは守護天使や守護霊、ハイヤーセルフだと考えている人もいます。

 こういう事例は、そのときには分からないですが、だいぶあとになって、ああ、そういえばあのとき、不思議にああなったのは天の導きだったのだろうなあ、と思える場合もかなりあると思いますね。

2017/07/12(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おひさしぶりです

バーソさんの記事あまりに素敵過ぎて涙が出てしまいました

バーソさんの記事からはいっぱい学ぶことが多いです、ありがとうございます。これからも楽しく拝読させていただきますね

2017/07/14(金) |URL|ちー☆ [edit]

Re: おひさしぶりです

ちー☆さん コメントありがとうございます^^)
 お久しぶりです。ちー☆さんとは名前に☆が付いているのが共通点。縁があるようで、うれしいです。(^^

> 記事あまりに素敵過ぎて涙が出てしまいました
 本当ですか。そうなら、すごくうれしいです。長くブログをやってきましたが、涙が出たというのは言われたことがないような気がします。 
 今回の文章は、神か、あるいは神のようなものか、とにかくこの広大な宇宙のバックにあって、すべてを統御している偉大な智慧のようなものを肯定してないと、ちょっと理解できないと思うのですが、ちー☆さんは、瞑想をしたり、精神的なものに関心があるので、共感できたのでしょう。

 それにしても、ちー☆さんが最近書かれた
 ①人を許す
 ②夢中になる活動を増やす
 ③人生の喜びを深く味わう
 ④目標達成に全力を尽くす
 ⑤内面的なものを大切にする
 ⑥身体を大切にする
 これはなかなかいいですね。全部いいです。「腹の底から笑う」のも大事ですね。私も参考にしたいと思います。コメントをありがとうございましたね。(^^♪

2017/07/14(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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