「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 人生不可解という遺書。藤村操の『巌頭之感』 

 
  果実に芯があるように、
    人は誰でも自分の死を自分の中に持っている。――――リルケ



山田風太郎『人間臨終図巻・上』を読んだら、涙が垂れ流し状態になりました。
15歳から55歳までに死んだ324名の臨終の様子が簡潔に書かれている良書です。

その6番目は、華厳の滝に飛び込んだ藤村 操(みさお)の話。
彼の遺書は、16歳の人が書いたとは思えない漢文調で、感銘を受けます。



 巌頭之感


  悠々たるかな 天壤てんじょう 遼々たりょうりょうる哉 古今、
  五尺の小躯しょうくて 此大このだいをはからむとす。 
  ホレーショの哲學 つい何等なんらのオーソリチィーをあたいするものぞ。 
  萬有の眞相はだ一言にしてつくす、いわく、「不可解」。 
  我このうらみいだいて煩悶、ついに死を決するに至る。
  既に巌頭がんとうに立つに及んで、胸中 何等の不安あるなし。
  はじめて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

                   (明治36年5月22日)


 (意)
  なんと悠々たるかな、天地(の空間の広さ)は。
  なんと遥かなるかな、古今(の時間の長さ)は。
  私は五尺(151cm)の小さな体で、この大きさを測ろうとした。
  ホレーショの哲学は、結局は何らの権威者に値するものか。
  万物の真相はただひと言で言える、すなわち「不可解」だと。
  私はこの恨みを抱いて悩み苦しみ、ついに自殺の決意に至った。
  今すでにこの華厳の滝の岩頂に立っているが、
  胸のうちには何の不安も無い。
  初めて知った。大いなる悲観は大いなる楽観と同じだと。



  遺書は、滝のかたわらのナラの木をナイフで削り、墨字で書き残されました。
  gantou.jpg
  http://www.geocities.jp/sybrma/gantounokan.kakudai.html

藤村操は、家族には何と言い残していたのでしょうか。
日光の小西旅館から家に送った郵書には、こう書いてありました。「世界に益
なき身の生きてかひ(甲斐)なきを悟りたれば、華厳の滝に投じて身を果たす」。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
天と地の間には、人智も及ばないほど深い真理がある。

じつは長年、3行目の「ホレーショの哲学」の意味が分からなかったのですが、
今はありがたい時代ですね。辞書を引き、検索すれば容易に出てきます。※

ホレーショとは、シェークスピアの『ハムレット』に出てくる彼の友人の名です。 
劇の第1幕第5場で、ハムレットは友人ホレーショにこう語っています。
 "There are more things in heaven and earth, Horatio.
 Than are dreamt of in your philosophy"
 ※dreamt=dreamの過去形

ここの「your philosophy」の「your」の意味は、通常の《あなた(たち)》の
他に、通例は軽蔑的に《例の、かの、いわゆる》という意味もあります。

 坪内逍遙は、その意味合いを込めて訳しました。
 「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい

 福田恒存は、思い切って意訳しています。
 「この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるものだ


藤村16歳はこの箇所に言及し、《人間の思索ぐらいでは天地の真相は判らない》
と言われてもなあと言ってるようですが、そうホレーショに語ったハムレット30
歳は「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と悩んだ優柔不断な人でした。

しかし藤村は《天地の真理とは何か、人間として生まれた目的は何か》と実際に
死ぬほどの決意で哲学的思考をしたわけで、そのひたむきさはたいしたものです。


   coskm5.jpg
    「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」旧約聖書 詩編19篇2節

                 

さて、真理とか神のことには興味がない人や、
不可知なことは判らないと思っている人は別として、
そんな見えないことに関心を持つのは愚かしい、と言い切る人がいますか。

何を思おうと自由ですが、
ただ、何年ぐらい死に物狂いに考えたのでしょう?
十六、七年なら解からないが、三、四十年、六、七十年なら解かるのですか。

孔子は「朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」と言いました。
賢者は、真理を見出したい、不可解を解きたい、と死ぬまで願っているでしょう。


私は聖書こそ真理だと信じ、だいぶ後に、いや違ってたと思い直した愚者ですが、
天と地の間の真相を一途に考え続けている知者には、大いに敬意を払っています。


   幸いなるかな、真理を求め続ける人。
     その人は、より叡智に近づいている。――――バーソ




《補足》
 藤村 操の死は、一高(現在の東大駒場)で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石や、在学中の岩波茂雄(岩波書店創業者)の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていて、この事件は漱石が後年、神経衰弱となった一因とも言われる。(Wikipedia)

 岩波茂雄は「青天の霹靂の如く荘厳凱切なる大文字」と評し、この「巌頭之感」を読んでは泣き、読んでは泣き、岩波も自殺するのではないか、と友人の阿部次郎や安倍能成を心配がらせたほどであった。(山田風太郎『人間臨終図巻・上』)

 この「ホレーショの哲学」については、ニール・ドナルド・ウォルシュ(著)『神との対話①』吉田哲子(訳)の本の中でも引用され、こう訳されています。「天と地の間には、おまえの哲学では及びもつかないことがあるのだ」。これは、おまえ程度の知恵というほどの意でしょう。
 この箇所の解釈については他説もあるようです。

※『言語郎-B級「高等遊民」の妄言』(このサイトは2013年5月で終了)
 http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20070523

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いつもお世話になっております。バーソです。

コメントをありがとうございます。
今日10日(土)は出かけているので、返コメは夕方以降になります。(*^_^*)

2017/06/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

考え過ぎでは?藤村君

バーソ様
おはよう御座います。

藤村操という人は若くしてなんでこんなに悩んだのか不思議です。これだけの遺書が書けるのですから世に出て活躍できた人なのでしょう。
イジメにでもあったのでしょうか。

「真理や神のことには興味がない人や、不可知なことは判らないと思っている人は別」

ということなので天地の間も3Dの世界があるとしか考えが及びません。

愛新覚羅


2017/06/10(土) |URL|aishinkakura [edit]

究極の疑問

今日のお題は究極の難問でしょうね。

>死ぬほどの決意で哲学的思考をしたわけで……、

これ、不可解さの岐路であり、生と死の分かれ道かも、ですね。
Ⓐ不可解であるが故に面白いと受け止める。
Ⓑ不可解さに夢や希望を失い絶望に至る。
いずれか、でしょうね。
ただ、どんなに賢くても16歳やそこらで絶望するというのは、
自尊心も究極だったんでしょうね。

>15歳から55歳までに死んだ324名の人たち

死んでみて、たまげたでしょうねぇ。
風子流解釈で、彼らの心境を代弁しましょう!
しかも、信州、小川弁で……。

『(((ʘ ʘ;)))……おや? オラ死んでねぇ…どうしただぁ?
ああ、まぶし~い! あれれ、トンネルに吸い込まれちまう……。
(*′☉.̫☉)えっ、ここはどこだい?』

『これこれ、操、よく来たなぁ……』

『(((ʘ ʘ;)))…婆さま!死んだじゃねぇ?……』

『バカ言っちゃいけねぇ。死んだのは肉体さぇ。
オラたちは固まりじゃねえから、死なねぇだ。
で、どうだい………死んでみて解ったかい?
まっ、好きなだけ生まれ変わってもいいが、
次は簡単に死ぬんじゃねぇぞ。
人間の考えることなんぞ、ウィルスの悩みみたいなもんさぇ。
端から解っちまったら、面白くもなんともねぇじゃねぇか……』

『(((ʘ ʘ;)))……次?』

『そうさぇ。オラ、今度生まれ変わったら100回目だ。
帰ってきたら、みんなで祝ってくれる、ってんで、楽しみだぁ』

👏チャン、チャン👏 ((´∀`*))ヶラヶラ 

2017/06/10(土) |URL|風子 [edit]

こんにちは

藤村操、16歳にして既に人生の深淵を覗いた感がありますね。
「巌頭之感」、バーソさんが分かりやすく説明してくれたのに
まだ分からないところが・・・。ググってみました。
ホレイショって哲学者ホラチウスと関係があるのかな?
ホラチウス、こんなことも言ってるらしい。
「今日が悪しくとも、明日もまた同じとは限らない」
もうひとつ、「人生不可解」でなぜ恨みに思ったのでしょうか。
操氏の自死に失恋説ってのもあるらしいからその恨みなのかな。
「人間臨終図鑑」上下、クリックしました。
下は1円で売っていたのに、ぐずぐずしてたら無くなり、19円
になっていました。
きっとバーソさんの記事を読んだ人がポチったのです。(笑)
アヴリーヌが書いた「人間最後の言葉」もなかなかいい本ですよ。

2017/06/10(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 考え過ぎでは?藤村君

aishinkakuraさん コメントありがとうございます^^)
 藤村操という人はかなり頭脳優秀な人だったようです。Wikipediaをみると、父親は銀行の頭取。弟の藤村朗は、建築家で三菱地所社長。妹の夫・妹の夫安倍能成は、漱石門下の哲学者。学習院院長や文部大臣を歴任。叔父の那珂通世(胖の弟)は、歴史学者。
 血筋もよく、このままなら末は大臣か学者になったかもしれないほどの頭脳を持っていたのに、人生の意味が解からないと悩んで自死。16歳でそう思うぐらいですから、よほど頭が良かったのでしょう。
 あるいは自分の頭脳に相当の自信があったのでしょうか。だから人が生きる目的をこの自分が解けないとは、と思って悲観したのかもしれないですね。

 芥川は、ただぼんやりとした不安があると言いました。人は、自分が生まれてきた理由が分からないと、やりきれない不明瞭な不安感や焦燥感を感じるとしても、だからと言って自殺しようとは普通はなかなか思わないのですが、彼の場合はたった16歳ですから、自分で早く結論を出してしまって、本当にもったいないことですね。

2017/06/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 究極の疑問

風子さん コメントありがとうございます^^)
> Ⓐ不可解であるが故に面白いと受け止める。
Ⓑ不可解さに夢や希望を失い絶望に至る。

 Ⓐの中には、①不可解であるがゆえに考えて悩んで探って調べて、せめて死ぬまでには真理を知りたいなあと思うのと、
②たとえ死ぬまでに解からないでも人はみな同じ問題で悩んで解けないできたのだから、そんなに深刻に考えないでもいい、というのがありそうですが、そうですね、彼の場合はかなり自尊心が強そうな感じもします。この遺書の書き方を見ても、ずいぶん大上段から大仰な書き方をしていますから。

> 端から解っちまったら、面白くもなんともねぇじゃねぇか……』
 ああ、そうですね。そう思います。深淵な真理が簡単に分かったら、深淵どころが浅薄かつ陳腐でしょうから。人生とは簡単にわからないところがいいのであって、そこを人は必死に懸命に生きるところがいいのだと思いますね。そうでなかったら人は何度も生まれ変わる必要はありませんし、こんなに大勢の人がこの地球に生まれてくる必要もないと思います。

 自死は神に対する罪だと犯罪者のように悪く言う人がいますが、自分で早く死んだ人は、また同じような問題を解くために再び生まれてくるだけのことだろうと思いますね。ただ、解からないからすぐ死のうと、なぜそんなに早く結論を出すのかは、ちょっと納得できないところがありますが。

2017/06/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> まだ分からないところが・・・。ググってみました。
 ああー、エリアンダーさんの知的好奇心と探究心は、すごいですね。いつも感心させられます。何でも疑問に思ったら、すぐググるクセがついているようですね。Googleさんも自分の存在価値があってよかったなあ、と喜んでいることでしょう。
 はい、じつはおっしゃる通りで、私も100パーセントわかったわけではありません。なので「・・・ようですが」と、ちょっとボカして書いています。

 私もこのたび死因について調べていたら、いろいろ説があるのを知りました。ホレーショは哲学者ホラチウスではないかという説や失恋説もありました。藤村の英語誤解釈説やハムレットとの重ね合わせ説もありました。「今日が悪しくとも、明日もまた同じとは限らない」。そうですね。こういう思いがあれば、自死するまでにならなかったでしょう。人生には楽観的な志向というのも必要なようですね。なんにせよ死ぬのは最後の最後の手段にすればいいと凡人は思うのですが。

> 我この恨を懐いて煩悶
 この「恨」とは、その前の言葉「不可解」を受けているのだと単純に思いました。人生の意味が解けないという未解決の気持ちが心の中に恨みとして残っていて、それが解けないので自分は「世界に益なき身」と思ったのではないでしょうか。彼は、自負心が相当に強かったのでしょうね。

> 「人間臨終図鑑」上下、クリックしました。
 あー、早いですね。下巻もですか。たいしたものです。
 アヴリーヌが書いた「人間最後の言葉」は、私もクリックしました。図書館の予約ボタンを。(笑) まずは読んで、それからamazonのほうをクリックします。

2017/06/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/06/11(日) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 昔の一高生は違いますね。相当優秀のようです。私が歌える高校の校歌は「嗚呼玉杯に花受けて~」の一高寮歌だけです。自分の高校校歌は完璧に忘れています。(笑) 

 元都知事の猪瀬さんが、この遺書について、こう書いてました。

「宇宙と世界の空間的な拡がり、はるかな歴史と現在という時間の拡がり、そういうなかで自分はいったいどこにいるのか、どうしたらよいのか、悩んで悩んで答えが見つからない。という程度のことなのだが、漢文脈で記すと何となく見栄えのよい文章に見える。
 シェイクスピアの『ハムレット』に登場するホレーショは、ハムレットに「この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」と言われる。自分はホレーショのごとき俗物ではない、と言いたいのである。」

 江藤淳は、そのときに藤村の先生だった夏目漱石について、『漱石とその時代』の中でこう書いているそうです。

「彼はおそらく藤村の内面をおびやかしていたなにものかに、自分もまたおびやかされていると感じていたのである」
 
 遺書の最後の言葉「大なる悲観は大なる楽観に一致するを」は、どうも自分に言い聞かせた文章のように感じました。

2017/06/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人生の目的を受動的に考えるから訳が判らなくなる

 何の為に生きるのか。
 人の生に与えられた目的など無く、たまたま生まれてしまっただけと言うのが正しい。生まれちまったものはしょうがないから生きている。だからmiss.keyなんてしょーもないのも居る訳だ。
 とは言え、偉い人は無為に生きるのを良しとしないから目的を探したくなるのだろう。だが、与えられた目的を探すのと、自ら目的を定めるのとでは人の本質は全く違ったものになる。能動的に目的に辿り着けた者は何かを成し遂げる。授けられなければ不安でしゃーない人はご愁傷様。ありもしない千両箱探して一升奴隷根性で生きて下さいませませ(また暴走が始まった)。
 授けられるなんてのが大嫌いな人は自ら作り出すのです。上を向いて歩こう。いや、落ちて来る物を待ってたってしょうがない。その辺に落ちてる石ころだって磨けば光るものなんよ。よし、これからは下を向いて歩こう。涙はこぼれるかも知れないが、それも一興。思わぬ何かを見つける事だってあるだろうさ。あ、十円めっけ♪(ちっさ・・・
 ちなみに泣けばストレス物質が出て行ってすっきりするらしい。よし、わたくしも泣こう。カープが負けた。おーいおいおい。

2017/06/11(日) |URL|miss.key [edit]

おはようございます。


真面目で賢い方は、悩み苦しみ自身を追い込む。

そうでない方は、場当たり的に適当に楽しく生きる。

どちらが幸せなのでしょうね。


魂が永遠ならば、生まれ変わることも良いでしょうが。

生まれ変わってもまた同じことを繰り返すような気がします。

この世の宿題は、この世で。


自死は、認めたくないと感じます。



2017/06/11(日) |URL|Miyu [edit]

Re: 人生の目的を受動的に考えるから訳が判らなくなる

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 はいはい、miss.keyさんも自分探しをしてきた、というより、自分の頭の中ではすでに完了しているようですね。
 昔、サッカーの中田選手が自分探しだと言って外国に出かけていきました。サッカー一筋でやってきたので、やめてからその代わりになることを求めたのでしょう。彼は頭がいいので、その後、世間的に成功したようですが、社会で成功するしないは別にして、そもそも人間がなぜこの宇宙の中の地球に存在しているのか、その答えを探し求めている人たちが、古今、例のゴーギャンなどを含め、大勢いるようです。

 miss.keyさんの考えは「自ら目的を定めるのとでは人の本質は全く違ったものになる。能動的に目的に辿り着けた者は何かを成し遂げる」ですか。うーん、達観していて、よろしいですね。
 これは人類が生まれてきた目的というよりは、人間個人は何を成し遂げるために生まれてきたのか、それは自分自身で考えて自分で目標を持つ、自分の人生は自分で責任を持つということでしょうから、これは非常に男らしくて、いいことだと思いますね。

> 授けられるなんてのが大嫌いな人は自ら作り出すのです。
 うーん、これもmiss.keyさんらしい。ひとから自分の生き方や考え方についてあれこれ言われるのが好きじゃない。自分で考え出したい。反骨、硬派、侍気質、土性骨、不撓不屈、あ、これは誰だったか相撲取りが言ってましたか。

 私もちょっとそういう傾向がありましたね。ひとと同じことをするのが若い頃からあまり好きじゃない。だからクルマもトヨタ、ニッサンじゃないほうがいい。箱型のミニバンやSUVは乗りません。高校生の頃は、全校で私一人だけオールバックの長髪でした。最初会社に入ったときはアゴヒゲを生やしているのは、私の他には上司のディレクが一人だけでした。宗教もキリスト教のマイナーな宗派を選びました。まあ、これらは反骨精神というよりは、単にへそ曲がりだったせいかもしれないですが。

 まあ、「上を向いて歩こう」はいいですね。私は精神的には生来あまり上向きじゃないのですが、お金を拾ったことはほとんど無し。あ、いや、財布は時々拾うことがありまして、交番に届けたり、本人に直接電話したりしています。
 カープファンでしたか。私は大学では野球部だったのですが、その頃は、ジャイアンツのファンでした。みんなと同じでした。(笑)

2017/06/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 真面目で賢い方は、悩み苦しみ自身を追い込む。
そうでない方は、場当たり的に適当に楽しく生きる。
どちらが幸せなのでしょうね。

 うーむ、そうですね。後者の方が悩みは少なく、幸せそうですが。
 昔、東大の総長が「太ったブタになるのではなく、痩せたソクラテスになれ」と学生に言ったそうですが、当のソクラテス本人は幸せだったのか、つい悪名高い奥さんがいたことを考えてしまいます。とはいえ、夫婦のことは第三者にはちょっと分からないことですね。

 ソクラテスはアテナイの市民といつも討議をして、「知」を追い求めることに喜びを感じ、それを神によって課せられた使命と考えていたようですから、日々知的な喜びを感じていたと思われます。なので、幸せの定義をどうするかで、幸せの感じ方は変わってくるのでしょう。
 今でも何一つ不自由がないように見えるセレブでも自死したりするので、人間の感受性というのは一人ひとり違っていて不思議なものです。

> 生まれ変わってもまた同じことを繰り返すような気がします。
 そうですね。「場当たり的に」生きてきた人は、また同じような人生を繰り返すような気がします。自死については、死ぬほどつらいこともあるでしょうからあまり責めたくはないですし、神に対する罪だとも思いませんが、といって自死を最終的な解決策として認める気持ちもありません。生きて頑張ってほしいと思います。

 特に学校のイジメで死ぬぐらいなら、ひとりで悩まずに公の機関に訴えるか、せめて他の場所に行けばいいのにと思ってしまいます。かわいそうなものです。教育当局はいつも、イジメは認められなかったとか発表しますが、彼らの意識には相当問題がありますね。

2017/06/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

山田風太郎と言えばご存知の名作『くノ一忍法帖』の作者であります。
実は映画現役時代に、随分あの作品にあこがれて入れ込んだ時期がありました。
くノ一忍法「天女貝」の術でナニを挟まれて悶絶して死んでいく服部半蔵の部下の伊賀忍者がとても羨ましくてね。
以来「腹上死」願望を抱いたまま今日に至っておりますが、どうも夢は叶いそうもないですね~><
エロい夢を見ながら臨終に望みたい…なんてやっぱり男の業ですかね?(笑)

2017/06/11(日) |URL|sado jo [edit]

バーソさん、こんにちは^^

「大いなる悲観は大いなる楽観と同じ」
というのは、解るようなきがします。
自分の勝手な願望が、全てなくなったときに、
見えてくるものがあると思います。

私も聖書を信じようとした時期が結構 長くありましたが、
自分を騙そうとしている自分を、冷静に観察している自分の存在が、
どうしても、越えられない壁になって挫折しました。
結果的には、それで良かったのですが。

「神との対話」にも、神は唯一の神ではないと、
示唆する場面があったように記憶していますが、
この世界の神は、どんな性質の神なのか、疑問がつきません。
聖書の神は、結構サイコパス的な感じがします。
人間が同じことをすれば、普通に有罪ということが多いですが、
偉い存在なら無罪と言うことでしょうかね。
人間も、自分が偉い存在だと思うと、
悪いことをしても許されるべきだと感じるので、
神も同じように感じているのでしょうか・・・

2017/06/11(日) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 『くノ一忍法帖』。「くの一」という言葉はこの本で知ったような気がしますが、本は読んだこともなく、映画で観たこともないですね。
 映画時代に入れ込んだのですか。映画はどうしてもスクリーンに映し出される映像という概念で見てしまうことがありそうなので、面白い題材なのでしょうか。
 私はCFの仕事をしていた頃は、映像派ではなく、ことば派でしたね。メインは15秒ですから、映像はストーリー性が無いほうがいい。印象的なワンカットさえあればそのほうがむしろいい、大事なのは商品のセールストークで、キャッチフレーズだと思うほうでした。でも同僚は映画学部出身など、圧倒的に映像派が多かったですね。

 大体が現代小説というジャンルはほとんど読んだことがなく、山田風太郎の本は一冊だけ読んだだけです。書名は比較的最近なので、覚えています。『いまわの際に言うべき一大事はなし。』です。こういう本はすぐ手を伸ばしてしまいます。「アル中ハイマー」のことが書かれていて、面白かった記憶はあるのですが、今は内容は覚えていません。私は記憶ハイマーではなく、記憶ローマーのようですよ。(笑)

2017/06/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 「大いなる悲観は大いなる楽観と同じ」
というのは、解るようなきがします。
自分の勝手な願望が、全てなくなったときに、
見えてくるものがあると思います。

 あ、そうですか。自分で死ぬ決心がついて、いよいよその場に居る、ということは「自分の勝手な願望が、全てなくなったとき」であり、そのときに「見えてくるものがある」、すなわち自我を棄てて無私無欲になったときに、単なる人間的な思考を超えたものが見えてきたような意識を感じるということですかね。そうなら分かるような気がします。

> 私も聖書を信じようとした時期が結構 長くありましたが、
自分を騙そうとしている自分を、冷静に観察している自分の存在が、
どうしても、越えられない壁になって挫折しました。
結果的には、それで良かったのですが。

 「冷静に観察している自分」に気が付くというのは、「観照」ということで、覚者が居る精神領域みたいですね。「自分を騙そう」ですか。私は自分のことを考えてみると、聖書はすべて正しい、だから正しいことは信じるのが正しい、なので「そう自分を思い込ませよう」としていましたね。

> この世界の神は、どんな性質の神なのか、疑問がつきません。
聖書の神は、結構サイコパス的な感じがします。
人間も、自分が偉い存在だと思うと、
悪いことをしても許されるべきだと感じるので、
神も同じように感じているのでしょうか・・・

 聖書の神は人間製の人格神ですね。非常に厳格な独自の正義感を持っていて、男尊女卑であり、中華思想や尊王攘夷の思想と似たところがあり、過激な愛国主義、絶対専制君主の特徴が見られます。唯一の神に絶対の忠誠を誓え、神のために死ぬなら報いを与えようというような教えには、その人格神の性格がよく表れています。聖書は非常にいい教えもあるのですが、こういう妙な教えもあるのは、後代の宗教指導者や政治指導者が自分たちに都合のいいように改変したとしか考えられません。

 でもKorvaさんはそういうところに違和感を感じたというのは、たいしたものですね。私は教団の成員の世話をするほうに大半の意識を取られていて、義務感であの道に長年居たようなものです。

2017/06/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/06/12(月) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 「初めに言葉ありき」という聖句がありますが、人生は初めに意識ありきだと思いますね。人間が関わることは、何事もまずは意識から始まるのですから。人生の道はプラスだと思い込むとプラスになりやすく、マイナスだと思い込むとマイナスになりやすいような気がします。

 私は生来がマイナス思考のほうでしたが、その原因は、まずは何でも自分を責める意識が強かったのと、それから何事も悪い状況の場合を考えておいたほうが、結果が悪くても元々だと思えて気持ちがラクだという自己保存の考えがあったような気もします。

 でも今はそういう暗い考えは結局は自分の益にならないと思うようになり、なるべく楽観的に考えるようになりました。ひと様に迷惑を掛けなければ基本的には何をしてもいい、何でも自分の好きなことをしたらいいのだと思うようになったので、他の人が何か悪いことを言ってきても、ほとんど気になりません。ひとはひと、自分は自分。それでいいのだと、そんなふうに思っています。人類はみな兄弟ですが、みなが同じ考えなわけじゃない。いろいろ意見が違うのは当たり前ですからね。

 悠々たるかな、この日本。悠々たるかな、人間のこころ。自分と意見の合う人は少数かもしれませんが、必ず居ますね。ブログは、そういう人を選んで(自然に選ばれて)付き合っていけるので、なかなかいい出会いの場だと思います。

 藤村操は頭が良すぎるひとなんでしょう。頭が良すぎる人は、あっけらかんと成れと言われても、成れません。私はそんな良質な頭脳がないので、よく分かりませんが、物事は解からないでも、「不可解」でも「不納得」でも、とにかく人生は前に歩いていけば、前方にすうーっと明るく道が開けてくるものだ、と私の人生経験からも思います。

 あー、なんだか硬い話になってしまって、申し訳ありません。
 また、感想を書いてくださいね~。(^_-)

2017/06/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/06/13(火) || [edit]

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2017/06/14(水) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 ああ、なるほど、そうですか。好意的な感想で、いいですね。
  精神的に余裕のある若い時の悩みは、
  深く濃く、居場所を見つけるための旅、ですか。
 若い時は悩んだほうがいい。そうしていれば深く濃い自分の居場所が見つかる。そうですね。逆に、若い時にすべて悟ってしまったら、人生は面白くなさそうな感じもします。

 1971年の映画『おもいでの夏』は脚本家自身の経験を書いたのだそうです。私は観てないのですが、15歳の少年が年上の女性ドロシーを好きになって、すぐ別れることになる話です。映画がヒットしてから、私がドロシーだと称する女性から手紙がいっぱい来たのですが、でも一通だけ筆跡で本人からだと分かる手紙があり、その後、再婚して、孫までいる、ずっと心配していた、でも、二人のことは、このままそっとしておきましょう、と書いてあったそうです。

 若いときに、いろいろ甘いこと、切ないこと、悩み多きことがあるもいいものですね。私はこういう経験は遺憾ながらないですが。(^^;)

2017/06/14(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは♪

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 あー、ご丁寧にありがとうございます。
 当方、承知していて書いていますから。どうぞ、ご心配なく。(^^♪

2017/06/14(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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