「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ブータンの象・猿・兎・鳥の教訓絵『フレンズ』を別解釈する。 


わたしは、ひとから論理で説得されると、心地よくなるほうです。
ひとつ理解が増え、頭のいい人がいるなあと感服し、人生が楽しくなります。

人生志向や価値観が異なる内容のブログであっても、
なるほど、そういう見方、考え方もあるかと面白く感じ、参考になります。

三者三様、十人十色、百人百様、千差万別、蓼食虫好好……。
人の思考や嗜好は、けっこう違いますね。

ブータンで有名な教育絵を見て、どう多様に解釈できるか考えてみました。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1枚の絵には10の解釈がある。“Four Harmonious Friends”

絵は、象の上に猿→兎→鳥がいて、一番上の鳥は、木の実を取って下の兎→猿→
象に渡し、皆で一緒に食べている。さあ、この絵は、何を表しているのでしょう。


aqw4friends.jpg←木の実

←鳥

←兎(ウサギ)



←猿





←象








出典



1.『年若い者は年長者を敬うべき』。象が言った、「ボクが小象だった頃、この
木は同じ位の背丈で、よく体をこすったものだ」。すると猿が「俺が小猿だった
頃、この木にはまだ遊べるほどの枝もなかった」と言った。次に兎が来て「わた
しが小兎だった頃、この木は小さくて、よく跳び越えたものよ」と言った。最後
に鳥がやってきて「この木は自分が上を飛んでいるときに種を落としたのだ」と
言った。それで鳥は木が生える前から生きていたので最年長であり、果実を一番
先に食べる権利がある。長幼の序列を重んじよというのが伝統的な解釈の基本形。

2.『三本の矢より、四者の協働』。象は強大な力を持っており、猿は人間に次ぐ
知恵があり、兎は俊敏な行動力という能力があり、鳥は空を飛べる特技を有する。
それぞれの能力を活かして協力すれば、高い木の実でも容易に取ることができる。

3.『大なる者は小なる者を助けよ』。鳥は空を飛んで一人で果実を取れるのに取
らなかった。猿は木に登って果実を取れるのに取らなかった。象は木をゆすって
果実を振り落とせるのにそうしなかった。では兎は?といえば、無芸欠食。能力
の弱い少数の者のために、多数の者が自己犠牲を払って助ける社会が美しい国だ。

4.『労働の価値に上下の差はない』。この絵は、鳥が果実の種を地面に落として、
兎が水やりをし、猿が耕し、木に果実がなるまで象が守ったのだろう。働こうと
しない者は食うべからずだが、真面目に働く者には食べる権利が公平にあるのだ。

5.『みんな違って、それでいい』。身体の大小、能力の差異。人はそれぞれ持っ
ている賜物が異なるが、そのように生まれてきたのは前世からの因縁があるはず。
どんな境遇でも良い学びの体験の場と考え、隣人と仲良く生きていきたいものだ。

afourfriends.jpg 出典

6.『労働者の賃金格差をなくせ』。この四者の他に、雇用者という富裕層がいる。
使用人に重荷を負わせながら、自分は楽に暮らしている。そのことに特に文句は
ないが、仕事が社員と同じなら派遣やパートにも同等の賃金を出してほしいなあ。

7.『人間は動物にみならえ』。種が異なる動物でさえ、こうして助け合って生き
ているのに、万物の霊長たる人間はどうしてもっと助け合っていかないのか。と
は建前で、実際には動物社会は弱肉強食。この絵は、強いものが弱いものを食い
物にしている人間社会の悲惨な階層ピラミッドを、皮肉かつ逆説的に示している。

8.『判断は全体を見渡せ』。自分の立ち位置から物事を見ていると、総合的な判
断は難しい。全体を鳥瞰的な視点で、すなわち個や家族の視点より、地域の視点、
国家の視点、そして世界の視点から見るなら、樹上の実を皆で分け合いたくなる。

9.『諦めるな、努力せよ』
。この兎が亀と競争して居眠りをした兎なら、思い上
がりを悔い改め、他の動物と一致協調して仕事ができるようになったことを示す。
この兎が『不思議の国のアリス』に出てくる白兎なら、アリスの《勇敢さ》《健
康さ》《目的に対する迷いのなさ》に対して、《虚弱》《臆病》《神経質な優柔
不断さ》の寓意であり、あのトランプ兵を打ち負かしたかどうかは別として、元
気に雄々しく生きていけることを示す。こやつが『因幡(いなば)の白兎』ならば、
ワニを騙した罰に皮をはぎ取られたものの、めげずに頑張っている健気さを表す。

10.『女は灰になるまで美しくあれ』。上の絵の象を見よ。眼が大きい。アイラ
インの赤がお洒落で、奥二重に見える。紅い口紅もセクシーだ。歯も良く磨いて
いて白い。象がきれいになるなら、ゾウっとしないひとでもきれいになれるはず。
宝塚出身の女優が年取ってからもきれいな理由は、意識と鍛錬のせいではないか。

aatuil5.jpg
先日(5/4)、94歳で亡くなった大正11年生まれの月丘夢路さん。このたび、検索していたら、
このひとの目にしびれました。→泉鏡花の『高野聖』が下敷きの映画『白夜の妖女(短縮版)』


                

辛抱して駄文を読んでいただき、ありがとうございました。

以上は、1枚の絵を見ても、10ぐらいは異なる解釈ができる例話のつもりです。
人は自分の視点だけが正しいと思いがちですが、見方はいろいろあるのですね。


                


補足
● “Four Harmonious Friends”の話は、前世物語を書いた『ジャータカ』に出て来る「三畜評樹」の説話に基づく。
 ある日、釈迦の十大弟子であるサーリプッタとモッガラーナを差し置いて、上位の席に坐ろうとした僧がいたので、ブッダ(釈迦)がこんな話をした。
 昔、象・猿・鳥が「誰が一番年長か」を議論し、ニグローダ樹をいつ頃から知っているかによって判断しようということになった。その結果、鳥が木の苗が植えられる前の様子を知っていたことが分かり、最年長だと認められた。
 この話では、鳥はブッダを、猿はサーリプッタ(舎利弗)を、象はモッガラーナ(目連)のそれぞれの前世だったことを教え、年長者を敬うように諭したという。
 中村美代子氏は著書『三蔵法師』の中で、この『ジャータカ』の話は、インドのラダックあたりの民間伝承において三獣にウサギが増えて、インドからチベットを経由して敦煌に伝えられて「四獣因縁」になったのではないかと推論している。(185P)

 3と9で、兎さんには申し訳ない解釈となりましたが、他意はないので、ご容赦願います。
      __________________________

他の人が自分とは違う考え方を持っているのは、いわば当たり前。
異なる意見や感想を言われたぐらいで腹を立てるのは、自信の薄弱、謙遜さの欠落でしょう。
私は、礼をわきまえた論理的な批判なら、感謝して熟考することにしています。

関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

こんにちは!

日本はもう13日なのですね。

「働かざる者食うべからず」

ちょっと昔、イタリアで流行った歌に
「働かざる者はセックスすべからず」

どうも、しょうもないことを済みません。

動物さん達は仲良く分け合って
食べているように見えて和みます。

2017/05/13(土) |URL|ミルティリおばさん [edit]

多様性に観るものは…

>ひとから論理で説得されると、心地よくなる

これは正に、そのようですねぇ。
論理的となると、バーソさんの右に出る人はいないと思いますよ。

( ̄~ ̄;) ウーン……この2枚の絵から感じるものは、
生き物の多様性と『輪&和』でしょうかねぇ。
バーソさんほど緻密な分析、展開には至りませんでしたぁ。

それでも、1~9まではふむふむ、納得ですが……、
10で、いきなりの『美しくあれ』って、
いかにもバーソ願望に思えて笑ってしまいましたぁ。

なにをもって『美しい』と思うか…。
これは、バーソさんとはかなり違います。
私の場合……。
例えば、額に汗して働く黒人労働者、
真っ黒に潮焼けしたシワシワの顔で沖を見つめる漁師、
農作業の後、祈りを捧げる老夫婦の姿、
パラリンピックの選手たち、
そんなシーンに『本物の美』を感じるんですよねぇ。
外見より、滲み出る“心根”ってところです。

8.『判断は全体を見渡せ』
物事の一切を鳥瞰的に観察すると、
たぶん『あるがままで完璧』なんでしょうね。
人が100人、100通りの解釈をすることで学びますから。(^_^ ;)

2017/05/13(土) |URL|風子 [edit]

見方

バーソ様
おはよう御座います。

確かに1枚の絵でも見方によって色々な解釈が出来ますね。
私は亀の上に象が乗ってその上に地球が乗っている絵を思い出しました。

月丘夢路さんは綺麗ですね。
若い頃は美人とブスがいるがババアになってしまえば皆同じだと思っていました。
しかしそれは違っていたようです。
美人は死ぬまで美人ですね。
火葬してしまえば皆同じということに考え方を変えます。(笑)

愛新覚羅

2017/05/13(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます。

うさぎがお耳を広げても小鳥のように飛べないけれど
とべる小鳥はウサギのように地面を速く走れない

ゾウはお鼻を伸ばしても猿のように木は登れないけど
木登り上手なお猿さんは背中にみんなをのせれない

ゾウとお猿とウサギと小鳥、みんな違ってみんないい

みすずのパクリですいません。

人の世に当てはめると、みんなそれぞれが別々で誰がどうのという基準なんてありゃしない、みんな違ってみんないい、そして個人だって地域だって国だってみんな違ってみんないい、何が幸せって(・・?、それもみんな違ってみんないい。

四獣因縁のお話考え深いものがあります。

なんちゃって・・

2017/05/13(土) |URL|ばく [edit]

Re: こんにちは!

ミルティリおばさん コメントありがとうございます。
 こちらからはコメントをしないままで、すみません。なんせ政治にははなはだ疎い者でして、申し訳ありません。

> 日本はもう13日なのですね。
 日本とイタリアと半日ぐらい違うのでしょうか。投稿時刻が午前1時頃になっていたので、そちらでは夕方でしょうか。イタリアの夕陽はきれいでしょうね。'O sole mioと声を張り上げて歌ってみたいものです。

 「働かざる者食うべからず」。共産主義の教えと言われていますが、ご存知のように聖書から来ています。本当は「働こうとしない者は」と言われていて、労働の意欲がないことが良くないとされています。
 「セックスするべからず」ですか。食えないのは我慢できるが、セックスは我慢できないという意味でしょうかね。イタリア人の享楽感が感じられます。いいですね。明るくて。(笑)

> 動物さん達は仲良く分け合って
食べているように見えて和みます。

 ああ、そうですね。それが一番素直な反応だと思います。人間がみんな食べ物を分け合えば、地球上から飢餓がなくなるそうです。持てる者が持てない者に分かち合えれば、もっと暮らしやすい世界になるのですが、今はますます貧富の差が広がっているようで困ったことですね。

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 多様性に観るものは…

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 論理的となると、バーソさんの右に出る人はいないと思いますよ。
 いつも過剰な誉め言葉で、眉につばを付けながら喜んでいます。(笑)
 
> 額に汗して働く黒人労働者、
真っ黒に潮焼けしたシワシワの顔で沖を見つめる漁師、
農作業の後、祈りを捧げる老夫婦の姿、
パラリンピックの選手たち、
そんなシーンに『本物の美』を感じるんですよねぇ。
外見より、滲み出る“心根”ってところです。

 はい、ごもっともごもっとも、正論です。一言もありません。本物の美。確かに、まったくその通りです。
 10の「美しくあれ」は、まあ、女性はいつまでもきれいでいてほしいという私の願望であり、持論でもありますが、このゾウの絵を見たときに、おや、かわいいなと思って化粧の話を思い付いただけのことです。1枚の絵から10の解釈を考え出すのもそう楽じゃないのです。
 それと「ゾウがきれいになるなら、ゾウッとしないひとでも」という駄洒落、否、言葉遊びを最後に絶対したかったこともあります。
 さらに、月丘夢路さんが亡くなったので、さてどんなひとだったかなあと思って検索していたら、主演映画を見つけ、目が私の好みだと分かり、知っている銀行の受付に似た人がいたので、この動画の写真を載せたくなったこともあります。物事の背景には、いろいろ裏事情というものがあるのです。(笑)

> 8.『判断は全体を見渡せ』
物事の一切を鳥瞰的に観察すると、
たぶん『あるがままで完璧』なんでしょうね。

 ははあ、なるほど。スピリチュアル的には、そういう解釈もできますね。さすが、風子さんです。ところで、インドでは、カーストがあっても完璧だと言ったら、どう思われるのでしょう。因果応報、原因結果の法則も妙なふうに解釈されると困りますね。

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 見方

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 私は亀の上に象が乗ってその上に地球が乗っている絵を思い出しました。
 そういえばインドにそういう絵がありました。昔の人の理解の程度がよく分かります。紀元前に書かれた旧約聖書のイザヤ書の中には「地が円」であると書かれています。中世ヨーロッパでは、帆船が陸地に近づいて来るときに、水平線に帆の先のほうからだんだん見えてくるので、地球は円いのだろうと思われていたようですが、公に周知されたのはマゼラン、コロンブスの頃でしょうから、人間の科学的な理解力というのも面白いものです。

> 美人は死ぬまで美人ですね。
火葬してしまえば皆同じということに考え方を変えます。(笑)

 ははは、確かに。でも、しゃれこうべの一枚上の皮膚の造形の違いを気にするのも、人間の面白さですね。
 浮世絵を見ると、江戸時代は美人の基準が違います。目は細くて、おちょぼ口で、柳腰。中世のヨーロッパでは、たとえばルノアールの絵などはかなり太めの女性がモデルです。まあ、金持ちの女性が肉付きがよかったということでもあるのでしょうが。
 私の美人の定義は、なによりも美意識ですね。きれいな心を持ち、きれいな生き方をしていこうという意識があり、感性と人格がいいひと。そういう人が美人です。化粧品もその意識を表現できるツールであり、だからノーメイクのひとは、もったいないと思いますね。

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> うさぎがお耳を広げても小鳥のように飛べないけれど
とべる小鳥はウサギのように地面を速く走れない

ゾウはお鼻を伸ばしても猿のように木は登れないけど
木登り上手なお猿さんは背中にみんなをのせれない

ゾウとお猿とウサギと小鳥、みんな違ってみんないい

 なるほど。さすが、文学青年のばくさん。みすずさん風の詩と来ましたか。ここは副見出しで『みんな違って、それでいい』と書いたのは、みすずさんを意識していたのですが、ばくさんのように詩として書いてもよかったですね~。そのほうが前世の因縁の解釈にするより、きれいな解釈になります。みすずさんの感性はたいしたものです。

> 人の世に当てはめると、みんなそれぞれが別々で誰がどうのという基準なんてありゃしない、みんな違ってみんないい、そして個人だって地域だって国だってみんな違ってみんないい、何が幸せって(・・?、それもみんな違ってみんないい。
 これはこれは、なかなか仏教的な考え方のようですね。ここまで悟れれば、自分の境遇を嘆く人はいなくなります。人生に達観しています。
 幸福感というのは得てして、他の人と比較して自分はどうかと考えがちです。でも他と比較して見たら、上のほう(富裕層)には限りがないですし、下の方(アフリカや東ヨーロッパなど)にも限りがないのですが、自分を中流の上とか下と思っている人は、最低のほうはなかなか見ないものなんですね。ばくさんは上と下と両方の気持ちがわかる人なのでしょう。

 念のための補足ですが、私が、個人→地域→国家→世界の視点を持ったほうがいいと書いたのは、英国のEU離脱、トランプの自国ファーストなど、最近は、自分(自国)だけよければそれでいいとばかりに、エゴを優先する傾向が世界的に増えたと思うからです。経済を動かすのは容易ではないですが、エゴを抑えるのはそう難しくはないのですが。

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/05/13(土) || [edit]

こんにちは

たくさんの解釈、さすがバーソさんです。
私も参加させてください。
ゾウが一番下っていうのは上だと全部つぶれて
しまうからです。(笑)

11.バーソさんの慧眼通りにゾウ、サル、トリは自分で
果実を得ることができます。ウサギは他からもらう以外
果実を手にすることはできません。ゾウをアメリカ、サルを
ロシアとするとウサギとトリはどこの国でしょう
あっ、前提を忘れていました。果実とは内に種を持ちそれは
核果と呼ばれ、すなわち「核」のことです。
トリは「核」の技術を教え、それに付随する技術を与えた
国々です。パキスタン、日本、台湾ですね。
そうするとウサギは自明ですね。

2017/05/13(土) |URL|エリアンダー [edit]

さすが仏教国のブータン…物事の起こり=縁起から初めてそれが果を結ぶまでの仏教の世界観を見事に表してますね。
小さな種も様々な縁に触れて=周囲の助力を得て育ち、やがて大きな木になってみんなを養う。世界には何一つ無駄なものはない。
しかし現実世界では、肝心の木の実を取る鳥は鷲=アメリカ合衆国で、木の実の独占を図っています。
猿=中国は悪知恵を働かせてそれをくすねようとし、像=ロシア連邦は「俺の木だ。近寄るな!」とみんなを踏み潰そうとします。
兎=さして武器の無い小動物の日本は、それらの動物達の顔色を伺いながらおろおろするばかりですね(笑)

2017/05/13(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 感情的にならず、論理の展開を楽しむ。あるいは難題を解決する。それは名探偵ホームズの推理小説を面白く思うのと同じです。本当は議論というのは建設的なものであり、面白いものであるのでしょうが。

 人と議論をしていて負けそうになると怒る人がいます。将棋でも負けたとたんに将棋盤をひっくり返すのは、負けて悔しい感情を抑えられないからでしょう。理性というのは、そういう感情を抑えられてこそ理性的というのであって、人が本当の理性を持っているかどうか、真に謙遜かどうかは感情で判断できますね。
 とにかく十分に調べもしないで、これはああだこうだと言い切る人がいますが、それも愚かしいことだと思います。

 私の美人の定義は他の人のコメ返に書きましたが、内面のきれいさ、そして感性のきれいさ、性格のきれいさ、そういうことが外見的にきれいなことより大事だと思っているので、顔の造形が美人でもセンスの悪い人や優しくない人は駄目ですね。
 なんて偉そうに言えるほどのものは何も持ち合わせていないに、勝手なことを言ってますが。
 私は日本映画はほとんど観たいと思わないのに、泉鏡花作と書かれていたので、この映画は最後まで観てしまいました。こういう目の美人に弱いんです。言ってることと矛盾しますが。(笑)

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> ゾウが一番下っていうのは上だと全部つぶれて
しまうからです。(笑)

 あはは、さすが。アメリカンジョークの名人。これが一番納得できる解釈です。鳥が一番下っていうのは、羽がつぶれてしまって、羽毛布団屋さんに売れないからです、というのはどうでしょう。あ、あまり面白くなかったですね。こちらから半分、休め。(笑)

> 果実とは内に種を持ちそれは
核果と呼ばれ、すなわち「核」のことです。

 おー、「核果」という単語がすごいです。こういう発想は全然浮かばなかったですよ。

> ゾウをアメリカ、サルをロシアとすると
ウサギとトリはどこの国でしょう ・・・・・・
トリは「核」の技術を教え、それに付随する技術を与えた
国々です。パキスタン、日本、台湾ですね。
そうするとウサギは自明ですね。

 うーん、難しいです。何でも分からないのですが、特に世界の政治情勢のことはよくわからないもので。
 パキスタンが核の技術を教えたというのはなんとなく分かりますが、日本、台湾が教えたというのが分からなかったです。そうなんですか。東アジアでは、核は他に、インドと北朝鮮(ミャンマー?)しか持ってないので、答えは北朝鮮になりそうですが。

 こうして現在の北朝鮮とアメリカの対立を見ていると、北の核の保有は、米が気軽に戦争を起こせないという意味で、戦争の抑止力に役立っていると言う人も出てきそうですが、問題は、核保有国の指導者の精神が正常かどうかで、これが心配です。

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 sado joさんは政治の話が得意ですね。鳥は鷲で米、猿は中、象は露、兎は日ですか。兎は中途半端な立ち位置ですね。戦後ずっと絶対的トップの米の子分でいると決めていますが、もしコウモリになると、韓のように米・中どちらからも嫌われそうです。

 ウサギは、さして武器がない小動物だから他の動物たちの顔色をうかがっているですか。日本の軍事力は世界第7位で、ロシアの専門家によれば、ひとたびその気になれば短期間のうちに4位になれると言われているとか。ベスト20に入らないスイスが中立を保てている。イスラエルは17位で近隣のイスラム相手に優位にいる。北朝鮮はずっと下位にいるのに核があるぞ、いざとなったら自暴自棄になるぞと脅かして成功している。織田信長の頃の合戦では、兵隊の数の多いほう、騎馬の武士の多いほうではなく、種子島銃の多いほうが相手を圧倒したように、いまだに強力な武器を持っているほうが勝つようです。
 そういうことがないようにするために国連があるはずですが、5大国の拒否権という妙なものがあるために国連の存在が無力なものになっています。今の不公平で役に立たない国連は一度壊したほうがいいので、日本は世界第2位の多額な協力金を出すのをやめて、ドイツと一緒に脱退したらいいのではないかと思うのですが、どうでしょう。むろん、それにはアメリカ追随主義をやめますが、難しいでしょうね。(笑)

2017/05/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

3.『大なる者は小なる者を助けよ』。だと思いました。
3のパクリではありませんからね(●^o^●)

体の大きさのみではなく、深い意味を持っています。

小さなものに翻弄されながら生きていますから。

いやいや、結局、小さな私です。

小さなものがなければ、大きいものがわかりませんよね。


おまけ

10.『女は灰になるまで美しくあれ』。
う~ん、これは難しいですね。

美しさは、容姿だけではないですが。

無理なく、自然体が良いですね。

無理をすると、おかしなおばあさんになりますから。

美しさは、男性にもあると思います~。

2017/05/13(土) |URL|Miyu [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/05/13(土) || [edit]

謎とは違和感

おはようございます
エリアンダーさんも風子さんもmiss keyさんも
そして麦蕎さんも(バーソさんでしゅ)
どこかが違うぞと感じました
其の違いはおいらにとって『謎』でしたが
或る日
霧が晴れるようにすっきり見渡せたのです
風子さんは
自分では「おばさん」と言っておりますが
娘っこの儘であります
エリアンダーさんは一見タキシードが似合いそうですが
案外落語家かもしれません
miss keyさんは忍者です
本名は霧隠才蔵といいます
これはwikkで調べました・・・?


嘘でしゅ
ただ miss key さんには何時も驚かされるでしょ
これが彼が忍者だということでしゅ

わたくしは『彼』ではなく
もしかしたら女性ではないのか?と
ときとしておもいます


そして
バーソさんです
わたくしとは真逆、じつに素直なおかたです

>ひとの理論を素直に受け容れ
>しあわせと感じる・・・・?


どうやら
ここいらに皆様方のブログを
おいらは『お師匠様』と崇める理由がありそうです
それってなに?
あはは!。

2017/05/14(日) |URL|婆ちゃんっこ?・ウナ [edit]

Re: タイトルなし

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 体の大きさのみではなく、深い意味を持っています。
小さなものに翻弄されながら生きていますから。
いやいや、結局、小さな私です。
小さなものがなければ、大きいものがわかりませんよね。

 うーむ、比喩的に解釈をとりましたか。なんだか深そうでちょっと考えました。「小さなものに翻弄」の「小さなもの」とはなんでしょう。日常のこまごました出来事の意ですかね。翻弄されるとはひとつひとつの出来事を大切に見ているということですね。何も考えずに、流して生きているのではない。とすればいいことじゃないですか。あ、いや、考えすぎということですか。そのほうかな。ならば真面目すぎ。いいことじゃないですか。よく眠れていますか。ひょっとしたら、バタンキューじゃないですか、疲れてしまって。なにしろ3つの世界で頑張っているので、体が大変。よくやってます。何かを減らせれば楽になるのでしょうが、まあ、今のままでやっていける間、やっていきなさいという天のご意思かもしれませんしね。多分そうですよ。

 「灰になるまで美しくあれ」。これは、しわを作るな、白髪になるなという意味じゃないですよ。女であることを忘れないでいてほしいということです。男にとって女性とは、優しい清らかな存在なんです。そのイメージをぶち壊してくれるな、街なかで大声でしゃべったり、下品に笑ったり、図々しい厚かましい態度を取ったり、そういうことを年取ってからしないでほしいという意味なんです。
 そうでないと女性に対する憧れのような気持ちが消えてしまいます。男にとって女は永遠に天使の存在であることが願いなんですよ。年取ってからも、きれいに身なりを整え、きれいにメイクをして、上品な表情をしている女性はいいですね。あ、もちろん、これは男に対しても言えることで、わが身を振り返る必要がありました。一方的に好き勝手なことを言って、失礼しました。(^^;)

2017/05/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね、ひとを助けたつもりでも、いずれはその分だけ助けられる。これは聖句がありますよ。旧約聖書の伝道の書11:1です。

「あなたのパンを水の上に投げよ、
  多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」

 パンを水の上に投げるのは一見、意味がないように思えますが、多くの日ののちに、それを得る。すなわち善行とは、いつか巡りまわって自分に報いが返ってくるものだと言われています。すぐ返ってくるのではなく、多くの日ののち、であることもあるのですね。
 続く聖句はこのように続いています。


「あなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。
  朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。
  実るのは、これであるか、あれであるか、
  あるいは二つともに良いのであるか、
  あなたは知らないからである」

 神はすべてを導いている、すべてを見ている、善行も悪行も。というのは宗教的な教えです。でも、なんであれ、朝のうちに種をまき、夕方まで懸命に真面目に働くのはいいことですよね。因果応報、原因結果。これは自然の、そして人生の法則です。愛の種をまく者は、愛の実を刈り取ることができるのです。ああ、書いていて、ちょっと口がこそばゆくなりましたが。(笑)

2017/05/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 謎とは違和感

婆ちゃんっこ?・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 エリアンダーさん、miss.keyさん、風子さん、そしてバーソに関心を持っていただいて、ありがたい限りです。
 文章というのは面白いですね。顔も職業もよく分からないのに、なんとなく分かっているような気になっている。文章を見て、その人の人となりを感じているのですね。いつもにこやかにしているように感じる文章もあれば、いつも怒っているように感じる文章もあります。書く内容で違うというより、微妙な言い回しの違いでそう感じるのでしょうかね。

 私は、ウナさんもエリアンダーさんも風子さんもmiss.keyさんも皆、にんまりしながら面白がって文章を書いているように感じます。日常を楽しんでいるように感じます。ポジティブです。暗くない。いい波長を発散しています。私だけちょっと暗めなところがありますがね。

> >ひとの理論を素直に受け容れ
>しあわせと感じる・・・・?

 これをより正確にいうと、ひとの論理に納得した場合には、物事の理解がひとつ深まるので、それを幸せに感じるということですね。だから頭のいい人の文章を読むのは好きです。説得されるのも好きです。

 物事をもっとよく理解したい、宇宙の成り立ちを理解したい、人生の意味を理解したい、見えない世界を理解したい等々。人生は理解を増やして、喜びを感じるためにあるのではないかと思いますね。明日に道を聞けば夕べに死すとも可なり、と孔子が言ってます。私は、まあ、そこまでの追究心はないですが、日常のちょっとしたことで理解や啓発があれば、ああ、人間として生きているのはいいことだなあと思います。

 ところでウナさんは、どんな人、いや、どんな仕事をしていた人なんでしょう。Wikipediaに載ってないのですが。(笑)

2017/05/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ゆいがどくそん

ひとの不足をさり気無く補う?
これほどあり難いものはありません

今日の日も皆様に佳き日でありますように・・

2017/05/14(日) |URL|婆ちゃんっこ?・ウナ [edit]

Re: ゆいがどくそん

ウナさん コメントありがとうございます^^)
 あれ、不足を補ったつもりはないのです。素直だと褒められたので、いえいえそうではないですと言うつもりで、単に知識が増え、理解が深まったので、それが楽しいのですよ、と謙遜で(←ここ重要。笑)言い訳を書いたに過ぎません。

 ウナさん宛の先のコメ返を見直したら、誤字が二か所ありました。推敲したつもりでしたが、失礼しました。
追伸:また見たら、もう一か所ありました(^^;)
 最近はこういうのが多いのです。そうしたら突然、他でも間違えていた誤字に気付きました。出典を出展としていました。過去の記事を見直したら、他にもありました。
 ああ、恥ずかしき、加齢かな。と、ここは歳のせいにさせておいてください。(^^;)

2017/05/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

コメント、ありがとうございます。

実際に外国人を見ればわかる。

職業柄、結構クライアントに、
外国の人がいます。
ブラジル人、ペルー人、ボリビア人、
フィリピン人、中国人、韓国人、
少ないですがベトナム人、インドネシア人、
珍しいところでイタリア人などです。

何とか辞書を使えば会話できるのが、
英語、スペイン語、ポルトガル語、
中国語と韓国語は挨拶程度、
ベトナム語は非常に難しく、
いつも困っております。

齧っただけなら、
イタリア語、フランス語、ドイツ語、
ロシア語、アラビア語、フィリピン語、
でも全く使えません。

けれども現実に外国の人々と会話すると、
日本人の夫婦の愛情、
特に子供や孫への愛情が、
あまりにも希薄な事に驚きます。

アメリカの文献で、
「ヒスパニックはアメリカ人より、
 はるかに家族愛が強い」
そう原書で読みました。
全く同感です。

実際に各外国人と付き合ってみると、
日本人の家族愛の希薄さに、
誰でも納得できるはずです。
要は意志疎通する気があるかどうかです。

私自身の経験では、
キリスト教徒はキリストの教えを全く知らず、
仏教徒は仏教を全く知りません。
私自身は完全な無宗教で、
天皇制を含む全ての宗教的権威を認めません。

マザーテレサが日本人の愛情のなさを指摘したのは、
有名な事実ですが、
それが真実か否かは、
外国の人々と真摯に向き合わねば、
決して実感できません。

マザーテレサを云々されるより、
キリストの言葉を思い出して下さい。

「裁くな。
 あなた方自身が裁かれないためである。
 あなた方は互いに愛し合いなさい。
 私は生贄よりも、
 憐れみを好む。
 平和を作り出す人々は幸いである。
 この人達は神の子と呼ばれるだろう。」

あなたのおっしゃっておられる言葉を聞くと、
キリストの教え、
何を彼が言いたかったか、
もう一度学んで頂きたいと思います。

私は世界の人々から差別を無くし、
戦争を回避したいだけ。

キリスト教徒を軽蔑する私の方が、
残念ながら、
よりキリストの思いを、
実践しているようですね。

御自身の御言葉が、
平和主義や差別撤廃に役立ちますか?
キリストやマザーテレサがご自身の言葉を聞いて、
「素晴らしい」と言うでしょうか?
何のための批判であるのか、
何の役に立つのか、
それをご自身に問いかけてみてください。

キリストの思い、
マザーテレサの願い。
本当に理解しておられますか?

実際に外国語を学び、
諸外国の人々と深く付き合ってから、
私の意見が間違っているか否か、
マザーテレサが嘘つきかどうか、
御意見をおっしゃってください。

2017/05/14(日) |URL|motomasaong [edit]

Re: コメント、ありがとうございます。

motomasaongさん コメントありがとうございます^^)
 おや、ご自分のブログのコメント欄で返信するのは当然だとしても、相手のブログのコメント欄にまでも、ご自分のコメント欄に書いたのとまったく同文の長文返信を書いてこられるとは、ちょっと予想外で驚きました。
 私がそちらのコメント欄を見ないと思ったのですかね。それとも抑えきれないほどのものがあったのか、あるいは拙ブログの訪問者にも知らせようと思ったのでしょうか。
 
 率直に申し上げますよ。
 第一に、あなた様に勘違い、読み間違いがありますね。第二に、度を超した憤りの感情が見えます。第三に、私の質問に答えていません。

------------------------------------------------------------
●第一に、勘違いから指摘しますよ。
 最初に、あなた様の引用したマザー・テレサの言葉を引用します。
> 「確かに日本人は経済的には豊かです。けれども同じ人間である沖縄や福島、病人や高齢者やシングルマザーなど、社会的弱者を切り捨て、嘲笑う人が、どれほど多いことでしょう。同じ人間である近隣諸国への態度は正しいものでしょうか? 日本人ほど心が貧しい哀れな人々は居ないのです。」――マザー・テレサ

●次に私の書いたコメントを引用します。

> マザー・テレサの言葉には、ちょっと驚きました。
確かに日本人は心が貧しいと言われてもしょうがないかもしれません。
ただ、世界と比べると、それほどひどいとも思わないのですが、
ここでは「日本人ほど心が貧しい哀れな人々は居ない」と言われています。
この「ほど」が気になったのですが、本当でしょうか。

もうひとつ、気になったことがあります。
「沖縄や福島」の「福島」とは311以外考えられませんが、
そうなら東日本大震災は2011年で、マザー・テレサは1997年没です。
キーワードで検索しましたが、ちょっと見つかりません。

以下のサイトに、1981年来日時の彼女の言葉が一部引用されていました。
http://nippon-senmon.tripod.com/column/mather.html
趣旨は《日本人はインドのことより、日本の中で貧しい人々への配慮を
優先して考えるべきだ》という文脈で述べているようなのですが。

私はキリスト教に長く関わっていたので、政治には全く疎い人間です。
テレサがこういう言葉を言ったのかどうかが気になり、お尋ねします。


●そして、今回のあなた様から来たコメントの最後部分を引用します。
> 実際に外国語を学び、
諸外国の人々と深く付き合ってから、
私の意見が間違っているか否か、
マザーテレサが嘘つきかどうか、
御意見をおっしゃってください。


 どうでしょう。私のコメントでは「マザー・テレサを嘘つき」だなどと書いているでしょうか。あなた様の「意見が間違っている」と書いているでしょうか。そんなことはまったく言ってないはずです。どの文章で言ってますか。あなた様の勘違い、読み間違いではないですか。

 私はマザー・テレサを敬愛しているので、彼女が「日本人ほど心の貧しい哀れな人々は居ない」なんてことを本当に言ったのだろうかと不思議に思ったので、お尋ねしただけです。「ほど」というのは、世界で日本人が最もひどいという言い方ですから、あの愛のテレサがそこまで他者を悪く言うことがあったのか、それほど日本人は世界で一番邪悪なのかと不思議に思ったのです。

 世界の歴史を見れば、何百万人ものユダヤ人を虐殺して人間を石鹸にした国もあれば、色の黒いアフリカ人を大勢奴隷としてこきつかった国民もいれば、貧しいアジアの国の人々を植民地にして搾取した国々もあれば、戦争敗北が決まっている国の一般市民を原爆やB29の焼夷弾で大勢無残に焼き殺した国もあれば、自国の政府に反対する国民を何百万人も粛清抹殺した独裁支配者も中・ソをはじめとして最近の北朝鮮など、大勢います。こういう事例はキリがなく列挙できます。むろん、あなた様が書かれているように、戦前の日本軍にも問題がありました。

 むろん邪悪だというのと、心が貧しく哀れだというのとでは、ニュアンスは違うのですが、心の優しさと言い換えても、それほど日本人が世界で一番悪いとも思えなかったのです。あの311のときに福島の人たちが暴力的にならなかったこと、その忍耐力と互いを思いやる心遣いに、世界中が感心して褒めたのではなかったですかね。

 いま犯罪率は世界で日本は3番目だそうです。外国人が口を揃えて言うには、日本は非常に安全で清潔だそうです。あなた様が一部の外国人を見て感じたように、日本人は家族愛が薄いのかもしれません。でもそうだとしても、思いやりやおもてなしの心というような霊性は、テレサから「日本人ほど…いない」と悪く言われるほどなのか、本当にそう言っているのかな、と疑問に思います。
 私は別に極右でも極左でもなく、単にテレサに対して抱いていたイメージが違っていたので不思議に思っただけです。
 ですから、あのテレサの言葉はここに確かに書かれていたよ、と引用文の出典を教えていただければ、それで十分でした。それを知りたかったのです。

 こんなに怒りの感情を持つのはなぜでしょう。あなた様のブログを攻撃したのではなく、ただ引用文の一部に論理的な疑問があったので、尋ねただけです。いま自分の質問文を見直しても、そういう勘違いされるような書き方は全然してないと思うのですがね。あなた様のように頭のいい人がなぜそう思うのでしょう。不思議です。


------------------------------------------------------------
●第二に、私の言葉(ブログ)を平和に役立たないと指摘しています。
 これについては一言もありません。おっしゃる通りです。あなた様ほど立派な目的は持っていません。私がたいした人間ではないことは認めます。私は、ただただ自由自由とだけワンパターンで言っている、つまらないブログを書いている者に過ぎません。
 大体が社会を変えようなどと大それたことは、いま現在は思ってはいないのです。そういうことは過去の人生で、自分なりに人生を懸けて何十年もしてきたつもりですが、キリスト教信者であることは、だいぶ以前にやめています。
 いまは、私の感じたこと、思ったことを駄洒落やジョークを込めながら、書いているだけですよ。落語家に対して、おまえは天下国家を論じてないじゃないか、と非難しても落語家は困るでしょう。私は落語家ではないですが、要はそういうことです。道路を歩いている誰かに、おまえは天下国家を心配しているのか、などと言ったら、言ってることは正しくても、変人扱いされるとは思いませんか。そんなことは、他の人に気軽に言うべきことじゃないのです。

 あなた様のような考え方だと、政治批判ブログでないブログは全部駄目だ。政治ブログであったとしても、自分の意見だけが正しい、そうじゃない他のブログは全部駄目と言っていることになりませんか。
 それは反対意見を持つ人たちから言わせると、独善だ、思い上がりだ、何をそう偉そうにしているのか、と逆に言われてしまうのじゃないですかね。
 だから、人には自由がある、人の自由意志は、ひと様に迷惑が掛からない限り、認めたほうがいいというのが、拙ブログではいつも言っているのです。

 そして、相手への軽蔑を含んだこのような非難・攻撃は、寅さんなら「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言われそうなことではないですか。
 本当に、それを言ったらおしまいなんですよ。こちらは単純な質問をしただけですから、あなた様は、その質問に、理性的にただ答えるだけでいいはずのことです。

 そういうお前はなんだ、と当面の議論点以外の、相手の人格や生き方まで非難攻撃するのは、愛がないですし、議論をするときのルール違反です。こういう言い方はしたら駄目です。した方が、理性的でない点で負けになります。
 あ、いや、議論なんかしていませんね。ただ、当方は質問しただけで、そちら様は面倒じゃなければ、質問に答えて、サイトのURLか、書名とページを教えてくださればよかっただけのことなんですから。


------------------------------------------------------------
●第三に、私の質問に直接答えていません。
 質問を繰り返しますが、(1)「日本人ほど」と、「ほど」が付くほどの酷評をテレサが実際にしたのか、(2)福島という地名を本当に言ったのか、という2点が私の確認したい点でした。
 (2)については、テレサが亡くなったのが1997年で、東日本大地震が2011年ですから、亡くなっているテレサが「福島」のことを言うはずがないのです。
 この点を指摘されたら、普通は、あ、そう言われれば時間的に矛盾する、ちょっと確認してみようと思うのではないですかね。それがごく自然な反応だと思いますが、そういうふうには思わなかったのですか。テレサが亡くなって14年後に起きた福島のことをテレサが言うはずがないのですから。それが分かりませんか。

 もう一度申し上げますが、あなた様の意見が間違っているとはひと言も言ってませんし、テレサが嘘つきだなどともまったく言っておりません。テレサが語ったとされる文章なら、おかしな点があるので、その出典を教えてほしい、引用は正確ですか、と尋ねただけですよ。私の疑問は当然じゃないですかね。相手の生き方、考え方まで攻撃して怒るようなことですかね。かなり頭のいい人のようなのに、不思議です。

> キリストの教え、
何を彼が言いたかったか、
もう一度学んで頂きたいと思います。

 これはきつい言い方ですね。こういう言い方をされると、大抵の人は一言もないと思いますね。逆に、同じことを言われたら、いや、私はキリストの教えをちゃんと学んでいると答えられますか。もしそう答えたら、ずいぶん思いあがっている、自称義人だ、パリサイ人だと言い返されるか、そう思われるだけですよ。

でも、いや、あなた様はそう思っておられるようですね。
> キリスト教徒を軽蔑する私の方が、
残念ながら、
よりキリストの思いを、
実践しているようですね。

 これはこれは、たいした自信です。自信を持っている人にはかないません。しかし相手を誹謗して、自分を高める精神は、ちょっといただけませんね。全然いただけません。キリストの思いとは程遠いです。

 あなた様の文章を見る限りでは、失礼ながら、どう見ても平和や親切を愛好する温和な優しい心を持つハト派の人には到底見えませんよ。ひとからは、自分はハトのように見えていると思いますか。
 それどころか、ひとを憎しみで攻撃する、かなりのタカ派のひとのように感じますね。もし自分は《平和を求めるタカ派》だと言うのなら、その言葉自体に自己矛盾があります。平和の原爆、愛のレイプ魔と言うようなものです。
 いや、違う、私は柔和で優しくて人を許すキリストの思いを持っていると胸を張って言えるのですかね。まあ、言えるのなら何とも言いようがありませんが。

> 私は世界の人々から差別を無くし、
戦争を回避したいだけ。

 非常に素晴らしいことです。これについては、賞賛すべき心掛けだと思います。なかなかそういう人はいませんから、立派なことだと思います。どうぞご自分でやりたいことをすればいいでしょう。私は、それについて干渉したり、批判したりする気持ちは皆無です。それどころか、ブログを拝見すると、お説には一理あると感じることもあり、その真面目さと熱意には常々敬意を感じています。
 ただし世の中には考え方が対極の人もいます。その人たちから見れば、あなた様の考え方は正義の正反対であることは覚えておいた方がいいでしょう。

------------------------------------------------------------
●なお、余計なお世話かもしれませんが、非常に真面目な方のようですので、これを読むかもしれない他の方のためにも、ひとつ助言をさせてくださいな。

 まず、文意を勘違いしないことです。素直に読むことです。これは基本です。
 そして、こういうコメントのやり取りをするときのスキルとして、反論があれば当該質問に対してだけに絞ることが大切です。そうでないと話が次から次へと広がり、激しい論争になり、喧嘩になります。
 ちょっと意見が違うからといって喧嘩までする必要なんかないでしょう。しかも今回の件は、私の側の異見や批判、攻撃ではなく、単なる疑問の質問なんですから。
 そして一番肝心なことは、当面の議題を外れて、相手の人格や生き方まで軽蔑し、攻撃し、相手を傷つけるようなことは絶対に言わないことです。そんな毒のある言葉を言ったほうがいいとは、キリストもパウロもテレサも言ってないでしょう。絶対に禁物です。もし言いたくても、それを言っちゃあ、おしまい。悪ガキがする口汚い罵り言葉になるだけです。


------------------------------------------------------------
 以上、ずいぶん長文のコメ返になりましたが、これも拙ブログのコメント欄にまであなた様からコメ返があった(これもコメントのルール違反です。どうしても書きたければ鍵コメにすべきでした)ので、私もここに書きました。

 そちら様のブログには、私のほうからコメ返を返すつもりはなかったので、これで最後にさせてください。
 ただ、出典が分かるのであれば、教えていただければ、お互いにすっきりすると思いますが。
 またお邪魔させていただきますね。私は別に怒ってはいませんのでね。このぐらいのことで怒ることはありません。

2017/05/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

何らかの行動には無論何らかの思惑が有る

 像は木を倒してしまえば実を得られる。しかしそれでは来年の実を得る事ができない。
 猿は木を登れば実を得られる。しかし猿も木から落ちるの通り高い所はリスクが有るし、登るのも結構大変。
 兎は草があればそれで良く、基本的に実が無いなら無いで困らない。
 鳥は、像に木を倒されては住む場所がなくなるし、猿に来られては済む場所が荒らされるし、兎に隠れていられたら鷹の標的が自分になる恐れが有るので表に引っ張り出す必要が有る。

 像は、鳥が実を取ってくれるなら来年も実にありつける。
 猿は、鳥が実を取ってくれるなら安全だし楽も出来る。
 兎は、鳥が実を取ってくれるならたまに変った物が食べられる。
 鳥は、象が大人しくしててくれれば巣が護れるし、猿が大人しくしててくれれば平穏に過せるし、兎が目立ってくれれば我が身も安全。

 うむ、情けは人の為ならず。

2017/05/14(日) |URL|miss.key [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/05/14(日) || [edit]

誤字があることについての、わたしの考えです

こんばんは、バーソさん。
わたしの思い過ごしでしたら、
この話は流して頂ければいいです。

誤字が増えているという件につきまして、
わたしなりに思うことがあります。

本来の自分のミスではないところで、
言葉が替えられていることがあるとするなら、
それは、相手に自分の意志を正確に伝えることが
難しくなるかもしれないということです。

今回は、それだけを言いたかったです。
わたしの勘違いであればいいのですが。

2017/05/15(月) |URL|真 [edit]

Re: 何らかの行動には無論何らかの思惑が有る

miss,keyさん コメントありがとうございます^^)
 なるほど、みんな思惑というものがあるのですね。
 思惑とは、思い惑うことなり。思い惑いは良くないと知りつ、思い惑うことの哀しさよ。
 意味は《思うところ、期待》の他に《恋心、恋い慕う相手》もあり、「しわく」と読めば仏教用語で、生まれながらに備えている煩悩のひとつのようですね。辞書を引きました。辞書でも引かないとmiss.keyさんには対抗できません。(笑)
 
 ふむふむ、なるほど、それぞれに思惑があるようです。ひょっとしたら「猿も木から落ちる」を思い付いて、その発想を敷衍して各々の動物の思惑を推測したんじゃないですか。
 この中では「兎は草があればそれで良く、基本的に実が無いなら無いで困らない」。これが気に入りました。人生、足るを知る。老子です。

 最後の、誰かが何々をして「くれるなら」がいいです。「情けは人の為ならず」。そうです。他者にした善い行ないはいつか自分に返ってきます。自分が生きていられるのは、自分の働きのせいだけじゃない。阿弥陀様のおかげです。これは一向宗の考え方でしたか。これを江戸時代の境の商人だったかが、なかなかよろしいなあと思い、「おかげ様で」という挨拶言葉として全国に広めたようです。

 キリストも同様のことを言ってますね。有名な「人はパンのみによりて生きるにあらず」がそうです。これは「神のことば、すなわち神のご意思によって生きているのだ」と続くのですが、信仰があろうとなかろうと、他者に感謝し、協働して、平和に暮らすことはいいことです。

 今回は、miss.keyさんは何だか後ろから後光が射してる人のように見えてきました。後光の擦り切れ、水行松、雲来待つ、風来沫。ええと、長久命のいかりや長介みたいです。(笑)

2017/05/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。そう言われると、ぐっすり眠れます。と言いたいところですが、これは朝、見ました。なので、目覚めがよかったです。(笑)
 そして目覚めの良さはしばらく持続しそうです。ご丁寧にありがとうございました。またおじゃまします。(^^♪ 

2017/05/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 誤字があることについての、わたしの考えです

真さん コメントありがとうございます^^)
> 本来の自分のミスではないところで、
言葉が替えられていることがあるとするなら、

 いや、自分の単純なミスだと思います。時々、誤変換のまま気が付かないで出してしまったり、単に間違えたり、うっかりだったりして、後で自分で気づくことがありますから。昔からこういうことはあるのですが、最近はミスが多くなりました。歳のせいだと思います。

 今回は、正しくは「出典」を「出展」と誤変換のまま出してしまったのですが、過去にも、自分ではキャキュキョは「拗音」だと知っているのに、なぜか「促音」と打ってしまったことがあります。あとで気付くと恥ずかしいですね。

 真さんはこういう話とは別に、誰かから勝手に変えられてしまったりすることが時々あるようで、不思議に思っているのですが、パスワードで管理されているはずのものに、他の人が勝手に入り込むというのはどういうわけなんでしょうね。物理的次元ではない方法でそうされているのでしょうかね。ちょっと気になっています。

 ご心配いただいて、うれしいです。
 いつもありがとうございます。(^^♪

2017/05/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

健康診断には「脳梗塞」は出ない

長いコメントをみて『ムツ!』ときました
バーソさんへのコメントでした
抗議の意味を込めてコメントしようかと思いましたが
(助け舟?援護射撃?)
やめました
バーソさんならこやつくらいはねじ伏せると・・・
案の定でやんした

こんにちちわわ・・・ワンッ!・・?
拙ブログにも脅迫が来たり
ややこしい人がたまにやってまいりますが
彼等には共通項が儘あります
・挨拶が無い、とか
・文章の裏に隠された本音が判らない、とか
・文章をそのまま読み取れない、とか
・上から目線だとか

バーソさん!
雑魚が掛かるのも漁の楽しみのひとつです
そう思いそのままリリースもありでしゅ
あはは。

2017/05/15(月) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: 健康診断には「脳梗塞」は出ない

ウナさん コメントありがとうございます^^)
 ははは、感想をありがとうございます。
 私はキリスト教徒だった頃もそうですが、今まで議論で負けたことはないのです。
 なぜかといえば、自分にミスがあったと分かった場合は、すぐ認めて謝りますから、議論にはなりません。私は、そういう点では素直でしょうか。自分の間違いが分かっていて、なお言い張ることはしません。

 相手にミスがあり、面と向かっている場合、論理が通じないで感情的になる人間なら、相手にならないで黙って引き下がります。
 論理が通じそうな人の場合は、やっつけてしまわないよう、ある程度のところまで自分の意見を述べるに留めます。

 今回は、甚だしい読み間違いが相手にあったのと、こちらに対して、軽蔑するとか、もう一度学べとか、自分のほうがキリストの思いを持っているとか、本題とは関係のないことを、尊大に失礼に偉そうに言ってきたので、きちんと言い返す気になりました。

 これを読む人が他にもいるでしょうから、ウナさんとは全然関係のないことですが、言葉の説明を補足で少し述べさせてください。

 「キリストの思い」という言葉が出てきましたが、キリストは当時の政治支配者を批判したことは一度もないのです。
 ローマ総督から「あなたはユダヤの王か?」と聞かれたとき、こう答えています。「私の王国はこの世のものではありません」。
 ですから、この政治体制を変革しようという気はイエスにはありませんでした。人々がイエスを王に祭り上げようとして近づいてきたとき、
イエスは「山に逃れた」と書かれています。イエスは平和の使者なんですね。
 では一切だれも批判しなかったのかと言えば、当時のパリサイ人と呼ばれる自称義人たちを痛烈に非難しています。こう言っています。
「盲目のパリサイ人よ、偽善者よ、まむし(ヘビ=サタン)の子孫よ、あなた方は災いだ。あなた方は杯と皿の外側は清めるが、その内側は強奪と節度のなさとに満ちているからだ。確かに外面では義にかなった者と人に映るが、内側は偽善と不法でいっぱいだ」。マタイ23:25,28
 
 立派そうなことを言って、立派なことをしていても、内面の人格、愛や優しさや親切心に問題がある自称義人。そういう人をイエスは非常に嫌っています。高慢さは神に忌み嫌われるものだからです。
 
 こういう人は、ウナさんが指摘されたように、ひとへの敬意が欠けています。文意が正確に読み取れないのは不思議な感じがするほどです。憎しみの感情でいっぱいになっているせいでしょうか。
 そして上から目線ですね。これが一番の問題点です。自分のミスを認めたくない。謙遜さがない。自分を高めたい。相手を落としたい。こういう尊大な精神は、聖書では悪魔サタンの精神と同義とされています。

 今までブログでは批判を何度かされましたが、敬意を持って、論理的にされたことはないですね。読み間違いが非常に多いです。ちゃんと読んで文句を言えよ、と言いたくなるほどです。
 もちろん私の文章の間違いを指摘されたことは何度もあります。そういう場合は必ず訂正をして、その方に感謝することにしています。
 ですので、ウナさんが何か異見があるときは、遠慮なく、あるいは遠慮していただけると有難い限りです。(笑)

2017/05/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

どうも、横から、

水を差して済みません。
大部前にマザー・テレサのことを
自分のブログでチラッと書いたことがあります。
彼女は日本を発つ時に「日本は物質は豊かだけれど、
心は貧しい」と言って発って行ったのでした。
恐らく日本での実入りが少なかったのでしょう。

マードレ・テレーザ(テレサ)は、イタリアで
尊敬をされている面もありますが、
好感を持たない人たちも多いです。

カトリックの国なので、教会とは親密ですし、
寄付も多いです。
「自分たちが苦労して納めているお金を持ち出して
ばかりいて」
「何たらこっちゃ」という風でした。

インド人のためではあった、でも、それこそ
国連がもっと力を入れても良かったのですよね。

パパ・フランチェスコがダライラマ法王の
申し出を断って、チャイナ・マネーに心惹かれているように、
結局、カトリックの底には金子あるわけです。

しかし、私はカトリック教徒さん達に助けられましたし
(菩提寺でもしてはくれないでしょうことを)
感謝もしております。

そして、私はマザー・テレサの真似はできません。
やはり選ばれた人でしょう。

どうも、横から失礼いたしました。

2017/05/16(火) |URL|ミルティリおばさん [edit]

Re: どうも、横から、

ミルティリおばさん コメントありがとうございます^^)
 あらー、わざわざご丁寧にすみません。
 テレサの言葉については検索を掛け、私が疑問に思った二つの言葉「日本人ほど」と「福島」は出てないことを確認してから、相手の方に質問したのです。

 ネットで見つけたマザー・テレサの言葉を引用します。
 《心の貧しさ》という言葉については、冒頭に1箇所、後半に3か所出てきます。太字は私がそうしました。


----------------------------------------------------------------
「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」
「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。その人が飲んだくれだから! でも、彼もわたしたちも兄弟です。本人はきっと孤独でしょう。みなから無視されての……。やけ酒かもしれません。」
「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません」 マザーテレサの日本人への提言より部分引用 http://koshian.hateblo.jp/entry/20080613/1213358191

----------------------------------------------------------------
 冒頭の「この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
ここでは「日本人ほど心の貧しい人はいない」とは言っていません。「大きな心の貧困です」とは言ってます。でもこれはごく当たり前の普通の言い方です。経済的に豊かな国に来て霊性の必要性を語るときに《小さな心の貧困を見ました》とは言いません。これは言葉(説教)のレトリックです。宗教指導者なら誰でも、経済的に豊かな国に行って公に発言する場合には、こういう言い方をするでしょう。

 後半でも、心の貧しさという言葉が出てきますが、これは心の貧しさについての単なる一般論の聖書的な注解に過ぎず、日本人を特定したものではありません。
 だからテレサは「日本人ほど心の貧しい人は居ない」などとは全く言ってないのです。

 なお最後のほうで「愛は家庭の中から始まる」と言ってますが、これは日本人の家庭愛が弱いと言っているのではなく、当時、日本がインドだかの援助をしていて、それよりまず先に自分たち日本人自身を援助しなさいと言っている文脈で語られている、とネットでは複数か所に書かれていました。

 そして「福島」に関しても、テレサが亡くなって14年後の福島大地震についてテレサが述べるはずがないのです。検索しても見つからなかったです。

--------------------------------------------------
 私は日本人が世界で一番素晴らしいとは思っていませんが、世界で一番ひどいとも思っていません。むしろ比較すれば、いいほうじゃないでしょうか。犯罪率世界3位であることがその証拠のひとつです。

 極右や極左の人はイスラム原理主義のテロリストと似たところがあります。思うことが偏狭で、行動が極端です。目的達成のためには手段を択ばずというところがあります。自分と違う意見を持つ人を憎しみ、攻撃し、場合によっては殺し、そのためには自分が死ぬことさえします。平和を愛する人は、そんなことは絶対にしません。

 正義感を持つのは悪くはないですし、世の中をよくしようと思うのは立派なことですが、自分の論議の正当性を主張したいがために証拠に手を加えるようなことまでするならば、それは犯罪です。自分の意見として何を言おうが勝手ですが、引用文を捏造してはいけません。「沖縄」「近隣諸国」についても、テレサはひと言も言ってはいません。


 カトリック教徒さん達に助けられましたか。
 カトリックにもいい人は大勢いるでしょうね。そしてテレサも人間ですから、すべてが立派だったということもないでしょう。晩年には不信仰なことを言ったようです。

 キリスト教徒であろうと仏教徒であろうと、いい人も、そうでない人も、いろいろいるでしょう。宗教人に良くない人を見たからといって、では無神論者がそれ以上に素晴らしいかと言えば、そんなことも全然ないでしょう。
 自分の見たごくごく一部の人を見て、国民全体や宗教全体を判断するのは、あまりにも単純思考です。群盲象を評す。目が開いていても、物事がちゃんと見えない人がいるのは困ったものです。

 どんな組織でも、大きくなれば、どうしても不純なものが混じり込んできますね。組織は自分を守ることが第一の関心事ですから。
 宗教組織も政治組織も、そのトップにいる人たちは特に、もっと本来の存在意味を認識してくれればいいのですが。

2017/05/16(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おはようございます!

度々どうも。
バーソさんのご紹介をさせていただこうと、
貴ブログを訪れました。

そうしてバーソさんのご返信を読みました。

「カトリックにもいい人は大勢いるでしょうね。そしてテレサも人間ですから、すべてが立派だったということもないでしょう。晩年には不信仰なことを言ったようです。

 キリスト教徒であろうと仏教徒であろうと、いい人も、そうでない人も、いろいろいるでしょう。宗教人に良くない人を見たからといって、では無神論者がそれ以上に素晴らしいかと言えば、そんなことも全然ないでしょう。
 自分の見たごくごく一部の人を見て、国民全体や宗教全体を判断するのは、あまりにも単純思考です。群盲象を評す」

これは大いに賛同いたします。

嘗て私はシスターたちから、テレサは
「日本は物質のわりに心が豊かでない」
と言って帰ってったよ、と聞き、
それを信じておりました。
当時、日本人は日本をそのように(理不尽に)
評することも多かったのです。
マザー・テレサの言葉の意味が分かったのは、
後にイタリアに来てからです。
日本で実入りが(求めていた金額が)
少なかったから、そうしたことを言ったのでしょう。
それなら辻褄が合う(よく理解できます)

カトリックは利を求める宗教です。
と、決めつけても理不尽だから
助け合いの精神も持っている宗教でもあります、
と、誉めたかったのです。

どんな組織でも利が絡んでいますものね。
詳しくは知りませんが、「エホバの証人」は
利とは遠い団体に見えますが。

兎に角、バーソさんのブログをご紹介させてください。また、伺います。

お邪魔いたしました。



2017/05/16(火) |URL|ミルティリおばさん [edit]

Re: おはようございます!

ミルティリおばさん コメントありがとうございます^^)
 あららー、どうも私の書き方がよくなかったです。すみません。
 全体の文章は、ミルティリおばさん宛に書いたというよりも、あの方がキリスト教徒を軽蔑すると書いてあったのと、これを読むかもしれない方々がいると思ったので、一般論として書いています。
 コメントは、意図が正しく伝わらないことがありますね。どうもすみません。

> 「エホバの証人」は
利とは遠い団体に見えますが。

 私も以前は全面的にそう信じていました。これほど清廉潔白な宗教団体はないと思い込み、自分のその一人に加わりたいと思いました。
 実際、個々の信者で金儲けに関心のある人など、まず皆無と言ったほうがいいだろうと思います。物質欲のない人たちばかりが集まっています。霊的なことを大事にしたい人ばかりが集まっています。

 しかしあの組織の中枢は違うのです。それが元中枢にいた人の告発やネットの情報で分かりました。あの組織の指導者層は、表面は白く塗ったきれいな墓に見えますが、内面は金儲けの亡者ですね。世界の真面目な信者を食い物にしていて、最近はそれがますます酷くなっています。
 偽善が判明し、教義の間違いや嘘も分かったので、離れたのです。
 
 先のコメ返に抜けがあったので、追加しました。これです。

 そして「福島」に関しても、テレサが亡くなって14年後の福島大地震についてテレサが述べるはずがないのです。検索しても見つからなかったです。

2017/05/16(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは ❀(*´◡`*)❀

とても楽しみながら読ませて頂きました!

まず、“Four Harmonious Friends” 「4匹のハーモニーしているお友達たち」(←下手な訳ですが、こんな感じが自分にはしっくり来ます)という、この絵に付されたタイトルがいい感じです (*^▽^)♪ 誰からも強いられずに自発的な意志で、こんな風に足で人(動物)のカラダの上に乗っかったり、自分のカラダの上に乗っけたりなんて、よほど仲良くハーモニーしている同士でないとあり得ない感じなので、タイトルが絵にとても似合っていると思いました。


「鳥瞰的」という言葉があるのですね。バーソさんに相当に依存して書き上がった先日の記事には、「自由に青空を飛び回る鳥」をイメージ(アイキャッチ?)画像として付けたのですが、あれは、「自由だけでなく俯瞰も意味しているよ〜!」と、あそこで伝えたがっているのかもしれないですね〜。

10の内の最後の解釈だけ、一瞬「?」と思ったのですが、「10個考えるのは大変だった。」そして「駄洒落たかった(笑)」、と知ってとても頷けました〜。10通りの解釈、「う〜ん、とてもなるほど!」でした。

「見解は人によっていろいろ。」.... 痛感します。人の「言動の動機や根拠」に戸惑うことのとても多い人生でした。独身時代は「自分の考え方」「人の考え方」といったことを特に意識などせずに(突き詰めて考えずに?)、「なぜそんな風に思うんだろう?」程度で過ごしていたのですが・・・。恐らくそうしたことを「きちんと理解したい。」という魂レベルでの願望があったのでしょう、亀の歩みではあるものの、ひとつ、またひとつと「理解したがっていることを理解し易くするのを手伝ってくれるような非日常的な出来事(事件)」に不可避的に巻き込まれるようなことが起こり続けました。「『誰が好き好んでこんなこと。』というような出来事も、自分が引き寄せたのだと考えるのが最も理に叶っている。」と思うようになりました。そのため(というと雑ですが)、私もある時期から「他の人が自分とは違う考え方を持っているのは、いわば当たり前。」となりました。同じ考え方の人ばかりが人生に登場したら、学ぶこともないで終わってしまうでしょうから...。

「異なる意見や感想を言われたぐらいで腹を立てる」について、感じたことを書きます。

「みな同じ人間」という視点より、ほんの僅かな属性の違いで「あの人たちはああいう人たち」といった決めつけをする心は、受ける印象として「怒りっぽく」見えます。そうした発言をしている時には「威勢がいい。」感じがします。ですが、そういった心は、肝心な時には怒らない(大人しい?)・・・ような気がします。

「非常に”身近な権威”による罪深き行為」などが明るみに出た時などには、その権威には決して怒りを示しません。日頃ライバル視をして、お互い仲が悪く見えるようなグループ同士でさえ、そういったときにはみんなで急に仲良くまとまってしまって、権威に対して大人しく服従するような身の処し方をする・・・といった場面を目の当たりにすることもありました。

また、「どうしてこういったテーマのことで、こんなに自分のことのように腹を立てられるんだろう?」と感じさせるような心は、「実はこの社会はそもそも洗脳社会として作られたものだ。」といった、もっとも根幹的なことには無反応だとも感じます。

「怒りっぽい心は、本当に怒らなくてはならないところでは怒らない。」これが私の「怒りっぽい心」に対する感想です。

今日の後半は、偉そうで暗っぽいコメントになってしまいゴメンナサイ。この辺で終わります。

2017/05/16(火) |URL|HeartLiberty [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/05/17(水) || [edit]

追記(訂正)デス。

バーソさん、おはようございます。
今朝、目が覚めて、昨夜自分が書いたことに少し違和感を覚えました。

「怒りっぽい心は、本当に『怒らなくてはならないところでは怒らない』。」と書いた部分です。「怒りっぽい心は、本当に『反応すべきところでは反応しない』。」に訂正します。「怒らなくてはならないところ」というより「看過するわけには行かないところ」と言わなければ適切でないように感じます。大いなる存在も、「怒る“べき”こと」ととしてではなく、「立ち止まって考えてみてね。そうすることで、あなたの怒り(←"恐れ"を背景とした?)の原因も根こそぎ無くなるかもしれないですよ...。」と投げ掛けるような意識で存在させてくれているものだと思うからです。大事なことに感じられたので、追記をさせて頂きました m(_ _)m ❀(*´◡`*)❀

2017/05/17(水) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: バーソさん、こんにちは ❀(*´◡`*)❀

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 このたびも、HeartLibertyさんは物事をよく考えているなあと感じました。人間の《考え》とは面白いですね。人間から《考え》を抜いて本能だけで生きる生き物にしたら、ずいぶんと味気ない人生になりそうです。まさに考える葦です。

> 「理解したがっていることを理解し易くするのを手伝ってくれるような非日常的な出来事(事件)」に不可避的に巻き込まれるようなことが起こり続けました。・・・・・・自分が引き寄せたのだと考えるのが最も理に叶っている。」と思うようになりました。
 そうでしたか。そう思ったことは、第一に必要な《気づき》なんでしょう。それに気付くと、自分の人生の一つ一つ出来事に意味があることが分かり、自分の生き方を見直して修正できるようになり、よりよい方向に前進できるようになります。
 
 確かに「同じ考え方の人ばかりが人生に登場したら、学ぶこともないで終わってしまう」ことになります。国家に思想統一されて、国民みんなが同じ意見を持つ国は、どんな空気があるのでしょう。
 
> 「怒りっぽい心は、本当に『反応すべきところでは反応しない』。」に訂正します。「怒らなくてはならないところ」というより「看過するわけには行かないところ」と言わなければ適切でないように感じます。
 ああ、そうですね。怒りはすべていけないわけではないでしょう。怒りや憤りが悪いものなら、人間には本質的に備わっていないはずですから。怒るべきところで怒るのは当然です。看過するわけにはいかないところで怒らないなら、人間の本質から外れることになります。少女が暴行されている現場に居合わせていながら何も感じないようでは人間ではありません。人間として当然に感じる怒りは抑えたり、ため込むのではなく、出してしまったほうがいい場合もあると思いますね。

 ですが、とかく人によくある怒りは、怒るべきところではない状況で生じており、自分のプライドが傷つけられたと思ったときに、それを守ろうとする場合に多そうです。面子をつぶされたと思うと、相手に怒りをぶつけて、プライドを取り戻そうとします。それは確かに「恐れを背景とした」感情でしょう。

 そう考えてみると、人間の怒りにしても暴力にしても、誰かを傷つける行動の原因というか心の背景には《恐れ》や《不安》があり、そうしたコンプレックスが潜在的に強い人ほど、不当な怒りの感情を発散して自分の内面にある矛盾を解消しようという心理が働くのじゃないでしょうかね。

 「人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故だろうか。それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ」―――ユダヤの格言

2017/05/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 なるほど、納得しました。人間は考え方が違っていくというのはいいことです。自分が前進していることの証拠ですから。

 「他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。 しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ」―――ラポック

2017/05/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2017/05/17(水) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 それはよかったです。私も行きたいのですが。
 ちなみに恵比寿は「第三の男」のテーマです。
 駅員に聞きましたから間違いないです。(笑)

2017/05/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、お邪魔しま〜す ( ´∀`) 

バーソさんともシンクロが起こることが、やはり結構あるように思います。お返事のコメントをどうもありがとうございました。

「怒りや憤りが悪いものなら、人間には本質的に備わっていないはずですから。怒るべきところで怒るのは当然です。看過するわけにはいかないところで怒らないなら、人間の本質から外れることになります。」
仰る通りと思います。恐れや不安を背景とした、自分を守るための怒りや憤りも、看過するわけにはいかないで生じた怒りや憤りも、自分の中で起こった感情を真っ正面から体験してみて初めて、今度は少し離れた(鳥瞰的な?←教えて頂いたので早速使ってマス)目で見る余裕も出て来ることができるのではないかと・・・。感情をちゃんと“味わう“という体験をして初めて、軽やかさとか自由さ、といったものも生まれる余地が出てきて、荒波も凪となることができるのではないかと・・・。バーソさんの仰る「どう生きるかは人間一人ひとりの自由意思に任されているので、 自分の人生は自分で責任を持たなくてはならない。」の通りだと思います。


「とかく人によくある怒り」についてのご意見にまったく同感です。前回書かせて頂いたコメントの後半部で、私が“怒り”について触れたのは、こちらのコメント欄での一部、やりとりを拝見してのことでした(分かりやすい方が良いので書きました)。

私は最近、バーソさんの精神世界系(?)の記事をたくさん読ませて頂きました。そして、バーソさんの感情については「恐れから自分を守るために怒る、という怒り方はされない。」ということ、そして、「看過するわけには行かないところでは反応されがち。」という風に認識しております。

「平気で嘘をつく人々」という本がありましたが、ここで言う嘘というのは「自分に利しても誰かを傷つける」種類の「真実ではない発言」のことだと思います。例えば今回のように「この世」ではすでに「口なし」となってしまった人の生前の発言の大切なメッセージを変えることも、りっぱな「嘘」です。

平気で嘘をつくとき、その意識は自らを守ることにあまりにも集中してしまっているので、自らの残酷さにとても鈍感な状態だと思います。真実ではないことを“動かしがたい事実”とし、それを“前提として”自らの正しさを主張します。「会話というものは事実に基づいて為されるもの。」だと思っている相手は、議論に持ち込むことさえできず、初めは「一体何が起こっているのか?」も理解できない場合も多いのではないでしょうか?

バーソさんのコメントには、看過できない心に端を発した俯瞰の目や正義感や愛がありましたよ。“本質的な意味に於いて”真実と真逆である発言が習い性になっている心は、自分の身近な存在たちを深く深く傷つけていることでしょう。本人の主張は正反対であるに違いありませんが..。また、関わるすべての人にとって、最適な学びの材料が「ただそこにある」だけのこと・・・なのかも知れません。バーソさんの記事「ニール・D・ウォルシュの『小さな魂』と『友好的な魂』の話。」 のようなストーリーを聞くのはとても好きです。

「鍵コメ」ではなく、少なくともバーソさんのブログという公の場所で、先のやりとりが少なからぬ人々に読まれることは「宇宙意識(の愛)が起こしたこと」ではないでしょうか。日常的には接触することのない、離れた立場にある人が、恐れや不安や誤ったプライドから、自らのみならず身近な人々のことをも深く傷付ける習慣を変えられずにいる人に、「こういう見方があります。生き方というのは、見直して修正することができます。」といったメッセージは、今、このとき、「発せられなくてはならなかったもの。」だと思います。反論しない、または出来ない相手を、虚偽に基づいて批判・攻撃する意識を「見て見ぬ振りで開けて通す」方が、ずっと楽でストレスのないことだと思います(「やり込めてやろう!」といった意識とは正反対に...)。


こちらで今回、「恐れや不安を背景とした怒り」に対してバーソさんが示された「物の見方」が、同じような種類の怒りに日々苦しみ、周りの恐らく少なからぬ人々をも苦しめているだろう多くの心に届くことを願っています。バーソさんの言葉が「力」や「知恵」となり、現状の泥沼環境から抜け出す糸口となり、幸せな空気が少しずつでも増えるきっかけになる可能性が、とても大きいのではないかと思います。

「人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故だろうか。それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ」―――ユダヤの格言
また、良い言葉を教わりましたლ(╹◡╹ლ) 時間は(3次元にいる限り)平等に与えられています。言葉を発する時間が長過ぎれば、何かを受け取る(学ぶ)時間は減ってしまいます。耳以外にも、バーソさんも書いておられた“アンテナ”を、もっと活躍させたいところですが・・・ ヾ(;´▽`)ヾ

2017/05/18(木) |URL|HeartLiberty [edit]

山本七平が昔、こんなことを言っていました。
「相手を言い負かせることはできない」
隣の国々にこうこうこうだ、と説明しても、相手が反論する根拠を
出してきて終わりがないです。
ですがバーソさんのようにきちんとご自分の考えを提示し無駄な
論争を避けるのもいいやり方ですね。
バーソさんの文章は理路整然としていて一転の曇りもない。
相手の挑発を抑え、論点を整理し、改めて疑問を呈するディベートの
模範ともいえますね。
ダウンロードして保存しておきたいです。
いつだったか、私とスピーカー・ケーブル論争?をしたことがありますが
一発でやられてしまいました。(笑)

2017/05/18(木) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 しかし物事をよく考える人のようで、感心します。私とは大違い。
 私、以前は、感情とは理性より劣るものだと思っていました。感情的というのは誉め言葉じゃないですものね。ところが感情は魂の言葉だとニールさんに教えられ、なるほどそうだ、感情は人間の本音だと理解できました。ある悪い習慣を理性ではやめねばいけないと思っても、感情ではやめたくないと思うことが人間にはありますからね。

 以前、私はネガティブな感情は抑えるのが正しいと思っていました。聖書では「霊の実」と言って、「愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰」の特質を身に着けるよう言われているのですが、この三番目に「辛抱強さ」すなわち我慢や忍耐があります。悪い感情は抑えて、出さないように言われているのですが、しかしネガティブであったとしても、自分の本当の思いの発露であることもあるのですね。
 感情は味わったら、その役割は終了。後は卒業すればいいようです。貯め込むと、精神にも身体にも悪影響を与え、病気の誘因や原因にもなりかねません。なので、あまり我慢強いのもよくないのでしょうかね。こういうことは詳しいのでしょう。

 でも本当に理性的な人は、感情を気軽にあらわに出したりしないと思いますね。それはみっともないと理性で分かるからです。
 
 ちょっと「確信犯」という言葉を思いました。それは政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪のことです。そういう信念が極端になると、自分とは反対意見の人物を殺害することもあります。
 ですが、証拠を捏造までする行為は《過失犯》ではなく、《確信犯》でもなく、それよりもっと最低な社会のルールを無視する《故意犯》だと思いますね。人間として必要な倫理的な正しさが全く抜けています。

 ちょっと話がずれましたが、そうですね、確かにこのたびのことは、「宇宙意識が起こした」のかもしれないですね。いや、しれない、ではなく、間違いなく、そうでしょう。「宇宙意識の愛」ですか。うーん、いい言葉です。そうですね、私もそう思うようにしていきたいと思います。
 
 私は基本的に「考え方はいろいろあって面白い」と標榜しているくらいですから、他の人のブログを批判することはまず無いですね。自分の意見を言うことはあるとしても、相手の考え方をわざわざ非難することは、まあ、ないですね。主義主張というのは信念であり、互いに意見を述べ合っても、合意に至ることはあまりないと思います。他の人に危害を及ぼさない限り、わざわざ自分から関与しようとは思いません。

 最近は耳の内部に雑音が多くなったせいか、他の人の声があまりよく聞こえなくなりました。だんだん自分勝手になる前兆かな。(笑)

2017/05/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 山本七平がそう言っていたのですか。確かに、価値観が異なる国同士での話し合いは、かなり難しいですね。隣国とどうしたら仲良くなれるのか、こういう状態がいつまで続くのかと思います。7,80年前とは、もう世代が完璧に入れ替わっているのですし、古い考え方にしがみついていると、進歩はありません。。
 
 エリアンダーさんは、こういうとき、すぐ作家や学者の言葉が出てきますね。読書量と記憶力にはいつも感心させられます。
 分析力もいつもすごいです。要領よくまとめる作文力にも、いつも感服しています。接続語をほとんど使わず、行間を空けずに、次々に異なる考えを書いてまとめていくのは、見倣いたいものだと思っているのですが、けっこう難しいものがありますね。

 私の文章は一転の曇りもない。まあ、また一週間は晴れ晴れと気分よく過ごせそうです。と、いつも、こういう言い方が常套になっていますが、他に、いい言い方はないですかね。(笑)

 まあ、今回もそうでしたが、こういうディベートは話が噛み合わないことが多いです。おおむね主題とはズレた観点で、自分の言いたいことだけを述べることが多いように思います。相手を論破しようと思うあまり、相手を傷つけることを言ってしまうのは、昔の子供がよく言った「おまえの母ちゃん、出べそ」の現代版です。こういう罵りの言葉を発するのも、よくありがちなことですが、愚かしいことです。
 
 スピーカー・ケーブルの話って、しましたっけ。全然覚えてないのですが。まだ覚えているということは、ひょっとして恨みに思ってないでしょうね。あ、冗談冗談です。(笑) 励ましの言葉、まことにありがとうございました♪

2017/05/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いざ!矢、筆ださん!

こんばんは
聊かめげております
こうもだらしない事件が続きますと・・・

バーソさんの燕の如くの論評や
エリアンダーさんの度量には驚くばかりです
お二人の頭脳には驚かされることしきりです・・・
風子さんの『宇宙』にも驚愕でございます

ご迷惑を掛けるといけないので
自身のブログに書きますが
少しばかり予告(ヒント)を

・田中角栄が中国へ行き
アメリカが激怒して角栄は葬られました

・アメリカが怒った訳は(理由は)
角栄が『在る物』を持っていったからです

・それは『原版』だったのです
聖徳太子の、一万円札のです

・「よこたしげる」さんは若かりし頃
大阪の造幣局に勤めていたそうです

・そしてこのたびの北朝鮮の暴挙です

匂いませんか?
あはは

『山本七平』は記憶の隅にありましたが
誰だったのかは、直ぐには思い浮かばなかったのです

居座屋ペン(筆)打算・・・?
あはは
失礼致しました。・・・・・

2017/05/18(木) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: いざ!矢、筆ださん!

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。政治には当然のように裏の裏があるのでしょう。マスコミは時の権力者の威光を恐れ、その意向に添うよう、やって行こうとしているなら、偉功は立てられませんね。
 とにかくアメリカに背く政治家は、その座を引きずり落とされたり、妙な死に方をするのだとか。怖ろしいですね。

 居座屋ペン(筆)打算ですか。なるほど。取材に歩かず、情報を仕入れて、ジャーナリズムの使命感ではなく、もっぱら金儲けの打算で書いている。なんだか今の日本の大手マスコミのことを言っているようですね。
 dマガジン、新潮を軽く読みましたが、文春のスパイを探った話が面白かったですよ。
 いざ!矢、筆ださん!ですか。あはは、やる気を出してますね。この駄洒落2つを考えるのに2時間くらい掛かってませんか。(笑) 

2017/05/18(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

うなさんとバーソさんの、イザヤ・ベンダサンのかけあい、
面白かった。おふたり、さすがです。
私も誤用してしまいました。
「一転の曇り」って書いてしまいました。
「一点の曇り」です。
推敲は10日はやらないといけません。
魏志倭人伝にいわく、
「すいこう10日・・・」(笑)

2017/05/19(金) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 ああー、点の話、私もてんで気づかなかったです。

 さすが、義士和人のエリアンダーさん。「すいこう二十日」は、うまいっ。一を聞いて、女王国までの12,000余里の道筋も熟知しているのでしょう。「りこう一月」なんて言葉もなかったですかね。(笑)

2017/05/19(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは♪

面白いですね!
興味とともに蘊蓄、
いつも楽しく読ませて頂いています♪

2017/06/05(月) |URL|Sinn [edit]

Re: こんばんは♪

Sinnさん コメントありがとうございます^^)
 面白いと言っていただいて、いい心持ちです。(笑)
 ネットとは有難いものですね。いろいろな知識が簡単に手に入ります。難しい字でも簡単に意味が分かります。それでも時々誤変換に気付かない時がありますが。(悲)

2017/06/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:http://barso.blog134.fc2.com/tb.php/320-852256aa

back to TOP