「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ものみの塔自身が「油注がれた者」は信用できないと 認めている。 

ものみの塔(研究用)2011年8月15日号 『読者からの質問』に、
統治体は、油注がれた者の正確な人数は分からない、
リストは作成していない

ということが書かれていた。

なぜなのかという理屈付けは、例によって、おかしげな論理であった。
またそれは、興味深い、そして注目すべき重要な発表でもあった。

今回は、その解き明かしを したい(というほどのものでもないのだが)。

わに


『読者からの質問』
奉仕年度の報告の数字はどのように理解したらよいですか?

『ものみの塔の回答』

表象物にあずかった人の数。
1.これはバプテスマを受けた人で、全世界の記念式で表象物にあずかった人の数です。
では地上にいる油そそがれた人の数ということでしょうか。必ずしもそうではありません。
2.過去の宗教信条や、精神的・感情的な問題などにより、誤って自分は天の召しを受けていると思い込む人がいるかもしれないからです。
ですから、
3.地上にいる油そそがれた人の正確な数を知るすべはなく、知る必要もありません。
4.統治体は、表象物にあずかったすべての人たちのリストを作成したりはしていません。
5.油そそがれた人たちの世界的なネットワークのようなものを管理しているわけではないからです。

               ● ● ● ● ● ●

ものみの塔回答の各内容についてのバーソの分析。

1.「表象物にあずかった人の数は、地上にいる油そそがれた人の数ということでしょうか。
必ずしもそうではありません」
について

こんなことを、なぜ協会はわざわざ発表したのか?
最近、ものみの塔が唱える「油注がれた者は14万4千人限定」という教理の根拠が弱い
ことが周知されてきた。
そこで、油注がれた者はどこに何人いるんですか? と質問されたりすると困るので、
人数や人物は正確には分からない、ということにしておきたいのではないか。

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2.「過去の宗教信条や、精神的・感情的な問題などにより、誤って自分は天の召しを受けていると思い込む人がいるかもしれないからです」 について

人が「油注がれた者」かどうかは、どのように知ることができるのか?
ものみの塔は、ローマ8:16の「霊そのものが、わたしたちの霊と共に、わたしたちが
神の子供であることを証しています」を根拠として、聖霊が人の霊(思い)に働きかけて、
自分は“神の子”だとの確かな自覚症状をもたらすと言っている。 

だが、これは、目に見えない霊と心の領域の話であるゆえに、基本的には、自分は
油注がれた者だと主張できる証拠はなく、あなたは違うだろうと否定できる根拠もない。

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いつ、自分が天的級であることが分かるのか?
それは年に一度の「主の記念式」のときに、表象物にあずかるか否かで会衆に認知される、
とされている。だが、信者が表象物にあずかるまでには、いくつかの段階がある。 

1)自分は天に行くと思い込む可能性のある聖書研究生は特に、
十四万四千人の天的級に関する教理をバプテスマ前に徹底的に教えられる。
2)エホバの証人の信者になる前には、「バプテスマの討議」で、
教理を十分理解しているか、長老団から確認される。
3) それでもなお記念式で表象物にあずかるような人は、ものみの塔式に言えば、
「本物の油注がれた者」か「自分は本物だと自称する者」だろう。

変人奇人はカウントされるはずがないので、問題は本物を自称する者だが、
協会は、そのような人を否定してはいけないと言っている。
※塔07 5/1『読者からの質問』「だれかが,自分は今や油そそがれていると思い,記念式の時に表象物にあずかろうと心に決めた場合,わたしたちはその人をどう見るべきでしょうか。裁くべきではありません。これは,当人とエホバとの間の事柄です(ローマ:14:12)」

エホバの証人の「記念式」は、いちばん厳粛な儀式である。
出席者全員の真摯な注視の中で、パンに手を出し、さらに、ぶどう酒にも手を出す人は、
それなりの自覚と相当の覚悟・勇気をもってしているはずで、それを 疑うというのは、
その人だけでなく、聖霊をも信用してないことになるだろう。

昔、預言者サムエルが、エリアブという人の外見を見て、この人が油注がれるべき人だ
と思ったとき、神はこう言われた。
「神の見るところは人の見るところと異なるからだ。 人は目に見えるものを見るが、
エホバは心がどうかを見るからだ」(サムエル第一16:7)。


それで、ものみの塔の聖書解釈から言うと、「誤って思い込む人がいるかもしれない」
という発表は自己矛盾になるという問題があるのだ。

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「誤って自分は天の召しを 受けていると思い込む人がいるかもしれない」というのは、
非常に重要な、要注目の発表だ

つまり、ものみの塔だけに存在するとされる「油注がれた者」は、じつは本人の誤った
思い込みに過ぎない可能性があるので信用してはいけないんです、と統治体が公式に
認めたことを示しているからだ。
※注:今日の統治体は「油注がれた者」だけで構成されてはいない。

空中浮揚 (1)


3.「地上にいる油そそがれた人の正確な数を 知るすべはなく、知る必要もありません」について

「香り高いリンゴ園の中にも腐ったリンゴの実がある」という言葉がある。
ちょっといやな話で申し訳ないのだが、実はJWの中には、伝道時間の「奉仕報告」が
大幅な水増しだろうと疑わしく思える人が奉仕の僕の開拓者の中にさえけっこういる。
また、伝道中に仲間と長くおしゃべりをした無駄時間なども報告には含まれている。 

しかし、そうしたことがあっても、会衆の書記が奉仕時間の加減修正をすることはない。 
各伝道者の報告はそのまま集計され、毎年のエホバの証人の『年鑑』で発表される。

ものみの塔式に言えば、表象物にあずかる人=天的級のはずではないか?
ものみの塔は、自分たちだけが「神の地上の唯一の組織」だと唱えている。 
彼らだけにエホバの導きが注がれているのであれば、
協会は「エホバの証人が主宰する聖なる記念式のときに、誤った自覚衝動が
起きるようなことをエホバが許すはずがありません」と言い切らなくてはおかしい。

コーン


4.「統治体は、表象物にあずかったすべての人たちのリストを 作成したりはしていません」について

この文章は厳密には、「表象物にあずかったすべての人たちのリスト」と
書かれているのであって、「油注がれた者たちのリスト」とは書かれていない。

だが、文脈では「油そそがれた人たちの世界的なネットワークのようなものを
管理しているわけではありません」と続いているので、ちょうど詩篇のように、
同じ内容を異なる言い方で繰り返す文章構造になっている。
だから、読むほうとしては、統治体は油注がれた者たちのリストを 作成してない、
と理解してしまうように書かれている。

いずれにせよ、統治体は、「子どもの伝道者のリストでも管理しているが、
それよりはるかに重要な天の王・祭司予定者たちについては全く無関心です」
と言っているわけで、それが本当なら、それは最近の東電が、
じつは長時間の停電を 想定してなかったという話よりも《抜けている話》になる。

「わたしはお願いいたします。わたしたちが一つであるように,
彼らも一つになるためです」
(ヨハネ17:20,22)
弟子たちが「一つ」になることが願われているのに、イエスの真の弟子である
と主張する統治体が、真の弟子が誰かは正確に知らないし、仲間の「リストを
作成したりはしていません」とまで言うのは、おかしいだろう 。
この「したりはしていません」の言葉遣いには、そんなバカなことはしない
というニュアンスがある。

実際には、「リストを作成したりはしていません」というのは嘘ではないか。
というのは、私が現役の頃、記念式の後の頃に巡回訪問があると、
長老の集まりの際に、巡回監督から表象物にあずかった人がいなかったか
と必ず訊ねられたからだ。

こどもc


5.「油そそがれた人たちの世界的なネットワークのようなものを管理しているわけではないからです」 について

ここでは、油注がれた者たちのネットワークはおろか、そのようなものには関知してない
と言っている。この「ネットワークのようなもの」と「管理しているわけではない
という言い方には、そんなことには関心ないというニュアンスと意図が感じられる。

油注がれた者ならではの特別な個人経験があれば、天的級エピソード1とか
エピソード2と言われて特集記事になってもいいはずだが、そんなものはない。

エホバの証人の世界では、経験の少ない若い兄弟でも、MTS (宣教訓練学校)を
出ただけで特権階級となり、すぐ大会などで用いられる。
それなのに、王・祭司級兄弟・姉妹たちのリストもネットワークも作ってないのは変だ。
もし兄弟なら巡回・地域監督以上の存在として用いられるべき霊的セレブ階級ではないか。

統治体は「忠実で思慮深い奴隷」級を自称している。
では、その肝心の「奴隷」の管理級の人たちが、仲間の「奴隷たち」が誰で何人かも
正確に知らないまま、さらには本物かどうか疑り怪しみながら、どのように適切に
管理できるんですか?と突っ込まれたらどう答えるのだろうか。

カンガルー


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ものみの塔は、おかしな発表が多すぎる。
例えば、「ものみの塔誌は最初から一貫して1914年がキリスト再臨の始まりの年だ
と言い続けてきました」と言ってきたが、これは嘘である。実は、協会は最初、
1874年から再臨が始まったと50年間も言っていた。

そういった記事を見るたびに、書かれた原稿をチェックする人はいないのか? 
教理は過去の出版物にすべて記述されており、今の時代はネット検索で
容易に分かるのに、それを忘れているのではないか? 
信者を甘く見すぎているのではないか?と不思議に思う。

なぜ、ものみの塔の統治体は、虚偽と疑義の発表をすることが多いのか。
1世紀、パリサイ人は、イエスを信じた下役たちにこう言った。
「律法を知らないこの群集は呪われた者たちなのだ」(ヨハネ7:49)。
そのように言うことで、彼らは、自分たちはパリサイ人(分離または聖別された者)
と分類される特権階級として、思い上がっていることを表した。

ものみの塔の油注がれた者たちは、聖霊で任命されたと唱えているがゆえに、
まさに自称《分離または聖別された者たち》である。
長年「統治体」はワンマン的統治を続けてきた。
周辺にいる人たちは従順なるイエスマンばかり・・・。

そういう独裁環境に長くいると、自分の言うことは神の律法のように正しいが、
他の連中は呪われている者たちだ、とは言わないまでも、みんなオロカなのだ、
と勘違いするようになっているのではないか。
あるいは、もう組織が末期症状を示しているのに気づいて、
だから、あわてふためき、ジタバタと妙な行動を とっているだけかもしれないが。 

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★参考:「宇宙主権の論争」の教理の誤りを論じています(本邦初) → コチラ
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