「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

  芥川の考える「信念」。侏儒の言葉――神秘主義。 


こんな格言がある。
「人間は、自分が考えている通りの人間になる」
「人間は、寝る前に考えた通りの人間になる」

共に意識が結果を作ることを言っているが、前者は顕在意識で、後者は潜在意識。

この格言は、現実には、現在形で言うほうがより適切なようだ。
すなわち「人間は、自分が考えている通りの人間になっている

私は以前、自分は駄目な人間だと思うようにし、友人にもそう言い、それが謙遜
だと思っていたが、今は、やはりまあ、その通りになってると感じている。(笑)

イエスは「求めよ、さらば与えられん」と述べた。
信仰を強く抱けば与えられるという意味だが、信念でも同じことが言えるだろう。

qno2.jpg
The New Yorker 1958

芥川龍之介が、我々の信念とは神秘主義だと論じている。どういう意味だろうか。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
芥川龍之介『侏儒の言葉-神秘主義』(緑色の太字が原文で、一部を省略しています)
※侏儒とは、背丈の並外れて低い人、知識見識のない人の蔑称。また俳優の異称。
芥川は自分を侏儒に譬え、常識を外れた鋭い警句を自身の人生観から述べている。
              _______

 神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧(むし)ろ文明は神秘主義に
長足の進歩を与えるものである。

※神秘主義は、絶対者を自己の直観で体験しようとする哲学的な主張立場のこと。
芥川は、神秘主義を文明とともに進歩するものと言い、意義あるものと見ている。
肉体が消滅しても霊魂は存在し続け、死者の霊と交信できるとするのは心霊主義。
癒しや幸せも含め、不可視の存在を扱う分野はスピリチュアル(精神世界)と言う。


 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信
じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と
云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ず
ることは今人も古人も変りはない。

※人類の祖先はアダムだと信じる古代の人も、猿(人)だと信じる現代人も、そう
信じているのは、そう書物に書いてあるから、そう信じているだけのことである。
つまり人々の《信念》とは、大抵は誰かの書物を読んで得たものに過ぎないのだ。


 その上古人は少くとも創世記に目を曝(さ)らしていた。今人は少数の専門家を
除き、ダアウインの著書も読まぬ癖に、恬然(てんぜん
=何とも思わずにの意)と
その説を信じている。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかった土、――
アダムを先祖とすることよりも、光彩に富んだ信念ではない。しかも、今人は悉
(ことごとく)こう云う信念に安んじている。

※アダムの創造を信じる人たちは、少なくとも『聖書』のその記述は読んでいる。
ところが進化論を信じる人たちの多くはダーウィンの『種の起源』を読んでない。
進化論は、人類の祖先は猿というのだから情けない話だ。創造説は、神が土の元
素を材料に、生命力を吹き込んで造ったというのだから麗しい話だ。ところが現
代人は根拠も調べず、そのような信念を無邪気に持って安心してるのはおかしい。

qy2864.jpg
The New Yorker 1967

 況(いわん)や更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性
に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。
 
※さらに難しい問題については、全然(註:全くの意)信念のうえに基づいている。
信念は理性に基づくべきなのに、人々は理性を超越した《何物か》に従っている。


 我々は……祖先の猿だったことを信じ、幽霊の実在しないことを信じ、地球の
円いことを信じている。…
(註:幽霊の話と地球が円い話は割愛)…もし嘘と思う
人は日本に於けるアインシュタイン博士、或はその相対性原理の歓迎されたこと
を考えるが好い。あれは神秘主義の祭である。不可解なる荘厳の儀式である。

※我々は進化論や幽霊、地球に関する科学を、宗教の信仰にも似た《何物か》を
信じる信念により信じているだけだ。その証拠に、相対性理論は全く理解してお
らず神秘のままでいるのに、アインシュタインの訪日(大正11年/43日間)を凱旋
行列のように熱狂して大歓迎している。それは神秘主義のお祭りの儀式のようだ。


 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は
我々文明の民である。同時に又 我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。
我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或は神意に似た好悪であ
る。実際 又 西施や竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を
与えないでもない。

※著名な神秘主義学者スウェーデンボルグやベーメよりも我々のほうが《偉大》
であり、《文明》的な民であるとは芥川一流の皮肉な言い方で、じつは偉大では
なく、文明的でもないと言っている。そして人々の信念の基になっている、理性
を超越した《何物か》の正体を二つ示している。すなわちそれは三越デパートの
ショーウインドーの陳列商品のようなもので、(1) 時代によって変わる一時的な
流行
に過ぎない。(2) 神意のような絶対正義であると思われているが、単に個人
的に好きな考え
に過ぎない。結びに芥川は、古代中国の西施と竜陽君という美女
美男子も、進化論では猿の子孫だと思うのは多少は愉快なことだ、と笑っている。

qydd4e0.jpg
The New Yorker 1943          
              _______                 

要は《信念》とは自分がその時に好きな正義感と言える。だから人を救うべきだ
というのも信念。誰かを殺すべきだとするのも信念。信念は、もろ刃の剣なのだ。

《信念》という漢字をパーツで分解すれば 《=人+言、=今+心 》となる。
つまり信念とは《人が言っている、今の心》のことであると言えるかもしれない。
人の言うことは、神の言うことには遠く、人の今日の心は、明日には一変し得る。
              _______                 

私の信念らしきものも、子供の頃は右気味、青年時代は左寄り、結婚してからは
聖書に打ち込み、今では精神世界の考えを受け入れ…と移り変わってきています。

信念も信仰も貫くのが大事だと言われますが、幸せになれるかどうかが肝心です。
その幸せは、自分だけに留まらず、他の人の幸せも含んでいるなら最高でしょう。
そうでないなら、信念や信仰は鼻持ちならない、自己満足の独善主義になります。


●何かを信じないというのも、信念もしくは信仰の一つです。思想の自由があり、他者の意見に批判的であったり、独自の考えを持つのは、別に悪いことではありません。しかしながら自分の頭に自信があり過ぎると、ひとには迷惑が掛かってない誰かの考え方や生き方に対し、それを教導したり、非難したり、排撃するかもしれません。そうするなら、その人は平和の敵の猿もの、引っ叩く者。知力は良くても、光彩に富んだ麗しい精神を持っているとは言えないでしょう。

●百科事典マイペディアの神秘主義の解説:英語ミスティシズムmysticismなどの訳。宗教や哲学において絶対者(神、最高実在、宇宙の根本原理など)を自らのうちで直接体験し、自己との合一を求める立場。絶対者は言語・思慮などを絶したものであるから、概念的思考や単なる信仰では把握できず、人間が自己を完全に滅却することによって(神秘的合一)が可能になると考える。

●画像は、アメリカの『THE NEW YORKER』誌1940~1960年代の表紙を拝借しています。
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なるほど……the world!

芥川龍之介、作品は好きでしたが、
評論となると確かに『皮肉屋』ですよね。
信念を、①一時的な流行 ②個人的に好きな考え
とするなら、本末転倒……。
『信念』という言葉の存在意義も消えてしまいそうですね。((´∀`*))ヶラヶラ

私にとってですが……。
信念は、信仰(宗教ではなく)に直結する道筋のようなもので、
デパートのショーウインドウが四季折々変わったとしても、
ウインドウのスペースそのものは動かず、
そこにある。みたいな感覚です。

スウェーデンボルグや、ベーメ、アインシュタインなども、
突き詰めれば①②になるし、進化論もまた、それを信じる、信じないで、ショーウインドウの陳列商品かも? ですね。

ちなみに、猿から人間って、信じていません。(^_^ ;)
それなりのDNAが地球に運ばれた説、好きです。

>信念も信仰も貫くのが大事だと言われますが、
 幸せになれるかどうかが肝心です。

(´ー`*)ウンウン 肝心なのは、これですよね。
・社会や、人々の役に立つか
・あるがままを愛せるか

これ以外は、まぁ~、なんでもいいかぁ、みたいな。( ˘ ³˘)

2017/04/08(土) |URL|風子 [edit]

わが意を得たり

バーソ様
おはよう御座います。

本が嫌いな私からすると

「つまり人々の《信念》とは、大抵は誰かの書物を読んで得たものに過ぎないのだ。」

は共感します。

現役の頃の同僚に本から得た知識で経済理論を振りかざしている人がいましたが自分の考えでもないのに良く言えるなあとあきれていました。

特に小説(フィクション)は絶対に読みません。妄想家が自分の妄想を文字にしただけのものに魅力は感じません。
ノンフィクションであれば意味はあると思っています。
以上偉そうに言いましたが自分の信念がどこにあるのかわかりません。(笑)

愛新覚羅

2017/04/08(土) |URL|aishinkakura [edit]

人々の《信念》とは、大抵は誰かの書物を読んで得たものに過ぎない。
それは(1) 時代によって変わる一時的な流行か、
あるいは(2) 単に個人的に好きな考え、に過ぎない。
要は《信念》とは自分がその時に好きな正義感と言える。

はい、おっしゃる通りだと思います。
ましてや百人百通りの解釈を経た考え方は
元が一つであったとはとうてい思えないようなものに成り果てるでしょう。
そこをどう折り合いを付けて生きていくのか、が大問題なのです。
言ってしまえば、人様がどんな主義主張、信条、信念を持っていようが、
それは人様の勝手なのですが、こちら側の折り合いのつけよう、
気持ちの持ちようが難しいのです。
他人のことなど委細構わぬ、と言って生きていけたら楽ですけれど。

2017/04/08(土) |URL|宝香 [edit]

凡人につき

おはようございます。

おいらの頭ではちょいと難解なお題です。
昔から本を読むのは好きで、本の種は問わず雑食で、つど影響されまくっておりました。
なので自分の信念は誰かさんの受け売りなのは間違いありません。
座右の銘も借り物なので、歳を重ねるごとにころころ変わります、きっと自分の中に確たる信念て奴が持てない性格なのかもしれません、で、この歳の今、行雲流水の如く的な信念掲げておりますが、いかんせん凡人中の凡人、いやぼんくら中のぼんくらと申しましょうか、日々欲張り虫との葛藤を続けている次第で、折角のバーソ師匠のお題の意とする何かも読み解けず、ただ面白おかしく読んでいるだけで、こんな素敵な挿絵、どこで拾ってきたのかなぁなんて思っている次第で、そしてもうリハビリに行く時間なのでこの後は、まだ茶色の原っぱで球を転がしながら、自分は猿の先祖か否かを考察してみたいと思います。

2017/04/08(土) |URL|ばく [edit]

バーソさん、こんにちは^^

芥川は、随分面白い事を言っていたんですね!
昔、テレビで大槻教授の言うことを聞いていたら、こじつけがすごくて、
こうなると科学主義も信仰だなぁ、と思ったことがありました。
まあ、そこまで強固な信念を持っていないとしても、
多くの人たちが、教科書に書かれている事や、テレビで言われている事を、
自分で確かめもせず、
場合によっては自分で説明もできない程度の理解しかないのに、
全面的に信じ込んで、異なる意見を排除するのも、
もう「信仰」の域だと思います。
そして、自分で説明できないような事を信じるのは
「神秘主義」だということになりますよね。

ところで、今日の出だしも面白くて、思わず笑ってしまいましたが、
私はバーソさんは、素晴らしい方だと思っておりますよ☆

2017/04/08(土) |URL|Ariane [edit]

こんにちは

今回のテーマ「信念」は私には難しいです。
芥川は信念は理性に基づくべきと言いながら、
ダーウインやアインシュタインを否定しているんですか。
神秘主義というのも人によって捉えどころが違うので
ややこしい概念ですね。哲学的概念から広くスピチャリズムや
オカルト的なものまで包括しているし。
相対性理論が発表されたとき、これを理解できたのは世界で
数十人しかいなかったそうです。
私? 理解しています。
仕事をしているときは時間が長く感じられ、好きなことを
していると時間は短く感じられます。えっ、違ってます?(笑)

2017/04/08(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2017/04/08(土) || [edit]

信念とは好き嫌い、つまり嗜好でしゅ

お早うございます
芥川が読めなくて(小学生のとき)
『ながわ』と読んでおりました
茄子の『な』です・・・似てなくね?あはは

おいらは信ずる者は『儲かる』と思いました
お金ではありません
心に余裕が出来るということです
幼子にサイコロキャラメルを差し出します
すると、なんともいえない笑顔が返ってきます
ママさんの笑顔をおまけにつけて・・・
最近(年齢のせいか)他人の嬉しいがとても嬉しい

他人(自分以外)が全て倖せになれば
おいらも最高に幸せ・・・?
あはは

お早うございます
コメント欄がいつも楽しい
素晴らしきかな・・ブログ!
あはは。

2017/04/08(土) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: なるほど……the world!

風子さん コメントありがとうございます^^)
 このたびの話は、普段から自分の信念や信仰を大事にしている人にはちょっとカチンとくるかもしれないですね。普通は、それらは立派なもの、一生を通して守るべきものとみなされていますから。
 でも「信念とは、もろ刃の剣」と書いたように、いい面とそうでない面があります。異教徒の首を斬り落とし、自爆行為までする過激主義者も、信念あるいは信仰が動機でしょうし、このたびのシリア空爆も、昔のイラク攻撃もアメリカ大統領の信念でしょう(いや、じつは、それ以外に、自国を有利にするための経済的・政治的な思惑が主な理由にありそうですが)。
 何にせよ、事あれば両方の立場から相反する意見が出て、互いに相手を非難し、ついには軍隊が出るまでになるのも、互いに強い信念や信条があるからこそでしょう。人は自分の信念は譲れないのですね。

 なので独善的にならず、あるがままを認め、みなを愛せるような柔軟自在な信念であれば、それは非常にけっこうなことでしょう。何にも考えずに、ただ日がなボケーッと生きている人よりは、だいぶいいことなのでしょう(とはいえ、誰にも迷惑を掛けておらず、自分でちゃんと生きているのであれば、そういう生き方でも別に悪くはないと私は思いますが)。

> 私にとってですが……デパートのショーウインドウが四季折々変わったとしても、ウインドウのスペースそのものは動かず、そこにある。みたいな感覚」
 そういう感覚なら争いは起きないでしょう。要は、自分の関心事は、物事の存在する意味や宇宙の真理を知ることであり、そうしたことを求める感覚は一生を通じて変わることはないということでしょうから。

 ちなみに、私もタンパク質からアメーバ、猿人となり、人間に進化した話は信じていませんね。進化したという証拠がなく、論理的・科学的に矛盾があるからです(ミッシングリングもその一つ)。
 私の父親は、地球人は宇宙から生命が移植されて始まったのだろうと言ってましたが、私もそう思いますね。その宇宙生命の始まりは、神、超越者、根源、一者と言われるような不可視の存在です。

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 言ってしまえば、人様がどんな主義主張、信条、信念を持っていようが、
それは人様の勝手なのですが、こちら側の折り合いのつけよう、
気持ちの持ちようが難しいのです。


 私が子供の頃から不可視のことに関心があるのは、母親の影響もかなりありますね。その後も、出会った人々や書物から影響を受けてきました。でもすべて言いなり、書いてある通りになったわけではなく、その中で自分が好きな考えを取捨選択して、自分の信念なり信条にしてきたつもりです。
 でもみんな、そうじゃないでしょうか。広い目で見れば、誰でも自分が知り得た特定の知識に共感し(いわば能動的に洗脳されて)、自分では正しい方向だと信じた道を生きてきているはずです。それは別に悪いことではないですし、それは当たり前のことでしょう。

「折り合いつけようや気持ちの持ちようが難しい」というのは、自分の考えと違う考えに出会ったとき、どちらかの考えのほうを受け入れればそれで話は終わってしまうはずです。ところがそうならないのは、どちらがいいかと迷いが生じているからでしょうか。
 あるいは他者の異見に腹が立つのであるなら、それは自分は好きじゃないという反応ですから、それはそれでいいのじゃないでしょうかね。誰かの意見と自分の意見とは、単に違うというだけのことですから、折り合いなどつける必要もなく、放っておけばいいと思うのですが。
 でも放っておけないというのは、よく調べなさいよ、という自分の内なる人の声かもしれませんね。
 
 念のために言いますが、このたびの話は、信念とは正しくないものだとか、誰かの信条は間違ってる、と言っているわけではないのです。
 そうではなく、自分の信念・信条だけが正義だと思い込んでいると、それはとかく争いの元になり、自他の不幸につながるかもしれない、と言ってるに過ぎません。だから結論の部分にこう書いたのです。

「信念は……幸せになれるかどうかが肝心です。その幸せは、自分だけに留まらず、他の人の幸せも含んでいるなら最高でしょう」
 私自身は立派なことをしてきたと思い込んでいたら、じつはそうではなかったという自戒があるので、こういう話を書いています。なんせ、わが人生、悔やむこと多かりし、ですのでね。(泪)

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 凡人につき

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> 昔から本を読むのは好きで、本の種は問わず雑食で、つど影響されまくっておりました。なので自分の信念は誰かさんの受け売りなのは間違いありません。
 はい、ばくさんの読書好きは承知しています。知的好奇心と、その記憶力はたいしたものです。とりわけ名作や格言箴言的な書はよく読んでおられるようで、特に中国の古典は得意の範疇じゃないですか。
「今、行雲流水の如く的な信念」というのもいいですね。悟りを得た禅僧のようです。そうです。歳を取ったらギラギラせず、自然体になるのがいいですね~。

 私も、自分の信念は同じく誰かさんの受け売りですね。その時々に同意し、共感したものを自分の信念としてきています。そして、けっこう変わってきています。

 世の中の知恵とか発明というものも、それまでに知り得た知識に、先人の知恵をうまく組み合わせたものなのでしょう。もっとも、その組み合わせ方の妙が大事なのですが。

 それにしても、私も石で七転八倒を経験したことが二度ありますが、ばくさんのは大きいですね。意志の強さを見るようです。(笑) あー、すみません、冗談を言ってる場合じゃないのに。

 リハビリ後は、ゴルフ三昧ですか。健康的な趣味があって良かったですね。イラストは『Pintest』のサイトで探しました。面白いのがいっぱいありますよ。https://jp.pinterest.com/

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん コメントありがとうございます^^)
> 芥川は、随分面白い事を言っていたんですね!
 芥川はピアスの『悪魔の辞典』を読んで影響を受けたようです。明るさよりも暗さのほうが目立ちますが、その逆説的な視点と世間の常識には反逆的な思考が面白いところでもありますね。

> 自分で説明できないような事を信じるのは「神秘主義」だということになりますよね。
 確かに、一般に人々の信念は確たる証拠に基づかない、あやふやなところがあり、宗教の信仰とほぼ同義であることが多いと思いますね。

 大槻教授と徳間書店の代表が出るような番組は、互いに客観的な根拠を示さず、単に信じていることを言い合ってる《おふざけ番組》のように見えます。番組のプロデューサーがUFOや霊魂などを全く信じてないのと、視聴率を上げればいいと思っているせいでしょうが、あれでは本当のことも嘘になります。ただ、大槻教授自身は、三枚目の演技が上手で、人間的には面白おかしそうな人ですね。
 
 このたびは信念を信仰と同一視したので、信仰を悪いものであるかのように書いてあるじゃないかと勘違いする人がいるかもしれないなと、じつはちょっと心配しているのですが、そうではないのですね。
 聖書では『霊の実』と言って、ガラテア 5:22,23にこんな特質が挙げられています。

「霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません」
 ここで「信仰」と訳されている英語は「faith」で、誠実とか信念、信条とも訳される言葉です。すなわち信仰とは、心が素直で誠実な人が持てる心の結実で、神からの霊的なプレゼントだとされているのですね。

 「信仰」そのものは悪いものではないのですが、問題は、怪しげな教えを言い、妙な信仰を教え込もうとする教団や指導者が多いことです。
 表面的には頭が良さそうで、いかにも誠実そうだと、つい信じてしまうことがあるので、うますぎる話には眉にツバが沢山いりそうです。

 出だしの告白が面白かったですか。
 あのお、もちろん半分謙遜ですが、半分以上は真実です。(笑) いつも褒めていただいて、うれしいです。(^^♪

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 芥川は信念は理性に基づくべきと言いながら、
ダーウインやアインシュタインを否定しているんですか。

 あ、なるほど。私の注解の書き方が悪かったかもしれませんが、私は芥川の意図をこう読みました。
 つまり人々が何かを信じているのは、ただ世間的に認められているから信じているにすぎない。その証拠に、その教えのもとになる本は大抵読んでいない。よく調べもせず、正確な理解なくして信じるのは、盲目的に信じる宗教の信仰と同じで、理性による科学的なものではない。
 その根拠として、進化論や相対性原理という科学理論(や地球の球体である事実)を社会的科学的に絶対真理と広く認知されている事例として挙げて、ほうら、よく調べもせずに信じているだろう、と逆説的に自分の主張を論じているのだと思います。なので芥川はその二つの科学理論を肯定しているのでしょう。

 私は、進化論は科学的そして信念的(なんせ有神論者なので)に信じてませんが、相対性原理については信仰によって信じています。(笑)
 でも昔のインフレーション理論は納得できず、超弦理論やダークマターの話はボンヤリと意味不明で、宇宙原理とかゆらぎの話になると、ほう、そういうものか、と思う程度で、特に精神世界を知ってからは、ビッグバンによる宇宙膨張の原因は赤方偏移以外にも理由付けができそうだ、それにしても根本原因は神しかないと思うようになり、そう思うと科学的な理論はどれもあやふやに思えてきて、困ったものです。(笑)

 神秘主義は、一般にはよく理解されてない分野ではないでしょうか。私も最近知ったばかりです。これは人類が昔から知りたいと思ってきた超越者の存在とか人間の存在理由などの宇宙の霊的真理を探る学問で、霊的な意識で捉えた結論を、論理的な仕方で説明していこうとするもののようです。「神秘」という言葉のイメージのせいで、いろいろ異なる先入観を抱かれそうですね。

> 仕事をしているときは時間が長く感じられ、好きなことを
していると時間は短く感じられます。

 じつはスピリチュアルでは、これは実際にそうなっていて、事実だとされています。面白いですね。

追伸 これが誤解を招きやすい原因のようで、修正しました。ありがとうございました。

現代人は根拠も調べず、人間の尊厳を落とす信念を信じて安心してるのはおかしい。
       ↓ ↓ ↓
代人は根拠も調べず、そのような信念を無邪気に持って安心してるのはおかしい。
 
 もう一か所。リーズナブルな話→麗しい話 に変えました。
 ここは私の主観が入ってました。(^^;)

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 信念とは好き嫌い、つまり嗜好でしゅ

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 芥川を小学生の頃に読んでいたのですか。私は中学生の頃だったかに、授業の校内放送で『芋粥』の話を聞いたのが最初です。面白い作家だと思いましたね。その次に『鼻』を読んだと思います。

> 信ずる者は『儲かる』と思いました
お金ではありません
心に余裕が出来るということです

 「儲」という漢字は、人+言+者、あるいは、信+者となりますね。
 人を信じて、なにか信じられるような良い言葉を言う人は、精神的に儲けるのだということでしょうか。
 私も似た経験がありますよ。寿司は回転寿司によく行きます。『スシロー』が好みなのですが、たまに『くら寿司』に行くと、籤でガチャ玉が当たるので、近くの子供を探してあげることにしてます。すると子供はわけが分からずキョトンとしてますが、親がうれしそうな顔で喜んでくれます。ウナさんはお金を出して買い求めたキャラメルでしょうが、私は、ただで貰ったものをあげて喜んでもらうので完璧な儲け話です。これは要領のいい話ではありませんか。(笑)

> 他人(自分以外)が全て倖せになれば
おいらも最高に幸せ・・・?

 そうですか。いつもそういうことを書いてますね。「自分以外」と書いてますが、他人が幸せになれば自分も幸せになれるわけで、みんながそういう思いになれば、争いはなくなるでしょう。いいことですね^^)

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

信念とは《人が言っている、今の心》

《信念》という漢字をパーツで分解すれば 《信=人+言、念=今+心 》となる。つまり信念とは《人が言っている、今の心》のことであると言えるかもしれない。
というバーソさんの解説。いやーあ、これは面白い。
正にそのとおりでしょうね。
熟語はかように分解できるものがけっこう多いようですが、昔人は言葉遊びしながら熟語を作られたのかも。

信念、信仰ともに、これは男に顕著だと思うのですが、これなくしては生きていけない気がします。(ちょっとオーバーですが)
人間、特に男は弱い動物ですから、というより考えに考えすぎるゆえに、もうこれ以上考えなくてもいいようにと、信念なり信仰をしっかり持って、考えることから逃避している、そんな気がします。
それが全くできなかった龍之介君、若くして自ら命を断つしかなかったのでしょうねえ。
小生なんぞは、脳味噌がたっぷりありながら、若い頃から所々でネジが緩んでいて考えが空回りしたり、ネジがさび付いていて考えがブロックされたりして、思考中断ばかりしていますから、信念も信仰もなしにスイスイと生きてこられた感じがします。

龍之介の結びの文「実際 又 西施や竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない。」は、かなりかなり意味深なるものを持っていると直感したのですが、小生の頭が再び空回りして、薄っぺらにしか理解できませんでした。

今回もいいお話をいただき有り難うございました。

2017/04/08(土) |URL|どろんこ [edit]

Re: 信念とは《人が言っている、今の心》

どろんこ さん コメントありがとうございます^^)
 「信念」の漢字のパーツ分解、面白かったですか。それは良かったです。ちなみに、そういうたぐいの戯れ話を書いたことがあります。
「 漢字はパーツに分解すれば、格言になる。 」
 http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-249.html

> 信念、信仰ともに、これは男に顕著だと思うのですが、これなくしては生きていけない気がします
 なるほど、いかにも、という感じがします。
 ある意味、男たる者はそれがないと男じゃないという部分もありますね。軟弱な意識、日和見的な人生観では、たいした男にはなれません。

> 特に男は弱い動物ですから、というより考えに考えすぎるゆえに、もうこれ以上考えなくてもいいようにと、信念なり信仰をしっかり持って、考えることから逃避している、そんな気がします。
 これ以上考えたくないので、考えることから逃避している、ですか。
なるほど、面白いです。言われれば、そういうこともありそうです。
 ある程度のところで分かったフリをしないと、人は怖ろしくて、人生はうまく歩んでいけないのかもしれないのでしょうかね。
 そうであれば、人間とは安心していたい生き物で、人類の最大の問題は「不安」であると言えるかもしれません。

 そういえば芥川も死ぬ前に「将来には唯ぼんやりとした不安」があると言っていました。華厳の滝に飛び込んだ青年も「人生不可解」と書き残しました。これも考えることから逃避しているのでしょうか。
「不安」という感情は死より怖ろしいものなんでしょう。だから安心立命を望み、宗教に頼り、精神世界の追究が古来あるのでしょう。

> 信念も信仰もなしにスイスイと生きてこられた感じがします。
 あら、そうですか。相当に強い信念・信条があるように見えますが。

> 「 西施や竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない」は、かなりかなり意味深なるものを持っていると直感したのですが
 「かなりかなり」ですか。うーむ。それはそれとして、この竜陽君という男。私は「美男」と書かずに「美男子」と書きました。こう書いたのは、じつはちょっと意味があってのことなのですが。

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: わが意を得たり

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 現役の頃の同僚に本から得た知識で経済理論を振りかざしている人がいましたが自分の考えでもないのに良く言えるなあとあきれていました。
 なにかと言えば、すぐ著名な知識人の言葉を持ち出す。あるいは横文字のカタカナ言葉をひけらかす。確かに、こういう人がいますね。

 こんな噺があります。何でも知ったかぶりをする通人気取りの若旦那がいて、舶来物の珍味だからと言って腐った豆腐を食べさせたところ、吐き出しそうな苦しそうな顔で、一口だけ食べて、「酢豆腐は一口に限りやす」と答えるのがオチです。自分の弱みは見せたくないのですね。

> 特に小説(フィクション)は絶対に読みません。妄想家が自分の妄想を文字にしただけのものに魅力は感じません。
ノンフィクションであれば意味はあると思っています。
以上偉そうに言いましたが自分の信念がどこにあるのかわかりません。(笑)

 あははは、朝っぱらから笑わせていただきました。私も似たようなところがありますよ。最近の特に私小説には関心がなく、テレビのドラマにも関心がないです。でも思想や考え方が面白いもの、文体が優れているものは別で、文豪の小説などは、やはりたいしたものだと思います。『君の名は』の映画は、感動して涙が出ました。アニメだと思って馬鹿にしてはいけないと反省しましたね。

※入れ方を間違えて順番が狂いました。申し訳ありません。

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

宮沢賢治は、自身を存在ではなく現象だと捉えていたようです。
確かに、宇宙には微生物から星。銀河。或いはその先にまた別の宇宙と言う縦に連なる無限の階層で成り立っています。
また横には、過去から未来へと続く無限の次元があり、一瞬前の自分は死んで、次の瞬間には新たな自分が生まれます。
(映画の仕事をしていた自分には、フィルムの一齣づつの連なりが映画を構成していると言う実感があります)
してみると、信念とは自分が齣を送る為に都合のよいものを言い、都合の悪いものはこれを排除する現象だと思います。
しかし、自分自身の存在すら現象であるならば、おっしゃる通り齣送りの中の「流行」に過ぎないのかも知れません。
それは移り変わる映画のシーンであり、繋ぎ合わせて一本の映画(人生)を成り立たせるファクターの一つかな?
詰まる所、感動できれば太陽が地球の周りを回ろうが、その逆だろうがいい映画が製作できればいいと思います(笑)

2017/04/08(土) |URL|sado jo [edit]

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2017/04/08(土) || [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 宮沢賢治は、自身を存在ではなく現象だと捉えていたようです。
 この人は面白いですね。最初は浄土真宗、そしてキリスト教、法華経を信じた人です。なのに自分を存在ではなく、現象と見た。物の本質を透明な霊の複合体のようなものだと考え、今の命を永遠の時間の中にホンの一瞬明滅する現象として見た―――。宗教とはつまるところ、源はみな同じ。人の信念とは変わり得るもので、漸進的に学んでだんだんと核心に近づいていくのでしょう。賢治の『インドラの網』については以前、拙記事の中で軽く触れたことがあります。

> してみると、信念とは自分が齣を送る為に都合のよいものを言い、都合の悪いものはこれを排除する現象だと思います。
 なるほど。「駒を送る」とは、人生を送るの意。確かに人間はそのような自分に都合のいい生き方をしています。私も昔、広告代理店にいたとき、アルバイトで、16mmフィルムを自分で切り貼りして15秒にまとめたことがありますが、むろん意図にかなう、都合のいい部分だけをつなぎました。
 世界の事象は過去から未来へと切れ目なく連続しているように見えますが、実際にはひと駒ひと駒の映像が無数に連なっていて、自分が見ている或る一瞬のひと駒が、現在の世界であるということなのでしょう。
 自分の人生という現象も、宇宙の中に一瞬一瞬の連続に過ぎない――と思うのは、まあ、仏教的な無常観と似ているようにも感じます。

> 詰まる所、感動できれば太陽が地球の周りを回ろうが、その逆だろうがいい映画が製作できればいいと思います
  ああ、私もそう思います。人生というストーリーの中では、自分が出た映画は、自分にとっては自分が主役のはずです。
 いい映画を作ることが出来た。その映画は自分が企画し、演出し、主役をはった。そして、いい脇役もやった。端役の演技も面白かった。製作に自分も十分に参加できたという感覚、自己満足でもいいので、そういう充実感があれば人生は最高でしょうね。

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメkさん コメントありがとうございます^^)
 そちらにコメントを入れましたよ。(^^♪

2017/04/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

科学には根拠を求めるが神には根拠を必要としない矛盾

注意:コピペです
「天下(世界)とは何か」
「天下とはこの世に存在する森羅万象すべてのもの。でも一個の人間にとってみれば、わずか六、七十年の生の間に知りえたものが天下(世界)です」-蒼天航路より-
 地球は丸いと言われても自分で見て来た訳じゃなし、宇宙は広いと言われても自分が行って来た訳じゃない。隣の国とか言われても、行った事もないのにそこに別の国が有るのかなんて確証を持てる訳もない。総ては人づてメディアづて。
「歴史家は見て来た様な嘘をつき」
 教科書で教えられた事に次々と疑問符がついてる今日この頃。確かに言われて見れば歴史の確実性を担保するものなど何も無い。記録は後の世の都合で書き換えられ、研究と言えど個人の心象で如何様にも変る。聖徳太子は実在せず、北条時宗は名君どころか単なる世間知らずだったとか。果たして何を信じてよいのやら。
「弥生文化は中国から朝鮮半島を経由で入って来た」
 ところがどっこい、稲は南方原産の植物で日本より北の朝鮮半島で育てるのは当時基本無理。中国ですら淮河から北は稲作不毛地帯だった訳ですから、それより北の東北部経由なんてありえる訳が無い。つまり、歴史研究家の朝鮮経由説も嘘八百であった可能性が高い。
 と、まあ、書き始めたら切が無い訳だが、しかしだからと言って総ての物を己が目で確認するなど出来る筈も無く、結局は大半が他人の認識をお借りするしか術が無い。それが嘘か幻想かは知らないが、嘘も幻想も皆が共有すれば現実となってしまう。そして共有が出来ない外れ者はキ印が付いてしまったりする恐ろしさ。まあ、実際は逆説的にキ印が言い訳にしてる場合が多いんだけどね。何にせよ、事実を事実として追い求める難しさよ。
 最後に、こんな言葉も有る。
「知恵の無い物が突然小難しい事を言い始めたら、それは必ず誰かが言った言葉だ。自分の考えの様に思っているが、実際は乗せられているだけでしかない。」
 ※此処まで
 
 あわわわわ、何処かで書いた※コピペしてもうたわ。せやかて、その儘使えそうやし(笑
 長い前振りしてしまいました。
 さて、人間、何が本当で何が嘘かなんて突き詰めて考えたらわからん事ばっかりです。自分の目で見た事以外何も信じられんて拒絶しとる人がいたとしたら、それは人間失格(あ、これ芥川じゃねーや)の烙印を押されるだけですがな。だってそうでしょう。自分の目で見て確認できる事なんて世の中の極々一部です。もし一人ひとりがそうしたとしたら、人類の中の世界は実に小さなものになってしまいます。(逆説的ですが、自分の目の前の事象として見ている事ですら嘘か本当か怪しいもんです。ほら、手品で化かされてるでしょ。詐欺に掛る人だって実際には目の前で起きてる事じゃないですか。)
 人は他人の知識を受け継ぐ事で知識を深めてきました。それを否定したらもはや原始人(いや原始人だって野生の鹿や虎だって大小こそあれ知識の引継ぎはなされている)、それ以前ですな。
 ノンフィクションが本当に「ノン」フィクションなのかと言われればそれは嘘。書物は書かれた時点で作者の主観が入っている事からノン「フィクション」ではありえない。では創作が妄想でしかないと言う事なのだろうか。これも違う。本当に妄想の塊でしかないとすれば誰の共感も得られない。そこには人間として共有出来得る最低限の物が描かれているものですよ。そういったものに触れるのは無駄ではないし、何らかの知識は得られるもの。そして何を得るかはその人次第と言う事になりましょうかね。
 ダーウィンの進化論は芥川さんには不評だった様ですねぇ。でも進化論が果して正しいかどうかは置いとくとして、理屈が通っている事は確かです。一方、神様に理屈が通っているかと問われれば、わたしゃ首を傾げるしかないのであります。判らないまでも何かしらの根拠を探して研究して導き出す歴史や科学に対して、何の根拠も無い、あるいはあってもそれこそ妄想でしかない経典が根拠の神様。果たしてどちらを取るかは議論を戦わす以前の問題な訳であります。これ言うと【検閲削除】な方々に死刑判決出されそうですががが。
 宇宙人創造説についても何をか言わんや。仮に取り上げるとして、その宇宙人は誰が創ったのか、もう延々と続く起源の荒野ですわ。そもそもそれこそ何の根拠もないのであります。進化の道筋が途切れてるから?そこに妄想と物語の入り込む余地はありますが、しかし人類が生まれる以前の話ですから、そりゃ証拠だってなかなか見つからないでしょうよ。そして証拠が無いのが宇宙人想像の証拠だなんて言い出したら、何処ぞの国の反日みたいになってしまいます。逆に宇宙人創造説でない証拠とか言い出したら・・・悪魔の証明ですな。言葉が通じない世界です。
 妄信すれば騙される。疑い過ぎれば目を閉ざす。そこそこと言う曖昧模糊な細いロープを、さて、皆様どう渡っていきますか。

2017/04/08(土) |URL|miss.key [edit]

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2017/04/08(土) || [edit]

Re: 科学には根拠を求めるが神には根拠を必要としない矛盾

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 あ、ありがとうございました。目の眩むような文章量。いくらサラサラーと書けるとしても、さぞかし時間が掛かったでしょう。大変お手間を取らせてしまい、大変申し訳なく、大変有り難いことです。ただいま目がウルウル、目から涙の感涙に馬から落ちて落馬して咽び泣いております。ともあれ蟻型や、有り難や、僕は泣いちっちであります。
 ただ、あら、前半コピペ部分は先々月あたりにデジャブがあるよな。でも、ま、後半だけでも空前絶後、前人未踏、希代未聞、前古未曽有の超々長文。FC2のギネス記録に残りそうじゃありませんか。

 さて相変わらずmiss.keyさんの、芥川にも劣らぬとも劣らぬ反骨精神あふれるコメント。要旨をまとめると後半最初の部分は、人間はすべて目で確認して真実を判断しているわけではないが、それでいいはずだ。はい、ごもっとも。だから推論、明察とかいう言葉があります。イマジネーション、インスピレーションというのもいいですね。忖度は、ちとナンでありますが。

 次に、フィクションでもノンフィクションに優る場合がある。はい、ごもっとも。小説は事実より奇なりであります。ただ何か訴えようとするものがない、単なる日記のような、誰がどうしたこうしたといった、日常のストーリーを追っただけで、文体のつまらない小説は、私は読む気がしません。

 進化論は芥川に不評だった。あらら、そうじゃないと思いますよ。
 芥川は進化論も地球の丸い話も受け入れて信じているのです。ただ、我々は一般的に、よく調べもせずに、いわば盲目的的に信じていて、それを信念としている。その無邪気さは如何かものかと言っているだけのことじゃないですかね。これはピアスの『悪魔の辞典』のようなシニカルな格言ですから、表面的な言葉通り受け取らないほうがいいのです。どうも私の書き方が悪かったのもありそうで、申し訳ないことです。

 で、次の進化論と創造説。これは古来決着がついてない問題。双方にそれなりの言い分があるようです。ただ進化論は「論」と言われている通り、いまだ科学上の「法則」にはなっていませんし、これからも絶対なることは無いでしょう。エントロピーの法則に反しており、実験で確かめられません。ミッシングリングも否定根拠の一つです。

 では創造説に理屈が通っているか。通っている部分とそうでない部分がありますね。しかし、これは天文学・物理学の仮定と検証の推論の仕方と同様に推論できます。例えばスイス製の精密時計は、決して金属を放っておいたら、自然に勝手にだんだんと精密な歯車になり、バネになり、軸受けになり、それが絶妙に組み合わされで出来たものではない。そうではなく、頭のいい誰かが設計して、腕利きの職人が(その過程は第三者が目で見てないとしても、確かに)作ったのです。
 天に目を転じると、宇宙には時計以上の、人間以上の叡智がある。その叡智がこの絶妙な宇宙を創造したのだろう、と仮定すると、いろいろな事象がうまく説明できる。その叡智を神と名付けてもいいはず、というような推論が可能でしょう。これはこれでリーズナブルな思考ではないでしょうかね。原子などのミクロの世界でも同じことが言えます。

 広大無辺の宇宙には地球人以外の生物もいる、と科学的・確率的に推論でき、それを宇宙人と呼び、それも叡智なるもの(人格神にあらず)が造ったと考えるわけですね。

 偉大なるニュートン力学もアインシュタインの登場で影が薄くなった通り、自然科学の法則や理論は究極的はすべて仮説であるという話もあるくらいで、科学は必ずしもすべてが決定確定的なものではないのです。
 あるブログでこんな動画が紹介されていました。タイトルは『進化論はもはや神話扱いに!』。微生物が持つ《べん毛分子モーター》の姿の画像です。https://www.youtube.com/watch?v=8X1bthxf0nU

 とはいえ、創造説のほうは、特に新興宗教の教祖の話など、怪しげな話も非常に多いようで困ったものです。経典も大抵はいいことが書いてありますが。しかしおかしなことも書かれていて、そのおかしなと思える部分は、後代の宗教家たちが勝手に自分の考えを付け加えていったものだろうと思っています。聖書については、信じるべき本というより、人生に参考になる、なかなか面白い本だと私は捉えています。

2017/04/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 信念。いい響きがありますね。なにか人類の益になる発明・発見や実現・成就のために一生を捧げとか、ついには命を落としたというような科学者や思想家をイメージします。他には慈善家や革命家も含まれるでしょう。

 ところが自分の信念とは違うものは排撃しよう、抹殺しよう、それが正義だ、神のご意思だといった信念を強く持っている人もいるわけで、自分では正しいと頑固に思い込んでいるところが問題なのですね。

 なにか世の中に事があると、必ず是と非と正反対の見解を述べる人がいて、両者とも互いに相手を罵ったりしています。戦時中は戦争大賛成で、戦後は戦争大反対に変わった人もいたとか。現代でも、政治の分野などで報道されていることは、報道される側に都合のいいことしか報道されない場合がかなりあるのでしょう。私たちは大抵よく事情や真相を知らないので、世の中の真実には思っている以上に盲目状態かもしれませんね。

 信念は経年変化をするかもしれませんが、何よりも自分と他者の幸福を願うという本筋を忘れないでいるなら、非常にいいことでしょうね。

2017/04/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

(((ʘ ʘ;))) すご~!

連投、おじゃまですぅ。

miss.key さんのコメントに、
バーソさんはどう返すのか興味津々で来てみたら……。
(*′☉.̫☉)……(((ʘ ʘ;)))……!
両者ともに本文『記事』を上回る、超ロング、ロングの『信念』談義
白熱……もとい、LED球の耐久、持続的な丁々発止にワ~オ。

ほ~ぉ、ふ~む、へ~ぇ、すご~と、感嘆詞だけを残して、
ㇺ、ムリ、ムリ……立ち入れないと、
踵を返してコソッと立ち去るのでした。(^_^ ;)

2017/04/09(日) |URL|風子 [edit]

今日の佳き日に

何が「佳き」かといいますれば
皆様が健やかでいらっしゃる
コメントにはそれが素直に出ていると思います
風子さんの漢字に反応してしまいました
『踵』であります
前を歩く人は背中を見せていて
それがくるっと顔をこちらに向けるということですが
わたくしは『漢字』を絵として捉えております
踵とはとてもスピード感のある文字で
『燕』と同じく鳥を著しております
亀が振り向いたとしたらそれは
愚鈍、『悠』と云う字にカッコで綴じられそうです
鋸と云う字が御座いますが
『つちのこ』さんは一見丸く見えますが
蜂の一閃を持っております
犬に尻尾、槌子に小槌であります
皆様のやり取りを見ておりますと
それはそれはとても楽しい

空戦を『ドッグファイト』と言うそうですが
これは相手の尻尾を噛みに行くという
犬のじゃれあいです
なんかたのしい!
(余裕の無いところに遊びは存在いたしません!)
あはは

2017/04/09(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: (((ʘ ʘ;))) すご~!

風子さん コメントありがとうございます^^)
 長々発止で、面白かったですか。それはそれは、miss.keyさんにも私にも、うれしいコメントです。

 miss.keyさんは自分の論理を言うのが好きな人で、人の気持ちなんか気にせず、相手の論理のミスを突く気です。すなわちミス・気ーです。ここ駄洒落をいうためのちょっと無理なレトリックですからね。(笑)

 でも決して相手を嫌って攻撃しているのではなく、その証拠にくだらない駄洒落など多々織り込み、相手を面白がらせようと真摯に努力しているようです。したがってこちらも安心して、くだらない駄洒落を負けじと盛り込み、若干は気を使いつつ、自分の意見を述べています。(註:くだらないとはナンセンスという意の誉め言葉です)

 私は、基本的になるべく相手の意見には異議を唱えないようにしているつもりです。というのは、ブログでは「考え方はいろいろあって面白い」と標榜しているぐらいですし、大体が反論されてもあまり腹は立ちません。ああそういう意見を持っているのかと思うだけです。
 むしろ知的な異見は有り難いとさえ思っています。ただし、偉そうに失礼な言い方で言われると、むっと来て、ちょっと言い返したくなります。無っとなり、泰然自若でいられればいいのでしょうが。(笑)

2017/04/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 今日の佳き日に

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
> 何が「佳き」かといいますれば
皆様が健やかでいらっしゃる
コメントにはそれが素直に出ていると思います

 ああ、有り難いお言葉です。

> 踵とはとてもスピード感のある文字で
『燕』と同じく鳥を著しております

 えっ、そうなんですか。「踵」の字はスピード感がありますか。足偏に「重(い)」なんですが。燕と同じく鳥をあらわしているって、これも初めて聞きました。燕雀いずんぞ鴻鵠の志を知りません。(笑)

> 『つちのこ』さんは一見丸く見えますが
蜂の一閃を持っております

 miss.keyさんのブログ紹介は「亀が筆持つとどういう事になるか」なんてことを書いてますが、はい、確かに燕返しのような鋭さを持ってますね。鋸。槌。なるほど、「鋸」は金属製で、「槌」のほうは木製です。でも鉄製の「かなづち」は「鎚」と書くそうですね。鉄鎚を下されるのは御免ですが。打ち出の小槌なら欲しいですね。(笑)

 で、「ドッグファイト」ですか。なるほど。確かに論争と言うより、じゃれあいと言ったほうが適切でしょう。そういう意味で、miss.keyさんは貴重な存在です。私は、つちのこの顔写真を神棚に飾って毎晩お線香をあげ、ローソクをたらしてます。(笑) 

2017/04/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/04/11(火) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメkさん コメントありがとうございます^^)
 そちらにコメント入れましたよ~♪

2017/04/11(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

明日はわが身今も我が身

嗚呼絶命まであと一分!
寿命ではありましぇん
酔いつぶれるのでしゅ
現在13日の18時ちょっと
『さあ!殺せ!』状態でしゅ、あはは

コメントに他意はございません
ただ知っている人がいる・・・
これで充分でございます

思えば長い道のりでした
僅か30秒ほどの・・・
人の一生などたったこれだけのものでしょ・・?
今が永遠ではなく
永遠を切り取ったのが『今』です
バーソさんに感謝です
貴方にはなにやら明日がありそう・・だからです
ねっ!
また明日・・・・あはは。

2017/04/13(木) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: 明日はわが身今も我が身

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 撃沈一歩手前ですか。切迫しているあの半島の話が始まるのかと思いましたよ。かなりいい気分のようで、なによりです。
 
> 今が永遠ではなく
永遠を切り取ったのが『今』です

 そ、そ、そうですね。このところ、禅僧のような難しい文章が多く、考えさせられます。が、考えさせられても、難しい話はよく分かりません。(笑)
 でもまあ、人間、歳を取ると、感慨深くなりますね。なんだか過去が懐かしくなり、人恋しくなるときもあり、現在の時間が貴重なものに思えてきます。

 バーソには明日がありそうですか。見かけとはかなり違うのですが。でもまあ、有り難い、もったいないお言葉。『俺たちに明日はない』という古いアメリカ映画を思い出しましたよ。ラストシーンは銃で撃たれて蜂の巣になる話でした。派手に生きても、命は呆気ないものと思わせられる映画でした。

 もう少し明日が来て時間が経過すれば、その次の明日は無くなるのですが、でも今はまだ、明日はしばらく連続してやってくるように思っていませんか。そういう意味では、今はいい時期なのかもしれないですね。
 
> 明日はわが身今も我が身
 あはは、うまいっ。お互い、今も若見、明日も若見。これからも気持ちだけは若く見せかけていきませう。(笑)

2017/04/13(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

基本的に鍵※は好きではないので開けっ広げで行くのであります

 こんにちは。先日の貴殿の※に付いてわたくしめが勘違いをしましたようで申し訳ございません。わたくし、余りに丁寧なお褒めの言葉を頂きますとどうも勘繰ってしまう所がございまして、増して鍵付きであれば尚更に、これは暴走しすぎて他の方から苦情がきたのかなぁとか、遠まわしにコメントは語遠慮くださいと言われているのかなあとか、思ってしまうのであります。
 コメントにつきましてはわたくし思った事をストレートに書き込んでしまいます。事神様に関してはちっとは遠慮せんかいってな位やらかします。かなり不快に思う方も多いかと思います。ですから反論されても当然だと思います。まあ内容によっては黙ってもいないんですが、※欄の怒りングには米椀のオニオンリングで対抗するのであります。ネットの書き込みでいちいち怒ったりしませんがな。むしろそういう時に褒められたり煽てられたりすると却って疑ってしまいます。ぶぶ漬け食って帰れって、この人は京都人気質だったのかぁぁぁ、相当嫌われてる様だから此処はさっさとケツ捲くった方が無難かなぁってな具合ですな。
 わたくし、基本コメントはあっさり派です。長いのは何も長く書こうとしている訳ではなく、書き込んでいるうちに長くなるだけであります。特に神様関連にはボウボウ燃え上がります。何故ならわたくし、空飛ぶスパゲティモンスター教の熱心な信者だからであります(オイオイ

2017/04/16(日) |URL|某空気読めない読まない読みたくない厄介な人 [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 ああ、そうでしたか。安心しました。安眠できます。熟睡できます。
永眠は、ええ、まだちょっと先の予定です。(笑)

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」
 
 これは太田南畝の作です。うまいもんですね。

2017/04/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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