「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 人を呪わば、墓穴は二つか、一つか。 

「墓穴(ぼけつ)を掘る」という慣用句がある。
自分の誤った行ないが原因で自らを窮地に至らせることの譬えとして使われる。

「人を呪わば穴二つ」という慣用句がある。
人を呪い殺せば、自分に跳ね返り、墓穴(はかあな)が二つになるという意味だ。

しかし人を呪い殺しても、殺し返されることはまずないので、墓穴は一つで済む。
では「人を呪わば墓穴墓穴はかあな ぼけつ一つずつ」のほうがより適切ではないだろうか。(笑)

何にせよ、人を呪い殺そうとする人間は、穴があったらすぐ入ったほうがいい。
人を呪う気持ちは恥の極みであり、心爽やかでいられるはずがないのだから。

The Bride
The Bride by Erté1

呪いと言えば、藁(わら)人形に五寸釘だが、江戸時代に面白い話がある。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
狂歌滑稽の事―――根岸鎮衛『耳袋』より
(茶色い字の細字部分は原文を現代語に直し、太字部分は原文そのままに古字のみ現代表記)

安永から寛政年間に、「元の木阿弥」と名乗る身分卑しき狂歌師がいたが、江戸は
麻布の稲荷神社の神木に人の顔を描いた絵があり、目に釘が刺してあるのを見た。
そこで木阿弥は、御札に狂歌を書いて絵のそばに下げておいた。

目を書(かき)て 祈らば鼻の 穴二ツ 耳でなければ きく事はなし

 意味:目を刺して呪えば鼻(墓)の穴二つ。耳じゃないので、きくことはないぞ。 
 「人を呪わば穴二つ」の句を掛けている。「きく」は「聞く」と「効く」を掛けている。

そうしたら翌日、釘は、耳なら聞く(効く)だろうと、耳に刺し替えてあった。
そこで木阿弥は、御札に狂歌を書いて絵のそばに下げておいた。

目を耳に かへすがへすも うつ釘は 聾(つんぼう)程も 猶(なお)きかぬなり

 意味:釘を目から耳に刺し替えても、絵の耳に聴力は無いので、聞(効)かない。
 つんぼうほどもきかぬ」は当時の流行語だそうだ。なお「かえすがえすも…」は、
 「替えても替えても」の意の他に「…残念じゃあ」と続きそうなニュアンスがある。

そうしたら、今度は藁(わら)人形を置いて、全身に釘をいっぱい刺してあった。
そこで木阿弥は、御札に狂歌を書いて絵のそばに下げておいた。

稲荷山 きかぬ所に 打(うつ)釘は ぬかにゆかりの 藁の人形

 意味:藁人形に釘を打っても、「ぬかに釘」の格言がある通り、効かないのだ。
 稲荷神社とは稲(農業)の神を祀る神社で、神使が狐。稲からつくる藁(わら)と、
 米から出来る糠(ぬか)は稲に所縁(ゆかり)があり、そもそも呪う場所がよくない。

そうしたら、その後、藁人形で呪う者はぷっつり居なくなったそうだ。


                

呪詛をした者は真剣だったろうが、掛詞や類語を使って冗談っぽく狂歌で諫めら
れたので、おそらく苦笑してしまい、恨み憎しみの感情が失せたのかもしれない。
自分が呪われたと知っても、冗談として笑い飛ばせば、呪いは消失しそうですね。

参考絵:鳥山石燕『今昔画図続百鬼』
usino.jpg 宇治の橋姫は妬みやすい性格で、
 許せない女を殺すために
 自分の姿を鬼に変えてほしいと
 貴船神社の大明神に願った。
 ここでは藁人形は使われてないが、
 この装束が呪詛礼法の定番となる。

 丑時参(うしのときまいり)
 「丑時まいりは、
 胸に一つの鏡をかくし、
 頭に三つの燭を点じ、
 丑みつの比神社にまうでて
 杉の梢に釘うつとかや。
 はかなき女の嫉妬より起こりて、
 人を失ひ 身をうしなふ。
 人を呪詛ば穴二つほれとは、
 よき近き譬ならん」


 ※草木も眠る丑三つ時は、
 深夜2時から2時半頃で、
 鬼門が開く時間帯とされる。
 

      ____________________

旧約聖書は、呪いは去って行くものだから、心配する必要はないと言っている。

  鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。
   理由のない呪いが襲うことはない。 
(箴言26章2節)

渡り鳥は必ず元の土地に戻っていく。つばめは、燕返しといって急ターンが得意。
呪詛がされても、すぐ戻り去ってしまうから効果は無い、と切り捨てられている。
つまり呪いは受け取らなければ、呪いを発した元の人間に返っていくのでしょう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「呪い」と「祝い」が、同じ口から出てくるのは不思議だ。

「呪い」の反対語はと言えば、「祝い」である。
しかし「呪」と「祝」は、元は同じ親の字から派生した兄弟字であるそうだ。

親の字とは、「呪」と「祝」の字の右側にある「」の字。
兄=口+(ひとあし/人間)。意味は「祈る人」または「年長の人」。

これが後に意味を使い分ける必要が生じ、異なる字と意味になった。
口+兄=呪。意味は、のろう(災禍を口で唱えて祈る)、まじなう(自分を護る)
示+兄=祝。意味は、いわう(供え物をネ[示す偏/祭壇]に捧げて幸福を祈る)

こうして元は神に祈る行為が、祝う行為と呪う行為とに分かれたのだ。

erte-arti.jpg
The Bride by Erté

祈りの意味を分けるのは便利なようだが、じつは人間の堕落を物語っている。
イエスの異父兄弟ヤコブがこう指摘している。(新約聖書ヤコブ3:9-11)

  わたしたちは、この舌で父なる主(神)を賛美し、
   また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間を呪っている。
  同じ口から、賛美と呪いとが出て来る。
  わたしの兄弟たちよ。このような事はあるべきでない。
   泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴から噴き出すことがあろうか。


湧き水の穴が、甘めの水を出したり、苦めの水を出したりすることはない。
同様に、人が同じ口で賛美を語り、呪いを言うのは自然の理に反している。

つまり、人の口は、本来はもっぱら良い言葉を語るためにあるのですね。

                


皆様の訪問とコメントは、私にはとても励みになっています。感謝申し上げます。
《補足》
●なぜ人を呪わば「穴二つ」と言われるかといえば、平安期、陰陽師が人を呪殺すれば呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含めて二つ用意させたことから。
●呪いは、誰かに知られてしまえば効果が発揮しなくなるどころか、本人に跳ね返ってくるという伝承があり、呪詛者は人に見られないよう、そっと内密に行なった。
●元の木阿弥は渡辺平七(1724-1811)の狂歌名。江戸時代の狂歌師、絵師。湯屋を営業していたが、剃髪してからは珠阿弥と称した。絵描きとしてよりも狂歌師として著名であり、四方赤良(大田南畝)と並ぶ狂歌壇の中心的存在だった。無報酬で狂歌指導に専念したそうだ。
●十番稲荷神社は、末広神社と竹長稲荷神社が空襲で焼失したため、戦後に合併して出来た。
住所は東京都港区麻布十番1丁目4-6 → 公式サイト
●古代では、祈って祭事を司る人は、年長の者(兄・祭主)が仕切っていた。
---------------------------------------------------------------------------------------------
《画像》 ロマン・ド・ティルトフ(Romain de Tirtoff) 1892-1990のイラストを借用紹介。
Roman-de-Tirtoff-jeune.jpg Erté(エルテ)の名で知られるロシア生まれのフランス人アーティスト&デザイナー。
 アールデコのファッションデザインで有名。 『ハーパーズ・バザール』誌のために
 200以上の表紙をデザインし、『ヴォーグ』誌などの出版物にイラストを掲載した。
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《笑話》
教授「君の論文のことを『レンコン』論文と言うんだ」
学生「????」
教授「穴が多いんだ」

教授「こういうブログ記事のことを『女房が走る』と言うんだ」
学生「????」
教授「妻 run、つまらん」

 ※ブログ『夏への扉』から激しくインスパイアされたものです。(笑) 元は→クリック

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根岸鎮衛『耳袋』

バーソ様
おはようございます。

呪いのお札の話は面白いですね。しかしお互いに教養とユーモア精神がなかったらこのようにラリーが続かなかったでしょう。
ここまで出来たのは大したものだと感心します。
韓国歴史ドラマを良く観るのですが祈祷師が人形を作って呪うシーンがよく出てきます。
それが本当に効くので笑ってしまいます。

愛新覚羅

2017/03/04(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます。

お久しぶりです(●^o^●)
「女房が走る」ブログ記事が多い私です(^_-)-☆

人を呪い殺せば、自分に跳ね返り、墓穴(はかあな)が二つになるという意味だ。

とあるように、最近の自身の言動が自分に返り、バタバタなことが多かったように思います。

言霊の恐ろしさでしょうか?

人に対して、我慢ならず言い放ったつけは、自分に戻って来ました。

常に良い人にはなれず、反省することが多い今日、この頃です。

2017/03/04(土) |URL|Miyu [edit]

目から鱗崩壊!

よくもまあ、こんな意味深、かつ面白い記事が書けるものですねぇ。

「元の木阿弥」という狂歌師の存在も、ですが、

>「呪」と「祝」は、元は同じ親の字から派生した

これには目から鱗がぜ~んぶ、剥がれ落ちましたぁ。
(((ʘ ʘ;)))金田一・バーソじゃないですかぁ。

>湧き水の穴が、甘めの水を出したり、苦めの水を出したりすることはない。

ヤコブの指摘も説得力ありますねぇ。
が、しかぁ~し、
“人の口は、本来はもっぱら良い言葉を語るためにあるのですね。”
これは聖書に精通し、その教えを暮らしに生かすバーソさんらしい理念……。

口が災いにならないよう、気をつけようっと( ˘ ³˘)

2017/03/04(土) |URL|風子 [edit]

Re: 根岸鎮衛『耳袋』

aishinkakuraさん コメントありがとうございます^^)
> しかしお互いに教養とユーモア精神がなかったらこのようにラリーが続かなかったでしょう。
 そうですね。俳句とか狂歌というのは、公家とか武家のものというより、一般市民の中に芽生えたものです。
 当時の江戸は世界最大の都市だったようですが、識字率も世界の中では断トツに高く、面白い文学作品が多量に出版され、町民文化が爛熟の極みに達していたのでしょう。鎖国中なら普通は市民文化は劣るのではないかと思うのですが、そうではなかったのが面白いところです。

> 韓国歴史ドラマを良く観るのですが祈祷師が人形を作って呪うシーンがよく出てきます。
それが本当に効くので笑ってしまいます。

 そうですか。呪いが効かなかったら物語は始まらないので、効くとされているのでしょうか。奈良平安時代から、昔の文学には、妖怪邪鬼がよく出てくるので、何か理解できない出来事があったときは、そういうもののせいにするのが安易な解答だったのでしょう。
 現代の魑魅魍魎たちは普通の顔姿に見えて、じつは陰でけっこう悪いことをしているので、分かりにくくて困りますね。

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 「女房が走る」ブログ記事が多い私です(^_-)-☆
 ああ、そうですね。そうそう、一日忙しく働いて、そのうえ土日も休みなしで、まさに八面六臂、縦横無尽、面目躍如、解凍麺麻、いつも走り回っている印象ですよ。Miyuさんは親指立てて、妻ランニングゥーでしょう。(笑) なんでもこなしていて、確かにグゥーですね。(^_-)
 
> 言霊の恐ろしさでしょうか?
 言葉そのものに霊力があるかどうかは別にしても、或る言葉をいつも発しているというのは、そういう意識を自分の内に持っているということです。
 なので自分の意識の力が周囲に作用して、まわりの状況がそれに沿って動いているのでしょう。いや、まわりには関係ないとしても、自分の意識に従って自分の行動が作動され、人生が形作られるのでしょう。

 でもそれを意識しているのと意識してないのとでは大違い。
> 常に良い人にはなれず、反省することが多い今日、この頃です。
 これはよく意識していることの表れ。いつも内面を見つめていることの証拠のようなものです。これからもさらに人生の道は上昇しそうじゃないですか。良かったですね。

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 目から鱗崩壊!

風子さん コメントありがとうございます^^)
> >「呪」と「祝」は、元は同じ親の字から派生した
 「兄」という字に、年長の者と、祈る人の二つの意味があるというのが面白いですね。一族の年長の者が代表として祭事を司る。昔の家長制度がこんなところにも表れているのですね。

 私は子供の頃、お前は長男だから家を継ぐ(だから忍耐我慢せよ)と母親からよく言われましたが、家も無し、財産も無しじゃないかと心の内で思ったものです。といって、私は子供のころは、別に自分の運命や何かを呪ったりしたことは無く、といって祝福にも縁がなかったです。

 成人してからは、身近に嫌なヤツが大抵一人はいました。でも決して言い返したり、やっつけたり、呪ったりせず、ひたすら我慢し耐えることで対処してきました。そういう忍耐強い性格は、子供のころから培わされるような家庭環境にあったせいだと思います。いいのだか悪いのだか分かりませんが。

> > 人の口は、本来はもっぱら良い言葉を語るためにある。
 これは口幅ったいですが、自分でもそう思っています。本来は、口はそのためにあると思っています。でもなかなかそうはいかないこともありますが、ただ口汚く罵ったり、罵り返すことだけはしたことがないですね。それは口下手なせいと、気が弱いせいも多々ありますが。(笑)

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

物理学の世界では「正しい方程式はこの世で最も美しい」と言われています。
代表的なアインシュタインの相対性理論は、陽と陰が見事に左右対称を成しています。
この世は背反するもので成り立っていて、その原理を知っている物理学者は美しい方程式を追い求めます。
祝いと呪い。美と醜は表裏一体であり、その真理を解き明かした時、方程式は見事な左右対称を成します。
映画界にいた頃、オブジェは光が当たって影が出来るから人の目に映ると言う明と暗の相関関係を知りました。
映画を始め、名作と呼ばれる文学や芸術作品は光と影が見事に左右対称を成したものが多いです。
もしや、人の心は物理学で言う「美しい方程式」そのものなのかも知れません(笑)

2017/03/04(土) |URL|sado jo [edit]

とりあえずなにかがいいたい

口は災いの元
口でザーサイは美味しい
口は目よりもものを言う
あたりまえでしゅ・・・あはは

最初の絵を(横顔)
新潟県と感じたおいらは少し可笑しい
バーソさんはいつも
何かを隠し持っている
『口』とくれば出すと決まっておりますが
『入れる』を意識してのことかも知れません
いずれにせよ
呆けたおいらには刺激です
ありがたいことでございます
蟻が鯛なら芋虫しゃ鯨
あはは。

2017/03/04(土) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> この世は背反するもので成り立っていて・・・祝いと呪い表裏一体であり・・・見事な左右対称を成します・・・人の心は物理学で言う「美しい方程式」そのものなのかも知れません。
 美しい方程式の「美しい」とは「シンプルな」という意味でしょう。
 地球上のものを至極シンプルに言えば、すべて陰と陽という二極性の事象で成り立っていると言えます。確かにシンプルですね。

 旧約聖書の創世記の話をします。
 神は地球を創造し、人間の男と女を造ったとき、「彼らを祝福し」たと書かれています。創世記2勝27節
 ところがエデンで、最初の人間が蛇に誘惑されて「善悪の知識の木の実」を食べて、人類に罪が入り、その罰として死が入ってきましたが、ここで神が二つの呪いを宣言しています。
 一つは蛇に対するもので「お前は地のすべての野獣の中で一番呪われる」と言われます。もう一つはアダムに対するもので「地面はおまえのために呪われた。お前は命の日の限り、その食物を苦痛のうちに食うであろう」と言われます。
 つまり祝福と呪いは聖書的には人類史の最初からあったようです。

 しかし、もしアダムが「善悪の知識の木の実」を食べなければ、善・悪とは何かを知ることができず、また死ぬこともなかったので生の意味も分からなかっただろうということになります。
 言い換えると、善も悪も命も死も分からず、苦しんで子を産まずに済み、顔に汗して働く必要もなく、嵐も津波もない温暖なエデンで、問題も病気も悩みもなく、のたりのたりと能天気に生きる人生になったかもしれません。そうであるなら喜怒哀楽の面白みもなく、努力向上や問題解決などの面白みもない、つまらん人生になったかもしれません。

 とまあ、そのように思うと、この地球が陰と陽と二元論の世界であるのは、いろいろ問題は山ほどあれど、まさに神からの祝福であるとも言えそうです。これほどいろいろな体験が自由にできる星は、この広い宇宙にも滅多にないでしょうから。
 とはいえ、究極的には、人の心は愛だけになるのが、最も美しい方程式になるのじゃないですかね。人間の心が「愛」だけになるなら、これ以上シンプルな方程式はないでしょうから。

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: とりあえずなにかがいいたい

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
> 最初の絵を(横顔)
新潟県と感じたおいらは少し可笑しい

 いや、その感覚はたいしたものです。ウナさんが少年のような素直な感覚を持っている証拠のように思います。
 ほんと。左下のチェーンは佐渡島への航路に見えますね。上斜め半分が青い海で、ちょうど手の下の青い部分が入り江に見えるので、いまグーグルマップで、新潟県から始めて、日本の海岸線を全部見回してみましたが、この地形に見えるのはなかったです。残念です。

> 『口』とくれば出すと決まっておりますが
 なるほど。「口を出す」とは余計なお節介をするの意。「茶々を入れる」とも似てますかね。イエスの言葉を思い出しましたよ。


「心に満ちあふれているものの中から口は語る」マタイ12:34
「口の中に入るもの(食べ物)が人を汚すのではありません。口から出るもの(邪悪な言葉)が人を汚すのです+」マタイ15:11
 
 どうも口は災いの元にもなり、幸いの元にもなるようです。人は心にあるものを出すので、気を付けないといけません。
 昨今はノロウイルス付き海苔なんてものもありますから、口に入れるものにも気を付けなくてはいけません。開いた口が塞がらなくなって、異口同音に、死人に口なしになっては困りますから。(笑)

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人を呪うことにエネルギーを使うより、自分の進みたい方向にむかってエネルギーを使い、気がついたら自分を馬鹿にした人間が小さく見えた、って感じがいいですよね。
なかなか難しいですが。

2017/03/04(土) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)
> 人を呪うことにエネルギーを使うより、自分の進みたい方向にむかってエネルギーを使い、気がついたら自分を馬鹿にした人間が小さく見えた、って感じがいいですよね。
 はい、その通りだと思いますね。自分が進むことだけにひたすらエネルギーを使っていれば、いやなことも忘れるでしょうし、ひとを呪うようなイヤな気持ちもなくなるでしょうから。

 ところがイヤな思いをしてから時間はだいぶ経っているはずなのに、恨みがなかなか抜けないのは、自分で恨みを温めているからでしょう。
そうなら出来事がどうだというより、自分がどう思っているからですから、自分の思いを変えれば万事解決のはずですが、そこが分かっちゃいるけどできないのでしょう。人間の感情というのは理屈じゃないので、困ったものですね。
 一つの方法として、他の楽しいことに打ち込んで、それにエネルギーを使うといいのでしょう。なにか自分の打ち込める趣味を持っているひとはいいですね。

2017/03/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/03/04(土) || [edit]

こんばんは!

人を呪わば穴二つ、
「地獄少女」を観ていて、
言っていたフレーズの意味がやっと分かりました^^
「呪い」と「祝い」字の成り立ち、
その他薀蓄を面白く拝見させていただきました♪

2017/03/05(日) |URL|Sinn [edit]

おはようございます

人を呪殺すれば呪い返しに遭うことを覚悟したり、呪いは、
誰かに知られてしまえば効果が発揮しなくなるどころか、
本人に跳ね返ってくるという・・・呪いにはそんな側面があるとは
知らなかった。呪い方を考え直さなくてはいかん。(笑)
コジモ一世の妻エレオノーラの真珠の首飾りやホープダイヤモンドは
身に着けているだけで呪われるとか。
こんなかわいい呪いも、
http://kamitsubu.com/campaign/loveletter/2014/work/work13.html
呪いについて検索すると「末代まで呪う」という言葉は子孫代々まで
呪うという意味ではなく、死んでからも呪うほど憎いという意味らしいです。
知らなかった、このブログはいつも知識を増やしてくれます。

2017/03/05(日) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 人の口は良い言葉を語るためにある。そして、人の頭はなでるため、人の顔は褒めるためにある。その通りですね。うまい(^^♪
 
 呪うエネルギーは確かに物凄いのでしょう。そうでなければ効き目がなさそうです。本当に、無駄な、愚かしい、おぞましい意識ですね。

 考えてみれば、人間は無駄なことに頭を使っていますね。ちょっと瞑想をするだけで、自分の頭の中は邪念だらけで、頭はいつもどうでもいいようなことを数秒の休みもなく始終考えていることに気づきます。困ったもんです(^^;)
 
 そうそう、このイラスト、なかなかいいですよね。

2017/03/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは!

Sinnさん コメントありがとうございます^^)
 『地獄少女』はテレビアニメですか。検索したら、「貴方の怨み晴らします」というナレーションがあり、《依頼人自身も命に匹敵する代償を支払う》という設定があり、死後は地獄に行くことになるのですか。
 なるほど、この格言通りに作られているようです。

 快楽を得る契約を悪魔として、最後は魂を奪われそうになるゲーテの『ファウスト』にちょっと似てませんか。このファウストという名はラテン語で「祝福」を意味するそうで、であれば、この話も呪いと祝福が出てくるわけで面白いことです。

2017/03/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 呪い方を考え直すなら、呪いは、のろいとダメで、速いほうがいいみたいですよ。(笑)

> コジモ一世の妻エレオノーラの真珠の首飾りやホープダイヤモンドは
身に着けているだけで呪われるとか。

 そうなんですか。さすが、絵画にも詳しいエリアンダーさんです。
 早速、検索しました。まあ、容易には全貌をつかめそうもない、いろいろ男女の複雑な愛憎の物語があるようですね。コジモ一世とエレオノーラとの間には11人の子供が生まれたが、3人がすぐ死に、4人が思春期の頃に死に、他にも一人が殺され、もう一人は病死か毒殺で、残りの二人だけが50歳まで生きたとか。華麗なるメディチ家にも、いろいろ呪わしい話が多そうです。
 エレオノーラは21歳頃の肖像画を見る限りでは、目がちょっと暗そうで思索的にも見えます。

 ラブレターコンテスト受賞作品。微笑ましくて、ユーモアがあって、うまいもんです。女性が女性に送った手紙なんですね。嫉妬のようで、嫉妬でない。それが何かと尋ねてみれば、ラブレターラブレター。
 このひとは30歳なのに、かわいいです。こんな人がなぜ相手がいないのか、不思議です。(笑)

> 「末代まで呪う」という言葉は子孫代々まで
呪うという意味ではなく、死んでからも呪うほど憎いという意味

 そうでしたか。私も知らなかったです。『十戒』に「あなたの神、主である私は、ねたむ神、私を憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」とあるので、その格言の意味は《子孫代々まで》と思い込んでいました。おかげさまで、私も勉強になります。

2017/03/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

呪うのもエネルギーがいりますね。
しかもすごいパワーがいるように思います。

例えば、よその国を延々と呪い責める国がありますが
そのエネルギーがすごいなあと思います。
それがその国の力になっているのであれば
その国にとって呪いは石油みたいなものでしょうか。

2017/03/05(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 例えば、よその国を延々と呪い責める国がありますが
そのエネルギーがすごいなあと思います。

 確かに、感心するほどその意欲にはすごいものがありますね。
 今日、『chosun online』のコラムに「冷静過ぎる日本と直情的過ぎる韓国。金星人と火星人くらい異なる韓日の国民性。ちょうど中間くらいがいいのに…」と論じている記事がありましたよ。

 ちょっと思ったのですが、日本人は淡泊な食べ物を《さっぱりしておいしいと》言います。あちらの国ではトウガラシが入っているものが多そうです。なんでもピリリと刺激的なほうが好きなんでしょうか。住んでいる土地による国民性の違いというのは面白いものですね。

2017/03/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

穴があったら入りたい、出て来れない、埋められる

 呪に対し自説を一つ。
「呪とは、実は他人に向けるものではなく自分に向けるものである」
 人はなかなかに怒りを持続できないものである。何故なら、そんな事にばかりかまけていられるほど人は暇ではないからだ。ストーカーなんてものはつまり暇なのよ。他にする事があったら、一つの事だけになぞかまけてられんのである。健全な人間であれば夜の怒りも目覚めと共に消えているなんて覚えもあるだろう。だが、怒りの元がどうしても為さねばならぬ事であればどうだろう。怒りを失くしてしまう訳には行かないとすれば、何らかの方法で継続せねばならない。そう、呪とは他者に対する憎悪を持続させる為の行為なのである。
「呪の隠密性もTPPである」
 もとい、TPOである。呪の意図が暗殺であるならば、呪を仕掛けたい相手に知られる事は致命的である。だが、精神的に追い詰める意図であるならば、呪われているという事実は寧ろ知らせた方が効果的だ。と言うか、知られてないと効果は無い。ただし、誰が呪っているのかだけは知られるのは拙い。呪返しとは、とどのつまり相手からの物理的意趣返しそのものである。しかも仕返しに抗する正当性など、呪う側では何を言っても余りに弱い。陰謀は影に隠れてコソコソやるのが正しい。
「毒を調合するものは毒に犯される」
 今でこそ防護する装備が揃っているが、当時、そんなものは無いに等しい。毒を扱った者が、その毒で死ぬなんて事は少なくなかったのである。え゛、呪は精神の問題?いやいや、朱に交われば赤くなるの例えも有る様に、キ印と向き合う精神科医が逆にキ印になる事だってあるのです。常に相手を憎悪し危害を与えようと考えてばかりいれば、そら心だって病みますわな。誰とは言いませんが件(「くだん」ですよ「くだん」http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-306.html)の方々を御覧なさい。完全におかしいでしょう。
 死なば諸共、人を呪わば穴二つとは言いますが、大抵用意した二つの穴には自分だけが入る事になりそうです。
 え゛、それでも諦められない?穴に入ってもまだ呪うって?土被せて置きますね。
 

2017/03/05(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 穴があったら入りたい、出て来れない、埋められる

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 まあ、忙しい合間に時間を作り、三つも名言創作。まことに有難き幸せであります。いつもすみませんね。

> 「呪とは、実は他人に向けるものではなく自分に向けるものである」
 「呪とは他者に対する憎悪を持続させる為の行為なのである」。なるほど、そう来ましたか。えーと、臥薪嘗胆の、その日本版を思い出しましたよ。「天、句践を空しゅうすることなかれ、時に范蠡無きにしも非ず」。おお、ちゃんと文字変換に出てきました。この言葉、中学生ぐらいの時に知って、忠臣であることは立派なことだと思ったものです。昔はちょっと右翼というか儒教的な思想があったのでしょうかね。

> 「呪の隠密性もTPPである」
 「陰謀は影に隠れてコソコソやるのが正しい」。そうなんでしょう。ところが陰謀とは顕れやすい。ゆえに、らしきものがいっぱいありますね。911はCIAの計画。アポロ計画はNASAの芝居。ダイアナ妃は事故じゃない。明治天皇は替え玉。本能寺の変は明智じゃない。江戸しぐさも違う。ちょっと前に自殺で死んだとされる大臣たち。ワクチンやポケモンだって世界的な陰謀だという話がありますから、怖いモンです。

> 「毒を調合するものは毒に犯される」
 「それでも諦められない? 穴に入ってもまだ呪うって? 土被せて置きますね」ですか。うむ、非常に素直な結論のような気がします。文末が「ね」で終わるのも珍しくないですか。あなふしぎ。(笑)
 で、こう正論で来られると、ええと、聖論しかありません。イエスの異父兄弟ヤコブの言葉を引用します。3章8節の文語訳です。

「されど誰も舌を制すること能はず、舌は動きて止まぬ惡にして死の毒の滿つるものなり」
 舌つまり言葉は死の毒であると言われています。さすれば一般人を殺すにはVXガスのような毒薬など不要で、口で侮辱し、嘲笑し、誹謗し、罵倒し、憎まれ口を言い、執拗に陰湿にパワハラで虐めれば、相手は死に至ることもありそうです。してみると毒殺とはけっこう身近にありそうですね。気付かずして毒を吐かないよう注意したいものです。はい。

2017/03/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

穴があったらいれたい、もとい・・・

あはは
おはようございます
与太郎君が赤胴鈴の助だったころ
世の中には『悪』は無かった
全てが金太郎の世界でした
熊に跨ったり相撲をとったり
ところが正義に目覚めますと
懲らしめる為の『悪』が必要になりました
そこで桃太郎の登場でした

呪詛とは
己の不足を窘めるためのものです
「人を呪わば穴二つ」
これを決死の覚悟を持って
戦いに望まなければ『勝ち』はないと
長い間勘違いをしておりましたが
どうやら
おいらは間違えていたようです
今のおいらは天下無敵でしゅ
これは誰にも負けない、ということではなく
友達とは争う必要がないということです
(友達になれないような人とは)
(神様が出会わないようにしてくださっております)
(・・・たぶん、あはは)
バーソさんとエリアンダーさんとツチノコさんと
あと風子さんで麻雀卓を囲んでおります
次の『ニ抜け』では
おいらも混ぜて戴きます
えっ!
競馬に続き麻雀もしないのでしゅか?
まさか・・・・
あはは。

2017/03/06(月) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)

> ところが正義に目覚めますと
懲らしめる為の『悪』が必要になりました

 なるほど。正義は悪があってこそ成立する。面白い考え方ですね。


 与太郎君が赤胴鈴の助だったころ
 少年剣士は月光仮面だった
 弟は鉄腕アトムで
 姉さんはコメットさん
 兄さんはダーティハリーで
 爺さんは必殺仕置き人
 父さんは帰ってきたウルトラマンで
 母さんは山の神だった
 わっかるかなあ わっかんないだろうなあ(笑)

のろいも、のろウイルスも、こわいですね~。
まんじゅうと渋いお茶もこわいです。
今の時期だったら、桜餅か道明寺がこわいですね~。
麻雀とかいうものもしたことがないです。
甘いものが好きな つまらん男です。はい。

2017/03/06(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんばんは^^

呪い返しというのが、どこから返ってくるものなのか、分かるような分からないような気がしますが、自分自身の嫌な気だか念だかによって、自分で具合が悪くなりそうですね。
免疫力とかも、下がりそうですし。

うちの夫が中学生くらいの頃、鎌倉のある大きなお寺の裏山で、杉の木に藁人形が打ち付けられているのを、しばしば見かけたそうです。

私は前に、神社の絵馬に、呪いの言葉が書かれているのを見つけて、驚いたことがありました。

ところで、エルテの絵、素敵ですね^^
本名は、ロマン・ド・ティルトフという人なんですね。

2017/03/06(月) |URL|Ariane [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん コメントありがとうございます^^)
> 呪い返しというのが、どこから返ってくるものなのか、分かるような分からないような気がしますが、自分自身の嫌な気だか念だかによって、自分で具合が悪くなりそうですね。
 ああー、さすがです。なるほど、それはそう思いますよね。
 本来は、陰陽師が呪詛返しによって自分も命を落とすことを想定して墓穴を二つ掘ったという意味のようですが、でも現在では世の中には原因結果の原則が働いているはずだから、他の人を呪えばその呪いが巡り巡って自分に返ってくるのも当然だ、と格言的な戒めで言っている話であり、現実生活で必ずそうなるのかどうかはちょっと別の話ではないかと思う人もいるでしょうね。

 でも確かに自分の嫌な気だか念だかにより、自分自身が心身ともに具合悪くなりそうです。実際にも、そのような呪いの念に染まっているような人なら、目つきも愛想も発する言葉も悪く、したがってあまりひとに好かれないで、人生がうまく行かないのではないかとも思います。

 言霊とか人の意識の力を信じる人は、こんなふうに思いそうです。
 つまり『不吉な事柄を言葉にすればそれが現実になる』というわけで、マイナスの気を出せば相手も思いがネガティブになり、自分が出したマイナスの気にさらにその相手のマイナスの気が積み重なって返ってくる。これは因果応報の報いだ。そして自分が低い霊的状態にあれば低級霊に憑かれやすくなるとか言いそうじゃないですかね。霊能者の中には、恨みや呪いの霊が祟っているので、あなたはこうして災厄に遭うのだとか言う人もいそうです。

 鎌倉は神社仏閣が多いので、藁人形も昔はよくあったのでしょうか。あまり見たくないですね。笑人形ならいいのですが。(笑)

 エルテの絵、気に入っていただけてよかったです。
 頭文字R・Tがフランス語でエール・テーなので「エルテ」だそうですよ。私はアール・デコが好きなので、こういう絵も好きですね。

2017/03/06(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

博識ですね~

良いブロブです。。。

2017/03/06(月) |URL|風 蘭 [edit]

Re: 博識ですね~

風 蘭 さん 初コメントありがとうございます^^)
 はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
 いや、ちょっと知ってたことに、いっぱい調べたことを組み合わせているだけなんですよ。たいしたことはありません。
 またお越しくださいませ♪

2017/03/07(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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