「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 キリストの「贖い」は、なぜすべての人を救わないのか。 

「イエスを信じなさい、そうすれば救われる」
とはキリスト教の決まり文句である。Google検索では50万件以上ヒットした。

だが宗教心というものは、人が生まれついた土地や環境に深く根ざしている。
イスラム圏や北朝鮮に生まれた人が、キリスト教を信じることは極めて難しい。

こんな疑問を抱いたことがないだろうか。
 キリスト教徒でないと救われないのは、不公平ではないか?
 それはキリスト教会だけに都合のいい教えではないか?
 神は愛だと言うが、なぜ神はすべての人を救わないのか?
 
今回は、キリスト教の「贖(あがな)い」についての疑問と、そして、
ものみの塔は「救い」をどう教えているかを考えた。※基本的に聖書は新共同訳を引用

エッシャー e
Maurits Cornelis Escher
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1.「アダムの罪を全人類が受け継いだ」という教理は聖書的か?

「原罪」の教理がなければ、「贖い」の教理は成立しない。
人類は皆《アダムの罪を全人類が受け継いでいる》という「原罪」の教えは、
キリスト教には必須かつ根本の教理だが、次の二つの反証聖句を見てほしい。

●エゼキエル18:20 
「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず

●歴代第二25:4
「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない
人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」

要点は、《親の罪を子は負わない》が聖書の原則である。
子は親の罪を受け継がない。すなわち、アダム(親)の罪を人類(子)が受け継いだ
とする「原罪」の教理は、完璧に聖書の教えに反しているということだ。

親が極悪人でも、その子孫は罪を受け継がないというのは、人間社会の常識。
何千年も昔のアダムの罪を子孫代々が受け継ぐというのは、道理に反する。 

 1.「原罪」の教理はパウロだけが「ローマ人への手紙」で論じているに過ぎない。
 (「ローマ人への手紙」を正典化したのは1世紀以降の教会指導者である)。
 2.イエスや他の使徒たちや旧約の預言者たちは誰も、ひと言も論じてない。
 (もし誰かが言っていれば、パウロは喜んで引用して論述の根拠にしたはず)
 3.そもそもユダヤ教と旧約聖書に「原罪」の概念はない。
 (「原罪」とはキリスト教会ができてから出来た教理だ)  

神は、悪人にも太陽を照らすという「愛の神」ではないのか?
もし神が本当に「遺伝子操作」をして、アダムの罪を全人類が受け継ぐようにした
のなら、それは昔アウシュヴィッツ強制収容所でされた人体実験や集団虐殺なんか
比較にならないほど超凶悪な犯罪と言えるだろう。

 そもそも 「過ち」とは修正すればよいものではないのか。 
 神の子アダムの「過ち」は、死刑にしたいほど、神として腹が立つ罪なのか。
 子孫にまで代々罰を与え続けるのは、陰湿で、あまりに執念深くないか。
 ・・・・・こんな疑問が「原罪」の教理には付きまとっている。

                         
「原罪」を否定するとは言語道断だ、と思う人がいるかもしれない。
だが「原罪」の教理は、(1)聖書の原則に反し、(2)物事の道理に反し、
(3)愛の神を残忍で無慈悲な神としている点で致命的な欠陥を持っている。

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2.イエスの死は「全ての人のための対応する贖い」であるはず。
テモテ第一2:6
「この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました」

同(新世界訳)
「この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださった」

ものみの塔は、「贖い」を、罪と救いとが対応する公正な原則だと説明する。
1.贖いとは解放をもたらすため、または何かを買い戻すために支払われる代価。
2.完全な人間アダムの罪によりアダムの子孫は命を失ったが、完全な人間イエスの
犠牲の死により命の代価が支払われ、子孫は希望を抱けるようになった。
3.これは『すべての人のための対応する贖い』であり、『命には命』という
聖書の原則に対応した、公正で釣り合った教理である。


では、「贖い」が公正な原則であるならば、
アダムの行為で 全人類が《自動的に》罪人とされた のであるなら、
イエスの行為で 全人類は《自動的に》義人とされた となるのではないか。
そうでないと、公正で、釣り合った教理にはならないのではないか。

エッシャーf

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3.「贖い」は「恵みの賜物」として、無償で全人類に与えられた。
ローマ5:15
「しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。
一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、
なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、
多くの人に豊かに注がれるのです」


要点は、「一人の罪」によって「多くの人」が死ぬことになったが、神とキリスト の
「恵み」によって、「なおさら多くの人」が救われる、ということである。
この「神の恵み」が、ローマ5:12-21では5、6回も、くどいほど繰り返されている。
                       
「贖い」にあずかれるのは、キリストを信じる者だけだと言う人は、
「贖い」には条件が付いている、と考えている。

だが、条件付きならば、それは「取り引き」と言ったほうがいいだろう。
そして「取り引き」ならば、「愛」でも「恵み」でもなく、「無償の賜物」でもない。

イエスは、神の愛は「完全」で、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を 降らせてくださる」と述べた(マタ5:48,45)。
ということは、「完全な愛」の神による「恵み」と「無償の賜物」は、キリスト教信者だけ
でなく、さらに広く、全人類にも及ぶはず!なのだが、どうだろうか。
 
tou

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
4.贖いを信じる「信仰」とは、神の力を信じる「信仰」である。
当時、社会は《律法の時代》から、新しい《救いの時代》に変わろうとしていた。
しかしながら、律法主義者たちは相変わらず、律法を守れば救われると考えていた。

パウロは、彼らに対して次のように論じた・・・。
「律法」を守って「義」を獲得しようとするのは無駄な努力だ。 それよりも、贖いで表された
「神の力」を信じなさい。「神の力」は、豊かな恵みにより、無償で人を義としてくれる。
  
その証拠として、キリスト以前に、すなわち「贖い」完了以前に、アブラハムが人を活かす
「神の力を信じる信仰」によって「義」とされた実例を挙げた。
ローマ4:21,22
「(アブラハムは)神は約束したことを実現させる力もお持ちの方だと確信していたのです。
だからまた、それが彼の義と認められたわけです」
                         
そういうわけで、別にクリスチャンでなくても、神の力を信じるような人は
絶対に救われるはずだ、と わたしは思っている。聖書にも支持がある。

・ヨハネ1:29:「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」
・ヨハネ第一2:2:「私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」
・レビ記16:15:「アロンは(祭司と一族のため以外に)民の贖罪の献げ物のための
雄山羊を屠(ほふ)り」

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5.聖書の教えは「人は信仰によって神から救われる」だが、
ものみの塔の教えは「信者は布教活動によって救われる」だ。


ものみの塔協会の統治体はいつも、「信仰は行ないで証明される」、だからエホバへの奉仕、
すなわち野外宣教に励みなさい、それがエホバのご意思だ、と叱咤激励している。
 
信者も、宣教奉仕をしなければ救われない、と脅迫観念にとらわれている。
だから、布教活動に出ることを、《時間を入れる》と言う(=外部の人には理解できないJW用語)。

エホバのご意思は野外宣教に励むことだ と強調するというのは、統治体の最大の関心事と
目標が「組織の拡大」であることをよく物語っている。

※補助開拓の要求時間を 月30時間に落とした4月の妙なキャンペーン(以前は月100時間の
要求だった)は、いまでもエホバの証人が布教活動に熱心だと数字上で見せかけるための
見苦しい策略であり、それはまた、実はJW全体の熱意がだいぶ薄れてきていることを示唆している、
と思っている。
                        
それで、ものみの塔は、実質的には「奉仕に熱心なら、それで救われる」と言っているが、
それは1世紀の律法主義者が 「律法を守れば、それで救われる」と言っていたのと、
あるいは、中世のローマ教会が「免罪符を買えば、それで救われる」と言っていたのとよく似ている。 

しかし、そのような「人間の力で救われる」という考え方は、聖書が薦める
「神の力を信じる信仰」とは全く異なるものだ。

なお、ローマ人への手紙は、その最後で、「滑らかな話しぶりで…偽りのない者たちの心を
たぶらかす」者がいることを警告している(16:18新世界訳)

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はじめまして♪よく調べておられますね
少し質問です
統治体の目的は組織の拡大
のようですが
それにより、何かメリットが
あるのでしょうか
お考えをお聞かせ下さい

2012/03/20(火) |URL|りぉ [edit]

りぉ さんへ。

コメント、ありがとうございます。

ご質問は『組織の拡大は統治体にとってどんなメリットがあるか?』です。
質問意図がちょっと分かりかねますが、どんな組織も、大抵の場合、
拡大することにはメリットがあり、それを望んではいないでしょうか。

宗教の場合の組織拡大のメリットを一般論としてお答えします。

1.神(仏)の是認を受けている大きな証拠だと言いやすい。
(イザヤ60:22「小さな者が千となり…」参照)
2.信者が増えると、組織の名声・評価・勢いが高まる。
3.寄付が多く入り、組織の運営が安定し、組織存続の不安が減少する。
4.財政が豊かになると、立派な建造物が建てられ、誇示できる。
5.財政が潤沢になると、組織幹部の立場が安定し、生活が安楽になる。
6.組織は大きいほうが、支配・統治・命令する際の優越感が大きい。
7.組織が大きくなると、組織本部で無料奉仕する人たちを得やすい。
8.組織が大きくなると、信者の自信が高まり、組織への信頼が増える。
9.命令系統の権威・重みが高まり、組織構造が固くなる。
10.カリスマ的指導者階級がいるなら、その者たちの権威が上がる。

※拡大を望んでいない組織があれば、拡大すると組織の適切な運営が
難しいので、小規模に抑えたいといった理由があると考えられます。
(飲食店などで、味を落としたくないので店を増やしたくないとか、
地道にやっていきたいとか、宣伝が嫌い、と述べる店主がいますね)

2012/03/20(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ご回答ありがとうございます
短い時間でお考えを
まとめられて 凄いです
また 質問があれば
お邪魔させて下さい

2012/03/22(木) |URL|りぉ [edit]

 復活についての質問です。
 JWではバブテスマを受けた人が生き残れ、それ以外はダメ。心理を知る前に亡くなった人は義者も不義者も復活させられ審議される。大患難時生きていてバブテスマを受けてない人は皆滅ぼされるんでしょうか? 真理を受け入れなかったから。
 なお、生き返るのは人間のみ。

 ずーーーーっと不満だったんですが、人は生きている内にいろんな罪を犯しますよね。でも、動物は生きて行くうえでの最低限の殺生で生きてます。罪も人の様には犯しません。原罪もありません。でも、死ぬ。何故か? 神を讃える事が出来ないから。と教えられました。
 でも、動物は本能と言う神からの賜物で親が教えなくても生き、子を産み育てます。仔を生んで増やせです。忠実に守ってます。自由意思だってあります。でも死ぬし復活も無い。すごい不公平です。
 でも、原罪が無いと言う解釈なら皆等しく死ぬ。何故人は死ぬのか? 罪を犯したからではなく、生き物は必ず死ぬように出来ている(それぞれの寿命)から、と今まで通り説明できますね^^
 地球上で一番罪深い人類だけが優遇されるのが納得できないのです。そもそも、JWのいう『人は救われる』の『救い』はパラダイスでの復活と永遠の命ですよね。人間だけの。
 死にたくありませんが、永遠に生きたくもありません。死なないと言うのは怖いです。チャールトン・ヘストン主演のSFで死なない世界から逃れて、最後にパートナーと年老いて死ぬ、という映画を思い出しました。十戒とか当時の宗教映画って大スペクタクルで好きです。
 去年CSでやってて思わず見ちゃって感想とか述べたら司会者に嫌な顔されました。><
 統治体の検閲受けてないからでしょうか^^;

 同じfc2でblog書いてます。最近再開して「聖書徒然」というカテゴリに境遇書いてますので、時間がある時にご意見聞かせて下さい。

2012/09/06(木) |URL|元研究生になりたい [edit]

元研究生になりたいさんへ。(^^)

いいご質問をありがとうございます。
このようなコメントはとてもうれしいですね。

●JWでは、JW信者だけが大患難から救われると教えています。
《自分たち信者だけが救われる》という教えは、カルト宗教の典型的特徴です。
《地上の楽園で永遠に生きる》という教えは、JW独特の教理です。
共に聖書的な根拠はまったくないのですけどね。

聖書は《信仰を持つ者は不公平なく救われる》と教えています。(使徒10:34)
その条件は、神とキリストを信じることだけ。単純明快です。(ヨハネ3:16)

ただし《救われる》とは《信者は無罪とされ、死後、天で祝福を受ける》
ということですが、キリスト教2000年の歴史で、その証明は一度たりとも
成されたことがありません。
そのように教えられているので、そのように信じているだけです。

------------------------------------------------------------

●動物に救いはないのかという点ですが。
キリスト教は人間(信者)だけを救う宗教です。動物には冷淡です。

・エデンを追い出されたアダムは(死んだ動物の)皮の衣を与えられました。
・ノアの時代、人間が悪かったのに、方舟の外の動物たちは殺戮されました。
・神殿では大量の動物が犠牲にされ、神は《いい香りだ》と喜んでいます。
・動物は「ほふられるために生れてきた」と言われています。ペテ第二2:12


「伝道の書」3:19-21はこう述べています。

「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。
同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。
すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った。すべては塵に返る。
人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう(言えない)。」

∴旧約聖書は、人間も動物も同じように死ぬ(だけ)と言ってるようですね。


●それで、「生き物は死ぬように出来ている」と考えていいのでしょうが、
新約時代になり、《キリストを信じる者は、天で永遠に祝福を得られる》という、
証明不能な教えを唱える新しい宗教が現れました。
単純な教えということもあって人気を得、大きな教団に発展していきます。

JWものみの塔は、そのキリスト教の基本的な教えに加え、
天に行く者は「十四万四千人」の限定数(=統治体の概念)だが、
その他の者は「地上の楽園」で永遠に生きられる、
という独自の教えを唱え、世界中に信者を増やしてきました。

そのJWの教えの最大弱点は、その教理は《証明可能である》ということです。
つまり、おおよその予定とされる時に楽園が来なければウソだということが
誰の目にもハッキリするわけです。

JWは《1914年からイエスが再臨している》と唱えてきたと言ってますが、
それは偽りで、当初は、1874年からイエスは再臨していると言っていたのです。
(ネットを検索すれば、当時の出版物の資料が見つかります)。
今年は2012年。もうJWはオオカミ少年の教団だとはっきりしたはずです。

●本文でも書きましたが、エゼキエル18:20は普遍的な絶対の真理です。 
「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず」なのですから、
アダムが罪を犯したとしても、子孫全員が罪を負うことなどあり得ないのです。

これは《あなたには先祖の呪いがある、だからこのつぼを買いなさい》と言って、
高価なつぼを買わせる、あのあくどい霊感商法の手口とまったく同じです。

●なお、魂は死後、みな霊界に戻るわけですから、復活はあると言えます。

2012/09/07(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ありがとうございます^^

>なお、魂は死後、みな霊界に戻るわけですから、復活はあると言えます。

 輪廻転生を信じていた身としては、救われた気がします。
 永遠に生きるって、やっぱりありえないですよね。
 実際、過去に可愛がっていたネコが違う猫になって帰ってきた体験があります。
 今まで自分が信じ感じていた通りに生活していきます。

2012/09/07(金) |URL|元研究生になりたい [edit]

贖いの教理は 天才パウロの発明であると思います

2012/11/01(木) |URL|milestone [edit]

milestoneさんへ。(^^)

またの興味深いコメントをありがとうございます。

≫贖いの教理は 天才パウロの発明であると思います

「発明」とは、聖書に元々なかった教理を《創り出した》ということですね。
私のブログ記事に同意していただいて、ありがとうございます。

聖書に関心ある人で、贖いの教理を否定する人は珍しいと思いますので、
milestoneさんのこの言葉。最初、「発見」の書き間違いかと思いました。
「発見」なら、聖書に元々あった教理を《見つけた》という意味になりますから。

言葉は、短ければイマジネーションが広がり、いい場合もあります。
でも、短いために、意図・趣旨が正確に伝わらない場合もあります。

できれば、この種の話は、なぜそのように思ったのか、その根拠・理由を
もう少し詳しく書いてくださるとうれしいのですけどね^^)。

2012/11/01(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

またまたスッキリ

すごいスッキリいたしました。実は、足りないおミソで、私も同じ結論に至ったのでした。さらに神の陰湿さは「キリストをよみがえらせる力が神にはあるが、人間にはない。なのに人間の無垢な子供たちは死んでいく」これにつきます。

元研究生様の動物の復活のお話なのですが、これはどう考えても聖書のおごりであると私は思います。つまり、「動物は神から自由にしていいよと言われましたよ」ということで、話がそれますが聖書を信じる国々ですと私からすると「安易に動物を安楽死させる」「家畜の扱いがあまりに過酷すぎ、家畜に敬意などもっていない」など、日本とのあつれき鯨、イルカ問題にまで話が行ってしまいます。家畜は神様から自由にしろよと言われたが、それ以外はちょいとね!!というわけです。

あまりにもjwで聖書を根拠にさんざんなめに遭いましたので批判の立場になりますが、はっきり言って、聖書は人のおごりです・・・。

まだ日本の神道などの方が柔軟性があります・・・。こちらも批判がありそうですが、少なくとも「イスラムに豚肉食え!!」とは神道では言いませんからね。

でも、私は無宗教です。こりごり、さんざんです・・・。

2014/08/20(水) |URL|かれん [edit]

かれんさん ありがとうございます^^)

「聖書は人のおごり」ですか。そうですね。おごった人たちが書いたのは間違いないでしょう。聖書は、動物より人間のほうに、一般人より支配者層のほうに、女性より男性のほうに、そして未信者より信者のほうに、都合よくできていますから。

律法で殺される動物の犠牲はおびただしい数に上るので、イスラエル神殿の近辺はかなり血と肉と糞の臭いがし、焼かれた犠牲の煙で焼き肉屋のような臭いもしたのでしょう。
神の名の下に近隣諸国と戦争もよくしたので、人間の血の臭いもしたはずです。

聖書が100%神の言葉だと信じる人は、聖書の規準をひとに押し付けがちです。でも聖書で人生が好転した人もいるでしょうが、聖書で殺された人も大勢いるのです。

一見立派なようで実は信者の生活を破壊する宗教組織は、神の組織ではあり得ません。
「残れる者」だとか「油注がれた者」だとかの主張には何の根拠も証拠もなく、
彼らは、しょっちゅう重要な教理の訂正を繰り返しているのですが、
そんな人間的な組織をありがたがる思考は、ちょっと理解できませんね。

よかったね…拾われて元気一杯になった捨て犬たちの写真いろいろです。
http://labaq.com/archives/51582451.html

2014/08/20(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いきいきしていました。

捨て犬たちの、家族を得た幸せそうな瞳、いきいきしていました。ありがとうございます、こちらも幸せになりますね。

動物の犠牲についての聖書の記述で「犠牲になった動物の内臓でいっぱいになり・・・」のようなくだりで、現役時代、気持ち悪くなり、嫌な神だなと思っておりました。

当方、ベジタリアンでもなく、普通にお肉食べますが、食いもしない神が、そんなたくさんの犠牲を欲しがるなんて貪欲だな、と思っておりました。全部お残ししないで食べるのならともかく・・・。

2014/08/22(金) |URL|かれん [edit]

かれんさん ありがとうございます^^)

>のようなくだりで、現役時代、気持ち悪くなり、嫌な神だなと思っておりました。
いい感覚をお持ちですね。そういう感覚を持っているのは非常に貴重ですね。

旧約時代、人々は犠牲の動物を祭壇で焼き、祭壇から天へと立ち昇る「かぐわしい香り」を神への献げ物として献げたと聖書にあります。旧約の神は、牛肉好きなんですね。
というより、旧約を書いた人たちが牛肉好きの男たちだったのでしょう。

聖書には、気持ち悪くなることがいろいろ書いてありますが、多くの人は気づきません。
組織の問題点をブログで書いていながら、なお組織に居る人もいます。でも、かれんさんご家族は、離れられて良かったでね。これから、いい人生を楽しんでください。

2014/08/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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