「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 今日もまたかくてありなむ。藤村『千曲川旅情の歌』 


日本人横綱の19年ぶりの誕生で、いま大相撲にスポットライトが当たっている。
しかし話題にもならないのが土俵の安全性で、特に今場所は怪我人が多かった。
法的な国技ではないが、伝統ある神事だという認識が改善を阻んでいるようだ。

外人にラーメンが好かれている。だが麺をすする音が耐えられないらしい。
しかし日本では、ソバはズズーッと吸い上げて食べるのが習慣になっている。
日本の“食”の伝統にも、外国のマナーという慣習が攻め込んできているようだ。

5ball.jpg 

伝統とマナーは、どちらも人間が定めたもの。
守ったほうが良い場合も多いが、マンネリとはどう違うのだろうか。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
伝統・マナー・マンネリは、ちょっと違うようで、似ている。

英語のマンネリズム( mannerism )の語源は、マナー( manner )から来ている。
「マナー」は、礼儀・行儀として型にはまっている作法のこと。
「マンネリズム」は文学・芸術・演技・手法などの表現が型にはまっていること。
 (現在では否定的にとらえられ、ワンパターン、型通り、惰性的と同義)
「伝統」とは、受け継がれてきた型にはまった風習・しきたり・様式などを言う。

●テーブルマナーは、型通りに行われてさえいれば、礼儀正しいとされている。
しかし国により、良いとされる作法は異なっており、普遍的なものではない。

●歌舞伎や能楽などの伝統芸は、長い年月で洗練され、完成の域に達している。
しかし悪く言えば鋳型で造られた定食メニューであり、新鮮味はほとんどない。

●大きな目で見れば一般庶民の生活は、十年一日のようであるかもしれない。
それはマンネリだろうか、それとも平穏なルーティンと言うべきだろうか。


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――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
藤村の『千曲川旅情の歌・二』は、命をどう見るべきかを示している。

藤村の『千曲川旅情の歌』は二つある。有名な「小諸なる古城のほとり 雲白く
遊子悲しむ」の詩は「一」で、以下に引用する詩が「二」とされ、一緒にされている。

「一」も「二」も藤村28歳のときの作品。ここでは「二」の最初の箇所を引用する。

『千曲川旅情の歌』(二の第一連)
  昨日またかくてありけり
  今日もまたかくてありなむ
  この命なにを齷齪(あくせく)
  明日をのみ思ひわづらふ


 漢語「齷齪あくせく」の本来の意味は、歯と歯の間が狭いこと。そこから心の狭い状態
 の意となり、心に余裕がなく、気ぜわしくすることを表すようになった。
 この詩の意味は、
  昨日もまたこうだった。今日もまたこうなるだろう。
  この命、何をあくせくして明日のことだけを思い煩(わずら)うのか。
  明日もまたこうなるのだ。人生とは同じような日の繰り返しなのだ。

何年か前、小諸の千曲川で、「一」の詩を7、8割程度だが思い出したことがある。
しかし詩情は全く湧いてこず、「歌哀し佐久の草笛」の音も聴こえてこなかった。

藤村は、小諸義塾の英語教師で、結婚したばかり。現実の問題に対する関心が
高まり、詩から散文へと移行する頃。千曲川の岸辺に立ち、この人生観を得た。

面白いのは、「明日」という日は「思い煩う」対象の日であるということだ。
藤村は学生時代にキリスト教の洗礼を受けているが、この思想は聖書にある。

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「明日」と「思いわずらう」ことについて、イエスがこんなことを言っている。

新約聖書 マタイ6章34節
 明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。
 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。


 趣旨は、明日のことを思い煩うな。思い煩うなら今日という日だけにせよ。
 これは「明日は明日の風が吹く」や「ケセラセラ」と同じような考え方だ。※1
  
思い煩いとは、まだ明日は来てないのに、事故災害が起きるのではないかと
取り越し苦労をして、自分で問題を心の中に増やしている最悪の精神活動。

思い煩いは精神的エネルギーを浪費するだけで、何の役にも立たない。
あくせくして、こせこせして、がつがつしても、命は延びず、縮まるだけ。

ならば、窮屈な縛りから外れて生きる「自己ファースト」はどうでしょう。※2
好きなことをしながら、ゆったり生きるのも、オツなものではありませんか。

 「人生に 齷齪あくせくしなければ アクセルとブレーキの 齟齬そごは無し」

              ――――――人生安全運転のすすめ。(笑)
※3



補足
※1:「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day)」は、映画『風と共に去りぬ』で、主人公スカーレット・オハラが最後に言ったセリフ。ヴィヴィアン・リーが演じた。
「ケセラセラ」は、ヒッチコック映画『知りすぎていた男』の主題歌で、意味は“なるようになる”のスペイン語とされている。ドリス・デイが歌ってヒットした。

※2:小池都知事の「都民ファースト」は、都議よりも都民を第一にするという政策。
トランプ大統領の「アメリカファースト」は、外国人は切り捨て御免という政策。
「自己ファースト」とは、ここでは意味のない慣習に縛られたワンパターンの生き方はしないほうがいい、そして不必要な思い煩いは増やさないほうがいい…というほどの意。

※3:わざわざ補足するほどのことではないですが、この最後の (笑) は、(歯々々々)としようかとしばし逡巡しました。言うまでもなく、齷齪齟齬の4語を使ったから。(笑)
  __________________________________

島崎藤村『千曲川旅情の歌』
一 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
  緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず 若草も藉くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡邊 日に溶けて淡雪流る

  あたゝかき光はあれど 野に滿つる香(かをり)も知らず
  淺くのみ春は霞みて 麥の色わづかに靑し
  旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
 
  暮れ行けば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む

二 昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
  この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ
 
  いくたびか榮枯の夢の 消え殘る谷に下りて
  河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き歸る

  嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
  過(いに)し世を靜かに思へ 百年(もゝとせ)もきのふのごとし

  千曲川柳霞みて 春淺く水流れたり
  たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ


☆画像はフリー画像『pixabay』より借用しました。

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伝統、マナー、マンネリ
考えたら、紙一重の部分がありますね。
そして礼儀へとつながるのかなあ。

私は若いときに習った茶道の所作が
苦手でした。
決まった型や順序が、どうしてもきれいにできませんでした。
「どの動きにも意味がある」と教えてもらいましたが
心の中で「どうして?なんで?」と
思うことが多くて雑念ばかりでした。

それらを超えたら美学が見えたのでしょうが
断念しました。

訪問ヘルパーで、毎回毎回、同じ部屋の掃除をしているとマンネリ化して変化が欲しいなと思うことがあります。
決まったルーティンがあるのだから
繰り返せばいいことなのに、なぜかうんざりすることがあります。

2017/01/28(土) |URL|森須もりん [edit]

さすがの着眼

(*′☉.̫☉)伝統・マナー・マンネリが親戚関係とは、
まずここで、眼から鱗一枚。

>小諸の千曲川で、「一」の詩を7、8割程度だが思い出したことがある。

すごい記憶力ですねぇ。
そのとき、詩人バーソさんも、ひとり岩をめぐりて この岸に愁(うれひ)を繋(つな)いだのでしょうか?

風と共に去りぬ…本を三回、映画を五回見ました。
歴史的背景もよく描かれ、人生の紆余曲折、波乱万丈、喜怒哀楽が
集約されているような作品ですから‥‥。

ヴィヴィアン・リー、当たり役でしたね。
悪女感漂う美貌の主を、よくチョイスしたものです。
それにもまして著者のマーガレット・ミッチェル。
生涯、唯一無二の作品からして、やっぱ、
『明日は明日の風が吹く』が好きです。

“齷齪齟齬”……漢文かと思いました。
ここで目から鱗が一挙に三枚剥がれ、
わが身の無知、無教養を知った風子でしたぁ。

2017/01/28(土) |URL|風子 [edit]

マンネリ

バーソ様
おはよう御座います。

マンネリズムがマナーからきているとは知りませんでした。
私は日本人ですがラーメンや蕎麦をすすりません。
汁がはねて服についてしまうからです。
特にトマトソース系のスパゲティとカレーうどんは要注意です。洗っても落ちにくいです。
マンネリといえば笑点が何十年も飽きずに支持されているのは何なのでしょうか。
きっと秘密があるはずです。

愛新覚羅

2017/01/28(土) |URL|aishinkakura [edit]

平穏なルーティン・頂きました

おはようございます。

又いつもの土曜UPに戻りましたね、いえいえこれがマンネリなどとは申しませんが・・

ちょいと筋から外れるかもしれませんが、こんな言葉を思い出しました、天才バカボンのパパ風に言うと「過去のおいらが今のおいらを作ったのだ、だから今のおいらは未来を創るのだ!!」。

伝統・マナー・これはとても大切なものだと思う、マンネリは人生のルーティン、おいら的にはそのルーティンを崩さず、されど変化することを恐れず、そして今日作られたものも何十何百年後のあかつきには伝統・マナーに成りえる事を忘れず、日々精進などと言う言葉はおいらに似合わないけど、ルーティンを崩さずされど何かを求める心意気は忘れず、そんな人に私はなりたい。

あれ・・いつの間にか賢ちゃんになっちゃったべさ。

『どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。』
この言葉は人生の師、松下幸之助氏が言ったとか言わなかったとか・・

2017/01/28(土) |URL|ばく [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 伝統、マナー、マンネリ
考えたら、紙一重の部分がありますね。
そして礼儀へとつながるのかなあ。

 多分、この3つは同類項ではないですか。ただ、それを人間がどう思うか、どう感じるかで、かなりいい場合と、ちょっといい場合と、飽きる場合とに分けられそうです。
 
 お茶がピンと来ませんでしたか。私も、したことはないですが、同じ理由で、する気がないですね。茶道や華道は、なんでも一つの型に当てはめれば安心できるという日本人の「和」の思想ゆえに発祥したような気がします。ただし、それに美学を見出せる人には益があるのでしょう。

 ヘルパーの仕事。大変でしょう。
 私が聖書伝道をしていた頃の話をすれば、猛暑・厳寒でも休まず懸命に活動しても、一銭にもならず、褒められもせず、それどころか大抵は無関心で、罵られることもありました。でも、自分のしていることは神の命令であり、利他的な愛の行為であり、人々の益になると信じていたので、苦にはならなかったですね。
 仕事というのは、茶道の話と同じで、益がないと思えば、つまらないと思うでしょう。でも他の人の益になる必要なことだと思えれば、マンネリではなく、ルーティンになりそうじゃないですか。

2017/01/28(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: さすがの着眼

風子さん コメントありがとうございます^^)
 「小諸なる古城のほとり」の詩は格調が高く、朗読すると音のリズムが何とも言えません。そういう詩は覚えやすいですね。私は「祇園精舎の鐘の音」も、平の清盛の家系の最後「嫡男なり~」まで、ほとんど覚えていますが、誰でも好きな詩や歌詞は、自然に覚えるのじゃないですか。
 
『風と共に去りぬ』はそんなに見ましたか。ずいぶん好きだったのですね。私はもうストーリーはほとんど覚えておらず、覚えているのは音楽だけ。冗談半分にいえば、クラーク・ゲーブルの嫌ったらしい二枚目の顔とヴィヴィアン・リーのわがままな女性というイメージしか残ってないですね。(笑) いま見れば、かなり印象が変わると思いますが。

 ヴィヴィアン・リーのような美人は最近はあまりいなくなりました。少しどぎついぐらいでないと目立たないせいでしょうか。だんだん世の中は、派手に、ギラギラになっていますね。人の気持ちも、ゆったり、のんびり、穏やかさが減っています。胡椒や唐辛子をいっぱい掛けないと物足りないような気分には、気を付けないといけないと思います。

2017/01/28(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: マンネリ

aishinkakuraさん コメントありがとうございます^^)
> 私は日本人ですがラーメンや蕎麦をすすりません。
汁がはねて服についてしまうからです。
特にトマトソース系のスパゲティとカレーうどんは要注意です。

 あ、そうでしたか。じつは私もそうです。麺類は、はねますからね。
 スーツを着ているときや白っぽい衣類のときは、かなり気を付けて、口を器の近くに持っていって食べます。見た目はよくないでしょうが。
 ま、ハンカチを胸に掛ければいいだけの話かもしれないですが。

『笑点』はずいぶん長続きしてますね。私がほぼ定期的に見ているテレビ番組は、この『笑点』だけです。マンネリにならないのは、番組は同じでも、内容が毎回違うせいではないでしょうか。
 内容がつまらない場合に、マンネリと感じるように思います。

 メンバーの答えは、台本があるのだと落語に詳しい人から聞いたことがあるのですが、そうではなく、各人が前もって考えているのだという話もあります。
 司会者は、三波伸介が当意即妙の反応を見せて、非常にうまかったですね。今の司会者は、全然それがないのが物足りません。明るいのですが。

2017/01/28(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 平穏なルーティン・頂きました

ばくさん コメントありがとうございます^^)
 本当は三日に一本ぐらい書ければいいのでしょうが、今は、“週一”が精一杯。頭の回転がマンネリなので、どうしようもなしです。(笑)

> そのルーティンを崩さず、されど変化することを恐れず、そして今日作られたものも何十何百年後のあかつきには伝統・マナーに成りえる事を忘れず、日々精進・・・ルーティンを崩さず、されど何かを求める心意気は忘れず、そんな人に私はなりたい。
 なるほど。さすが、ばくさんの言葉。「日々精進」。そうです。これが現在のばくさんを作ったのでしょう。それは、ばくさんの日頃の言葉から感じますよ。
 松下さんも、いつもこういうことを言ってますね。この世の中で成功する人はみなそうなのでしょう。エジソンも「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言ってますから。

 でも、じつはエジソンの言葉は誤訳で、正しくは「1%のひらめきがあれば、99パーセントの無駄な努力をしなくてもいい」という話もあるのですが、私も、そのひらめきをよく感じる人が天才なのだろうと思いますね。
 そしてそのひらめきを努力で活かせる人が成功者なのだと思います。私には縁がない話ですが。(笑)

2017/01/28(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

生命は常に一定のリズムを保ちながら生きてますから、ルーティンと言えばそうなります。
物事は、ある枠内を循環しながらあり続ける…但し、内部も含め周囲の環境は刻一刻と変わってゆきます。
それに適応する為に、ルーティンを変えなきゃならない局面が必ず生じて来ますよね。
それまで順調に回っていた歯車を一つ取り替えただけで、ルーティン全体に影響が及んで来ます。
アメリカ自らが行なった第二の産業革命であるIT革命による産業構造の変革…それによってはじき出された人々。
ルーティンを変えた事により、全てが狂ってしまった事態が、今アメリカ自身を直撃しているのだと思います。

2017/01/28(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 物事は、ある枠内を循環しながらあり続ける…但し、内部も含め周囲の環境は刻一刻と変わってゆきます。
 自然や生命は、自己を保存しようとする。
 しかし時間はすべてを変えようとする―――。
 基本的にはそれでいいのでしょうが、変えられたら歪みが生じてきて困る人や組織が出てくる。ザン切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がうるさいという場合もあるわけですね。
 
> IT革命による産業構造の変革…それによってはじき出された人々。
ルーティンを変えた事により、全てが狂ってしまった事態が、今アメリカ自身を直撃しているのだと思います。

 そうですか。進んだテクノロジーが出てくると、遅れているテクノロジーが困るわけですか。石炭産業はまさにその典型のようですが。

 しかし、いつの時代も変動や革新、革命は必ずあり、それで大抵は良かったわけで、あのアメリカが今、大統領という名の専横君主が遠慮も恥も外聞もなく権力を盛大に振り回す、こんな“アメリカ帝国”になるとはちょっと思わなかったですよ。

 あの人が現れたのはアメリカにとっては必然性があった、救世主だったとでも言えるのでしょうか。世界のあわてふためきようを見ていると、大昔のローマとかモンゴル、ポルトガル、イギリスなどの勢力が強大だった帝国時代を思いますが、しかしそれに比べれば今は鎖付き奴隷にされるまではないので、まだマシ、と思ったほうがいいのかと思ってしまいます。人間社会はますます弱肉強食になりましたね。

2017/01/28(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/01/28(土) || [edit]

こんばんは♪

マナー、マンネリズム、知らなかったです!
よく考えると面白いですね。

藤村の詩、
この命なにを齷齪
学校で習ったときは何となく分かった気でいたのを思い出しました^^

今後もどうぞよろしくお願いいたします♪

2017/01/29(日) |URL|Sinn [edit]

バッハの子沢山・啄木の憂鬱

お早うございます
普段から牛の涎の如く
だらしなく焼酎を遣るおいらですが
日曜日はそれにも増してだらしなくなります
尻に根が生えますから、朝から
あはは

一日にひとつづつ
言葉を繋いでおります
昨日は『茫然自失』に出会いました
しっくり来る言葉に置き換えることを倣い
『夢心地』に辿り着きました
麦蕎さんに倣え右、でありましゅ
あはは

いい日曜日をお過ごしくだい
あすから股、もとい又
土曜日に向けて『ネタ』を仕込んでください
楽しみにしております。

2017/01/29(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

おはようございます

>昨日もまたこうだった。今日もまたこうなるだろう。
 あくせくして明日のことだけを思い煩うことはない。

いい言葉ですねえ。私も実践したいんですが、根が悲観主義者
なもんで先のことを思い煩うんです。でも悲観しても悲観しても
悪いことはそんなに起こらない。それで楽観主義に鞍替えしても
いいかなと思ったりする今日この頃です。
エマーソンもこんなことを言っています。
「一日を終えたら、その日とは手を切りなさい。 明日は新しい日だ。
明日をうまく始めなさい」

スカーレット・オハラはバトラーにも去られなにもかも失って階段で
泣き崩れますが、ひとしきり泣いた後つと顔をあげ
「明日は明日の風が吹く」という名セリフを吐きます。
まあ立ち直りの早い女性です。(笑)
アメリカで「メラニーとオハラとでは自分はどちらに似ていますか?」という
質問に昔はメラニーという答えが多かったのが最近では圧倒的にオハラ
という回答が多いとか。時代の流れです。

2017/01/29(日) |URL|エリアンダー [edit]

あはははは、もう、笑ってしまうくらいメラニーが嫌いで、
そう、私の性格まるわかりです。メラニー的女が大嫌いです。ほほほほほ。
能楽師が能の所作について説明すると、
日本人は、所作一つ一つとって、何故ですか?と聞くのだそうです。
いやいや、そういうものなんです、と言うしかないそうで、
丸ごと受け取れ、ということですね。
外国の方は何を説明しても、「ほー!、これが日本か、ほー!」
と感心してくれるのだそうです。
偉大なるマンネリズムには理屈を突き抜けたものがあるのでしょうね。
それに賭けたら、一生なんて短いだろうなあ。

2017/01/29(日) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 いまや想定外のことが本当に多く起きるようになりましたね。
 大災害、テロ、そして専横な首脳の出現……。世の中の流れは、結局は大衆の思いが結実していると言えるのかもしれませんが、それにしても変化が速いです。明日はどうなるか分からない時代になりました。

 なので今日という日を大事にしていきたいものですね。
 齷齪齟齬の字はいけません。歯が並び過ぎているので、この字を見ると歯がウズウズしてきませんか。(笑)

2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは♪

Sinnさん コメントありがとうございます^^)
 マナーとマンネリが元は一緒だというのは面白いですね。
 マナーも形式だと思うと、つまらない作法に思えますが、それに従うと美しく見えると思えば、従おうという気になります。
 マンネリも、ただ同じことをしていると思えば飽きるでしょうが、そこに愉しさを見いだせれば意味が出てきて、もっと何かをしようという気になります。要は、人間がどう思うのかが大事なのでしょうかね。
 
 藤村の詩。すごいですね。しかも28歳の時の作品ですから。文章を書く技術の、そもそもの次元が違うような気がします。
 同じことでも、口語体で言わずに文語調で言われると、格調が高く感じますね。
 写真や絵も同じようなことが言えるのでしょうか。撮り方、描き方により、同じ被写体や対象でもずいぶん芸術度が違ってきそうです。
 またのお越しをお待ちしていますね。(^^♪

2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: バッハの子沢山・啄木の憂鬱

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
> バッハの子沢山・啄木の憂鬱
 おっ、のっけから、博学披露できましたか。ズージャ専門というわけでもなく、クラシックでも何でも、音楽は趣味の一つなんですね。でもウイスキーではなく、しょっちゅう焼酎ですか。日本人ですね。(笑)

 子供はバッハ20人に対して藤村は数人でしたか。藤村のほうは憂鬱。家系に精神病の人で亡くなった人がいた。不倫をしたりして、悩み多き人生だった。でも71歳まで生きた。バッハは65歳まで。どちらも天才。
 うーむ、私は、金も名誉も財産も女も子供もいらぬ。わたしゃもう少し才能もカメラも欲しい、です。(笑)

> 昨日は『茫然自失』に出会いました
しっくり来る言葉に置き換えることを倣い
『夢心地』に辿り着きました

 ははあ、茫然自失より夢心地のほうが良さそうです。これは言葉の話のようですが、酔い心地の話のようでもあり、どうもウナさんは、有為転変の世の中で、おおむね現実と夢まぼろしの両方の世界に遊んでいるようですね~。(笑)

2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> でも悲観しても悲観しても
悪いことはそんなに起こらない。それで楽観主義に鞍替えしても
いいかなと思ったりする今日この頃です。

 ははあ、なるほど。今まですこぶる順調な人生を送ってきた証拠のような言葉じゃないですか。優秀な人はやはり、そう思うのでしょう。
 でもそうじゃない人間には、月にむら雲、花に風、一寸先の己が運命わからないところに人生の哀しさがあります。やっぱり、真面目にね、コツコツコツコツやっていけば、いつか芽が出るんだから。と、こんな寅さんのような生き方になりそうです。(笑)
 
 エマーソンも同じことを言ってましたか。無教会主義だったようで、多くの人が二千年前のイエスと同じ意見を持っているようですが、大抵その人たちは、晩年にそう思っているのですよね。うーむ、なんと言うべきか。

 メラニーとオハラの比較。最近はメラニータイプが増えているのですか。でもこの質問は女性に対してアンケートしたのでしょうが、もし男を対象に、どちらのタイプと結婚したいかと質問をしたら、メラニーのほうがいいとするほうが圧倒的に多いと思うのですが、どうでしょう。
 女性がいくら頭が良くて顔がきれいでセンスが良くても、我がままで強い性格だと、おとなしい性格の夫が大変な思いをしますから。
 もちろん逆に男性がそうである場合も同じことが言えますが。

2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> あはははは、もう、笑ってしまうくらいメラニーが嫌いで、
そう、私の性格まるわかりです。メラニー的女が大嫌いです。ほほほほほ。

 あらー、繰り返しによる強調ときましたか。あはははと高笑いして、ほほほほと柔らかく収めようとしても駄目です。この発言で、宝香さんは結婚するにはちょっとなあ、という印象を世間の男どもに与えましたよ。付き合う分にはかなり面白そうではありますがね。あはは(^^♪
 あ、ただし、私はメラニーのことはほとんど覚えてなくて、どんなひとでしたっけね。ぶりっ子タイプだったなら、私もあんまりですが。

> 日本人は、所作一つ一つとって、何故ですか?と聞くのだそうです。
いやいや、そういうものなんです、と言うしかないそうで、

 面白い、そうですか。伝統の所作には意味がない。ただそういうものとして綿々と受け継がれてきた。ただそれだけのこと、ですか。
 しかし、その長い時間経過が、海の波が海岸のごつごつした小石を丸くするように、伝統の所作を美しく磨いてきたのでしょうかね。
 外人は、日本のわびさびや伝統に畏敬の念を持っているようなので、分からないほうがむしろ良くて、感心するのじゃないですかね。

> 偉大なるマンネリズムには理屈を突き抜けたものがあるのでしょうね。
それに賭けたら、一生なんて短いだろうなあ。

 マンネリズムも、それが“技”とか“巧み”と呼ばれる境地にまで到達すれば、そこに高い次元の世界が生まれるというのも面白い話です。
 日本人は四季の自然を愛でる感覚が鋭いそうですが、能狂言、歌舞伎などをひとつの芸術として鑑賞できるひとは、そういう感覚が優れているのでしょう。いいですね。


2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

いろんなブログを拝見していて、季節の花や風物、
年中行事などが一種のブログネタになっているところを見ると、
日本人は、やっぱり繰り返しが好きなのかなぁ、と感じています。
これは、一年という単位でみた繰り返しですが、
結構、その型どおりのものが多くの人に期待されているような気がします。
私も、そういうのを楽しんでいるのかなぁ、と思います。

明日の事は思い悩まない方がいいですねー。
最近よく聴いている歌に、
「いつも最悪の事を想像してしまう」という一節が出てきて、
「ああ、自分もだなぁ」と思うくらい、
私はもともと悲観的な性格なのですが、
考えてみると、未来の事は分からないし、
まだ来ていない、つまりまだ存在していないんですよね。
その存在していなし、存在するかどうか分からない事のために、
せっかくの今の気分を台無しにするのは、
つまらない事だと思うようになりました(笑

2017/01/29(日) |URL|Ariane [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん コメントありがとうございます^^)
> これは、一年という単位でみた繰り返しですが、
結構、その型どおりのものが多くの人に期待されているような気がします。

 なるほど。「期待されている」ですか。そうですね。
 人は精神の根底に不安を抱いている生き物と言えそうですから、確かに日常はいつも通りであることが期待されているのでしょう。
 そうすると、だから人はスリルありサスペンスありの映画やドラマを見て、そうした感情を疑似的に体験し、楽しんでいるのでしょうかね。

> 最近よく聴いている歌に、
「いつも最悪の事を想像してしまう」という一節が出てきて、

 私もそういうところがあります。誰でもあるのじゃないですか。最悪を予想しておけば、大抵のことは最悪ではないゆえにショックが少ないので、まあ、防御本能としてそうしているのじゃないでしょうか。

> せっかくの今の気分を台無しにするのは、
つまらない事だと思うようになりました

 そうですね。私もそう思えるようになりました。
 “なるようになる”という考えも、いい加減のようですが、でも楽観的で、かなりいい考えじゃないでしょうか。これは人の性格の違いもあって、そう思うのは難しい場合もあるのですが、自分の性格というのは自分で作っているので、自分で変えようと思えば簡単に変えられるのですよね。でも大抵の人は変えようとはあまり思ってないようで、私もひとのことはあまり言える立場にはないのですが。(笑)

2017/01/29(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

音を発てて麵を啜るマナーなんてものは実は日本にも無い

 日本食のマナーに音を発てて啜るというのはないんだそうです。日本作法のナントカ(小笠原?)流によりますと、汁物を飲む際に息を一緒に吸うのは火傷をしない為の知恵なんだそうですが、何も音を発てなくても出来るのだとか。麵を食べる際にも音を立てなきゃならん根拠は無いそうで、むしろ好ましくない作法らしいですよ。
 では何故音を立てる様になったのか。思うに、江戸っ子の反骨精神なのではないかと。ああしろこうしろ言われるとついむくむくしてしまうのが反抗心。気の短い江戸っ子が、高慢ちきな上方気取りの連中にああだこうだ言われて、てやんでいべらぼうめってな具合で態とあて付けたのだとすれば、何となく腑に落ちるのであります。それが権威に負けない粋な奴だってんで周りに持て囃されればそれは歴としたルーティーン。江戸で流行の蕎麦食いだとなりゃ、田舎者はこぞって真似るでしょう。成程新しい文化の出来上がりであります。
 わたくし、個人的には音を発てて啜りません。理由は前者既出なので割愛。が、他人がやっても気にしません。お茶ずずずーは逆に微笑ましい位に思います。
 しかし犬食いとクチャラは絶対的に駄目。増して床に這い蹲って丼に顔突っ込むなんて虫唾が走るので勘弁ですわ。
 閑話休題。
「明日のことを思い煩うな。思い煩うなら今日という日だけにせよ」「明日は明日の風が吹く」「ケセラセラ」。おお、我が意を得たり。明日出来る事は明日にしよう。明日の分まで今日やってたら何時迄経っても終わらない。準備は良いけど程ほどに。だから日本人は無駄に残業が多いのですよ。先を見据えるというのはそう言う事ではないのです。何も決らないうちから準備しても無駄になるばかりですよと、何度言ったら判るんだか、〇〇〇!!!
 あ、失礼。つい取り乱してしまいました。え゛、何の事だって?いやいや、そこはそれ、わたくしの座右の銘で〆させて頂きます。
 キ ニ ス ン ナ

2017/01/29(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 音を発てて麵を啜るマナーなんてものは実は日本にも無い

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 日本食のマナーに音を発てて啜るというのはないんだそうです。日本作法のナントカ(小笠原?)流によりますと
 なるほど。小笠原流と言われると、さもありなんという気がします。日本人はは“静”の文化。小津安二郎映画の食卓シーンなんか、会話もなく、黙々と食べていますからね。

 で、江戸っ子の反骨精神ですか。なるほど。これも、さもありなん。miss.keyさんらしい面白い発想です。私も、ブランドものにキャアキャア言ったり、流行りものにすぐ飛びつくのが好きじゃないですが、これも江戸っ子に似てるかな。

 讃岐うどんはどうなのか。太くて重くて吸い上げられないのか。関西四国方面では、反骨精神なんぞ、わて知らんのか。食道楽は味さえ良ければいいのか。面白いことですね。江戸っ子が死ぬまでに蕎麦をつゆにたっぷりつけたかったという話。それは粋がっていたようで、じつは蕎麦つゆがまずかったからだという話があります。蕎麦は貧乏人の食べ物だったのですね。いま観光地に行くと、掛け蕎麦で千何百円もするような取り澄ました蕎麦屋がありますが、絶対入りません。

 私もクチャクチャ音は駄目です。まあ、今どき教養・マナーがない人だなあと思ってしまいます。さえない顔の中高年の男に多いですね。

> 日本人は無駄に残業が多いのですよ。
 仕事が早ければ残業なんかしないで済むのですが、上司が目を光らせているので帰れない場合が多そうです。もちろん本当に忙しい職場もありますが、だらだら働いてサボっている人もけっこう多いですね。
 このたび「キ ニ ス ン ナ」は字間がひと文字分ほど空いているのがいいと分かりましたよ。(笑)

2017/01/30(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、こんばんは!!^^

でもさ、シミュレーションとか段取りは要るのではでは?m(__;m

2017/01/31(火) |URL|くわがたお [edit]

Re: タイトルなし

くわがたおさん コメントありがとうございます^^)
> でもさ、シミュレーションとか段取りは要るのではでは?
 お、なるほど。こんなふうな指摘をされるとは思いませんでしたよ。簡潔な要点を突いた質問ですね~。
 そうですね。やはりシミュレーションとか段取りなどの準備は、したほうがいいのじゃないですか。何でもそうですが、よく考え、準備したほうが、後で後悔がないと思いますね。私は割合よくするほうですよ。準備なしの一発勝負でいけるほど頭も勘も良くないので。(笑)
 
 明日のために準備することと、明日を心配することとでは、少し違いがありそうです。準備は必要なことで、心配は必要でないことです。
 その違いは、準備として最悪の状況も予期して必要な手立てを講じることは良いことで、それをしたら、あとは天にまかせて、それ以上の心配はしないのがいいのじゃないですかね。この記事では、そこまでは書かなかったですが。

 思い煩いとは、日がな心配ばかりしているという状態ですから、必要な準備をしたら、あとは、動じない、腹をくくる、気にかけない、ふっきれる、しれっとする、首を洗って待つ、したたかでいる…。人には、そんな、いい意味での“開き直り”も必要なようですね。(^^♪

2017/01/31(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「江戸しぐさ」というのが、小学校の道徳の教科書に載っているそうで、傘かしげ、とか、昔の人はマナーがあったんだよ、って訴えてるそうですが、何の根拠もない、と、江戸東京博物館の館長さんまで言っている代物で、しかも、外国人が一杯入ってきているのに、昔の作法を教えても仕方ない。
イエス「明日のことは思い煩うな」
さすが、良いこと言いますが、それでも、思い煩っちゃうのが人間の弱さと言えましょうかね〜。

2017/02/01(水) |URL|oki [edit]

コメントありがとうござうます

初めまして
訪問&コメントありがとうございます

はい
ここ数日はアクションカメラで撮っています
正式にはスマホで構図を見ながら撮るのですが
両手が塞がり不便なので感で撮って居るのです・・・


年末に愛犬が死んでしまいましたが
犬など顔デカで面白いです
国産でもありますがわたしのは中国製なのでお安いです 
マッチ箱の大きさなのですよ
角度でいろいろ楽しめます

2017/02/01(水) |URL|ぴあの [edit]

Re: タイトルなし

okiさん コメントありがとうございます^^)
 「江戸しぐさ」の作法は、なかなかいいと思うのですが。この話には、あまり実証性がないみたいですね。
 良い作法は見た目に美しくて、他者への気遣いもあって、守ったほうがいいと思いますが、形骸化して、形にだけとらわれたものはどうかなあと思います。

 イエスが述べた「明日のことは思い煩うな」は、これは“神への信仰”と密接に関係している教えです。なにかが自分を見守っているというような思いがなければ、普通は、人間はどうしてもいろいろ思い煩ってしまうものではないでしょうかね。

 この教えの文脈を、少し長いですが、引用します。

6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

 趣旨は、野の草花でさえ神が養ってるのだから、まして人間はもっと神が養ってくださるはずだ、野の草花を見て、そういう神の自然界の摂理を思いなさいといった意味です。
 昔、『野のユリ』というアメリカ映画がありました。黒人男優が初めてアカデミー賞を受けた映画です。その黒人の主人公は風来坊で、神を信じない者でしたが、やがて修道女の熱意に打たれて教会を建ててしまうという話です。宗教的な信仰がなくても、なんとなくこの世界に自然の生命力の不思議を感じるような人は、思い煩いが薄くなると思うのですがどうでしょう。そしてそういう感覚は、意外に誰にでもあると思うのですが。

2017/02/01(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: コメントありがとうござうます

ぴあのさん コメントありがとうございます^^)
 わざわざ、ご丁寧にすみませんね。
 じつはamazonで検索してみました。まあ、いろいろありますね。でも私が興味があるのは、魚眼というよりは、色調なんです。着るものでも絵画でも、色のきれいなのが何でも好きで、だから写真もきれいな色が使われているのが好きですね。

 ワンちゃんの話はまだ知らなかったです。これから過去記事も見せていただきますね。(^^♪

2017/02/01(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/02/02(木) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメsさん コメントありがとうございます^^)
 あはは、ご丁寧にわざわざ、すみません~♪
 好きな声のひとが三人ぐらいいますが、そのうちの一人です。
 ちょっと古いですが、あの頃のあの国は、みんないい人ばかりのようなイメージでしたが、いまは生活が楽じゃないのでしょうかね。世界中がそうならなければいいのですが。

2017/02/02(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは~。
いつもバーソさんの取り上げられる主題は、ほんと面白いですね。^^
光クラブ事件にも『うむむ~っ!』と思ったのですが、まずは順番通りこちらから行こうかな。

あたしは、二枚の写真がすごく気になります~。バーソさんのことですから、全く記事の内容と関係のない写真ではないだろうなあと思って、『何の写真かな…』と首をかしげ続けておりました。
一枚目は、相撲の話題だったので、ひょっとして、新or旧国技館の天井か?などとも思いましたが違っていたようでした。
二枚目の写真も、『歌舞伎か何かと関係ありかな』と思いましたが、これもわかりませ~ン!
わからないなら通り過ぎりゃいいのに、気になるあたし(爆)。だって、この鋏の年季の入りようったら!ただ者じゃない!(笑)『鋏の兄ィ。おみそれいたしやした!』ってなもんですよ。><

藤村の『千曲川旅情の歌』はいいですねえ。あのね、『千曲川のスケッチ(抄)』がまたいいんですよ。こちらは、藤村の小諸界隈での暮らしを書いたいわば写生文というか随筆なんですが、その淡さが何とも言えなくてですね。私の好きな本の一つです。

もう15年ほどになるかなあ。軽井沢に用あって行くことがあり。中央本線から小諸を回って鉄路で行ったのですが、車窓から見える晩秋の林の金色が何とも言えず美しくてですね。
小諸乗換時に30分ほど時間があったんですよ。食事をゆっくりするほどの時間でもない。大急ぎで小諸の街並みと小諸城址を見てきました…。
小諸の町はうん…寂しかった……。><

高台になっている小諸城址で、西陽に沈んでいく町を遠く見ながら、藤村のこと想っていました…。なにか同じ時代に生きる人々よりも、あたしには漱石や藤村など昔の人が慕わしく…。
一日違いで城址での菊人形・菊盆栽展が終っていたようで、「ああ、この場所での菊人形展かぁ…見たかったなあ!』と残念でした。晩秋の早い日の暮れの、早や影が暗くなりかけた城址に立って、何とも言えない旅愁を感じましたざんす。^^
ろくに観てもいないのに、忘れられない町です。
車窓から遠く眼下に見る千曲川もよかったなあ…

2017/02/04(土) |URL|彼岸花さん [edit]

Re: タイトルなし

彼岸花さん コメントありがとうございます^^)
 いつも気合の入った感想文、うれしいです。有難いことです(^^♪
 写真ですが、著作権の問題があるので、大抵はフリー画像サイト(か、70年以上経っているもの)から探します。
 この記事ではイントロが伝統とマナーの文脈だったので、最初の写真は赤い傘のようでもあり、日の丸のようでもあるので、まあいいかなと思って選びました。次の布と鋏の写真は(じつは2つとも東南アジアのものらしいのですが)、歌舞伎能楽の伝統の技という文脈なので、まあ雰囲気が合っているかなと思って選びました。つまりは、なかなかいいのが見つからなかったのです。

 私の写真の使い方は、文章をフォローするための説明以外に、下手な拙い文章だけだと飽きるだろうと思って、息抜きのために入れる場合が多々あります。ここでは3枚とも「伝統」という雰囲気を示すだけの写真です。そういう内々の事情がありますゆえ、どうぞご容赦のほどお願いしますね~。(^^;)

 『千曲川のスケッチ』。私は読んでないので、さっそく図書館に予約しました。淡さがいいですか。『小諸なる』の詩にも“淡さ”が感じられる箇所がありますね。「日に溶けて淡雪流る」、「浅くのみ春は霞みて」、「麦の色わづかに青し」など。全体的にも「緑なすはこべは萌えず」とか「あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず」など、物悲しいです。でも、こういう淡い哀愁は日本人に合う嗜好なんですよね。
 私は突然に「歌哀し佐久の草笛」が出てくるところが好きで、佐久の町も車で通ったのですが、こんな情緒は感じず、でした。(笑) やはり、こういうのは文学的な想像力と鋭敏な感性によるものなんでしょう。

> 小諸の町はうん…寂しかった……。><
 私も小諸を通ったとき、ここがあの小諸かあ、と初めて行ったのに何だか懐かしいような思いがしましたが、確かに寂しくて、さびれているようで、NHKの『小さな旅』のあの哀愁のあるテーマソングが似合いそうな町でした。小諸城跡は行っても風情はないだろうと決めつけて行かなかったです。晩秋の西陽で見れば、藤村の詩の情緒を少しは感じたのかもしれないですが。でも彼岸花さんにそう言われたら、惜しかったなあという気がしてきました。(笑)

2017/02/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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