「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 愛と平和の思想に共鳴する幸福感。 

いつもは急いで歩く道を、たまにゆったり歩くと、景色が違って見えます。
道端の草花、跳び歩く雀、緑の葉々、空の白雲までがイキイキ輝いて見えます。
みんな当たり前のように、飽くことなく、無心に、あるいは懸命に生きています。

日常にある幾つもの小さな幸せ。
それに気づくことも人生の幸せの一つでしょう。

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Gerda wegener

高村光太郎の詩から日常些事の幸せと、私の(成人してから)の貧乏生活の話です。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日常の些事にも、幸せがある、平和な一致がある。

光太郎は勤め人をしたことがなく、収入は、父の手伝いと芸術論の原稿を書いて
得た稼ぎだけ。裕福な酒屋に育った智恵子と一緒に極貧の生活をしていました。

  「晩餐」―――高村光太郎『智恵子抄』より

  暴風をくらつた土砂ぶりの中を
  ぬれ鼠になつて
  買つた米が一升
  二十四銭五厘だ
  くさやの干ものを五枚
  沢庵を一本
  生姜の赤漬
  玉子は鳥屋から
  海苔は鋼鉄をうちのべたやうな奴
  薩摩あげ
  かつをの塩辛

  湯をたぎらして
  餓鬼道のやうに喰ふ我等の晩餐


臨時収入があったのか、暴風雨の中、光太郎が買い込んできた食品を二人で貪り
食ったという詩ですが、干物以外は桃屋の『ごはんですよ』みたいなおかずです。
ただ当時は、玉子と海苔(かなり厚そう)はちょっとした贅沢品だったのでしょう。

私は「米一升」に実感があります。子供の頃、米を買う金も無しの極貧を経験した
話は以前に書きましたが、社会人になってからも耐乏生活をしたことがあります。

御三家と呼ばれる広告代理店の一つで、クリエーターとして絶好調だった或る日。
伝道者から聖書の家庭研究を勧められ、大学受験のときよりも熱心に学びました。
教えに共鳴し、神に仕えようと決意し、退社。休日なしで聖書活動に励みました。

数年たって体重40kgに激減。過労で疲れ果て、食欲がなくなり、病院に行ったら、
肺結核で空洞がある、安静だと診断され、2年半自宅療養。活動だけ細々と継続。

貯金もなくなり、就職もすぐにはできない状態。食事は、お米と、当時安かった
キャベツを買ってきて、葉は油炒めにし、芯の部分は薄切りにして味噌汁の実に
するような一汁一菜の暮らしを経験……とまあ、面白くもない話で、すみません。


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光太郎は貧乏でも明るいですよ。続けてこう書いています。

  ふきつのる嵐は
  瓦にぶつけて
  家鳴震動のけたたましく
  われらの食慾は頑健にすすみ
  ものを喰らひて己が血となす本能の力に迫られ
  やがて飽満の恍惚に入れば
  われら静かに手を取つて
  心にかぎりなき喜を叫び
  かつ祈る
  日常の瑣事にいのちあれ
       (※瑣事、些事。=ささいなこと)
  生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ
  われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
  われらつねにみちよ


建付けが悪い家なのか暴風でギシギシ鳴って揺れています。食べるものは山海の
珍味ではなく、本当に些細なおかずだけ。なのに二人で腹一杯食べられることに
満足し、手を取り合って感謝の祈りを叫ぶほど、「日常の瑣事」を喜んでいます。

祈りがいいです。「日常の些事に命あれ。生活のくまぐま
に緻密なる光彩あれ」。
電灯も薄暗い貧困生活の中にも、すべてに満ちこぼれるほどの光を見ています。

本能の力で飽食した後は、「われら」「我等」と五回も言い、自分と智恵子は幸せだ、
いま二人一緒にいられて幸せだと祈っています。二人は一つになっています。

私は、肺結核だと診断されたとき、ああ、ついにそんな病気になってしまったか、
でも自分なりに良心的に頑張った証しだなあ、と自負心めいたものも感じました。

自分では利他的で尊いと思えたことを力の限り行ないましたが、客観的に見れば、
宗教なんかに凝って、自分の健康も生活も駄目にした馬鹿な奴だとなるでしょう。

(かなり後になって、組織本部の実態を知り、教団を離れました)

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
“人はみな一つである”という考えは、世界を平和にする。

私が聖書を学び、スピリチュアルに関心を持つのは、宇宙の真理を知りたいの
が一番の理由ですが、他にも、この世で生きる際に倫理的な益があるからです。

聖書は、愛と神の国の希望に惹かれました。イザヤは「剣を打ち直し鋤(すき)とし、
槍を打ち直して鎌とし、もはや戦いを学ばない」人々がいる新秩序を書いてます。

スピリチュアルのほうは「ワンネス」を教えていて、聖書と類似点がありますね。
それは、人々が精神的に一つになり、地上に究極的な平和を達成することです。

ワンネスとは「すべては一つ」ということで、自分も他者も本来は一つであると
信じたり確かめること、というよりは共鳴すること※1と、私は捉えています。

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宇宙は愛で出来ているという考えは素晴らしくないですか。

世界の争いの原因は、権力と金の他は大抵、信念や思想の押し付けが原因です。
宗教戦争、政治闘争、暗殺、粛清、テロ、東西冷戦、知識人の論争。これらに
は他者の考えを許容できない心の狭量さと、独善的な正義感が関係しています。

真実は死なないと分かりません。でもパスカルと死の間際の友人の話ではない
ですが、ワンネス思想に共鳴することには否定することより益があります。※2

それは、人類がみな一つであり、みな兄弟だと思えるなら、他の人を嫌ったり、
争ったりせず、誰をも受け入れたいという気持ちになるでしょうし、なろうと
するでしょう。それは世界に平和と一致をもたらす良い方法ではありませんか。


                    

●いつも拙ブログの駄文に理解と包容力を示してくださる方々に感謝しています。
●丁寧に励ましのコメントをくださったり、親切に助言してくださる方々に深く感謝しています。
●イラストは、ゲルダ・ヴェゲネル(Gerda wegener 1885-1940) オランダ出身の作品です。



※1:私が所属した教団の主張は、“イエスの再臨のあと、世の終わりが来て、地上に楽園が復興する。エデンの園はサタンの邪魔がなければ今でも存在するはず。地上の楽園は神の本来のご意思だ”と主張していました。なるほど、聖書的に一貫している。神が死んだのではないなら、そうなるのが当然だ。そうならないとしても、誠実清貧な人間になるのは善いことだ。人間は神の教えに従って生きるのが良い、と共鳴したわけです。なので当時は宗教をやっているという意識はほとんどなく、聖書至上主義の清廉な道徳団体にいるという認識でした。

それと同様の意味で、スピリチュアルのワンネス思想に共鳴しています。理屈としても受け入れられますし、そう思って生きるなら、人と人が争いをしなくなり、地上が平和になる。宇宙が一つであるとは、なんと素晴らしいことか、じつに感謝すべきことだ、と思っています。

※2:「生まれ変わり」の真偽については、状況証拠と思えるようなものしかないですが、完璧に否定する根拠もないはずです。でも、その考えを受け入れれば、死への怖れはかなり薄れます。プラセボ効果のようだとしても、効き目はあるのです。もし違っていても、元々です。

輪廻や魂を信じない人は、では今の命が短いと強く意識して、有意義に生きようとしていますか。むろん、そういう人もいるでしょう(死に対して、やすらかに対処できる人は立派です)。
しかし大昔から大多数の人々は快楽追求の生き方をしてきました。旧約聖書と新約聖書は、そんな人々の意識を指摘しています。「さあ、食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」(イザヤ22:13、コリント前15:33) イエスも、自分の再臨のときは「ノアの時代と同じように、人々は食べたり、飲んだりしている」と言いました。(マタイ24:38) ノアの時代から現代に至るまで、この世の中は実際に快楽や金を中心にして回っているのではありませんか。

何かが嫌いなら無関心であればいいと思うのですが、執拗に関心を持ち、憎むというのは愛情の裏返しでしょうか。(笑) 象は、目やしっぽを見ればかわいらしく見えますが、キバや足を見れば怖ろしげに見えます。スピリチュアルはじつに多様で、中には金儲けや怪しげなものもあります。全面的な信用はしないほうがいいでしょう。どこをどういう思いで見るかでも、印象や判断は変わりそうですが、ともあれ、人は自分のメガネで物事を見るのでしょう。

精神世界の考え方の多くは基本的に他の人に迷惑は掛けていませんし、高村光太郎の詩のように日常些事にも幸福感を味わえ、明るい人生観や平和志向も抱け、なかなか良いものだと私は思っているのですが。
いずれにせよ愛と憐れみと親切のある賢明な思考には、全面的に共鳴します。

●2015年05月23日の拙記事では、理想の一致社会を描いたフランス映画『美しき緑の星』を紹介しています。涙の出るいい映画です。 URL(FC2動画)は記事の最後に出ています。
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解かります。解かりません。

バーソ様
おはよう御座います。

「二人で腹一杯食べられることに
満足し、手を取り合って感謝の祈りを叫ぶほど、「日常の瑣事」を喜んでいます。」

連れ合いを亡くすと意味が良く解かります。二人で生きていてこそ励まし合えます。

「神に仕えようと決意し、退職。休日なしで聖書活動に励みました。」

全く理解できません。打算的な私としては何が得なのかわかりません。得すらも求めていないようなので更にわかりません。

愛新覚羅

2016/12/10(土) |URL|aishinkakura [edit]

これこそがバーソは自由に‼

ページの活字、大きくしました?
なんか、すっきり……。

素晴らしい!٩(ˊᗜˋ*)وイエーイ……o(;_;)o
これこそ『バーソは自由に』の真骨頂だと思います。

>どこをどういう思いで見るかでも、印象や判断は変わりそうですが、ともあれ、人は自分のメガネで物事を見るのでしょう。

おっしゃる通り、何でも十羽一絡げで批評判断するのではなく、
“成長するために役に立つか否か”の視点が大切ですよね。

惜しげもなく一流企業を辞め伝道一筋。
頑張りすぎて肺結核、極貧、etc……。
その体験こそが、自由、寛容、理解という、
パーソさんの観念を育てたのですよね。

堂々と、ワンネスのメリットを活字化されて……。
なんか、メッチャ、嬉しいです。(*´ェ`*)

やはり、ニール/プチバージョンとしての使命かも……。(@^^)/~~~

2016/12/10(土) |URL|風子 [edit]

バーソさん、おはようございます。
バーソさんは私の知らない世界を体験していますね。

バーソさん、私は、今まで生きてきて
今が一番の極貧です。
貯金ゼロで、一人で生きる。
私、思うのです。貧しくても若いという条件を
持っていれば
極貧でも労働の選択肢は広い。生きるチャンスは多い。(病気の場合は話は別ですよね)

だけど私の場合は、その「若さ」の条件が足りない 笑

だからつかめるチャンスに執着度が大。

私は時々、子供に施しを受ける状態で
ああ、これが貧しいということだなあと感じています。
食事は、すべて優しい友人の配給。
年をとって貧しくても生き延びる方法を確立したいです。
宇宙が愛に包まれると思えるように。




2016/12/10(土) |URL|森須もりん [edit]

バーソさん、こんにちは^^

私も世界は愛で出来ていると感じます。
愛の反対は、無関心などと言われますが、
愛の反対は、普通に、憎しみだと感じます。
憎しみは愛と同じものの反面で、
全く同じ質のエネルギーだと感じます。
無関心は、愛憎のない状態で、
エネルギーの無い状態ですね。
A と not A は同じ質のもので、
無関心はゼロの状態と言うか・・・

ところで、バーソさんの言う
「ワンネス」が達成されるために、
排除されるべき人間というのはいるのでしょうか?
スピリチュアル的な思想では、
私は排除される側の人間になりそうですが・・・

2016/12/10(土) |URL|Korva [edit]

今時の人で、数日間食事に有り付けなかった…と言うのは、山などで遭難した人を除いていないだろうと思います。
戦後間もなく生れた私は、そんな状況を数回ほど経験しました。あえて故意に断食した場合もあります(笑)
人は飢えると、欲求が強くなり感覚が研ぎ澄まされて来ます…その限界に至ると人の感性は最高潮に達します。
修行僧が断食して真理を悟ったり、貧困の中から芸術家が優れた作品を生み出す原理はそこにあるのでしょう。
但し、ギリギリまで追い込みすぎると肉体も精神も崩壊して死に至ります。
飽食の現代人は、しょせん高村光太郎にはなれません…現に研ぎ澄まされた芸術も生れていませんね(笑)

2016/12/10(土) |URL|sado jo [edit]

権利の喪失

こんばんわんこ
秋・落ち葉・ものがなしい
ところがおいらは
落ち葉と銀杏の相性を好んでおります
寒いのは辛いけど
鮟鱇鍋が旨い
これは貧乏をしてきたからにほか成りません
振り子です
大きく貧乏にふれれば振れるほど
味わえる旨さも大きい
ブランコってあるでしょ
『後ろ』に大きく揺すれば
前にもおおきくこぎ出せます
まるでお空に飛び出すようにさえ感じます

毎日が楽しくて堪りません
夏も冬も一番の辛さを味わいましたから
極寒の海にも潜りましたし
灼熱の鉄工所で溶接作業も致しました
それを思えば今の暮らしは・・・
暑さ寒さも彼岸まで・・?
ちと、意味違くね?

精神世界って
皮膚感覚で感じ取れそうです
あはは。

2016/12/10(土) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: 解かります。解かりません。

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 連れ合いを亡くすと意味が良く解かります。二人で生きていてこそ励まし合えます。
 そうですか。いつも非常に奥さん思いで、深く愛していたのですね。なかなか他者の前で、そういうことを言える人はいないでしょうから、
本当に愛情の深さはたいしたものだといつも感心しています。

> 得すらも求めていないようなので更にわかりません。
 テレビCFとラジオCMのアイディアと雑誌新聞の広告を企画する仕事は自分にぴったり合っていて、人生で一番好調な時期でしたね。 給料も良く、職場の雰囲気も非常に居心地がいい会社でした。会社を辞めるとき、同僚から、なんで一銭の得にもならないことをするのかと言われましたね。母親からも嘆かれました。

 元々、生きることや死ぬこととはどういうことかを考えることに強い関心を持っていたのと、家にやってきた30代前半の伝道者が物質欲など皆無で、いかにもこの世離れした純朴そのものの人だったので、私もそのように立派な人格を培いたいと思ったのも大きな要素でしたね。

 物質的には損をしましたが、霊的には、自分には益があったと思っています。
 我が家の場合は、夫婦一緒に聖書の勉強を始め、一緒に入信し、一緒に熱心に活動を長年続けました。似たもの夫婦です。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: これこそがバーソは自由に‼

風子さん コメントありがとうございます^^)
 大文字にして、すっきりしましたか。よかった。文章は行の途中で行変えして、文字数も揃えているので、まあまあ読みやすいのではないかと思っています。

> 何でも十羽一絡げで批評判断するのではなく、
“成長するために役に立つか否か”の視点が大切ですよね。

 まったくそうだと思います。私はスピリチュアルと称するもの全部が好きなわけではありません。だから、その言葉は使わずに、精神世界という言い方をしてきました。というのもスピリチュアルには妙なものが多いと感じるからです。私の肌に合わないものもかなりありますね。

 人は誰でも、この世に沢山ある考え方の中から自分の好きなもの、いいと思えるものだけを取捨選択して受け入れているはずです。
 なので、精神世界のことは、要は自分のハートにぴたっと来て、自分と他の人の幸福に役立つと思えるものだけを選択すればいいと思いますね。

 私はかなり遠回りをしました。でも自分にはそうする必要があったのだろうと思っています。なにしろ物分かりが悪い人間ですから。
 でもおっしゃる通り、それゆえに「他者に迷惑を掛けない限り、意味のない人間的な思考に縛られず、自由に生きるのがいい」という考え方を持てるようになったかとも思います。口幅ったいようですが。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 私は、今まで生きてきて 今が一番の極貧です。
 うーん、困りましたね。老後をなんとか生き延びていくことは、現代人の一番の問題点ですね。独りで暮らしていくのはさぞかし大変で、不安も多いでしょう。介護の仕事も問題が多そうですしね。楽な仕事というのは本当になかなかないですね。道が開けていけばいいですね。
 
 私の人生は、子供の頃は貧乏と極貧、社会人の頃は長く貧乏。海外旅行はしたことがなく、国内旅行もほとんどしておらず、映画や観劇などにもほとんど無縁でしたが、今は衣食だけは困らないようになり、そういう意味では今が人生で一番楽ですね。森須さんとは逆ですか。

 「貯金ゼロ」って、本当ですか。去年だか一昨年だったかの正月休みに海外旅行に行ったのじゃなかったですか。
 「食事はすべて優しい友人の配給」って、そういう優しいひとがいるということですね。なんと言ったらいいか分かりませんが、ともあれ優しいひとがいて、この点はよかったですね。
 
> だからつかめるチャンスに執着度が大。
 そうですね。チャンスは逃さないようにする。これ、大事ですね。ぜひ、そうできるといいですね。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 愛の反対は、無関心などと言われますが、
愛の反対は、普通に、憎しみだと感じます。

 はい、全くその通りで、十分承知していますよ。これはマザーテレサだったかが、他の人に無関心なのは愛の反対だ、もっと能動的に愛の行動を起こしなさいという意図ゆえに語った言葉でしたかね。
 私がこのたび「無関心」という言葉を使ったのは、ある意図があって、そうしています。

> 「ワンネス」が達成されるために、
排除されるべき人間というのはいるのでしょうか?
スピリチュアル的な思想では、
私は排除される側の人間になりそうですが・・・

 この質問には、かなり驚いています。大変失礼ながら、こういう質問がどうして出てくるのか、私にはよく分かりませんね。

 スピリチュアルには様々な考え方があるので、Korvaさんが知っているスピリチュアルがそういう考え方をしているのか、あるいは、そんな思考のスピリチュアリストから、そう言われたのでしょうか。
 そうなら、そんな本や人には近づかないようにしたらどうでしょう。君子危うきに近寄らず、です。

 私は、自信過剰で他の人を馬鹿にするなど、心の根底に愛のない人には関わりを持ちたくないので、それこそ憎むのでも嫌うのでもなく、ただ無関心な状態を保ちますね。そんな人は相手にしたくもありません。

 以前にも話したような気がしますが、私はスピリチュアルという言い方を好まないので、今までは精神世界という言い方をしてきました。
 闇の組織とか、ナントカ星人とか、心霊現象だとか、そんな教えは、私にはまるで合わないので、読みたいとか知りたいとは思いません。

 私の好きな精神世界の考え方は、無条件の愛を強調するものです。
 排除されるべき人間など一人もいないと思いますよ。ヒトラーでさえも天国に行くと言われているのですから、まして純粋なKorvaさんが排除されることなんかあり得ません。Korvaさんが排除されるのなら、私も排除されるでしょうね。宇宙は、自然は、神は、そんなに意地悪ですか。
 そんなことを本当に思っているのですか。本当は違うのでしょう。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> あえて故意に断食した場合もあります
 そうですか。やはり断食や座禅などの精神修行もしたことがあるのですね。神道系、仏教系、ユダヤ・キリスト教系まで、宗教や精神哲学のことにずいぶん詳しく、いつも精神性の高さに感心しています。

> 修行僧が断食して真理を悟ったり、貧困の中から芸術家が優れた作品を生み出す原理はそこにあるのでしょう。
但し、ギリギリまで追い込みすぎると肉体も精神も崩壊して死に至ります。

 チベットなどでは修行僧が同じ姿勢のまま座禅を何年も続けている話があります。地中で座禅して死んでしまう話もあります。精神性が高くて立派だというべきか、度を超していておかしいというべきか、どう判断するかのバランス感覚は、個々の人によってかなり違いそうです。

 非常な苦しみの中から、精神性や芸術性の高いものが生まれることはあり得るでしょうね。そういう話を聞きます。
 でも、恵まれた良い環境の中でも、優れたものは生まれそうです。
 昔、貧乏をしながらでも良いものを生み出した人は、今もし家庭環境をはじめ、経済的、人脈的にも恵まれていれば、もっと良いものが生まれるのではないですかね。

 私は貧乏に価値があるとは思ってはいません。豊かすぎて、パンがなければケーキを食べればいいと思うようでは困りますが、貧困は地球で一番の悪であり、基本的に貧乏とは廃絶すべきものだと思っています。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 権利の喪失

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 落ち葉と銀杏の相性。寒い時期に旨い鮟鱇鍋ですか。なるほど。分かりやすい話です。
 つらさの中にも楽しさがある。乏しさの中にも豊かさがある。醜の中にも美がある。物事は振れが大きいほど、感じ方も大きい―――こういう見方を持てるのは、いいですね。人生の浮き沈みやいろいろ喜怒哀楽も経験して、それを超越し、達観した禅宗のお坊さんのようです。

 「毎日が楽しくて堪りませんか」ですか。非常にいいですね~。
 貯まりません、貯金が。じゃ困るかもしれませんが、でも人間、食べていければ十分、と思うような心境なんでしょうか。自然体ですね。

 「暑さ寒さも彼岸まで」ときましたか。あははは。すごくいいですね。
 私は「金がなくても僻んじゃいねえ」「それにつけても金の欲しさよ」が悲願です。あ、これは対抗して無理やり考えた冗談ですからね。ウナさんのレベルには全然届いてませんね。あはは。

2016/12/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/12/11(日) || [edit]

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2016/12/11(日) || [edit]

バーソさんは、かなり純粋な人なんですね。
神のために活動されて体を壊されたんですか。
でもその行動に対しても受け入れ、悪し様に
罵倒することもないですよね、その団体を。
このあたり、普通の人間にはできる芸当では
ないと思われます。(一言で言えばすごいです。)
神の感覚を心には宿しながら無宗教というのが
一番の立ち位置なんじゃないのかと天安は思って
おります。こちら韓国は仏教もさることながらキリスト教の盛んなお国柄です。牧師とか宣教師などが
ごろごろいます(こんなこと言っては失礼ですよね;;)。そういう方々が特にきらいということもないのですが、かといってそれほど尊敬しているわけでもありません。裏でなにをしているかわからないからです。牧師が殺人罪で逮捕されるという事件も時折見受けられたりして。また、信仰者といわれる人ほど排他的でもあります。(自分の宗教が最高だからと言ってそれを無理やり信じさせようとする)。こういう矛盾をはらんだ生き方を彼らはしているようです。天から与えられた道を自分なりに歩んでいくことがたぶん人生といわれるものなんでしょうね。きょうも考えさせられる内容でした。クボッ。(これ、頭を垂れて敬意を表すさまを表現する韓国語です^^)

2016/12/11(日) |URL|天安 [edit]

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2016/12/11(日) || [edit]

Re: ふむふむ

鍵コメhさん コメントありがとうございます^^)
 なるほど。やがて転生するとの解釈。理解しました。
 そのうちメールしますね。ありがとうございます。

2016/12/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメkさん コメントありがとうございます^^)
 ラテン語のことわざに「a rotten apple spoils the barrel」というのがあります。
 腐ったリンゴ1個が樽の中のリンゴ全部をスポイルするのだ、ということでしょうが、樽の中には腐ったリンゴもある事実を述べているだけとも、あるいは一部が食べられない状態でも全体の中にはおいしいところがあるのだ、とも解釈できるでしょうか。
 時には、自分の人生に役立つ、好きな解釈でもいいと思うのですが。

2016/12/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/12/11(日) || [edit]

Re: タイトルなし

天安さん コメントありがとうございます^^)
 愚かしい選択をして愚かな人間だと言われてもしょうがないような人生を送りましたが、それには言及せず、その動機をほめてくださり、ありがたいことです。

 その団体の教理については、聖書的に間違っていると思えることで、他の人が扱ってないことを以前、聖書から少し論じています。情報というのは、一方ではなく、多方面から取り入れたほうがいいですね。私の場合は、当時はネットもなかったので、一方通行の学びでした。

 他の情報は悪魔の教えだから見てはいけないと言うのは、独裁国家やカルト宗教の特徴なんでしょう。
 聖書は、偽善者というのは、表面を白く塗っている墓石のようなものだ、悪のみ使いは光のみ使いに偽装すると述べています。特に表面的に誠実そうに見える人や組織というのは、要注意ですね。本当に誠実だという場合もあるでしょうが、案外そうでない場合もありますから。
 
 確かに信仰者とは信仰が強い人ほど排他的です。自分の信仰が一番だという自信と、それ以外の方法では救われない、だから他の人々にこの信仰だけを教えなければならないという意識が強いせいでしょう。

 よくキリスト教は愛の宗教だと言われますが、なかなかそうではない一面があります。イエスを信じる者は救われるが、信じない者は滅びに至ると言われています。有名なモーセの『十戒』の第一も、「他の神々を神としてはならぬ」で、この違反には厳しい罰が付随していて、脱北者に厳しい国と似ています。
 
 教会に所属しないというのもいいのかもしれないですね。組織というのは大きくなると腐敗しがちで、その成員も大勢になると中には問題児も増えるでしょうから。クボッですか。覚えました。(#^.^#)

2016/12/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

自分の信じる道に進むことは、素晴らしいことですね。結果はどうあれその勇気がなく、同じ道を繰り返すように生きています。

後悔する生き方かも知れませんね。
ひたすら同じ道。

狭い世界のなか。


貧乏なんて、生きていることができれば、平気です。
五体満足でなくても生きて行かなければならない方もたくさんいらっしゃいますから。

お金が有り余っていても、幸せではないと思います。
そこそこに生活出来ればいいのですから。

最悪と思える経験は、必ず生かされる時が来るのでしょうね。

歳を重ねれば、皆平等になって行く気がします。

高村光太郎さんの『智恵子抄』より

 ~あどけない話~

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。


本当の空は、それぞれ違うのでしょう(*^_^*)

2016/12/11(日) |URL|Miyu [edit]

Re: こんばんは

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね、自分の信じる道に進むことは、いいことだと思います。
でも結果的には確かに後悔する道になるかもしれないですね。
 地球上にある花が、みんな同じ色で同じ形で同じ香りなら、じつは違う種類だと言われても、種類の違いは何なんだということになります。
なので、人は自分の選んだ道を歩んでいったらいい、ひとと同じことをしなければいけないと思わないでもいい、と私は思いますね。Miyuさんは健康の問題を抱えてはいますが、かなり普通とは違う、いい人生を送っていると思いますよ。

 普通はアリのように安定した道を選ぶのが賢明なのでしょうが、一度しかないこの人生、キリギリスのように自分の好きな楽しい道を歩む人生もまた良いという童話があっても良さそうです。ただし最後までアリに食べ物を乞うようなことはしない決意ですること、という条件が必要ですが。

 人生は本当に苦あり、楽ありですね。五体満足であるだけで有難いと思うほうがいいのでしょう。パラリンピックは、あまり見ていられないのですが、ハンディがありながらあれだけ動けるのはたいしたものだ、我々はもっと頑張らなくてはいけないと思わされます。

 東京に空がないという詩。「あどけない」という言葉がいいですね。
 こういう気持ち、自分の遠い子供の頃にあったような気がします。
 純粋で、人を疑わないで、心が澄んでいる状態。でも大人になると、ネガティブなことが増えてきます。自分の道をただ素直に歩みたいと思っても、思わぬ邪魔が入ったりします。光太郎と智恵子は互いに気持ちが通じ合っていて、心はひとつのようであったことが、この詩からもうかがえます。本当にいつも「あどけない」心でいたいものですね。

 あ、東京でも青い空なら見えますよ。きっとMiyuさんが見る青い空と同じでしょう。でも心に映る青色は微妙に違うのでしょうね。道も違いますしね。

2016/12/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。

世の中金品の多さで裕福、幸せと感じる人が多いですが、心が貧困ならば幸せとは言えないですね。
今回の韓国騒動で一層そう思いました。

2016/12/11(日) |URL|S-masa [edit]

Re: こんにちは。

S-masaさん コメントありがとうございます^^)
> 世の中金品の多さで裕福、幸せと感じる人が多いですが、
心が貧困ならば幸せとは言えないですね。

 そうですね。モノが豊かなら生活上の不安感はないでしょう。でも平安かどうか、幸福かどうかは別問題でしょうね。本当はモノも豊かで、精神も豊かであればいうこと無しなんですが。

 私はメカ好きなもので、カメラは新型や変わったレンズが欲しくなったりして、物質欲には果てしがないですが、昔は標準レンズ一本だけか、あるいは28mmと135mmを持つ程度。フィルムだって36枚撮りを一回の撮影に精々2本も使えばいいほうだったことを考えると、今はデジタルで何百枚でも撮れるので、まあ、恵まれたいい時代になったものだと思います。

 韓国の騒動はすごいですね。日本だったらあれだけのパワーになるだろうかと考えると、国民性の違いというのは長い間に培われてきた民族全体の総合的な特質でしょうから、個々の人の持つ意識というのも集合体になれば、なかなかに強いものだなあと思います。

2016/12/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ワンネスに同意する人がいるとともに、
僕のように、必ず反対する人がいます。
みんなの一致を目指すのはよい方法ではないと思います。
反対も、それもまた、ワンネスにとっては必要な反対と考えると、
反スピリチュアルの人たちは、
絶妙なバランスを取ってくれている人たちとして、
ワンネスの構成要素です。
そのあたりまで考えたときに、
他者の考えを許容できない狭量さがなくなると思うのです。

2016/12/11(日) |URL|青梗菜 [edit]

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2016/12/11(日) || [edit]

「われら」二人なら、貧しい食事でも身も心も満たされたんですね。
あらしの夜の飽食、余計に家の中の安寧と幸せを感じさせます。
ほんと、われらとか二人の幸せを強調しています。
いつ頃の詩だったんでしょうか。
やがて智恵子は精神を病んで(統合失調症)いき哀れです。
光太郎はロダンに傾倒しますが、ロダンの愛人の彫刻家
カミーユ・クローデルも奇しくも智恵子と同じ精神病で終生病院に
閉じ込められて過ごしたました。
なんだか不思議な縁です。

2016/12/12(月) |URL|エリアンダー [edit]

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2016/12/12(月) || [edit]

☆バーソ☆さん、こんばんは!!^^

>日常の些事にも、幸せがある。(ry
「も」でなく「こそ」かも。

>宇宙は愛で出来ているという考えは
「愛していると云ってくれ」(写し)、もとい仮説なんだと云ってくれ。m(__;m

2016/12/12(月) |URL|くわがたお [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> みんなの一致を目指すのはよい方法ではないと思います。
 そうですね。今の世界で、思想の一致を強く目指そうとすれば、思想教育の強化、政治権力の独裁化、宗教思想団体による洗脳、金にモノを言わせる経済支配、脳手術や薬物によるロボット化しかないでしょう。
それでは、一致社会のようでも、SF小説にあるような恐怖社会です。

 何事も好き嫌いはあって当然で、反対意見を持つのはいい場合もあるでしょうが、それが他者の考えを嫌悪し、反論を許さないレベルにまでなれば、どうでしょう、狭量というか、愛や親切心の欠如としか言いようがないのではないですか。

 他者の考えを嫌うだけならいいでしょうが、許さないとなると大変です。その排他的精神の種は、根を張り、成長していきます。
 憎しみになり、争いになり、千年許さないになり、軍備増強になり、難民増大と他国への集団移動になり、経済紛争になり、地域戦争に発展し、その戦争の行き着くところは核による地球壊滅になりかねません。

 なので(宗教やスピリチュアルなどを受け入れている)他者の考え方や生き方については、それが暴力推進や倫理違反などをするものでなく、ひたすら非暴力の平和志向であるなら、だれにも迷惑は掛からないのですから、反対したり嫌悪すべきようなことではないでしょう。
 私は、暴力的な宗教組織や平和団体の話は聞いたことがありますが、暴力的なスピリチュアル団体の話は聞いたことがないですがね。

 口幅ったいですが『バーソは自由に』のスローガンは“自由”です。
ひと様に迷惑が掛がらない限り、人は自由に考え、自由に生きる権利を持っていると思っています。
 誰の考えでも受け入れる自由な思想をみんなが持てるようになれば、争いがなくなり、いつの日にか、それぞれの思考は別々でも、精神的には愛と平和志向で一致した世界になり得ると思っています。

 そうなるための一つの方法として、ワンネス思想を採り上げました。
 この考え方の要点は、宇宙は、神も人間も動物も自然もすべてが同じ材料(物質=エネルギー)で出来ており、したがって人間はみな神の分身のようなもので、人類はみな兄弟であるということで、そう思えば、他者の考え方を攻撃したり、憎んだりはしなくなるというものです。

 ワンネスが真実であろうとなかろうと、この考え方は、今この社会では、世界平和の寄与にかなり有効だろうと思っているのですがね。

 スピリチュアルはじつに多様で、怪しげなものも多々あります。私はあまり好まないので、今までは精神世界という言い方をしてきました。

 しかしながら自分の見たリンゴが腐っていたとしても、リンゴ園全体のリンゴが腐っているわけではないでしょう。
 なので、なんにせよ、自分のハートにぴたっと来るものを取捨選択して、自他の平和と幸福感の増加に役立たせればいいと思っています。
 聖書にはおかしな考えも少なくないと思っていますが、いい教えと感じる箇所も多々あるので、私は、そういう聖句を選んでしばしばブログで引用しています。
 誰でも人生では、そのような取捨選択をしているのではないですか。

 なので、賛同しようが反対しようが、どちらでもまったく自由です。
反対はあっても別にいいと思います。むしろ反論するなと言うほうがおかしいでしょう。
 私は、スピリチュアルが至高で、それ以外は一切認めないし、許さない、というような偏狭な考えは微塵も持っていませんね。山に登る道は幾つもある、人は好きな道を選んだらいいと思っています。自由です。

 自分の気に入らない考えにただ反対するのではなく、自分の好きな方法で平和を推進していきたいと思い、実際にそのように生きているのであれば、それは非常に素晴らしいことです。褒めるべきことでしょう。

 というような考えに異論・反論があっても、あっしには関りのないことでござんす、と紋次郎さんが木枯らし吹く中で言ってました。(笑)

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 あ~、うれしいです。大変励まされます。幸せな気持ちになれます。
これで1週間は、いえ、当分の間、ご飯がおいしく食べられます。甘いものも調子に乗って食べ過ぎてしまいそうです。

 ちなみに最近は、甘酸っぱいイチゴのババロアとサバランを、毎週1個ずつ買って、食べています。それ以上は健康と美容のために、自己制御、ないしは抑制しています。(笑)

 愛の詩。いいですね。すごくいいです。隣人がそんな人ばかりになれば、どんなにいいでしょう。近くに引っ越したくなりました。(*^^)v

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> あらしの夜の飽食、余計に家の中の安寧と幸せを感じさせます。
 なるほど。情景をイメージして、そう感じたのですね。さすがです。
そう言われたら、映画の美術セットができそうに思えてきました。(笑)
 ただ、この詩には続きもあり、そちらでは「晩餐」の意味が少し違っているようで、その場面の演出は私には無理です。
 
 詩は大正3年4月の作品。Wikipediaでは、この年に詩集『道程』を出版し、長沼智恵子と結婚したとのことです。いや、同棲でしたかね。

 この智恵子というひとは裕福な家に育ったのに、芸術に理解があり、窮乏生活の中でも夫を支えていたようですが、男はこういう女性と巡り合えれば最高です。と書いてきて思ったのですが、私の奥さんも、同じ生き方に共鳴し、二人でずーっと同じ活動をしてきました。

 智恵子は病床でも千数百点の紙絵を生み出し、最後は肺結核で亡くなりました。私はストマイとパスのお陰で治ったのですが、その後、もっといい薬ができたそうで、だんだん世の中は良くなっていますね。

 彫刻とカミーユとに共通点があるですか。なるほど、エリアンダーさんらしい指摘です。ロダンは三角関係を続けていましたが、最後は妻のほうに行ってしまい、カミーユはかわいそうな人生を送ったなあという印象があります。本当に、人生いろいろですね。

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: No title

鍵コメbさん コメントありがとうございます^^)
  そうでしたか。案外身近に似たようなケースがあるのですね。

 人間は欲望の塊ですね。でもその外側の皮をはいで肉を取れば、中には愛という美しい芯があります。でも外側が厚すぎて、中がなかなか現れることが少ないので、問題がいろいろ生じているのでしょう。

 人間が生きるのに必要な「いい欲望」と、自他に害を与えるような「悪い欲望」をしっかり見分けて、悪い欲望を抑えていければいいですね。

 経済至上主義で、何でもカネカネカネと言って、物事の価値を判断する社会風潮も問題を助長する原因だろうと思います。

 ブログの分野が違うのに、感想を書いてくださって、うれしかったです。また気軽にコメントを寄せてくださいね~。^^)

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

くわがたおさん コメントありがとうございます^^)
> >日常の些事にも、幸せがある。(ry
「も」でなく「こそ」かも。

 おお、そうですか。日常の些事に幸福を見出そうとしている真摯なるくわがたおさんの意思と意欲が見えました。小さな幸せで満足しようという心掛けは見上げたもので、なかなか謙虚でいいですね~。

> >宇宙は愛で出来ているという考えは
「愛していると云ってくれ」(写し)、もとい仮説なんだと云ってくれ。m(__;m

 くわがたおさんがかわいらしい女の子なら、言うなと言われても、私としてはお世辞を兼ねて言いたくなりますが、でもねえ。(笑)

 仮説なんだというほうは、そう言ってもいいですよ。これは証明できない考えですから。でも何か、本当だとは思えないような、イヤなことがありましたか。
 もしそうであれば、身のまわりの景色や生き物を見てください。
 空が青くて気持ち良くないですか。白い雲が薄ーくたなびいているのはいいなあと思いませんか。緑の葉は目にさわやかで、生き生きしていて気持ちよくないですか。今は紅葉で色が赤や黄色に変わっているのも美しいですね。家々に植えている花々は、きれいでいい香りもします。雀がチッチッと鳴いて飛び跳ねているのもかわいらしいですね~……というふうにひとつひとつ見ていけば、本当にキリがないほど、世界は人間が楽しめるように出来ていると思えませんか。風景写真を撮る趣味がある人は、そういう実感があると思いますね。

 自分が良い精神状態で周囲を見回せば、世界は愛すべきもので満ちています。世界は愛で出来ているのです。

 でもそう思わないで見るなら、どうでしょう。道端にはゴミが落ちている。家の塀は掃除してないで汚い。庭の犬は吠えてくる。ええと、これ以上はちょっと思いつきませんが、とにかく人が汚いものを見ようと思えば汚いものも見えるのです。
 仮説とは華説でもあり、嘉説にもなるのですよ。(笑)

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、

>(ryでも何か、本当だとは思えないような、イヤなことがありましたか。
ん?、ないっす。私の文章力不足なのだと認識。m(__;m

2016/12/12(月) |URL|くわがたお [edit]

Re: タイトルなし

くわがたおさん コメントありがとうございます^^)
 別に何もなかったですか。それは、よかったです。
 念のために聞いただけですからね~。

2016/12/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

数が合わん

 仮に生命は輪廻転生を繰り返すとする。数が合わん。人は大昔に比べ、比べるべくも無いほど(変な表現だな、おい(笑))に増えた。輪廻が人間の中に留まるとしたらこれは計算が合わない。
 じゃ、動物も含めてみようか。すると今度は人間の増加に比して動物の減少が多過ぎる(これまた変な表現だこと(笑))。
 しゃぁないから微生物も含めてみて・・・もう数も何もあったもんじゃないわ。微生物の世界では兆も京も全体で言えば誤差の範囲じゃないか。輪廻を語る偉い坊さんがそこまで視野に入れているか怪しいもんだ。
 ところが輪廻転生は時間を超越すると言う方もいらっしゃる。つまり、転生は未来に向けて成されるとばかりは限らないんだそうな。と言うと何か。生まれ変わりは御先祖様だったりすると言う事か?いやいや、それどころか、目の前の友人知人みな自分の生まれ変わり。つまり生命は皆兄弟・・・じゃなくて皆自分。だからもっと大切にしましょうって事かな。
 お、真理が見えてきた。総てが自分の生まれ変わりならば、総てが一つの魂によって作られているという事になる。なるほど総ての創造主だな。それをして神様と呼ぶ事にしよう。うん。あれ、と言う事はわたくしは神様?
 なんかどんどんとんでもない方向へ向かっているのぅ。 やはりすぴりちゅあるは苦手だ。わたくしは至って俗物なのである。旨いものは食いたいし(でも予算の都合でカレーがせいぜいなのさ)、良い女がいたらお近づきになりたい(でもデフォで嫌われる才能抜群だったりする)。金は欲しいし、名誉も欲しい。わたしゃ十分背が高い~♪(高けりゃ良いってもんじゃないよ。サイズの丁度良い服は無いし高いし。背が高い男が持てるというのは真っ赤な嘘です)

2016/12/12(月) |URL|miss.key [edit]

>何かが嫌いなら無関心であればいいと思うのですが、執>拗に関心を持ち、憎むというのは・・・

これはまさに私です。
私はまだ執着を捨てることができません。
前回の記事のように、死によってしか執着を捨てることができないのではないか、と思います。
あるいは、時間がたてばなんとかなっていくものでしょうか。
あれはあれであった、と言える日がくるのでしょうか。
あの人と私は違うけれど、それでいいのだ、私は私なのだ、と言える日がくるのでしょうか。

でも、愛情の裏返しだとも思えないのです。
しいて言うなら、自分への愛の裏返しでしょう。

2016/12/12(月) |URL|宝香 [edit]

Re: 数が合わん

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 なにやら忙しそうなときなのに、またまたの長文コメント、すみませんね。でも、これはすらすらと一気に書いたでしょう。

 さて、輪廻転生は受け入れにくいでしょうね。私も以前は全然信じていなかったですよ。チベットの山奥発祥みたいな教えですからね。無理もないと思います。インドあたりの解釈では、前世に悪いことをしたら今生では惨めな人生に生まれ変わる、したがって今の世で人生にハンディがあるのは当人が悪かったからに違いない、というような理屈のカースト制による偏見がしっかりと根付いているようです。

 miss.keyさんの推論。じつに要点を捉えていますね。スピリチュアルの教えにぴたりシンクロしてます。そうです、究極的には魂は一つ。神も人間も動物も一つの魂であり、それが宇宙で様々な形に分化し、無数に存在しているに過ぎないと考えられています。神道でもキリスト教でも、人間は神の子であると言ってます。これは比喩じゃないですよ。

 そもそも宇宙の始まりには、一つの大いなる意識があった。それは大いなるエネルギーでもあった。このあたりはE=MC二乗の法則を思い出してください。物質はエネルギーでもあるのです。なので大いなるエネルギーは、自分を材料にして自分の分身を造った。それは目に見える物質と目に見えないもの(エネルギー自体は目に見えないですよ)。地球にある鉱物も無生物のように見えるが、ミクロの目で見れば、原子核と電子の速い動きが見えるはず。生物も無生物も同じエネルギー体です。物質は99.999999%が空間です。人間も空間だらけ。私の頭は空っぽ。

 微生物にも鉱物にも草物にも動物にも人間にも意識はあるのですが、赤子と大人の意識が違うように、それぞれの意識レベルには違いがあります。花や野菜にクラシック音楽を聴かせると、良い結果が出たというような実験はけっこうあります。寒くて不毛の地なのにお化けかぼちゃのような大きい野菜が採れる英国フィンドホーン農場の話は有名です。

 なので人間は、神が地球というエネルギー体を造って、そこに置いた優秀意識エネルギー体なんですね。その人数が増えているのは、生まれ変わる人が増えていて矛盾しているというよりも、他から地球に移植されていると考えられます。生命体は地球だけにいるのではありません。宇宙の莫大無限の広大さを考えると、確率的に相当数の星に生命体がいるはずです。地球だけにしかいないというのは人間の思い上がりです。

 miss.keyさんは背高おじさんでしたか。いいですね。背の高いは七難隠すなどと言われてましたか。これで才能抜群とくれば、ピタリ釣り合うような女性はいないでしょう。袖釣り合うも多少の縁もないのは無理もありません。私は縁も円もないですよ~。

2016/12/13(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
愛情の反対は、憎しみ。愛憎という熟語がありますから。
無関心の反対は、関心。無の字を取るだけですから。
執着の反対は何でしょう。
断念でしょうね。
でも淡泊もありそうです。これは無関心に近い気持ちですね。
とらわれている気持ちを手放すことなので、開放もいいでしょうか。
あるいは、一つのことだけを見ていることをやめて、他のものを見るようにするということで、転向や離脱、意識変革はどうでしょう。
キリスト教的なら、悔悛(悔い改め)と転向ですかね。

ということは、執着から無関心の間にはいろいろなレベルがあり、どの段階を“意識的に”選択するかどうかがポイントのようじゃないですか。大抵の人は、そういうことは無意識に選択していますからね。

男女の関係の場合、相手を思いやる気持ちは愛情です。これは間違いない。愛はひたすら相手の益を思います。極端な話、相手が自分以外の人を(も)好きであっても、それを許します。愛は相手の益を考えるのですから。

執着は、自分のことだけを思いやる気持ちとも言えそうです。確かに自分への愛の裏返しでしょうかね。その気持ちは心に刺さった棘になり、自分で抜かない限り、いつまでも棘の痛みが残るのでしょう。

ただ、過去、真剣に心から愛した人がいたなら、その気持ちはずっと残るのは当たり前でしょう。自分の人生のいい思い出。心に残しておきたい大切な思い出。それは執着とはちょっと違いそうかな。いずれにしても、そんな想いを温めているのも、なんだか良さそうじゃないですか。宝香さんの心の熱さがうかがえますよ。

 それから一般論ですが、何かの思いから抜け出せないで悩んでいるような場合、考えないようにしようとか、悩まないようにしようとか思わないで、徹底的に思えばいい。とことん思ってしまえば、きれいに抜けてしまうと言われています。思いを全部文章に綴って、それを燃してしまうとか、空中に風船と共に飛ばしてしまう、という方法もいいらしいですが。 

2016/12/13(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/12/13(火) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメaさん コメントありがとうございます^^)
 温かいコメント、うれしいです。そちらにメールを入れますね。

2016/12/13(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

うーー、もう亡くなられた岩田靖夫さんが、自己とは何か、りと問うて、「哲学者にとっては、無である自己を、信仰者は愛として認識するのである」と言われていて、凄いこと言うなあと。
つまり、「我が内なるキリスト」ということですよね。
けど、疑問が生じるのも事実で、イエス様は、ユダヤ人で、ユダヤ教徒、として亡くなられた。
我が内なるキリスト、という時、そういう考えを作ったのは、一体誰か?イエス様は当然そういう考えの持ち主ではなかったから、弟子の創作とも思えます。
しかし、ベートーヴェンが、第九で、vor Gott!という時の、歌い手の高揚感、神を希求する熱い想い、と、神の前で一つになる、との意志は凄い。
ヨーロッパはこれがあったからこそ成り立つ。とも思えます。
ヨーロッパ人にとって、第九は神聖で、滅多に演奏しないというのも分かりますね〜。

2016/12/14(水) |URL|oki [edit]

Re: タイトルなし

okiさん コメントありがとうございます^^)
 「内なるキリスト」。この場合のキリストは神や精霊と同義ですね。
 人間には内なる倫理観があって、これを良心と言いますが、良心より強く働くのが、神が内在する意識でしょう。
 ヨハネ1:9「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」。人が目に見えるモノではなく、目に見えないものを見ているときに、純粋で崇高な啓発の光として心の中に感じるものでしょう。
 日本では内村鑑三を思い出しますが、この人も再臨信仰が強く、伝道活動をしたようですね。組織というものは大きくなれば腐敗します。内なるキリストの信仰があれば、無教会の考えも良さそうです。

 水墨画やモノクロームの写真を見て、色を感じるという人がいます。無色に色があると認識するわけですね。無を見て愛を見る、無を見て神を見る。それも感覚の違い、視点の違い、そしてそもそもの心の方向の違いがありそうです。見ようとしない人には見えない。見ようとする人には見えるようになっている。人は見たいものを見る。面白いですね。

 「内なるキリスト」。パウロの創作です。パウロがキリスト教をつくりました。原罪と贖いなど主要な教理はすべてパウロが考え出しました。
 でもそれを人々が納得し、共感し、共鳴したので、それゆえ、始まりは「異端」と呼ばれ、政府と人々から大迫害された小さなユダヤ教の一派が、その後、キリスト教という世界的な宗教に発展したのです。これは「内なるキリスト」の考えが間違っていなかったからとも言えそうです。

 神を希求する熱い思い。愛を思う温かい心。平和を願う精神。これらは善いことだと思い、自分もその意識をもって生きていこうと思う人が増えれば、もっと世の中は住みやすくなると思います。

 第九は日本人が一番好きだとかいう話もありますね。日本人は元々は神道的な神概念を持っていて、万物は神だと考える心があります。
 苔むす岩を見てわびさびを感じる。蛙が池に飛び込むのを見て悠久の世界を思う。あ、これは次の記事にしようと思ってますが。ヨーロッパ人に負けない感性を持っていると思いますよ。

2016/12/14(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ステキな記事でした。

バーソさん、こんばんは。

ハイカラさんなブログだな〜と感じていましたが、コメントをさせていただくのは今日が初めてになります。HeartLibertyと申します。

“常識” を大切に思う人々にとっては、もしかしたら「勿体ない」と思ってしまうかもしれないようなバーソさんの生き方に、私はとても共感を覚えました。捨てる勇気が豊かさを運んで来る・・・そんな働きが、この世の中にはあるような気がしています。

バーソさんは、心を愛でいっぱいにして生きることや、他の存在と切り離した幸福はありえない “ワンネス” という考えを大事にされる、ピュアな熱血漢でおられるような気がしました。

「自分も他者も本来は一つである」....私もそんな風に感じています。初めて飼った犬にも、気づいたら “ワンネス” と名前を付けていました。でも、”Oneness" では味気なく感じられて、ちょっとひねって(?) ”Wanness" と書くことにしてしまい、後から自分の愚かさにガッカリしてしまいました(Pale, sickly-looking...みたいな意味だと知りました)。でもあの子は、いつも私たちの元気なOnenessでいてくれて、感謝でした。

こちらの記事のすべての見出しの言葉に共感しました。すてきな記事をありがとうございました。

2016/12/15(木) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: ステキな記事でした。

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 はじめまして。これからもよろしくお願いしますね。
 スピリチュアルブログの方からのコメントはあまりないので、ちょっと恐縮してしまいます。共感していただいて、うれしいです。
 ハイカラですか。あはは。これもうれしいです。じつはけっこう画像の選択などに気を使っています。

> 捨てる勇気が豊かさを運んで来る
 そうですね。お金にしても、与えると還ってくると言われます。お金という形では帰ってこないかもしれないですが。

 ワンネスという言葉。自分のブログの検索ウインドウで調べたら、記事が二つだけでした。こういう思想はいつも持っているのですが、書いたのは久しぶりです。

 ワンちゃんにWannessですか。うまい。英語ではなくローマ字でしょうから、元気なワンワンネスです。
 ネットで検索したら、「ヨガ・イベントが行われていた Wannsee」なんて出てきて、これはドイツのヴァンゼーと読むらしい地名でした。
 スピリチュアルブログのタイトルでも出てきて、これはスペル間違いのようでした。
 wonderfulを思いついて、aをoに変えて検索したら、wonの語順が入れ替えになって、nowness (最新性)と出てきました。

 HeartLibertyは、後半Libertyが私のブログの「自由」と同じですね。
 またお気軽にコメントを寄せてくださいね。

2016/12/15(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、おはようございます。

「あんなスペルを当てちゃってワンネスに悪いことしたなあ...。」と、用意周到さのなさ過ぎるのを反省していたのですが、バーソさんのお陰ですっかり元気にして頂くことができました!

飼い犬の名のスペルをお伝えしただけで、「ヨガ・イベントが行われていた Wannsee(ドイツのヴァンゼーという地名)」とか、なんとwonderfulという単語を思いついて下さり「nowness (最新性)」とかと、素敵なイメージの言葉たちにつなげて頂き、ありがとうございました。特に “元気なワンワンネス” という言葉には大喜びしてしまいましたヽ(*´∀`)ノ゚ 

インテリジェンスを、こんな風に相手を励ましたりハッピーにすることに使われるのがお上手なバーソさんは、威張ってインテリさんでいらして欲しいと感じました。

ほんとですね。バーソさんのブログタイトルの後半と私のハンドルネームの後半、同じ意味ですね!


私は「スピリチュアルブログの方」ということになってしまうのですね...。数年前に「Spirituality arrogance」という言葉に出会いまして、その意味するところにとても共感したことがありました。それ以来、あまりスピリチュアルという言葉自体にシンクロニシティーを感じなくなっていました。言葉って、ほんとうに素晴らしい存在である一方で、同じ言葉でも人によって異なる印象を自由に持てるので、今日はバーソさんのお陰で、そのことを改めて考えさせてもらいました。

選ばれる画像、本当にハイカラさんで、センスがなんだか最高です。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します ❀(*´◡`*)❀

2016/12/17(土) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: バーソさん、おはようございます。

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 ああ、ご丁寧に恐れ入ります。そうです。英語ではなくローマ字とか話し言葉だと思えば意味は違ってきますね。商品名でも英語だとおかしな意味になるという話はよくありますが、日本の企業は日本人を意識してネーミングをしているわけですから、外国語の意味まで考えないほうがいいのでしょう。wonは語順を入れ替えればnowになるというのはアナグラムという言葉遊びです(前の返コメは書き方ミスがあり修正しました)。問題と感じるようなことがあっても、人生も遊びだと気楽に考えたほうがいい場面もありそうですね。

 そうですね。言葉というのはひとによってイメージが違います。
 私は、スピリチュアルという言葉があまり好きではなかったので、精神世界という言い方をしてきたのですが、でも精神世界とは英語でスピリチュアルと訳せるのですから、あまりこだわらないほうがいいかと最近は思っています。でもHeartLibertyさんのブログをちょっと見ただけで不用意に簡単にまとめてしまったようで、すみませんでした。

 Spirituality arrogance。精神的な“アロガンス”。いや、スピリチュアルを奉ずる人の傲慢を指摘する言葉ですか。共感したということは、平和で柔和なワンネス思想とは正反対の思考なんでしょう。

 聖書は傲慢や尊大さを悪魔サタンの特質としています。少しだけ頭がいいくらいで、あるいはちょっと知識があるくらいで、自分を高めたり、他者を見下げる人は、鼻持ちならない最低の人です。

 そういう意味でも、HeartLibertyさんは、ひとを励ますのも具体的で、温かな心を持つ精神的に“エレガンス”な人のようですね。^^)

2016/12/17(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

オレンジ・ニコノス

お早うございます
お陰さまで自分が少し判ったような・・
手に入れるまでは『物欲の権化』でしたが
直ぐに飽きる
水中カメラがありましたが
後輩さんにあげました
19㎜のレンズもおまけにつけて
誰だったかは・・覚えておりましぇん
あはは
革靴も穿かなくなりました
下駄草履があるし

週に一度は昼飯と晩飯を抜きます
次の朝の梅粥が旨い、あはは
棺おけに入る前に『あげられる』はすべて
ひとさまにです
皆様のお陰で23日に
余計な考えを持たずにすみました
これはこれでとてもよかった、まる
しかし
バーソさんの過去記事は
宝の山でございます、コメントもです
大晦日にも是非UPしてください。

2016/12/26(月) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: オレンジ・ニコノス

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね。モノは手に入れたら、満足したり、飽きたりのほかに、虚しくなることがありますね。芥川の『芋粥』の主人公は憧れの芋粥を腹いっぱい食べたら、途端に人生の楽しみがなくなってしまったようです。人は、歳とともに普通はだんだん欲は減ってくるようですが。
 
 ニコノスですか。オレンジの。他のブログのコメントで、呼吸の話をされていましたが、海に潜るのが趣味なんですね。私は海水浴に行ったたのは二十三か四の時が最後です。なので海の中も水中カメラも縁がなく、潜水のほうはモグリのようなものですが、カメラは趣味で、以前は中古カメラ屋をよく巡ったものです。これも物欲といえば物欲ですね。でも、ほとんどが安い中古品なので、そんなにカネは掛かっておらず、男の趣味としては安上がりのほうだと思っています。

 下駄草履に朝粥ですか。物欲がなくて、毎日が楽しい――。何事も自然体の境地で、達観した禅宗のお坊さんみたいですね。いいことです。

 「23日に余計な考えを持たずにすみました」って、何のことでしょう。23日の前後の記事を二度読み直しましたが、ちょっとわからなかったです。でも「まる」と、まるく収まったようで、まあ、よかったです。

 「宝の山」ですか。そう言っていただけると、非常に光栄です。うれしいクリスマスプレゼントになりました。
 ところで、じつはこの宝と呼ばれたものは籤になっていまして、当たらない時のほうが多くなっていますが、これに懲りず、今後もご愛顧のほどよろしくお願いします。

 大晦日の日もアップすることにしました。今その準備で頭がアップアップしています。(笑)

2016/12/26(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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