「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「洞窟の比喩」と「杜子春」と「マトリックス」の“夢オチ”とは。 

よく道に迷います。
知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい、というような一人旅ではないのに、
歩いていると、いつの間にか知らない土地に来ていて、あせります。
駅では、行き先が反対方向の電車にうっかり乗ったりして、あせります。
あせり・・・は朝、目が覚めたら消えるのですが、なぜ道に迷う夢をよく見るのか、不思議です。
自分の心の深層にあるメンタルの迷いを夢で指摘されているのでしょうか。
ふだん日中は、精神的に迷っているという顕在意識はないのですが。

pexeop.jpg
Pexels (Zach Damberger)

古来、現実とはひょっとしたら夢ではないか、と少なからぬ賢者たちが考えてきました。
それは人の心に本質的にあるからか、人生になにか違和感を感じるからかもしれません。

プラトンの「洞窟の比喩」はなかなか面白い話です。今回の話は、これを軸にしています。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
プラトンの「洞窟の比喩」は、影と実体を教えている。

生まれた時から洞窟にいる囚人たちが、壁に映っている影を見て外の世界を想像している。
じつはその影は操り人形の影絵なのだが、囚人たちは、それが現実の世界だと考えている。

一人の囚人が強制的に外に出される。最初は光に目がくらんで、外の世界が理解できない。
しかしついに自然の姿をはっきりと知る。太陽が世界を成り立たせていることを理解する。

彼は自分の見たことを洞窟の囚人たちに語る。だが囚人たちは彼の話を信じようとしない。


NHK-Eテレ『100分de名著』より。「洞窟の比喩」は2:00まで。その後は番組による説明。

●なぜ人々は影のほうを信じて、実体は信じられないのでしょうか?
それは、
・自分の目に見えるものだけを信じる、一方通行の視力のせいかもしれません。
・世間に倣えば間違いないとする、寄らば大樹の陰志向のせいかもしれません。
・この世の話は好きだが、あの世の話は嫌いという“えり好み”もあるでしょう。
・問題は自分で解くことに意義がある、と思う自尊意識のせいもあるでしょう。

じつはもうひとつ、他にも原因がありそうなのです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生とは、自分が主人公である夢を見ること。

●なーんだ、夢だったのか、という“夢オチ”の話はいろいろあります。
1.児童小説「不思議の国のアリス」は、アリスが姉の膝を枕にして見た夢です。
2.落語「天狗裁き」は、夢から醒めて事件にあうが、それまた夢という噺です。
3.芥川の小説「杜子春」が見た幻は、春の日暮れ時に見た夢のようなものです。
4.中国の「邯鄲の枕」は、人生は粥が煮える間に見る夢のようだという話です。
5.映画「マトリックス」は、主人公がいる世界はコンピュータの仮想現実です。

●特に3~5の話と前述「洞窟」の話には、ちょっと見逃せない重要な共通点があります。
それは、話の主人公は、真実を他者から教えられて、初めて気づいたということです。

(3)杜子春は不思議な老人から、(4)廬生は偶然に出会った道士(仙人)から、(5)ネオは
謎の女トリニティの仲間から、洞窟にいた囚人は知らない人から教えてもらいました。

dream2.jpg
Pexels (SplitShire)

●つまり“学ぼう”という謙虚さと意思があった人が実体を認識できたということです。
むろん知らない道を一人で歩き回って、目的地にたどり着ける賢い人もいるでしょう。
でも地元の人や土地勘のある人に行き方を教えてもらうなら、それが一番の早道です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生は夢だと知れば、生きることが楽になる。

●人間とは神(大いなる意識)が見ている“夢”の中の登場人物だという話があります。
神は肉体を持ってないので、あれこれ想像は巡らせても、実際の体験はできません。
枯れ葉が落ちる哀愁、草の上を歩く感触、ひと風呂浴びる快感などは味わえません。

そこで神は人間という自分の分身を創って、地球上で自分の代理体験をさせている。
人間は人生で、喜怒哀楽の様々な感情を味わい、抑揚と屈折のある体験をしている。

神は人間の体験を通して自分を体験し、自分が何者であるかを知る、と言われます。
(人間も神も“自分探し”を続けているようなものでしょうかね)
これはつまり目に見える世界は神が見る夢の舞台であり、幻想なのだという話です。

gata22.jpg
Arthur Bowen Davies(1862- 1928) “ Elysian Fields”

●人間は幻想世界で生きていると思えば、すこぶる面白い“夢オチ”の話になります。
視野が拡がり、世に振り回されなくなり、生きていくうえでの悩みも減るでしょう。
これは目が覚めるような、すごくいい話ではありませんか。


書籍――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●目からウロコがぽろぽろっと落ちる良書。下記は、とっつきやすい順です。
『アミ小さな宇宙人』エンリケ・バリオス著 (徳間文庫) 596円
『神との対話①』ニール・ドナルド・ウォルシュ著 (サンマーク文庫) 751円
『バーソロミュー 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ』(覚醒ブックス) 2,268円
『黎明(上巻)』葦原瑞穂著 (太陽出版) 1,800円
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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長い夢

バーソ様
おはよう御座います。

家内が亡くなってしばらくの期間ですが訳がわからなくなったことがあります。
それは死を受け入れられなかったからかも知れませんが家内とともに生活をした30年が夢であったような錯覚に度々陥りました。
その度に家内との思い出の品物を確認し、仏壇の中の写真を確認していました。死亡証明書を再度読んだこともあります。
心のなかで夢であってほしいと思っていたのでしょうね。

愛新覚羅

2016/11/19(土) |URL|aishinkakura [edit]

夢の途中

おはようごさいます。

朝から夢のお話し、いいですねぇ。
おいらのブログには、いろいろな方達から悪夢の報告が届きます。
悪夢ですので、結構ダークなお話も、その夢の根底にある、後悔、憎しみ、悲しみ、愛おしみ、おいら鉄冠子のような仙人的な境地にはまだ至っていないので、頂いた悪夢のお話の中に見つけた小さな光明をお返ししているだけですが・・
夢を抱くとか、夢に向かってなどと言いますが、これはまだ見ぬ夢のお話し、そんなまだ見ぬ夢を見ようと藻掻ている夢を見ているって、おいらまだ夢の途中、目が覚めるのはいつの事やら。
なんか訳分らん話になってしまいましたのでこの辺で。

2016/11/19(土) |URL|ばく [edit]

おはようございます

そういえば、いつだったか荘子の「胡蝶の夢」について話し合ったことを
思い出しました。

夢で好きな話があります。
ある男、会社でくたくたになるまで働き、ボロボロになって帰宅。
疲れはてて泥のように眠りに落ちます。眠るとすぐ夢を見ます。
会社で馬車馬のように働いて疲れて家に帰ってくるところで
目を覚まします。
で、また会社に行きます。(笑)

「私たちは影を見ている」
まあそう言われればそうですけど、現実・真実を見られる人はこの世に
一人もいないことになる。それが見えるのは神だけってことですかね。
伊集院氏のコメント、「これって人形は何なの?」に笑いました。
先々週だったかNHK BSでモーガン・フリーマンの案内で「時空を超えて」
を見ました。バーソさんと同じような事を言っていました。
「我々は自分の都合のいい情報だけを取り入れて真の現実は見ていない。
だから『現実』は一人ひとり違い同じものはない」
巨大な書き割り(セット)の中の仮想現実で暮らす、トルーマンなんですね。

2016/11/19(土) |URL|エリアンダー [edit]

『謙虚さと意欲』が自由をもたらす

おはようございます。
『洞窟の比喩』解りやすいですねぇ。

>なぜ人々は影のほうを信じて、実体を信じられない のでしょうか?

⒈一方通行の視力
⒉寄らば大樹の陰志向
⒊自尊意識

⒊の自尊意識の延長線に、『固定観念化された好き嫌い』があると思います。

・神、宇宙と聞いただけで食わず嫌いに。(宗教イメージしか、わかなぃ)
・魂が不滅だと知ることが恐い。
 (今生での価値観が崩れると気づいている)
・現状に満足していて、死生観などには興味がない。
 なども含まれるでしょうね。

>なぜ道に迷う夢をよく見るのか、不思議です。

これはメッチャ面白い!
たぶん(風子流解析)……。

バーソさんは知的好奇心MAXの人。
しかも、ものの見方が自由で自在なので、
パラレルワードでも迷ってるのかも……。
見方を変えると、固定観念のない童のような視点を
持っている人。
伝道に明け暮れた日々ほど、
のめり込む対象に出合っていないとも言えると思いますが……。

いずれにしても“焦り”は、
真実の道を知っているが故に、起きる感情。
求めている道を見失いそうな自分への焦り?

頼まれもしないのに、こんな“風子占い”って、
どんなもんじゃろうのう……。(*´ェ`*)

  

2016/11/19(土) |URL|風子 [edit]

Re: 長い夢

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 家内が亡くなってしばらくの期間ですが訳がわからなくなったことがあります。
それは死を受け入れられなかったからかも知れませんが家内とともに生活をした30年が夢であったような錯覚に度々陥りました。

 そうですか。奥さん思いの吐露に、いつも感心します。
 30年一緒に暮らすと、赤の他人でも親族よりも親族になりますね。
 仲が良ければなおさらでしょう。死亡証明書を読み返したのですか。
 我が家では、私が死んでもそうはならないように思います。(泪)
 
> 心のなかで夢であってほしいと思っていたのでしょうね。
 うーん、心中がわかるような気がします。ジーンときて、目に涙が滲んできました。ここで立ち上がってティッシュで鼻をかみました。
 私は人の死で泣いたことは何度もありますが、その死が夢であってほしいとは思ったことはないですね。それほどの愛着がなかったせいか、不治の病気や老衰だったせいかもしれません。

 フォトグラファーの奥さん。ローライフレックスを思い出します。
 生前はずいぶん愛情を示され、そして示したのでしょうね。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 夢の途中

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> 頂いた悪夢のお話の中に見つけた小さな光明をお返ししている
 そうですか。悪い夢の根底には「愛おしみ」もあるのですね。悪夢の中にも光明がある・・・。いいお話です。悪いことばかりだと思えるような人生にも、いいこともあるはずだということでしょうかね。

> おいらまだ夢の途中、目が覚めるのはいつの事やら。
 おや、そうですか。それはすごい。ばくさんは人生でもう自分の夢を実現して、あとはゴルフ三昧や趣味いろいろ実行と思っていましたが、まだ夢を抱き続けているのですか。ちょっと驚きました。
 
 でも、ブログネームは夢を食って生きる「ばく」でしたね。なるほど。分かりました。人の悪夢を食べる獏だったのですか。人のために尽くす夢。そんな夢を持っているのですね。家族や社員や友人たちのことを思っているのですね。うーん、たいしたものです。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね。「胡蝶の夢」が、いちばん分かりやすい話です。荘子は「吾が生や涯てありて、知や涯てなし」と言い、この世界が夢なのか現実なのか、そのこと自体は追求しようとはしてないようです。これもまた実際的な生き方なんでしょう。
 
 馬車馬のように働く男の夢。なんだか私も同じような夢を見たことがあるような気がします。「男はつらいよ」です。でも「なんと言うかな、あー、生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために人間生きてんじゃねえか?」ですよね(笑)
 
> 現実・真実を見られる人はこの世に
一人もいないことになる。それが見えるのは神だけってことですかね。
 
 たとえば覚者と呼ばれる人、臨死体験をした人、そしてヘミシンクという方法であちらの次元に行く人。そういう人たちは目に見えない世界が在ることを実感として認知しているようです。私のブログの訪問者の中にも、そういう実体験のある人が何人かおられます。
 
 私も「時空を超えて」は途中まで見ました。 ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」はなかなか面白かったです。馬車馬の男と、そして我々と似てますかね。いや、エリアンダーさんは悠々たる人生そうなので、違いそうです。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 『謙虚さと意欲』が自由をもたらす

風子さん コメントありがとうございます^^)
> ⒊の自尊意識の延長線に、『固定観念化された好き嫌い』があると思います。
 なるほど。そうですね。これ、本文に追加しました。風子さんの注解もあるし、文字数を揃える都合もあるしで、こういう言い方にしていますが。

・この世の話は好きだが、あの世の話は嫌いという“えり好み”もあるでしょう。
 あと、「いざ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬべければなり」という死生観ないしは快楽主義もありそうです。

 風子流解釈。
 これ、たぶん間違いなく出てくるだろうと思っていました。(笑)
 なるほど、です。そうかもしれません。いまは、のめり込んではないですね。なんとなく、ホンワカしています。緩んでいます。
 死後の生命はある、生命はいつまでも続く、という考えが自分に合っていて、それを信仰によって受け入れているので、なんとなく安心しているのかもしれません。
 でもパラレルワールドでは迷っているのかな。迷っていそうです。迷うというのは不安定でもありますが、真理を探している状態でもあるので、これまた面白い、いい人生の道を歩んでいるようでもあります。

 でも、「求めている道を見失いそうな自分への焦り」があるのかなあ。おー、こわっ。(笑) でも、あるのかもしれないですね。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

そもそも、どんな世界でも、
その世界を破壊しようとする人は悪なので、
その世界の道徳や倫理、ルールとして、
後ろを見てはいけない、というのがあると思いますし、
後ろを見る人は悪い人という価値観があるはずです。

そして、学ぶと言っても、その世界にいる他者から、
悪く思われたくない、肯定的な評価がほしいという気持ちがある以上、
その世界の道徳や倫理、ルールと同じ軌道上にあるものしか、
つまり、前を向いていることで見えるものしか、
学ぼうとはしないと思います。

幻想を真実だと信じて、
幻想をみんなで共有する世界では、
真実にたどり着こうとする試みは、
愚かな思想、くだらない価値観、
悪魔的な道、地獄への道、だとみなされ、
自分でもそう感じるので、
真実にたどり着きたいという気持ちを、
最初から持たせないようにする仕組みがあると思います。

2016/11/19(土) |URL|Korva [edit]

いつもご訪問&コメントをありがとうございます^^

『マトリックス』は、人間の「愛」と言う曖昧な概念をコンピューターにインストールする苦闘を描いた映画でしたね^^
白衣のアーキテクチャがプログラマーで、ネオが「愛プログラム」。エージェント・スミスが不確実な概念を排除しようとするアンチ・ウィルスプログラムになりましょうか?

ご迷惑でなければ相互リンクを申し込みたく思いますが如何でしょうか?
父親にキツク育てられたせいか、時折『灼眼のシャナ』の天罰神「アラストール」の分身が出てる記事もあります。
まぁ、その辺はあまりお気になさらない様に願います…根は至って温厚ですので(笑)

2016/11/19(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> そもそも、どんな世界でも、
その世界を破壊しようとする人は悪なので、
 
 そうです。確かに、そうみなされますね。
 
> 学ぶと言っても、その世界にいる他者から、
悪く思われたくない、肯定的な評価がほしいという気持ちがある

 ここ、引っ掛かりました。確かにそう思う人は多いでしょうが、そう思わない人も(少ないかもしれないですが)いるのではないですか。

> 幻想を真実だと信じて、
幻想をみんなで共有する世界では、
真実にたどり着こうとする試みは、
愚かな思想、くだらない価値観、
悪魔的な道、地獄への道、だとみなされ、

 もうすでにみんなで共有している(未来の)世界の話ですよね。もう共有している世界でも、真実にたどり着こうとする人が居たら排除しようとする勢力がまだあるのですか。
 
> 自分でもそう感じるので、
真実にたどり着きたいという気持ちを、
最初から持たせないようにする仕組みがあると思います。

 そういう共有している世界にいるのに、「自分でもそう感じる」ということがあるのでしょうか。
 もっとも、共有する世界と言っても“程度”の問題があり、全面的ではなく、部分的ということなのでしょうか。そうなら、そういう世界でも、世間の中の強い意見に影響される人はいるでしょう。Korvaさんとは正反対のタイプの人ですね。私も似たような者ですが。
  
 昔だったら、多数派とは違う極少数派の生き方は、ソクラテスのように死刑になるか、ボヘミヤのフスのように火刑にされ、大変な迫害に遭う可能性がありました。
 でも現代の自由主義国家に住んでいるなら、世間の主流の波には乗れないでしょうが、自分の良心や考えをしっかり抱いて、なんとか生きていくことはできます。世間からカルトと酷評される宗教組織にいても、内心では信念とプライドと喜びを持って生きている人もいます。
 
 世間からの評判を取るか、自分の意思と自尊心を守るか。これは個々の人にまかされていることですが、考え方や生き方によって“自分とは何者か”ということがよく表れてくるのでしょう。多分それが人生の本質というものでもあるのかと思います。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 「マトリックス」の映画の話は得意なジャンルじゃないですか。いろいろウンチクや面白い話がたくさんありそうですね。
 
 『灼眼のシャナ』は知らないのでWikipediaを見ましたが、見えない世界と見えない力に関連したことを扱っているのでしょうか。図書館に「灼眼のシャナ 2 電撃文庫」という本が1冊あったので予約しました。

 そうでなくても、貴ブログの他の記事を拝読していると、私の趣味志向と近いように思います。私のほうは能力的に詩も物語も書けず、面白い発想も浮かびませんが、学べることは多いと感じています。
 それに私のほうは、はなはだ世間的に疎く、特に政治のこと、世界情勢のことはよくわからないので、お手柔らかにお願いしますね。
 
 相互リンク。ありがとうございます。光栄です。
 どうぞよろしくお願いします。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは(^◇^)

「よく道に迷います。」

私も広い公衆トイレに入ると、出口がわからなくなります。
新幹線に乗る時も反対方向で待ちます。
行きに右に曲がって、帰りも右に曲がります。
よく、右はどっち?と聞きます。


「真実を他者から教えられて、初めて気づいたということです。」

夢をみて、現実となりました。
(知り合いが、召される時がわかります)

夢でなくとも、挨拶に来られます。
(本当です)

怖い夢をみて、学ぶことが多かったです。
メッセージ的なもの。

突然、頭に浮かぶことが教えの場合があります。
(これは、守っていただけるもの)

夢をみて、前世がわかりました。
たぶんですが・・・。
ずっと働き者みたいです。

「人生は夢だと知れば、生きることが楽になる。」

ああ、今は苦しい時期ですが、これは夢なのね~。
早く夢から覚めてゆっくりしたいです。

怪しい?コメントでした・・・。(^_-)-☆


2016/11/19(土) |URL|Miyu [edit]

Re: こんばんは(^◇^)

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
 ビルなどの公衆トイレは出るときに、たいてい逆方向に歩きそうになります。不思議ですね。解決方法は、入り口でいったん後ろを振り返って、出るときはこちらだなと自分に言い聞かせるといいみたいですよ。
  
> 夢をみて、現実となりました。
(知り合いが、召される時がわかります)

 うわー、じゃ、私のその時も分かりますね。Miyuさんから何か優しい慰めめいたことを言われたら、近いということですかね。うーん。
 
> 怖い夢をみて、学ぶことが多かったです。
メッセージ的なもの。

 そうですか。じゃ、道を迷う私の夢もそうかな。仕事場に遅れそうになる夢も多いのです。遅刻はしない性格なんですが。
 
> 突然、頭に浮かぶことが教えの場合があります。
(これは、守っていただけるもの)
 
 いいですね。守護霊か守護天使の護りですね。私は突然に頭に浮かぶのはたいてい馬鹿な空想ことばかりで、どうしたらいいでしょう。
 
> 夢をみて、前世がわかりました。
たぶんですが・・・。
ずっと働き者みたいです。
 
 そうですか。そういう運命に生まれているのですかね。今生では働き者だが、前世では安楽怠惰に生きる者だった、とはならないのですね。
 
> ああ、今は苦しい時期ですが、これは夢なのね~。
早く夢から覚めてゆっくりしたいです。
 
 ははは、忙しいのはいいことです。体さえ壊さなければ。
 しかも充実した仕事なので、もう言うことないじゃありませんか。
 頑張ってください。菓子パン食べてもいいですが、あまり食べすぎないように願いますよ。ミスドが安くなっても食べすぎはだめですよ。

2016/11/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/11/20(日) || [edit]

まだ目覚めぬ夢なのだと言い聞かせても

 夢とは一瞬のものなのでしょうか。それとも恒久のものなのでしょうか。
 朝のまどろみの中、良い所でドンガラガツシャーンと必ず来るのがアラーム。毎度10tハンマーで叩き壊されてしまう可愛そうな目覚まし時計はおいといて、どうしてあれ程正確にあの場面に鳴るのでありませう。実は「良い所で鳴る」という認識が間違っておりまして、本当は目覚ましの音を聞いて良い所を作成しているのですな。つまり夢物語は何らかの原因を基に一瞬にして生まれるものなのであります。
 記憶とは人生の過去の積み重ねであります。しかし振り返ってみてそれが果して事実であったかどうかを証明してくれるものは何もありません。そこのある物や周りの人の行動から本人が「認識」するだけであります。
「邯鄲の枕」は人生は夢みたいなもんや言うとりますが、実際どんな長い人生も振り返ってみれば瞬く間。一瞬の喜びも長く続いた苦労も、ずっと続いた苦痛も、ずっとずっと続いた苦痛も、ずっとずっとずーーっと続いた苦痛も、想い出十把一からげ。想い出と言う恒久の事象は今現在の一瞬程に長くは無いのであります。
>>>ちょっと見逃せない重要な共通点があります。それは、話の主人公は、真実を他者から教えられて、初めて気づいたということです。
 世界とは何か。人間の場合「せいぜい80年の人生の中で知りえた事が総て」なのだそうな。しかーし「世界はその外にも広がっている」むむむ、自分の認識だけでは世界の一部のそのまた一部。他者の認識を取り込んだ方が確かに世界は広がりそうです。が、落とし穴もありますぞ。他者の認識が果たして正しいとは限らない事実。鵜呑みにすれば天は地球を回り、火星人が地球に押し寄せてしまうのであります。しかも、その他者の助言ですら、最終的に「認識」するかどうかは本人でしかないと言うパラドクス。信じたいものをのみ信じれば上九一色村に立て篭もる他ありません。恐い怖い。
 では夢と現実の境目とは何処にあるのでしょう。うーむ、実は実に曖昧模糊モコ。想い出などと言うあやふやなものだけが事実と夢を別つのであります。が、此の想い出って奴がなかなかに頑固でねぇ、決して昔の綺麗な恋人と言う妄想を受け入れないのですなぁ。私は誰にも出来なかった事を成し遂げた!!!あ、これも却下?正常なんですかねぇ。これを想い出が受け入れる様になったら病院行くしかない訳ですがね。
 しょうがない。道端で千両箱でも探そうか。え゛、十円玉なら有るかもね?うーむわたしゃ夢も見られない。

2016/11/20(日) |URL|miss.key [edit]

おはようございます^^

おお!
きた、きたぁ(笑)

今回の☆バーソ☆ さんの記事のテーマ
大好物です(^^)

洞窟の喩え、うまいなぁと思いました。
確かに、目に見えるものしか信じようと
しない人の姿を上手に喩えていますね。

私は、ここで、
二つの体験をお話させていただきます(^^)


私、夢の中で、これが夢の中だと
気がついた時に、つぶさに夢の世界の
様子を観察したのです。(明晰夢の体験)
そうしますと、夢の中が現実そっくりで
非常に精密にできていることに
驚きました。

 http://bouzuojisan.blog.fc2.com/blog-entry-29.html

この体験から、この現実も、ちょっと
長い夢のようなものではないかと
考えるようになりました。


もうひとつは、体外離脱の体験が
あります。これはまだブログの記事に
しておりませんが、ヘミシンクを
聴いているときに、突然、体外離脱を
経験しました。
体がものすごい勢いで振動し、次の瞬間
私の魂が、自分の頭のてっぺんから
らせん状に抜け出たのです。
その時に、ああ、やっぱり、自分の魂
は、肉体から自立しているんだぁ
ということを知りました。(体外離脱体験)
つまり、死を迎えたら、肉体は
死んでも、自分の魂は続くであろう
ことを実感いたしました。


この明晰夢と体外離脱の体験から
☆バーソ☆ さんの『人生は夢だと知れば、
生きることが楽になる。』で解説して
下さっていることは、たぶん真実に
かなり近いのではないかと私は思っています。

☆バーソ☆ さんの文章は、明快で
わかりやすいですね(^^)

2016/11/20(日) |URL|坊主おじさん [edit]

乳牛パック

お早うございます
『怖い』素材をさらっと扱う?
師匠のなせる業でございます
わたくしは現世は遠足?と
過去に感じたことがありました
(その頃の平日、つまり授業は覚えていないのです)
今(現在)ことさらに強く感じます
母も父も土に還りました
わたしは嫌でございましゅ
わたくし、もといおいらは
『乳』に還りたく想います
あはは

2016/11/20(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 見た夢に自分のイメージをプラスする。そうして悪い夢でも普通の夢でも、いい夢にしてしまう。そうできる人は幸せな人です。ポジティブな明るい志向を持っているのでしょう。いいですね。
 
 人間は自分探しをしています。そのために外国に行く人がいますね。インドに行って啓発されたとか、アフリカに行ってそうなったとか、いわゆる文明国でない、自然が多い所に行くと何か学べるようです。
 
 都会にいても、視点を変えれば、いろいろ気づくことがあるのでしょう。いろいろと道に迷うのも面白い気がしています。小学生ぐらいで悟ってしまったら、あとの人生はつまらないでしょうね。(笑)

2016/11/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: まだ目覚めぬ夢なのだと言い聞かせても

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 夢とは一瞬か、あるいは恒久か。うーーむ、感嘆の枕で始まった。
 が、そのあとはドンガラガツシャーン。嗚呼。(笑) 
 でもまあ、確かに過去の嫌な思い出は恒久でなく、圧縮あるいは消去されていることが多いので有難いことです。
 
 他者の考えを鵜呑みにしてはいけない。そう、その通りでしょう。
 では他者の考えの正邪是非をどう見分けたらいいか。絶対の方法というのは恐らくないので、そうなれば最後は自分のハートに聞いてみて、これだっと感じるものでいいのではないかと思うのですが、どうでしょう。それは可否というより、単に好みで、好き嫌いということだけのことかもしれない。でもそれでもいいような気がしますがね。
 
 だって究極的にはそれしかないのですから。自分で感じて自分で受け入れたら、ああ失敗だったとあとで気づくこともあるでしょうが、いい経験をしたことになるので、それはそれでいいのじゃないでしょうか。
 
 だって人生は経験しなければ分からない、経験するために人生はあるはずです。なので失敗も結構でしょうし、成功は調子に乗って自惚れて破産したりして結構じゃないこともあるので、ゆえに、どちらも何でもすべて結構なんじゃないですかね。
 要は自分で気づいて上昇すればいいのですから、そのきっかけを人は自分の人生経験の中で知るようになっているわけじゃないですかね。
 
 忙しいでしょうに、長いコメントをありがとうございました。

2016/11/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます^^

坊主おじさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。大好物でしたか。ならば味付けはどうであっても、お口には合ったのでしょうかね。よかった。(笑)
 
 明晰夢の体験。面白いですね。夢の中の状況が現実そっくりで精密。普通の夢は曖昧なものですが、その夢は本当に現実だったのじゃないですかね。寝ているときに魂は休みをとって遊ぶといわれますから。
 
 ヘミシンクによる対外離脱。そうでしたか。いい経験をしましたね。
 体が振動して、頭のてっぺんのクラウンチャクラから、らせん状に抜け出るというのが面白いです。太陽系が惑星を引き連れて銀河系の中を走っているCGを見たことがありますが、確か、らせん状に惑星が回りながら高速で走っていたようでした。魂は永遠に続き、この人生はらせん階段を昇るようになっているのでしょうかね。 
 その経験、ぜひ具体的に記事にしたものを早く見たいものです。
 
 私は、どうも向き不向きがあるのか、練習が足りないのか、私はそういう体験をしてませんが、そのうちまたCDを聞いてみたいと思います。
 
 いつも文章をほめていただき、うれしいです。
 ありがとうございます。

2016/11/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 乳牛パック

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 まあ、またまたまたのコメントで、うれしいですね。こちらは一度もまだコメントを書いてないのに、有難いことです。
 そちら様の記事は読んでいると思考が跳躍させられるので、感想をどう書いたらいいか難しくて、なかなか書き込むことができません。すみませんね。
 しかし、このコメントもどう応えたらいいか、面白くて、難しいですよ。(笑)
 
 現生は遠足と感じた。学生時代にそう思ったということですか。遠足とはちょっとした旅ですが、遊びと学びも含んでいます。人生も同様に遊んで学んで、それが人の一生になっているのでしょうかね。
 
 それにしても、他の人とは、見るものや感じることが違っていたということですね。そちら様のブログでも、平素からそうだったと、へその話に関連させて、そんなことが書かれていました。
 
> 母も父も土に還りました
わたしは嫌でございましゅ
わたくし、もといおいらは
『乳』に還りたく想います
あはは

 あははは、なんと言っていいやら。でもここは骨のためにカルシウムを含んだ牛乳を飲みたいという意味だろうと思っておきますよ。(笑)

追伸
と書いたのですが、「乳還る」とは、“土還る”のもじりに加えて、菊池寛の「父帰る」を意識していたのですね。

2016/11/20(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人が見ている現実は実は現実の投影にすぎず、
誰かに教えてもらわなければ、真の現実には気付けない、
のかもしれない、のですね。
んーーーーーーーーん。
お話しや、考え方としては面白いけれど、
実際には「これが夢幻であってくれたら」と思うことも、
どんなに目をギュッとつぶってみてもなくならない、
のが現実だと思いますけれど・・。
現実には夢オチはない、と思っています。

2016/11/20(日) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 実際には「これが夢幻であってくれたら」と思うことも、
どんなに目をギュッとつぶってみてもなくならない、
のが現実だと思いますけれど・・。
現実には夢オチはない、と思っています。

 そうですよね。そう思うのが自然というものです。 
 人生は夢のごとし。実際にもそうなんだよという話は、紀元前の大昔からあったようで、この世界は神の遊びの世界だと言われます。
 この考えを受け入れる人がいるのは、この世の仕組みや人生の意味などがうまく説明できるからだと思われます。 
 証明されてないのに進化論を受け入れている人が、進化論は弱肉強食の自然界にうまく合っていると思っているのと、ちょっと似ているでしょうかね。

 物質は電子顕微鏡以上のミクロの視点で見れば原子核と電子で出来ており、じつは99.999999%ぐらいが空間なんだそうですが、ほら、人間の肉体はほとんど空間なんだよと言われてもピンとくるものじゃありません。美女だって皮と肉をごそっと取れば、しゃれこうべなんだよと言われても、宝香さんを見てそんなふうに思いたくもありません。(笑)
 
 宇宙の発生や仕組みの科学理論については仮説ばかり。目に見えない世界の追求や証明はなかなか難しいものですが、常識とは外れた突拍子もないことを考えるのも、夢があってなかなか面白いものですね。

 私は子供の頃から夢想型で、スーパーマンになって空を飛んだり、宮本武蔵になって悪人をやっつけたりという空想をよくしたものです。今でもいろいろ空想をするのが好きなせいで、夜は寝つきが悪いことがあります。宝香さんも案外空想好きのほうじゃないですか。

2016/11/21(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

夢と現実の境がなくなったら、ヤバイですよね。
なんか、SNSとリアルの境もなくなったらヤバイかも。

ああ、そう、それ。
SNSで見せている像はその人間の影にすぎないのではないか、と。
見せていい部分しか見せないわけでしょ。なんだか、恐いです。
人は結局、自分が現実と信じているものしか、信じられないわけだから。

2016/11/21(月) |URL|宝香 [edit]

これ、青梗菜さんとこで散々書いたけど、うたた寝していたら入院中の父が夢に急に現れて、もう直ぐ電話があるよと。
で、気にしないで、母と夕食食べていたら、病院から電話がかかってきて、父危篤だと。
なんかあるんですよね〜目に見えないことが。

プラトンは、この世は、肉体に束縛された不自由な身で、さっさと死ぬことがいいと、まあ、師のソクラテスの教えで考えていた訳でーそれもどうかと思うけどね〜。
ただ、哲学的に、洞窟の比喩で重要なのは、真理=太陽を見る為には、身体を太陽に向けないとならない訳で、つまり、真理を知る。というのは、全身で知る。ということで、キリスト教でもそうですね、回心とは、神の方を向く。身体をくるりと神の方に向けることですよね〜。身体って重要なんですね〜。

2016/11/21(月) |URL|oki [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 夢と現実の境がなくなったら、ヤバイですよね。
なんか、SNSとリアルの境もなくなったらヤバイかも。

 むごたらしい殺人や性的犯罪を気軽に起こす若者なんかは、その典型なんでしょうかね。捕まった時の顔を見ると、彼らは罪の意識がかなり弱いように見えます。
 昔、やくざ映画を観た男が映画館から出てくるときは目つき鋭く、肩をいからして出てくるという話がありましたが、今はそれより過激なものが世の中にいろいろあるせいもあるのでしょうか。
 そう考えると現代人は18禁のようなことに慣れているというか、逆に免疫性がずいぶん高まっているというか、複雑なものがあります。

> SNSで見せている像はその人間の影にすぎないのではないか、と。
見せていい部分しか見せないわけでしょ。なんだか、恐いです。

 友達の友達はみな友達だ。人は常に誰かとつながっていたい。ひとに関心がある。ひとから関心を示されたい……。以前だったら電話や手紙で面倒だったことが、今は気軽にできる。時代の変化のせいもあるでしょうが、SNSとは裏から見れば、心のSOSでもあるのじゃないですか。
 ただし、時にはA面は、いい顔してる。でもB面は名前がB、C、Dと変わったりしている人もいるとか。要注意です。

 でもね、すべての人が悪者じゃない。善人のほうが多いと思いますね。ただ、善人でも、すべてが善というわけではない。ジキルの中に少しハイドがいることもある。誰でもそう。でも、よく見れば、よく話をすれば、その人の真実の顔はだいたい分かると思うのですが。

 ただ、顔が見えないというのは、やはり今一つ通じないものがある。これはやむを得ない。でも、かえってそのほうがいい関係を保てるという場合もあるのじゃないかと思っているのですが、どうでしょう。

2016/11/22(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

okiさん コメントありがとうございます^^)
 危篤の人が夢の中に現れる、枕元にぼんやりと実際に現れる。ふと虫の知らせのようなものを感じる。そんな話はよく聞きますが、okiさんもそんなことを経験したのですか。霊的な感覚がある証拠のような気もしますが、よほどお父さんから気に掛けられていたのでしょうかね。

 「洞窟の比喩」の話。太陽は善のイデア。光はあまねく地上を覆っている。ところが人間は闇にいるので、光があることさえ気づいてない。
 神も光。神はあまりにも眩しくて人は見ることができない。モーセはシナイ山で神の栄光を見て下山したあと、顔が光を放って輝いていた。そのヘブライ語の「輝き」を「角」を訳した聖書があったので、ミケランジェロは角の生えているモーセを描いたと言われています。誤った知識は実体を見失わせますね。

 でも真の光は見てよいもの、見るべきもの。見れば、この世界がじつに霊妙壮麗に美しく出来ていることに気づく。洞窟に留まっている人間には、それがなかなか分からない。それは人間がみな習慣の奴隷になっているせい、とでも言えるのでしょうか。

 光を見るためには見る方向を転換させ、光のほうに歩まなければいけない。そうですね。それを宗教用語で回心とか転向と言います。そして、そのあとに献身とバプテスマ(浸礼/洗礼)と続くわけです。
 でもその転向の前に悔い改めという段階があります。悔い改めるには自分が悪かったという認識が必要で、それに至る前には正しい知識と理解が必要ということになります。正しい知識はひとから学んだり、自分で書物を読んだりして得ていくのでしょう。
 とすれば霊的なことをいつもよく考えている人は幸いです。その人は天国に近いのでしょう。「心の貧しき者は幸いなり」と言われている通りです。

 この洞窟の比喩で、操り人形を洞窟内の囚人たちに見せるためにわざわざ操っている人間がいるというのも面白いというか、怖いですね。
 囚人らが騙されているのは、実体よりも操り人形の影のほうがが好きなせいですかね。

2016/11/22(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは。

心理学的なことはよくわかりませんが、たぶん何か迷いや不安があり、それが夢となって現れるのかもしれません。

2016/11/22(火) |URL|通りすがり [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
 何か迷いや不安があるのかもというのは、そうかもしれないですね。
他の方にも言われましたが、私もなんとなくそう感じます。

 ただ道に迷うというのは、比ゆ的な道に迷っているのか、あるいは何かの不安があることが道に迷うという形で表れているのか、その辺が微妙なところです。
 
 迷うのは大抵、職場に遅刻しそうという夢が多いのですが、私は約束は絶対に守る性格で、遅刻は電車遅延以外でしたことは過去一度もないのです。大抵は30分前には着くように早めに家を出ますから。だから、何か心の奥に引っ掛かっているのかもしれないですね。

 芥川は「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」と言いました。それと似たようなものはあるかもしれないです。唯ぼんやりというよりは、多少具体的なものですが。
 ご心配していただいて、ありがとうございますね。

2016/11/22(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/11/22(火) || [edit]

人間は幻想世界で生きている

そんなふうに考えたことがなかったのですが
この考え、いいなあ。

私は、今、生きているひとを
まだ生きようとしているひとの
見送りの準備ばかりしています。

そうしないと落ち着かないのです。

母の旅立ちなんて、予想するのがいけないかも
しれないのに
私は、毎日、準備(気持ちも含めて)をしています。

夢、まぼろしの最中のわたし。
きっと母も同じかなあ。

2016/11/25(金) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
 ああー、忙しそうですね。自分のこととお母さんのこと。いろいろ大変でしょう。
 でも、いまは見送りの準備の最中ですか。
 したくはないことでしょうが、こればかりは人間の定め。しょうがないことですね。

 実際の準備よりも心の準備のほうが大変でしょうかね。
 といっても心の準備なんてそんなにうまくできるものじゃなく、いざとなったら慌てたりするのでしょうかね。

 私の場合は以前、コメント欄に書きましたが、大学病院に献体をすることにしていて、もう手続きは済んでいます。
 夫婦共にそうしているので、死んだあとは互いに手間は掛からないはずです。

 これは最後のご奉公をするつもりもあるのですが、人間の命はこの肉体での命だけではないと思っているからでもありますね。死んでも命は続く。この世は幻想のようなもので、実体は損失を受けることはないと思っているからです。

 仕事が順調になって、また遊びに出かけられるようになればいいですね。

2016/11/25(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いや、もちろん行き過ぎるのはよくありませんが、現代社会はこの2つを極端に抑え込むからこそおかしくなるのだと思います。どちらもほどほどに本来は必要なはずです。

2016/11/27(日) |URL|通りすがり [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
> いや、もちろん行き過ぎるのはよくありませんが、現代社会はこの2つを極端に抑え込むからこそおかしくなるのだと思います。どちらもほどほどに本来は必要なはずです。
 はい。まったくその通りだと思います。「ほどほど」、バランスが大事だと、そう書いたつもりでしたが、ちょっと書き方がまずかったでしょうかね。
 ご丁寧にありがとうございますね。(^-^)

2016/11/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。ちょっと遊びに来させていただきました。(笑)

私も実は、(『実は』って言うほどのこともないけれど。w)道に迷う夢をほんとによく見ます。2パターンあって、超大きな建物(主に学校)の中で迷いまくるものと、見知らぬ街を迷っているもの。学校のほうは、大抵大変歴史ある古い学校が建て増し建て増しを続けているうちにきわめて構造が複雑になったものを、私が自分の教室を探してうろうろしまくっているというもの。それが幾層にも連なる階段とか廊下とかドアなどの建具とか、とっても素敵な建物なんだ~。
トイレを探している場合も多いのは、きっとそのときnyo-iを催しているのかと自己分析(爆)。念のため言っておきますが、あたしは決して幼少のころおしっこ漏らしちゃんではありませんでした。
もう1パターンは、見知らぬ街なんですが、どこか懐かしい気のする坂のある街を迷っている。時刻は夕暮れ時です。自分は高台にいて街を見下ろしている。でも、帰る場所は別にあってそこへ辿り着けないのです。歩き始めると体がとってもとても重い…。寂しい夢です。同じ街を何度も夢に見るので、夢の中で地図が分かっているくらい、というのもあります。何処までも複雑に路地が入り組んだ古い寂れ切った商店の町。この通りの先に花屋があるとかもわかってる。でも、いつも訪ねた時に限ってろくな花がない!(笑)道に迷っていく途中には廃業した大きな遊郭の跡などもあります。夢の中で『あ!これまた見てる!夢だ!』と自覚してることもあります。一度眼が覚めてまた夢の続きを見ることもあります。^^

夢と言えば、昔々、マーク・トウェインの『不思議な少年』というのがありまして。トムやハックなどの出てくる少年小説家マーク・トウェインというよりは、ジャーナリスト、マーク・トウェインの面目躍如というような、シニシズムとペシミズムに覆われた作品でありまして。その最後がね。ショックでした。
ネタばれ、になっちゃいますかね。そこで起きたことは、皆ひとりの人間の思惟の中で起きたこと…『ぼくが見せてあげたもの、あれはみんな本当なんだ。神もなければ、宇宙もない人類もなければ、この地上の生活もない。天国もない。地獄もない。みんな夢――それも奇怪きわまる馬鹿げた夢ばかりなんだ。存在するのはたた君ひとりだけ。しかも、その君というのが、ただ、一片の思惟、そして、これまた根なし草のようなはかない思惟、空しい永遠の中をただひとり永劫にさまよい歩く流浪の思惟にすぎないんだよ』

というもので、それまで真剣に読んでいたあたしはがく~っときてしまいました。メインの登場人物みんなが犯人というアガサ・クリスティの一作品の結末を読んだ時のようにとはいいませんが。爆)
深い考えさせられる結末ではあるけれど、一読者としては、すべて結末を夢・幻で片づけられたら小説は成り立たないよ~と!(笑)

これにはさらなる後日談がありまして、実はこの作品は未完。あたしが多分読んだ版は、マーク・トウェインの遺産管財人が結末部を書き加えたものだった、というんです!ありゃりゃ~!(笑)

でも、一文学作品としての価値や評価はともかく、『すべてが一場の夢…』、という感覚は、私も持つことはあります。
それはこの宇宙の広大さ時の雄大さを想うとき。
そしてその想像もつかぬ宇宙の時をほんの一瞬通り過ぎていく存在にすぎない自分というもののちっぽけさを想うとき。
小さい頃も今も、自分という存在がいつかなくなるのだということを考えると途方もなく怖くて悲しいです。
だけれども、ひとりの人間の思惟というものもまた無限なんですね。仮に畳一畳の広さにいたって思索は飛翔する。その飛翔力を使って、ひとは遠く離れた見ず知らずの人とも、過去の賢人たちとさえ交流することができます。その楽しさ。^^
それがある限り、この世に束の間生を受けたことに感謝せずにはいられません…

ただ、現実世界には、生まれた途端に爆撃で死んでいく赤ん坊もいます。↑男女の恋の彩なす機微の一片さえも知らぬ間にね…。
それを想うと彼岸花、老いの身に鞭打って、この世の理不尽に怒らずにはいられなくなります。><

長々書いてすみません。ほんとは、恋とかよき意味での蘊蓄話とかこういう話題が好きなんだ~~!(笑)
(笑)

2016/11/29(火) |URL|彼岸花さん [edit]

Re: タイトルなし

彼岸花さん コメントありがとうございます^^)
 うわーっ、全体量は本文よりも長そう。コメントというよりは、世の理不尽についてのいいオチがついて、ショートショートみたいですね。執筆料を出さないで、よろしいでしょうか。(笑)

 夢は、どうも私のも似てますね。私の定番1は町中で迷って目的地になかなか着かない夢。その他は、町中が洪水の夢が多いです。水量がだんだん上がってくるだけで、別に溺れたりはしません。もう一つは時々周期的に見るのですが、トイレを探す夢で、別にその時にちょうど催しているわけではないのです。

 トイレを探す夢は心の浄化をせよという意だ、とか何かに書いてありました。迷う夢は人生行路に迷っていることかとも思うのですが、彼岸花さんほどの方が迷っていて浄化を必要としているとは思えませんし、それゆえ、迷える子羊を救おうという意思がある人が見る夢かなどと、いま突然考えましたが、私には当てはまらないようです。(笑)

 映画でも本でも、ひとをハラハラさせておいて、じつはこれは夢だったというオチはがっかりしますね。夢とは違いますが、高校生のとき、中里介山の「大菩薩峠』を(これは世界最大の大河小説だそうですが)全巻読んだら、未完だというのが最後に分かって、非常にがっかりしたことを思い出しました。あ、でも単なる夢オチの話ではなく、コンピュータの仮想現実だとか近未来の実話だとかにされた映画になった場合は、深い意味があるように感じますね。

> その飛翔力を使って、ひとは遠く離れた見ず知らずの人とも、過去の賢人たちとさえ交流することができます。その楽しさ。^^
それがある限り、この世に束の間生を受けたことに感謝せずにはいられません…

 飛翔力を使っての交流ですか。なるほど、そうですか。いろいろ思惟を巡らせられる人はいいですね。
 じつはこの人生は夢のようだという話は『胡蝶の夢』を読んで、そういうこともあるかなと若い頃から考えたりしていました。
 おっしゃるとおり、広大な宇宙に比べると一人の人間なんて、じつにちっぽけな存在。ところが、それに比して人間の思惟は広大無辺。
 人生とはつかの間の出来事かもしれないですが、考える葦として生まれてこれて、良かったなあと思います。

> それを想うと彼岸花、老いの身に鞭打って、この世の理不尽に怒らずにはいられなくなります。><
 >< の顔は、てめえら人間じゃあねえや、叩き切ってやる、という意というよりは、体に鞭打って必死に頑張ってる顔でしょうかね。(笑)
 道に迷いっぱなしで、また迷わされっぱなしで、行く先を知らない大羊子羊たちのためにもぜひ頑張ってくださいね~。

2016/11/29(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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