「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 人間なんのために生きているかは、ひと言で言える。 

戸通の杉浦日向子さんが生前、こんなことを書いてました。
「何のために生まれてきたのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない」
なるほどねえ。今を粋に生きるほうが愉しいじゃあない?って言われてるみたいですね。

でも世の中いろいろ。こんな考えの人もいます。
「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ」
これは『アンパンマンのマーチ』の歌詞。やなせたかしさんの言葉です。

“あなたは何のために生きているのですか”と訊ねられたら、どう答えますか。

生きる動機や目的は、人によって違うでしょうし、いろいろ列挙できるでしょう。
でも、全部、たったひとつの言葉でまとめられますよ。
そのひとつの言葉とは何だと思いますか。

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今回は、目明しが勘とひらめきで子分に謎解きをする『捕物帳』風に書いてみました。
他愛ない会話の中に、なかなか意味深い考えが含まれていると思っているのですがね。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――              ;愛は、いまは眠っているが、真実だ。

歌仙茶屋で雨あがる。

人はなぜ生きているのか、年寄りは誰も教えてくれねえ。

 浅草の歌仙茶屋はいまの仲見世の前身だが、吉原帰りの遊客も多く、二十余軒
ずらり並んだ水茶屋には評判の看板娘もいて、なかなかの賑わいを見せていた。
 町々に秋風が吹き、寒さを感じ始める十月も半ば。目明し半七と子分辰五郎が
茶屋の緋毛氈を掛けた縁台でしばし雨宿りしていたときのこと。

「半七親分、こうして表ぇ眺めていると、人間、生きているうちが花ですねえ」
「辰つぁん、どうした。珍しく、しんみりした顔じゃアねえか」
「人はいつか死ぬってこと考えると、あっしは、もう悔(く)やむことばっかりで」
「おや、大人になるってえことは、諦めるってことを知ることじゃアねえかい」
「う~ん、親分。いってえ人は、なんのために生きてるんでしょうねえ」
 半七は小首をかしげ、ここは相手の心の底を探る問いをしてやるかと考えた。
むろんソクラテスの産婆術など知るよしもない。

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「辰つぁん、あと四半時もしないで死ぬと言われたら、何を一番悔やむかい」
「あと四半時で死ぬ……。ええと、悔やみ事なら、山ほどありやすね」
「いや、おれの聞きてえのは、一番悔やむのは何か、てえことだ」
 辰五郎の目が宙を見た。
「一番の悔やみなら、あっしは、とにかくガキの顔ぉ見なけりゃ死ねねえなあ」
「なるほど、そりゃア道理だ。親は子供への愛情を持っている。ほかには」
「ほかには、親と、馴染みのあの……いや、かかあの顔でも見てやりますか」
「そんなこと女房の前で云ったら、こっぴどくひっぱ叩かれるぞ。だが、まあ、
これも家族や知り合いへの愛情だな……。あとはなんだ」
「世の中を裏で牛耳ってカネを懐に入れているいるやつらを、みなしょっぴいて、
お代官様からご褒美をいただ……けてないことが、一番の悔やみですかねえ」
 巾着の辰五郎は小鬢(こびん)をかきながら、最後のほうは小さな声で云った。

  phsfdb.jpg


「江戸っ子の土台は、三ない。持たない、出世しない、悩まないだ。辰つぁんの
生きてる目的は、なにかい、山吹色をした、チャリンチャリンと音がするもんが
目当てかい」と、半七が訊いた。
「いえいえ、あっしは、ただ、世の中のためになることをしてえだけで」
「だったら、人知れず、そおっとすりゃあいい。大判小判のご褒美や、お褒めの
言葉なんかいらねえじゃアねえかい」
 辰五郎はひたいに手を当てた。悪い頭でも、使えば、ちっとは仕事をする。
「う~ん、やっぱり、ひと様から褒められてえ、という気持ちがありますかねえ。
でも、これって見栄とか自惚(うぬぼ)れってえもんかなあ」
 半七は、にやりと意味ありげに笑った。
「あはは、おめえさんはとんだ忠義ものだぜ。ひと様に褒められてえと思うのは、
世間から好かれてえ、ということだ。心の奥底では人から愛情を示されてえ、と
思っているので、だから立派なことをしたいと思ってるわけじゃアねえかい」

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 辰五郎は、そんなことはこれっぽっちも考えたことがなかったが、なるほど、
確かにそうだ、とポンと手を打った。
「なんてこった。あっしが生きている動機って、みんな愛情なんですか」
「そうさ、おれっちは、自分の家の者たちのため、お江戸に暮らす人々のために
生きているのさ。いやいや、そうじゃねえ、自分の好きなことを楽しむためだと
云う人間がいるかもしれないが、それだって自分が愛していることを楽しむため
に生きているんだ……。ほんに、おめえさんの云う通りだなあ」

  jgtyy.jpg


 半七は、自分でそう云っているうちに、胸が熱くなった。
 人間は卑劣かつ残忍な方法で、他人を苦しめ、この地球を壊している。カネの
ために自然環境を汚し、カネのために貧しい人々を食いものにしている。
 しかし一方で、人間も、まんざら捨てたものじゃない。
 広い世間には、心優しい人が大勢いる。すべての人の本質には、温かく神聖な
ものが宿っている。冷淡な顔や無知の裏には、愛のともしびが燃えている。
 愛こそ、今は眠っているが、人間の真実だ。人は愛したいから生きているんだ。
愛されたいから生きているんだ。人間が生きている動機は、愛情なんだ。

  lsque.jpg  


 半七は突然、胸の中に火が点(つ)いて、愛でいっぱいになった。
「辰つぁん、石が流れりゃ木の葉が沈む。世の中ぁ物事は逆さまのことが多い」
「へい」
「こんどは、おめえさんが親分になって、おれが子分になろうかえ」
「うえっ、半七親分は、ずいぶん愛情ってえもんがありやすねえ」
「その代わりと云っちゃなんだが、お代官様からのご褒美は、山分けだぜ」
 二人は、あはははと顔を見合わせ、ぬるくなった茶をごくりと飲んだ。
 いつしか雨は晴れ上がり、往来は陽の光で水たまりがキラキラと輝いていた。



            ________________



杉浦日向子さんは、こうも書いてました。「何の為に生きるのかとか、どこから来てどこへ行くのか
などという果てしのない問いは、ごはんをまずくさせます」。 あははは、これ、面白くないですか。
ごはんをおいしく食べられればいい―――こんな考え方も江戸っ子らしくて、粋かもしれませんね。
あ、そうそう。アンパンマンは「愛と勇気だけが友だち」のようですよ。人間とは面白いものですね。
神は「愛」であり、神に似せて造られた人間もまた、本質は「愛」である と旧約聖書は言っています。

補―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●話は、エンリケ・バリオス著『まほう色の瞳』徳間書店からヒントをちょうだいしました。
●画像は、構図が独特で素晴らしい小村雪岱(明治20-昭和15年)さんの挿絵を拝借しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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何のために生きるのか

バーソ様
おはよう御座います。

最近はありませんが学生のとき勉強が頭に入らなかったり、社会に出て仕事がいきづまったりしたときに真剣に思いました。
自分は何のために生きているのだろう。
自分は何で生まれてきたのだろう。と
どうも順調にいっているときはなんとも思わないのですが都合が悪くなると悩むみたいです。
世の中には自殺する人も沢山いますが、そういう思いが極端に強い人なのではないかと思っています。
色々とありますが突き詰めていくとやはり愛情なのですね。

愛新覚羅

2016/10/22(土) |URL|aishinkakura [edit]

自分の番のために

人はなんのために生きているのか……。
若い頃から10数年、悶々と思考を巡らせました。
精神世界系、哲学系、宇宙系の書籍を読み漁って、
思考回路がオーバーヒートしそうになったとき、
高野山奥の院に続く、鬱蒼とした参道を歩いていました。(平日)

名だたる戦国武将の苔むした墓標の前は、高密度の気が充満していました。
精神が研ぎ澄まされるような気流の中、目を閉じると、
武将たちのウォーという“勝どき”が聞こえて鳥肌が立ちました。

そのとき、頭上から言葉が落ちてきました。(テレパシー?)
『ほれ、そこの人間……。
人の生涯なんぞ一瞬の夢のようなもの。
お前は、お前の番をしっかり生きることだわい……』
見上げると、樹齢数千年の杉の爺さまでした。

以来、何のために?は卒業。
シンプルに『自分の番』を生きてるかも……。
もちろん、無償の愛というゴールを目指して。

2016/10/22(土) |URL|風子 [edit]

Re: 何のために生きるのか

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> どうも順調にいっているときはなんとも思わないのですが都合が悪くなると悩むみたいです。
 あ、そういうことってありますね。目の前の仕事が忙しくて、やるべきことがいっぱいあって、何事も順調で充実しているときは、そんなことに気が回りません。ふっと気が抜けたときに思うものなのでしょう。
 聖書にもこんな言葉があります。「苦しみに会ったことは、 私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきて(教え)を学びました」。(詩編119:71) 人生は何かあったほうが、それがきっかけになって、人生の意味を考えたりするのかもしれませんね。

> 世の中には自殺する人も沢山いますが、そういう思いが極端に強い人なのではないかと思っています。
 そうかもしれませんね。人生の意味を考えても分からない。その分からないことが不安なんでしょうか。そのような人は大抵、中高年以下の若い人ですね。若ければもっと人生経験を積んで考えていけばいいと思うのですが、真面目すぎて自分の心を整理できないという場合があるのでしょうか。
 そういうとき、誰かよい助言を与えてくれる人を探せばいいと思うのですが、なかなかいないのでしょう。人が生きるのは愛情だと思えば、けっこう気が楽に、そして楽しく生きられると思うのですが。

2016/10/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 自分の番のために

風子さん コメントありがとうございます^^)
 高野山奥の鬱蒼とした参道ですか。真言密教の本拠地。昔の人間の気や自然の気がいっぱい籠っていそうなそんな所によく行きましたね。求めていたのですね。

> そのとき、頭上から言葉が落ちてきました。(テレパシー?)
『ほれ、そこの人間……。
人の生涯なんぞ一瞬の夢のようなもの。
お前は、お前の番をしっかり生きることだわい……』

 こんな霊的経験もあったのですか。杉の爺さまとは、そんなイメージが見えた、感じたということですかね。
 「人の生涯は一瞬の夢」とは宗教ではよく言われますが、「お前は、お前の番をしっかり生きることだ」というのはスピリチュアルの“今を生きる”という教えですね。
 風子さんが霊的なことで答を探し続けていたので、そんなことを考えているより、目の前の現実のことに目を向けて、それをしっかり行なえという意味だったのでしょうか。
 私の母親から聞いた話では、最初の夫(のちに高野山に入る)が若いときにそういうことに凝って働かなかったので別れたと言ってましたが、何事もあんまり考え過ぎるのも考えものだということですかね。でも風子さんの場合は考えて結果が得られてよかったですね。

> 以来、何のために?は卒業。
シンプルに『自分の番』を生きてるかも……。
もちろん、無償の愛というゴールを目指して。

 そうですか。自分の分を生きていると自覚があって、それをおおやけに言えるのはいいですね。私はどうかなあ。そんな自信はないですね。まあ、こんなものだろう、と思っている程度です。それじゃだめじゃんと言われそうですが。

2016/10/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

半七と辰のやりとり、読ませます。特に辰が生きる理由を
悟った瞬間がグっときます。
杉浦日向子さんは好きでした。
いつもにこにこしながら博識でキリっとしたものをもった人でした。
杉浦日向子さんの、
「何の為に生きるのかとか、どこから来てどこへ行くのか
などという果てしのない問いは、ごはんをまずくさせます」
は彼女なら言いそうな言葉です。(笑)
彼女の死生観、名言に
「江戸に惹かれるのは、生老病死を春夏秋冬のように受け止め、
楽に生き楽に死んでいく世界があるからだ」というのもありました。
杉浦日向子さんは北斎の娘、応為に光を当て世に知らしめた人ですね。

2016/10/22(土) |URL|エリアンダー [edit]

こんばんは。

“あなたは何のために生きているのですか”と訊ねられたら・・・。

そうですね。
何のためでしょうか?
仕事の役割を担うため?

自分の居場所確認と、認められる自分への愛情のため?


猫と生活するため?
猫を愛することは、結局自己愛のため?

いつも考えてしまいます。

目の前のことに必死で、生きる意味まで考える余裕がないのは、不幸なことでしょうか?

たまに、この生き方が嫌になることもあります。

きっと、召されてから、または、召される時に何のために生きて来たのかがわかるかも知れません。

愛され、褒められ、役割があると生きることは、楽しいと思います。

また、活躍しなくともそこにいるだけで、存在が認められれば生きる勇気がわいて来ます。

そうやって、考えていたらお腹が空き、美味しいパンが食べたくなりました。(*^_^*)
本能には、逆らえません。

2016/10/22(土) |URL|Miyu [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 半七と辰のやりとり、読ませます。特に辰が生きる理由を
悟った瞬間がグっときます。

 あ、ありがとうございます。この誉め言葉にぐっときました。(笑)
 文学にも詳しいエリアンダーさんから、読ませると言われて、ほっとしました。私としては生まれて初めての小説調もどき文ですが、なんせ小説はめったに読まないし、ドラマは何十年も見たことがないので、落語の江戸っ子弁を思い出して書いたのですが、たぶんおかしいところが多々あると思います。

> 杉浦日向子さんは好きでした。
いつもにこにこしながら博識でキリっとしたものをもった人でした。

 このたび一冊読みましたが、亡くなった今でも江戸の町にいて酒を呑みながら、しゃべってるのじゃないか(だったか?)と本の紹介ページに書いてありました。江戸が心底好きなひとですね。

> 「江戸に惹かれるのは、生老病死を春夏秋冬のように受け止め、
楽に生き楽に死んでいく世界があるからだ」というのもありました。

 ああ、そうですか。なんでも詳しいですね。これって仏教思想のようですが、こういう人生観も悪くない、いや、なかなかいい生き方だと思います。

> 杉浦日向子さんは北斎の娘、応為に光を当て世に知らしめた人ですね。
 そうでしたか。北斎は私が古今東西で世界一だと思う画家ですが、構図の大胆さでは父親に敵わないので、応為は光と影を加えて新機軸を出そうとしているように感じます。『夜桜美人画』と『吉原格子先之図』なんか見事なもので、こういう世界は洋画にはないと思いますね。

 『遠き日々』は今日、上巻を涙とともに読み終えました。下巻を読み終えたらエリアンダーさんに感想を報告し、そののち図書館に予約してある杉浦さんの『百日紅』上下ほか2冊を読むつもりです。

2016/10/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは。

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 何のためでしょうか?
仕事の役割を担うため?
自分の居場所確認と、認められる自分への愛情のため?
猫と生活するため?
猫を愛することは、結局自己愛のため?
いつも考えてしまいます。

 全部Miyuさんに合ってるような感じがします。仕事も忙しい。講義も忙しい。そして家族は居候を含めて大勢いるのですから、そんな中で「いつも考えて」いるというのは、たいしたものですよ。時間に追われているようで、きちんと自分を客観的に見つめている自分が自分の中に居る。これはなかなかできることではありません。
 いまは自分の才能を最大限に有効に活かして生きているのじゃないですか。そう見えますよ。そんなことを出来ない人から見たら、転んでも頼んでもできないわけですから、じつに羨ましい人生じゃないですか。贅沢を言っちゃあいけませんよ。確かにそういう星の下に生まれているだろうと思いますよ。

> 愛され、褒められ、役割があると生きることは、楽しいと思います。
また、活躍しなくともそこにいるだけで、存在が認められれば生きる勇気がわいて来ます。

 ほんとうにそうですね。社会の中で自分の役割があり、存在が認められれば、それで十分、どころか、言うことなしでしょう。私なんか、偉そうに言えることなんか何もなし。大学で教えているというだけでリスペクトしてますよ。

 おいしいパンを食べ、頻繁にゴージャスな外食をして、どんどん意欲的におしゃれをして、またまた頑張ってくださいよ。

2016/10/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お~、バーソさん、すばらしいっ!
>人間が生きている動機は、愛情なんだ。
はい、かっこいいと思います。
言い切る人には、逆らえません。
おれは、そう思う、そこに間違いはありませんもの。
よほど変てこな理屈を除いてはw。

自分の内から外に問いかける。
そのための表現を考え、言葉を選び、修辞を凝らす。
今回のエントリ、好きです!

2016/10/22(土) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> お~、バーソさん、すばらしいっ!
 ええっ、ほ、ほんとに? 眉に、つばつば。(笑)

> >人間が生きている動機は、愛情なんだ。
はい、かっこいいと思います。
言い切る人には、逆らえません。

 えっ? 言い切ると逆らえない? なぜなぜ? 青梗菜さんは、どちらかといえば、ひとが言い切ると、それは違うと逆らいたくなるほうじゃないですか。私は、逆らわれるのは別に嫌じゃないんですが、嫌いだと言われると、ああそうか、しょうがないと引っ込んでしまいます。

> 自分の内から外に問いかける。
そのための表現を考え、言葉を選び、修辞を凝らす。

 あらら、これ、今までで最大級の誉め言葉のような気が。修辞の達人から言われると、こそばゆい。でもここは素直に感謝感謝。

> 今回のエントリ、好きです!
 ということは今回以外は好きでなかった。うーむ、と ひねくれる。(笑)

2016/10/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

空高く 時の向うの きみ恋し

「生きる理由だぁ?何言ってやがるんでい。人間、生まれちまったからにはしょうがねぇ、生きてる限り生きる為に生きてるんじゃねぇかい。」
「おやびん、そりゃぁあまりに悲観的じゃぁありやせんかい?あっしは何かこう、もっと前向きな理由が欲しいんでさぁ。」
「前向きかぁ、ならおめえは何が好きなんでぃ。」
「好きなもんすか。好きといやぁ、そりゃ・・・うひひひひ。」
「何を想像してやがるんだい、この助平が。だがそれもまた人の本能のなせる業ってなもんよ。人は生まれちまったから生きる。生きちまったからには子を残す。親から貰ったこの命、ここで終わらしてどうして申し訳が立つもんかぃ。そうやって昔からずーっとずーっと繋いで来たのさ。」
「じゃぁ、さっそくその辺の娘口説き落として・・・」
「馬鹿やろう。誰でも良いわけねぇじゃねぇ。相手ってのは生まれる前から決ってるんでぃ。前の人生で約束を交わして、この人生で出会って、そして次の人生を約束する。えれえ浪漫じゃねぇかい。」
「さらっと凄い事言ってやすね。でも相手が決ってるって言われても世の中の半分は女じゃねぇですかぃ。区別なんかつきゃしませんぜ。」
「そうだなぁ、もしかしたらそれを見つけ出すのが人生なのかも知れねぇな。」
「しみじみしちまって・・・。ま、おやびん、探してる間にこの人生終わっちまいそうだし。」
「うるせぇ!!」
 どんどんずれてくヨタ話。あ、よいよい。

2016/10/22(土) |URL|miss.key [edit]

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2016/10/23(日) || [edit]

バーソさん、こんにちは^^

人間が何のために生きているかは、
人間が何のために創られたかが解らなければ解らず、
それが解るには、世界が何の為に創られたかが
解らなければ解らないので、
究極的には、解らないことだと思います。

人間が他の動物と違う点は、
やはり、知的な側面と、創造的な側面にあるように感じますが、
私個人の価値観では、バーソさんと同じく、
「愛」というもの、特に「無償の愛」というものが、
対人的には、重要なものの一つだと感じていますが、
それが、まさに人間の生きている目的かどうかは、
やはり解りません。

他人からどう思われようが、どう評価されようが、
人には、自己実現したいという思いがあります。
どのような人間になりたいかは、どのような人に、
美しさや憧れや尊敬を感じるかによると感じますが、
私の場合は、自分と同じタイプで、自分より優れた人に、
そういう感情を抱くので、私は、よりより自分になりたいだけで、
自分とは異質な何かになりたいわけではないのだなと感じます。

なので、誰かが、たとえば、権威のある人とか、
神様とか高級霊とか進化した宇宙人とかが、
こういう人間が素晴らしい存在なので、
全ての人がこういう人間になるべきだと言っても、
自分がそこに美しさや憧れや尊敬を感じなければ、
特には、そういう存在になりたいとは思いません。

私は、宗教やスピリチュアリズムの言うように、
全ての人が正しい思想や価値観を持てば、
世界は素晴らしいところになるとは思いません。
同じ思想や価値観を共有する集団内では、
人は必然的にヒエラルキー化し腐敗するだけです。

人と人との関係は、ジグソーパズルのようなもので、
全ての人が、より個性化し、
自分独自の思想や価値観や能力を持つことで、
それぞれの人が対等になり、
あるべき場所に、ジグソーパズルのピースのように収まり、
いわゆる「ワンネス」も、このように実現するのだろうと思います。
統一しようとしてばらばらになり、
ばらばらになることで、一つになるのだと感じます。

2016/10/23(日) |URL|Korva [edit]

恥ずかしながら考えたことがありません。
こたえが、みつからない。

学生のころ、そういう話題で議論する仲間もいました。
でも、わたし、わからないです。

ですけど、生きてる間は楽しく生きたいです。
死ぬときは、
家をさっぱりときれいに
しておきたい。

高齢者の家を訪問する仕事をしていると
その願いが強くなるばかりです。

目明しと子分の謎解き『捕物帳』を読んで
なるほどなあと思いました。

愛情・・・そうですね。
愛したいです、いろいろを。


2016/10/23(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: 空高く 時の向うの きみ恋し

空高く 時の向うの きみ恋し miss.key さん コメントありがとうございます^^)
「僕ね、いま、とんぷくしてるねん」
「君は、腹ぁ悪いのか」
「違うわねん、ええと、せんぷく」
「どっか隠れたん?」
「違うねん、まんぷく」
「めし食いすぎや」
「わからんなあ、立派なことに感心することを何ぷくとか」
「感服か。感服ぅ言うのにそれだけ手間かかるか」
「そうや、僕、『あ、よいよい』に感服したんや」
「おや、みすきーさんのコメントに感服したんかい。そやなあ、今回は珍しく輪廻と運命論を言うとるしなあ」
「僕、その辺の娘をよう口説けへんので、宵闇迫れば悩みは涯なし」
「なんや、それ」
「乱れるる心に、うつるは誰が影」
「君、だいじょうぶか」
「君恋し 唇あせねど」
「なんや『君恋し』を言いたかったんかい。フランク永井かいな」
「そや、僕も、赤き唇あせぬ間に、燃える恋をしたい」
「どこが赤き唇や。君は浪漫を望んでても無理やな」
「なんでん? 僕、そない言われたら立腹してしまうへん」
「でも、男らしい『ぷく』したらモテるかもしれへんなあ」
「やるやる、その『ぷく』。僕に教えてくれへん?」
「切腹切腹。あー、よいよい」

2016/10/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 重いこともさらりとかわす。これって江戸の粋な生き方なんでしょうね。苦しいから、貧しいから、さっぱり生きたいから、宵越しの銭なんぞ持たねえ。これは、江戸っ子のやせ我慢であり、また美学だったのかもしれないですね。
 
 お正月は心も新たに、そうですね。新年は、誰しも今年の抱負を決意しますね。感謝精神と友愛精神ですか。これ、最高の目標じゃないですか。人類みんなが経済第一や出世第一主義の目標ではなく、そういう善良な人生目標をもてば、この地球もずいぶん平和で愉しい社会になると思いますね。いろいろ言われる世の中ですが、百年昔、二百年昔、三百年昔に比べたら、そんなに悲観しないでもいいと思うのですが。
 
 息もしないで読みましたか。ほんとですか。うれしいですね。有難いお言葉です。

2016/10/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 人間が何のために生きているかは、・・・・・・
究極的には、解らないことだと思います。

 この問題は、なかなか決定的な証拠がないですからね。そうかもしれません。ただ、自分の心にピンとくるものがあれば、それを受け入れるという、ある種の信仰でもまあいいのじゃないかと思うのですがね。
 そうでないと、目的地がわからないまま、行く先不明の電車に乗っているわけで、乗っている間、ずーっと安心感がないような気がします。一応、そうだ京都に行こうとか決めて、途中で気が変わったら乗り換えて岡山あるいは鳥取に行く。もし間違えていたら(間違えていることはなく、どの行く先でも自分の乗った電車が正解だとも言えそうですが)、また北海道行きでもアラスカ行きでも自由に乗り換えればいいのじゃないかと思うのですが、どうでしょう。

 いま野口英世の評伝『遠き落日』を読み終えたばかりなのですが、人間の中には名を揚げることに最大の努力を払う人がいますね。野心という自己主張のため、困っている人を救うという隣人愛のため…と、いろいろ生きる目標はあるのでしょうが、それぞれ自分が成りたいものに成るべく生きているのでしょう。もし成りたいものという目標なんかないとしても、それはそれで、成りたくないという者に成っているわけで、その目標はみんな違っていていい、自分流でいい、と思いますね。

> 全ての人が正しい思想や価値観を持てば、
世界は素晴らしいところになるとは思いません。
同じ思想や価値観を共有する集団内では、
人は必然的にヒエラルキー化し腐敗するだけです。

 ヒエラルキーというのは組織があれば必然的に存在するものです。しかし、たとえばアボリジニや昔のアメリカインディアンのように自給自足で、貨幣がない、会社がない、持ち物はみんなのもの、困ったときはみんなが助け合うという完全平等で、組織のない社会がもし出来たとすれば、そして人間がみな高慢さや優越感など全くない真の意味の友愛精神を持てたとすれば、(つまり無条件の愛という理想的な精神を持つ人たちばかりであれば)、フランス映画の『美しき緑の星』のような理想社会はあり得るだろうと思いますね。ただ、二元論が許されている今のこの地球では、余程のことがなければ不可能かもしれないですが。

> 自分独自の思想や価値観や能力を持つことで、
それぞれの人が対等になり、

 これも理想社会ですね。対等平等といっても全員が同じ思考と同じ趣味と同じ感覚を持つのではなく、それぞれの個性と意思が自由に生かされる社会になれれば本当にいいと思います。

2016/10/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> ですけど、生きてる間は楽しく生きたいです。
死ぬときは、
家をさっぱりときれいに
しておきたい。

 ひとに迷惑を掛けないで、最後まできちんときれいに生きる。これ、杉浦日向子さんと同じような美学じゃないですか。なかなか答えの出ないごちゃごちゃ難しいことに囚われて、折角の人生をスポイルする野暮な生き方をするのじゃなく、今ごはんをおいしく食べて、きれいな着物を着て、楽しいことをしたら、それが粋な生き方じゃないかということで、これもすごくいい生き方だと思いますね。
 何も苦しそうにして悩んで深刻に人生を送る必要はない。世間のひとに合わせるのではなく、自分の好きなように生きたらいい。自分が愛していることをして、自分が愛されることをして、楽しく日々を生きられればそれでいい、と思いますね。
 
 記事の冒頭にBGMとして、静かなクラシックのサティ『ジムノペディ第1番』でも入れようかと最初は思ったのですが、明朗快活な『パペーテの夜明け』を入れました。これは昔の映画『最後の楽園』に出てきた音楽で、現地の民族音楽をアレンジしたものです。ポリネシアの島々で人々がする、現代的な都会生活とは正反対の生き方。日々を楽しく、不安なく暮らせれば、それでいい。そんな明るい志向のメロディがいいなあと、ふっと思いついたので入れたのですが。生きることも死ぬことも、軽く明るく捉えられればいいかもしれませんね。

2016/10/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは。

ご無沙汰しています。
一番下の絵の出典は昭和初期ですか。よく分かりませんが、私が観たところ、枕屏風に女性がもたれかけています。余韻に浸っているのか、誰かを待っているのでしょう。枕屏風の枕は枕営業の枕と同じ意味です。

屏風の裏側には春画が描かれているはずです。雰囲気つくりの小道具に最適でしょう。およそ人間のやることは決まっていて、灰になるまであのために元気で生きているのではありませんか(笑)。
「あの」とは言うまでもありませんが、下ネタの下のことです。

大変失礼いたしました。

2016/10/24(月) |URL|花渡川 淳 [edit]

Re: こんばんは。

花渡川 淳さん コメントありがとうございます^^)
 「枕屏風」でGoogle検索してみたら、意味は「風よけなどに枕もとに立てる背の低い屏風。家屋の機密性の高くなった現在では、むしろ本来の風よけや防寒よりもインテリアの役割が大きい」とあり、5ページ目までその種の事柄を匂わすような言葉は見当たりませんでした。
 画像検索で「結果をもっと表示」まで見ても、そのようなものはなかったのですが、そういう意味があったのですか。花渡川さんは江戸風俗にも詳しいのですね。

 知らないということは恐ろしいもので、この絵はそう言われれば、なんとなく色っぽくて物憂くて、おっしゃる通りの雰囲気を持っているので、さっそく入れ替えました。おかげさまで若干、いや、かなりと言うべきか、上品になったようです。(笑)

 絵は昭和9年に東京朝日新聞に連載された『お伝地獄』の中にある『屏風とお伝』。お伝というのは明治の毒婦と言われた高橋お伝です。
 画像の著作権は日本では死後50年の規制があり、難しいものです。
 それにしても、ちょっと言いにくいことをよく指摘してくださいました。ありがとうございます。感謝申し上げます。

2016/10/24(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

懸命に考えたのですけれど
「人は何のために生きているか」という命題に一言で答えるなんて無理です。
とりあえず今の私は「暇つぶし」ということでご勘弁下さい。

2016/10/24(月) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
 「人は何のために生きているか」とは修辞的な質問ですので、丁寧に断りをいただかなくてもよろしかったんですが、申し訳ないですね。 

 では、おまえバーソは何のために生きているのかと訊ねられれば、うーんとおそらく言葉につまります。なにか一心不乱に追い求めているライフワークのようなものがあれば、すぐさまその人生目標を答えられるのでしょうが、なかなかそういうものはないので、私も、まあ、「暇つぶし」のようなものですね。あ、いま、「ごくつぶし」という言葉が心の中をよぎりの第二国道じゃないですか。あ、夜霧のかなたへ、別れを告げ、雄々しきますらお~のほうが合ってますかね。(笑)

 杉浦日向子さんと古村雪岱さんとそして宝香さんは、共通点があるように思います。それは江戸文化の、つまり日本人の、情緒、粋、風情、風流なんてものに感じる心を持っているように思うのですが、どうでしょう。そう思ったので、おしまいから2枚目は宝香さんのべべべんのイメージで絵を選んだのですよ。ちなみに下から3枚目の男はバーソのつもりです。(爆)

2016/10/25(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ひとことで家康(いえます)

こんばわんこ
一言で言えますが
ちと
こっぱずかしい
おいらの陀ブログには鏤めてありますが

或る人が言いました
賢者は愚か者からも学べるが
愚者はなにものからも学べない、とか
そんなことはありません
愚かなおいらは皆様から学んでおりやす
少しでも
近づけたらと思い・・・

友を亡くしました
嗚咽を抑えております・・・
でも
まだまだ、やせ我慢は出来そうであります。

2016/11/13(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

こんばんは。

私はいつもいろんな方々に言っているのてすが人生哲学のようなものは必ず持っておいたほうが良いと。

よくスピだけやっていればそれでいいんだって人がいますがそういう人は本当は何もわかっていない人だと思います。逆に言うなら何もわかってないからこそスピに頼るのだという言い方もできます。

私はあいにく口が悪いため、私以外で口が悪くなくて説明のうまい方にこういったことをいろんな人に、伝えていってほしいと思っていますが日本の皆さんはこういったことにはあまり興味がないようですね。

2016/11/13(日) |URL|通りすがり [edit]

Re: ひとことで家康(いえます)

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 ウナさんの文章は、ブログもそうですが、発想が義経の八艘飛びのごとく飛んでいて目まいがしますね。「陀ブログ」という言葉もしばらく考えて、ようやく分かりました。最初、仏教的な話かと思いましたよ。最初の「家康(いえます)」で気づくべきでした。読むと頭が刺激される文体ですね。

> 或る人が言いました
賢者は愚か者からも学べるが
愚者はなにものからも学べない、とか
そんなことはありません
愚かなおいらは皆様から学んでおりやす

 なるほど。
 イエスの時代に賢者としてパリサイ人と呼ばれる人々がいました。彼らは聖書の解釈に通じていて頭がいい。聖書の掟を守っていて真面目。それはそれでいいことなのですが、問題はそのことを誇示し、宣伝していたことです。世間で目立つよう、衣に大きな房を付け、お守りとして付けた聖句入れを大きくし、これが見えぬかと威張って大通りを歩いていたのですね。まあ、みっともないことです。
 そういうわけで、賢者はとかく偉そうにしたがり、それが愚者の証拠だ、と聖書では言われています。ウナさんは、いい心がけですね。

 そちら様のブログはブックマークに入れたので、勇気を出して、近いうちにコメントを冗談など加味して入れますからね~。(笑)

2016/11/14(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
> よくスピだけやっていればそれでいいんだって人がいますが
 そうなんですか。私は精神世界の本を読むのは好きなんですが、ブログのほうはあまり知らないのです。でも、そういう人は、よほど自分の知っているスピリチュアルの教えに自信と崇敬の念があるのでしょう。
 
 宗教でも同じ傾向があって、自信のある宗教ほど排他的になり、他の人の信じるものを攻撃し、邪教だ悪魔だ国賊だなどと言いますね。
 
 ですが、そういう態度こそ愛がないことを自ら顕しているのでしょう。愛のある人は、自分とは違う教えを信じる人がいても、それは許容できないとしても、だからといって罵ったり嘲ったりはしないものです。
 世界にいろいろある教えの中を、人はさまよいながら、手探りで歩いているようなものですから、迷える子羊は道を探すのに必死なんです。

> 逆に言うなら何もわかってないからこそスピに頼るのだという言い方もできます。
 スピリチュアルに“頼る”のは、心の根底に不安があるからじゃないでしょうかね。私も不安があるのと探求心があるので、精神世界に答えを見出そうとしています。他に見出せそうな場所があれば、そちらにも行ってもいいのですが。

2016/11/14(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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