「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 萩原朔太郎の詩『愛憐』は今でも問題作か。 

類存続のために絶対必要不可欠なこと、と言えばセックスがあるでしょう。
それがなければ人類は百年で地球上から絶滅してしまいます。

しかし世間では一般的に、セックスについて人前で語ることはタブーとされています。
私も普段その種の話はまずしませんが、ブログでちょいと書いてみることにしました。

アンドレ・ジッドの『狭き門』(1907年)に、当時の若者たちの恋愛観が表れています。
アリサは、人間には“聖らかさ”が大事だと言って、恋人ジェロームの求婚を断ります。
彼女は、天国の門は二人並んで入るには狭いと言うのです。

遠藤周作は、ジェロームの愛は清らかだと見ています。
「ジェロムはアリサをこの地上で一番きよらかな純潔な美しい女性だと思っています。
・・・・ジェロムは夢みがちの青年であり、あまりにも理想主義的な男でしたから、
肉欲のような気持を自分の恋人の上に感じることさえなかったのです」

(『恋愛とは何か――初めて人を愛する日のために』角川文庫より)

buran.jpg
ジャン=ウジェーヌ・ビュラン『無垢な結婚』 (1884)

夏目漱石の『三四郎』23歳は、一人旅は気味が悪いと言う女と、上京途中の宿で同じ
布団に寝た翌朝、女から言われます。「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」。

私も度胸はないほうで、若い頃は、愛するひととそんなことをしていいのだろうかと
思っていましたね。まあ、単に精神的におとなになってなかっただけの話ですが。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
愛し合う男と女がひとつになるのは神の摂理である。

萩原朔太郎30歳の詩集『月に吠える』(大正6年)から一つの詩をピックアップしました。
刊行はジッドの『狭き門』の8年後。当時は問題作とされ、検閲削除にされたそうです。

セックスとはいやらしいと思って読めば、比喩的な表現もいやらしく思えるでしょうが、
別にそうではないという意識で邪念なく読めば、別にそうではない詩に思えるでしょう。
これは人の心にあるものが映し出される鏡のような詩なのです。あ、本当かな。(笑)

 「愛憐」―――萩原 朔太郎  

 きつと可愛いかたい歯で、
 草のみどりをかみしめる女よ、
 女よ、
 このうす青い草のいんきで、
 まんべんなくお前の顔をいろどつて、
 おまへの情慾をたかぶらしめ、
 しげる草むらでこつそりあそばう、
 みたまへ、
 ここにはつりがね草がくびをふり、
 あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
 ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
 お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
 さうしてこの人気のない野原の中で、
 わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
 ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
 おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。


  ※太字は、原本では傍点が付いている文字です。

g1enuia.jpg フリー画像
(写真はりんどう。別に官能的でなく、可憐な花ですね。つりがね草も似た花です)

「きっと」「こっそり」「しなしなと」「しっかりと」「きりきりと」といったオノマトペ。
そして「みどりをかみしめる」「りんだうの手が」「蛇のような」といった暗喩や直喩。
青い草の描写もナイーブで、男の情欲が無邪気な遊びのように表現されています。
最後の「ぬりつけてやる」という言葉も、男としては共感のようなものを感じます。

詩集『月に吠える』は読者に衝撃を与え、朔太郎は一躍詩壇の寵児となりました。
森鴎外の絶賛を受け、宮沢賢治などがこの詩集から大きな影響を受けたようです。

●4行目の「いんき」は、一瞬どんな漢字かと思わなかったですか?
 私の思いついた字は、下のカッコ内にあります。
  空欄をドラッグ → [ 1.淫気、2.陰気、3.インキ/ink ] 
最初は1、あるいは2かと思い、3の正解が分かるまで5、6秒かかりました。
思いついた順に、私の意識下にあるものが表われているのかもしれません。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
意識が変わると、価値観や正邪の概念も変わってくる。

よくよく考えれば、本来、性は人間にとってノーマルで、自然なものであるはずです。
それなのに人々は、長い間、それを汚れたこと、恥ずかしいものと見なしてきました。
原因には、それを下劣に悪用し、売りものや慰みものにした人々がいたせいでしょう。

百年前、朔太郎の詩は発禁となりましたが、いま読むと、たいしたことはありません。
何が正しく何が間違っているかは、時代によって、人によって、けっこう違うのです。
2千年前の倫理観が尊く、絶対固守すべきだ、と思い込むのは間違いの元でしょう。

lgp010.jpg
ジョン・シンガー・サージェント『屋外での研究』 (1889)

人と人が知り合い、男と女が愛し合い、精神的にも一体感を味わえるなら最高です。
埴生の宿(粗末な家)も、わが宿。玉のよそおい、うらやまし。いえ、うらやまじ♪

補――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青空文庫:詩集〈月に吠える〉全篇もどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/859_21656.html
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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セックス

バーソ様
おはよう御座います。

最近は肉食系、草食系などと分類され、男性のみならず女性も対象になっているようです。
肉食系の人は多分度胸がないなんて言われないのでしょうね。
セックスは隠すものですが排尿や排便も同様ですね。
つまり下半身に関することはセックスに限らず隠すべきことなのかも知れません。

愛新覚羅

2016/10/01(土) |URL|aishinkakura [edit]

『愛憐』……なぜ?

萩原 朔太郎は好きな詩人のひとりですが、
詩の内容はいいのに、なぜ『愛憐』……愛を憐れむと題したのか疑問でした。
時代が時代ですので、内心ではセックス(本能)という行為を蔑んでいたのかも?と思ってました。

もし朔太郎が、田口ランディ著『コンセント』『アンテナ』などを読んだら
腰ぬかすだろうなぁと、オバちゃんは思っています。

ランディの本のタイトル…コンセントしかり、
アンテナ、プラグなどという表現は、
人の発するエネルギー(波動、周波数)に通じていて面白いです。
肉親の死をきっかけに、主人公の意識に電源が入り、
セックスに深層心理を見出す辺り……。
それがやがてスピリチュアルに続くわけですから‥‥。

セックスと瞑想によるエクスタシーが、その回路を共有していると知って以来、夫婦の単なるコミュニケーションや、ゲーム感覚のセックスはできなくなった記憶があります。(今は昔の話(^_^ ;))

いずれにしても本能は聖なるもの、でしょうね。

2016/10/01(土) |URL|風子 [edit]

Re: セックス

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 私は、食べ物の好き嫌いはないですが、肉はあまり食べません。体力のほうはまるで自信がないので、もやし型の草食系ですね。草食系でも、ほうれん草型なら強いのでしょうか。そういえば、ほうれん草の缶詰は日本には無いですね。外国では売っているのでしょうか。
 
> 下半身に関することはセックスに限らず隠すべきことなのかも知れません。
 さすがに真面目さがうかがえる言葉ですね。
 普段は見えないから見たいと思う心理のせいか、禁じられた果実はかじってみたいと思うせいか。大体がセックスは隠されていることが多いゆえに、その種の産業が流行っているという一面もありそうです。
 排便に例えられたら隠すほうがいいと思ってしまいますが、別に汚いものではないと言う人もいそうですね。アダムとエバは禁断の木の実を食べて罪を犯したのちに、いちじくの葉で体を覆って隠しました。それは罪の意識があったからだと言う人もいます。ただ、本来、人間は動物と同じく、丸はだかだったのですね。聖書では、ですが

2016/10/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 『愛憐』……なぜ?

風子さん コメントありがとうございます^^)
> なぜ『愛憐』……愛を憐れむと題したのか
 “愛と(の)憐み”という意味じゃないですか。神の愛、神の憐み、といった具合に聖書に出てきます。内心ではセックス(本能)という行為を蔑んでいた、という解釈は面白いですね。そういうこともありそうです。
 ・・・で、見直したら、おかげさまでタイトルの文字に誤植(誤変換)があったことに気づきました。そういう真意でしたか。(^▽^;)

> 肉親の死をきっかけに、主人公の意識に電源が入り、
セックスに深層心理を見出す辺り……。
それがやがてスピリチュアルに続く

 よく幅広く、いろんな本を読んでますね。田口ランディは本を手に取ってページを少しめくったことがありますが、感じない本でしたね。
 検索したら、盗作疑惑で絶版だとか、スピ系には人気があるとか出ていました。なるほど。コンセント、アンテナとはそういう意味でしたか。
 OSHOの教えと似てますか。ラジニーシの本は1冊読んだことがありますが、あまりピンと来ませんでした。ニールも、トムとメリーがトマリーになる話を書いていましたが、どうも私には、その種の電気が流れるコードがないようです。だんだんとデジタル回路に移行させつつあるのですが。

> いずれにしても本能は聖なるもの、でしょうね。
 そうですね。本能には他者攻撃性とか悪いものもあると思うのは、ヒトが理性知性のない動物から進化してきたと考える無神論者の発想でしょう。人が神から創造されたと思うなら、本能は聖なるものとなりますね。

2016/10/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

>何が正しく何が間違っているかは、時代によって、
人によって、けっこう違うのです。

むかし、「彼女は朝まで家に帰らなかった」という一文で
発禁処分になった小説があったそうです。
北原白秋も隣家の主婦と浮気して投獄されていますし。
昔の基準からすれば今ではほとんどの人が投獄されます。
バーソさんからお前はどうなんだ? と言われそう。
私の場合は、ある夏の夜に・・・って、何言わせるんですか。(笑)

う~ん、インクとインキ。
インキはインクより粘性があってドロっとしているとか。
この詩にはインキが合ってるよう。
ほんと詩って短く、凝縮されているから読む人の感性・体験に
より増幅されひどく性的なイメージを受け取る場合がありますね。

2016/10/01(土) |URL|エリアンダー [edit]

朔太郎の、蛇のメタファーは旧約聖書由来かなぁ。
野原で、蛇になりたかっただけで、
そこまでの意味は連れ立って来ないか~。

性欲や、それに伴う暴力的な衝動、
それが異端だったから、詩になったわけで、
今となっては、もはや変態の朔太郎がw、
詩にするような題材ではありません。
正統派の恋愛に思えてきます。

諏訪優という詩人が、

    わたしは わたしの別の世界
    別の暑さ 別の寒さ
    別の風のおののきにいま属す
    そして言語の埒外にある一匹の蛇である!

なんて詩を書いています。
1970年代です。
日本でもエジプトでもインドでも、
蛇は、肯定的なんですよね~、
蛇は、かっこいい扱いです。

今のこの国では、自分を蛇に喩えたりはしません。
すっかり、「かわいい」が肯定される文化にやられてしまってます。
野ウサギくらいに置き換えて読む感じでしょうか。
いろいろ加減して読む必要がある、
難しい詩だと思います。

2016/10/01(土) |URL|青梗菜 [edit]

バーソさん、こんにちは^^

エネルギー自体には、善も悪もなく、その現れ方によって、
美しくなったり、醜くなったりするものだと思います。

エネルギー自体に、ネガティブな定義をして抑圧すると、
自分がネガティブな定義をしている他者に、
醜い投影をすることになるようですね。

性欲も食欲も同じ様なもので、
食べること自体は悪いことではなく、
美しい食べ方と、そうでない食べ方が、あるのだと思います。
比較的、隠しやすいものや偽りやすいものには、
罪悪感が植えつけられやすいと感じます。

そして、エネルギーの現れ方は、自分に対する定義と、
エネルギーが向かう対象に対する定義によって、
現れ方が違ってくるのだと思います。

たとえば、自分も相手も卑しい存在だと思うか、
自分も相手も高貴な存在だと思うかによって、
その現れ方が、異なってくるというような。
自分→相手の関係の定義が、
高高、低低、高低、低高、の場合があるとすると、
高低の場合の、エネルギーの現れ方が、
一番醜くなりそうです。

2016/10/01(土) |URL|Korva [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> むかし、「彼女は朝まで家に帰らなかった」という一文で
発禁処分になった小説があったそうです。
北原白秋も隣家の主婦と浮気して投獄されています

 そうなんですか。作家というのはモテるのですね。でも、あら、白秋が隣家の人妻と恋に落ちて三崎に転居した話、最近知ったという記憶がありますね。エリアンダーさんに教えられた本に書いてあったのか、その関連で調べたのか、ちょっと覚えてませんが、ともあれエリアンダーさんが主たる原因であることに間違いはないようです。(笑)

 「ふしだら」とか「身持ちが悪い」という死語を思い出しましたが、お前はどうなんだと言われれば、その件につきましてはコメントを差し控えさせて・・・。おい、真面目に答えろ、はい。では、ある日、ライ麦畑で・・・って。(笑) この本、途中まで読んで、読む気が続かなかった本ですよ。どうもサリンジャーよりデリンジャーのほうが面白いと思うタワケもんのせいでしょう。

 最初、「いんき」とは漢字かと思ったのですが、調べたら、マジックインキ、オフセットインキ、大日本インキと、今でも使われているのですね。インキはインクの大正・昭和の言い方で、もう死語かと思ってました。
 英語由来が「インク」で、サラサラしたもの。オランダ語由来が「インキ」で、粘度の高いドロドロしたものを言うそうです。この詩は、あまりねっとりしてないので、「いんき」が合っていそうです。

> 詩って短く、凝縮されているから読む人の感性・体験に
より増幅されひどく性的なイメージを受け取る場合がありますね。

 「体験により・・・ひどく」ですか。ふむふむ。なるほど。そうでしょう、そうですか。(笑)

2016/10/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> 朔太郎の、蛇のメタファーは旧約聖書由来かなぁ。
 私は他のメタファーを想像したのですが、なるほど、創世記ですか。そのほうが真面目です。
 エデンの禁断の木の実の話はセックスのことだという説もあり、だからそのあとイチジクの葉で覆ったのだという話になるのですが、しかしそうなら、その前に「生めよ増えよ地に満ちよ」という命令があったことと矛盾します。でも、ある場所に男と女しかいなければ、どうしてもセックスと罪の話に行きつきそうです。

 山口県岩国では白蛇が神様扱いされています。蛇のスーパーヴァージョンが竜。竜は東洋では竜神、西洋では悪魔サタン。聖書では、悪魔は「昔(エデン)からの蛇」と言われています。地域が変われば価値観も変わる例の一つと言えそうです。
 私は蛇が苦手ですね。蛇が大勢いる穴に放り込まれたら、瞬時に己が罪を白状し、絵を踏まずに宗旨替えをします。ラーメン丼に描かれている龍柄模様もちょっと気持ち悪いのですが、それは聖書のせいです。
 
 「言語の埒外にある一匹の蛇」って、青梗菜さんが好きそうな言い回しですね。蛇とは冷血動物ということでの比喩ですかね。検索したら、こんな詩を見つけました。こちらは男には分かりやすい詩ですが、女性には「そのために今ここにいる」という部分がどうなのかと思います。

 朝の女よ いまは香りたかい一椀の茶がほしい
 あなたはそのためにいまここにいる
 あなたは一輪の花であり
 わたしらが生きていることの 
 ただひとつの証しでもあるはずだから

 「かわいい」とは子供の美的感覚感で、それ自体は特に悪くないでしょうが、ゆるキャラが日本中でブームになるような社会とは、まあ、ひどいものだと思います。

2016/10/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 性欲も食欲も同じ様なもので、
食べること自体は悪いことではなく、
美しい食べ方と、そうでない食べ方が、あるのだと思います。

 そうですね。モノ自体、エネルギー自体は中立だが、その取り扱い方の違いで、いい悪いが決まってくる。物事の善悪は人が決めている。それなのに善悪の基準は世界に一つしかないと思い込んでいるせいで、争いが起き、平和が損なわれるのでしょう。宗教や道徳には もろ刃の剣という一面がありますね。生真面目な人は、自分の倫理観をひとに押し付けないようにしないといけません。

> 比較的、隠しやすいものや偽りやすいものには、
罪悪感が植えつけられやすいと感じます。

 これ、面白いですね。人間は罪を犯しやすい生き物だが、罪悪感を抱きやすい存在でもある。人には理性と良心と不安感があるせいでしょうか。ただし罪悪感は度を超すと自分をダメにしますね。反省することはいいのですが。

> 自分→相手の関係の定義が、
高高、低低、高低、低高、の場合があるとすると、
高低の場合の、エネルギーの現れ方が、
一番醜くなりそうです。

 これは上の者が下の者に横暴な態度をとることが多いという意味ですかね。高貴だとか卑しいというのは身分立場や精神志向に関係していますが、上とか下という概念自体は相対的なもので、人が勝手に決めているものです。軍隊の階級制度が一番ひどい実例でしょうが、社会に人間が複数いて、組織があれば必ず上下関係が生じます。私は、偉そうにして他者を見下す尊大な精神というものが大嫌いで、それゆえに迫害までは行かないでも、いじめをされたこともけっこうありましたね。
 男は上で女は下、白人は上で有色人種は下、というような思い込みは、世界に平和や安寧をもたらしません。イギリスやアメリカという大国には、もっと寛大な精神を発揮していってほしいものです。

2016/10/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お~!
僕は「椀」って漢字が大好き。

陶磁器は「碗」で、
金属なら「鋺」になる。
一文字に材質まで表現させる、って、
感動的な漢字です。

2016/10/01(土) |URL|青梗菜 [edit]

おはようございます^^

「愛憐」今の時代では
全然問題ではないみたいですね。(^^)

三四郎の話を読んで
昔を思い出しました。
私も、度胸がないようです(笑)

2016/10/02(日) |URL|坊主おじさん [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> 陶磁器は「碗」で、
金属なら「鋺」になる。

 なるほど。わかりました。青梗菜さんはドンだ。
都議会のドンではなく、
ドンファンのドンでもなく、
ギュードンのドンじゃあなく、
ドンキホーテのドンだ。
イマジネーションがどんどん拡がる夢想型だ。
その証拠に、いつも何か考えている。
どうでもいいようなことを真摯に考えている。(笑)
それにしても「感動的な漢字」という形容はすごい。
天地がひっくり返るほど驚きました。^^)

2016/10/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます^^

坊主おじさん コメントありがとうございます^^)
> 「愛憐」今の時代では
全然問題ではないみたいですね。(^^)

 わずか百年でこうなるのですから、進歩が速い今の時代なら50年後にはどうなるか。考えるだけでも嘆かわしいというか、楽しみだというか、というより生きてないのが残念です。
 昔はいろいろ制約が多かったですね。渋谷を歩いている若い女性の化粧や服装は、昔だったら商売女だと間違えられますよ。ま、そのようなファッションは私は嫌いじゃないですが。

> 三四郎の話を読んで
昔を思い出しました。
私も、度胸がないようです(笑)

 あらら、ということは誘われたということ。ということはモテたということ。でも純情だったのですね。甘酸っぱい青春の思い出があってよかったですね~。(^-^)

2016/10/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

度胸はあります!!

 機会が無いだけです。
 女がなんだ、恋愛がなんだ。モテない自信なら誰より・・・あう。言い寄った女性からは相手にされず、良い寄られた経験は皆無。どう言う訳か女性から敬遠される性分でして、某人曰く、わたくし近づくなオーラを纏っているのだそうな。んな事あるかい。
「今度結婚するんです。」とある女性からそう返事をもらいました。後で知りましたが、その女性、恋人もいなかったそうです。ふっ。天国の門は二人では狭いって?酷い断り文句やないですか。嫌なら嫌とストレートに言わんかい。遠回しに言われるより、まだその方がよっぽど傷・・・つくわぁ。ってか、この頃この手の話題多くないですか。コメント書いてて辛いんですけどぉおぉ。自分、泣いても良いすか?
 

2016/10/02(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 度胸はあります!!

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 度胸はあります!!
 この言い方、STAP細胞はあります! って言った人を思い出しましたよ。彼女はどうしているのでしょう。その後、ドイツの大学研究チームが何かの細胞の増加を確認したらしいのですが。

> 機会が無いだけです。
 え、本当ですか。じつはかなり得意の分野だったりしてませんか。でも、もしそうなら、日常があまりに忙しすぎるか、身近にそういいう機会がないのか、機会を作ろうとする積極性が不足しているかでしょうかね。先ほど、『笑点』を見たら、相変わらず司会の昇太がからかわれていました。独身貴族といって、本当はかなりいい身分なんですけどね。ああ、うらやまし、羨まし。ほんと。^^)。

> 天国の門は二人では狭い
 カトリックはセックスを汚らわしいものと見ているんですね。様々な欲望を抑えて清くなければ天国に入れないと教えているんですが、カトリックを奉じている国々は、プロテスタントの国よりモラルの問題がひどいというのは、おかしな話ですね。

> この頃この手の話題多くないですか。
 ええ、最近10本を調べたら、今回を含めて2本がそうでした。多すぎたでしょうか。私も最近は(も)そちらの方面にはまるで縁がないせいもあるかもしれません。次回の記事はお笑い系で行きますからね~。
 

2016/10/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/10/02(日) || [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 ハードボイルドで、あまり波長の合わない人でしたか。私は文学的な才能がないので、こういう感性の鋭い人を非常に羨ましく思います。だから、たまに朔太郎の詩をとりあげています。

 「ぬりつけてやる」。こういう“いたずら”のような行為を、私は女性にも誰にも一度もしたことがないですが、その心理を想像してみれば、こんなことをしても相手は怒らないだろう、怒らないなら相手は自分を好きなんだろう、こんないたずらができるのも互いに愛し合っているからだ、というように互いの愛情を確かめたい気持ちがあるのじゃないでしょうか。

 Sというのは相手を身体的に加虐して性的快感を味わうということですから、いま野原で「草のみどりをかみしめている」女性とじゃれているときに、その葉っぱの汁のインキを顔にぬりつける行為(いや、「ぬりつけてやる」ですから、実際にはぬりつけてはおらず、そう言ってるだけ)は、ちょっとSの範疇には入らないと思うのですが、どうでしょう。むろん嫌がる相手に無理にしたらSになるでしょうが、私は、映画で土砂降りの雨の中、恋人同士が相手を互いに泥んこの中に押し付けてたわむれている、そんなシーンを思い出します。

 なので、若い恋人同士の特に男の考え方だろうと思ったので、「私としては共感を感じる」と書くのではなく、「男としては共感のようなものを感じる」と微妙な言い回しをしたつもりなんですが、確かに誤解を受けやすい書き方だったようで、反省、反省。

 といっても、私にはこういう経験が全然ないので、イメージが全然わかないのが悲しいです。こういう体験がある人、イマジネーションが広がる人が羨ましいです。(笑)
 いつも繊細な感性のコメントをありがとうございます。^^)

2016/10/03(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こちらにコメ辺書き込みますね。
牛豚羊はよくて鯨はだめって、要するに心が通じそうなものは
倫理的に食っちゃいかん、ということでしょうかね?
愛する豚ちゃんをありがとうありがとうと美味しくいただくシチュエーションや、愛する鶏と知らずに美味しく鳥鍋を食べて、あとで親を恨むシチュエーションが、お笑いやお話しの題材になりますが、
ずっと解決できない問題なんだろうと思います。

セックスですか。
自分以外の人間とあんなことやこんなことができてしまうというのは、
愛か錯覚か間違いでしかありえないですよね。ははは。

2016/10/03(月) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 牛豚羊はよくて鯨はだめって、要するに心が通じそうなものは
倫理的に食っちゃいかん、ということでしょうかね?

 牛羊鳥の肉食は、太古の昔から遊牧の民は慣れていて、特にユダヤ教では神に犠牲として捧げてきたくらいで、彼らにとっては別に悪ではありません。新約聖書に、こう書いてあります。「捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物」(ペテロ第二2:12) 犬を食べるのも、その習慣が昔からあるアジア人には別に気にならないことなんでしょう。
 しかし西洋人は、北欧は別として、鯨という海の生き物は食べるのに慣れてないので、食したらいかんと思い込んでいるのじゃないでしょうか。

 要は自分たちの文化や習慣にそぐわないものは、異常だと感じて拒絶する精神。たとえば大きな教団が小さな異端を迫害するのも、あるいは大衆が個性ある芸能人や文化人を嫌うのも、要は自分と自分の自分の近辺にいる人と同種かどうかが一番気になるからじゃないですか。
 そうして考えてみると、人間の心の奥底には連綿と続く“不安”という恐怖心があって、その不安なり恐れを無意識に排除したいゆえに、それが鯨の排撃運動につながっているのではないかという気がします。

> 自分以外の人間とあんなことやこんなことができてしまうというのは、
愛か錯覚か間違いでしかありえないですよね。ははは。

 あー、またまた、笑いにごまかしつつ、うまい言い方をしますね。
 人はよく世間の常識という正義感を持ち出して正邪善悪を決めたがりますが、その常識は常に絶対の真理ではない。場所により、時代により、人により、みな違っているし、また違ってきた。いい悪いという概念は、人が善意的に、あるいは意図的・恣意的に考え出したものだろう。むしろ、自分の好きな考えを、人は正しい常識であると思っている場合が多いと思います。

 私は『神との対話』という本を知ってから、意識がかなり変わりました。なので、自分と自分に関係する当事者が、別に不快でもなく嫌でもなく互いに傷つけることもなく、他の人に害悪を及ぼすこともないようなことをしている場合、他者はそれを非難すべきではないという意見に同意しますね。私はこういうことにはウトいので、以上は一般論でした。(^-^;

2016/10/03(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おお アオカン

四畳半の連れ込み宿とは違い、淫靡な感じはしませんね。
人間の野生って感じかしら。
言葉が正直な感じがしました。

2016/10/04(火) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: おお アオカン

しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)
> 四畳半の連れ込み宿とは違い、淫靡な感じはしませんね。
 そうですね。四畳半と言えばトキワ荘を思い出します。
 永井荷風の小説『四畳半襖の下張』は読んだことがないですが、編集長の野坂昭如が訴えられ、最高裁までの裁判になり、丸谷才一、吉行淳之介、開高健など、そうそうたる顔ぶれが弁護したことは知っています。これは今から3、40年ほど前の話。そんな最近でも、倫理観は今とはだいぶ違っていたのですね。
 ということは大正期の朔太郎の時代に発禁にされたのも無理はないですかね。そんなにいわゆる普通人の正常な性的羞恥心を害するようなものではないと思うのですが。

> 人間の野生って感じかしら。
言葉が正直な感じがしました。

 そうですか。小説家らしい感想ですね。私は文学はよく分かりませんが、この詩は言葉がよく選ばれていて、比喩もうまく使われていると思いました。冒頭の「きつと可愛い歯で」の「きっと」だって、みずみずしい生の臨場感があって、うまい入り方だと思います。

2016/10/04(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

洋は清らかで和は濁っている、
なんとなくわかる気がします。
石造りの教会の高いドーム型の天井にこだまするヴァイオリン、
天から降り注ぐような歌声、
それはもう清らかでキラキラしていますもの。
義太夫を友だちに説明する時、べべん!とやってどあっ!と語る、と言ったら、
え〜そんの哀しくな〜い、と言われました。おほほほほ、これは発見だ。
ブログネタにしようっと。

2016/10/06(木) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 洋は清らかで和は濁っている、
なんとなくわかる気がします。

 歌舞伎座に何度か行ったことがあります。三味線がずらりと並んでいて、素人耳には一本調子に聴こえる仕方で、みんな同じ音を同じ調子でベベベンと弾いていました。ヴァイオリンの超絶技巧と比べたら、弾き方も音色も邦楽はまるで別世界の音楽のようです。
 しかし洋楽はまず基本は楽譜通りに演奏するものでしょうが、邦楽は間とか調子とか呼吸とか、微妙な、得も言えぬものがあるのでしょう。苔むした古い岩を見て、わびとかさびと思う精神と通じるものがありそうに思えますが。

 インテリア雑貨も新品のテカテカ状態が嫌な人がいますね。白い家具ならペイントを剥がして汚してシャビーシック仕上げにしたり、木の家具なら傷があって使い込まれたアンティーク風にしたり。私もそういう仕上げのほうが好きですが、そんな感覚と似たようなものかなあ。まあ、「濁」とは、別に汚いというわけではなく、また別の次元の世界ということなんでしょう。これを、“いい濁々”と言う。(笑)

> おほほほほ、これは発見だ。
ブログネタにしようっと。

 あ、それは良かった。その注解を楽しみにしましょう。それにつけても「おほほほほ」は清音に聴こえますね。でも「はははは」はちょっと濁音系に聴こえます。面白いものです。

2016/10/06(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あからさまにしないで
見え隠れするその微妙なところが
いいかなあと思います。

私は永井荷風の小説はかなり読み込んでいます。
なんとなく本質が見えるようで。
戦前に憧れます。
社会が封建的だからこそ
その中でうごめくキビがいいなあと。

2016/10/08(土) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> あからさまにしないで
見え隠れするその微妙なところが
いいかなあと思います。

 なるほど。森須さんらしいですね。奥ゆかしさを良いとする感覚があります。これ、大人の感覚で、大事ですね。

> 私は永井荷風の小説はかなり読み込んでいます。
 あらー、荷風を読み込んだって、すごい。元々、文学少女なんですね。私は高校生の頃、学校の図書室にある文学の棚で名作と呼ばれる本はほとんど読みましたが、荷風は全然。その後も一度も読んでないですよ。

> 社会が封建的だからこそ
その中でうごめくキビがいいなあと。

 制約と制限の中で蠢く人情の機微。荷風はそういう世界なんですか。でも、あら、いま現在の森須さんの暮らしがそんな感じに近くないですかね。
 年上の知人が、荷風に優る作家はいないと言ってましたが、たぶん私にはその良さが分からないような気が、読んでないのに、しますね~。(笑)

2016/10/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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