「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 川端康成『雪国』の“国境”の読みと英訳の違い。 

日本語は味わいあり含蓄あり余韻あり。

「あのブロンド、AMラジオを買ったんだってな」
「ああ、午後も使えるって気付くまで1か月かかったらしい」
 (笑えるまで数秒かかるアメリカンジョークです)

昨今は英語表記が増え、あちこちが愚ろう、いや、グローバル化しています。
英文字は見た目がおしゃれっぽく、こればかりは日本語はかないません。
PCで文字入力をするときは、文字数26だけで変換不要の英語が羨ましくなります。

ですが、日本語は素晴らしい言葉です。日本語には、英語を上回る良さがあります。
それは含蓄や余韻があり、微妙な感情や意志の伝達ができるということです。

eotte01.jpg
(Free picture/pixabay)

誰でも冒頭のフレーズを知っている小説の一つに、川端康成の『雪国』があります。
英訳とどう違うのか、「国境」とはどう読むのか、が今回の話です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
サイデンステッカーは『雪国』を“Snow Country”と訳した。
川端康成が「私のノーベル賞の半分はサイデンステッカー教授のものだ」と言ったほどの
名訳で、実際に川端は賞金の半分を渡している。教授は日本贔屓で東京・湯島に住んだ。

《原文》

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。


《英訳》
The train came out of the long tunnel into the snow country.
この列車は長いトンネルから雪国の中へ出た。


《原文と英訳の違い》
●原文は主語が無いが、主人公は人間(と列車)だと分かる。だが英訳では列車が主語。
(ゆえに原文は主人公の感情が表れているが、英訳は無機質な記述になっている)

●原文では「国境の」と書いてあるが、英訳ではその部分がばっさり省略されている。
(国境を越えたというのは、物理的にも比喩的にもかなりの意味がありそうなのだが)

●原文は列車内の主人公の視点だが、英訳では第三者が列車外から見ている。
(以前、NHK教育テレビが実験で、英訳文を英語の話者に示して絵を描いてもらったら、
車窓から見た風景ではなく、上空からの視点で鳥瞰図のような絵を描いたそうだ)

●原文は、トンネルを出たら雪国だったという気づきがあるが、英訳では感じられない。
(これが大きな違い。列車がトンネルから出たときに、車窓からの眺めが真っ白な世界
に一変した、さあ、いよいよ雪国に来たぞ、といった主人公の思いが英訳には無い)

《中国語訳:叶渭渠による》
穿過県界長長的隧道,便是雪國。

(意味は原文と同じ。「便」とは副詞で、是は雪国だと強調するために使われているようだ)

ayuki10.jpg

微妙にニュアンスの違う英訳本が外国で読まれ、ノーベル賞が授与されたのですね。
日本語は曖昧だと批判する人がいますが、大抵は文脈や洞察力で理解できますし、
むしろ曖昧さの中に、言外の意味まで込めることができ、深みや味わいがあるのです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「国境」は、コッキョウと読むのか、クニザカイと読むのか。
「国境の長いトンネル」とは全長約10kmの清水トンネル。1931(昭和6)年の開通により、
新潟上野間が路線距離で98km短縮。著者はこの線で湯沢に行き、小説の着想を得た。

《クニザカイと読む派の意見》

●コッキョウとは国と国の境を言い、ロシアと中国といった主権国家の境界線のこと。
●「国境」とは近世に至るまで、かつての令制国である上野国(群馬県)と越後国(新潟県)
の境という意味であり、伝統的にクニザカイと読むのが正しい。これは教養である。※1
●テレビ『笑点』で前司会者の桂歌丸と回答者の林家木久扇が、クニザカイと読んだ。

《コッキョウと読む派の意見》
●現在でも「上越国境」という言い方があり、ジョウエツ・コッキョウと読むのが一般的。
●川端自身もコッキョウと読むことを認める発言をしていた。※2
●非常に美意識の高い川端康成が、肝心な冒頭の一語に濁音を入れるはずがない。

私はコッキョウが好き。国境の(五文字)長いトンネル(七文字)と続き、語調がいいから。
学者は学問的なことは気になっても、文章のリズム感は気にしてないのでしょうか。

ayuki4.jpg

というわけで、日本語は言葉と構造に含蓄や余韻など微妙なニュアンスが込めやすく、
漢字の音読みと訓読み(や大和言葉と)の違いにも、また味わいがあるのですね。

まっ、日本の言葉も捨てたもんじゃござんせんね~、という話でありました。
日本人の繊細な感覚と感性。もっと自信と誇りを持ちたいものですね。

補――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:日本国語大辞典(初版)の「こっきょう」の項に用例として『雪国』が掲載されていたが、
第2版(2000年11月)では『雪国』の用例が削除され、他の用例と入れ替えられた。
―――http://www.nichigai.co.jp/yomikata/column/
※2:当時の研究者が川端康成本人に問い合わせたら、「読み方までは考えていなかった。
コッキョーでいいのでないの」と答えたらしい。―――高島俊男『お言葉ですが』第9巻。
また、NHKの番組で『雪国』が朗読された際に、コッキョウと読まれたが、出演していた
川端は異議を唱えていない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(y^ω^)yAMラジオ!!

(y^ω^)y 2秒かかってかなり笑いました~☆

2016/09/03(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

言葉の意味

バーソ様
おはよう御座います。

日本語には言い回しによって意味が違ってくることもありますね。
そして欧米にはないような感じもありますが本当なのでしょうか。
私は語学がわかりませんが知り合いで語学に強い人がいます。
その人曰く、英語であっても教養のある人と教養のない人では違うというのです。
車でもcar、motor、automobile、. vehicleと使い分けて同じ会話や文章のなかでも同じ単語を繰り返し使わないように注意していると聞きました。
欧米人も同じ人間なのですから深い味わいとか理解しているのではないでしょうか。
日本人でも難解なワビサビを理解している人もいます。
もし違っているとしたら国情とか生活環境がそうさせているのではないかと思っています。
雪国の「国」は幕藩体制のなごりであって日本人でも違和感がある人がいると思います。

愛新覚羅


2016/09/03(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます。

漢字には一つ一つ意味があるみたいですね。

例えば『塩』という漢字は人が口にし血となる土と書くので、いい塩はそのままいい血を作ります。

そもそも塩なんて安いので出来る限り良い塩に変えることはそのまま健康に寄与します。

2016/09/03(土) |URL|通りすがり [edit]

Re: (y^ω^)yAMラジオ!!

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
2秒で分かりましたか。優秀ですね~。(笑)
追加でこんなのも。
「自販機で『午後の紅茶』買って悩んだ人の話、知ってるか」
「午前中でも飲めるってわかるまで一か月かかったんだろ」

「チョコレートサンデーって日曜しか食べては(以下、省略)」

「金曜日はワインの日って・・・・・(以下、省略)」

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

かつて圧倒された『書き出し』

川端作品中、『雪国』の冒頭の一行こそが文学だと、
若い頃に何度も、そこをピンポイントで読み返しました。

・国境を超えると、辺り一面……でもダメ
・国境を超えると、風景は一変…でもダサい。
国境を省略して
・トンネルを抜けると……だと、
遠路の旅感が伝わらないし……。

英訳の『この列車は長いトンネルから雪国の中へ…』は、
比較すると、ちょっと大人びた子供の作文に思えるほど……。

>日本語は言葉と構造に含蓄や余韻など微妙なニュアンスが込めやすく……。

そう思うと、洋書翻訳家の感受性やセンスって重要ですよねぇ。
読者の心に残るか否か、作家そのものの評価(イメージ)が、
その肩にかかっているのですから‥‥。

2016/09/03(土) |URL|風子 [edit]

Re: 言葉の意味

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 英語であっても教養のある人と教養のない人では違うというのです。
 そうみたいですね。英語にも敬語的な言い方があるそうで、映画の『マイフェアレディ』では下町生まれの娘(ヘプバーン)が下品な言葉遣いをするので、ずいぶん矯正されます。

 英語はゲルマン語をベースにしていますが、外来語を取り入れて英語化しています。あるレベル以上の語彙では半分以上がフランス語とラテン語だそうです。日本語でも、見る、観る、診る、視る、看ると使い分けますが、英語でもsee、look、watchの他に、stare、gaze、peer、glimpse、glareと、いろいろあります。viewはフランス語起源だったような気がします。
 英語は、肉も食べるときに名前が変わります。牛はcow→beef(veal子牛肉)、豚はpig→pork、羊はsheep→mutteon。これも面白いですね。牧羊民族らしさが表れています。

 日本語でcarのことを書くときも、車、クルマ、自動車、自走式車両、四輪車、乗用車、輪っぱ・・・と、いろいろあり、私はクルマと書く場合が多いですね。

> 雪国の「国」は幕藩体制のなごりであって日本人でも違和感がある人がいると思います。
 ああそうですか。そんなふうに思ったことがないですが、語感というのは人によって違うのですね。面白いものです。Wikipediaの「国」の項ををちょっと見たら、“古く中国史書『漢書』にあらわれる奴国(なこく)などがある。「くに」は元来自然の国土をさすことばであった”とありましたが、いろいろ幅広い意味があるようですね。
 最近、気になるのは「築地市場」で、シジョウではなくイチバと読むほうがいいのではないかと感じます。でも、それでいいらしいのですが。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
> 例えば『塩』という漢字は人が口にし血となる土と書くので、いい塩はそのままいい血を作ります。
 なるほど。そうですか。健康にも気を付けているようですね。金八先生の「人という字は人と人が支え合って出来ている」という話を思い出しました。

 そうなら、砂糖の糖は、唐から来たコメを原料とするものだから、中国製は気を付けたほうがいい、なんて話も出来そうですね。(笑)
 もしよかったら、こんな話もありますが。
 http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-249.html

 塩は、昔は食卓塩といって、グラニュー糖みたいにサラサラしているものが多用されました。その後、精製塩に変わりましたが、あれは塩化ナトリウムが99%の化学物質だそうなので、天然の塩と称している塩を買うようになりました。それにしてもスーパーで売っている“赤穂のなんとか”というような名の天然塩は、手間暇を考えると安すぎるような気がしてちょっと気になっています。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: かつて圧倒された『書き出し』

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 若い頃に何度も、そこをピンポイントで読み返しました。
・国境を超えると、辺り一面……でもダメ
・国境を超えると、風景は一変…でもダサい。
国境を省略して
・トンネルを抜けると……だと、
遠路の旅感が伝わらないし……。

 おお、この話もなかなかすごい。こんなことまで考える青春時代だったのですか。脳の容積と表面のシワがだいぶ多そうですね。私には、かないません。

 じつは本文で「真っ白な世界に一変した」と書いた部分、私も「辺り一面」の言い方を思いついて、最初「辺り一面 白い世界になった」と書いてみたのですが、「あたり いち おもしろいせかい」となるのでやめたのです。ずいぶんレベルが違う話ですが。

> 洋書翻訳家の感受性やセンスって重要ですよねぇ。
読者の心に残るか否か、作家そのものの評価(イメージ)が、
その肩にかかっているのですから‥‥。

 ほんとうにそうですね。私は若いころ、翻訳物が嫌いだった理由は訳が下手で硬直だったせいですが、その後ずいぶんうまくなって、こなれてきていると思います。
 英詩は原文と和訳と両方を見ながら読むほうがいいですね。そうでないとリズムがあることや韻を踏んでいることなども分かりません。

 ですが上田敏は別。日本語訳のほうが原詞よりもいいように感じます。
 聖書も明治にできた文語訳のほうが格調高く感じますが、しかしイエスは当時、田舎言葉のガリラヤ弁を話したはずですから、山浦玄嗣さんが宮城県気仙沼地方の言葉で訳した『ガリラヤのイシュー日本語訳新約聖書四福音書』もなかなか面白いですよ。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

読み手の出来事かな。
僕たちは、ふだんは、
対面コミュニケーションに最適化された日本語を使います。
声に出したときに分かりやすい単語を選びます。
今から、本を読む、
物語に入って行く。
そのとき、テキストコミュニケーションに最適化された日本語に、
シフトするわけですが、
ふんわり移るか、きっちり切り替えるか。
くにざかい、と読んだ人がいて、
もし、くにざかい、という音節が、
当時の話し言葉として多用されていたなら、
読み手はふんわり入る選択をしたわけです。

2016/09/03(土) |URL|青梗菜 [edit]

おはようございます。

外国語は、不得意なので・・・。
話がずれますが、職場でも横文字が専門職らしいと思っているのか、やたら使います。

固有名詞化もあるのでしょうが、なるべく日本語を使用したいと思います。

医療の現場でもやたら使いますね。
しかも短縮がよろしいようで。
効率的に表記できるメリットはありますが。

看護師:NS
保健師:PHN
理学療法士:PT
作業療法士:OT

科学的根拠:エビデンス(海老ダンスかと思いました)

日本語だと、堅いイメージになりやすいのでしょうか?
まあ、横文字に酔っているのかも知れません。


今時の子どもの名前も横文字に、漢字をあてていますよね。

日本語もまともに使えない私が言うな~ですが・・・。

2016/09/03(土) |URL|Miyu [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> 対面コミュニケーションに最適化された日本語を使います。
声に出したときに分かりやすい単語を選びます。

 ふむふむ。そうであるべきなのでしょう。だから青梗菜さんは、自分のブログ記事と誰かへのコメントでは文体がはっきりと異なることが多いのですね。
 記事、いや、テクストですか、は堅い高尚な哲学的抽象難解不明用語のオンパレ。(笑) コメントでは気安い仲間言葉、と区別しているようです。ただ、いずれも言葉の選択がうまくて感心していますが。

> もし、くにざかい、という音節が、
当時の話し言葉として多用されていたなら、
読み手はふんわり入る選択をしたわけです。

 なるほど。その読み方が当時の話し言葉として多用されていて通常であるなら、「くにざかい」と読むのは自然であるということですか。そうなら『笑点』の桂歌丸がそう読んだのもうなずけます。江戸っ子の永六輔さんもそう読むべきだと怒っていたそうで、高齢者ほど、知識人ほど、日本語が好きな人ほど、そのように読みそうです。

 あるいは“ふんわり入る”とは学術的に読むのではなく、その物語の中に入り込んで、登場人物やその情景を天から客観的に眺めているような立場に気分的になることである、とも考えられそうです。どうも書物を楽しみたいなら、この素直な読み方のほうがずっと良さそうです。いろいろ参考資料を読んだりすると、つい分析的になり、それはそれで面白いのですが、本来の“正しい”読み方が出来ないような気もしますね。これは絵画の鑑賞でも言えることなのかもしれませんが。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
> 職場でも横文字が専門職らしいと思っているのか、やたら使います。
 ほんと。“やたら”使い過ぎです。アジェンダという言葉を聞いた時には、唖然だという心持になりました。アジェンダといえば渡辺喜美。以前、彼に東京駅で一度すれ違ったことがあり、数秒ほど目が合ったことがあります。あの頃は自信に満ちた顔をしてましたが。

 英語コンプレックスは舶来コンプレックスと同義。日本人は西欧人に対して劣等感を感じ過ぎです。彼らの公共道徳心を見てごらんなさい、自販機なんかすぐ本体ごと盗まれるらしいですから、と言いたくなります。酒に酔っても横文字には酔うな、ってなもんですね。(笑)

> 医療の現場でもやたら使いますね。
 あ、これはやむを得ないというか、そのほうが便利だということもありそうです。MRIを日本語で言うより、英語の略語で言うほうが、いったん覚えてしまえば、ずっと簡単ですから。私はMRIもCTスキャンも経験がありますが、以前は区別がつかなかったですよ。

 埼玉県の川口に行くと倉庫街があって、そこに建ち並ぶビルの看板に、何々ホールディングスと表示してあるのが目立ちます。セブン&アイ・ホールディングスというのも、これは何なんだと思いますが、元はイトーヨーカ堂の日本の会社なんですね。他に言いようがないのでしょうか。大きなお世話ですが。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

さいでんすか? サイデンステッカーには「国境」が抜けてる?
雪国の「国境」の語感には今住んでる世界を超えて別の
非日常的な世界に行くというワクワク感が感じられます。
英語の「国境」は国と国の境という意味が日本語よりも
強くて使いにくかったのかもしれません。
日本語は繊細で美しいです。たゆたう、たおやか、しなやか、
うたかた、きらめき・・・・。
駒子の下痢の場面がどう訳されているのかと思ってテキストを
見ても出ていない。そりゃあ出てないわけですよ。
駒子じゃなく雪子だし、下痢の小説は「雪国」でさえない、
「細雪」なんですから(笑)。ひどい記憶違いです。

2016/09/03(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 雪国の「国境」の語感には今住んでる世界を超えて別の
非日常的な世界に行くというワクワク感が感じられます。

 おお、そうですか。さすがです。

> 英語の「国境」は国と国の境という意味が日本語よりも
強くて使いにくかったのかもしれません。

 なるほど。そうですか。英語に強いエリアンダーさんらしいコメントです。“South of the border, down Mexico way.”と歌うジャズを思い出しますが、境界を区切るのは棒だーということで、境目がはっきりしているのでしょうか。(笑)

 サイデンさんは訳を40年後に変更しています。
●原文
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

●最初の翻訳(1956年)
 The train came out of the long border tunnel - and there was the snow country. The night had turned white.

●二度目の翻訳(1996年)
 The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.

 最初のはほぼ直訳で、whiteとnightが韻を踏んでいることが分かりやすいのですが、二度目のほうはどうでしょう。前半はborderが抜けて簡潔になり、後半は説明的で分かりやすくなっているようですが、でも原文の「夜の底が白くなった」には敵わないような気もするのですが。

> 日本語は繊細で美しいです。たゆたう、たおやか、しなやか、
うたかた、きらめき・・・・。

 なるほど。やまとことばは見た目もきれいです。田中康夫なんて名を思い出しましたが、“たおやか”でしたかね。この言葉が山梨県の役人からけっこう馬鹿にされていたような気がします。

 それにしても、まあ、駒子は『細雪』とすぐ思い出せるのもたいしたものですね。映画は岩下志麻でしたか、ポスターでしか知りませんが。
 で、『雪国』の岸恵子の駒子と、どちらが好みか。エリアンダーさんは岩下志麻のほうじゃないですか。

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

細かいニュアンス

 日本語自慢にありがちな罠。日本語は細かいニュアンスが表現できるという奴。わたくし、これには大いに反論が有ります。日本人にとっての表現のし方が海外で通じないのは判ります。ですが、逆に海外の表現を日本人は細かいニュアンスを含めて正確に伝えているのでしょうか。そもそもニュアンスと言う言葉自体、日本語では一言で言い表せないのです。果たして日本語が外国言葉を必ずしも正確に言い表しているとは思えんのですなあ。私達が訳文を通じて得ているイメージと同じものを海外の人達が共有しているのか。雪国に限らず、翻訳文については翻訳家の感性次第の様な気もします。他の翻訳家なら別の約し方をしたかもしれません。それが彼等の感性で受け取った場合、良い文章と判断されるかもまた判らない。これは永遠に判断できない事なのではないでしょうかね。
 コッキョウとクニザカイ、これは面白い視点ですね。わたくしもコッキョウ派ですが、しかしそれ以外を考えて見た事も無かっただけで、クニザカイと言われて目から鱗です。わたくしも長髪・・・チョウハツとナガカミで使い分けたりしています。同じ言葉でも読み方で全く違うイメージを与えるものですが、それは海外の言葉には無いものなのかもしれません。音訓がある日本語の強みだと思います。

PS:最初の小話、おっぱいの大きなブロンド女性は馬鹿であると言うステレオタイプが解らないと笑えないかもしれませんね。

2016/09/03(土) |URL|miss.key [edit]

Re: 細かいニュアンス

|miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 日本語自慢にありがちな罠。日本語は細かいニュアンスが表現できるという奴。わたくし、これには大いに反論が有ります。
 ああー、怖れていたコメントがやはりmiss.keyさんから来てしまった。私はこういうコメントが来るのではないか、とじつは今日の朝からビクビクしていたのです。
 こういう、人の気も知らない、はた迷惑な真っ当論は困るじゃありませんか。こんなもことを言われたら、欠陥が多々ある拙なるブログ記事は成り立ちません。はい。ここはなんとか英語より日本語のほうが味わいがあるということに、いえ、日本語にコンプレックスを持ってはいけないという話であることに、一応わたくしめの顔を立てて、させていただけないでしょうかね。(^_-)

 昨今の世の中は、ですよ。横文字がやたらめったらに氾濫していて、交番にはKOBAN(コバンですよ、コーバンじゃあなく)で、パトカーにはPOLICEと表示されています。なんですか。ここは日本ですよ。まず日本語を書いて、その下に小さく英語を書くなら許しますが、役所の広報にも横文字が氾濫してますね。こういう風潮はじつにけしからんと思っているのですよ。
 明治の頃は欧米に追い付け追い付けで外国に必死に学ぼうとした。あ、ドイツへの留学生が意外に多かったらしいですが、それは当時はいいですよ。でもね、いつまでも舶来コンプレックスを持っているのはおかしい。なんでもかんでも横文字がいいと思う思考はやめたほうがいいと思いますね。
 だいぶ以前、墨田区の広報の仕事をちょっとしたことがあります。そのとき知ったのですが、墨田区は下町で、江戸時代からの職人工芸の文化を大事にするプロジェクトだか仕組みを作ろうというので、その発想はいいのですが、その名称を何とかマイスターとするなんて話がありました(その後はどうなったか知りませんが)。なんでドイツの職人に対して日本の職人がコンプレックスを抱かないといけないのか、非常に遺憾に思いましたね。

 とまあ、そのようなわけで、俳句は英語じゃできないだろうと思うのですが、それはさておき、ここは文章の大家のお説ごもっともなれど、ちと目を瞑っていただきたく、以上よろしくご配慮のほど伏してお願いする次第であります。<m(__)m>

 なお、私は茶髪が好きなほうなので、ブロンドも大好きです。若いころのモンローはいいですね。多少オロかしくても、性格がかわいければ、もうそれで十分です。不満は全然ありません。(笑)

2016/09/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

アメリカン・ジョークは結構好きで、
最近の日本のお笑い芸人よりは、かなり面白く感じます。
昔、TV で、デーブ・スペクターがジョークを言って、
日本のお笑い芸人が、それをつまらないと言って貶す場面が良くありました。
当時は、外人が自分より面白いことを言うので、嫉妬して貶しているのだと感じましたが、
もしかして、日本人の感性だと、本当に面白くないのかもしれないなと、最近思います。

日本語が英語よりも情感の表現に優れていると感じるのは、
地方の人が、標準語が無味乾燥で冷たく感じるのと似た現象だと思います。
自分の経験や思考や生活や五感に結びついた言葉と、
単に知識に基づいた言葉から受ける印象の違いだと思います。
とは言っても、日本語自体が美しく素晴らしい言葉だと言うことは、
全く否定はしませんが。

見た目の美しさには、ある程度の統一感が必要ですね。
日本語は、表記が自由すぎて、少しごちゃごちゃしていていますね。
日本の町並みにも同じことが言えそうです。

2016/09/04(日) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 当時は、外人が自分より面白いことを言うので、嫉妬して貶しているのだと感じましたが、
もしかして、日本人の感性だと、本当に面白くないのかもしれないなと、最近思います。

 そうですね。関西のお笑いは表情とか仕草で笑わせようとし、東京は話の内容や話術で笑わせようとし、欧米では思考の意外性で笑わせるものが多いように感じます。私は、関西の吉本だとか、ワイルドだぜ~とか、ラッスンゴレライとか言うお笑い芸人は、面白いと思ったことがないですね。

> 日本語が英語よりも情感の表現に優れていると感じるのは、
地方の人が、標準語が無味乾燥で冷たく感じるのと似た現象だと思います。
自分の経験や思考や生活や五感に結びついた言葉と、
単に知識に基づいた言葉から受ける印象の違いだと思います。

 なるほど。言葉というのは辞書に出ている幾つかの定義だけじゃなく、いろいろとその言葉にまつわる出来事や自分が抱いているイメージも付随しているものですから、まったくその通りなんでしょう。
 「芸術(art)は長く、人生は短し」のartも、言われた当時の中世英語では技巧とか技術といった意味で、“なかなか熟練することは難しいのに、人生は短い”という意味ですからね。

 私は、じつは日本語は面倒な言葉だと思っているのです。まず文字入力がしにくいこと。これに尽きます。親指シフトキーボードが廃れたのが残念です。
 ほかにも、漢字には様々な読みがあり(“生”という字は記事にしたことがありますが、40以上もあります)、それにひらがな、カタカナ、外来語の横文字が加わり、何段活用かの変化があり、同音異義語があり、敬語丁寧語の多さなどですが、ただ、これらを不便と見るか、細やかさや豊かさと見るかは意見が分かれそうです。
 といって英語が一番便利かというと、そうではなく、単に英米の力が強いために広く普及しているだけに過ぎないでしょう。発音記号があること自体、読み方のルールが定まってない証拠です。ただアルファベット26字だけというのは羨ましいですね。

 昔、日本語をローマ字にしようという運動があったようですが、とんでもないことです。日本人は、こんな複雑そうに見える日本語でも難なく使いこなしていて、しかも世界の中では識字率が非常に高い民族なのですから、もっと自分たちの頭脳や感性に自信を持ってもいいと思いますね。というようなことを今回は言いたかったのですが。

2016/09/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

お久しぶりです。

私は高校時代より何の疑いもなく「コッキョウ」と読んでいます。五七調で始まったんだと思います。

拙ブログでもこのことについて取り上げたことがあります。
私は「雪国」のサイデンステッカー訳について「日本語は敬語があって主語がない、『地上の視点』の日本文化論」(金谷武洋、2010年9月、光文社刊)で知りました。私はこの本を2010年末頃に読んだはずです。ところがさらに15年ほど前に、NHK教育テレビの特集「シリーズ日本語」でも雪国冒頭の部分を取り上げていたそうです。

この英語訳から思い浮かぶ情景を英語話者に絵に描かせたら、何度やっても汽車の中からの情景を描いた人は皆無で、全員が上方から見下ろしたアングルでトンネルを描いたそうです。あ、これはバーソさんも書いていらっしゃいましたね。筆者は言語学者ですが、サイデンステッカーさんが悪いのではなくて、言葉が変われば視点が変わるのだそうです。話者が世界を支配するかのように見下ろす現代英語のせいだそうです。

>日本人の繊細な感覚と感性
もう寝なきゃなりませんので、私めのウンチク披露、一件だけ。
ッべタナ・クリステワ「心づくしの日本語ーー和歌でよむ古代の思想」(ちくま新書)。外国人から見た日本語、心ですね。

2016/09/05(月) |URL|花渡川 淳 [edit]

Re: こんばんは

花渡川 淳さん コメントありがとうございます^^)
> 私は高校時代より何の疑いもなく「コッキョウ」と読んでいます。五七調で始まったんだと思います。
 私もそうでした。テンポよく読める文章は大抵、五七調がベースにあると思います。漱石の『坊ちゃん』の文章なんか、無声映画の弁士が調子よく語っているように感じます。

> 拙ブログでもこのことについて取り上げたことがあります。
 そうですか。幾つかのキーワードで検索を掛けてみたのですが、ちょっと見つかりませんでした。でも最初の頃は文学や歌、幸せ、世間のことなど話題が多彩だったのですね。ランキングに参加したら訪問者が5倍増になったのですか。途中から政治話題が増えてきたようですね。

> 言葉が変われば視点が変わるのだそうです。話者が世界を支配するかのように見下ろす現代英語のせいだそうです。
 小説は書こうと思ったこともないので「地の文」については意識したことがないのですが、情景描写や心理描写、説明文などは、誰が何語で書いても客観的な視点で同じだと思っていました。
 でも、“世界を支配するかのような”という言い方は興味深いですね。日本人は宗教観が雑多な日本教だと山本七平が言ってましたが、彼らのほうは日常にキリスト教の考え方が無意識に反映されているということでしょうか。

 日本語は外来のものを吸収(借用)して出来ています。かな文字も漢字が基です。極東の島国が世界の先進国になれたのも―――古くは遣隋使や遣唐使、また明治維新後などを思い出しますが―――この吸収(模倣)力の強さ、すなわち勉学欲と向上心に加えて謙虚さという“心”が日本人の伝統にあるゆえもあるのでしょうか。九州は吸収力が強そうですね。(笑)

 経済的に向上しようとする意欲は近隣の国々にもあるようですが、文化・倫理など精神面でも向上しようという意識については、日本人は素晴らしいものを持っていると感じます。
 教えていただいた本、さっそく図書館に予約しました。

2016/09/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/09/05(月) || [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 国境をコッキョウと読むと身が引き締まりますか。その感覚は面白い。語感が鋭いようですね。
 言われてみるとクニザカイでは、なんだか足袋を履き、テクテク歩いて峠を越えるようなイメージがあります。
 当時できたばかりの清水トンネルはけっこう長さがあるので、機関車じゃなくて電気機関車で走ったそうで、そういう意味でもコッキョウと読むと、新しい国に行ったという雰囲気が出ますね。

 この英訳でノーベル賞はちょっと問題ですか。そうですか、sさんは、英語にはちっとはうるさいのだぞ、と言いたそうですね。(笑) だいぶ海外にも行かれましたか。

 敗戦したとき、って? え、えッ?(笑)

2016/09/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あまり考えないで「コッキョウ」と読んでいましたが
「クニザカイ」とも考えられるのですよねえ。

英訳にすると、ぜんぜん違うような感じがします。
英語は主語が必要ですものね。
日本語は主語を省いてもニュアンスがわかる。

訳するのは難しいことですね。

この小説は芸者さんが登場するから
なおいっそうの日本的な雰囲気が
外国の人にもうけたのでしょうか。

川端康成は訳者に賞金の半分を渡しているというのがすごいなあ。
敬意を表したということですね。

2016/09/06(火) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
>
英訳にすると、ぜんぜん違うような感じがします。

 そうですか。森須さんは英語が堪能なんでしょう。
 たぶん逆に、外国人から見たら英語の日本語訳はおかしく感じるのでしょう。

 ノーベル賞の受賞理由は「日本人の心の精髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため」だそうなので、やはり日本人の感覚が外国人にも多少なりとも理解されたのでしょうか。
 「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「古都」「眠れる美女」などが英訳されているので、それらの書を書いたことが総合評価されたようです。だとしたらクニザカイでもいいような気がしてきました。(笑)
 スウェーデン・アカデミーの受賞記念講演では、サイデンステッカーが道津通訳をしたそうですよ。

2016/09/06(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

《原文》
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
《英訳》
The train came out of the long tunnel into the snow country.
この列車は長いトンネルから雪国の中へ出た。




サイデンステッカー教授の英訳ではこうなっているんですね。(はじめて知りました;;)

韓国語ではどうなっているか、調べてアップしたいと思います。


で、日本語のこうした考察、好きですね。
ぼかした表現というか、曖昧表現というか、
日本語の特徴してよく言われることですが、
それだからこそ(バーソさんの言われるように)、
日本語には、奥行きの深さ、膨らみみたいなものが醸し出されるわけですよね。
たとえば「どうも」ひとつ取ってみても、すごいですよね。
「どうも」一つで、いくらくらいの使い方があるでしょうか。
NHKのマスコット、「どうも」君まで入れたら
「どうも」の用法は無数(?)かな。なんちゃって。

似ている発音で「どうぞ」ってのもあります。
「どうぞ」と「どうも」。
日本語の知られざる大横綱だとわたしは思っています。
これら二つは、
韓国語で言うことのできないケースが大部分です。

2016/09/09(金) |URL|天安 [edit]

Re: タイトルなし

天安さん コメントありがとうございます^^)
> 韓国語ではどうなっているか、調べてアップしたいと思います。
 おお、そうですか、楽しみです。「雪国」の本の画像を検索していたとき、韓国語の本もあったような気がします。

 「ぼかした表現」とか「曖昧表現」というと、くっきりした明瞭な月ではなく、ぼんやりとした「おぼろ月夜」を愛でる感覚は外国にはあるのかと思いますね。
 俳句も英訳しにくいのでしょう。いずれ記事にしようかと思っていますが、「古池やかわず飛び込む水の音」の英訳は30以上もあり、いずれも日本語の持つ味わいや含蓄を備えていないように思えます。もっとも日本語でも、作者が芭蕉だと思わなければ、なんだこれは?とも思えそうな単純極まる言葉の羅列ですが。

> 「どうぞ」と「どうも」。
日本語の知られざる大横綱だとわたしは思っています。
これら二つは、韓国語で言うことのできないケースが大部分です。

 そうですか。私も成人になる前、大人が「どうも」と言ってるのがかなり気になりました。「どうも」の次は何なんだ、続きの言葉がないじゃないかと思ったものです。でも長じるにつれ、自分も使うようになりました。曖昧さは便利なんですね。
 何か買い物して自分より年下の店員から品物を受け取るとき、「ありがとう」と言うのは尊大な感じがしてイヤで、でも「ありがとうございます」はちょっと丁寧すぎると感じるので、軽く会釈して「どーも」と言うときに、私は一番使うでしょうか。
 そういえばサッカーのハリル監督が来日早々の頃、インタビュー最後に「どーも」と言ってたような気がします。
 
 英語の「プリーズ」は、使用に気を付けないと丁寧な命令文になり、相手に失礼になる場合があるようで、その点、日本語の「どうぞ」は軽くて日常的に使いやすい言葉です。
 日本は奈良時代から朝鮮半島や大陸とかなりの交流があるのですが、言葉の使い方はニュアンスはだいぶ違うのでしょうか。文化風習の違いとは面白いものですね。

2016/09/09(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/09/09(金) || [edit]

Re: No title

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 日本語は曖昧さがあるから良くないとも言えますし、だから含蓄があるとも言え、面白い言語だと思います。ツーといえばカー、阿吽の呼吸、そんな勘の良さが日本人にはあるのでしょうか。
 いずれにせよ、そんな複雑な言葉を使いこなしている日本人もなかなかたいした民族だと思いますね。

2016/09/09(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

川端康成『雪国』の韓国語訳について。

この間、韓国語訳について調べてみるといってたやつ、今日書きます;;


국경의 긴 터널을 빠져 나오자 설국이었다.
これは、日本語と完全に同じ訳になってますね。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」

こんな訳もあるみたいです。
현(懸)접경의 긴 터널을 빠져 나오자 눈(雪) 고장이었다.
これは、
「県境の長いトンネルを抜けると雪の本場であった。」

いろいろのバージョンがあるみたいです。
いえるのは、英語とはちがって、視点が日本語と同じということ。
神の位置からの描写ではなく、汽車に乗っている筆者の視点から。ことばというものは、実に面白いです。文章というやつも、おもろいですね^^

2016/09/16(金) |URL|天安 [edit]

Re: 川端康成『雪国』の韓国語訳について。

天安さん コメントありがとうございます^^)

> 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」
 これは原文のまんまですね。

> 「県境の長いトンネルを抜けると雪の本場であった。」
 なるほど、「本場」ですか。これはわかりやすい。「雪国」とは雪の国家ではなく、降雪量が多い(日本列島の北方の)地域の意ですから。でも韓国語には日本語の「雪国」に相当する語はないということですかね。

> いえるのは、英語とはちがって、視点が日本語と同じということ。
 そうですか。韓国は日本に一番近い国ですから、ものの見方も似ているのでしょうか。というより日本のほうが、奈良平安時代からかなり影響を受けたようにも思えます。
 韓国語とは文法的にも同じSOV型ですが、基礎的な語彙がかなり違うとのことで、どうしてなんでしょう。大和民族は文化についてはいろいろ吸収したが、日常で話す言葉については頑固だったのか、これもまた面白いことですね。

2016/09/16(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

雪国と言えないところに住んでますが・・。

北の方では雪に縁がありますが、こちらは縁がありません。って言っても降る時は降ります。
山間部は雪が積もってる事は多々ありますね。
湯布院や日田の方は降ったら積もるみたいです。
こちらは雪に弱い地域なので、その時は大変ですよ(笑)。

国境を「クニザカイ」と読めますが、そう読む人もいるんですね。
基本は「コッキョウ」と言いますね。
「クニザカイ」は言いませんが、県境を「ケンザカイ」と言いいますね。
自分も「福岡と大分のケンザカイ」と言ったりしますし。

サッカーは内容は良くなかったですが、劇的勝利でした。
香川、長友は試合に出ず、本田、岡崎も交代させられました。
活躍したのはロンドン五輪世代なので、光明が見え始めたと思います。

ピッチに立ってた清武と西川は大分出身なので、二人も大分県人がいたのは嬉しかったですね。
記事はこちらです↓
http://myworld2013.blog.fc2.com/blog-entry-806.html

2016/10/09(日) |URL|想馬涼生 [edit]

Re: 雪国と言えないところに住んでますが・・。

想馬涼生さん コメントありがとうございます^^)
> こちらは縁がありません。って言っても降る時は降ります。
 そうですか。小3まで大分県にいましたが、雪が積もった記憶はないですね。ただ、雪が降った日はすごく寒かったのを覚えています。東京より寒かったような気がします。暖房が完備してなかったせいがあるかもしれませんが。
 
> 「クニザカイ」は言いませんが、県境を「ケンザカイ」と言いいますね。
 あ、なるほど。確かにケンザカイと言います。そうすると言葉がおかしく聞こえるかどうかというのは、慣れているかどうかということですかね。クニザカイと言われると、ちょっと古くさい感じがしますが、それは昔の豊後の国とか日向の国と言われていた頃の名残りなんでしょうか。

> 香川、長友は試合に出ず、本田、岡崎も交代させられました。
活躍したのはロンドン五輪世代なので、光明が見え始めたと思います。

 サッカーは観ました。勝ってよかったですね。確かに世代交代の時期が来ていて、光明が見え始めたと私も感じました。本田、香川もかつての勢いがないですから。
 先日、U16のオーストラリア戦を観たのですが、6-0と一方的な勝利で、まあ、パス回しもシュートも日本代表に劣らないどころか優っていると思えるほど上手で、非常に感心しました。日本も若い人が成長しているようですね。

2016/10/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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