「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 芥川とピカソの「泣く女」には感情の対極がある。 

情と理性。日頃、どちらかを優先しているだろうか。

8月8日、天皇陛下が高齢化による生前譲位のご意向を暗に示された。
 ある人は、平成の玉音放送だ、陛下のお気持ちは大事にすべきだと言っている。
 ある人は、南洋まで行くから忙しいのだ、皇太子夫妻が後継ぎかと冷ややかだ。

賛同者は感情で陛下を心配し、批判者は理性で皇室論を述べているようだ。

anapor.jpg
ジャック=ルイ・ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」1806-07

感情と理性の表わし方。これを芥川龍之介とピカソが共に「泣く女」で描写している。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
芥川龍之介は「泣く女」の理性を書いている。
『手巾』(ハンカチ)という短編小説がある。発表は第一次世界大戦2年目の1916年。

主人公の長谷川教授※1は、武士道の信者で、日本人の精神性の堕落を危惧していた。
ベルリンに留学していたとき、日本の天皇に当たる初代ドイツ皇帝の崩御に接する。
それを知った下宿の子供二人が大泣きしているのを見て、教授はこう感じた。
「一国の元首の死が、子供にまで、これ程 悲まれるのを、不思議に思った。」


当時は戦争中で、現在よりは天皇を思う気持ちがはるかに強かった時代と思われるが、
この教授は、日本人(自分)と西洋人(子供)の感情の表出の違いを不思議に感じたのだ。

のちの日、教授が家でくつろいで武士道のことを想っていたとき、婦人が訪れてきて、
息子が亡くなったことを語るが、柔和な微笑みを絶やさないので、不思議に思う。

が、婦人の膝元にある手がハンカチをつかんで激しくぶるぶる震えているのに気付く。
「婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。」

教授は妻に、日本の女の武士道精神を見たと言って婦人を賞賛し、満足感を覚える。

yum0.jpg
竹久夢二「浴衣の女」木版画

ところが、その後、ふと開いたスウェーデン人作家の作劇本に、こんな一節を見つける。
「顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを
我等は今、臭味(メッツヘン)と名づける。……」

婦人の震える手は演技だったのかもしれない、と長谷川教授はしばし複雑な思いになる。

ともあれ、この日本人女性は、悲しみの感情を理性で抑制することができていたのだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ピカソは「泣く女」の感情を描いている。

英国はロンドンのテイト・ギャラリーに所蔵されているピカソの油彩絵画『泣く女』は、
有名な『ゲルニカ』の習作として描かれた、数々の『泣く女』シリーズのうちの一作品。
愛人の写真家ドラ・マールをモデルにして、『ゲルニカ』と同年の1937年に制作された。

1937年は第二次世界大戦の2年前。この絵は時代の不安と苦悩を強烈に表わしている。
この女の手にもハンカチがあるが、こちらは悲しみの感情をストレートに表現している。

ハンカチは強く噛み締められ、涙が拭われ、立体視点により複数枚あるように見える。
眼力も凄く、鋭角的な黒の太線と赤・黄・緑の原色の色使いが強い激情を表わしている。

pikas2.jpg
Picasso, The Weeping Woman 1937

このドラ・マールは理知的な芸術家だったが、『泣く女』の絵のように感情が激しかった。
ある時、ピカソの他の愛人フランソワーズ・ジローと、ピカソを争って、彼のアトリエで
取っ組み合いの大喧嘩をしたことがある。ピカソが、闘って決めろと言ったからだ。

ドラは、ピカソに捨てられたあとは、感情が不安定になり、長く神経衰弱に苦しんだ。
外面は柔和そうでも内面には芯の強さがある日本人女性とはだいぶ違うタイプのようだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
芥川とピカソは、どちらが幸福だったか。

川龍之介は、『今昔物語集』などの古典から題材を取り、多くの短編小説を書いた。
反軍的な自説を主張しており『河童』『侏儒の言葉』などの晩年の作品にはその傾向が強い。
27歳で結婚。30歳ぐらいから心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタル、不眠症などを病んだ。
35歳のとき、秘書と帝国ホテルで心中未遂事件を起こし、その後、服薬か服毒で自殺した。

カソは91歳まで生き、生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000
点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作。最も多作な美術家だと『ギネスブック』に記される。
女関係も多く、知られているだけで7人。結婚を2回し、3人の女性との間に4人の子供を
作った。62歳の時には21歳の画学生と、72歳の時は26歳の女性と付き合い、結婚している。

芥川の容貌は思索的だが、人生半ばで自死ということは感情が勝っていたようにも思える。
ピカソは特異な芸術家でありながら商売上手だったようで、理性が強かったように思える。
では、どうもピカソのほうが幸せだったと思えるだろうか。

hree.jpg
Pixabay(フリー画像)

精神世界の考え方では、人がいつ死ぬかは、じつは自分※2で決めているとされる。
ならば、芥川はペンとインクで、ピカソは絵筆と絵具で、自分の命を精一杯生きたはず。
多い少ない、長い短い、天寿自死の違いは関係ない。退屈な体験は一つもなかったはず。
二人とも芸術的な自分を創造する課題をすべて体験し、十全の人生を完了したのだろう。

ならば、どちらも魂の“感情”は百パーセント幸福である、という見方はどうでしょう。


補―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:主人公である長谷川教授は、『武士道』を著した新渡戸稲造がモデルとされる。
※2:人間とは個別化された魂。魂が精神と身体を包んでいる。精神は細胞の一つ一つ
にある。魂は体験するために地球に生まれてきた。魂がこの肉体に留まる目的を完了
したと悟った瞬間、魂は身体のかたちを変え、物質的な肉体をほとんど残して離れる。
人は死ぬことがなく、生命は永遠に続く。(ニール・D・ウォルシュ『神との対話』)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(y^ω^)yおはようございます。

(y^ω^)y 事実は一つでも、見る人によって真実は様々と、いつも思います、自分のことでさえ、時が流れれば、真実は変ってしまう、そう考えると、物事の評価の仕方、というのが幸福の度数を測るとも言えますね~☆

2016/08/20(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

比較

バーソ様
おはよう御座います。

芥川とピカソの比較ですか。難題ですね。
好き嫌いからいえば断然ピカソがいいです。
文学嫌いですから。(笑)
幸せからいくと引き分けでしょうね。
どちらもそれがいいと思ってそういう人生を送ったのですから。

愛新覚羅

2016/08/20(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: (y^ω^)yおはようございます。

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
> 事実は一つでも、見る人によって真実は様々
 そうですね。事実は一つ。しかし、それを見る人の視点や印象や解釈はじつに様々。でもそれでいいのでしょうね。起きたことは一つでも、受ける感想は一つではないのが、一人ひとりの人生経験を面白くしているのでしょうから。複数の盲人が一頭の象の印象を語る話がある通りです。
 よく宗教では、真理は一つと言われますが、宗教組織がそれを言い出すと分派や闘争が起きるだけです。人が見な同じ思いを持ち、同じことを語るのは一致団結していて理想だとする考え方がありますが、みんなが同じ一つだけの考えを持っている社会なんて、近隣の独裁国家のようで、非常に気持ち悪く、害悪です。
 物事の評価の仕方はいろいろあるでしょうが、物事をネガティブな眼鏡で見てばかりいると自分が幸福になりにくいような気がします。

2016/08/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 比較

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 好き嫌いからいえば断然ピカソがいいです。
文学嫌いですから。(笑)

 なるほど、自分の幸福度を図るには、そういう尺度もありますね。(笑) 私は自分の絵の好みを言えばピカソは部屋に飾りたくないひとですね。独創性はすごいと理性では思いますが、感情では美しい絵だとは思えません。

> 幸せからいくと引き分けでしょうね。
 そうですね。好き嫌いというのは理性というより感情です。とかく男は感情を軽んじる傾向がありますが、感情というのはいわば人の本音なんですね。倫理的・身体的に悪いと思っていても、或る行為がなかなかやめられないというのは、理性より感情が勝っているということですから。
 男は感情のほうを抑えがちで、それゆえに人生を楽しみ損なっていることもありますね。責任感の強い人、利他的な人、真面目な人に多いと思います。どうぞお気を付けくださいませ。(^_-)

2016/08/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

これは難題ですね。

ピカソが幼年期に書いた素描を見たことがあります。
恐ろしく写実的で、10代で一端の画家の域に。
途中、画風が変わった理由は、
「大人の絵は誰でも描けるが、子供の絵を描くのは難しい」
そんな理由からだそうです。(天邪鬼?)

天才肌のピカソが13歳の時、芸術の先生だった父は筆を折ったようですね。

またピカソは先生たちの指導を嫌った自由人。
相当のプレイボーイであり、商売人(作品販売)でもあったことから、
『泣く女』も、感情をストレートに表現したのだろうと思います。
人生を謳歌し尽くしたタイプだと思います。

絵は、好きになれません。
スペインのピカソ美術館で観た『ゲルニカ』。
な~んにも感じることができませんでした。


一方の芥川龍之介。
繊細で利発、自尊心の強いタイプですかねぇ。
身辺に起きる出来事をネガティブに捉え、
そうすることで繊細な洞察力を生み出すかのように……。
彼にとっては、自虐的な生き方が『美』だったのかも。
瞬時に場の空気を読み、艱難辛苦の果ての死に憧れるように、
『泣く女』も、龍之介の意識の反映なんでしょうね。

ですが、龍之介の作品は好きです。
無駄のない、研ぎ澄まされた文体もですが、
人の心の微妙な変化などの表現はずば抜けていますよね。

2016/08/20(土) |URL|風子 [edit]

Re: これは難題ですね。

風子さん コメントありがとうございます^^)
 お~、絵画や文学にもずいぶん詳しいようですね。
 ピカソは天才肌。やはり天与の才能は子供のときから表れるのですね。先生の指導を嫌った自由人ですか。なるほどね~。ピカソが画風を頻繁に変えたのは、付き合った女性に合わせて変えたのではないかと言われていて、最初の妻オルガの肖像画なんかピカソの作品とは思えません。とすれば、新しいものを意欲的に吸収する純粋な感性を持っていたということでしょうか。

 ともあれ、自分の画風を大胆に変えるというのは過去をいったん清算するということですから、新しい自分を創造する可能性を絶えず探っていたということで、人間の本当の生き方をしたとも言えますし、また人が輪廻転生する理由と似ているようでもあって興味深いことです。

 芥川。そうですね。繊細。利発。自尊心が強い。ひととは違う冷めた視点を持っていて、それがいいのですが、耽美的で自意識が強くて素直さに欠けると、ちょっとスピリチュアルや宗教の世界には遠い人のような気もします。三島由紀夫は美文の日本語を書きますが、少し似ているところがないでしょうかね。

> 『泣く女』も、龍之介の意識の反映なんでしょうね。
 私は若い頃は芥川が一番好きでした。学校の図書室にある芥川の本は全部読んだような気がしますが、私の場合、その頃は作者の意図や意識、文体の面白さなどを理解洞察する才がなかったせいで、大抵はストーリーを追うだけの読み方でしたね。ま、今でもそうなんですが。
 なにか簡単なことを言う場合でも、印象的な短いフレーズで言う。小説で言う。詩で言う。絵画で言う。音楽で言う。そんな芸術的な才能を持っている人がうらやましいですよ。

2016/08/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

このところ幸福を追い求め続けるバーソさんです。
ピカソは富も女も思い通りに手に入れても
「すべてのものは、かぎられた量しかない。とくに幸福は」
なぞとのたまっています。それに対し、芥川はGoogle検索によると
「幸福とは幸福を問題にしない時をいう」の名言を残しています。
本当はどちらがより幸福だったんでしょうね。
足るを知ればだれでもいつでも幸せなんでしょうが。
ある人が金持ちにインタビューした折、返ってた答えの多くは
「金で幸せを買えるとは思っていないが、不幸を減らすことはできる」
だったそうです。

2016/08/20(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> このところ幸福を追い求め続けるバーソさんです。
 人は無いから追い求めるのだという話があります。であれば、幸福が無いから書いているのかもしれません。(笑)

> ピカソは富も女も思い通りに手に入れても「すべてのものは、かぎられた量しかない。とくに幸福は」なぞとのたまっています。
 そうですか。まあ、ピカソは欲張りですね。あれだけ恵まれていても、まだ満足感は完璧ではなかったのですか。
 もっとも、もし幸福感は完璧だと思っていたら、次々と相手を変えることはなかったでしょうし、あんなにたくさんの作品を描かなかったでしょうし、あれこれ作風を変えることも無かったでしょう。
 と言いつつも、人間とはなかなか満足することなんか無く、あくまでも上昇を目指すのがいいことかもしれないので、特に芸術家の場合は欠如感があるぐらいでいいような気もします。

> 芥川はGoogle検索によると「幸福とは幸福を問題にしない時をいう」の名言を残しています。
 おお、わざわざ検索してコメントを! (*_*;) ←うれし泣き
 なるほど。幸福に浸っている人は、不幸では無いから、あるいは空気のようなもので、当たり前になっているゆえに幸福を問題にしないのかもしれないですね。逆に言えば、ふだん不幸を問題にしてないなら幸福であるとも言えますね。

> 「金で幸せを買えるとは思っていないが、不幸を減らすことはできる」
 至言ですね。当たり前と言うべきかもしれませんが。
 宗教では金を魔物のように言いますが、決してお金は悪者じゃない。ただ金銭が無いと幸せになれないと思う気持ちや、特に金銭欲は、著名な人でも公私混同などの悪事につながりやすいということが問題なんでしょう。
 いまマスコミはオリンピックの報道ばかりですが、世界には今日この日のパンが無い人もいるはずです。最低の衣食住。これが世界中で可能になればいいと切に願いますね。

2016/08/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

感情と理性、そして、幸福、
大きすぎて扱えないよ~!w

芥川は、
他人を観察しても、そこから感情やら本意やら、
主義やら思想やら、これっぽっちも分かるとは思うなよ、
って言ってる気がします。

2016/08/20(土) |URL|青梗菜 [edit]

こんばんは^^

ピカソが高齢になっても
そんなに元気いっぱいだったとは
知りませんでした( ^ω^; )

私は、その人の最期の在り方に
感心があります。

最期の瞬間に、その人の人生の
すべてがあらわれるような
気がするからです。


2016/08/21(日) |URL|坊主おじさん [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> 芥川は、
他人を観察しても、そこから感情やら本意やら、
主義やら思想やら、これっぽっちも分かるとは思うなよ、
って言ってる気がします。

 あははは・・・これ、ちょっと面白い。芥川は“他人を観察しても心の中はこれっぽっちも分からない”と言ってる、と青梗菜さんは芥川の心の中が分かるような気がするのですね。

 預言者サムエルが、サウル王の次のイスラエル王を探しにエッサイの家に行ったとき、神がこう述べました。
「彼(エリアブ)の容姿や丈の高さを見てはならない。わたしは彼を退けたからである。神の見るところは人の見るところと異なるからだ。人は目に見えるものを見るが、エホバは心がどうかを見るからだ」 第一サムエル16:7

 なので芥川についてもピカソについても、他人には彼らの内面の真実は分かりません。ただ、感情の表現に関しては、たとえば女の泣き方の描写については、芥川とピカソの視点の違いは面白いと思いました。彼はこんなことを言っています。「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」。

 人の感情というのは、絵では、特にキュビズムの画法では微妙なところは表しにくいではないかと思いますが、文章なら言葉の選び方、書き方で、かなり表せるような気がします。ペンは剣より強しとは言われますが、絵はそうは言われません。ただし絵のほうは、観る者の感情に無言で語りかけてくる強さを持っているように思いますね。私はドラ・マールの絵なら、長い爪に赤いマニキュアをしたこの絵が好きです。
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/r/t/artprogramkt/20100511222607d94.jpg

2016/08/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは^^

坊主おじさん コメントありがとうございます^^)
 ピカソの女性関係はすごいですね。「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と書いた人の生き方とはまるで違います。真似できません。内在するエネルギーが凡人とはそもそも違うのでしょう。彼はこう言っています。「明日描く絵がいちばん素晴らしい」。

> 最期の瞬間に、その人の人生の
すべてがあらわれるような
気がするからです。

 そうですか。最期よければすべて良しですか。考えさせられる言葉ですね。
 アリとキリギリスの話があります。普通はアリの生き方が賞賛されますが、でもキリギリスのほうが人生ははるかに楽しめたはずです。

 人は自分が満足できていれば、どう生きてもまったく自由だと思います。人生の前半はアリで、後半はキリギリスの生き方というのもなかなか良さそうです。逆に、遊べる若いときはキリギリスで、年取ってからは堅実というのも良さそうです。
 ただし人様の世話になり、みじめな気持ちで最期を迎えるというのはいやですね。ピカソは「労働者が仕事をするように、芸術家も仕事をすべきだ」と言っています。

2016/08/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

天皇陛下だって老後が欲しい

 そりゃ天皇陛下だって人間ですもの、いい加減リタイアして老後をエンジョイしたいがな。若いのに代えた方が効率も良い気がしますぞ。ま、理性感情以前に御歳ですな。麒麟も老いれば・・・ゲフンゲフン。
 それは兎も角、女性の涙に男は弱いものです。ただし美人に限る。間違ってもピカソの描いた泣く女に心は動かされない気がします。竹久夢二の圧勝ですな。と思って改めて見て見ると夢二の女性も今の感覚ではあまり美人とも・・・。え゛ーい、二人ともブグローさんの女神のごとき女性像を見習え。
 ではなぜ男は美しい女性が好きなのでありましょうか。そこは感情の問題?いやいや、極めて打算的な勘定の上に好きなのですよ。美しい女性とは、つまり整った容姿を持っていると言う事でありまして、整った容姿と言う事は遺伝子が健康であり優秀であると言う事の裏返しでもあります。それは子孫繁栄に於いても相当に有利。かの織田信長の父、織田信秀は奥さんにする条件は何を差し置いても見た目だと言っております。とは、美しい女性からは美しい娘が生まれる。美しい娘は外に嫁に出すにしても、家臣に与えるにしても喜ばれる。昔の事、どうせ寝屋を共にするまで性格は判んねーしってなかなりえげつない計算の元に政略結婚しまくった訳ですな。
 美しい女性の涙はダイヤモンド。そう感じるメカニズムは実は極めて理性的であります。

2016/08/21(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 天皇陛下だって老後が欲しい

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 天皇陛下のビデオでは、何度も象徴象徴と繰り返していたので、かわいそうになりました。発言したり仕事をやめる基本的な自由がないのは不幸なものですね。でもまあ、国民の9割ぐらいは生前譲位に賛成のようで、みな温かい感情を持っていることに安心しました。

> ブグローさんの女神のごとき女性像を見習え
 あら、miss.keyさんの好みがわかりました。やはりご自身がじつは純情だけに、女性も純粋可憐で、顔は西洋系のほうがいいのですね。あ、「じつは」という言葉は必要なかったですが。
 それにつけても、西洋の子供は天使のようにかわいいのに、絵や彫刻の子供の天使はどうしてあんなにブヨブヨして顔もブスが多いのでしょう。ブグローの絵は例外的にいいほうですが。

> なぜ男は美しい女性が好きなのでありましょうか。・・・極めて打算的な勘定の上に好きなのですよ。
 なるほど。男が美しい女性をいいと思う理由は、八百屋で果物を選ぶ理由と同じですか。形のいいほうが優性のはずだから、理性的に見た目で選んだらいい。私はスーパーで買い物をするときも大抵そうして、いや、おおむね“広告の商品”のタグがあるかどうかで選んでいますがね。

 問題はですね、じつは見た目で選ぶと失敗することが多いことですね。あ、多いというのは言葉の綾でして、少ない経験しかないのですが。なぜかと言うと、見た目がいいとアバタもエクボで欠点が見えなくなる。ところが欠点という芽は結婚するとだんだん成長して大木になる。そうなったら大変。切るわけにもいかないし、捨てるわけにもいかない。泣く女どころか、ワンワンあるいはシクシク泣く男になってしまうわけです。
 私がつくづくしみじみ思うには、女は優しさが一番。見た目や頭は普通でいいので、性格がかわいいひとがいいですね~。miss.keyさんも、くれぐれも外見や涙に惑わされて高価なダイヤモンドなどを貢がないようにしてくださいよ。以上、老爺心ながら。(笑)

2016/08/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは。
感情と理性、簡単に二項対立にできるかな?
理性というと、まあ、ヨーロッパでは、カントですが、カントは何と、純粋理性、なる概念を持ってきた。要は、神的な理性。
すると、人間の活動は全て神的理性では説明出来なくなるので、悟性、という概念を理性の下に作らざるを得なかった。感性ー悟性ー理性、面倒だ。
そこいくと、ヒュームなんかは、動物にも理性があるよ、という。
生き延びようとする本能、それが理性だと。
天皇陛下が研究されていた菌類にも、最短で食べ物に向かう本能があるから、理性があると言えるかな?
それに対して、日本的な理性とは何か?
それは結局、四季の移り変わりを愛おしむような、情感的な理性じゃないかな。
そんな風に感じます。

2016/08/21(日) |URL|oki [edit]

Re: タイトルなし

okiさん コメントありがとうございます^^)
うーむ、また難しいそうな単語を並べてきましたね~。
純粋理性、神的理性、悟性、日本的理性・・・ですか。
まあ、学者により、いろんな視点と言い方があるものですね~。
ただ、情感的な理性というのは、前半と後半の概念が相反していませんかね。

こういう切り口はどうでしょう。
人は経験をしていなければ何もしてないわけで、植物人間、もしくは生ける屍と同じ。
無意識下にある本能により、呼吸し、食物を消化し、生命は維持されていても、その本能には理性も感情も使われていない。
つまり人は経験によって物事を“知る”ことができるようになっている。

世の中には実体験できないこともあるが、その場合は思考と感情によって知ることができる。
特に経験や感情によって、人は直感的に知ることができている。
思考については(エクセレントに近いほうは)理性とも言い換えられるが、それは大抵の場合、先人たちの莫大な思考の蓄積を記憶して自分の好みで組み合わせたものに過ぎない。

理性が勝つ人間は、愛とされる行為を行なう場合でも原則に基づく愛になるなりやすい。つまり温かみのない、理屈で考えた義務的な愛になるなりやすい。
しかし感情のほうが勝つ人間は、理屈でなく、憐みに促されて、神的な優しい愛情を示したいと思う思いやすい。惻隠の情という感情がそう。
※補足:「理性」「感情」が“勝つ”という極端なケースで書いたつもりでしたが、断定形ゆえに勘違いされやすいので、「愛になる」→「愛になりやすい」に、「と思う」→「と思いやすい」に訂正します。

一般に、男は理性的で、女は感情的だと言われる。
“感情”とは、すなわちヒステリーということではなく、人間に生来備わっている“情感的な神的機能”もしくは“魂の言語”とでも言えるのではないか。と、まあ、そんなふうに思いましたが。

2016/08/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/08/22(月) || [edit]

ピカソの長寿には感心します。

ピカソは女性がいることで
あそこまで長く生きたのかなと思います。

日本人ならばそこまで長寿ではありませんが
永井荷風が女性と生きることで全うしたように思います。

芥川龍之介の子供たちを見ると
私の芥川龍之介のイメージほど
神経質ではなかったのかなと思います。

どうなのでしょう、魂の感情は幸せだったのでしょうか。

ピカソの晩年の顔を見ると
幸せだったかも。
芥川龍之介のご子息のお顔を見ると
龍之介も幸せだったかも。


2016/08/22(月) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 芥川とピカソにニヒリズムを感じますか。ニヒリズムとは、あらゆるものに価値を認めないこと。あらゆるものを良い良いみんな良いと思っていれば独創性など生まれないでしょうから、やる気十分の芸術家がニヒリズムの傾向を持っているのはいいことなんでしょうかね。しかし積極性がない場合には虚無主義になって明るい人生を送れなくなったりするのでしょうか。いずれにしてもニヒリストには、凡人というよりは、頭のいい人が多そうです。

 ピカソは、別れた女性が二人ほど後で自殺しています。精神不安定になった人も複数いました。芥川のほうも浮いた話があったようです。なんたって心中事件もあったぐらいですから。セレブは、特に芸術家はいつの世も異性にモテるのですね。ピカソと同じ地球上の空気を吸いたかったですか。芸術の感覚で近い波長があるのでしょうかね。
 
 心が貧しくなかった青の時代で終わってほしかったですか。おー、やはりそうでしたか。絵画芸術については、語りたいことが沢山ありそうですね。青の時代は青春時代。ちょっと暗い悩み多き時代だったのかぐらいに私は思っていましたが、青という色は黄色の正反対の補色で、さわやかで静かでピュアなイメージがあり・・・ああ、なるほど、わかりました、sさんはブルー系がお好きでしたね。深い青、内省的な青、理想に向かう青、青にそんな心理を感じるのでしょうかね。いつもお気遣い、ありがとうございます。

2016/08/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> ピカソは女性がいることで
あそこまで長く生きたのかなと思います。
 
 あ、そうですね。親子以上歳が離れた若い女性と恋愛ができたということは、身体も精神も元気で活力があったということで、たいしたものです。ユニークな芸術を創造したいと思う気力が、身体の細胞組織を生き生きとリフレッシュしたのではないかとも思えます。

 ピカソの作品を見て衝撃を受けた岡本太郎も84歳まで長生きしています。人間、やはり気持ちの持ちようが大事なんでしょうね。新聞に「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」と書いたそうで、やはり既成のものを壊すぐらいの意識と生命力が無ければ、独創的な力強い芸術作品を生み出すのは難しいのでしょう。凡人は、ただただボーっと羨ましがるだけです。
 
> 芥川龍之介の子供たちを見ると
私の芥川龍之介のイメージほど
神経質ではなかったのかなと思います。

 なるほど。子を見れば親が分かりますか。科学的な頭脳は遺伝しないが、芸術的な感覚は遺伝しやすいとか言われますが、性格や気質などはどうなんでしょうね。やはり血は争えないというようなことがあるのでしょうかね。

 いずれにしても人生に失敗は無いそうです。神が創った人間が失敗することはあり得ないと私は思っています。人は失敗したように見えても、それは自分の人生の課題に気付いてないだけであって、本当は誰だってみな意義深い人生を送っていて、魂のレベルではみな幸せであると思いますよ。

2016/08/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

理性的な人は、自分より理性的な人を尊敬しますが、
感情的な人は、自分より感情的な人を尊敬するのでしょうか?
あまり(全く)そういう場面を見たことが無いのですが・・・

感情に基づく思考もありますし、
理性に基づく感情もあるので、
どちらが大切かということはできないと思いますが、
根拠の無い思い込みに基づく感情や思考には、
問題が多いと思いますし、また、感情に囚われると、
思い込みから離れることができなくなると思います。

基本的に、感情は繰り返しをもたらし、
ブレイクスルーをもたらすのは、思考だとは思います。

感情はしっかりと感じ取り、なぜそのように感じるのかということを、
根源(思い込み)に遡って考えることが大切かなと思います。

抑圧された感情は、衝動となって破壊的な行動をもたらしたり、
特に悪いこともしていない他者に投影され、
その人を悪魔的な邪悪な存在に感じさせたりすると感じます。
そして、どのような感情が抑圧されるのかは、
自分に対する定義によって決まるのだと思います。

2016/08/23(火) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 理性的な人は、自分より理性的な人を尊敬しますが、
感情的な人は、自分より感情的な人を尊敬するのでしょうか?
あまり(全く)そういう場面を見たことが無いのですが・・・

 そういうふうに思ったことも書いたつもりもないのですが、全体的に感情のほうを理性より優位に思えるように書いているせいですかね。これは『神との対話』から教えられた私の“気づき”のひとつなんですよ。
 普通は、人間は理性のほうを優位にしますね。私もそうでした。というより今でもそうかもしれません。とかく感情的な人はすぐに腹を立てたりするので、付き合うのに苦労します。okiさん宛のコメ返で「“感情”とは、すなわちヒステリーということではなく」と書きましたが、そんな感情的な人は、私はかなり苦手なほうですね。

 とは言うものの、感情とは本当の自分の声であり、ないがしろにすべきではないと思っています。
 私は人様の好みや趣味についてあれこれ言うつもりはないのですが、分かりやすいので喫煙を例にして一般論を述べます。喫煙は、(1)当人の健康を害し、(2)他者に迷惑を及ぼし、(3)火災原因のナンバーワンとして近隣にも被害を与えるものです(むろん(2)と(3)については人前では吸わないなど気を付けている人もいます)。でも、(1)については、喫煙の害は十分わかっていても、ガンで死んでもいいから止めるつもりは無いなんて言う人がいますね。それはすなわち理性ではなく感情のほうが勝っているからでしょう。これは喫煙者を非難しているのではなく、誰の迷惑にもならないのであれば、何でも好きなことをしたらいいと私は思っています。この話は単に、人は感情を優先しているほうが幸せ感を感じるものだという一つの例に過ぎません。

 あるいは、人は金銭問題とか人との付き合いとか種々しがらみがあって、特に仕事の場合は、好きじゃないのに生活のためにイヤイヤしている場合もありますね。私も過去ありました。これは、人が感情より理性を優先しているために幸せ感を感じてないという一つの例ではないですか。理性の言うことを聞いていると、おおむね人生の道では間違いが少ないでしょうが、しかし感情という心の言葉を聞いてないので内心では楽しくない人生を送っていることになりますね。

 理性とは、おおむね先人たち(哲学者・宗教者・成功者のノウハウなど)の思考ないしは知恵を吸収し、それを取捨選択して自分の好みで構築したものと言えるでしょう。
 では人間は、理性や世間や偉人が勧める人生を送るほうがいいのか、それとも自分が楽しいと心(感情)で思う人生を送るほうがいいのか。私は、アリの世話にならずに済むならば、キリギリスとして楽しい人生を自由に送る寓話を是としてもいいのではないかと思っていますが、しかし精神世界的に言えば、人生に失敗は無い、神は失敗作など創らない(これは説明しようと思うとかなりなページ数が要ります)というわけで、いま人の“魂”の感情はみんな幸福であるに違いないと結論に書いたつもりなんです。言葉が不足していますが。

> 根拠の無い思い込みに基づく感情や思考には、
 どちらが大切かということはできないと思いますが、
根拠の無い思い込みに基づく感情や思考には、
問題が多いと思いますし、また、感情に囚われると、
思い込みから離れることができなくなると思います。
 基本的に、感情は繰り返しをもたらし、
ブレイクスルーをもたらすのは、思考だとは思います。
 感情はしっかりと感じ取り、なぜそのように感じるのかということを、
根源(思い込み)に遡って考えることが大切かなと思います。
 抑圧された感情は、衝動となって破壊的な行動をもたらしたり、
特に悪いこともしていない他者に投影され、
その人を悪魔的な邪悪な存在に感じさせたりすると感じます。

 全部を引用しませんでしたが、Korvaさんのおっしゃる通りだと思いますよ。何事も極端はいけないのは、言うまでも無いことです。人間は“考える葦”と言われる通り、基本は理性的であるべきで、感情は野放題にしたり、あるいは抑圧しないほうがいいと私も思います。私も過去、右のほほを打たれたときにずいぶん抑圧してきたので少し後悔しています。

 感情と理性とうまくバランスがとれている人が“賢い人”になるのでしょう。
 okiさん宛のコメ返に「一般に、男は理性的で、女は感情的だと言われる」と書きましたが、これも、むろん女は感情的なので良くないという意図で書いたのではなく、むしろ感情を抑え込まないほうがいいという意図で、男性には注意を呼び掛け、女性には尊敬をしているつもりで書いています。

 自分のコメントを読み直したら、okiさん宛の返コメの書き方に若干問題があったので、以下のように修正しました。

理性が勝つ人間は、愛とされる行為を行なう場合でも原則に基づく愛になるなりやすい。つまり温かみのない、理屈で考えた義務的な愛になるなりやすい。
しかし感情のほうが勝つ人間は、理屈でなく、憐みに促されて、神的な優しい愛情を示したいと思う思いやすい。惻隠の情という感情がそう。
※補足:「理性」「感情」が“勝つ”という極端なケースで書いたつもりでしたが、断定形ゆえに勘違いされやすいので、「愛になる」→「愛になりやすい」に、「と思う」→「と思いやすい」に訂正します。


> どちらが大切かということはできないと思いますが
 そうなんでしょうね。ただ、今回はそのバランスの話ではなく、一般にないがしろにされている感情をもっと大事にしたほうがいいというつもりで、感情のほうを優位気味に書いています。
 文章というのはすべてを書き尽しているわけではなく、その時々のテーマに沿って書いているので、書き方が良くないせいもありますが、どうしても言葉が足りない点がありますね。象とはどういう動物か。鼻が長く、牙がある、耳が大きいではなく、話の流れによっては、脚が太く、しっぽが短いと書く場合もあるのです。

 今回は率直に言えば、芥川の『手巾』の話を書きたかったのですが、それだけじゃつまらないので、少し話を膨らませるべく、ピカソを追加し、ちょっぴり精神世界風なトッピングを振りかけたに過ぎないのですよ。
 というわけで底の浅い記事なんですが、Korvaさんにはいつも真摯に読んでいただいて感謝しています。今後ともよろしくお願いしますね。(^^♪ ※このコメントは投稿してから微修正しています。12:20

2016/08/23(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

たびたびお邪魔します。
こちらこそよろしくお願いします^^
私もバーソさんなら解ってるだろうなと思いながら、
話のネタとして書いているだけなので、気にしないでください。

でも、男性は理性的で、女性は感情的というのは、
よくある思い込みで、事実に反しているのではないだろうかと思います。
女性は、感情的な言動が多いですが、その分、感情を抑圧していないので、
感情が衝動化していない場合が多く、
行動においては男性より理性的かもしれませんし、
男性は、感情を抑制することが多いので、それが衝動化して、
行動においては、女性より感情的・激情的になることが多いと感じます。
事実、凶悪犯罪や反社会的行動は男性の方が多いですし、
困っている人に手を差し伸べるような利他的な行動は、
女性のほうが多いのではないかと思います。

2016/08/23(火) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
 > 私もバーソさんなら解ってるだろうなと思いながら、
話のネタとして書いているだけなので、気にしないでください。

 あ~、わざわざご丁寧にすみません。私も、コメント欄は他のひとも見ることがあるので、そういう方々のことも意識して、本文では言い足りなかったことや勘違いされそうなことを長めに補足で書いています。おかげさまで、少しコメントを修正すべき箇所が見つかりました。

> 女性は、感情的な言動が多いですが、その分、感情を抑圧していないので、
感情が衝動化していない場合が多く、
行動においては男性より理性的かもしれませんし、
男性は、感情を抑制することが多いので、それが衝動化して、
行動においては、女性より感情的・激情的になることが多いと感じます。

 なるほど。抑制しすぎると衝動化して激情化する、ですか。そうですね、感情は溜め込むのではなく、解き放ったほうがいいと言われます。そのためには無人の野原などで大声で叫んだりしたほうがいいなんて話もありますが、私はそういう激情化や開放化を一度もしたことがなく、ひたすら抑制ばかりしてきました。というか、それほどカッとならない性格ですね。臆病で喧嘩が強くないせいもあるかと思いますが。

 女性のことはよくわかりませんが、男は感情を抑制する生き物と言っていいですかね。高倉健が感情を抑制する日本人男性の代表選手のように思われているようですが、「男はつらいよ」なんていうセリフも、他者に気を使うそういう男の思いをちょっと表わしているかのようです。
 
 なお、ちなみにですが、私は何かの考え方を議論することは嫌いじゃないほうです。ですから誰かがこちらの考えを論理で追及してきても、別に不愉快にはなりません。相手が間違っていると思えば反論するだけ。相手のほうが正しいと思えば、恐れ入りましたと尊敬するだけです。
 私がイヤなのは、上から目線の偉そうな態度で、人格を嘲ったり知識をひけらかしたりして、こちらの感情を傷つけようとする意図と無神経さが見える場合で、そういう人とは話をしたくないですね。
 でもそういうことは滅多にないですし、もしあっても相手の性格が悪いと思うだけですので、私が深く傷ついてしばし立ち直れないということはまずありません。
 ブログでは率直な意見は言いづらいものですが、率直に異見を言い合っても別にすぐ腹を立てたりしない友というのは、貴重な、有り難い存在だと思っています。(^^♪

2016/08/23(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/08/24(水) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
すみません。そちらに返信を入れました。

2016/08/24(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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