「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「いつやるか? 今でしょ! 」の思想は、詩や絵画にも表れている。 

言葉は、ちょっとした言い回しの違いで、がらりと印象が変わる。
まずは予備校講師・林 修氏の「いつやるか? 今でしょ! 」のセリフがウケたワケの話から。

林氏自身が「予備校講師なら誰だって、今やれ、すぐやれ、と生徒を鼓舞するものです」と
著書『今やる人になる40の習慣』で言っているように、メッセージ自体はごく平凡だ。

話題になった要因は、「いつやるか? 今でしょ! 」と言うときの顔がユニークなことの他に、
「今でしょう」と言えば推量形で自信不足に聞こえるが、「今でしょう」から「う」を取り、
「今でしょ! (違いますか? )」と、反語的な問い掛けを含む断定表現にしたのが効いている。
それにより、相手が心の中で、うむ、そうだなあ、と同意するカラクリになっている。

そしてむろん、決断しない、先延ばしにするといった社会風潮が背景にはあるのだろう。

ラテン語で「カルペ・ディエム/Carpe diem」という言葉がある。※1
紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスが書いた詩に出てくる。

意味は「その日(の花)を摘め」で、英語では「seize the day/その日をつかめ」と訳される。※2
明日のことは分からない。今日を大切にせよ。いつやるか? 今でしょ! ということだ。

The Flower Picker1900rr
John William Waterhouse: Boreas. 1903

「その日を摘め」という実利的とも言える思想は、後世の詩人や画家にも伝わっている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「乙女らよ 時を大切にせよ」―――ロバート・ヘリック
イギリス17世紀の王党派詩人。英国国教会の司祭でもあり、生涯独身を通した。
へリックは、ホラティウスの「その日を摘め」の花をバラの花として短い詩にした。
タイトルは「To the Virgins, to Make Much of Time」で、乙女ら(Virgins)に語られる。

Gather ye rosebuds while ye may, 
Old Time is still a-flying;
And this same flower that smiles today
To-morrow will be dying.
    ye=〈古〉なんじら(は)、thouの複数形

バラのつぼみを 摘めるうちに摘め
古びた“時”は 今なお飛び去り続け
今日は微笑んでいる同じ花が
明日は 枯れていくのだから

趣旨は、バラのつぼみを摘みなさいよ。枯れる前の、今でしょ! ということだ。
Virjinは、カトリックでは童貞、ギリシャ正教では童女、英国国教会では処女の意と
なるそうだが、それにしても明日には枯れてしまうようなものなのか。おお。※3

先頭の字を綴るとGOATになると気付いた。ゴートとは、山羊、好色漢、愚か者の意。
暗喩だとすれば、つぼみを摘むVirjinはゴートだというのが僧職者へリックの真意か?

Wind flowers(1903)
John William Waterhouse: My Sweet Rose (a.k.a 'The Soul of a Rose') 1908

四季咲きのバラは、春の開花後に剪定すると、新しい枝が伸びて秋にも花が楽しめる。
花をつけたまま放置すると花は枯れて次第に汚くなり、バラ苗は体力を消耗するので、
花を楽しんだら思い切って花やつぼみは摘んだほうがいいそうだ。※4

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「その日を摘め」は、画家にもインスピレーションを与えた。
ローマ生まれのイギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)。
神話や文学作品に登場する女性を題材にした、高貴で優美な絵で知られている。

この絵では、乙女らにバラの花を摘めと語るヘリックの詩が美しく繊細に描かれている。
バラの花にはトゲがある。その野原で女性が素足なのが生々しく、意味もありそうだ。

「Gather ye rosebuds while ye may(バラのつぼみは摘めるうちに摘め)」1909

waterhouse09.jpg
John William Waterhouse

乙女らに話し掛けている詩は、大正時代の流行歌『ゴンドラの唄』を思い出させる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「恋せよ 乙女」―――吉井 勇
大正4年の芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれた「ゴンドラの唄」。
「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平が作曲。松井須磨子が歌って大ヒットさせた。

いのち短し 恋せよ乙女 紅き唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを


「乙女」に対して、年取って手遅れにならないうちに恋をせよと呼び掛けている。※5
「あせぬ間に」「明日の月日はない」はへリックの詩と近い。「紅き唇」は紅いバラのようだ。
大正モダニズムが花開いた時代であっても、まだまだ男女間の距離は遠かったのだろう。

聖書は、不信仰な人は本能の欲望のままに暮らしていると言って、放縦を戒めているが、
西暦前8世紀と西暦1世紀のイスラエル人は、時代は違っていても人生観は同じだった。
それは「さあ、飲んだり食べたりしよう。どうせ明日は死ぬのだから」という思想だ。※6

神や来世を信じてないのであれば、人生は短く、“時”は風のように過ぎ去るのだから、
若い日に得られる快楽の花をできるだけ摘もうとするのは無理もない、と思うだろうか。

wh33.jpg
John William Waterhouse: Windflowers. 1903

一体、「その日に摘め」とは若い日に限ることなのか。本当は何を摘んだらいいのか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「うら若き日に」―――城 夏子 『薔薇の花の長い服』より
大正昭和の少女小説家、随筆家。この詩は、67歳で有料老人ホームに入居後に書かれた。
自分で「愉しがり、うれしがり」と言うほど人生をとことんエンジョイし、90歳まで生きた。

うら若き日に 薔薇を摘み
老いてもやっぱり 薔薇を摘み


うら若くても年老いてもバラを摘んでいるとは、毎日毎日が「摘む日」であるということだ。
「やっぱり」と言われる通り、人間の趣味・志向は年を取ってもそんなには変わらない。
何か自分がしたい愉しいことがあれば、それをずっと続けていくのはいいことだろう。

教会の不適切追及に人生を懸けた宗教改革者のマルチン・ルターはこう言っている。
「たとえ明日、世界が終わろうとも、今日わたしはリンゴの木を植える」。
成すべき重要なことがあれば、それを年取っても続けていくのはさらにいいことだろう。

The Flower Picker1900b
John William Waterhouse: The Flower Picker. 1900

若いときにも、老いたときにも、“今”という良い時は確実に存在している。
「カルペ・ディエム/その日を摘め」とは、いつも自分の良い時を愉しむということである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:「Wikipedia・その日を摘め」https://https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%
E3%81%AE%E6%97%A5%E3%82%92%E6%91%98%E3%82%81
※2:アメリカのノーベル文学賞受賞者ソール・ベロー(Saul Bellow・1915-2005)の作品に
 同名の『Seize the Day(その日をつかめ)』(1956年)がある。
※3:「コトバンク」https://kotobank.jp/ejword/virgin
※4:「花ひろば」http://www.rakuten.ne.jp/gold/hana-online/bara_sodatekata05.htm
※5:作者の吉井勇は、アンデルセンの『即興詩人』森鴎外訳からヒントを得たと言っている。
※6:旧約聖書のイザヤ書22:13と、新約聖書のコリント第一の手紙15:32に出てくる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(y^ω^)y命短し、恋せよ乙女

(y^ω^)y ああ、若い頃には全く判らなかったが、いい言葉ですね~☆

尺璧非寶 寸陰是競、時は金なり、世界各国、時こそ最も尊い、と言う言葉がありますが、人生の最後には、有意義な時を過ごした、と断言できる人生を送りたいものです。

2016/06/11(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

right now

バーソ様
おはよう御座います。

20代の頃日本マクドナルドに勤務していました。その頃外資系は珍しかったのですが今でも記憶に残っているのはマニュアルの存在とright nowという言葉です。辞書を引くとたった今と出てきますが、使い方は思い立ったらすぐにやるということでした。
その後数社経験することになりましたがright nowだけはいつも実践していました。
定年後の今でもそうです。

愛新覚羅

2016/06/11(土) |URL|aishinkakura [edit]

老いてもやっぱり 薔薇を摘み

おはようごさいます。
若き頃はバラのつぼみを摘みまくりました。
しかし今は、とげが恐くて摘み損ねております・・

ここに登場する娘さんたちは青い果実、それとも熟した果実、どちらにしても若さってエロですなぁ。

あなたにできること、
あるいはできると夢見ていることがあれば、
今すぐ始めなさい。
向こう見ずは天才であり、
力であり、
魔法です。

ゲーテの言葉がこんな風に訳されていたのでメモってありますが、おいらの好きな言葉です、特に・向こう見ずは天才であり、・なんていうところは、自分の人生を振り返って、おいら結構天才肌だったのね、なんて自惚れちゃったりして・・

本日の十勝は朝からスカッと晴れています、青い空、新緑の木立、そして爽やかな風、こんなコンデションをおぜん立てされたら 「いつやるか? 今でしょ! 」となりますわいな。

じゃ行ってきます。


2016/06/11(土) |URL|ばく [edit]

Re: (y^ω^)y命短し、恋せよ乙女

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
 タイム・イズ・マネーの格言は多いみたいですね。この四字熟語は知らなかったですよ。『淮南子』ですか。漢字検定1級の検定に出題されたそうで、私が知らないのも無理はない。いや、匠石さんはかなり漢字に強いのですね~。そういえばブログの記事では格言の話も多いようです。
> 尺璧非寳 
 寸陰是競

検索したら次のように説明されていました。
「尺と寸」「是と非」が対置されている。尺も寸も手指の巾をもとにした寸法単位。親指と中指を広げた長さが「尺」。「寸」は一本の指巾。一尺は十寸。
 ここは対置されて、大きい璧と小さい時間の対となる。「是非」は yes と no だから「寳」はダメで「競」はオススメ。

 璧を宝と思って競うより、競うべきは寸陰なのだ。一寸の光陰軽んずべからず。と時間の価値は承知しているつもりですが、いざ自分の日常に当てはめて考えると、一寸の時間をいかに浪費していることかと思い知らされます。

> 人生の最後には、有意義な時を過ごした、と断言できる人生を送りたいものです。
 ほんと。そうできればいいですね。最低、恥のない人生で終わりたいものです。

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: right now

aishinkakuraさん コメントありがとうございます^^)
> right now
 そうですか。若い時に覚えた良い習慣は持続するということですね。定年後の今もそうですか。これは立派なものです。
 私も子供の頃、ゼロ戦、紫電改、彩雲などのプロペラ飛行機が好きだったので航空雑誌をよく読み、その関連で『丸』という雑誌も読みました。その中に、予科練では階段を歩かないで走って昇ると書いてあったことに影響を受け、若い頃は階段を小走りで昇る習慣がありました。今はエレベーターやエスカレーターを探すことが多いですが。

 right now。なにかの洋画を見ていた時に、この言葉が出てきたことを思い出しました。上の者が下の者に命じていたシーンでした。rightとwriteは発音が同じで、lightは日本人には聞き分けにくい言葉です。
 right nowは、まさに今のことで、just now は時間的にほんの少し過去の「ついさっき、たった今しがた」のこと。うーむ、日本語さえ難しいのに、最近は、英語もカタカナ語も漢語もあって困ったものです。(笑)

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 老いてもやっぱり 薔薇を摘み

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> 若き頃はバラのつぼみを摘みまくりました。
 むむっ、なんと。朝っぱらからショックを受けました。円楽のニュースを見たばかりなのに、ばくさんもでしたか。けしからん。いや、うらやましい。どっちだ。(笑)
 ま、若い頃の話で、美人の奥方と知り合う前の話なんでしょう。この前の写真を見たら、相当モテただろうと思えましたから、そんなには驚きませんが、でもねえ、「摘みまくり」の「まくり」がすごい。
 
> 向こう見ずは天才であり、
力であり、
魔法です。

 なるほど。向こう見ずは天才なり。若気の至りと思えるようなことでも、やりたいことははどんどんやりなさいということですか。積極的な勧めですね。
 ある言葉を好きだということは、それに共感する心があり、心があれば行動に出る。ばくさんは天才肌でしたか。なるほど。だから一人であれだけの会社を興せたのでしょう。単に地道な努力だけでは難しいことでしょうから。
 人間というのは岐路で大胆さを発揮するかどうかで先の道筋が大きく変わります。風雲児、暴れん坊、掟破り、豪傑肌といった言葉を思い出します。

 私は親しい女性から、芸術家肌をしてると言われたことがありますが、芸術の才能はなく、営業とか何かを組織することには関心も能力もまるでないので、せいぜい風前の灯児ぐらいにしかなれません。(笑)

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

思い立ったが吉日

『思い立ったが吉日』タイプです。
何でもかんでも、すぐにやるタイプなので、
些細なことでは、たまに失敗することも‥‥。
(考えてからやれば二度手間にならないのに)

ふ~む。
『その日の花を摘め』に関しては、
いい塩梅のタイミングを示唆する言葉でしょうが、
若い、美しい、新鮮、チャンス、平和な間に‥‥、
そんな意味合いが濃厚かな?

しかし、人生を通してとなると、
『潮時』でしょうかねぇ。
思い立っても、状況が未成熟な場合もあり、
それが熟すまでは行動に移さないことって、
意外に多いですよね。

それが、花と果実の違い。

総じて『花も実もある人生』とは、
生きている限り、やりたいことを継続することで、
花も実も‥‥‥さらに種から新しい命さえ芽生えると、
私は思っているかも、と、今、思いました。

私にとっては当たり前すぎて……、
バーソさんの記事を読まなかったら、
意識さえしなかったかも‥‥。(@^^)/~~~

2016/06/11(土) |URL|風子 [edit]

Re: 思い立ったが吉日

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 『思い立ったが吉日』タイプです。
 そう見えますね。その意欲と即断力と行動力が、仕事で成功した一番の原因なのでしょう。他の点でも異性に関しても、そうだったですかね。(^_-)

> しかし、人生を通してとなると、
『潮時』でしょうかねぇ。

 なるほど。いつもいつもが好機というわけではない。潮時まで持っていくことが大事。その時を見極める判断力や準備や忍耐も求められる。常に“今”を注視している必要がありそうです。

> それが、花と果実の違い。
 花と果実の違いというのは面白い視点ですね。花は摘むよりは見て色や香りを楽しむもの。実は見るよりは採って味わうもの。種が最初で、花は途中結果で、実は最終結果。花を取るか実を取るか、には人生志向が表れそうです。実を取る人生は実利的ですが、花の良い香りは味わえないのでしょう。都知事は、花のほうは捨ててますね。

 「今ここ」とは精神世界の常套句です。ブログでは阿部さんを思い出します。「今やれ」も世間の常識みたいなものでしょう。今回の拙記事は、2千年以上前から同じことがずーっと言われていて、それが詩になり絵になっているのが面白かったので、まとめました。なのでカテゴリは精神世界ではなく、「言葉の面白さ」に入れています。写真も珍しく大きいのを使っていて、特に3枚目は今までで一番大きく、2倍くらいあると思います。

 これは自慢でも何でもなく、悔やみ半分の馬鹿話ですが、私は人生のいい時期を全くと言っていいほど遊ばないで生きてきました。映画、テレビ、音楽、本などはほとんど見ず読まず、旅行もせず、子供も生まず、ネオン街はもちろん家でビールを飲むこともなし、でした。
 なので「その日(の花)を摘め」とは、自分自身に向けてと、そして今でも私と同じく、神のためにと信じ切って、今という貴重な時を逸した生き方をしている人がいるので、(いつも)その人たちを意識して書いているつもりなんですね。

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

なるほど……。

『私は人生のいい時期を全くと言っていいほど遊ばないで生きてきました。』
『(いつも)その人たちを意識して書いているつもりなんですね。』

なるほど……、深いですね。
バーソさんの過去記事、ボチボチと読み進めていますが、
どのページも生きる上での深淵なテーマで、深く広い……。

読みながら……。
『この人一体、何者?』と思います。

例えば人と話していても、思考は駆け巡り、
話が終わった頃には別のレポートが完成している。
そんなパラレル脳の持ち主? とも、思います。

ひょっとして、このブログは、
長年に渡って蓄積したバーソ意識というダムが、
決壊した結果でしょうか?
全体から受けるイメージが、
“思いや、想いの躍動!”だと感じながら、
読んでいるところです。♪( ´ー‘)(´ー‘ )♪

2016/06/11(土) |URL|風子 [edit]

ウォーターハウスのボレアス。水仙が描かれていますね。この女性は自惚れが強いということをあらわしているのかも。攻略するのは難しそうですw ボレアスにでもならなければ攻略出来ない。
ボレアスは北風、むさぼりつくすもの。
そのあとでヘリックの詩を読むと
「摘め」は「むさぼり尽くせ」ってことなのか?
と思えてしまいますw
でもヘリックは生涯独身なのですね。晩年の後悔の詩なのか…それとも婚姻外での交渉は凄まじかったのか…。GOATという折り句が後者であることを示しているのかなあ。いや、むさぼり尽くした者ならこんな詩は書かないか…。ヘリックは山羊のようになってでも手に入れたかった女性が過去にいたのかも知れないですね。

摘んだあとでシリカゲルに埋めて色鮮やかなままドライフラワーにしたのが春琴抄の佐助かもw

2016/06/11(土) |URL|小奈鳩ユウ [edit]

Re: なるほど……。

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 『(いつも)その人たちを意識して書いているつもりなんですね。』
 そうなんですよ。ブログのタイトルが『~は自由に』となっているのも、以前に長年、自分の所属していたキリスト教教団が非常に厳格で、聖書の教えを超えて、あまりに独自の規則や制限を多く定めていたせいもあるのです。
 神のご意志と言われると、黄門様の葵の御紋のようなもので、聖書と聖書の神に信仰をおく者はみな畏れ入って従っています。疑う者は排斥にされ、道で出逢っても挨拶もされないほど厳しいのです。
 最近はネットのお陰で教団の実態がだいぶ認知されてきたのですが、いまなお多くの純粋な信者たちは、今時こんな清貧で誠実なキリスト教団は他には無いと信じきっています。
 この教団は暴力絶対反対、戦争拒否で、サリンやテロの恐れもないし、デモ抗議活動なども全くしないので国家に対しては無害なのですが、内部の信者たちにはかなりの害を与えています。
 というような意識が根底にあるので、私のブログは、他者に迷惑が掛からない限り、自由だ自由だ、もっと人生を楽しめ楽しめ、と同じようなことを言うことが多いですね。と言いつつも、当の私は遊びがまるで出来ない人間ですが。

 しかしながら精神世界を学んだせいで、人はそれぞれ自分の生き方が定まっていて、その人に必要な人生をみな経験しているのだろうと思っています。
 今はスマホ、パソコンが普及して、ちょっと検索すれば何でも必要な情報は入手できるので、ネットで真実を調べようともしない人は、何やかんやいっても実際には自分の現在の生活パターンが気に入っているのだろうとも思っています。

 あ、それから、私は精神世界は好きですが、ブログの内容はダジャレの多い雑学情報まとめブログですからね。オーソリティから持ち上げられると、おーそれてぃしまいます。(^-^;

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

小奈鳩ユウさん コメントありがとうございます^^)
> ボレアスは北風、むさぼりつくすもの。
 冒頭の絵、ボレアスに注目しましたか。聖書の神は「貪り尽す神」と言われていますが、ギリシア神話の神も人間以上に人間くさいですね。
 ボレアスの花は水仙なんですか。水仙は冬の花で、毒のある花。美少年のナルキッソスを思い出します。彼は自己陶酔のゆえに高慢だったのか。このボレアスもうぬぼれがあって、高慢と偏見があったのなら、ルシファーと同じですね(イザヤ14章)。

> 「摘め」は「むさぼり尽くせ」ってことなのか?
 ならば、そうかもしれないですね。なんたってバラの花の“つぼみ”ですからね。

> ヘリックは生涯独身なのですね。晩年の後悔の詩なのか…それとも婚姻外での交渉は凄まじかったのか…。GOATという折り句が後者であることを示しているのかなあ。いや、むさぼり尽くした者ならこんな詩は書かないか…。ヘリックは山羊のようになってでも手に入れたかった女性が過去にいたのかも知れないですね。
 さすがに作家のイマジネーションはひろがりますね。『ダヴィンチ・コード』の解読みたいです(これは小説を読まない私が読んだ珍しい本です。映画もテレビで観ました。あ、クムランの本も読みました。イサクの犠牲の話が主人公の父親にからんで、イエスの犠牲の死に至ったストーリーが面白かったですよ)。

 英国国教会は、教理がほとんどカトリックと同じようです。なので生涯独身というのも教会の規則でしょう。いやしくも僧職者であれば、公には妙なことは絶対に言いません。公私混同はしないのですが、心の奥のほうは別。潜在意識には、禁じられたゆえの反動のようなものがあったかもしれません。実際に貪り食ったら露見してしまうでしょうから、これはやはり内心の吐露というか、告解のようなものか。山羊のようになりたいほど好きな女性がいたというのは、温かい推理ですね。
 
 テモテ第一4章の1節と3節には「しかし霊感のことばは、後の時代に、ある人たちが信仰から離れ去り、人を惑わす霊感のことばや悪霊の教えに注意を寄せるようになることを明確に述べています。そうした人たちは結婚することを禁じたり」とあり、聖書は結婚を禁じるのは良くないと述べているのに、なぜカトリック系教会が僧職者の結婚を禁じるのか、不思議です。
 
> 摘んだあとでシリカゲルに埋めて色鮮やかなままドライフラワーにしたのが春琴抄の佐助かもw
 あははは・・・面白い。ガラス瓶に入れられたアルコール漬けより、きれいです。

2016/06/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

無駄な人生を送るのだっ

 無駄、いいじゃありませんか。人生とは如何に無駄な知識を積み重ね、如何に無駄を弄ぶかであります。そもそも人間が有意義と思っている事がどれだけ有意義である事か。逆に他人からは無駄と思われている事が本人にとってはどれ程大切なものである事か。
 その意味で趣味なんて無駄の極みであります。中にはご飯の元となっている人もおりますが、大半の人は奥様や家族からゴミ収集家などと揶揄される始末であります。それでもそのゴミをせっせと溜め込むのが人間。
 とある昔の思想家が言いました。「人をいつくしむ心。何ももたぬ暮らし。人の先に立たぬ生。」無駄を有意義とするか、無為とするか。いや、無意味としてそれを是とするか非とするか。うーむ、難しい問題だ。
 わたくし?わたくしは何かをしようとして何も出来ないアホでございます。無我の境地には縁遠い俗物であります。

2016/06/11(土) |URL|miss.key [edit]

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2016/06/12(日) || [edit]

ウォーターハウス、よく知りませんでしたが、
画像検索してみると、そそられます。とくに
「Windflowers」が気に入りました。
不安定な構図にダイナミックな風の動きが感じられます。
私は嫌な仕事、気の進まない仕事は先にやってしまいます。
そんな仕事を抱えていると気が滅入るし、楽しくないですもんね。
また新しいカメラがほしくなっています、coolpix p900 。
内なる声が「買うなら今でしょ」と囁いてきます。
そうだカメラをバラと思えばいいんだ。今のうちに摘まなきゃ(笑)

2016/06/12(日) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 無駄な人生を送るのだっ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 無駄、いいじゃありませんか。人生とは如何に無駄な知識を積み重ね、如何に無駄を弄ぶかであります。
 あはー。一見、反対意見を唱えているようで、そうではない。人生は一体なにをするのが有意義なのかという、常日頃から世間に抗するmiss.keyさんの人生論の主張のようで、じつに真理を突いていると思いますね~。
 特に趣味の話に限定すれば、じつに叱り、いや、然り。全くその通りじゃないですか。ひとと同じ趣味をやって面白はずが、ええと、面白いと思う人もいますがね、まあ、趣味というのはおおむね世人からは無駄と思われるものなのでしょう。でも、その無駄な趣味を面白がる自分と他人もいるのですね~。

 考えてみれば人生はすべて無駄。何をやっても、どうせいつか必ず死ぬのですから。悠久の時間から見れば、人間は、ほんのひと呼吸の間を切なく哀しく生きているに過ぎません。
 がしかし、その短いひと時がすこぶる面白い。何をやるかで人の一生は激変します。趣味の広いほうが、深いほうが、面白いに決まってます。

 ひとつ思い浮かびました。“人生とは趣味で生きるものである”。
 であれば、多勢に従うも良し。少数に組する趣味も良し。有意義も良し。無駄も良し。何でも良し良し、ですかね。

 しかしながら、趣味があると言いながら、それをだらだら引き延ばししているような人は、本当に趣味を楽しんでいるのか。いや、本当に好きな趣味を持っている人は、その無駄なことを、いつやるか? 今でしょ! となるのでしょう。あ、むろん、だらだらするのが趣味だと言う人もいそうです。太公望なんていうのは、釣り糸を下げている間、人生とは何ぞやを考え、焼き魚にすべきか煮魚にすべきか、いや、干物にしよう、うーむ、今日はまだ一匹も掛からぬ、などと熟慮深慮考察精査しているのでしょう。
 
 とにかく「何ももたぬ暮らし。人の先に立たぬ生」は、その前に「人をいつくしむ心」があるところがポイント。その徳さえあれば、素寒貧の人生であっても、心の中には美しい宝石がありそうですね。

2016/06/12(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
> うら若き日に 薔薇を摘み
 老いてもやっぱり 薔薇を摘み

 やっぱりこの言葉に共感されましたか。私も同感です。

> それが心地よくて、それしかできない怠け者です!
 あははは・・・うまい言い方です。謙遜です。そして正直な人のように感じさせます。都知事もこういうふうに最初から言えば、不誠実だと叩かれなかったでしょうに。

 人生は、心地いいこと、それが大事なんでしょうね。いくら立派だ正しいことだ必要なことだ、などと思っていても、心地よくなければつまらないし、情けない。義務感や正義感で行動するのもいいですが、心から自分の感情で愉しいと思っているかどうかが肝要のような気がします。心地いい。これは人生のキーワードなのでしょう。
 
 城夏子さんの本。『薔薇の花の長い服』のamazonのレビューを見たら、「年を取っていることを逆手にとって、楽しんでいる。むしろ利用しているのかもしれない。こんな老後が送れたら、と思います」と書いている人がいました。なるほど、そう成れたらいいですね。城さんは戦時中でも、もんぺを履くことに抵抗したそうです。私は『また杏子色の靴をはこう』という本を買いました。昨日届いたので、今日読むつもりです。

2016/06/12(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> とくに「Windflowers」が気に入りました。
 あー、そうですか。私もこの絵が一番好きです。背中から強い風が吹いているので、後ろ側に体重が行っている。右手は、吹く風に流される髪の毛を押さえている。確かに不安定な立ち姿の中に風の動きが感じられる巧みな構図です。なんとも優美で上品な色っぽさがありますね。

 若い女性が風に抗しているこの構図を見ると、この女性が自分の本能的な欲望に抗しているようにも見えてきます。そう思って顔を見ると、ちょっと困ったような考え深い表情をしています。
 
 windflowers。アネモネ。Wikipediaによると、「和名はボタンイチゲ(牡丹一華)…地中海原産で、語源はギリシア語で「風」を意味するanemosから。ギリシア神話中に、美少年アドニスが流した血よりこの植物が産まれたとする伝説があり、稀にアドニスと呼ぶこともある」そうです。
 冒頭の絵の「ボレアス」をWikipediaで見ると、「アネモイ(Anemoi,「風」の意)は、ギリシア神話の風の神たちで…ボレアースは冷たい冬の空気を運ぶ北風」とありました。
 春の風は強く吹きます。生暖かな風です。なんとなく野の花々からは官能という柔らかい芽が出ていそうですね。

 coolpix p900。一時、好評で品切れになり、かなり高騰しましたが、今はたくさん生産されたのか、買いやすくなったようです。世界最高の2000mmズーム。デジタルズームで4000mm。確かに、買うなら、今でしょ。はい、ぜひブログで動画を紹介してくださいな。

2016/06/12(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ウォーターハウス、
なにやらすけべな視線を投げかけていますなぁw。
明らかな意図を感じます。

いのち短し 恋せよ乙女、
これも、男の側からの要請っぽいです。

100年が過ぎて、
古典的な、男からのまなざしを、
女はどう捉えるか。

何も見ない、何も言わないのが、
今どきの礼儀ですが。

2016/06/12(日) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> なにやらすけべな視線を投げかけていますなぁw。
明らかな意図を感じます。

 あはーっ、またまた。ひとと違うことを言おうとしてる。私がこの前のコメントで、エリアンダーさん宛に、絵にはなんとも優美で上品な色っぽさがあると書いたので、それでは自分の存在感と独自性を示そうとして、あえて無理して異論を言おうとしてませんかね。英国紳士ならば使わないような形容詞を使っていることからして、そう感じます。(^<^)

> いのち短し 恋せよ乙女、
これも、男の側からの要請っぽいです。

 なるほど。男が要請するなら、当たり前のことを要請しているのでしょう。女が要請しているなら、早く誘ってよ、いや、もっと誘うよ。ということでしょうか。私の年代だと、女とは男を誘うことをしない人種で、むやみに女を誘う人間はオトコとカタカナで書く人種だと思っていますが、今はそうでもないのでしょう。何も見ない、何も言わない、のがそうですか。

 文語訳聖書のイザヤ書3:16に「シオンの女輩は驕り、うなじを伸ばして歩き、 眼にてこびを送り、徐々として歩みゆくその足にはりんりんと音あり」とあります。西暦前のイスラエルでも、都会の女は男を誘いながら歩いていて、聖書筆者はそれを嘆き、それゆえ「主は女らの美しい服装と装身具を取り除き…シオンは荒れ廃れる」と言っています。
 
 がしかしそれも堅物の人の見方。身の回りの事象をどんなレンズの眼鏡で見るか。素通しか、色付きか、凸レンズか、黒い暗いレンズか。見る眼鏡によって、世間ははずいぶん違って見えるのでしょう。でも、まあ、いろんな見方ができるのはいいですね。こう見なくちゃいかん、などと一方的に決められる世界ほど恐ろしいことはないですから。

2016/06/12(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>あはーっ、またまた。ひとと違うことを言おうとしてる。
はははw、いえいえ、これくらいのすけべさが健全です!

>見る眼鏡によって、世間ははずいぶん違って見えるのでしょう。
はい。対極に置きたいのが、ハンマースホイ。
画家の表現って、すごいよね~!
女を描かせても、こんなに違う。

2016/06/13(月) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 ヴィルヘルム・ハンマースホイ。知らなかったので検索しました。
 絵を見ると、静寂で、寂寥。確かに対極のようです。黒い衣装の女性は妻(か親しい友人)。端正なインテリア。生活感なし。色は鮮やかな色は使わず。
 私はこういうインテリアは好きなほうで、部屋はボロですが、家具や小物類はおおむねイギリスアンティーク系にしています。拙ブログも無彩色なテンプレートで傾向が似ています。

 Wikipediaには、「室内に描かれる人物は1人か2人で、後ろ向きであることが多く、正面向きに描かれたとしても顔のタッチがほとんどぼかされるか影に入っているうえ、人物は鑑賞者と視線を合わせない」とありました。

 この画家は「内面を語っている」。だから色を抑え、顔を見せず、人間の感情が表れないようにしているのですか。画家本人の顔を見ても、駄洒落なんか嫌いそう。会話は重苦しそう。黒ずくめの女性も無口のようです。

 といって、むろん別に悪くはない。いろんな画家がいることはいいことです。むしろ、いわゆる泰西名画なんかより、はるかにいい。下手な印象派よりも洒落ていて、いいですね。
 ただ、あまり自分の部屋には飾りたくないなあ。長く見ていると気持ちが沈みそうです。

 内面というのは語ると、暗くなるものですかね。内面というのは、心静かなときに観るものではあるでしょうが。

2016/06/14(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/06/15(水) || [edit]

Re: タイトルなし

mさん コメントありがとうございます^^)
 うーむ、まじめなコメントで時間が掛かったでしょう。返信を書くのも簡単ではなく、ちょっと考えました。

> 人は若かったり健康だったり幸せだったりすると
当然明日があると傲慢に考えてしまう

 そうですね。若くて健康なときは全くと言っていいほど寿命なんてことは考えませんし、年を取ってからも十分に動けるうちは案外考えない人が多いのじゃないかと思います。

 以前はそれではいけないと思っていました。生きているうちにやりたいことをしておいたほうがいい、そのほうが最後の時に後悔がないと思っていました。
 が今は、そうでなくても、日々まあまあ楽しめていればいい、毎日を怒ってばかり悲しんでばかりでなければ、それでいいじゃないかと思うようになりました。
 毎日、リンゴの木を植える。毎日、花の苗を植える。何の変わりはないけれど、多分それでいいのだろうと思っています。それじゃあよくないと思う人は良いと思うことをすればいいのですから。

 2枚目の絵が好きですか。淡いピンクのバラの香りをかいでいる絵。
 この絵を見ていると、風が吹けば風に逆らわないで、花を摘む風になり、バラの花の高貴な香りを心ゆくまで吸い込む。そんな自然体の毎日もいいような気がします。生きていることに感謝して、花を愛で、愛を追い求め続けることができるなら、それは最高ですね~。(^^♪

2016/06/15(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

昨夜、学生時代の友人が亡くなったという知らせを受けました。

強い水鉄砲で私のココロを打たれたような
感じでした。

今の自分を、きょうの自分を大切に生きよと
言われたようです。

ある友人がその亡くなった人を評して
「あんなに自然派だったのに・・・」というのです。

わたしは、なるべく国産のものを買ってたべるようにしています。
わたしの年齢には、多少の毒がはいっているものを食べても関係ないのかなあ。

ま、国産のものを買って食べるのは健康上ではなくて私の場合は道義上からですけど。
毒も理不尽も含めて時代の流れのまんまで暮らせよ・・・ってことかなあ。

※バーソさん、私はキカイオンチで
いまもって、ブログの表題が消えたまんま。
何かのチャンスで誰かに直してもらおうと
人だのみ。
直したいなら、今でしょ!とならない自分が
歯がゆいです。

2016/07/06(水) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
 学生時代の友人なら、まだ若いでしょうに、人によって本当に寿命というのは違いますね。これからはだんだん友人知人の訃報を聞くことが増えてくるのでしょう。

> 今の自分を、きょうの自分を大切に生きよと
言われたようです。

 そう思うのはいいことです。聖書にも「嘆きの家に行くことは、宴会の家に行くことに勝る。それがすべての人の終わりだからである。生きている者はそれを心に留めるべきである」とあり、さらに「賢い者たちの心は嘆きの家にあるが、愚鈍な者たちの心は歓びの家にある」とも言われています。伝道の書7:2,4

 何があろうと、いま生きているこの時を大事にしていきたいものですね。今の出来事は今の自分のためにセットされているのですから。

 私も食べるものはあまり気にしていませんよ。中国製の安物を避ける程度ですが、それも大手のセブンイレブンとかイオンの商品なら許容することがありますね。
 テンプレの件はそちらの方法を書きました。参考にしてみてください。

2016/07/06(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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