「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「おかげさまで」の言葉と、見えないものを感じる心。 

「呑みねぇ、呑みねぇ。寿司食いねぇな。江戸っ子だってねぇ」 
  ―――おぅ、神田の生まれよ。
「お前さん、ばかに詳しいようだから、ちょいと聞くけど、文化のなかで
 一番大事なのは、なんだか知ってるか?」 
 ―――まずは食う、二に寝る処、三に住む処、四はきゅっと熱燗で長久命よ。
「なにぃ? 風来末め。文化で一番大事なのを忘れてやしませんかってんだよ」
 ―――あ、すまねぇ。天子さまからいただく大事な勲章を忘れてた。
「この野郎。やい、お前、あんまり詳しかねぇなぁ。よぉ~く考えておくれ。
 もっと大事なのがあるでしょが。特別大事なのがあるんだよ。お前さんね、
 何事も心配しねぇで気を落ち着けて考えてくれ。もうひとつあるんだよぉ」

旧約聖書コヘレトの言葉3章11節
  神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
  それでもなお、人は神のなされるわざを
  初めから終りまで見きわめることはできない。


神の範疇にある「永遠」を思う意識は人間だけが持っている。
 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか―――
 昔から知を愛する人たちは、目に見えない奥深い事柄を知ろうと努めてきた。

文化とは、人が存在する意味により深く迫ろうとする意識、また宇宙の摂理ないしは
理法を感じる微細な感覚が、その根本の前提にあるとは言えないだろうか。

goghan.jpg
Eugène Henri Paul Gauguin

というわけで、本日はクリスマスです。(※今回は一日早く更新しました)
目に見えない神を思い、目に見える一番身近な人を想う日です。

で、見えない《何か》を感じる心と「おかげさまで」という言葉の話です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おかげさまで、何々させていただいています」という感覚。
この言葉は、ふだん別にお世話になってない知り合いに対しても、謙譲の挨拶語として
普通に使われているが、元々は宗教的な考え方に起源がある。

「おかげさま」は、元々は神仏の加護を受けている意。(語源由来辞典)
古くから「陰」は、神仏などの偉大なものの陰で、その庇護を受ける意味として
使われていた。そこから利益や恩恵を他人から受けることを「お陰」と言うようになり、
これに「様」をつけて丁寧にした言葉が「おかげさま」。
 
「させていただいている」は阿弥陀如来の加護を受けているの意。
浄土真宗の教えでは、人はすべて阿弥陀如来によって生かしていただいているとする。
三度の食事も仕事も就寝も起床もすべて他力のおかげで「させていただいている」として、
ふだんの息災を感謝するときにこの言葉が使われている。

これを近江商人が商いをするときに便利だとして取り入れて全国に広まったのだろう
(と司馬遼太郎が書いていると丸谷才一の本にあった)。

ruso9.jpg
Henri Julien Félix Rousseau

そうすると、目に見えない《何か》にも種々お世話になっているという意識と感覚は、
日本人の心の深層に連綿として受け継がれてきていると言えるだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
目に見えない《何か》にふうっと気づくという感覚。

蓮と鶏 金子みすゞ

泥のなかから 蓮が咲く。

それをするのは 蓮じゃない。

卵のなかから 鶏
(とり)が出る。

それをするのは 鶏じゃない。

それに私は 気がついた。

『金子みすゞ童謡集』

moneo-.jpg
Claude Monet

蓮が咲いたり鶏が生まれたりするのは、それ自体が自動的にしている自然の営みではない。
じつは目に見えない《何か》のおかげでそうさせていただいている。
その《何か》はそれを自分に気づかせてくれた、と鋭敏な感性を見せている。

これは仏教徒の西行が「何事」が居るかは知らないが「かたじけなさに涙こぼるる」と
詠んで、神道の伊勢神宮で厳かな《何か》を感じたときの感覚に近い。

人は主義思想宗教を超えて、目に見えない《何か》を感じる感覚を持っている。
それは、人が「文化」の領域を考える際に、核心となる重要な問題ではないか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
西洋人と日本人の本質的な感覚の違い。
聖書の民には、神は漠然と感じるものというより、取引をする対象である。

西欧の精神基盤である「聖書」は、神と人との契約を記した書と言える。
 神が仲介者モーセを通してイスラエル人と結んだ契約が「旧約」で、
 神が仲介者イエスを通してイエスに従う者と結んだ契約が「新約」だ。

その契約は、神の側が、お前たちは我が命令を守って我に仕えよと言い、はい、
そうしますと受け入れた者には命が与えられるが、そうでない者はみな死ぬことに
なっている。すべての衆生を救おうとする悪人正機説とはえらい違いだ。

つまり聖書の宗教は、人は神の「おかげで生きさせていただいている」ので
神に感謝しつつ生きようという意識が弱い。神を相手に契約をし、理性で損得を
納得し、その後は信仰で生きていこうとするドライな感覚を持っているのだ。

西洋人の文化には、論理に従う自我があり、それは個人主義を有している。
日本人の文化には、心に従う自己があり、それは和の精神を含んでいる。

なにかと日本人の精神は欧米に劣ると自嘲的に言われるが、世界に優るとも
劣らない、温和な意識と鋭敏な感覚が日本の文化のバックボーンにはあるのだ。

kure-.jpg
Paul Klee

我思うゆえに我あり。我感じるゆえに我あり。我楽しんでいるゆえに我あり。
さあ、どの物差しで計るのがお好きかな。さ、呑みねぇ、食いねぇ、金がねぇ。

(今年も訪問やコメントを有難うございました。正月の週は二度更新しますね)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
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>文化とは、人が存在する意味により深く迫ろうとする意識、また宇宙の摂理ないしは理法を感じる微細な感覚が、その根本の前提にあるとは言えないだろうか。
う~ん、言える~♪
逆に宇宙の側から言うと、
宇宙は僕たちを生み出して、
自らを想うことができるようになりました。
自らがあることの不思議を知りました。

僕たちを得て、宇宙には文化が生まれ、
僕たちがいるから、宇宙には目に見えない何かがあります。
客観的に存在していること、
それだけですべてが描き出せないようなものを作っていることが、
宇宙に人が生まれた意義ってものです。

目に見えないものを作ってるなんて!
宇宙は、信じられない、と言ってるでしょうねw。

2015/12/25(金) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> 僕たちを得て、宇宙には文化が生まれ
そうですね。人間の様々な努力、試み、葛藤、悩み、争い、失敗、成功・・・それらが時代・地域・信念で複雑に絡み合って文化が作られてきたのでしょう。人がみな春の海のたりのたりの太公望でいれば文化の発展は遅そうです。

> 僕たちがいるから、宇宙には目に見えない何かがあります
> 客観的に存在していること
> それだけですべてが描き出せないようなものを作っていることが
> 宇宙に人が生まれた意義ってものです
これは、人間は目に見えない未知の領域のものさえも考えられる点で、宇宙では特別な存在であるということですかね。
であれば、愛や人生の意味を考えたり、宇宙の果てを考えたり、量子の世界を追求したり、路傍の花の美しさを愛でたり、また、詩を読み、絵を描き、歌を歌い、文を書き、ひとと何かについて語ったりすることもその中に入りそうです。
 人間は考える葦であるとはよく言ったものですが、また、感じる葦でもあるのでしょう。

> 目に見えないものを作ってるなんて!
> 宇宙は、信じられない、と言ってるでしょうねw
これ、面白い。宇宙は最初に人間を生み出すとき、そこまで予想しなかったのでしょうかね。宇宙は意識し、思考し、想像することができるはずですね。
だって、人間ができるのですから。

でも、思うだけと実際の体験とはまるで違います。
なので、宇宙は、人間の思考と感性とその結果の体験を通して、新しいみずみずしい感動を感じているのでしょうかね。では良いお年を。知り合えてよかったですよ。

2015/12/25(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ありがとう

おかげ様、いい言葉ですね。
日本特有の言葉であり文化です。
この言葉を聞くとホッとし、相手に優しい気持ちになります。
私は「おかげ様」は使わないですが「ありがとう」は連発します。
人間関係がよくなるような気がします。レストランで二杯目の
コーヒーがタダになったり一品よけいについたりします、根が
いじましいんです。(笑)
写真を撮るとき「きれいですね」と声をかけるといい表情になります。
https://www.youtube.com/watch?v=aW8BDgLpZkI
この掲示板が賑わうのはバーソさんの記事の魅力と「おかげ様」の
精神です。(あっ、1%ほどお世辞が入っています(笑))
バーソさん、今年はいろいろありがとう。
たくさんのユーモアあふれる記事でいろいろ教えていただきました。
来年の正月は特別配信ですか。楽しみにしています。
よいお年を!

2015/12/25(金) |URL|エリアンダー [edit]

Re: ありがとう

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
「おかげさま」の意は3種類あります。
1.皆々さま(と神仏森羅万象にも)にお世話になっているという意味。
2.具体的に特定の誰かが力を貸してくれたおかげで、という意味。
3.信心をしている人が特定の神仏のおかげで、という意味。

 1.は日本人特有の文化と言える言葉で、英語には訳しにくい言葉でしょう。
 若い頃はこの言葉を聞くと、誰のお世話にもなっていないのにと感じていましたが、歳を取ると、自分は回りまわって誰か彼かのお世話になっていることが分かってきて、普通に自然に使えるようになりました。

 ただ、私は「何々させていただきます」の《多用》は好きじゃないですね。
これ自体はいい言葉なのですが、使う場によっては、あるいは多用されると、謙遜とは感じず、愚かしく感じます。

> 写真を撮るとき「きれいですね」と声をかけるといい表情になります
あ、そうですね。プロのフォトグラファーはシャッターを切るたびにモデルを褒めています。言い過ぎるぐらいでいいようですね。私は正直なもので、なかなか普段それができませんが、その代わりちょっとでも服装やヘアスタイルがかわいかったりおしゃれだと感じたときは、必ず褒めることにしています。数日前も郵便局にカードを作り変えに行ったとき、局員の女性に、マニキュアがきれいと褒めたら、そのせいかティッシュをお土産にもらいました。

正月は2回出すのは、内容が挨拶文で簡単なせいです。2回目も単なる挨拶の続編で、特別配信だなんて だいそれたものではありません。
エリアンダーさんのところで、たとえばワンコのほほえましい動画を見ると、その一瞬の画像を見るだけで、私の書く記事なんてかなわないなと思うことがよくあります。
ことしもありがとうございました。では、良いお年を。

2015/12/25(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

おかげ様で

おかげ様で

いうだけで、気持ちが和みます。
大好きなことばです。
ああ、きれいな日本語いっぱいありますね。
きょうは、おかげ様で、思い出しました、
いい言葉を。

バーソさん、ありがとうございます。

これからも楽しみしています。

2015/12/25(金) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんばんは

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> いうだけで、気持ちが和みます
> 大好きなことばです
そうですか。気持ちが和むというのはいいですね。
穏やかな温かい心があるということでしょう。
言葉に鋭敏なひとからそう言われるとうれしいですね。

私もみなさんのおかげでブログを続けられています。
森須さんには、毎日忙しいでしょうに、毎回訪問して、
毎回コメントで温かく励ましていただいて有り難いことだと
喜び、感謝しています。
「おかげさまで」を、森須さんにも申し上げます。
どうぞ良いお年をお過ごしくださいね。
休みはまたどこか遠くへ行く予定じゃないのですか。
私は近所でバーゲン狙いの買い物ぐらいです。
と思ったら、年末年始も休みなしなんですか。
あらら、体調に気をつけてくださいね。

2015/12/25(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私は「おかげさまで」は使いません。そういえば。
使うことを避けています。わざわざ。
なんか、言いたくないんですよね。
この言葉の持つ、どの部分がいやなのかな。
嘘ついてるみたいになるのが、いやなんだ、きっと。
感謝するなら、ちゃんと感謝すべきですから、
「おかげさまで」の、うっすら感謝みたいなのが、
気持ち悪いのだと思います。

2015/12/26(土) |URL|プラトニックまいまい [edit]

奥が深いですね

バーソ様
おはよう御座います。

森の石松から始まって、これは楽しそうだと思ったら精神論に入っていくのですね。
バーソ様の常套手段にひっかかりました。(笑)
聖書は契約書ですか。なるほどそういわれてみればそうなのでしょうね。
しかし幕末の不平等条約以上の一方的な契約ですね。死があると脅しているのですから黒船以上です。
日本人と西洋人の違いですね。解かるような気がします。見えないものですが確かに違っていると思います。

愛新覚羅

2015/12/26(土) |URL|aishinkakura [edit]

来年もよろしくね

おはようございます。

あと六日も寝るとお正月ですねぇ。

この年の瀬にとても素晴らしいお題ですなぁ、というのも森の石松から始まり、ゴーギャン、ルソー、クレーの色添えと司馬遼太郎に金子みすゞが現れ最後はデカルトで締める。

なんかおいらの頭の中を覗かれているような、昭和のあの時代を共に過ごしてきた同士的な匂いを感じつつ、「おかげさま」と言う言葉を神妙に考えております、思い起こせば40代の頃、司馬遼太郎にもはまり、街道をゆくシリーズの中の近江散歩だったか、その中におかげさまの一説があったような気がします、当時商売について真剣に考えていましたので、その一説は今でも色褪せず記憶に残っています。

この一年、バーソ様のブログで楽しいひと時を過ごさせて頂きありがとうございます、そして来年も貴兄にとりまして輝ける年でありますやうに、心よりお祈り申し上げるしだいでございます。

なんちゃって・・

2015/12/26(土) |URL|ばく [edit]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/12/26(土) || [edit]

Re: タイトルなし

プラトニックまいまいさん コメントありがとうございます^^)
> この言葉の持つ、どの部分がいやなのかな
> 嘘ついてるみたいになるのが、いやなんだ、きっと
> 「おかげさまで」の、うっすら感謝みたいなのが
> 気持ち悪いのだと思います
 おお、さすがにいい文学的センスをしてますね。《ことば》の意味を普段からよく考えているのでしょう。確かにそういう部分もあるでしょうね。私も若いときにそう感じました。いまでも数パーセントはあるかもしれません。
 でもそれが気にならなくなったのは、やはり歳のせいというか、自分が生きているのは自分の力だけで生きているのではないと思うようになったからです。
そして、そう、とりあえずそう言っておけば物事はうまくいくというだろう、という大人の打算めいた考えも若干あるかもしれないですね。

 西暦1世紀のユダヤ人たちも、われわれは自分の力で生きているのだと考えていたようです。そこで、イエスは、そうではないと言いました。それが有名な「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉です。

 これは《人は自分で稼いだお金でパンを買って、自分の力で生きているように思っているかもしれないが違う》というような意味です。まあ、ひと口で言えば、神の力で、つまりおかげさまで生きているのだということなんですが。
 専門的な聖書の解釈の話になりますが、その点を扱っています。
http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-20.html

 ではでは、来年もよろしくお願いしますね。良いお年を。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 奥が深いですね

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 あー、きちんとよく読んでくださいました。うれしいです。そうです、聖書の契約は不平等に感じるでしょうね。言うことを聞かないと死ですから。黒船の人たちは大砲で日本を脅して契約を結んだようですから似てますかね。
 
 今、幕末に日本に来たオランダ人使節の本『エルギン卿遣日使節録』を図書館で借りて読んでいるのですが、ものすごく面白いですよ。日本をベタ褒め。日本人ほど正直で高潔な国民は世界にいない、子供の頃から学習をし、知識欲は旺盛で、町はきれいで、犬は元気で、富士山はきれいで、若い娘はきれいで、と褒めちぎっています。ただ音楽とお歯黒は駄目だったみたいですが。

 聖書の契約ですが、厳密に言うと、神がアブラハムと結んだ契約がメインで、それに旧約が追加され、その旧約がのちに新約に変わったのです。

 アブラハムの先祖ノアと結んだ契約もあって、これから大洪水で邪悪な全地を滅ぼすが、おまえとおまえの家族は方舟に入れば救ってやるというものでした。そして大洪水後には神は、もう再び全地を滅ぼす大洪水は起こさないと言い、そのしるしとして虹を与えると言いました。虹にはそういう平和の意味があります(なのでそれ以前には雨がなかったという説があります)。

 ではぜひ良いお年を。今年も毎回ありがとうございました。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 来年もよろしくね

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> 森の石松から始まり、ゴーギャン、ルソー、クレーの色添えと
> 司馬遼太郎に金子みすゞが現れ最後はデカルトで締める
 いやあ、ばくさんらしく、うまく知的にまとめてくださいました。私のブログが《まとめブログ》であることもバレてしまいましたかね。(笑)
 「森の石松」には「寿限無」も入っているのですが、呑みねぇ呑みねぇなんて話は、若い人にはまるで分からないでしょうね。あの昭和の時代を必死に生きてきた同志でないと通じない話です。

> 司馬遼太郎にもはまり、街道をゆくシリーズの中の近江散歩だったか、
> その中におかげさまの一説があったような気がします、
 おお、そうですか。20年以上のことをよく覚えていますね。商いについて考える人は、そういう言葉も真剣に考えるのでしょうか。
 このことばを打算的に使うのではなく、本当にそう思って使おうとする精神で仕事をしていく人は会社経営もうまくいくのでしょう。商売とか経営は私には分からない世界ですが、仕事の質や社会・世相の分析力などはもちろんですが、経営がうまくいくかそうでないかは、きっと人と人との関係が大きな要素を占めるのでしょう。やはり思考イコール人柄が大事のようですね。
 
 では、悠々素敵なお正月をお過ごしください。
 今年も、面白い、否、楽しいコメントをありがとうございました。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 初めまして バーソさま

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 よく万年筆のキャップを外して書いてくださいました。うれしいです。
 これからは遠慮なく玄関のほうからお越しくださいね。中は狭いですが。
 今日はちょっと出かけるのですが、夕方以降そちら様におじゃましてコメントを入れさせていただきますね。

追伸。
12月分を拝見して感想を書いたのですが、コメントを入れるところがありませんでした。で、せっかく書いたので、ここに追加で入れますね。
《以下、コメントです》
写真も夢のような異次元のイメージで、色調が独特できれいです。
どこかノスタルジックで、子供の頃を思い出します。
いまTimi Yuro - Just Say I Love Him "by pepe le pew" を
聴きながら書いています。よく合っています。
詩もほのぼのとしていて優しく話しかけられている童話のよう。
不思議なポエムのフォトブックを開いているようです。
時々はっとするような形容詞や比喩が出てきます。
時々はっとする写真が出てきます。
初めて見る読めない字も出てきます。(笑)
和歌のような詩あり、普段着のような易しい言葉あり。
こんな世界を描けるのは、すごいですね。
いまはYo-Yo Ma - Meditation (J.Massenet) を聴いています。
オリオン座がきれいに撮れているのもすごい。
私とは別次元の世界ですね。到達どころか、全然真似できません。
Life is beautiful (soundtrack) 。初めて聴きました。
大の字になって寝ている茶色のネコ。この写真よく覚えてます。
Libera - Ave Maria (Caccini) 。このグループの声、好きです。
音楽を聴きながら拝見すると、とてもいい感じです。
12月1日からの分、見終わりました。またお邪魔します。
コメント、ありがとうございました。うれしかったです。
リンクを張らせていただきますね。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

「おかげさま」という言葉は、
自分以外の人や見えない存在に助けられて、今の自分があるという、
日本人が無意識的に把握している世界の実相が表れているようで、
私も大好きな言葉です。

西洋人の、自分の外に唯一の神が存在すという価値観は、
事実かどうかはさておき、必然的に宗教的対立をもたらす考え方ですね。
そもそも、自分の外に神がいるという考えが、事実に反しているかもしれませんし、
全ての人が、内在神を実感すれば、
過度な自己否定にも陥らず、全ての人を尊重することもできると思いますが・・・

正しさというのは、論理的な正しさは存在しますが、
価値観の正しさというのは、果たして存在するのか疑問です。
日本人が大切にする「和の精神」を追求すると、
どうしても、相手の立場からもものを見るようになるので、
「正しさ」は、ひとつだけじゃなくて、無数の側面があるのが見えてきますし、
正しさにこだわるのは、結局のところ、
利己心の追求に繋がっているのかなと感じます。

2015/12/26(土) |URL|Korva [edit]

こんにちは。

日本人の考え方と、欧米人のそれの違いが、延いては国民性の違いになっているような気がします。
感覚的なものなので、何が、とはっきりは言えませんが(苦笑)

今年も一年お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

2015/12/26(土) |URL|野津征亨 [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 「おかげさま」という言葉は
> 自分以外の人や見えない存在に助けられて、今の自分があるという
> 日本人が無意識的に把握している世界の実相が表れているようで
 そうですね。「実相」というのは仏教用語なんでしょうか。学生時代にちょっと読んだことのある神道系の経典名を思い出します。それは人が生命の実相に気がつけば病気も治るというような教えでしたが、その真偽は別にして、見えないものの存在については、むしろ在ると思える証拠のほうが多いように思います。

> 全ての人が、内在神を実感すれば、過度な自己否定にも陥らず
> 全ての人を尊重することもできると思いますが
 自分の外の唯一神を信じるほうが内在神論や汎神論より進んでいるように思われていますが、そう思うのも一種の宗教的思考なんでしょう。その思考は、この世では強い者が勝つ、それが当たり前だ、という信念に基づいているので、実際に強い者が牛耳っているこの世界では受け入れやすいのかと思います。

 弱肉強食の論理も、結局は何が正しいのかが分からなければ話が始まらないわけで、それが利己心の追求と正当化につながるのではないでしょうか。
 経済の追求こそイコール幸福の実現であるという考え方はわかりやすい理屈なのですが、物事の重要な一面、すなわち《霊性》というものを完璧に忘れやすくさせていて、本質を見損なう原因になっていると思いますね。
 今年もありがとうございました。良いお年をどうぞ。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは。

野津征亨さん コメントありがとうございます^^)
> 日本人の考え方と、欧米人のそれの違いが
> 延いては国民性の違いになっているような気がします
 そうなんでしょうね。人の性格の違いも結局は生来的に受け継いだものと、後天的に学んだり影響を受けてきたことに基づいているわけで、国民性というのも伝統で受け継いできたものとその国の国教的な教えが影響を与えてきているのでしょう。
 そう考えると、日本は仏教や儒教の教えが昔から浸透してきているので、謙虚さや真面目さ、忍耐や辛抱強さという特質が特長的になっているのかもしれません。 
 悪貨は良貨を駆逐するという考えがありますが、精神的な分野では、そうでない場合もあると思いますね。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説・短歌」で検索できます。一度訪問してみて下さい。よろしくお願い致します。

Re: こんばんは

鬼藤千春の小説・短歌さんへ。
あなたはこれで3度目です。(14/9/12、15/11/27、15/12/26)
まったく同じ文章のコメントをあちこちのブログにも入れているようですが、
毎回「はじめまして」と書くのはやめなさい。いい加減にしてください。
それに「このブログに出会いました」とは、なんという失礼な書き方ですか。
最低でも「こちらさまのブログに出会いました」と書くのが礼儀です。
宣伝するにしても、宛先をちゃんとメモしておいたらどうですか。
こういうことは四度としないでください。

2015/12/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

バーソ様
おかげさまで、ブログを楽しむことが出来ました。
そして、人生勉強をさせていただきました。
どうか来年も・・・
大目にみてくださいね。

コメント、かなり浮くことを狙って?
書きますから。(*^_^*)

2015/12/26(土) |URL|Miyu [edit]

>あなたのブログは、大変失礼ながら内容がお粗末です。
好奇心に駆られて…、
思わず見に行ってしまったぢゃないですか~!w
怖いもの見たさ、ってやつですか。

うちに、訪問履歴から来ました、ってコメが入ったら、
バーソさんのせいですからねっ!

2015/12/26(土) |URL|青梗菜 [edit]

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2015/12/26(土) || [edit]

バーソさん、こんばんは^^
おかげさまで生きさせていただいているという感覚を持つか、神様と契約を結ばなければ死んでしまうという感覚を持つかは、その民族が暮らしてきた土地の自然環境によっても左右されるかもしれないなぁ、という気がします。
バーソさんの記事はいつも切り口が興味深く、コメント欄も充実していて、楽しみに拝読しております。
そして今年は、温かいコメントをたくさんくださって、ありがとうございました。
とても励みになりました。
どうぞ佳いお年をお迎えください^^

2015/12/27(日) |URL|Ariane [edit]

Re: こんばんは

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
「浮く」コメントを、いや違った、終止形ではなく、連用形のほうがいい。
「浮き」、そうです、浮き浮き面白コメントをありがとうございました。

しかしながら内容が波長に合わないときは、宗教っぽい話などの場合には、
以前にも言いましたが、無理に書かないでもいいですからね。
浮かぬ顔で義理で書かれると、こちらがつらくなって、かえって困ります。
しかし仮定形というのでしょうか、「浮け」狙いは歓迎しますからね。

私は冗談っぽいのが好きなせいで、冗談で書いたつもりが、真面目な方を怒らせてしまうことがたまにあります。私の悪いくせですが、浮け狙いが度を超しているのでしょう。

良いお年をどうぞ。カゼを引かぬよう、お気をつけくださいませ。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
あははは・・・見るなら怖いものより、楽しいもの、知的好奇心をくすぐられるものを見たほうがいいですよ。と言うと、拙ブログの立場がありませんが。

あんな言い方をしたのは、印象に残っていいだろうと思って書いたのですが、やはり気になったので、今朝カイゼンしました。トヨタ方式です。
トヨタのデザインは、いい悪いを通り越して、最近は随分変わりましたね。
以前は並ばかりでしたが、いまは特にフロントのデザインが、まあ、くどいこと くどいこと。すごいです。ピンクのクラウンあたりから変わりましたね。
ま、ローバーミニのひとには何の関わりもない話でしょうが。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 申し訳ありませんでした

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
こちらこそご丁寧にありがとうございました。
ショートフィルムですか。
なるほど。納得です。確かに、そんな感じです。
こちらこそよろしくお願いいたしますね。
ぜひ良いお年を。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん コメントありがとうございます^^)
> その民族が暮らしてきた土地の自然環境によっても左右されるかもしれない
 なるほど。そういうことが多分にありそうですね。人間の生き方は土地柄にかなり影響されます。日本は温暖で緑が多く、四季もあり、暮らしやすいのが、温和な人柄を生む要因になったのでしょうか。アメリカ人が昔は人柄が良かったのは、そもそもが富裕な地で経済的に豊かであったせいでしょうかね。

 以下、ご承知のこととは思いますが、参考までに。
 パレスチナの地は、現在と聖書時代では自然環境がかなり違うようです。
●死海近辺は悪徳の町ソドムとゴモラが沈んでいるとされていて、今は荒れた風土のようですが、アブラハムの時代(BC2000頃)は非常に肥沃な土地でした。聖書には「ヨルダン地域は全域がよく潤っており、エホバの園(エデンの園)のようであった」と書かれています。(創世記13:10)

●少し下ってモーセの時代(BC1500頃)。カナンの地(ヨルダン川以西で、現在のイスラエル国)については「乳と蜜の流れる土地」と形容され、エジプトの奴隷状態を脱したイスラエル人が目指した「約束の地」でした。紅海を分ける奇跡を経験してからの目的地ですが、映画『十戒』に描かれました。
 農作物については「ぶどうの房は男二人で横棒に掛けて運んだ」と書かれています。その地のぶどうの房の重さは普通4.5kg~5.5キkgと言われていますが、一つの房が20kg以上のものもあったという記録があるそうです。お化けカボチャのような大きなぶどうだったのでしょう。(申命記13:1,20,23) 
※カッコ内の年代は200年ぐらい下る説もあります。

 ただし西暦1世紀のイエスの時代になると、自然環境はだいぶ変わり、住みにくくなってきたようです。人間がそうさせてきたのでしょうか。
 
 今年は知的な良いコメントをありがとうございました。ぜひ良いお年を。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神様は一人ぼっちでありました

 昔々、或る処にとても凄い存在が有りました。一言で言えば簡単なのですが、当時そんな言葉はありませんでした。なので説明すると、何でも出来て、何でも知っていて、でも一人きりだったので何もする事の無い存在でした。ある日、彼は眼下で生き物たちが賑やかにしているのを見つけました。彼はその輪の中に入りたかったのですが、残念ながら存在が偉大過ぎてどんな生き物も怖がって近づいてきません。彼は怒ってそれらを次々と殺してしまいました。辛うじて生き残った生き物たちは彼にひれ伏し、殺さないでくれと懇願しました。彼は生き物たちに自分を見つけても逃げずに敬う様に約束を迫りました。生き物たち彼との取り決めをし契約を交わしました。
「私たちはあなたを敬いますので、どうか殺さないでください。」
 ところが、暫くすると偉大な彼は生き物たちに飽きてしまいました。自分があまりに偉大過ぎて生き物たちの相手などでは満足できなかったのです。彼はある日何処かに行ってしまいました。生き物たちは彼がいなくなった事に驚きましたが、彼の恐ろしさは十分記憶に焼き付いていたので契約を決して違えませんでした。
 以来、生き物たちは彼との契約を記した紙を敬うようになったそうです。かみさま!!

 それはともかく、文化に大切なものを一つ忘れていますぜぇ。キーワードは「くぅねるあそぶ」です。遊ぶが無いぞ、遊ぶが。

2015/12/27(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 神様は一人ぼっちでありました

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 うーむ、すごい。おもしろい。今季最高の傑作コメントショートショートでしょう。
 神という存在がもし誰か独裁者の作であるなら、ありそうな話です。というか、これに「愛」とか「慈愛」などというもっともらしい付加価値を加味して味付けをすれば、そのまま契約の神様のイメージになりそうです。

 この話、miss.keyさんなら、するするっと造作なく書けたのでしょう。いや、少し時間をかけて考えていただけたのでしょうかね。いずれにしても、さすが、小説家。いや、物語作家でしたか。たいしたものです。
 オチがなんとも私の好み。か、か、かみさまって、噛みそうですが。

 あのフランシスコ・ザビエルは最初、神を「大日」と呼び、次に「ぜうす」に変更したそうですが、ゼウスとはギリシア神話の主神で、聖書の神エホバとは違うのですがね。
 明治になり、聖書を邦訳するとき、GODの訳に苦労したそうですね。神と訳すと日本の場合のイメージは汎神論なので差しさわりがあるというわけです。
 最近はスピリチャアルの教えの浸透のせいで、「存在」という言い方が流行ってきていますが、神にしても存在にしても、その言い方はどうしても人格神のイメージが付いて回ります。

> それはともかく、文化に大切なものを一つ忘れていますぜぇ
 おー、ごもっとも。そうでした。「遊ぶ」、これが第一でした。これを忘れちゃあいけません。私は呑まないので、むしろこちらを優先すべきでした。

 そういえばヒンズー教では、この世の出来事は良いことも悪いことも神の遊び(リーラ)であるとか言ってました。時々この世では神がラリっているのか、寝ているのか、と思えるようなこともありますが、面白いものです。
 聖書に登場するヨブという人も「神は与え、神は取り去る」と言ってます。これは人が生まれるのも死ぬのもすべては神に掛かっているという意味ですが、これも若干思考が似てますかね。
 今年もよく考えたコメントをありがとうございました。ぜひ良いお年を。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2015/12/27(日) || [edit]

Re: ありがとうございました~!!

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
少し時間に余裕ができたのでしょうか。
今年は素晴らしい作品を堪能させていただきました。
来年は、私も真似というか、少しでも近づきたいと思っています。
来る年も相変わらずどうぞよろしくお願いいたします。

2015/12/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2015/12/27(日) || [edit]

Re: ありがとうございます 

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
私は自分で言うのはナンですが、いい歳をして子供心がかなり残っています。子供の頃から大人になりたくなくて、その気持ちがずうーっと続いています。人間的に幼い大人のようなものです。ピーターパン症候群と言うようですが。

むろんあまり良くない点もありますが、いずれにしても自分で改善しようと思ったことはないですね。いろんな大人がいて、いいのではないでしょうか。

2015/12/28(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お陰様で御座います

こんにちは 
いつも 訪問頂き 申し訳なく思っています

御蔭様って 私は 窒素の様な物では無いかと
思っております 生命活動に炭酸ガスや酸素を
必要と言われていましても 圧倒的に多いのは窒素

ある職業の人には 意識されているようですが
生体維持面で 強調されている酸素などに偏り
忘れられている 
 私は 窒素とか 水とかに 御蔭様を感じます
窒素を知り 活用している人達は 
精神論に当てはめると 聖職者に成るのではないでしょうか

強調されることもなく 文字通り空気の様な存在
それが 御蔭様という事なのだと思っています

華々しく燃える酸素 他人を死に至らしめる二酸化炭素
など 功名心に駆られた物質より 堅実で確かな存在
 本当は その存在に御蔭様と感謝したいと思います

本年もお付き合い下さいまして有難う御座います
 どうぞ 好いお歳をお迎えくださいませ

2015/12/28(月) |URL|ブッキ~ナ♡ [edit]

自分の力だけで生きているのではない。生かされているのだ。
そういう感謝の気持ちで生きるほうが、協調性がとれ、うまくいくような気がします。
お陰様です。
素晴らしいですね。

2015/12/28(月) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: お陰様で御座います

ブッキ~ナ?さん コメントありがとうございます^^)
> 御蔭様って 私は 窒素の様な物では無いかと思っております 
うーむ、すごい。よく考えてくださいました。
これも、どうもブッキ~ナ?さんのコメントの今季最高傑作みたいですね。

> 強調されることもなく 文字通り空気の様な存在
> それが 御蔭様という事なのだと思っています
 なるほど。そう言われてみると、確かに窒素にも「お陰様」と感じます。
 よく空気のような存在と言いますが、考えてみると空気の成分の中には、人間に不必要なものなど全然ないのでしょう。
 ごく微量なビタミンが人体に必要なように、ごく微量空気中の元素も人間には必要で、その考えを推し進めれば、どんなごく少数の人もみな人間社会に必要なのかもしれないと思ってしまいました。
 といって、空気が窒素だけだなら人は生きていけない。お互いに回りまわって助け合っているのでしょうかね。

> 華々しく燃える酸素 他人を死に至らしめる二酸化炭素
> など 功名心に駆られた物質より 堅実で確かな存在
> 本当は その存在に御蔭様と感謝したいと思います
 非常にいい言葉です。なのに、なぜか突然どどいつを思い出しました。
   立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
   声はすれども姿は見えず ほんにお前は●のような
 今年も、こんな腹の足しにもならない●のようなブログに訪問していただき、ありがとうございました。ぜひぜひ良いお年を。

2015/12/28(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)
> 自分の力だけで生きているのではない。生かされているのだ
 先日フランクリンの人生についての自伝めいた本を読んでいたら、そのようなことが書かれていました。若いときからの努力と、そして他の人たちからの協力。その二つがあるときに人は成功する。フランクリンは16歳ぐらいだったか、少年のときから働いていて、そのような苦労を積み重ねてきたようです。才能の芽が早くから出る人というのは、ひととの交流も上手な人なのでしょうかね。

> そういう感謝の気持ちで生きるほうが、協調性がとれ、
> うまくいくような気がします
 協調性とは仕事をうまくやっていくための円滑油と思うのもいいですが、そうではなく感謝の気持ちから自然に出るほうがいいのでしょうね。
 今年も毎回ありがとうございました。ぜひ良いお年を。

2015/12/28(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神と言うのは国によって違いますね。

日本やアジア諸国は仏教、欧米諸国はキリスト教ですからね。
自分達で勝手に宗教を開いて、自分達で勝手に神を作ってあがめたりする人もいますね。変な方向へ行くと人を平気で傷つけたりする連中も出てきたりしますね。

日本だけでも健康成就やら学問などの祈願をする神様とか、色んな神様がいますよね。まあ私も神の存在を信じてる訳ではないですが、昔こういったところに祈願に行った事はあります。

大分はJ3に落ちてしまいました。一時期はJ1で一斉を風靡した時期もあったので残念ですね。

ひょんなところから互いに同郷の人間として知り、それがきっかけに交流するようになりました。
今年一年お世話になりました。来年もお互いに良い年でありますように。

2015/12/29(火) |URL|想馬涼生 [edit]

Re: 神と言うのは国によって違いますね。

想馬涼生さん コメントありがとうございます^^)
> 神と言うのは国によって違いますね
 そうですね。人間は生まれた土地にかなり影響されることがわかります。
 日本に生まれれば日本人の気質を受け継ぎやすいし、ある県に生まれればその県の気風を受け継ぎやすいのでしょう。親とか先生とか身近な人にはかなり影響されますね。読んだ本には非常に影響されるでしょうか。
 というより本の場合には、つい無意識に、あるいは意識して、自分と似たような思考の人を選んで読んでいるのでしょうかね。ブログでもそういうことがある程度いえそうです。
 サッカーはラグビーとあいまって、これから世界戦でどんどん活躍すればファンが増えていきそうです。なでしこがそうだったですからね。これは、スポーツが好きというより、世界に勝つのが痛快だという人が多いのでしょうか。
 今年の正月は天気が良さそうですね。どうぞ、良いお年を。

2015/12/29(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。

コメントありがとうございました。
「おかげさまで」良い言葉ですね。
日本人の思いやり・温かさを感じます。
他人に対しての思いやり・気遣いを持っているのは誇りです。
最近何処でも見かける「爆買の国」の人のマナーの悪さに怒りを感じています。
「おかげさまで」「おもてなし」の精神の国だから我慢できているのでしょうか。

2015/12/30(水) |URL|S-masa [edit]

こんばんは

通常の夜間徘徊で立ち寄りました。

私が最も疎いのが宗教の世界でして、場違いなコメントになりそうです。日本の宗教では浄土真宗が信者数、信者世帯んんばーわんであり、28%だそうです。書店の立ち読みで知りました。我が家がまさに浄土真宗西本願寺派らしいですが、ご法話で「おかげさま」を聞いたことありませんでした。

ここでバーソ様のもったいない、ありがたいお言葉が聞けました。感謝です。
日本では世界を世間様と敬語を使いますので、これも根底には「おかげさま」の思想があるのではないでしょうかね。愚僧はそう思いますが。

年も押し迫ってまいりました、良いお年を!

2015/12/31(木) |URL|花渡川 淳 [edit]

Re: こんにちは。

S-masaさん コメントありがとうございます^^)
> 「おかげさまで」良い言葉ですね
> 日本人の思いやり・温かさを感じます
 そうですね。この言葉は英語には訳しにくいそうで、やはり語彙の問題というより、思想の問題なのでしょう。オリンピック招致のときに「おもてなし」という言葉が話題になりましたが、その言葉と考え方が似ているでしょうか。

> 他人に対しての思いやり・気遣いを持っているのは誇りです
 若い知人が外国に行ったら彼らから、日本人は何かとすぐ「すみません」と言うが、なぜそんなにやたらに謝るのかと言われ、返答ができなかったそうです。
 その言葉は、アイムソーリーと謝っているのではなく、相手に手間や面倒を掛けさせて申し訳ないですねと相手の苦労をいたわり、感謝をしているのですが、そういう感覚は外国人にはないのでしょうか。こういう話を聞くにつれ、日本人に生まれてよかったと思います。

2015/12/31(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

花渡川 淳さん コメントありがとうございます^^)
> 我が家がまさに浄土真宗西本願寺派らしいですが
> ご法話で「おかげさま」を聞いたことありませんでした
 我が家も祖父系が真宗なのですが、そんな話は聞いたことがなかったですね。
 このたび記事を書くにあたって少し調べたら、「大法輪」という宗派に囚われない仏教雑誌の中にも「おかげさま」の話が出ているという話がありました。
 教会は毎週日曜に説教をしていますが、寺は法話を毎週信者に話すということはしているのでしょうか。してないなら、これが仏教が衰退している理由の一つではないでしょうか。そろそろ葬式仏教から脱退しなければいけませんね。

> 世間様と敬語を使いますので、これも根底には「おかげさま」の
> 思想があるのではないでしょうかね。愚僧はそう思いますが
 ははは・・・なるほど。そうですね。拙僧もそう思います。
 その関連語を考えると「お生憎様」「お気の毒様」「お世話様」「お粗末様」
「お互い様」「ご苦労様」「ご馳走様」「お日様」「お局様」「雪模様」といろいろありますね。あ、最後のほうはちょっと違うようですが。

 今年も『うさぎ屋の四方山話』を拝読し、時事問題を学び、痛快に排毒する気分でした。どうもありがとうございました。お疲れ様でした。佳いお年を。

2015/12/31(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>西洋人の文化には、論理に従う自我があり、それは個人主義を有している。
日本人の文化には、心に従う自己があり、それは和の精神を含んでいる。

うん、私なども論理より心ですね。心というよりは感情という方が、しっくりくるかな。
論理がキレイに構築されていても心が薄くしか反応しないならば
そういうものにはあまり時間を掛けたくないな…とw
反対に論理が滅茶苦茶でも心が何か感じるならば
知らず知らずのうちに、それについて考えている…そのようですw

ケイト・ブッシュの歌で
『Running Up That Hill (A Deal With God)』なんてのがありますが、
あの丘に駆け上がり、神と取引する…なんて、
なんとも仰々しくてドラマチックです♪
西洋っぽいですw

聖書の神(ことに旧約)は日本人の感覚からすると
おどろおどろしい大妖怪のイメージです。よほどに切羽詰まっていないと契約したくないような…。ひとつ契約したなら全てを持っていかれそうな雰囲気ですw 自己を神の所有物に変えてしまうような。しかし本来、神が自ら作ったものが人であると考えている。与え、奪うのは神が人を所有しているからだと思うのですが……。
それなのに、既に所有しているものに対して、あらたに「所有させろ」というような契約を持ち掛けるというのは……。
人の肉は既に神の所有だけれど、人の心というものが普通は神の所有から離れている状態であると示しているような。これが自由意思というやつなのかな…。

生活が、それぞれの神の相を構築させるのかどうか。
過去には、イエスと旧約の神が別々の神だという説もありましたが…単に異なる相として現れただけなのかどうかw
神のことを考えるのは面白いですな♪

お陰さまで私も
新年を迎えられるような気配が幾らかあります♪
あと半日を何事もなく生きておればw

ではでは、バーソさん、
よいお年を~♪

2015/12/31(木) |URL|小奈鳩ユウ [edit]

Re: タイトルなし

小奈鳩ユウさん コメントありがとうございます^^)
> うん、私なども論理より心ですね
> 心というよりは感情という方が、しっくりくるかな
 スピリチュアルでは感情を大切にしろと言われますね。感情は心の指針だとか人生の指針だとか言われていて、何か選択で迷ったときは自分の感情に従ったほうがいいとニール・ドナルド・ウォルシュが書いていました。まあ、むろん感情のおもむくまま好き勝手にしてもいいという意味ではないですが。

> 既に所有しているものに対して、あらたに「所有させろ」というような
> 契約を持ち掛けるというのは……。
> 人の肉は既に神の所有だけれど、人の心というものが普通は神の所有から
> 離れている状態であると示しているような
> これが自由意思というやつなのかな…。
 神は、アダムとカインの《罪となる行為》を制止しようと思えば制止できたにもかかわらず、神は二人を自由に行動させた。ということは、人間が神から与えられた最大の特権は自由意志である、ということを表しているのでしょう。
 ヨシュアも約束の地に入る前、シケムで全部族に対して、あなたがたは自分で仕える神を自分で決めよと言っています。このときはシナイ契約を結んでから40年たって世代がすっかり入れ替わっているので、ヨシュアは、律法契約なんか与り知らぬという人々に、彼ら自身の自由意志というものを確認したわけですね。ヨシュア記25:15

 イザヤ書では、神と人の関係は陶器師と陶器の関係のようなものであり、人間はバッタや桶のひと滴のようなものだとされています。神はそんな至高の存在であるとされているのに、人間の自由意志を尊重しているのは面白いことだと思います。しかし神は人間の自由意思を尊重しているからこそ、人間と双務契約を結ぶという話になっているのでしょう。

> 過去には、イエスと旧約の神が別々の神だという説もありましたが
 全く同じ神YHWHですね。でもイエスが愛と許しを説いたという印象が強いせいで、かなり違うように見えます。でも新約の神だって黙示録を見ると、最後の裁きでは不信仰な人間は皆殺しですから、結局は変わりないのですがね。
 イスラムの神(あるいは過激派)は酷いとよく言われますが、聖書の神もそういう言い方をすれば、いつもニコニコ顔の好々爺のようでは決して無いのです。

 教会では、愛や信仰は強調されますが、キリスト者は神に無条件の献身をしていて、神との契約を結んでいるということはほとんど教えられていません。昔のイスラエルがシナイ山のふもとで(旧い)律法契約を結んだのと同様に、キリスト者は(新しい)契約下にあるはずなのですが。

●ルカ22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

●コリント第二3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。

●ヘブライ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

 ヨブが「神は与え、神は奪う、神のみ名は褒むべきかな」と述べた精神はなかなかの信仰だと思います。これは契約などという取引の概念を超越しています。

 核心をついたコメントをありがとうございました。聖書の話をして、通じるというのは楽しいことです。ぜひ良いお年を。

2015/12/31(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

こんばんは、バーソさん。

わたしのブログへのコメント
ありがとうございます。

「おかげさまで」という言葉
わたしは使ったことが
ないのですが
今のわたしは、いろいろな
まわりのひとたちのおかげで
ここにいられるのだなって
思います。

頭の中にはいろいろと
きこえてきますけど、
実際にわたしが、
経験しているものは
いいものが多いです。

それは、わたしの陰となって
くれている存在がいるから
なのかなって思います
ありがたいことです。

今年は、
バーソさんの記事を読んで、
泣いたり笑ったりさせて
もらいました。
ありがとうございました。

来年もバーソさんにとって
よい年でありますように。
よいお年を!

2015/12/31(木) |URL|真 [edit]

Re: こんばんは

真さん コメントありがとうございます^^)
> 今のわたしは、いろいろな
> まわりのひとたちのおかげで
> ここにいられるのだなって
> 思います。
 そうですか。そう思えるのはいいことでしょうね。人間は社会的動物だと言う人もいます。他の人との交わりをするために生まれてきたのだと言う人もいます。たぶん人間は独りでは生きていけないようになっているのでしょう。

> 頭の中にはいろいろと
> きこえてきますけど、
 聞こえるということは、そういう運命に生まれてきたのでしょうかね。今はそういう人が増えていて、時代の変化のようなものを感じます。

> それは、わたしの陰となって
> くれている存在がいるから
> なのかなって思います
> ありがたいことです。
 それが常人、凡人の及ばないところです。そんな見えない存在がいるということを理解できる人は少ないし、ましてや認知し、会話もできる人はほとんどいないので、真さんは非常に恵まれているのでしょう。自分の話し相手、相談相手がいるのはいいですね。
 でも時に自分のほうでリードするというか、もうひとりから出てくる答えはじつは自分の内部にある答えだ、ということはないのでしょうかね。文章を読んでいると、そんなふうに思うこともあるのですが。
 いずれにせよ私は、いま自分にできることを精一杯、あるいは楽しみながら、または、のんびりと好きなようにやっていけばいいように思っています。
 良いお年を。来年も、仕事をいろいろ楽しんでください。

2015/12/31(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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