「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 神の全能性を推論することの愉悦。 

西暦1世紀、ギリシアのアテネは学問の都、芸術の都だった。
人々は知的好奇心が非常に旺盛で、広場ではいつも議論の花が咲いていた。
聖書に、こう描写されている。
「アテネ人というのは皆、またそこに住む外国人も、何か新奇なことを話したり
聞いたりすることだけに時を過ごしていた」
(使徒17:21)

ここで、イエスの使徒パウロが《世界の創造神》について宣教したことがある。
話を聞いた人々の反応は、大雑把に言えば3つの「神論」に分かれた。
 a.ある者はあざ笑った。・・・・・・・・・・「無神論」
 b.ある者は「またいつか聞こう」と言った。・「不可知論」
 c.数人の者は信じて信徒になった。・・・・・「有神論」 (同 17:32-34)

古代ギリシアは多神教の国だが、日本教の信者の国・日本では、上記3タイプの
他に「何でも受容」する人や「無関心」な人たちが大勢いるだろう。

k京成バラ150

今回はアテネ人のように、全能者が《居る/居ない》の論議を考えてみた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
全能者の存否を哲学的に思考する。「全能のパラドックス」Wikipedia
神が存在しない証拠として、一部の哲学者はこんな論議を提出した。

「全能者は、重すぎて何者にも持ち上げられない石を作れるか?」

まず《神とは全能(Almighty)である》と定義する。聖書の神と考えていい。
 神の全能性を論証できれば、神は存在するということになる。
 神の全能性を論証できなければ、神は存在しないということになる。

この興味深い設問は、哲学者らにより、以下のように論議された。

《A:全能者という存在はあり得ない》
1.誰も持ち上げられない石を、神は作れるか作れないかのどちらかである。
2.作れるなら、自分でも持ち上げられないので、そんな神は全能ではない。
3.作れないなら、そんな神は全能ではない。
∴いずれにせよ、できないのだから、全能者という神はあり得ない。


《B:全能者は物理的に何でもできる》
1.神は全能だから、作る時点では物理的に持ち上げられない石を作れる。
2.神は全能ゆえに、後からいつでも物理的に石を軽くすることができる。
3.神の自由意志には制限がなく、それでもなお神の全能性は合理的である。
∴つまり神は全能ゆえにどんなことも可能であり、全能の神はあり得る。


《C:全能者は非論理的なこともできる》
1.全能者は、論理的に不可能なことでもすることができる。
2.なので全能者は、自らが持ち上げられない石を作ることができる。
3.次いで、全能者は、その石を持ち上げることができる。
∴すなわち全能者はアリストテレスの物理学に左右されない。


《D:全能者は無能者にはなり得ない》
1.神は本質的に全能であるゆえに、全能でない者になることはできない。
2.さらに、全能者でも論理的に不可能なことをすることはできない。
  (神自身がそのように宇宙の法則を設定した)
3.全能者が持ち上げられない石を創ることは論理的不可能性にあたる。
∴ゆえに全能者でも、そのような不合理を要求されることはない。


京成バラ 119

といった具合にいろんな理屈が出てきて、哲学的な議論には果てがないようだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
全能者の存否を科学的(または感覚的)に思考する。
科学的な推論には実証性があるが、感覚的な思考には実証性がないのか。

《ビックバン理論からの推論》
1.ビッグバンという大爆発で宇宙が出来たのであれば、宇宙は無秩序のはず。
2.ところが、宇宙には無数の超星団が《泡状》に秩序正しく分布している。
3.分布の秩序正しさは、超・知的な《意識》の統御があることをものがたる。
∴宇宙を制御できるほどの意識は究極の英知であり、それは全能者と呼べる。


《アインシュタイン理論からの推論》
1.エネルギーは物質と等価であり、物質はすべてエネルギーで出来ている。
2.すべての物質には、人間の知性をはるかに超える理知が見受けられる。
3.その膨大なエネルギーであり至高の理知であるものは、全能者と呼べるはず。
∴つまり、神が神自身(エネルギー)を材料にして宇宙のすべてのものを創った
とすれば、持ち上げられない石はもちろん、およそ人間が考え得るどんなものも
神は作れる(=エネルギーを物質に変化させる)ので、全能者はあり得る。

《私バーソが有神論を支持する理由》
1.宇宙は《根源たる原因》により創られたと考えるほうが、素直で気持ちいい。
2.この世界は見えるものと見えないもので出来ている、と直感的に思える。
3.神が人間を創ったと考えるほうが気持ちに安らぎがあり、死の怖さが薄れる。
∴つまり《根源たる原因》を信じることは心地よく共感できるゆえに神は在る、
 と思うほうなので、好みや感覚であると言うほうが適切かもしれません。


bara 012

★スティーヴン・ホーキング博士は著書『ブラックホールとベビーユニバース』の
最後の行に「そのとき我らは神の御意を知るであろう」と冗談めかして書いたお陰で、
おそらく本の売れ行きが2倍になったと語っている。

★アメリカのサイト『チャック・ノリスの真実』の中に、「チャック・ノリスは自分でも
持ち上げられないほど重い石を作ることができる。そしてそれを持ち上げてしまうのだ。
クソったれである証明に」というのがあるそうだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
人はそれぞれ、自分の考えや信念を持っていていい。
この地球に多種多様な人間がこれほど大勢いるのには必然性がある。すなわち人間は
自由であり、考え方や生き方に違いがあっていいのだ、と考えています。

ネットでいろんな思考を知ることができるのは、意識が広がっていいですね。
私の訪問先は、面白かったり、知的であったり、センスが良かったり、情が感じられる
ブログばかり。大いにリスペクトしつつ楽しませていただいています。

ごくたまに、拙ブログに率直な感想や異なる見解を書いてくださる方がいます。
 その人の考えのほうに理や義があれば、説得される心地良さが味わえます。
 納得できなければ、議論して正解に近づいていく過程も面白いものです。 
 (謙遜に礼と気遣いをもって書かれた文章は、気持ちいいものですね)

f京成バラ園 070
(カメラ:キヤノンEOS M3 18-55mm)

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見えるものと見えないもの

バーソ様
おはよう御座います。

今回のテーマはまた難解ですね。私の頭ではとてもついていけません。
ただ見えるもの見えないものというのは共感します。
論議の対象が重い石なのですが、これを「時間」に置き換えたら面白い論議になるのではと思いました。
時間も全能者が作ったのでしょうか?うるう年やうるう秒が存在するのは全能者のプログラムのバグなのでしょうか?
う~ん。やっぱり頭が疲れますから考えないでおきます。(笑)

愛新覚羅

2015/11/14(土) |URL|aishinkakura [edit]

人に理解できるようなものなら、
同時に神の絶対的超越性が剥奪されます。
人はもはやそれを、神とは呼びません。

月は、僕たちの手が届かない場所にあることを示しながら、
僕たちを照らしている、
僕は、そんなふうなことを表わしたいときに、
神を持ち出します。

年配の欧米人で、標準的な体型の、白い服を着た男、
そんなイメージのときもありますがw。

2015/11/14(土) |URL|青梗菜 [edit]

無神論者かな

おはようごさいます。
今週のお題はおいら的にはちょいと難解でござる。

おいらどちらかと言うと無神論者かな
でも信ずるものを笑ったりしないよ・・
神に召されて天国に行くのもいいけど、命尽きれば土にかえる生物の宿命みたいなものの方が心地よく感じます。
無神論者と言っても、時には存在を否定せている神や仏に手を合わせたりして、特に辛いときなんぞは・・・
結局、脳みそが煮え滾るようなことはあんまり考えないことに。

不可知論者と有神論者とそれからおいら
みんなちがって、みんないい。

2015/11/14(土) |URL|ばく [edit]

Re: 見えるものと見えないもの

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)
ただ見えるもの見えないものというのは共感します
科学的思考をしているとはいえ、見えないからといって拒否しないのですね。
あ、なるほど、奥様のことでもそういう思いがあるということでしょう。

時間も全能者が作ったのでしょうか?
「石」を「時間」に置き換えると、面白いですが、もっと難しくなりそうですね。
永遠に生きる神には時間というものはあるのでしょうか。万能であればバックトゥザフューチャーも可能なはずですから。あるいは、あっても永遠に生きていて加齢老化がないのであれば、時間は無いのと同じではないでしょうか。

うるう年やうるう秒が存在するのは
全能者のプログラムのバグなのでしょうか?
うーん。さすが、パソコンに強いだけあって、そういうふうに考えましたか。
なるほど。そうかもしれません。自然は何でも見事にうまく調和が取れています。うるう年なんて、考えたら自然界で唯一の不調和なことですかね。

と考えていたら、太陽が惑星群を引き連れて銀河の中を時速何万キロの猛スピードで走っているYou-Tubeを思い出しました。
太陽が宇宙で静止してれば、うるう秒問題は起きないが、実際は太陽系は銀河の中を走り、銀河は銀河団の中を走り、宇宙は膨張していて・・・と考えれば、そのせいで誤差が生じるのかと思ったりしましたが、よくわかりません。
https://www.youtube.com/watch?v=sTyf4n2ktuw  2分あたりから

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん ありがとうございます^^)
人に理解できるようなものなら、
同時に神の絶対的超越性が剥奪されます。
伝道の書3:11を思い出しました。

 「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
 しかし人は、神が行なわれるみわざを初めから終わりまで
 見きわめることができない」
なので、確かに神は人間には理解できないものなのでしょう。

しかし同時に、神にそれほどの超越的な全能性があり、しかもキリスト教が言うように、人間への慈愛があふれるほどにあるのなら、神についての最低限の基本的な知識だけでもなぜ人間に与えてくれないのか?とも思いませんか。
愚かな人間でさえ、基本的な義務教育を子供に与えているのですから。

地球上のどの神が真正に近いのか、そもそも神が居るのか居ないのか、の知識ぐらいは人間に与えてほしいものだと思い、それを祈り求めてきた人は歴史上、非常に多くいるでしょう。聖書ではハバククが、神はなぜ我々の苦難を黙って見ているだけなのか、と祈っていますね。(1:13-15)

月は、僕たちの手が届かない場所にあることを示しながら
僕たちを照らしている
僕は、そんなふうなことを表わしたいときに、神を持ち出します
ははあ、青梗菜さんは、神をなんとなく信じていますね。それも、遠くからそっと人間を見つめている愛ある父親のようなイメージで捉えていますね。
普通、善良な人は大体、そういうふうに神を思っていると思います。
それは、内面的、もしくは潜在的、あるいは心情的な有神論というようなものでしょうかね。そういう思いは、いいことだと思います。

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 無神論者かな

ばくさん ありがとうございます^^)
命尽きれば土にかえる生物の宿命みたいなものの方が心地よく感じます
おお、「の方が」ですか。「心地よく感じます」ですか。うーむ。
それは仏教で言えば「達観」という境地じゃないでしょうかね。
達観すれば、火もまた涼しと言った禅僧がいます。

エジプトのファラオだって永遠に生きたいからミイラになったことを考えると、ばくさんは人生で完全燃焼したのではないですか。だから、もう思い残すことはないというわけで、そんな心境になっているのじゃないですか。
みんな悩んで大きくなって、そんなふうに精一杯大きく燃えて、そして達観して天命を全うできれば一番いいのでしょうね。

不可知論者と有神論者とそれからおいら
みんなちがって、みんないい
「無神論者」と言わずに「おいら」で、その意味は「時には存在を否定せている神や仏に手を合わせたりして、特に辛いときなんぞは・・・」となる。
そうですね、世の中にはそんな人が多いような気がします。それも善良な人間の特長のひとつなんじゃないですかね。そういう気がします。

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

神の万能性のレトリックですね。
私もネタとしてときどき使っています。
日本の、神がいるようないないような、
八百万の神の精神が気に入っています。
法事もクリスマスも七五三もやる日本の神々の
清々しいまでの包容力が自分に合ってるような
気がします。
それだけにパワーが弱いのか私の神は私の願い事を
叶えてくれたことがありません。
何を願ったかって? 阪神の優勝です。(笑)
このところ花の写真に凝ってますか?
鮮やかに撮れています。

2015/11/14(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
> 神の万能性のレトリックですね
> 私もネタとしてときどき使っています
 Wikipediaを見ると、この『神の万能性のパラドックス』の話は「ポップカルチャーとユーモア」という項に、欧米ではバリエーションがいろいろとあることが書かれていました。
 哲学というのは、そういう推論の自在性を持っているというか、いかようにでも理屈を付けられるという一面がありますね。聖書には「世の空しい騙しごとの哲学に気をつけよ」と非難されているのですが。

> 日本の、神がいるようないないような
ほんと。神道はそんなイメージがあります。でも現代の神道はけっこう力があって、パワースポットなんていうのも大抵は神道関係の場所が多いですね。

> 法事もクリスマスも七五三もやる日本の神々の
> 清々しいまでの包容力が自分に合ってるような気がします
「清々しい」という言い方は面白い。普通は「いい加減」とか「アバウト」という言い方をしますから。でも山本七平によれば、日本人の宗教観は神ではなく人間を中心とする和の思想であるそうで、神道の教えのほうが一神教の思想より平和であり、良いことなんだろうと私も思うようになりました。

相変わらず阪神ですか。半神が全神になれば完全優勝でしょう。(笑)
写真は、記事に合う写真がなかったので、折角撮ったのだから使おうという気になりました。今回の薔薇は、人の思想もバラバラという意です。(笑)

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

与えられるからでもなく、何かで証明することでもなく、あるとき、天からの衝撃に涙が溢れ身も心も震える。 あ〜神はいるのだと… とてつもない受容と言うべきか… 
霊的な体験無しには語れない。いや、語ることなど出来ない。

2015/11/14(土) |URL|carmenc [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
> 与えられるからでもなく、何かで証明することでもなく
> あるとき、天からの衝撃に涙が溢れ身も心も震える。 
> あ?神はいるのだと… とてつもない受容と言うべきか… 
> 霊的な体験無しには語れない。いや、語ることなど出来ない
まあ、そうなんでしょう。それがあってこそ確信を持って神を語れるのでしょう。聖人とか教祖と呼ばれるような人は皆そういう霊的体験があるようです。

キリスト教ではアッシジのフランチェスコとか、神道では中山みきとか。いわゆる神懸りになって、神に会うという体験をする人もいるようです。

ですが現代のプロテスタントの宗教指導者にはそういう体験がありません。
なぜかと言えば、奇跡や不思議な霊的体験は西暦1世紀で終わり、それ以降は、神からのものではなく、邪悪な霊から来ていると考えられているからです。

ただし欧米でもカトリック系の国の田舎では、マリアの像から涙が出てきたとか、どこそこの像を拝んだら病気が治ったなどの話がよくあります。
でも大抵は、それは文明文化が遅れていて、迷信がひどいせいだろうと考えられています。偶像崇拝を非としている聖書の神が、偶像を使って病気を治すはずが無いからです。
と言いながら、私は、霊の世界やチャネリングなどは信じるほうですが。

ちょっと文面から分からないのは、carmencさんにはその種の体験があるのだと言いたいのでしょうかね。そうならそれを否定する根拠はないですし、否定もしませんが、この文章ではcarmencさんの意図がよく分かりません。

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

神様が、人間をつくったと考えるのが
気持ちのおさまりが、いいです。

困ったときに「ああ、神様、お願い」なんて
手を合わせます。
うまくいえませんが、そういう時に
何かに、誰かに救いを求めてしまいます。
それは、大きくて広くて深い全能者に、すがっているのかもしれません。

心のよりどころのような存在。
お会いできないでしょうけれど。

2015/11/14(土) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんばんは

森須もりんさん ありがとうございます^^)
> うまくいえませんが、そういう時に
> 何かに、誰かに救いを求めてしまいます
> それは、大きくて広くて深い全能者に、すがっているのかもしれません
そうですね。たぶんそういう思いから宗教が発生したのではないでしょうか。
つまり全能者というスーパーマン的な存在を想像し、それを信じ、それにすがりたいと思う心情は、人類の初めから共通してあるような気がします。
 いろんな国や部族の神話に共通のストーリーがあるのも、そういう意識が人類には共通してあるのだという研究もあるようです。

> 心のよりどころのような存在
そうですね。人間というのは弱い存在だということを自認している人は、心のよりどころとして神を信じたいものなんでしょう。そしてそれでいいのだろうと思いますし、そんな居るか居ないか分からないものにはすがりたくないと思う人は、それはそれでいいのだろうと思います。

要は、生きてるときにいろんな経験をして、いろんな気づきを得て、そうして、より楽しく、より平安に日々を生きていければいいのですから。

2015/11/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

大抵のキリスト者はそういう体験をしています。勿論私も体験してます。

2015/11/14(土) |URL|carmenc [edit]

>ははあ、青梗菜さんは、神をなんとなく信じていますね。それも、遠くからそっと人間を見つめている愛ある父親のようなイメージで捉えていますね。
>普通、善良な人は大体、そういうふうに神を思っていると思います。
なんだか、この頃、僕をいい人にしたがる機運を感じますw。
こんなにシニカルなのに♪w

それはそうと、
今日、面接が入りましたよ。

名まえは、神、
性別は、男、
特技は、全知全能、
職務経歴は、旧約聖書参照。

不採用でいいと思いました。
悪いけど、いっしょに仕事をしたくない。
知らないことが多すぎるし、
できることが少なすぎる。

全知は、知らない、ということがない。
知らない、ということを知らない。
つまり、知るということがない。
すべてを知っているとは、
新たに知る可能性がなにもないことにほかならない。

知る可能性において全能ではなくなってしまったが、
そんなに遠回りをしなくても、
自らを全能でない者にできるか?
パラドックスならそのほうが早い。

ただし、神は質問の意図が分からないらしい。
できないということが残されていれば全能ではないから、
できないということが分からない。

知らないということを知らず、
加えて、なにも知ることができず、
分かるということもない。
分からないことがないから、分かる余地がない。

二律背反も不条理もなく、
間違えないから後悔もない。

無限、ということも知らないらしい。
果てを知っているし、限りが分かっていないと全知ではない。
だから、有限も分からない。
無限も有限も分からないし、
死ぬつもりもないらしい。
全知全能とは、こんなに知らないことが多いのか?

人と関わるのは無理だろうなぁ。

2015/11/14(土) |URL|青梗菜 [edit]

「神が全能であると言うなら、己に決して従わない娘を生み出してみよ」

 というバージョンも有ります。ひぃぃぃ、重い石より性質が悪そうです。
 神様と言う実に微妙な代物を語るのは勇気が要りますな。下手な事言うとその筋の人の逆恨みを受けますし。アッラーアク〇なんて叫ばれても対処のしようが無いのであります。(フランスの出来事は実に痛ましい事件でした。)
 さて、神様が世界を創ったと言うのであれば矛盾が生じます。
 宇宙がビッグバンによって「生まれた」と言うなら、生まれる以前には何かがあった筈。生み出したのが神様であると言うなら、神様は最初はどうやって生まれたのか。「最初から」いたと言うならそこには時間は存在し得なかった訳で、時間の存在しない場所で時間と言う概念は発生する筈もなく、概念がなければ創り出す事も出来ない。同様に空間の無い世界で空間の概念は生まれず、よって空間を生み出す事も出来ない。知性には限界があります。縦横高さの他にまだ空間のベクトルが存在すると言われても三次元にいる限り想像も出来ない様に、時間も空間も何も無い場所に神様が「いた」としても、何も考えられんのであります。
 よって世界が神様と言う知性により創り出されたとするのは無理があるんでないかい?ま、神様が何も考えずにふらふらした結果の現象として宇宙ができたというなら納得できなくもないんですがね、でも意図してないなら神様は我々の言う神様じゃなくなってしまうしなぁ(笑

2015/11/15(日) |URL|miss.key [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
> 大抵のキリスト者はそういう体験をしています
 「大抵」が普通の日本語として「ほとんど」という意味なら、そんなことはあり得ません。歴史上、大抵のキリスト者はそんなことは経験していません。聖書時代でさえ、神(実際はみ使い)に会えた人はごく少数です。

 ただし今、正統派ではない一部の宗派では、使徒2章のペンテコステの時のように信者が異言を語ったり癒しを行なったり、いわゆる神懸り状態になると聞いています。carmencさんがその種の教団に関係していたのなら、carmencさんの近辺にいた「大抵のキリスト者」はそうだったのでしょうか。

 聖書には「神を見た者はいない(ヨハネ1:18)」、「あなたは私の顔を見ることはできない。人は私を見て、なお生きているこ とはできないからである(出エジプト33:20)」と書かれています。

 生きていて神の降臨体験をしたというキリスト者については、何とも言いようがありません。たぶん体験した人にしか分からないものなのでしょう。
 イエスのこんな言葉を思い出します。「あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう(マタイ7:16)」。それにしても凄い体験をされましたね。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん ありがとうございます^^)
あははは、得意の文体が出てきました。こんなのを待ってました。ただし私の知能を考慮して、いつも難度を落として書いてくださいよ。

「全知全能」とは、何も知らない、何もできないと同等であるという論議は面白いと思いました。全能者は不採用にしたほうがいいでしょう。ただ「後悔」はしたことがあるようですよ。(創世記6:6、サムエル第一15:11)

しかしながら、そもそも神は「全能者」であるという定義がおかしいのです。
「者」を付けると、どうしても神は賢い男と優しい男の超スーパーヴァージョンであると思ってしまいます。
人格があるとすると、なぜ人間の不幸を放っておくのか、放っておくのは神が死んでいる証拠だ、という(当然の)思考に行き着きます。

神というものは「空(無色透明の空っぽ)」という全能の意識であると定義すると、だいぶ話が変わってきます。
最初、「空」は、自分しかいないので、何も知らない、何も分からない、何も出来ない、うれしいとか悲しいも分からない。上か下かも分からない。

そこで何かしたいと思い巡らしてみた。頭はいいんです。
まず自分の分身をひとつ作ってみた。「独り子」という言い方をしてもいい。

分身ができたら、こことあそこというように、距離感が出てきた。面白い。
その分身に何かをやらせようと考えた。
その分身が同じことを考えて、また分身を作った。それが続いた。
そのようにして、いろいろな「空」の分身ができた。
量子、分子、星、宇宙、地球、岩石、水、植物、動物、家畜、人間・・・。

「空」は自分は何にもできないので、それらの分身の状態もしくは活動を見て楽しんでいる。ちょうど映画やドラマを見て楽しんでいるように。
ラブロマンスあり、コメディあり、スリルあり、サスペンスあり、誕生あり、死あり、テロあり、戦争あり、パニックあり、ハプニングあり・・・。
「空」は、じつに面白いと思っている。面白くて、やめられない止まらない。

でも全部、じつは邯鄲の夢。神の意識の中のイマジネーション。すべては実際は存在してない。人間はヴァーチャルリアリティの世界の中にいて、それを現実と思っているだけ。ちなみに、人間は99.9999%以上が「空間」です

とまあ、そんな状態になっていると考えているのですが。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 「神が全能であると言うなら、己に決して従わない娘を生み出してみよ」

miss.keyさん ありがとうございます^^)
> 「神が全能であると言うなら、己に決して従わない娘を生み出してみよ
 おお、miss.keyさんも相当ご苦労があったようですね。でも、こればかりは全能者でも無理というもんだと昔から言われています。
 「比叡の坊主と賀茂の流れと若い娘っ子はどうにもならん」

> 宇宙がビッグバンによって「生まれた」
 この説は「進化論」と同じく、証明されていないのではなかったですか。
宇宙が膨張しているというのは、宇宙マイクロ波背景放射の発見で証明されたと言われているようですが、一方で、宇宙の果てのほうにある星団の観測をすると、赤方偏移の法則と合わないのも発見されているそうです。

> 神様が何も考えずにふらふらした結果の現象として宇宙ができた
> というなら納得できなくもない
 「生まれる以前には何かがあった筈」。そうです。ビッグバン理論は誰が点火したのかという問題が生じます。そこで「ゆらぎ」がうまく説明できるとされたのでしょうが、この「ゆらぎ」というのも誰がそんな都合のいいズレを考え出したのか、という根本の話に行き着きます。

 時間と空間は有限の世界にのみ存在するもので、無限の世界には存在しないことになっていると思います。アインシュタインによれば相対的なものです。ブラックホールの中では空間は無いのでしょう。
 聖書によれば、神は永遠であり、永遠でない人間は永遠を思うが、しかし永遠のことは分からないようになっていると書かれています。

> でも意図してないなら神様は我々の言う神様じゃなくなってしまう
 神と言わずに神様というと超人間的存在をイメージします。知性も人間を基準にして考えます。人間の知性には限界があるのだから、神だってそんなにたいしたことがないだろうと考えがちです。ですが、DNAの構造ひとつ採り上げても人間の知性なんて幼児以下のものです。そんな高度な知性ある物質が、ゆらぎとやらで偶然に発生して、それが勝手に人間の知性以上に進化をするはずがないと私は思います。これは私の悪い頭で勝手にそう思っているだけですが。

 私の考える神概念は青梗菜さんあての返信コメントを見ていただけますか。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

全能ならあらゆる経験ができるので、
石を持ち上げられない経験もできるのではないでしょうか?
できない経験がある時点で全能ではなくなるので。
全能者は、全能でないがゆえの経験も、経験できるはずですし、
実際に、被造物を通して経験しているでしょう。

神も世界も、フラクタルのような構造になっていると感じます。
部分であると同時に、全体でもあるような。
必然的に、そういうパラドックスを含む存在なのではないでしょうか。
I am that I am としか言えない存在なのでしょうね。

理屈で考えても解らないことってありますよね。
経験すれば解るし、経験しなければ解らないということが多いですし、
誰でも、自分の経験に基づいて、
自分が自然だと思える価値観を形成するので、
そういうことについては、人がとやかく言っても、
あまり意味がないと感じます。
霊的な経験のない人が、
唯物的な価値観を持つのも自然なことだと思います。

目の前に崖があって、
自分以外の全ての人が、橋が架かっているから大丈夫と言っても、
自分の目には、橋が存在しないように見える場合、
ほとんどの人は、見えない橋を渡ろうとは考えないはずです。

単なる思考によるものについては、
人間には思考の盲点のようなものがあり、
自分では、思考の盲点にはまっていると認識できないので、
別の人の意見というのは、とても重要になると感じます。

2015/11/15(日) |URL|korva [edit]

Re: タイトルなし

korvaさん ありがとうございます^^)
korvaさんの得意分野なので、コメントを心待ちにしてました。

> 全能ならあらゆる経験ができるので
> 石を持ち上げられない経験もできるのではないでしょうか?
あ、なるほど。そういう思考もありますね。そう言われると、人間という被造物が不可能を経験していることがうまく説明できます。この論議を記事の中に付け加えたいほどです。人生で生じる失敗は当然であり、失敗じゃないのですね。

> 神も世界も、フラクタルのような構造になっていると感じます
「上なる如く、下もまた然り」という言葉を思い出しました。すべてが同じ原理で動いている、もしくは同じ摂理で在り続けているということは、その最初には同じ原因があったのだ、神は居るのだという結論に容易になりそうです。

> I am that I am としか言えない存在なのでしょうね
聖書の神の名「YHWH」の意味は普通「私は在る」と訳されますが、ある教団では「私は成らせる」と解釈します。「在る」だけでは動きが全然ないので、「成る」の意も含んでいるように思いますね。

> 経験すれば解るし、経験しなければ解らないということが多い
そうですね。一見は百聞に如かず。単なる知識は実際の経験には敵いません。鰯の頭にご利益があると信じる人には何を言っても無駄というものです。霊の事柄を信じない人には、霊の話はじつに愚かしいことです。議論しているうちに何かを悟ることはあり得ますが、この種の論争には果てがないのでしょう。

> 人間には思考の盲点のようなものがあり
> 自分では、思考の盲点にはまっていると認識できないので
> 別の人の意見というのは、とても重要になると感じます
そうですね。これには頭の柔軟さと心の謙遜さが関係しているように思えます。
自分が頭がいいと過信している人は、この盲点が強固なんでしょうか。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

議論するつもりはありません。
なぜならあなたが私の言うことを否定して、私に聞きもしないで想像で決めつけて、それで一方的に展開するからです。どういう教会かと質問もせずに決めつけるのですか?聞きもしないでペンテコステ派と決めつけるのは失礼です。私は普通のプロテスタントです。
ペンテコステ派はあれはトランス状態を利用していると思いますので問題外です。
それに事実をご存じないからです。
普通のプロテスタントの教会に行ってれば、誰かが神と出会ったと思える場面を目撃することもあります。そうでなければ前に出て信仰告白など出来ません。そうじゃないまま受洗する人もたまにいるので、大抵というしか無いのです。
霊的体験の概念が違うのかもしれません。万が一事実をご存じない場合、現場にいらしてみては如何ですか?但し、世界中共通の一般の普通の聖書を読んでいる普通の一般の教会に限りますが。
都合良く人を誘導洗脳する為に世界共通の聖書ではなく、ねじ曲げて改ざんされたものを使う所があります。そういうカルトに引っかかりますので、ご注意下さい。
経験してることを話しても否定されては、ここでこんな大切なことをこれ以上話すことも無意味なので、これでお終いにします。ぜひ目を塞がず、事実をご覧になって、真実を知って、真実に近付かれることをお祈り致します。

2015/11/15(日) |URL|carmenc [edit]

神がいないと思うと、荒野に放り出されたうさぎのように心細くなってしまいます。
明日を信じて生きるために、神様は必要ですよね。

2015/11/15(日) |URL|マウントエレファント [edit]

バーソさん、こんにちは^^
神が作っている宇宙の秩序や、私たちの悟性や、また時間・空間といった枠組みの中に、神自身が入っているとすると、全能者としての神の存否とか、神が永遠(永久)かどうかとか、空間的に無限どうかといった、悟性で解決し得ない問題が出てきてしまうのでしょうね。
人間の悟性の仕組み自体に制限があるのだから、その仕組みを適用して、全能者を説明できるわけがない、とも言えるかもしれません。
しかも「全能者」と言って人間っぽくしてしまうと、いろいろ変な想定を思いつきそうですよね^^;
神自身はそれらの秩序や枠組みを超越していて、推論的思考の対象にはならないとか、神から宇宙が生成するとしても、その生成に時間的な始まりはないとかいう考えは、哲学には案外古くからあって、私はそういう見方の方が尤もらしいと思っています。
それで、私たちの従来の推論的思考の中にはちょっとない言葉づかいを敢えてするなら、「全能者は自ら全能であることを制限し、全能でない存在になりながらも、それ自体は常に全能者としてあり続ける」というような言い方になるんじゃないか、と思います。

自分の存在を含めて、この世の存在には根拠がなく、自分も意味なく存在し、意味なく生滅していく、という考えで、楽しく生きていかれる方々は、強靭な精神をお持ちなんだろうと思います。
べつにこれは、皮肉や嫌味ではなく、本当にすごい精神だと思います。
私はそうではないので、宇宙には一つの根源があると考えた方が、落ち着きます。

私も、人からの反論を聞くのは、嫌いではありません。
極端に他愛ない反論だと呆れて腹が立つこともありますが、優れた反論だと楽しいです。
バーソさんのおっしゃるように、相手の議論の方が正しそうな場合には、説得される心地良さがありますよね。
<知>に向かう、心のこうした構えこそ、私は「愛知(philo-sophy)」としての哲学なんじゃないかと思います。
もちろん、共感し合えるのも楽しいですけれどね。

2015/11/15(日) |URL|Ariane [edit]

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2015/11/15(日) || [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
お話、了解いたしました。
 私も議論するつもりはありません。ひとは自由に思って、自由に生きていいと思っています。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん ありがとうございます^^)
> 神が作っている宇宙の秩序や、私たちの悟性や、また時間・空間
> といった枠組みの中に、神自身が入っているとすると、全能者としての
> 神の存否とか、神が永遠(永久)かどうかとか、空間的に無限どうか
> といった、悟性で解決し得ない問題が出てきてしまうのでしょうね
そうなんでしょう。人間は自分では理性で物事を考えているようで、実際は自分の経験から得た知識の枠内でしか思考していないものなんでしょう。
孫悟空がお釈迦様のてのひらの上から飛び出せなかった話とちょっと似ているでしょうか。

> 「全能者は自ら全能であることを制限し、全能でない存在になりながらも
> それ自体は常に全能者としてあり続ける」というような言い方に
> なるんじゃないか
あらー、また面白い思考が出てきました。「自ら全能であることを制限し」ですか。「全能」というのは何でもできる。だから自らの全能性でさえ制限できる。制限する際には、全能に付随する自由性を行使している。うーん、なかなかいい論法ですね。
私は、今回は論議を紹介するだけで、あまり深くは考えなかったのですが、この「全能」の定義の付け方は、けっこう幅広いものがありそうですね。

> この世の存在には根拠がなく、自分も意味なく存在し
> 意味なく生滅していく、という考え
そうですね。昔「人生不可解」と書き残して華厳の滝に飛び込んだ学生がいました。芥川も自死する前に同じようなことを言っていたように思います。
確かに人生に意味がなければ生きる価値が無いのと同等のように思います。

進化論的思考は弱肉強食で強い者だけが生き残るというもので、それがどうも人間として本来の在り方ではないように感じ、受け入れられません。カネ、カネ、カネで、経済第一という思考もそれと似ているような気がします。

> 私も、人からの反論を聞くのは、嫌いではありません
そうですか。いいですね。議論するとき、互いにそう思えれば争いなどには発展しません。共に、知識や理解の点で向上できます。
「愛知(philo-sophy)」ですか。なるほど、いい言葉です。
「知」とは知識ではなく、知恵のことでしょうが、「科学(science)」と言う言葉は原義は「知ること」だそうです。まずはいろんな考えを「知ること」から「知恵」になっていくのでしょうかね。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

道を知っていることと、実際に歩くことは違う。
あなたは全知全能で、道を知っているだろう。
わたしは無知で、ただ歩んだのだろう。

2015/11/15(日) |URL|ISURA [edit]

Re: タイトルなし

ISURAさんへ。
> あなたは全知全能で、道を知っているだろう
> わたしは無知で、ただ歩んだのだろう
これは謙遜な言葉とは違います。
人を小バカにしている言葉です。
「あなた(=私)は全知全能」であるはずがないでしょう。
ひとを嘲笑するような言葉をわざわざ書いて、あなたは楽しいのですか?
人は自分の口から発する言葉で自分がどんな者かを明らかにしているのですよ。

2015/11/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

文字だけだとどうしても誤解が生まれてしまう
直接あってはなしをしていても誤解してしまう
こともあるし
でも、わたしは文字での会話が好きでした
そのひとのほんとうのひとがらが伝わってきます
直接あってはなしをすると
どうしてもバリアをはってしまうことがあるけど
文字だとゆっくりと考える時間があるし
そのひとの心と直接会話をしている感じがする
わたしは、バーソさんはとてもいい感じの
心をもっていると思います
記事とはあまり関係ないはなしですが
書きたいとおもったから書きました

2015/11/15(日) |URL|真 [edit]

Re: タイトルなし

真さん ありがとうございます^^)
あー、真さんは優しい。励まそうとしているのですね。うれしいです。

じつは私も文字で会話をするのが好きです。普段は無口なせいもあります。
文字による意思疎通は、むろん、互いに言葉足らずになったり、
互いに読み間違えたりすることもありますが、でもそのあと、
どう対応するかで、その人の人となりが表れるように思います。

私は、コメントの書き方はこうあるべきだとする考えを持っていて、
今回、そのことを記事の最後に婉曲的に書きました。引用します。


 (謙遜に礼と気遣いをもって書かれた文章は、気持ちいいものですね)

これを逆に言うと、偉そうに、礼儀もなく、ひとの感情を傷つけるような
書き方をした文章は、気持ちよくない、不愉快だということです。

私は、たとえ、きつく反対意見を言われても、大抵は腹が立ちません。
反対意見も聞きたいですし、議論は時には鋭い言い方をするものですし、褒め言葉だけが欲しいわけでもありませんから。
ですから大抵の事では、相手を怒らせるような返信コメントは
普段はなるべく書かないように気をつけています。

でも、書き方がひどいと思ったときは、こちらは不愉快に思っている
ということを、時には、はっきり相手に伝えることにしています。
それは相手のためにもなると思っています。

> わたしは文字での会話が好きでした
ここ、過去形で書かれているのが少し気になりました。

コメント、うれしかったですよ。ありがとうございます。

2015/11/16(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2015/11/18(水) || [edit]

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