「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 閻魔は地蔵と同じであり、悪魔とはだいぶ違う。 

地獄の王と言えば、東に「閻魔エンマ」、西に「悪魔」がいる。
魔界だか心の闇だかに住まっているそうで、あまりお会いしたくない方々だ。

「地蔵」という菩薩がいる。石像になり、あちこちの路傍で独りさみしげに
立っている。東京・巣鴨のとげぬき地蔵は秘仏で非公開だが高齢者にモテモテだ。

この柔和そうな地蔵尊、じつは恐ろしげな閻魔大王と同一なのだそうだ。
そしてこの閻魔さんは、西欧の悪魔とは実体がけっこう違うようなのだ。

ギュスタ
             (地球に向かう堕天使ルシファー)
※画像はギュスターヴ・ドレ(1832-88)による『失楽園』や『神曲』の挿絵。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
『杜子春』の話に出てくる閻魔は、人間の情を熟知している。
以下の要約は飛ばしてもいいですし、青空文庫の本文をじっくり読んでもよし。

芥川龍之介『杜子春』(あらすじ) →青空文庫

唐王朝の洛陽の都。西門の下に杜子春という若者が一人たたずんでいた。
元は金持ちの息子だったが、放蕩三昧をして乞食同然になったのだ。

老人が現れて彼を大金持ちにする。だが杜子春は豪遊して金を使い果たす。
また老人が現れて彼を大金持ちにする。だが杜子春は同じことを繰り返す。

三度目に老人が現れたとき、杜子春は、もう金は要らないと言った。
金があればチヤホヤし、金が無ければ冷たくなる人間に愛想が尽きたのだ。

弟子にしてほしいと若者が願うと、老人すなわち仙人は一緒に峨眉山に飛ぶ。
老人は「天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ」と言い、杜子春を岩の上に残す。
魔性の化け物や天変や神将が次々と襲い掛かり、杜子春は殺されてしまう。


 ギュスターブドレwc

杜子春の魂は地獄の底に落とされ、閻魔大王から返事をせよと脅される。

「速やかに返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に
遭わせてくれるぞ」。しかし杜子春は相変わらず唇ひとつ動かさない。

鬼どもからは「剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、
皮を剥がれるやら、鉄の杵につかれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を
吸はれるやら、熊鷹に眼を食はれるやら」されるが、杜子春は耐える。

閻魔大王は杜子春の死んだ父母を痛めつけるぞと脅すが、無言を通す。
閻魔大王は凄じい声で喚いた。「その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が
好ければ、好いと思つてゐるのだな」。そして父母を容赦なく打ちのめした。

杜子春は、母のかすかな声を聞く。「私たちはどうなつても、お前さへ仕合せに
なれるのなら、それより結構なことはないのだからね。黙っておいで」。
杜子春はその声を聞くと、そばに走り寄ってひと声叫んだ。「お母さん」。

気がついてみると杜子春は、洛陽の西門の下にぼんやりたたずんでいた。
老人が言った。「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つて
しまはうと思つてゐたのだ」。もう大金持ちにも仙人にもなりたくないだろう、
と言われた杜子春は答える。
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」

老人は杜子春に、桃の花が咲いている土地と家と畑を与えて去っていった。


ギスターヴ・ドレo (1)

原作『杜子春伝』との違い。⇒老人は仙人ではなく道士。●杜子春は地獄に落ちた後、
女に生まれ変わるが、やはり全くものを言わず、結婚して子を産んでも喜びの声ひとつ
発しないため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで
現実に戻る。●道士は、おまえが声を出さなかったら仙薬が完成して道士と杜子春は
仙人になれたのに、と言って突き放す。●芥川は、親が地獄の責め苦を受ける場面に
変え、より人間味にあふれた話にした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
閻魔は最初の人間であり、最初に死後の世界に行った。
「閻魔」の名は、元はインド神話の冥界の王・神「ヤマ」が音写されたもの。
ヤマは人間の祖。最初に死者となり、最初に死者の国に行った人間とされる。

死者の国は地獄ではなく、天界の楽園だった。初めは天国しかなかったのだ。
悪人も来るようになったので専用の地獄が作られ、閻魔はそこの王になった。

閻魔大王は勝手気ままに人間を裁かない。生前の罪状が記された閻魔帳と浄玻璃
(じょうはり)の鏡という画像モニターで確認して裁決する。つまり閻魔の仕事は、
ただ「因果応報」の法則を適正に人間に適用しているに過ぎない。

ギュスターヴ・ドレt

――――――――――――――――――――――――――――――――――
じつは閻魔大王は地蔵尊と同じ存在ともされている。
仏教で最も権威がある『望月佛教大辞典』の「十王」の項目には「閻魔王は地蔵菩薩」
と書かれている。西暦7世紀頃の唐(中国)では死後の世界を恐れる風習があり、
お地蔵様を救世主と説くことが民衆に広く浸透した。

日本の鎌倉初期には偽経『地蔵十王経』が生み出され、閻魔は地蔵菩薩と同じとされた。
出家僧の姿が多い地蔵は、苦難を身代わりとなって救ってくれる存在として希求された。
「代受苦」の教えはキリストの「贖い」の教えと似ている。

すなわち悪事をした人には閻魔大王のような恐ろしい顔を見せ、悪事をしてない人には
地蔵菩薩のような優しい顔を見せる、と考えたらいいのかもしれない。

童謡で「村のはずれのお地蔵さんは いつもにこにこ見てござる」と歌われる地蔵は、
昔から村の境に立つ守り神だが、惜しむらくは非常に無口なことだ。
歌謡曲『花笠道中』作詞作曲:米山正夫 →唄:美空ひばり 
 ♪これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのはこっちかえ 黙っていては判らない♪

dore1.jpg

――――――――――――――――――――――――――――――――――
地獄の王である閻魔と悪魔は、似ているようで違う。
閻魔は元は人間で、生前に悪事をした死者に公正な罰を与えるのが役目。
いわば厳格な裁判官と無慈悲な牢獄所長を兼ねたような《公務》に携わっている。

悪魔は元は非常に優秀な天使で、地上の人間をたぶらかして悪事を犯すように
仕向けるのが《趣味兼事業》。いわば犯罪普及に熱心な闇の組織の大元締めだ。

『杜子春』の閻魔大王は杜子春の強情さに呆れている。閻魔の目的は、杜子春を
痛めつけることではなく、人間らしい感情を取り戻させ、改悛させること。
元は人間だった閻魔は、憐れみや思いやりといった《人の情》が理解できるのだ。

ギュスターブ・ドwj

親鸞は「善人だにこそ往生すれ、まして悪人は(往生する)」と言った。
阿弥陀仏が救済したい対象は全ての衆生、ことに自分は悪人だと気づいた人間である。
ならば煩悩具足の凡夫たる我々は救われると安心していいだろう。(歎異抄)

新約聖書は「罪の報いは死である」「死んだら罪から放免されている」と言っている。
罪の報いは死刑ということは、死ぬと罪が消えるわけで、死後も地獄で永遠に罰を
与えられるという教えは非常におかしい。(ローマ6:23,7)

そういうわけで、死後の裁きや罰を恐れてビクビク暮らす必要はまったく無い。
しかしながら、悪いことをやりたい放題でもいいというわけでも、むろん無い。
では、常に誠実を忘れず、自由に、人間らしく、生きていくがいいのでしょう。
         _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 

いくら「自由に」がいいとはいえ、近ごろ非常に驚いたこと。
VWショック。
ディーゼルエンジンの米国排ガス規制試験で不正をしていたことが発覚。VW社は自動車メーカーの中では一番良心的と思っていたので非常に驚いた。日本企業なら、円魔に魅入られた亡社とか言いたくなるのだが。

福山ショック。交友関係のない遠い男の結婚にショックを受けた人が大勢いて非常に驚いた。所属事務所の株が下落して1日で40億円超が吹き飛んだ話にも驚いた。そんなにイイ男ですかね。吹石さんは目がいいとは思いますが。

《参考》――――――――――――――――――――――――――――――――
●「Wikipedia/杜子春」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E5%AD%90%E6%98%A5
●「まとめNAVERサイト」http://matome.naver.jp/odai/2140401077434794601
●「東照だより」http://homepage3.nifty.com/toshoji/dokugo.htm
●「Wikipedia/閻魔」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E9%AD%94
●「雑ペディア」http://zatupedia.com/wiki/?title=%E3%81%8A%E5%9C%B0%E8%94%B5
%E6%A7%98%E3%81%A8%E9%96%BB%
E9%AD%94%E5%A4%A7%E7%8E%8B%E3%81%AF%E5%90%8C%E4%B8%80%E4%
BA%BA%E7%89%A9
●「Wikipedia/地蔵」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A
9%E8%96%A9

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

閻魔大王

バーソ様
おはよう御座います。

閻魔大王は公職をしていて悪魔は趣味なのですね。実に解かり易いです。しかしあの怖い閻魔大王とあの優しいお地蔵様が同一であったとは驚きです。
最後の福山雅治ですが女性心は理解できませんね。自分の婚約者が他の女と結婚してしまうというなら解かりますが会ったこともない男ですからねえ。自分にも何%かは可能性があったと思っているのでしょうか。
確かに格好いい男に間違いはありませんが。

愛新覚羅

2015/10/03(土) |URL|aishinkakura [edit]

ウソがばれて閻魔様に何枚も舌を抜かれてしまっています

閻魔様って悪者じゃなかったんだ。
そういえば閻魔を悪しざまにいう話って思い浮かばない
ですねえ。地獄に住まなきゃいけない閻魔が気の毒になって
きました。

不正で地獄に落ちそうなVWも閻魔が助けてくれるかも、ちゃんと
反省と補償をすればね。ドイツの警察は動きが鈍いようですね、
ヘタするとメルケルまで飛び火しそうですから。

2015/10/03(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 閻魔大王

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)
 こんな宗教がかった話なのに、よく読んでくださいました。
 子どもの頃、大人から、嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるぞと言われたことがありますが、本当にそうなら、世の大人はみんな舌がないはずです。
 子ども同士では、嘘ついたら針千本なんてことも言われたものですが、誰の子どもの口の中にも針は残っていません。
 勧善懲悪の教えはいいとしても、嘘をついてまでそれを教えようとするのはやはり問題があるでしょう。

 画像は、閻魔の顔を出そうかと最初は思っていたのですが、皆おどろおどろしくて、やめました。地蔵の顔は抹香臭くて、やめました。地獄の絵は恐ろしげなものが多いですね。

 有名人の結婚話。ほんとにそうですよね。テレビでは、ショックを受けた男性もいると言われていて、これも驚きました。世界に衝撃を与えたともアナウンサーが言っていて、これには呆れました。まあ、日本は平和ですね。

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: ウソがばれて閻魔様に何枚も舌を抜かれてしまっています

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
ウソがばれて閻魔様に何枚も舌を抜かれてしまっています
あははは・・・で、その後は嘘がジョークに進化したのででしょう。(笑)

地獄に住まなきゃいけない閻魔が気の毒になってきました。
うーむ、確かに閻魔はかわいそう。でも地獄に住まなきゃならない人間もいますね。そこから抜け出して隣国に行こうとすると鉄条網があるのもまさに地獄。戦争とテロ、思想・宗教の争いはなんとかならないものでしょうか。

VW。こんな話がネットにありました。(http://togetter.com/li/877398
VW排気ガス不正発覚直前にスズキが提携を解消→神回避だと話題に

スズキ「軽の技術教えるから、ディーゼルエンジン頂戴」
VW「提携? いいよ」

スズキ「あれ?なんで全然ディーゼルエンジンの詳細教えてくれんのかな?」
VW「うるせえ、黙って軽の技術よこせ、ディーゼルエンジンは後回しだ」
スズキ「なに? この会社…乗っ取る気マンマンやん」

スズキ「あの、少し乱暴すぎません?このお話一度考え直させてくれません」
VW「ふざけんな、こっちは株大量取得してんだ、言うこと聞け」
スズキ「エンジン出さないわ上から目線だわでもう嫌だ、白紙だ白紙」

スズキ「あそこ、ディーゼル技術、嘘こいてたのか…よこせない訳だわ」

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

地蔵は、贖罪を感じるなぁ。
交差点に立っていたら、かつて、ひどい事故があったんだなぁ、
って思います。
あっちでも、こっちでも、とんでもないことをしたんだなぁ、
そんな負の記念碑です。

笠地蔵なんて話がありますが、
順番を入れ替えると納得できる話になります。

1、7体の地蔵がある
2、貧乏な夫婦がいる
3、笠をプレゼントする
4、小判の山

1、貧乏な夫婦がいる
1.5、(7人の旅人を強盗殺人)
2、小判の山
3、7体の地蔵を作る
4、笠をプレゼント

2015/10/03(土) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん ありがとうございます^^)
地蔵は、贖罪を感じるなぁ
地蔵は「信者に代わって苦を受ける」慈愛の菩薩と道祖神の合体。
信者から奉納される赤いよだれかけは、水子の供養。赤は赤ちゃんの赤。
町や村はずれに立っているのは、結界を護っているのだそうですが、交差点に立つと、ひどい交通事故を思い出す。なるほど。地蔵はカンブリア紀、石炭紀、ジュラ紀の昔から人類の苦を一身に背負ってきたのでしょうか。

順番を入れ替えると納得できる話になります
うーむ。と、またうなる。(笑) 
ありそうな話ではあるものの、真実とは厳しいものですねえ。
いずれにしても因果応報の原則が公正に働いてないのが気になります。
・笠をプレゼントしたら小判の山をもらえるのは、報酬が多すぎる。
・人を殺しても笠を贈ればいいというのは、贖い額が少なすぎる。
たくさん努力しても報われず、ちょっと顔がいいだけでチヤホヤされる。
そんな世の中は勧善懲悪ではなく、不完全懲悪のようだなあ、
と、ひがんだことを言ってしまいますが。(笑)

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

一つ屋根の下

おはようごさいます。
50年ぶりに『杜子春』再読させていただきました。

15の春に巡り合ったこの物語、あの頃どんな思いで読み終えたのか、もう脳みその片隅にもその記憶はございませんが、今こうして青空文庫の横書きで読んでみて、まだ新鮮な感動が沸き上がってくる自分にニャリとしております。

僕の将来に対する唯ぼんやりした不安・そんな言葉を残して行っちゃった芥川ですが、もしその時、鉄冠子が現れていたならば、まだまだ心を揺さぶる作品が読めたでしょうにね。

閻魔と菩薩、天使と悪魔、どちらも表裏一体、かく言うおいらも結構そんな感じだったりして、時たま杜子春のやうに口をつぐみたくなる事が、それは閻魔大王の責め苦ではなく、奥方に針のむしろに座らされた時。

兎にも角にも、時には誠実を忘れ、自由に、人間らしく、生きていく、北海道弁で表現すると、なんもなんもな人生、それでいいんでないかい。

ところでおいらの舌、まだ35枚残っております、1年に一回の嘘なら100才までおしゃべり出来そうです。

2015/10/03(土) |URL|嘘こき爺 [edit]

バーソさん、こんにちは^^

悪魔の起源が、
神のようになりたいと願った天使だというのは、
象徴的な話だと感じます。

スピ系のブログなんかを見ていても、
神や高級霊や進化した宇宙人など、
人間を超えた存在を、権威として定めて、
その教えを沢山知っている自分は、
ほかの人より程度の高い人間で、
その教えを知らない人々は、程度の低い人間だと、
無意識的に思っている人が多いようです。

そして、こういう意識が強くなればなるほど、
悪魔的な意識に近づくような気がします。
より善なる人間や、より優れた人間になるために、
宗教やスピリチュアリズムなどを学んでも、
エゴが強化されるだけで、
デメリットしかないなぁと、最近よく感じます。
そして、そういうスピ系の教えに、
何か人間の意識を堕落させるための、
悪意に基づく計画のようなものを感じることもあります。
全ての霊的な存在が、善良な存在であるわけがないですし・・・

そういうことをどんなに勉強した人でも、
普通の大人に説教ができるほど、
立派な人はいないだろうと思うんですけどね・・・

バーソさんの言うように、誠実さを忘れずにいれば、
後は個人の好きなように、自由に生きればいいんじゃないかと、
私もよく思います。

記事とあまり関係のない話になってしまいましたが・・・^^;

何を作っても日本にかなわないドイツが、
なぜディーゼルエンジンに限って、
日本より上手く作れるのか不思議でしたが、
そういう事情があったのですね~
あちらの人は、いろんな分野で、
フェアでないものをフェアに見せるのが上手いですね。

2015/10/03(土) |URL|korva [edit]

Re: 一つ屋根の下

嘘こき爺こと、ばくさん ありがとうございます^^)
 なんと、閻魔のようで菩薩であり、悪魔のようで天使であり、奥方想いのようで杜子春であり、ジキルのようでハイドなんですか。おお。(笑)
 でも、青空文庫で読み直しで新鮮な感動が湧き上がってくる。いまは65歳の秋のようでも、こころは15歳の春のまんま。よろしいですね。
 で、「時には誠実を忘れ。なんもなんもな人生、それでいいんでないかい」ときましたか。そんな態度ならかなり長生きしますよ。ほんと。(笑)

「将来に対する唯ぼんやりした不安」だなんて何なんでしょう。「ぼんやり」としたものなんかに負けるなと言いたくなりますが。芥川は、もったいないことをしましたね。
 他にも自分の豊かな才能を自分で早くつぶす著名人がいますが、もっと上を目指していて、それが叶わないからですかね。
 自分は才能がなくて凡人でよかったのか。いや、そう思うのも情けなしか。
ともあれ、まあ、それでいいんでないかいと思うことにします。

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

korvaさん ありがとうございます^^)
悪魔の起源が、神のようになりたいと願った天使だというのは
象徴的な話だと感じます
 私もそう思います。悪魔が実在すると信じる人は大勢いますし、なんとなく世界の思考を支配している空気(霊)のようなものを感じることはたまにありますが、でも経典に書かれている神や悪魔の話はみな象徴的な話であり、比喩として何か重要なことを伝えたいのでしょう。
 それは一つには、人間が人生をよりよく生きるための教訓としての例え話でしょうし、またさらには、それを教える教団とその神に対する信頼と崇敬を植えつけるための教えの基になるものだろうと思います。
 だから、そんな人類の歴史初期からの思考なり意識が積み重なって、ユングが言う、人類の心的な遺産の貯蔵庫である「集合的無意識」ができていったのではないでしょうか。

 「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」と言われます。悪魔にしても閻魔にしても、人間社会あるいは人間自身の精神の中にしっかりとその本質ないしは片鱗が見られますね。それが天界の神話となり、それが世界各地に広がっていくうちに、いろんな尾ひれのついた話や少し内容の違う話に展開していったのでしょう。

 スピリチュアルは本当に玉石混交。ワクワクとポジティブばかり言っている能天気なものや、浄霊とか悪霊とか闇の勢力といった暗い話ばかりしている話には、どうもなじめません。自分の好みもかなり関係していそうですが。

 311の大災害のとき、あれは悪魔が荒れ狂っているせいだと言ったキリスト教系の宗教指導者がいましたが、何か悪いことがあれば悪魔のせい、物事が改善されなければ神が寝ていると非難するのは、とてもおかしいと思います。

 VWの不正は2008年から。しかも内外から指摘もされていたそうで、本当に驚きました。マツダのディーゼルはNOx後処理装置を使用せずにクリーン化を実現しているそうですね。

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

そう言うことを言って庶民は楽しむんですよ。
私も記事を書きましたけど。
明日の見えない政治からちょっと軽く気分転換ですね。tweetなど粋な言葉が飛び交って現代の大人の女の粋な遊びですよ。
殿方だって国内外の女優さんに夢中になったのでは?
所で福山と言う方はラジオで本音を語り、それが面白いそうで、それが人気アップにつながってると思いますよ。
私は風貌は好みではありませんが…。

2015/10/03(土) |URL|carmenc [edit]

弱さ、ずるさをかかえつつ生きる自分もおり、天国にいける資格はあるのか、不安に思います。
少し救われた気がしました。

2015/10/03(土) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
 私は、福山さんについては苗字と顔だけ知っている程度で、歌も話も聞いたことがなく、ドラマも見たことがないですが、人気があるというのは知っています。何の偏見も恨みも妬みもありません。
 タレントや歌手を好きだっていいし、大のファンだってかまいません。でも亡くなったのでショックというなら分かりますが、おめでたでショックというのは全く理解できませんね。しかも男がショックを受けるというのはなんなんでしょう。

 ひょっとしたら福山さんが身近なイケメンじゃないせいでしょうか。あんまり美男子すぎると近寄りがたいが、それほどでもないので、自分と同じレベルに居るような人と勘違いしてしまうのじゃないでしょうか。

 昔の人は、原節子という美人女優はトイレに行かないだろうと思っていたという話を何かの本で読んだことがありますが、最近はAKB48がいい例で、ごく普通の人が簡単にテレビのスターになっているせいかと思います。

 ちなみに私も彼の顔は好みではないです。まあ、いい男だとは思いますが、キム●クと同じく、目に男としての力がないと思います。

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん ありがとうございます^^)
天国にいける資格はあるのか、不安に思います
 えっ、そうですか。いつも真面目に思考し、真面目に生きている方なのに、そんな不安がありますか。もしあるなら真面目な証拠ですね。

 じつは私も以前は、いつも不安感がありました。神から本当に是認されているのか、自分の信仰は十分か、日頃の行ないは大丈夫か、と、たいした人格じゃないので、自信がなかったのですが、でも今は大丈夫だろうと安心しています。あのヒットラーでも天国に行っていると思っています。

 なぜなら、非常に大雑把に言えば、神は無条件の愛を持っていると思っているからです。人間的な観点から見れば、到底救われないだろうと思われる人でも、神は救いたいと思っている。それぐらい愛が深いのが神だ。仏教の阿弥陀だって、人を救いたいという思いは同じだろうと思っているのです。
 よく考えてみれば、強盗も殺人もしてないごく普通の人間が地獄に行かされるはずがないのですから。

2015/10/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/10/03(土) || [edit]

おはようございます。

お地蔵さんは、悪いことをしないか見張っていると聞いたことがあります。
意地悪なことを考える時、避けて通ります(*^_^*)
何故か電車の駅近くにありますね。
亡くなった方とお話しているのでしょうか。

嘘をつくと、舌を抜かれるって本当でしょうか?
怖いですね。世の中に居る方、皆舌がない?

地獄もあるのでしょうか?
以前、蜘蛛を助けたことがあるので引き上げてくれるかしら。
あ、カマキリも助けました。

天国は、暇そうなので退屈かもしれません。
すぐ生まれ変わって、女中になっていると思います。

良いことをしたら・・・・。
悪いことをしたら・・・。
と考えるより、自分自身ができる生き方を無理なく貫きますね。
自身に導く方がいるのですから(*^_^*)
きっと。

2015/10/04(日) |URL|Miyu [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん ありがとうございます^^)
お地蔵さんは、悪いことをしないか見張っていると聞いたことがあります
地蔵ってかなり力の強い見張り番なんでしょうか。泣く子と地蔵には勝てないとか言われてますから。

蜘蛛を助けたことがあるので引き上げてくれるかしら
あ、カマキリも助けました
 蜘蛛一匹だと微妙ですね。蜘蛛の糸には大勢の人間がぶら下がるので、せめて最低10匹は助けないと糸が切れてしまうのじゃないでしょうか。
 カマキリを助けましたか。その場合はですね、カマキリを5匹助けると5ポイントになって、蜘蛛1匹分とみなしてもらえると思いますよ。なので、毎月5の日のポイント3倍の日が狙い目でしょうかね。(笑)

 真面目な話。死後、人はどこに行くか。自分の状況は自分の意識に従う原理で推定すれば、人は自分が行くと思っているところに行くのじゃないでしょうか。天国に行くと思っていれば天国に、地獄に行くと思っていれば地獄に、死んだら無になると思っていれば無の状態に行くのじゃないでしょうか。
 といっても本当にそういう異なる場所があるのではなく、みんな同じひとつの場所に行く。そこは、苦しみも悲しみもない、いい場所だろうと思います。

>自分自身ができる生き方を無理なく貫きます 
そうですね。結局「自分自身ができる生き方」しかできないし、「無理」をしたら歪みが出てきますから。Miyuさんは、自身の中の「導く方」がかなり力を持っていて、アシストしてくれているようですね。

2015/10/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

悪い事

お寺の建物に
地獄のような絵がかかれているのを見ると
子供心に、こわかったです。
悪い事をしたら、こんなバツがあるのかなあ・・・と。

閻魔様のことは考えたことがなかったです。
自分が、深く何も考えないで生きてきているのだなあと
思いました。

ドイツの車のことは、衝撃的でした。
あれは大きい問題ですよね。
えらいことに、なりました。

2015/10/04(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: 悪い事

森須もりんさん ありがとうございます^^)
 大昔、超真面目な人がいて、人に悪いことをさせない教えとして、また悪い奴がのさばっているのがけしからんので、勧善懲悪の教えと原因結果の法則を思いついたのでしょうか。動機は良くても、地獄の教えというのは、創造者なる神を無慈悲で残虐な愛のない者にしている点で問題があります。

閻魔様のことは考えたことがなかったです
 親や祖母祖父がそういう話題をしなかったんじゃないでしょうか。私も地獄や神罰の話をされて子供心に怖い印象が植えつけられたような気がしますが、閻魔の話はほとんど記憶にないですね。地蔵にしても閻魔にしても、時代により地域により人により、イメージが違うのが面白いと思います。

 VWの件。新しくトップになった人だかが「このたびのミスは~」と言ったそうですが、ミスじゃなくかなり長期の悪質な故意の犯罪です。全世界で1100万台もクリーンカーだと偽ってきた結果、地球の空気を汚し、各国のエコ減税も勝ち取ってきたのですから。
 彼らはマルクに目がくらんだのだなと思ったら、同じ子音の古代の中東の神モレク(人身供犠で知られる神)を思い出しました。カネの亡者になったVW社は、これから地獄のような状態をかなり長く経験するでしょう。

2015/10/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

不思議ですねぇ

 いやね、昔の事ですが、とある坊さんに効いたところによると、仏教には地獄と言う概念が無いんだそうですよ。つまり、悪い事をしても死んだら仏様。特別に変な所へおくられる事はないそうな。世に言う六道も仏教には本来在り得ないもので、中世にでっちあげられたらしいです。ウィキペディアによるとインドの土着宗教に起源を求められるそうですが、やはり仏教とは関係ないものだったらしいです。
 だとすると、閻魔大王という存在は住民支配の為の方便であったと考えるのが妥当でしょうか。治安を安定させる為に必要な道徳に宗教と言う後ろ盾を求めたと考えれば、地獄の番人の閻魔様が単なる悪魔ではなく裁判官であるのも腑に落ちます。人間は見える現実より見えない妄想を恐れる傾向に有ります。誰も実体を知らないのですから、下手に法で縛るより効果が有ったんでしょうね。

2015/10/04(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 不思議ですねぇ

miss.keyさん ありがとうございます^^)
仏教には地獄と言う概念が無い
そうですか。仏教の教えはインドから中国に伝わって日本に来る間に、土着信仰と混交して、本来の教えがかなり変わってきたのでしょう。地獄の教え以外にも、仏教の教えそのものがずいぶん違ってきているそうですから。

インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』や『アタルヴァ・ヴェーダ』には死者は永遠の光のある所に行くと説かれていて、インドでも元は地獄の思想は見られないとか。どうも地獄の大元の思想はメソポタミヤあたりから、東と西に広がっていったようですよ。

誰も実体を知らないのですから、下手に法で縛るより効果が有った
おお、なるほど。そうかもしれません。法には抜け道がありますが、宗教的な教えは人間の精神の奥深いところを縛るので、確かに効果があるのでしょう。だから政治支配者は宗教と手を組んだり排撃したりしてきたのでしょう。

「地獄」の教えは「不滅の魂がある」という考えを基盤にしていますが、魂は目に見えないのになぜ在ると考えられたのか。いろいろ考えられます。

1.死んだら土になり、それで終わりとなるのは空しいという人間の本質的な願望から自然発生した。

2.善を行なったら報われ、悪を行なったら罰を受けてほしいが、この世では逆に、悪人がのさばっていて公正がなされてない。宇宙は本来公正なはずだから、人は死んだのちに魂が善や悪の報いを受けるようになっているのだろう。

3.覚者や仙人などの特殊な霊的能力を持つ人は、予言をしたり病気を癒したり空中浮遊をしたり、個々の魂が見えたりするので、魂は実際に在るのだろう。

4.天国と地獄の教えは住民(信者)支配の為の方便として都合が良かったから。
つまり死後の魂を救ってほしいのなら、われわれの教団に所属せよ、教えを信じよ、寄付をせよ、(宗教と政治の)指導者を敬え、と信者(人民)に言える神権的根拠ができるから。

5.エデンの園で人間を騙した蛇(悪魔)は「禁断の木の実を食べても決して死なない」と言ったせいもあったのでアダムとエバは食べてしまったわけだが、二人は結局、死んでしまった。そこで困った悪魔が言い訳として考え出したのが「いや、人間は肉体が死んでも魂が生きているのだ」という霊魂不滅説。

6.元々、魂は在るものなので、人間の感覚は魂もしくは魂が在ると思うことに反応する。

他にもあるでしょうが。(^^♪

2015/10/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/10/04(日) || [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/10/06(火) || [edit]

こんばんは^^
昨日はコメントありがとうございました。

興味深く読ませて頂きました。
今まで考えてみたこともありませんでしたが、閻魔が死後の審判を行う存在だとすると、確かに悪魔とは全く異なりますね!
悪魔とは逆に、閻魔は人間の魂を、良い方向に向かわせるための存在だと言えるのかもしれませんね。
新約聖書に「死んだら罪から放免されている」とあるのは、いわゆる「地獄」というものは存在しない、ということなのでしょうか?

ところで、☆バーソ☆さんのお名前をデザインしたプロフィール画像、とっても洒落ていますね。
うちの夫も、同じような帽子をいつも被っているんですよ^^

2015/10/07(水) |URL|Ariane [edit]

Re: タイトルなし

Arianeさん ありがとうございます^^)
こんな抹香くさい記事をよく読んでくださいました。

人類の罪や死の話はよくご存知のことと思いますが、一応まとめます。
「死んだら罪から放免されている」とは「地獄」は存在しないことか?
 キリスト教は、罪とは的を外すことと定義しています。的とは神が定める倫理規準です。本来は人類は永遠に生きられるはずだったのですが、人類の祖アダムが禁断の木の実を食べて神の的を外した結果、その罪のゆえに人類はみな死ぬようになったというのが原罪の教えです。そうであれば死んだら罪の報いを受けたことになり、罪は消えるはずなので、死んでから後もなお罪の罰が与えられるというのは公正な裁きではなく、おかしいのです。

 聖書のエゼキエル書には「子は親の罪を負わない、親は子の罪を負わない」と書かれています。なのでアダムが罪の罰を受けるのは当然だとしても、その子孫はアダムの罪とは何の関係もないのですから、人類(アダムの子孫)が親の罪の罰(死)を与えられるのは、公正の原則に反しているのです。

 聖書は各所で、神は愛であると言っています。であれば、その愛の神が殺人などの極悪犯罪を犯していない一般人類を死後、地獄という場所で永遠に責め苦を与えるという教えも、神の愛という属性とは矛盾しているのです。
 しかもキリスト教信者は救うが、信者以外は救わないというのも、神の博愛や公正という原則とは矛盾しています。ケチな了見です。

 地獄と訳されているギリシア語(新約)はハデスとゲヘンナです。ハデスは黄泉(陰府)とか墓と訳されます。黄泉というと永遠の責め苦がある地獄と思いがちですが、単に死者の世界です。聖書には、終わりの日に人が復活するときにはハデスは終焉すると書かれているので、ハデスとは人類がみな行く地下の死に場所、つまり墓と考えられます。

 ゲヘンナはゲーヒンノームの略語で、ヒンノムの谷という意味です。聖書時代は、ヒンノムの谷の底はエルサレム市民の公共ゴミ焼却場でした。悪臭を放っており、絶えず硫黄が燃やされ、処刑された罪人の人体が捨てられていました。
 なのでゲヘンナは実際は罪人の捨て場所と考えられるのですが、キリスト教会では地獄と訳して、イエスを信じない者が死後に行く場所としてきました。ただし、一部の宗派では、ゲヘンナは復活の見込みのない完全な滅びの象徴であるとしています。
 キリスト教の地獄の教えは教会設立後に、異教の教えが混入してきたものですが、宗教の教えには人類の潜在下にある意識もかなり関係してきているのでしょう。悩みや苦しみ、特に死の怖さから解放されたいという人類の根源的な思いがかなり影響してきているのでしょう。

 プロフィール画像、目に留めていただいてうれしいです。ひょっとしたら、ご主人と似たような波長を持っているでしょうかね。(^・^)

2015/10/07(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:http://barso.blog134.fc2.com/tb.php/233-55557a9c

back to TOP