「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 言葉が相手に通じなくなるとき。 

意見が互いに噛み合わないときのフレーズに、こんなのがありませんか。
「話し合いが十分にされてない」→ ←「説明を丁寧にしている」。

政治家同士の会話については、こんな意見があります。
「両者の主張が違い、メンツもあるので、話し合っても平行線のままだ」
「民主主義は数の多いほうが正義なのだから、話し合いには意味がない」
「いや、誠意を持って話し合うべきで、そうすれば言葉は相手に通じる」

inutnoko.jpg
photo by Thomas Leuthard

言葉は相手に正しく通じるのかどうかを、戯曲、聖書、小噺から考えました。

①――――――――――――――――――――――――――――――――――
『夕鶴』 木下 順二
鶴が男に助けられた恩返しに人間になって男の女房になり、自らの羽を抜いて
までして布を織るという新潟県佐渡の民話。それを木下順二が戯曲にしたもの。

純朴だが少し抜けてる与ひょうは、金儲けを企む村人に唆されてカネに取り憑かれる。
そのため突然冷酷になり、つうに「布をすぐ織れ」と命じる。

つう:(はっと気がつく)あの人ね? いまのあの人たちね? そう、やっぱり
そうだ。あの人たちがあんたをだんだん向こうへ引っぱって行ってしまう・・・

与ひょうおい・・・つう・・・

つう:(うつろに)おかね・・・おかね・・・どうしてそんなに欲しいのかしら・・・
与ひょうそら、カネがあれば、何でもええもんを買うだ。 ・・・
布を織れ、都さ行くだ、カネ儲けてくるだ。


つうひどい人。ひどい人。何てことを言うの? あんたは。
与ひょう布を織れ。織らんと、おら、出て行ってしまう。

つうねえ・・・ねえ・・・ねえ・・・(与ひょうの方をつかんでゆすぶる)
ほんと?・・・ねえ・・・あんた・・・それ、本気で言うの?


yuuduru.jpg
1980年代・北上市民会館(東北文化財映像研究所ライブラリー映像館)You-Tube

カネというものを理解できないつうは、与ひょうの言葉が分からなくなる。
ここは元の民話にはなく、作者が考え出した部分。

与ひょう布を織れ。すぐ織れ。今度は前の二枚分も三枚分もの金で
売ってやるっちゅうだ。何百両だでよう。

つう:(突然非常な驚愕と狼狽)え? え? 何て言ったの? いま。
「布を織れ。すぐ織れ」、それから何て言ったの?


与ひょう何百両でよう。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるちゅうでよう。
つう:・・・?(首をかしげて、いぶかしげに与ひょうを見まもる)

与ひょうあのなあ、今度はなあ、前の二枚分も三枚分もの金で・・・
つう:(叫ぶ)分からない。あんたのいうことが なんにも分からない。
さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。
だけど何を言ってるんだか・・・ああ、あんたは、あんたが、とうとう あんたが
あの人たちの言葉を、あたしに分らない世界の言葉を話し出した。・・・
ああ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。


yuuduru2.jpg

演劇評論家の宮岸泰治は『夕鶴』の舞台を初演から最終公演までずっと
見続けてきたが、1972年の秋、川崎産業文化会館の公演で信じられない体験をした。

山本安英(やすえ)の演じるつうが「さようなら」と言って扉の向うに消え、
鶴に戻って天空に飛び去る場面で、つうが《本当に消えた》と思ったのだ。
 後にも先にも《本当に消えた》と思ったのは、この時だけだった。
そして当時演出を担当していた『夕鶴』の作者・木下順二も、この時そう思ったそうだ。※

山本安英は東京・神田出身の新劇女優(1902-1993)。つう役をまるで鶴の化身のような
演技で、昭和24年以来37年間一度も休むことなく1037回も演じきった。
 木下順二は特定の役者を想定して芝居を書くことはない作家だったが、
この作品だけは「つうは、あの人に演じてほしい」として書き下ろした。

sつう9









You-Tube
 
確かに、互いの考え方や生き方に違いがあると、相手が何を言ってるのか
分からなかったり、こちらの言うことが相手にさっぱり通じない場合がありますね。
相手が上司の立場で、頭が悪いような場合にも、話は通じません。
 ですが、たとえ演劇という虚構の世界であっても、言葉を何も語らないとしても、
人の意思や想念のようなものはちゃんと通じる場合があるのですね。

②――――――――――――――――――――――――――――――――――
世界の人々の意思疎通が難しいのは、言語が通じないせいか。

旧約聖書によれば、歴史の初め、人間はみな同じ一つの言語を話していた。
だがノアの大洪水後、人々は思い上がって神に逆らうようになり、こう言った。
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされる
ことのないようにしよう」
(創世記11:4)

神は最初、アダムやノアの子孫に対して「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と
命じていたのだが、人々がその命令に背こうとしているのを見て怒った。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことを
し始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」
(11:6,7)

神が塔の建設を中止させるべく人間の言葉を混乱(ヘブライ語:バベル)させた
ため、世界には多様な言語が生じ、互いの考えが通じなくなったそうだ。

yuuduru13.jpg
ピーテル・ブリューゲル 『バベルの塔』

ロシア語の「こんにちは」は「zdravstvuite(ズドラーストヴィチェ)」で、
日本人には覚えるのが難しい。通訳の米原万里さんが「じつは《ズロース一丁》
の発音がそっくりなんです」と教えると、日本人の5人に1人がロシアの要人相手に
《パンツ一丁》と言ってしまうとか。コツは「ズロ」「いっ」にアクセントを置き、
他の部分はゴニョゴニョとごまかすこと。で、英語圏で買い物をするときは、
ええと、マグロ?じゃなく、サバ?でもなく、そうそう、ハマチ?でした。

③――――――――――――――――――――――――――――――――――
人間の意識の違いが意思の疎通を阻害する場合がある。

古代ギリシア人は非ギリシア人を「バルバロイ」と呼んだ。由来は、異民族の
言葉が彼らには「バルバルバル」と聞こえたため。意味は《わけのわからない
言葉を話す者》ということだが、意味合いとしては蔑称であった。
 というのは、ギリシア人は自分たちを伝説上の英雄ヘレンを祖とする自由なる
優秀民族だと自認しており、他民族は奴隷に等しい蛮人とみなしていたからだ。

聖書はバルバロイを、野蛮人(塚本訳)、未開人(新改訳)、夷人(文語訳)
などと訳しているが、これは昔の中国人が自分たちは世界の中心にいるが、
非中華民族は「東夷・北狄・西戎・南蛮」と呼んで蔑んでいたのと同じだ。

「夷」の字は「大+弓」で、好戦的民族の意。朝鮮や日本は蔑視された。
日本でも京の都から見て東国の住民を「東夷(あずまえびす)」と蔑んだ。
現在でも都会で方言を話すと馬鹿にされることがあり、大昔からこの愚かしさは持続している。

aローマいお9
Ancient Greek Warfare : Battle Between Greeks and Amazons

世界の平和を阻害している原因の一つに、自分たちは優秀で他は劣っている
とする選民思想、すなわち優越感を尊び喜ぶという稚拙な性向があるのですね。
 逆にコンプレックスが強すぎると、他者への攻撃志向や蔑視意識がひどくなる
場合があり、その症状は1位になれない2位の者に強く出るようです。

④――――――――――――――――――――――――――――――――――
日本語の言い回しの微妙なところで話が通じる場合もある。
会話は相手の思考の一歩先のことを言うのが面白い。江戸小噺の雷様の例。

 お月様とお日様と雷様が、三人連れ立って旅をした。
 宿へ泊まって、翌朝、雷様が目を覚ますと、お月様とお日様の姿が見えない。
 雷様が女中に、連れはどうしたい?と聞くと、
 お二人はまだ朝暗いうちにおたちになりました、と言う。
 
 やっぱりね、と雷様は言った。
 「月日のたつのは早いもんだ」

 女中が、雷様はいつ頃おたちになりますか?と聞くと、雷様は言った。
 「うーん、わしは夕立ちにしよう」

雷神5 
『風神雷神図』俵屋宗達(京都国立博物館)

駄洒落とは、平凡な言葉をストレートにしゃべるのではなく、瞬時に頭の中で
変換キーをタタタタターッと叩き、その中から思慮深く選択した同音意義語。
 笑っていただこうと利他的愛で考えた尊い言葉を、サブ~いとか言って冷たい目で
見るような悲しい傾向については、私、遺憾に思いますねえ。そう思うのはイカン
のでしょうが、いかんともし難い。あ、よそに行かんといて。(笑)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
参考:※宮岸泰治(著)『女優 山本安英』 影書房
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議論が嫌いです

バーソ様
おはよう御座います。

勿論建設的な議論を否定している訳ではありません。
とかく議論好きな人のなかには議論の内容そのものより言葉で相手を打ち負かすことを目標としているような人がいます。
こういう類の人達との議論はただ言葉の遊びをしているだけになってしまいますので極力さけてきました。
この類の人は自分が不利になってくると意味がわからないふりをしたり詭弁を使ったりしてきます。
その場が会社であればそれぞれが計画書を作成してトップがそのなかから優秀な計画を選択することで十分ではないかと思います。
無駄な時間を費やすことは会社を破滅に追い込んでしまいます。
何か今回のテーマと離れてしまいましたね。すみません。

愛新覚羅

2015/08/01(土) |URL|aishinkakura [edit]

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2015/08/01(土) || [edit]

最近、話しが通じにくい人が多いような気がします。
でもひょっとしたら自分の方が相手に通じていなかったりして。(笑)
落語ではこういうシチュエーションを楽しむんですけどね。
円生の「小言幸兵衛」、
「ばあさん。お客さんだよ、フトンを持ってきなさい。
・・・寝るフトンをもってきてどうする!」
数年前の伝説となった「分かり合えないスレ」
読むとイライラしますがおかしい。
http://blog.livedoor.jp/notaffiliate/archives/1916580.html

満月の写真、素晴らしい!大きくしても崩れない。
これはひとえにカメラ・・・、じゃなかったバーソさんの
腕のせいですね。(笑)

2015/08/01(土) |URL|エリアンダー [edit]

エリアンダーさん、スレ言葉は悪いが、クソワロタ。
いやあ、わかり合えないって気持ち悪いですね。
だって世の中の大方の人は、自分の言いたい事言ってるだけだもん。
人の言ってることなんか、聞いていないって。
お婆さんに近いお客様が上手く着付けができないというので、
補正パッドの紹介をした。このお客さんには私、
数ヶ月前にこの腹回りの補正パッドを丁寧な説明付きで売っている。
「簞笥の中になんか変な物があって、お産のときの腹帯かと思っていたわ」
んなわけねーだろ。

2015/08/01(土) |URL|宝香 [edit]

Re: 議論が嫌いです

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)
>相手を打ち負かすことを目標としているような人がいます。
 確かにいますね。企画や発案会議をしていると、自分ではアイディアを一切出さないくせに、他人のアイディアには難癖を付けるのがうまい人がいます。
 議論の好きな人は、他の人から異見を言われるとムキになって怒ったりするので、困ったものです。むろん、一人実権を持ってる人がいると、誰も反対意見を述べない会議もあって、それもまた困ったものですが。

 会議というのは、船頭多くいるのに船はちっとも動かないことが多いですね。無難思想で頭の硬い人がいくら集まっても、ただの烏合の衆になるだけ。
 世の中は目明き千人盲千人と言われますが、千人千人と言うより、十人万人と言うほうが合ってないでしょうか。企業でも国家でも良くなるかどうかは、本当に人材次第ですね。

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
私も、自分の話が相手に通じないことが多いので、大抵は日光のサルになっています。と、こういう話が昨今、通じなくなっているのが悲しいような、いや、そうではなく日光結構だよという話になればうれしいのですが、わっかるかなあ。あ、エリアンダーさんには分かりすぎて、ばかにされそう。(笑)

「レスする度に謎増やしてんじゃねえよ」なんて調子で、面白かったです。でも何だかワザと理解できないフリをしてるような気がしないでも無いような有るようなどっちだか分からないのを楽しんでいる風情がありそな無さそなええいどっちだわかんないーって言いたくなるような気がするもののおいエエ加減にせいと言ったほうがいいのかここで読むのをもう打ち切るべきなのかと悩むまでもないほどのクダラない会話の話の妙がそこはかとなくあってしかもそれを現在まで記憶していてわざわざひとに教えまたそれを読んで感心してこんな返信コメントを書くというまあヒマな人が日本にはいるものですね毎日暑いですねお大事に。

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん ありがとうございます^^)
いやあ、わかり合えないって気持ち悪いですね
 分かり合えないのは顔が見えないせいもあるという話もありますが、コメントの文章をちょっと読むだけでも、相手のひととなりが何となくわかるような気がするのも面白いものですね。
 ただ、短い文章をちょっと見るだけで即断してしまうのもどうなのかという反省もあって、そのバランスを考えるのもまた面白いものだと思います。

 人は心の中にあるものを全部さらけ出しているわけではないので、人と人が分かり合えないのは、いわば当たり前のことなんでしょうかね。もし心で思うことをすべて話していたら、ウソもバレて怖いというお話があったような気がしますが、題名は何だったか、どうも私の頭もよく分かってないようです。
 宝香さんはお年寄りの女性をあんまりお好きじゃないようですね。でもね、やがてそれぐらいの齢になるのじゃないですか。あと40年もすれば。(*^_^*)

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はじめからこっちの言い分を飲ませようという譲らない気持ちがあるかぎり、いつまでも平行線ですよね。

2015/08/01(土) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファンさん ありがとうございます^^)
はじめからこっちの言い分を飲ませようという譲らない気持ちが
あるかぎり、いつまでも平行線ですよね
 そうですね。頭の悪い人ほど、自分が正しいという信念があるほど、そういう傾向が強くないでしょうか。そんな人には理屈や道理がまるで通じません。

 自分の考えを主張すること自体は別に悪くはないですが、自分の持っている強力な権威を使って自分の言い分を押し通そうとするのは、ワンマン社長やワンマン君主のやること。どんな組織でもワンマン支配がいいはずはありません。
 あることが正しく必要なことであるなら、きちんと議論をし、きちんと手順を踏んで、道理として納得できるような仕方で物事を進めてほしいものです。そうすればどんな決定でも誰も文句を言えないはずですから。

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「ズドラーストヴィチェ)」を、
《パンツ一丁》と言ってしまうんですね。笑っちゃいました。
でも、
ズロースって単語、1950年代生まれのわたしは知ってますが、今も生きて使われてますか?死語ですかね^^。

2015/08/01(土) |URL|天安 [edit]

Re: タイトルなし

天安さん ありがとうございます^^)
 当該単語は私も知っている程度で、口から出したことは過去一度もないのですよ。確かにもう死語なのでしょう。ここに出したのは米原万里さんの本を読んだことがあって、あの人らしいエピソードだと思ったからですが、確か天安さんも著書で、ゴーリキーに関連して米原さんの本に触れていましたよね。

 外国人が「ありがとう」の日本語をワニの「アリゲータ」にこじつけて覚えたのですが、いざ使う場になったら忘れてしまって、ええと、ゾウじゃなかった、カバでもなかった、あ、ワニだったと思い出して「クロッコダイル!」と言ったという笑い話がありますが、似た話は韓国語にもいろいろありそうですね。

 私、韓国で「ちょっと待って」と言うと どういう意味になるかは忘れてしまいましたが、言ってはいけない言葉だというのだけは覚えています。(笑)

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私ならば・・・

互いの考え方や生き方に違いがあると、相手が何を言ってるのか分からなかったり、こちらの言うことが相手にさっぱり通じない場合がありますね。

→例えば、バーソさんと私じゃないですよね(~_~メ)
互いに黙ればよい。自分が正しいと思いこまないこと。
批判し合わないこと。永遠に終わらないから。と思います。
いや、私だけ思います。反論しないでください。生き方が違いますから。

相手が上司の立場で、頭が悪いような場合にも、話は通じません。

→でも、組織は従うことになるので諦めるしかない。若しくは
辞めるしかない。

ですから、気の合う人と集団になるわけですね。
孤独な私でしょうか。

切れ味悪い・・・。真面目に書いてしまいました・・・。
体調が悪いかしら(●^o^●)

2015/08/01(土) |URL|Miyu [edit]

こんばんは!

ヘルパーの夕鶴版「ランチのうな丼」

訪問介護を自転車で移動している。
気持ちは、ハーレーだがママチャリ。
昼頃の、移動のとき、暑さで頭がくらくらした。
途中に、うな丼ランチの看板を見つけた。
小さいのれんに、人がはいっていく。

私はその小さい店の小さい看板の字に「おいでおいで」を
されて意識なく、はいってしまった。
そして、か細い二切れの鰻ののった丼を
本能のおもむくままに、口に入れて「おいちー!」と
心でつぶやいた。
そこに、電話がなった。
仕方なく、店の外に出て電話をとった。
さっきの訪問者の身内さんからの長々のクレーム。

「薬局にあの薬だけ、なかったのですね。次回には
行ってくれるのでしょうね」とキンキンと言う。

やっと電話を終えて、店内に戻った。
私は、自分が一人で仕事の移動途中の
空き時間に、無意識に「うな丼」を食べていたことに
気がついた。

あのクレームの「ことば」がなかったら
まだ香ばしい香りに夢心地だったはずなのに・・

現実に戻った。訪問ヘルパーに戻った。
言葉の無慈悲よ!










2015/08/01(土) |URL|森須もりん [edit]

Re: 私ならば・・・

Miyuさん ありがとうございます^^)
考え方や生き方に違いがあると・・・・意思疎通ができない場合がある
例えば、バーソさんと私じゃないですよね
 いや、そうかもしれませんよ。だいたい育った環境、住む所、関心事、考え方など、いろいろと違うほうが多いのじゃないですか。
 とは言いつつも、きっと合う部分もあるのですよ。もし合う部分がなければ訪問しないだろうし、コメントもしないでしょうから。

いや、私だけ思います。反論しないでください。生き方が違いますから
 あらら、反論されるのが嫌いですか。おやまあ。困ったもんだ。
 と言いながら、じつは私も自分の生き方を他人からどうのこうの言われるのは好きじゃないです。大きなお世話だと思います。

 しかしながら生き方ではなく、何かの行動や考え方で、親切心から助言されたり、あるいは誠実に考えた結果として反論されるのであれば、イヤどころか、むしろうれしいと私は思うほうです。

 ただ、言い方がきつかったりすると、落ち込んでしまったり、引いてしまうことがあるかもしれませんが。人間は誰でも、そしてニャンコだって本質的に優しさを求めている生き物ですからね。

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは!

森須もりんさん ありがとうございます^^)
 んー、なんと言ったらいいか。「言葉の無慈悲さ」ですか。
 森須さんは、仕事では、優しい言葉より辛らつな言葉のほうを聞くことが多いみたいで、本当に弱りますね。
 クレームの電話で、うな丼もゆっくり食べていられない。じっくりと味わっていられない。まー、たいへん。同情します。

 ただ、仕事というのはラクではないことが多いものです。一日中、上司や親方や顧客からジクジク言われたり怒鳴られたりする辛い仕事もあるのです。

 きつい言葉は心に突き刺さって痛みが持続しがちです。でも身体への暴力と違って、単にイヤな言葉なのですから、忘れてしまうこともできます。なので、忘れようと思って、考えないようにする。そのためには他の楽しい事を考える。森須さんの得意な空想の世界に入るのがいいのでしょうかね。

 それにブログに書くことで少しは吐き出せるでしょうし、コメントで励ましもあるようですから、自分では部屋の中のことをできない人よりだいぶ恵まれているかもしれない、と思うようにして頑張ってくださいな。

2015/08/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

言葉は難しいですね。特に文字では数の制限もあるし、長々書くのもという考えで少ない文字で伝えようとするので、更に難しい。言葉足らずだったり、ちょっとした言葉のチョイスで違った意味に捉える事もあるし、られる事もある。
更に出会ったばかりなら憶測推測、こちら側の思いで見てしまいがちで。その地方での言葉の使い方もあるでしょうね。例えば仙台では、「だから…」(だからだったかな?)というのが他と違うらしいと聞いた事がある。何だったか忘れてしまったけど…。定かじゃないので心もとないけど参考に書きましたが。先日そう言う事を経験したばかりで、誰かの書いた「しょうがない」という言葉にムッとしました。何度も読んでみると違う意味かなあと思い直しましたが今も当ってるのかどうか不明です。
その地域の人の言い回しもあるかもしれないし、
しかもこういう場は顔を合わせた事もないので難しい。顔を合わせてお喋りした方が通じ易いが、それだって本当に伝わってるとも言い難い。
でも言葉で伝達出来るのが人間の特権でもあり素晴らしい事で、折角の出会いを言葉を使わないとすれ違ってしまいます。今は一人一人携帯やスマホを持っていて、伝達ツールが増えていいですね。昔は独り身の部屋に電話だってなかったですから、伝わる以前の言う術無しで、すれ違ってばかりです。
よひょう… 思い出の役名です。高校時代の片思いの人の役名。その後数年して喫茶店で偶然のドラマのような再会がありました。その後も何度かその都度違う駅のホームで出会う。その後仲良くなってもしかして恋に発展?なんて時に… こちら側の状況変化で結局音信不通に。
それこそ電話がないお陰でこんな別れが幾つかあります。言葉を言わなければ次に進まず、言ったとしても本意が伝わらないで勘違いしたりされたり…
米原万里さんの本は読んでないですが、新聞紙上で見た発言は面白いし好きでしたよ。ずいぶん前にお亡くなりになりましたよね。残念です。

2015/08/02(日) |URL|carmenc [edit]

XQ?#$%&!////・・・

バーソさん、大丈夫ですか?
話しが通じないんですけど。(笑)

話しが通じない男1
妻「最近、お隣に越してきた旦那さん、毎朝奥さんにキスして出勤するのよ。
アンタもそうしたら」
夫「何をバカなことを。ボクはあの奥さんに会ったことさえないのに」
話しが通じない男2
「ボクは、結婚前には家内と婚前交渉はなかったよ。キミは?」
「ボク? 奥さんの旧姓はなんていうの?」

2015/08/02(日) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

carmencさん ありがとうございます^^)
言葉足らずだったり
 そうですね。言葉不足、説明不足、言葉のチョイスミスもあれば、互いの観点が違うせいもあって、相手が考えすぎて、思い違いすることもありますね。

折角の出会いを言葉を使わないとすれ違ってしまいます
おお、いいお言葉。そうですね。そう思います。人と人の出会いは、地面の穴掘りと同じで自分で掘り起こしていかないと深くならないのでしょう。ブログのコメント機能もありがたいもので、何か言いたいことがあるときや相手の考えを知りたいときに便利だなあと思います。これもありがたい伝達ツールですね。

その後数年して喫茶店で偶然のドラマのような再会があり
 おお、そうですか。昔、『君の名は』というドラマがあって、ふたりが有楽町の橋の近辺ですれ違ったという話があったそうですが、今ならケータイがあるので、そんな話はあり得ないことになりますね。時代が違うと恋のストーリーもずいぶん違ってくるのでしょう。今は自由で、いい時代です。

 《世の中には偶然というのは無い》という話があります。どんな人にも何らかの出会いがあると思いますが、それを発展させられるかどうかは、かなり自分のほうの意思と行動が関係しているのでしょう。私などは臆病で奥手なほうなので、あのとき言葉を発しておけばよかったなあ、と悔やむことが多々あります。

2015/08/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: XQ?#$%&!////・・・

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
XQ?#$%&!////・・・を見て、ああ、やっぱり宇宙人だったか、あるいはパソコンエラーか、エラーいことになった、とちょっと心配しましたよ。(笑)

 エリアンダーさんでいつも感心するのは、過去の話をよく覚えていますね。
 記事は毎日更新していて、頭の中は無数のジョークでいっぱいのはず。「コンビニでおつり渡すときレシートにはさむ客」の記事だって、2011年の話でしょう。あるいはリストを作っていて、だから検索しやすいのでしょうかね。

 私は、あの、ええと、誰でしたかね、アメリカの俳優で、「同じジョークを二度言っても笑ってほしい」と言ったひと、ああ、だんだんその人に近づいていくような気が・・・。その人の気持ちが分かるような気も・・・。(笑)

2015/08/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

分かり合いたくない人も居る

 話せば判る・・・今更ながら、世の中には話しても判らない人が居る事を如実に示す言葉であります。しかし話して判らない人には幾つか種類がありまして
壱、本当に判らない人
弐、判ろうともしない人
参、理屈では判ってはいるけど、心情的に納得できない人
四、判っちゃいるけど、判ると都合が悪い人
伍、判っているから、判らないという人
 まあ壱は脳味噌が残念なんだからしょうがないとして、
 弐は思考停止しているので人として論外である。相手にしないのが正しいが、それだけに対策はぶっておかないと犬養さんの様になるから要注意であります。
 参は人である限り避けられない葛藤でありましょう。しかしそれを乗り越えて、判って欲しいなぁ。
 そして四、人迷惑なのはこれですよ、これ。実に性質が悪い。自分の主義主張と相反するものだからわかる訳にはいかんのでしょうがね。説得は不可能です。手段は色々とあるでしょうが、色んな意味で排除しない限り物事は前に進みません。日本は平和国家なので物騒な事にはならないが。
 伍、性質が悪いという意味では四に近いが、理屈は通じなくとも交渉は通じる分だけまだ増しか。まだ増し程度だけど。餌をちらつかせれば解決の手段もあるが、それで味を占めるから困ったものだ。しかしとことん追い詰められて不利ともなれば掌を返します。ま、喉をしっ絞めてやりたいという意味では一緒ですがね。
 他にもパターンがありますかね。

2015/08/02(日) |URL|miss.key [edit]

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2015/08/02(日) || [edit]

宝香さんは、お年寄りの女性をあんまりお好きじゃないようですね。
って。
うーん。考えてしまった。そうなんだろうか?
というか、私は女性全般をあまり好きではない、かも。
年を重ねると、女のいやらしさ加減が凝縮されて、
堪らないな、と思うのは確か。自分を含めて。
若い子はね、素直で可愛いよ。凝り固まってないからね。
こんなこと書くと、また、突っ込まれそうだ。

2015/08/02(日) |URL|宝香 [edit]

Re: 分かり合いたくない人も居る

miss.keyさん 多忙にもかかわらず、ありがとうございます^^)
 分析して詳しく論じる長文の論文を毎回楽しみにしています。(ゴリゴリ)
 ほんと、世の中はいろんな人がいますね。壱から伍まで見ると、壱が「判らない人」で、他はみな「判る気持ちがない人」でしょうか。
 ということは、わかるわからないの頭脳の問題ではなく、わかろうとする意思があるかないかの問題になります。《意思》だとすると、タチが悪いというか、論理的・道理的・感情的な説得は難しくなります。

 西暦1世紀、ユダヤの宗教指導者連中がイエスを何とか排撃しようと考えました。イエスの良い評判を聞いたせいと、自分たちが偽善者と非難されたためです。彼らが密かに集まって討議した際、彼らはイエスのことを「わかろうとはしなかった」という記述があったと思います。わからなかったではなく、わかろうとする意思がなかったのです。だから最初からイエスを殺そうと決め、ローマ政府への反逆罪をでっち上げてローマ総督に訴えたわけです。

 自分の意思で誰かの意見を受け容れまいと決めている原因は、参とか四の例など状況によりいろいろあるでしょうが、主には、誤った信念と強すぎるプライドがあるのではないでしょうか。
 ならば、問題は「知識」とその生かし方、つまり「智恵」の問題になりませんか。であれば、やっぱり壱から伍までの全員が「本当に判らない人」であるということになります。知識のある人は多いですが、智恵のある人は少ないですね。

2015/08/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん ありがとうございます^^)
年を重ねると、女のいやらしさ加減が凝縮されて
 女性の方々には大変失礼ながら、顔つきや話し方や文章の書き方を見ても、そういう傾向を感じるときがありますね。好々爺という言葉はあっても、好々婆という言葉はなく、鬼婆という言葉はあっても鬼爺という言葉はない―――と思っていましたが、介護をされている方の話を聞くと、とんでもない、男でも意地の悪いのがいるようです。ああ、歳は取りたくないものです。

 『赤毛のアン』にも、人間嫌いで頑迷な金持ちのおばあさんがいましたが、アンにだけは気を許していました。若くて素直で凝り固まってない子がかわいいのは確か。ああ、若いときに戻りたい・・・。

2015/08/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、こんにちは^^

話が通じない人というのは、
基本的に傲慢なのだと思います。
謙虚さや相手に対する敬意が足りないとも言えますが。

宗教を信じている人や、意外と、スピ系の人も、
話が通じない人が多いですね。

何が正しいかを、自分は知っていると思うと、
人はそこで思考停止してしまうようですね。

2015/08/02(日) |URL|korva [edit]

Re: タイトルなし

korvaさん ありがとうございます^^)
>話が通じない人というのは、基本的に傲慢なのだと思います。
 その通りだと思います。人が孤島で独りで住んでいるなら何を信じてもどんな性格でも何も問題はないですが、社会の中で大勢の人々と共に暮らすときは、この傲慢さというのは他の人への大きな害悪になると思います。

 ただ、宗教は本質的に唯我独尊になる要素を持っていますね。また、そうでないと信者は自分の宗教に自信を持てず、ひとを勧誘できないはずです。山を登るのにどの道でもいいのであれば、自分の宗教にこだわる必要はないのですから。

 スピ系の場合、面白いのは、多数の《宗派》《分派》があるということです。
天からの啓示を受けたり、自ら悟りを開いたのであれば、みな同じ考えになっても良さそうですが、それぞれけっこう違うところがあります。

 自分は神や高級霊から啓発されたと思っているような人は、自分の考えだけが神聖で絶対であると考えがちで、そういう人が傲慢になるのでしょうか。自分の考えは一つの考えに過ぎないと言う人もいるようですが、面白いものです。

 「自分はブッダだと言う人がいれば、その人を信用してはならない」という言葉があるそうですが、そんなブッダにはなりたくないものですね。

2015/08/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

コメントしそびれて早数日エライ遅れやしてごめんやしー。

ダジャレ、同音異義語も歌の世界では「掛詞」であります。ひとつの言葉に多くの意味を含んでいます。日本の中世文学と言われるものは語彙も少ないですね。何冊か読めば、あとは現代語対訳は不要になります。読む・聞く方にしてはそれは連想ということでしょう。会話も阿吽の呼吸、暗黙の了解知的なものが存在します。

言語学者の書いたものを読んでみますと、日本語の特性は面白いです。日本語には主語はなくて敬語があるという。英語のIの語源は自我だといいます。日本では江戸時代までは「私は」という主語はあまり使われていないそうです。長くなりそうですので、過程をはしょれば、日本語と外国語の違いの一つは発言者の視点が違うというのです。外国語は上(神)から目線、日本語は目の前にいる相手を見る目線、なのだそうです。だから敬語の変遷だったのでしょう。

外国語学習が盛んになって、文法重視なのか、最近の日本語は「私は」が多いような気がします。お気付きかもしれませんが、私は「私は」という文字を極力排した書き方を心がけてます(笑)。それで「あいまい」でも構わないと思います。公文書ではないのですから、またこの世の中もすべてクリアな世界でもないし…。

また、話をそらして申し訳ございません。

2015/08/03(月) |URL|花渡川 淳 [edit]

Re: こんにちは

花渡川 淳さん ありがとうございます^^)
おー、かなり得意の分野みたいで、薀蓄がいろいろとありそうですね。

日本語と外国語の違いの一つは発言者の視点が違う・・・
外国語は上(神)から目線、日本語は目の前にいる相手を見る目線
 そうなんですか。面白いですね。そうすると外国語は支配者階級中心のエゴ思考から発達したものであり、ゆえに上から目線だった。日本語は上流階級と一般庶民層が並立した思考であり、ゆえに敬語が発達したのかと感じました。

 思い出すのは「スクール(school)」の語源です。これはギリシア語「スコレー(schole)」から来ていて、「閑暇」すなわちレジャーを意味していた。なので本来は金持ちがレジャーでするものが学問だったようです。
 そうすると、西洋では学問は知識階級専門のものだったが、日本では一般民衆も学問をしていた。だから和歌集には天皇から防人までの歌が載っており、女性の手になる源氏物語や枕草子があり、江戸時代の人々は世界一の識字率を誇っていたのかと思います。

私は「私は」という文字を極力排した書き方を心がけてます(笑)
さすが、言葉にはよく気を配っていますね。そこまで気をつかう人は滅多にいません。感心しました。
 じつは私も「私」という言葉を入れるのが翻訳文みたいで好きじゃないのですが、しょうがなしにというか、文章能力の不足のゆえに入れています。
 というのは、私の文章はほとんどが何かの説明文で、そのあとのほうでちょろっと自分の感想なり意見を入れている構成なので、「私」という言葉を入れないとその文脈の切り替わりが読む人に分かるかなあと心配することがあるからです。でもこれからはなるべく入れないですむように気をつけたいと思います。

2015/08/03(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

言葉の使い方ってむずかしいって思うときがありますね。
似たようなことを考えてたとしても
言い回しとか ボキャブラリーの違いとかで
別なふうに聞こえてしまったりね。

一緒に居る家族でさえ 話をしても
なかなか通じなかったりしますし
ひとってみんな違うんだなーってしみじみ思います^^
それぞれ違う自分の世界に住んでるのだろうなーって。
だからこそ、考え方の違いを乗り越えた絆(愛情?)も感じたりしますけどね。

ネットだとよけい、顔が見えなかったり
声が聞こえなかったりタイムラグがあったりする分 
お互いの意志の疎通度は
半分以下になってしまってるのかもですよね。
正確には伝わらないと思うけど 
長年お付き合いしていくと ひととなりがなんとなくは
わかってくるような。。
でもそれだって自分の思い込み半分だともいえるし^^

意識はひとつだとしでもマインドは無限大にあるのかもですよね(//∇//)

2015/08/05(水) |URL|koto [edit]

Re: タイトルなし

kotoさん ありがとうございます^^)
それぞれ違う自分の世界に住んでるのだろうなーって
 それは確かでしょうね。人間の頭の中は常におしゃべりでいっぱい。年がら年中、数秒の休みもなく頭は考え続けています。
 ところが、誰かひととの対話をするときは、自分の頭の中のおしゃべりに比べると、その十分の一もしゃべっていません。実際に口から発する言葉は非常に少ないので、思うことが十分には通じないのはしょうがないのでしょうね。でもテレパシーだと全部伝わってしまって、それじゃあ困ることもあるのでしょうね。

 ネットは、そうですね、顔は見えないし、声は聞こえないし、相手の何気ない言葉をつい悪いほうに考えてしまうことってけっこうありそうです。
 でも言葉遣いというのは面白いもので、文章を読んでいるとかなりの程度、相手の人柄や思いが分かるような気がします。気の合った人同士だけが長くコメントのやり取りをしていくのであって、互いの波長が近い証拠なんでしょう。

意識はひとつだとしでもマインドは無限大にあるのかもですよね
 そうですね。ひとつの意識が無数に分化しているのだと言われますが、それがまたいろんな人と知り合って生きていくことの面白さのひとつなんでしょう。
 楽しい人間稼業、良い人間関係を長く続けたいものですね。

2015/08/05(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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