「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

  (続)「十四万四千人」は、王・祭司ではない。 

当ブログ『My知恵袋で取り上げられ、アクセスが急増した。
大勢の方に読んでいただいたようだ。 f さんと皆さんに感謝したい。

取り上げられたのは、2011/12/25付けのブログで、主題は、
「十四万四千人」は王・祭司ではない。「大群衆」は天に行く。

これについて疑問が出された。ありがたいことだ。
で、それについて反論をすることにした。

20110119152105328.jpg

※疑問は「です・ます」体ですが、当方は従来通りの文体で書かせていただきます。

                  

1.疑問:ブログでは「子羊」は「象徴的・比ゆ的」と言ってますよね。
啓示7:10には「神と子羊」が出てきますね。
もし「子羊」が「象徴的・比ゆ的」であり、「同じ文節・文脈の中では
解釈は一貫性を貫くべき」とするなら、「神」も「象徴的・比ゆ的」に
なり、JHVHを指す言葉ではない、ということになりますね。
ではこの「神」は何の「象徴・比ゆ」なのでしょう?

反論:神と子羊が同じ文脈に出てきても、子羊はキリストと解していい。
なぜなら、それは聖書研究者の中で十分認知され、解釈が固定されているからだ。
わかりきったことは、何の象徴かとか、何の比ゆかなどと論議しないでいいのだ。

バプテストのヨハネは「見なさい、神の子羊だ」と言った。
イエス自身も、ペテロも、イザヤも、同様のことを述べている。
(ヨハネ1:29、ヨハネ21:15、ペテロ第一1:19、イザヤ53:7、啓示5:6参照)
「神」についても同様で、その意味はキリスト教では十分認知・確定されている。

しかしながら『啓示』の書の中では、解釈が定まっておらず、
ものみの塔だけが独自の解釈をしている箇所がある。

今回の「十四万四千人」と「大群衆」もそうだが、『啓示』の中で解釈が定まってない
箇所で、独自の解釈を打ち出したい場合は、同じ『啓示』の中で、文脈を考慮したり、
関連のある記述を参照・照合・検討したりして、論議を論理的に構築すべきだろう。
そうでなければ、単に《恣意的》に解釈していることになる。
※恣意的とは一貫した思想に基づかないで気ままにその場限りの考えに基づくこと。 

出版物の中で、ものみの塔はこう推論を展開している。すなわち、
 起:「十四万四千人」と「大群衆」は、『啓示』7章の同じ文脈にある。
 承:「大群衆」の人数は「数えつくすことのできない」と書いてある。
 転:であれば、「十四万四千人」は、数えられた人数であるはずだ。
 結:ゆえに、「十四万四千人」は文字通りの限定された人数である。

しかし、同様の推論をするならば、このようにも推論できるだろう
 起:「十四万四千人」と「大群衆」は、『啓示』7章の同じ文脈にある。
 承:「大群衆」はあらゆる国民・人種から来たと言われている。
 転:であれば、「十四万四千人」は特定された国民・人種であるはずだ
 結:ならば、「十四万四千人」は生来のイスラエル12部族出身である。
   
※「霊的イスラエル」という言葉は聖書にはないが、どうしてもここの「イスラエル」を
霊的イスラエル」としたいなら、「十四万四千人」も「霊的十四万四千人」として
象徴的な人数とすべきだ。 そうしなければ首尾一貫性のある論理にはならない。

さらに、『啓示』7章では、「何々の部族の中から一万二千人」という表現が
12回も繰り返し出てくる。12部族の名も具体的に挙げられ、そのリストは生来の12部族とは
少し異なっている(創世記49章)。もし「イスラエル」が象徴的・霊的なものであるなら、
そのような詳細な記述は単に冗長な記述になり、意味がないことになる。
これだけ詳細に書いてあるということは、文字通り受け取ったほうがいいということだ。

※注:ものみの塔は最近、《油注がれた者が1935年までに集められた》という教理を撤廃した。
エホバの証人の「主の記念式」の集計を見ても、パンとぶどう酒の表象物にあずかる人は
減少するどころか、増加していて、今や一万一千人を超えている。
事実上、「十四万四千人」は限定数だとする教理は破綻している。


20110119152142c4a.jpg

                  

2.疑問:聖書中で「奴隷」とは「身分」だけを指す言葉ではありません。
「奴隷」とは神やイエスに対して献身的に仕える人(やみ使い)を指す
慣用表現です。「王・祭司」と「奴隷」はなんの矛盾もないのです。

反論:前半はその通り。記事の最後のほうで同様のことを書いた。
だが、文脈を考えずに「慣用表現」ということだけで解釈すると、おかしなことになる。
次の啓示19:17,18を見てほしい。
「さあ、来なさい、神の大きな晩餐に集まれ。・・・すべての者、すなわち、自由人ならびに
奴隷・・・の肉を食べるためである」


どうだろうか。「奴隷」とは、神やイエスに対して献身的に仕える人を指す慣用表現だと
単純に考えると、その「奴隷」たちは全員、ハルマゲドンで殺されてしまうことになる。
『啓示』の書では「奴隷」とは文字通り、奴隷の意なのだ。

質問者は文章の読解力が欠如している。もっと注意深く読んでほしい。

拙ブログで言いたかったのは、
『啓示』の中には、「十四万四千人」は「奴隷」であると書いているだけで、
「十四万四千人」だけが王・祭司であると分かるように書いてある箇所は皆無、ということだ。

「十四万四千人」だけが王・祭司であるという考えは、「大群衆」は地上で永遠に生きる級で、
「十四万四千人」だけが天に行く級だ、という前提がなければ成り立たない。

だが聖書には、信者を2種類に分け、
ある者を天的級、ある者を地的級と明確に分類している箇所はない。

《天的級は支配階級で、一般のエホバの証人は支配される級》という考えは、
聖職者と平信徒を分けるローマカトリック教会の階級制度と同じだ。
ものみの塔は、カトリック教会には位階制があると非難しているが、
同様の思想と制度は、ものみの塔にもしっかりとある。
  統治体>地帯監督>支部委員>地域監督>巡回監督>長老団調整者>
  一般長老)>奉仕の僕>正規開拓者>伝道者。 その他に都市の監督や 
  宣教者、ベテル奉仕者、特別開拓者、宣教訓練学校MTS卒業生がある。


                  

3.疑問:論理的に破綻しているところや、聖書の基礎的な知識が
極端に欠落しているところが多いブログです。ほとんどが啓示の書
だけですね。例外は最後に出てくるコリント第一くらいかな。
それで、「啓示だけでなく聖書全体を“文字どおり、素直に先入観なし”に読んでください」。そうすればあのような結論にはなりません。

反論:何か言う時は、文意を正確につかんでから言ってほしい。

まず最初に大前提として、今回は『啓示』の書から「十四万四千人」と「大群衆」に関わる
聖句を、原則として、文字どおり、素直に、先入観なしに読んでいきたい、と書いている。
すなわち『啓示』の書からだけ論議しているのであり、他の書からは全然論議してないのだ。

『啓示」の書だけ読めば、「十四万四千人」だけが祭司・王だと断定
できる聖句はないが、「大群衆」は天に行くという解釈は可能である、
という論旨なのだ。(それを理解せず疑問を呈するのは頭が悪い)
 

だから、《ほとんどの論議が『啓示』の書だけ》というのは、まったく当たり前のこと。
他の書からは論議してないと冒頭に断っているのに、それを理解できてないのはどうしてか。
私の基礎的な知識が欠落しているのではなく、質問者のほうに読解力が無さ過ぎる。 

それに「論理的な破綻」と言うのであれば、なぜそう言えるかの根拠も示してほしい。
具体的な理屈や根拠となる聖句を挙げられないなら、反論や反証とは言えない。 


でも、ともかく目を通していただき、感謝したい。 おかげで、自分の論述に言葉足らずが
あったことがわかった。 論旨が勘違いされやすいこともわかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
★参考:「宇宙主権の論争」の教理の誤りを論じています(本邦初) → コチラ


関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

切り口

いつも面白い記事、有難うございます。
いきなりですみません。
バーソさんならどう出るか、どの切り口から入るのか。
そんな疑問にかられ、いきなりの不躾な質問お許し下さい。

エホバの証人の母親へのアプローチ法について。
以前は目覚めて貰おうと必死な時期もありましたが、現在は考えが変わり、人生を捧げた二、三十年が嘘だったなんて本当に理解した時の絶望を想像するに、このまま人生を全うしたほうが幸せであるとの結論に達しました。
そう納得する方を選んだという方が正しいかも。
彼女にとっての生きがいを奪い、それに変わる何かを与えられないという現実もあります。

マインドコントロールか洗脳か。
少しでも批判的な内容は背教者と思うのか、心を貝のように閉ざしてしまいますよね(笑)
どちらにせよ考える事を放棄しているように思えるので
とても手に負えませんね。
この組織は主婦が大半を占めていますので、もしバーソさんが
その一人の説得を試みるとした場合、どういった切り口から入り、あるいは議論を重ねていけるのか。
冷静で客観的な記事を読んでいるとバーソさんなら…?と
気になりました。 夜分失礼しました。

2015/09/24(木) |URL|テクニーク [edit]

Re: 切り口

テクニークさん ありがとうございます^^)
あなたがどういう立場の人か分からないのですが、基本的なことを書きます。

 エホバの証人の最大の義務は「野外奉仕」つまり伝道活動です。
 ところがこの奉仕をじつは内心で嫌っている奉仕者がほとんどです。
 口では奉仕は楽しいと言う人もいますが、二人ペアで奉仕をする際、二人でおしゃべりをするのが楽しいのです。道で立ち止まって、おしゃべりばかりしていて家の戸口にはなかなか行かないでも、奉仕に出さえすれば時間が入り、このことを「時間を入れる」と言います。

 もし正直なところ義務感で行ってるに過ぎないのであれば、「怖れ」で行っているに過ぎません。行かないとエホバに滅ぼされる、行かないと仲間の信者から認識が悪いと見られる―――そうなら、それは、つらい、くだらない奉仕です。じつのところ全然幸せではない奉仕です。

 お母さんはどうでしょう。義務感でイヤイヤ行っているのでしょうか。それともエホバに喜ばれると思って信仰ゆえに楽しんで行ってるのでしょうか。

 率直なところ、JWの信者は協会の教理の矛盾など、あまり気にしていません。なぜなら協会に全幅の信頼を置いているからです。協会は近年、「残れる者」「世代」「大群衆」「予型的聖書解釈」など基本的な教理の修正をしています。ネットでも10年前と比べればじつに多くのサイトが立ち上がり、正しい精しい情報が入手できるようになりました。今は20年前、30年前とは状況がまるで違います。

 なので、普通の頭脳の人であれば、ものみの塔誌の研究記事だけを見ても、なんか言ってることがおかしいなと自分でも気づくはずです。
 なのにJWに居つづけるのは組織とJWの生活が好きだからでしょう。集会に行き、聖書の勉強をし、自分たちは清い民だ、世は邪悪だ、と頑張りましょうと励ましあう生活が楽しいのでしょう。兄弟たちであれば、演壇から話をしたりみんなを指導する特権が楽しいのでしょう。そういう男性は非常に多いです。

人生を捧げた二、三十年が嘘だったなんて
本当に理解した時の絶望を想像するに
 絶望して沈んでしまうかもしれませんが、一時絶望したものの目が開けてよかったと思う可能性もあるのではないですか。東京から青森に向かう電車に乗って居眠りから目が覚めたら、電車は名古屋駅にいた。さあ、このまま乗り続けるか、それとも急いで降りて乗り換えるか。お母さんは、どちらにするタイプでしょうか。

 いずれにせよ、人間はいつも自分で選択して自分の人生の道を歩んでいます。
 他の人から見れば失敗のように見えても、その人はそういう人生を歩んで何かを学んでいるのかもしれません。学べたのであれば成功の人生であるのです。学べなくても、それはそれで《楽しければそれでいい》ような気もしますが。

2015/09/24(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お返事ありがとうございます。
基本的な立場もお話せず大味な質問ですみません。
自分はJWにありがちな、2世の自然消滅組です。
2世といっても献身もしていないですが。
物心つく低学年頃に母親がはまり、中学3年位まで選択肢のない状況で集会中は空想に逃げ、紆余曲折で現在は世間一般のいわゆる常識的な行事すらわからない大人に育ってしまいました。アダルトチルドレンというのでしょうか。

もし母親を目覚めさせ、残りの僅かな人生であっても、普通の家族のようになって笑い合えたら。なんて夢みたりします。
でもそれはこっちの都合であって、今更目覚めさせられた方は堪ったものではないような気もします。気が狂うのではないかと。
集会や奉仕は、信仰でもあり、義務感でもあり、習慣でもあるように見受けられますね。
中盤は非常に納得させられる内容でした。教理が間違っている事は、彼らはどうでもいいんですよね、本当に。
それは根本的にどうなのかとは思いますが。
そうなるとやはり目覚めさせることは並大抵のことではないですね。組織が間違っている?だからどうした。私はここにとどまる! そんな人を引っぺがすなんて不可能に近いですね(笑)
お忙しいのに構っていただいて助かりました、ありがとございます。

2015/09/24(木) |URL|テクニーク [edit]

Re: タイトルなし

テクニークさん ありがとうございます^^)
組織が間違っている?だからどうした。私はここにとどまる! 
 多くの信者は、こう思っています。
 聖書の教理は漸進的に理解されていくものだ。人間は不完全だから完璧ではない。組織にいろいろ問題があったとしても世の教会よりはるかにいい。ものみの塔の他にエホバと聖書を大事にしている教団はない。悪い情報があったとしても、背教者の虚偽の宣伝であり、サタンのワナだ。神の真の教会は、この世からは常に攻撃されるものだ―――そう思い込んでいるのでしょう。

 教理の一部が間違っていることを知っていても、組織の中枢に偽善と不正があることを多少は知っていても、なおJWであり続けるのは、《好き》だからなんでしょう。あの生活が好きで、居心地がいいのでしょう。

 たとえば親が娘の婚約者はヤクザだから結婚はやめなさいといくら説得しても、好きなら何を言っても駄目ですね。でも親は必死に懸命に説得します。それでも駄目なら、親は自分の責任は果たせた、しょうがない、と考えるのじゃないでしょうか。
 宗教の自由、信仰の自由、親の自由は大事にしたほうがいいでしょうし。

2015/09/25(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はじめましてこんにちは。
面白い話をいつもありがとうございます。

ところで質問なのですが、私の知人がエホバなのですが脱退させる方法はあるでしょうか?

ええ、わかります。ほぼ不可能なのはわかります。ネット上を見ても不可能であることがひしひしと伝わってきますし、実際に私自身も彼らと以前に交流があったのでよけいにわかります。

あの人たちってどう見てもエホバとイエスに従っているというよりは、『長老』と『統治体』にしか従ってはいないですよね(笑)。

私は趣味で聖書を独学で学んでいたとき彼らがやってきて、「聖書を勉強なさるとはあなたエラいですね。いっしょに勉強しませんか?」とほいほいと付いていったのがそもそもの不幸の始まりで(笑)、、その後、統治体や聖書の矛盾点を長老に指摘すると「統治体の言うことだけに従っていればいいのだ!」と顔を真っ赤にしてキレます(笑)。こんな態度の長老がいる組織はどう見ても神の組織には見えないのですが?(笑)

私は長老と喧嘩をして自ら出ていった人間の一人です。ちなみに入信、パブテスマでしたっけ? あれはしていないです。

ようやく本題に移れますが、彼らを救い出すのはほぼ不可能に近いのですが、一人助け出したい人がいて、二世の方なんですが、その方は幼いときから組織が嫌だったそうですが、ある時男性の方と駆け落ちし、組織を破門された人です。

でも相当怖かったのか、その男性の方とまた組織に戻ってきました。男性の方はすぐにおかしいと気がついたのか、すぐに組織を出て行かれました。現在、一人で子供を育てながらあの組織にいらっしゃるのですが、あの人は組織に疑問を感じていそうですし(たぶん)、何か助け出すいいアイディアはないものか、と悩んでいるところです。

もし何かあればお願いします。

2016/08/25(木) |URL|通りすがり [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
 おっしゃる通りで、率直に言って難しいでしょうね。特に最近は、組織から離れた人は忌避するように、と統治体から発表があったそうで、彼らは内部の引き締めを図っているようですから。

でも努力する価値はあります。こんな方法があります。すでに試したかもしれませんが。

●神と聖書に信仰を置いている人なら、教えの矛盾を指摘する。
 「世代」の解釈などの独自の預言がみな外れたことを指摘する。
(しかし教理に関心のない人、理解できない人がけっこういます。
 神は漸進的に物事を正されるからいいのだなどと言われます)

●組織に信仰を置いている人なら、統治体の問題点を指摘する。
 最近はたくさん暴露されていますね。
(ネット情報や部外者の話は頭から信じない人が非常に多いです)

●協会の役員の人間性を指摘する。これもまあまあありますね。
(人は不完全、神がいつか正されるのを待つべきと言われます。
 個々の長老の欠点ぐらいなら批判しても、通じないでしょう)

●エホバという神が人間的で、聖書は100%神の言葉とは言えないと、証拠を挙げて論じるのもいいかと思います。

●いずれにしても当人に何を信じているのかを尋ねてみるのが一番の早道のような気がします。

ただ、このケースでは、二世の方で、幼い時から組織が嫌いだったとすれば、統治体の組織が神の組織ではないことを論じる方法が良さそうです。
現在はシングルマザーなんでしょうか。そうなら、心の拠り所を求めている可能性もありそうです。そうであれば、あの組織の代わりとなるものを提案することが必要かもしれません。私の場合は精神世界を探索し、救いを見出しましたが。

いずれにしても未信者が言う言葉はサタンの言葉だと信じている人には、何を言っても通じない場合が非常に多いと思います。相手の感情を気遣いながら言うことが大切です。

        ―――――――――

なお、私見ですが、
人間はそれぞれ、自分の人生で何か体験によって知りたいことを選択して生きているのだと思っています。
ですので、その点を体験し尽して、もう十分学んだと当人が思わないと、なかなか自分の生き方は変えないものではないかとも思っています。
つまり、時が来たら、その人は自分で気づいて、自分の道を決めていくのだろうと思っています。

アダムが木の実を食べようとしたとき、カインがアベルを殺そうとしたとき、神はその行為を止めようとはしませんでした。
人は自分の自由意志で生きるように定められているからです。

以上は冷たい見方だと思われるかもしれませんが、実は早めに収穫するより、熟す時を待つのもいいように思いますね。
愛想なしのようで申し訳ないですが、いろいろ努力して試行錯誤してみたら、あとは神を待つというのがいいようにも思います。

2016/08/25(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

返信ありがとうございます。

>特に最近は、組織から離れた人は忌避するように、と統治体から発表があったそうで、彼らは内部の引き締めを図っているようですから。

当時ぎりぎりまで組織に残っていたのでわかります。あのころで(五年前)すでにかなりピリピリした警戒ムードでした。会衆には離れた人には近づいてはいけない、という御触れが出ていたことは聞いています。
あとでネットで調べてわかったのですが、組織にとって有害になりそうな人物は長老宛に手紙が届き、「○○会衆のAは背教をもたらす人物です!その者を誰にも気づかれぬよう組織から排斥しなさい!しかしこのことは他言無用です。もし誰かに話せばあなたの長老の座は危ういです。」的な内容の手紙らしいです。(ちょっとググると出てきます)
ここまで徹底的にやっていたんだと思うとあらためて恐ろしい組織にいたんだと痛感しました。
ちなみに別のまったく知らない会衆に行っても私のことをどこから聞いたかは知りませんが知っており、「お前は○○会衆のAだな!お前のことは知っている!お前は○○兄弟と研究していた者だな!」と顔を真っ赤にしながらどなりこんできました。(実話です)
彼らのネットワークはどのようになっているかは知りませんが見ず知らずの私を知っているということは誰かエホバ以外にも別の情報提供者がいるように感じました。

>現在はシングルマザーなんでしょうか。そうなら、心の拠り所を求めている可能性もありそうです。そうであれば、あの組織の代わりとなるものを提案することが必要かもしれません。私の場合は精神世界を探索し、救いを見出しましたが。


現在シングルマザーです。しかしお子さんは当時高校生だったので現在社会人であると推測されます。あの人たちは絶対大学行かないひとたちですから。

しかし皆頼るものは同じですね。私もどれだけ精神世界の本を読んだかわかりません。

それらの本を読んで感じたことは、けっきょくすべては自分の責任であり他の誰かが悪いわけではないということ。

地球とはある種の学び舎であり、様々なことを体験するためにやってきている。

人間は皆全員が生まれる前に大雑把な人生のシナリオを書いてから生まれてきているということ。


、、、とするならば、彼女も現在体験中であり、無理に助け出さなくてもいいことになります。無理に助け出すならば貴重な体験ができなくなってしまいますからね。そもそもが近隣の会衆のブラックリストに載っているであろう私をそう簡単に信用するかどうかは疑問ですし。笑

バーソさんの言われたこの部分、、

>人間はそれぞれ、自分の人生で何か体験によって知りたいことを選択して生きているのだと思っています。
ですので、その点を体験し尽して、もう十分学んだと当人が思わないと、なかなか自分の生き方は変えないものではないかとも思っています。

はその通りだと思います。

状況を見ながら助けだす頃合を考えたいと思います。


アドバイスありがとうございました。

2016/08/26(金) |URL|通りすがり [edit]

Re: タイトルなし

通りすがりさん コメントありがとうございます^^)
 丁寧に返信ありがとうございます。
 あの組織もここ何十年かでずいぶん変わりました。以前は「油注がれた残れる者」と言われて神秘的なベールに包まれ、すこぶる誠実な印象がありましたが、最近は統治体のあくどさ、ずるさ、愚かしさが目につきます。大会ホールや王国会館の売却など、金儲け志向が目につくようになってきました。

 JWの個々の成員もずいぶん変わりました。以前は世の人とは一線を画すような純粋な人が多かったのですが、それもかなり変わりました。「世の終わり」が近いという緊迫感がなくなったせいが大きいと思われますが。

 なので、この組織は神の組織どころか、おかしな組織だと気づけることがだいぶ容易になってきていると思います。そうは思わないのは、聖書を学ぶ集団の霊(雰囲気・思考)が好きで、波長が合っているのかもしれません。それもまあ悪くはないと思います。

 ただ、誠実に真理を求めている人であれば、早晩 気が付くと思います。
 JWに入っていると世間の人からは変人だ悪人だと思われやすいですが、そういうことは全くなく、むしろ一般の倫理基準の弱い人よりいいはずですから、誰に対しても温かく親切に接していければいいですね♪

2016/08/26(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:http://barso.blog134.fc2.com/tb.php/19-f9944b31

back to TOP