「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 忠、孝、情。 どれがいちばん大切か。 


江戸時代、現代の感覚で考えれば想像もできない、おかしな裁判があった。
三つの立場から意見が出るのだが、三者三様の思考の仕方がじつに面白い。

新井白石が自伝『折焚く柴の記』で紹介している「正徳の疑獄」。
白石が六代将軍・家宣の侍講であった正徳元年(1711)に起きた殺人事件。
(ロス疑惑より怖い、かわいそうな女性の話。ハンカチが必要かもしれません)


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写真:存在そのものが疑惑と言える擬態生物(上はPygmy Seahorses)。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「正徳の疑獄」―――むめの大罪。
武州川越の女 むめ(31歳)は、半月以上も行方知れずの夫を案じていた。
川に男の溺死体が上がったと聞いて見に行ったが、うつぶせなので分からない。

夫ではないか と父と兄に訴えたが、そんなことがあるか と取り合ってくれない。
二人の様子がちょっとおかしい。
思いあまって翌日、名主に断ったうえで死体を引き上げさせると、夫であった。

役人が調べたところ、家の中から夫の衣服などが見つかり、父と兄が自供した。
夫と父が口論し、見かねた兄が むめの夫を殴り殺し、二人で川に投げ込んだ。

珍しくもない殺人事件である。
しかし、むめは結果的に父の悪事を告発したことになり、それは人倫に関わる
重大な罪になるのではないか との疑惑が持ち上がった。
そこで、この事件は川越では判定できず、幕府に上げられた。

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――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幕府の審議では、意見が3つに分かれた。
すなわち、1.評定衆、2.林信篤、3.新井白石 の3つの意見が提出された。

1.幕府の最高裁判機関である評定衆は、過去の判例を持ち出した。
貞享四年(1687)、自分の夫が自分の養母と密通した、と訴えた女がいた。
夫と養母は斬首刑。女は、母と夫とを告訴した罪で入獄1年、
後に武家の下僕とされた。
しかし、新井白石は、これは むめの事件の判例とすべきでないとした。

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(いわゆるお役所仕事で、過去の事例を引き出すだけの機械的思考ですね)


2.大学頭の林信篤は、ふたつの中国古典を根拠とし、極刑を主張した。
《その1》 中国の『春秋左氏伝』にある雍姫の話(B.C.697)
鄭の君主が大臣(祭仲)の専横を嫌い、大臣の娘・雍姫の夫に、
義父を殺せと命じた。
雍姫は暗殺計画を知り、母に「父と夫と どちらが大事ですかか」と訊ねた。
母は「夫は取り換えがきく。父は一人。比べものにならない」と答えた。
雍姫は父に「夫がお父さんを殺そうとしている」と告げ、
父は先制して娘の夫を殺した。
つまり、林信篤は、雍姫は夫の命と引き換えに父を守ったが、
むめは父の罪を暴露したと言った。

《その2》 『論語』にある直躬の話
楚の長官が孔子に自慢した。「私の村には直躬(正直者の躬)という
正直者がいて、自分の父親が羊を盗んだのを訴え出たんですよ」。
孔子が言った。「私の村では、父は子のために隠し、子は父のために
隠します。正直さというのは肉親の情の中に自然に備わっているものです」。

つまり、孔子は父の罪を隠せと教えているのに、むめは父の罪を明かして、
賢人の教えに背いたのであるから極刑にすべきだ と林信篤は主張したのだ。

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(中国の賢人の言葉は絶対とするのが、当時の儒者や漢学者の思考法でした)


3.新井白石は、同じく中国の古典から林信篤に反論した。
白石は親友の室鳩巣と相談し、『儀礼喪服伝』の斬衰の条を持ち出した。
すなわち、「父は子の天である。夫は妻の天である。婦人は二つの尊を
持つことはできない」と書にある。(天とは、至上とか絶対の意)

女が絶対に服従すべき対象は常に一つであり、結婚した女にとって
それは夫であるから、むめは無罪にすべきだ。
しかも、むめは最初、父と兄が犯人だとは知らず、結果的に告発者に
なったに過ぎず、意図的に父と兄を売ったわけではない と言った。

そして、むめの場合の父子関係を、天下の君臣関係に置き換えた。
「父が主君を殺そうとするのを知ったとき、『主君は取り換えがきくが、
父は一人である。比べものになりません』と言って主君を殺すのを認めた
としたら、それは正しいか」

つまり、もし大名や旗本がみな「主君より父が大事。父は一人のみ」
と言い出したら、天下に将軍を擁護する者は将軍の子だけになってしまう
と言って将軍家を脅したのだ。

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(新井白石は林信篤と同じ儒学者ですが、情に基づいた思考をしています)
■ ■ ■

幕府の最終判断は、当時としては温情あるものだった。
結局、将軍は新井白石の意見を採用し、むめに罪科を加えないことにした。
むめを諭し、父と夫の菩提を弔うということで、
鎌倉の尼寺(東慶寺)で余生を送らせた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
我国最初の法律学者・穂積陳重も、この事件を採り上げている。
『法窓夜話』(大正五年)の「大儒の擬律」
「今日より見れば、むめに罪がないことは明々白々であって、信篤と白石の
二大儒学者が知恵を絞って論戦するほどのことではないのだが、
当時は支那道徳が形式上、甚だしく尊重されていたことと、また徳川幕府が
主人そのほか尊長に対する罪科を特に重大視して厳罰する方針であった
ために、かくのごとき論戦を起こしたものであろう」 (現代語訳)

☆現代の『刑法』 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪105条---親族による
犯罪に関する特例「犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益の
ために犯したときは、その刑を免除することができる」

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~~~~~~~~~~~~~~~~感想~~~~~~~~~~~~~~~~~~
血の通ってない知識や硬直的な信念には意味がない。
雍姫の話も直躬の話も、中国の古典にある少し変ったエピソードに過ぎない。
だが当時の日本では、中国の先哲の言葉は絶対として硬直的に信じられていた。
林信篤は、人の情より、むめが聖人の教えに背いた ということしか頭にない。
            -- -- -- -- -- --
ある信念を持つとは、物事を特定の色眼鏡で見るということである。
理性では無色中立と思えても、自分の色眼鏡を通して見た景色に過ぎない。
            -- -- -- -- -- --
人間には生まれながらに「感情」という自然のバランス感覚が備わっている。
ある考え方は、心にしっくり来るだろうか、引っ掛かるものがあるだろうか。
内奥の感情の声を聞いてみれば、その時々の適切な判断が見えてくるだろう。
※「感情」は、あるいは「直感」であるかもしれない。

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~~~~~~~~~~~~~~~参照資料~~~~~~~~~~~~~~~~~
・高島俊男『お言葉ですが・・・⑥ ・⑪』(文藝春秋社) を基にして書いています。
・『歴史だより』「江戸時代の正徳の疑獄事件」その1
 http://blog.goo.ne.jp/leloi1428_april/e/4fb7300ec11bfc7a67d68adb2c60f087
・Wikipedia『林鳳岡』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E9%B3%B3%E5%B2%A1
・「ちょんまげ英語日誌」孔子の論語 子路第十三の十八
 http://blog.mage8.com/rongo-13-18
☆画像・「Camouflaged Animals Who Are Almost Impossible To Spot」 
 http://news.distractify.com/people/amazing/37-camouflaged-animals-that-are
 -almost-impossible-to-spot/
☆このブログはGoogle Chromeを使用し、110%拡大で書いています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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時代の違い

バーソ様
おはよう御座います。

今は親が子を、子が親を平気で○○する時代ですから当時の裁判があったらあきれて判決も出なかったかも知れませんね。
新井白石の意見は当然といえば当然なのですが当時としては画期的だったのでしょう。
現代でも良くあるのは仕事と家庭の優先をどう考えるか。夫婦と親子の関係はどちらを優先させるかなどでしょうが、それぞれ事情がからんでいますので一概には言えませんね。

愛新覚羅

2014/11/08(土) |URL|aishinkakura [edit]

知識や信念にしばられてそれに反するものは悪だというのは、真実を見抜く目を曇らせますよね。
時代の風潮に惑わされず、心の声に耳を傾けたいものです。

2014/11/08(土) |URL|マウントエレファント [edit]

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)

そうですね。最近は親子関係の殺人事件が多いですね。
なんだか気軽に短絡的にそのような行為に及んでいるように見えます。
儒教の教えは「孝」を非常に重要視するので、
この事件は「忠」との関係で問題になったようですが、
現代ではおっしゃるように、「仕事と家庭の優先をどう考えるか」でしょうか。
私は家庭より男のすべき仕事と思うほうを優先しましたが、
同じ世代の日本人なら大抵そうじゃないかと思います。
日本人の精神的バックボーンには「忠」の精神がかなり入っていますね。

2014/11/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

マウントエレファントさん ありがとうございます^^)

>時代の風潮に惑わされず、心の声に耳を傾けたい
その通りだと思います。
大勢の考えが必ずしも正義ではないということは、過去の歴史にありました。
日本人は自分の意見をはっきり他の人に述べるというようなことをあまりしません。
その原因のひとつは、聖徳太子の時代から、「和」を大事にするからで、
だから「大和(やまと)」の国と言うのだと言う人がいます。
「和」も大切ですが、自分という「個」も大切です。
ともあれ、人生に悔いを残さないようにしたいもだと思います。

2014/11/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>ある信念を持つとは、物事を特定の色眼鏡で見るということである。
理性では無色中立と思えても、それは自分の色眼鏡を通して見た景色に過ぎない。

  「ドキッ」 (知らず知らすにしてぃると思ぅのでありんす)


>人間には生まれながらに「感情」※という自然のバランス感覚が備わっている。
ある考え方は、心にしっくり来るだろうか、それとも、引っ掛かるものがあるだろうか。
内奥の感情の声を聞いてみれば、その時々の適切な判断が見えてくるだろう。


 楽な方に流されていなぃのか、
 それとも我田引水的な自身への言い訳なのか、
 気をつけねば(><)

 人生上級者向けの課題でありまするなぁ。。。

2014/11/08(土) |URL|レイまま☆ [edit]

またまた、、、

>女性はこの点で有利な特質を持っていますが、また反面で、とかく感情だけで判断したり行動するとも言わますので、こういうのも結局はバランス感覚なのでしょうか。

 最近、しばしば、とみに、凄く(強調ばかり。笑)実感する事が、
 あります・・・・・(↓)

 あぁ~ぁ、な感じなん事が、
  最近 しばしば とみに 凄くあるのでありんす。。。


>こういうのも結局はバランス感覚なのでしょうか。

  バーソ様、、、なのでしょうかしらね・・・・。

2014/11/08(土) |URL|レイまま☆ [edit]

レイまま☆さん ありがとうございます^^)

>「ドキッ」 (知らず知らすにしてぃると思ぅのでありんす)
どうぞご心配なく。そうしてない人は地球上に一人もいません。誰でも程度の差はあっても自分の色眼鏡を掛けているので、人生がバラエティ豊かなものになっているのです。

問題なのは、自分の考えは絶対中立だ、だから他は間違ってる、という思い込みです。
それは独善であり、宗教や思想に凝ってる人のよう要注意点であろうと思われます。

「内奥の感情の声を聞いてみれば、その時々の適切な判断が見えてくる」とは、
理性だけで硬直的に判断すると人間的な思いが欠けやすいということです。

私も聖書を学んでるとき、これはおかしいと感じて しっくり来ない箇所がありました。
でも、そういうときには、聖書は神の言葉であるという大前提がまずあって、神の言葉なんだから全面的に心から従順に受け入れるべきだ、受け入れがたい思いが生じるのは、自分の心が間違っているせいだと思うようにした、という失敗があります。

女性はこの点で有利な特質を持っていますが、その反面、とかく感情だけで判断したり行動するとも言われますので、こういうのも結局はバランス感覚なのでしょうかね。

拙文の結論のところに注目していただいて、うれしいです。

2014/11/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

曹操は儒学を人を縛る悪習であると断じた

 私は現代に生きる人間であるからでしょうか。江戸時代の道徳観念に酷く馬鹿馬鹿しいものを感じてしまうのです。親を尊ぶ事に盲目になって、本来あるべき善悪の判断がまるで疎かになっている気がしてなりません。法とは約束事です。感情に流されないからこそ万人に対して平等なのです。それを感情によって捻じ曲げられるのであれば、得をした側はともかく、損をした側が収まる訳はありません。感情で捻じ曲げて良いのなら、損をした側も感情で捻じ曲げろと言う事になります。肉親であるからという理由で罪を隠さねばならないとしたら、法自らが約束事を無視し、感情に走っていると言えます。つまり、法として矛盾していると言えます。江戸末期、西洋人をして日本には法が無いと言わしめたのも納得です。
 某国からは感情が法を捻じ曲げる事例が次々と伝わってきます。元々法などご都合主義で捻じ曲げてきた国の事ですから今さら感はありますが、あおりを受ける方はたまったものじゃない。しかもその「感情」ですらが一部の支配階級の都合によって作り上げられた虚構を基にしているのですから本当に迷惑な話です。そう考えるとかの国々は三百年以上遅れているのかもしれません。もっとも、某国に限らず、そのような国は世界にはまだまだ多いのでしょう。
 現代の日本も必ずしも法令遵守が徹底されているとは言い難い。しかし、あれらを見たら、今のこの国に生まれて良かったと心から思ってしまいます。悲しいかな。

2014/11/08(土) |URL|miss.key [edit]

レイまま☆さん ありがとうございます^^)

(先のコメントの少し文章を修正しているときに、レイままさんの続編が入ったため
この前のコメントと、順番が入れ替わってしまいました)

>最近 しばしば とみに 凄くあるのでありんす。。。
自分で自分の精神状態を客観的に見えているときは、全然問題ないのじゃないですか。
「良心」の働きについても同じことが言え、自分でしっかり自分の心理や動機を分析できている間は、変な行動に発展することは少ないのではないでしょうか。

犯罪事件での決まり文句は「カッとなって」やってしまったです。
ちょっと間をおいてみれば健全な理性が働くのですが、短気で感情的な傾向のある人がそういう問題を起こしやすいのでしょう。

平塚らいてうが「元始、女性は太陽であった」と言いましたが、大昔は女性のほうが判断力を持っており、女権社会だったゆえに卑弥呼など女王が活躍したのだそうですよ。

2014/11/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

miss.keyさん ありがとうございます^^)

じつは「感情」の語には少し引っ掛かる人がいるかもしれないな、と危惧していました。
でも、miss.keyさんは「感情」の語を「法」に対比する言葉として使われていて、私の主張に抗議しているわけではなく、miss.keyさんの鋭い理性的な追及の手に掛かったわけではないようなので、まずは、ほっと胸をなでおろしたことでした。^^;
私が言いたいことは、この前にあるレイままさん宛の返信にも書いた通りです。

確かに物事を その人の個人的な感情で、こうだ ああだ と決め付けられたのではたまりません。理性的な思考ができない人は、成熟した大人の人間とは言えません。

古来、何でも時の権力者に都合のいいように社会は動かされているのですから、儒教が寺子屋でも教えられたのは、当時の封建制度に都合のいい教えだったからでしょう。
江戸時代の知識人の支那(昔の中国)崇拝は異常なほどだったようですが、現代の日本でも、昭和とか平成とかの元号は相変わらず支那の古典を基にして作られているわけですから、相変わらず同様の傾向が残っているようにも思います。

私の学生時代、一番仲の良かった親友(一浪したので1歳年上)が、私が東京の下町に住んでることを冗談半分で時々からかうことがありました(埼玉を、ださいたまと言うようなもの)。そこであるとき、君は地方出身で東京人に引け目を感じているので、そうやって僕をからかっているのだろうと言ったら、図星だったようで、それ以来ピタリと言うのをやめました。人を小馬鹿にするのは自分のコンプレックスの裏返しだったんですね。

某国の人も同じなんじゃないでしょうか。ひとを非難するほどにコンプレックスという感情が表に出ていることに気づいてないのでしょう。しかも、憎しみという感情は、自分が経験したゆえに湧いたものではなく、その国の指導者から教えられたものに過ぎません。理性で冷静に判断できないのも、硬直した思考と言え、それも哀れなことだと思います。

2014/11/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

なんの咎もないのに牢に入れられ、尼さんにされたとは
理不尽ですが、時代背景によるものでしょうか。赤穂浪士の処置みたいに
侃々諤々の議論が交わされたんですね。
現代でも理不尽極まりない判例があります。
アメリカで泥棒がある家に侵入しようとし、屋根を踏み抜いてケガをし、
泥棒はその家に対し訴訟を起こし勝ったことがありました。
イランで51歳の男にレ○プされた16才の少女が死刑になったという
ニュースも最近ありました。
日本の離婚訴訟でも女性が有責の場合でも、男性は親権を取れない
ケースが多いです。

2014/11/08(土) |URL|エリアンダー [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

アメリカの裁判も本当にひどいのがありますね。
この屋根から落ちた泥棒の話もそうですが、マックのコーヒーで火傷した事件など、
そのような出来事を事件としてとりあげる裁判所のほうに問題があるように思います。
『夏への扉』のジョークにも、よく弁護士が出てきて、悪漢扱いされてますね。

このイラクの事件を検索しました。とんでもなく、ひどすぎる話です。
「逮捕後、さらに追い打ちをかけるようにして、彼女が不道徳の原因であり、地域の同年代の少女に対して悪影響を与えている、という申し立ても地元民によって行われた。
彼女は、無実の主張が全く受け入れらないため、裁判官に叫んで訴え、挙げ句の果てにベールを脱ぎ捨てたら、その行為が致命的な打撃となり、彼女には死刑が宣告された。
18歳以下はイスラム法の適用外だが、それを無視するために22歳ということにした」

人情とか道理とか理屈とか全く通じません。拙記事で扱った儒学者の思考と同じ。
これがコーランとかバイブルとかの経典を全面的に信じてる人の考え方なんですね。

旧約聖書では、レ○プされる女性は大声で叫ばなければならないとあります。
新約聖書では、女性は頭(あたま)にベールをかぶらなければならないとあります。
理由は、女性は男性の頭(かしら)の権威の下にあることを表すためだというのですから、男尊女卑のじつに愚かしい教えなんですが、これを愚かしいと思わない思考回路が信者のなかにはあるのですね。原理主義のような熱心な宗教は本当に怖いです。

2014/11/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2014/11/09(日) || [edit]

すごいへんちくりんなお裁きがあったのですね(@_@;)
新井白石は、まともな感覚ですよね。

儒教って よく知らなかったのですが
そういう感じなんですか?
人の解釈の仕方って ほんとこわいものがありますね(^_^;)
正しいと思ってやってるから よけいこわいです(>_<)

イラクの話もとんでもないですね(゚o゚;;

2014/11/09(日) |URL|kotorin [edit]

鍵コメさんへ。

例えばの話ですが、どうにも かわいそうな星の下に生まれたとしか思えない不幸な子供がいるとします。
当人もかわいそうですが、その親も、さぞかしつらいことでしょう。
どうしてそんな子が生まれたのか、自分は神に試されているのか、何か考え方に問題があるのかと、親はいろいろ悩んだり苦しんだりします。
ひとつはっきり言えることは、神は人を試すなんてことは絶対しないということです。

こういうふうに考えてみるのはどうでしょう。見方を変えます。
そのかわいそうな子は、じつは一番いい親のところに生まれてきたのだ。
なぜなら、その子は一番優しく世話をしてくれる人が必要だから、一番適切な人を選んでやってきたのだ。
言い換えると、つまり親の立場からみると、その子は、親になる人間の良い特質をさらに引き出すために生まれてきたのだ。と、そう思うのはどうでしょう。

地球上でアフリカとか大変に厳しい環境に生まれてきた子どもたちは、じつは大変勇気があって、そんな状況を意図的に選んで生まれてきたのだ、という考え方が「精神世界」にあります。どうでしょう。そう思えれば、少しは慰められませんか。

こういう話をすると、それはひとのことだから、そんな客観的な他人事のようなことが言えるのだと思えるかもしれません。
でも、人間の子にしても動物の子にしても何にしても、今の自分はそのような者に愛を示すためにいるのだ、優しさを喜んでくれるもののために自分がいるのだと思えると、物事に対して より積極的な考え方ができるのではないでしょうか。

この世には不条理なことがいっぱいあります。それは仕方がない。世の中はそうなっているということがあって、それは変えることはできないものです。
でも、そうしたなかで、自分の精一杯できることを一生懸命にしていく。それが人間の人生の一番いいところじゃないでしょうか。そう思うのですが。
うまくいくといいですね。そう祈ってます。

2014/11/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

>正しいと思ってやってるから よけいこわいです(>_<)
本当にそうだと思います。だから「信念」とか「正義感」とか「信仰心」というのは、行き過ぎると非常に怖い一面もあるのです。

「良心」は日本語では「良い心」ですが、英語ではcon-science。コンシャンスです。
コンは「共に」の意。シャンスはサイエンス、つまり「科学」ですが、科学とは本来は「知る」ということです。自分の心の中に、自分を知っているもうひとりの人が居て、《こんなことをしてはいけない》と自分を咎めたり、《このくらいはしてもいい》と釈明したりする、そのような心の働きだと聖書が言ってます(ローマ:15)。
過激的な思考を持つ人はその咎めるのと釈明するバランス感覚が狂っているので、自分では良心的に、過激なことを実行してしまうのでしょう。

イスラム圏に生まれたサヘル・ローズというタレント、知ってますか。一度 街で見かけたことがありますが、大変つらい経験をしたことがあるようですね。

2014/11/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

恐れながら・・・

Kotorinさんの意見に1票です

私なりに 考えますに 将棋の棋譜検討会ですね
裁判自体が 権力闘争でしょ 罪のなすりあい

その瞬間を取り戻せないのを良い事に 
 言いたい放題 至る経路など再現し論じても
完全なる再現など無理 そこに人間の狡さが
入り込み 知恵比べをしているだけでしょう

その遭遇した時の 対処方法はその時の信念に
従わざるを得ない  後では何とでも言える

自分の行動が正しかったと思える行動を
取りたいと願うばかりです

2014/11/09(日) |URL|ブッキ~ナ♡ [edit]

ブッキ~ナ♡さん ありがとうございます^^)

>至る経路など再現し論じても 完全なる再現など無理
>そこに人間の狡さが入り込み 知恵比べをしている

そういう一面があるのでしょうかね。私は実際の裁判は見たことがなく、ニュースや映画で知ってる程度ですが、検事と弁護士が論争して、物語の中ではたいてい有能な弁護士が勝つというストーリーになっていますね。
でも時には、この社会で強い力を持っているほうが、あるいは、もっともっと大きな力ある者から擁護されているほうが勝つ、というような妙な裏話もけっこうあるのでしょうか。
ともあれ、戦前以前の昔を思えば、あるいは政治がひどい諸外国を思えば、日本の裁判はまだ だいぶいいように思うのですが、どうなんでしょう。

>自分の行動が正しかったと思える行動を取りたいと願うばかりです

いいこと、おっしゃいますね。何かの思想や宗教にかぶれていない限り、この言葉は褒めるべき言葉でしょう。
自らかえりみて恥じることなし。私もそれで行きたいものです。

将棋もされるのですか。将棋が好きな方は、記憶力と作戦力もいいようですね。

2014/11/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ブッキ~ナ♡さん 清き一票ありがとうございます^^

コンシャンス いいですね
なんか、言葉も内容もかっこいい^^

サヘル・ローズさん 初めて聞いた名前です。
タレントさんなのですか。

今日 こちらのサイト↓久々に開いたら。。。
ティール・スワンさんってご存知ですか
なんか この方もすごそうです(@_@)

http://yukosait.blog21.fc2.com/

インタビューが英語なので私はわからないのですが
少し日本語で翻訳してくださってました(^^ゞ

2014/11/09(日) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

ティール・スワンさんの動画、見ました。すごいですね。
「わたしに見えているのは、様々な色をした、振動するエネルギーの広がり」
物理的には、すべての物質はエネルギーの振動体ですから、まさにその通り。
でも、こんなふうになるのは、いいことなのか、そうでないのか。
そうなるのは、そうなるその人の運命があるような気がしますが。

サヘル・ローズは、テレビの番組で知って、図書館で本を借りて読んだのです。
イラクの空爆で家族がみんな死んで、瓦礫の中から養母に見つけられ、育てられて、
その養母がすごくいい人で、涙が出るような話があって、やがて日本に来て、
滝川クリステルに似ているとか言われて売れだしたのだそうですよ。
たまたま恵比寿駅前で見たことがあるものですから、思い出したというわけです。

それから、ローマ人への手紙は章が抜けてました。2章の15節です。

2014/11/10(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

いつもありがとうございます、 
記憶が飛んでまして 申し訳ありません、
コメントさせて頂いたでしょうか?
書いたと思うのですが、高齢者だと思い お許し下さい、 

いつの世も 親を選ぶか 子を選ぶか 
連れ合いには 早々に縁を切られましたが、
それも 運命と思ってます、 

お裁きも 運しだい? 裁く人の裁量で決まりますが、 
時代は 昔昔 大変だったでしょうね、 

この年になり 色々 勉強させられます、
有り難い事です、 
もっとも 知らない事が 多すぎますが、   たか

2014/11/11(火) |URL|たかちゃん [edit]

たかちゃんさん ありがとうございます^^)

>連れ合いには早々に縁を

そうですか。痛い手術もあったし、いろいろとご苦労があったのでしょう。
一般論として、人生にはいい「縁」と、そうでない「縁」があるように思えますが、
どうなったとしても結果から見れば、すべて「縁」があったのでしょう。
おっしゃる通り、「それも 運命」。
「これも 流れ!だと 受け止めて 納得」されていらっしゃるようですね。

波風の強い運命もあれば、そよ風のような運命もあります。
ゲームなら、いろいろ難問が多いほうが上級者向け。そのほうが面白いのですけどね。

それにしても、ブログは更新頻度が多いですね。先月は37件ですよ。
なんとまあ、100件 越した月もありますね。
これだけ書けるということは、若い人より勢いがあるのじゃないですか。

2014/11/11(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

理不尽裁判

コメント、ありがとうございます。
理不尽裁判、アメリカでこんな訴訟沙汰もありました。
交通事故を起こした男が相手のクルマから犬を引きずり
出して殺め、動物虐待の罪で収監されました。出所後
この男はなんと犬の飼い主を名誉棄損で訴えたのです。
犬殺しとして報道され名誉を棄損され精神的外傷になったと。
幸いと言うか、当然というかこの訴えは却下されました。
アメリカでは弁護士の数が多いので常識を疑うような判例が
多いです。

2014/11/13(木) |URL|エリアンダー [edit]

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2014/11/13(木) || [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

アメリカには、兵隊の次に弁護士が多いのだそうですね。
日本人は「なあなあ」で済ますが、アメリカ人ははっきり」させるのか。あるいは多民族社会なので、裁判で争ったほうがいいということか。いろいろ得失がありそうです。

先頃、ファストフード店の中国製汚染チキン問題で、アメリカ人の女社長が謝らずに「その食材が日本に入ってきている証拠はない」と言いました。訴訟されたら何百億円の賠償になるのが嫌で逃げたように感じましたが、日本人は、きちんと謝ればそれで許す国民であることを知らないとは、ちょっと認識不足だと思いました。
アメリカ人の「リバティ」精神もたいしたものですが、日本人の事を荒立てない「和」の精神もなかなかのものだと思いますね。

2014/11/13(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは

 このケースはリビアだと奥さんが死刑です。殺人ではありませんが似た事件がこの近くでありました。
娘は父親の後妻のことが嫌いで後妻に悪口を言った。それを聞いた父親が娘に謝るように言ったが謝らなかった。父親は兄に命じて娘を殴らせた。
父親と兄が傷害容疑で逮捕された。

問題はそこからで、彼女はこの街にいても生活ができない。かといってリビアに帰ると父を刑務所に送った娘として殺される。
この傷害で逮捕までは新聞で知りましたがその後の問題は外国人のコーディネーターをしている子に聞きました。
イスラム法ではいまでも「親を売るような行為」は死刑、あの言い方だと殺されるそうです。

イスラム教は本来は慈悲の宗教だと思っています。でも大昔に制定された法を時代に即して改訂できないところが致命的に問題ですね。

イスラム教徒の女性でも国を離れて厳しい戒律、彼女たちはうんざりのようです、から開放されて一息ついている人もよく見かけます。

2014/11/14(金) |URL|MK [edit]

MKさん ありがとうございます^^)

>父親は兄に命じて娘を殴らせた。父親と兄が傷害容疑で逮捕された。
そうなんですか。公的には、こんなケースで父と兄が逮捕されることがあるのですね。
でもその後が怖い。イスラム法では、リビアに帰ると、父を刑務所に送った娘として殺されるのですか。なんだか日本の江戸時代の儒教思想が今でも続いているみたいですね。

以前、イスラム圏の17歳の女性が性交渉をしたために義理の兄から殺されそうになったという話を『生きながら火に焼かれて』という本で知り、ブログに書いたことがあります。
http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-30.html

彼の地では、上にいる立場の男が異常に威張っていて、家長や長老たちの名誉を守る意識が非常に強く、その階級思想は地域社会の根強い因習になっているようです。

名誉とか自尊心は、それ自体は悪いものではないですが、でも気をつけないと、他の人の、特に弱い立場にいる人たちの尊厳や命さえも傷つけることがあるのですね。
コーランに限らず、宗教経典は神聖視され、とかく無条件に絶対視されますが、本当に正しいことを教えているのか、よくよく考えてみる必要があると思います。

アメリカでは、「開放されて一息ついている人もよく見かけます」か。おお、よかった。
ジェンダーの点では、アメリカは自由の国で、いいですね。

2014/11/14(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2014/11/15(土) || [edit]

鍵コメさんへ

どういう状況か、わかりました。
思ったより大変でしたね。

あとは、できる範囲で精一杯のことをするしかないのでしょうかね。
なるべく、なんとかなる、と楽観的に思うようにして、
あまり深刻に考えすぎないのがいいのでしょう。
楽しい日々を暮らせるようにしてあげて、
喜ぶ顔を見るようにするのも多分いいのでしょうね。

2014/11/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こういうのは時代に即してみんなが納得するやり方で収めるよりより他ないと思います。正解のある問題ではないと思います。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

民主主義国家では過半数の賛同で成り立っています。では半数以上が賛同すれば、その結論は正しいのかといえば、そうじゃないですね。隣国で半数以上の国民が言ってるから、それが正しいというわけではないのと同じです。極論を言うと、世の中には正解はないのではないでしょうか。私はそれでいいのだろうと思いますが。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

江戸時代って、こんなにも価値観が違ったのですねえ。
江戸時代って憧れるのですが
別の世界なのかなあ・・・

最近、内山樹の「街場のアメリカ論」という本を読んでいたら
マックのコーヒーで火傷をして訴訟を起こしたという内容を
読みました。
江戸時代だけではなく、アメリカも、なんだか別世界!!

昔、アメリカに旅行中、夫が娘と
ジャンケンしてバツゲームで、叩いたりして楽しんでいたら
児童虐待の疑いがあると、それを見た誰かが
警察を呼んだことがありました。

何気ない親子の遊びが虐待になってしまいそうで、怖かったです。数人の警察が来ました。
アメリカの怖さをしみじみ感じました。

いろいろと社会や時代が変わると判断が違うのですね。

2015/09/16(水) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん こんな硬い記事をよく読んでくださいました^^)
 江戸時代の倫理学者が支那の文献を硬直的に神聖視していたことをうかがわせる事件ですが、現代でも聖書という経典を硬直的に神聖視している人々がいるので、その聖書原理主義(盲目的な経典信仰)の愚かさを思って書いたのです。

 マックドナルドの熱いコーヒーで火傷をした婦人は、弁護士がやってきてあんな大事の事件にしてしまったのであって、自分は騒ぎ立てるつもりはなかったとか言ってるそうですが、それにしても賠償の金額がすごいですね。アメリカでは弁護士が悪徳職業の代表のように言われるのも無理ありません。というか個人の権利を硬直的に重要視しすぎているのではないでしょうか。
 どんな良いことでも度を超すとおかしくなりますね。

 森須さんはいろんな所に行ったことがあるのですね。私は海外は一度も行ったことがありません。あ、四国には3度ばかり行きましたが。(笑)

2015/09/16(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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