「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 芥川龍之介の未完・未発表の作品「人と死」。 

《不老不死》の秘薬があった。互いにライバル争いをしていた二人の女性が、
その秘薬を手に入れ、みごと若返りに成功する。

だが秘薬には、肉体が新陳代謝や修復作用をしないという落とし穴があった。
二人は首の骨が折れても、腹に風穴が空いても、永遠に死ななくなったのだ。

『永遠(とわ)に美しく・・・』1992年ユニヴァーサル映画

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       出演:メリル・ストリープ、ブルース・ウィリス、ゴールディ・ホーン

死ぬのはつらいのか、死ねないのはつらいのか、と文豪が問い掛けています。
芥川龍之介の小戯曲 『人と死』 。未定稿・未発表の作品です。
人間と月の対話ですが、どうってことないようで、味わいがある作品ですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人と死(小戯曲) 芥川龍之介 『芥川龍之介全集』第二十二巻 岩波書店

1early-crescent-moon_20140827145039be4.jpg

PROLOGUE

夜、三日月が出ている。作者が月の方を向いて立っている。

作者 お月樣。
月   何だい。

作者 あなたは、いつでも独りで、さみしくはありませんか。
月   ちっとも、さみしくはないよ。

作者 そうですか。私は、友だちが大ぜいいても さみしくって、
    仕方がありません。
月   友だちが沢山いるから、さみしいんだよ。

作者 そうでしょうか。
月   ああ、そうだよ。

  暫(しばらく)、黙っている。
2early-crescent-moon.jpg

作者 お月樣。
月   なんだい。

作者 あなたは、いつでも、空ばかり歩いていて、さみしくはありませんか。
月   ちっとも、さみしくはないよ。

作者 そうですか。私は、仕事が沢山あっても さみしくって、仕方がありません。
月   仕事が沢山あるから、さみしいんだよ。

作者 そうでしょうか。
月   ああ、そうだよ。

暫、默っている。
2early-crescent-moon.jpg

作者 お月樣。
月   何だい。

作者 あなたは ようござんすね。
月   何故だい。

作者 いつでも そうしているでしょう。 銀貨のように白くなったり、
    縫針のように細くなったりしても、やっぱり、ちゃんと
    そうしているでしょう。所が人間はそうは行きませんよ。
月   ・・・・・・

2early-crescent-moon.jpg

作者 お月樣、お月樣。
月   呼んだかい。

作者 ええ、何故だまってしまったんです。
月   そう云われたら、急にさみしくなって来たからさ。

作者 それで だまってしまったんですか。
月   ああ。

作者 私は、又、死ぬ事を考えると、何時でもきっと、さみしくなってしまいますよ。
月   そうかい。私は死ねない事を考えたら、急にさみしくなってしまったよ。

作者 不思議ですね。
月   ああ。

暫、默つている。

2early-crescent-moon.jpg

作者 お月樣。
月   何だい。

作者 私はもう、かえりますよ。
月   そうかい。

作者 仕事がありますからね。それから、友だちが待っていますからね。
月   じゃあ 別々、さみしい思いをするのだね。

作者 ええ、じゃあ 左樣なら、お休みなさい。
月   ああ、左樣なら。

作者が去る。三日月ばかり。


 (表記、改行は一部変更しています)


1early-crescent-mn.jpg 
      http://www.publicdomainpictures.net/pictures/80000/nahled/early-crescent-moon.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
死ぬことはさみしいが、死なないこともさみしいのか。
劇中で、作者(人間)は「死ぬことを考えると、さみしい」と言っている。
「さみしい」とは侘しい、空しい、味気ない、無常、孤独という意味だろう。

月は「死ねないことを考えたら、急にさみしくなってしまった」と言う。
はて? 「死ねない」ことも、さみしいのか。
月は、同じことの繰り返しが永遠に続くと考え、「さみしく」なったのか。
☆     
命は肉体の中に存在し、肉体が終われば命も終わると考えられている。
しかし《命』が肉体を使用しているのだという『精神世界』の考えもある。

ならば、肉体が終わっても《命》、すなわち自分という存在は続いている。
自分が続いているのなら、肉体が終わっても「さみしく」なることはない。

★     
芥川は35歳の若さで命を絶った。現代なら平均寿命の半分以下だ。
もっと生きていれば、「命」について、もっといろいろ書いていたでしょう。
とても残念です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~補足~~~~~~~~~~~~~~~~~
芥川龍之介の作品は古典から構想を得たものが多く、今昔物語などから材を取った
王朝もの『羅生門』『藪の中』、また中国の説話によった童話『杜子春』などがあります。

堀辰雄は芥川について、「彼は遂に彼固有の傑作を持たなかった。彼のいかなる
傑作の中にも、前世紀の傑作の影が落ちているのである」と厳しい批評をしていますが、
じつは独自の発想による作品もけっこうあり、未発表・未完のまま遺されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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立場によって

バーソ様
おはよう御座います。

今回のテーマはその人の立場によっても年齢によっても環境によっても違ってくるのでしょうね。

死ぬことはさみしいことではないと思います。残された人がさみしいだけだと思います。早く逝ったもの勝ちといいますよね。

死ねないこともさみしくはないと思いますが重度の障害を持っている人や重い責任を感じている人にとっては死ねないというのは辛いと思うでしょうね。

愛新覚羅

2014/08/30(土) |URL|aishinkakura [edit]

こんにちは

こんにちは

芥川のそんな小説があったこと知りませんでした。
「死なない蛸」もそうでしたが、このブログにくると勉強になります。
それにしても堀辰雄の芥川評の辛辣な事!(笑)
「ともだちが多いからさみしいんだよ」
言いえて妙ですね。何人かの友達と喋ってると退屈でさみしく感じる
ことって多々あります。早く家に帰ってひとりであれもこれもしたい、
と思ってしまうんです。
「私は死ねない事を考えたら、急にさみしくなってしまったよ」
SFや神話では不老不死を得て喜んでもやがてさみしさを感じ、
絶望するという話がけっこうありますね。現実に高齢で90歳も
超えると友人、配偶者も先立ち、生きていることをさみしく思うことも
あるでしょう。

2014/08/30(土) |URL|エリアンダー [edit]

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)

>死ぬことはさみしいことではないと思います。
 おお、そうですか。《わが人生に悔いは無し》という心境だということでしょう。
 仕事で、プライベートで、頑張り尽したのでしょうから、立派なものです。
 私はプライベートでは全然なにもできなかったので、その点が残念です。

>残された人がさみしいだけだと思います。
 おお、これは《奥さん愛》ゆえに生じた言葉ですね。たいしたものです。
 なかなかそう言える男性は少ないと思います。私も言えないほうです。

「死ねない」というのは、社会安全で身体健康で生活安泰で幸福人生であれば、
いいですが、その逆の場合には苦しみが続くので、それならイヤですね。
私は、死ぬのは、できればなるべく《先》になればいいなあと思っています。
ただし、ボケたり全く動けなくなったら、《すぐ》のほうがいいですが。

2014/08/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

エリアンダーさんのいたわりの言葉。励みになり、慰めになります。

「ともだちが多いからさみしいんだよ」
言いえて妙ですか。なるほど。気が合ってないと会話も弾まないでしょうし、
やりたいことや趣味がいろいろある人は、そっちをするほうが楽しいでしょう。
ブログを毎日更新するためにあちこちのサイトを巡るのも、大変でしょうが、
それもまた楽しみの一つで、動画やジョークからも励みを得ているのでしょうね。
私もついでに得ていますが。

「死ねない」という言い方には、《困った》という感情が付随していますね。
生きているのが苦しくて困るような事情・状況があるなら、死ねないのはイヤでしょう。
芸術家は長生きする人が多く、歳を取っても芸術意欲は失われることはないと言い、
孫のような若い女性と恋愛や結婚をしたりして、たいしたものだと感心しますが、
私の場合、才能など無いくせに、ずっと「死なない」ほうがいいので困ったものです。

2014/08/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

死ぬ事とは、、、

悲劇の果てのようであり、
 三欲どころか究極の欲のようであり、
  美化したりすると怖ぃどころか高みの果てのようだったり...etc.
 
解釈状況、立場次第なのでしょうけど、
 まだまだわからん境地であります。。。


堀辰雄の辛辣な評とは皮肉な事に、
自死により身をもって死を体感した芥川より、

”彼は遂に彼固有の・・・”なんて、、、 
 実は彼の方こそ死生観をもっていなかった
  美化しているようにもようにも思えるのですけど。。。
(すんごい偏見の意見ではあるかもしれませんけど^^;)






2014/08/30(土) |URL|レイまま☆ [edit]

砂漠の中の一人と群衆の中の一人

 こんにちは。
 どっちが寂しいのかと問われれば、群衆の中の一人でしょうかね。こんなに大勢人はいるのに自分と係わり合いの有る人は誰もいない。これ、結構来ます。
 砂漠・・・と言うと身近ではないので山に例えますと、当然誰もいませんから一人でも当たり前なので結構平気だったりします。他人であってもそれ自体が特別なものになるので結構親近感がもてたりして、すれ違うときは挨拶もしますし、時にはお茶をご馳走になる事も。渋谷のど真ん中でそんなことしたらキチガイか変質者扱いです。大勢いるからさびしいというのは当たっているかもしれませんね。

 永遠の命が良いかどうかは、私は持ってないので判りませんが、知り合う人たちが次々消えて行く中で、自分だけが取り残されて行くのは辛いでしょうね。幸せは絶対的なものじゃなくて、他人との比較から生まれる相対的なものです。実も蓋もないけど。だから、比較できる相手がいないということは幸せも優越感も感じる事はなくなる訳で、詰まらないですよ、きっと。極端な話、人類が滅亡し、地球が総て砂漠と化した世界であっても一人過ごさなければならないわけです。でも終わらない。耐えられないほどの苦痛が終わらないとしたら・・・。
 あさりよしとおさんの漫画にワッハマンという作品が在ります。そこで主人公と敵対する「人類の敵」は生に飽き、死を救いであるとして望み続けていました。そしてそれを倒した主人公は今度は彼自身が終わらない生に苦しむ事を暗示して終わります。彼がどういう気持ちであったのか、想像もできません。

2014/08/30(土) |URL|miss.key [edit]

レイまま☆さん ありがとうございます^^)

エジプトのファラオや中国の皇帝など、独裁者たちは「永遠の命」を探し求めました。
宗教は「永遠の命」を精神的なもの、あるいは死後に得られるものと教えています。
それは人類の究極の欲でもあるでしょうが、また普遍の夢でもあるのでしょう。
ただ、老化・病気もある今の世の中で《死ねない》のは、困るかもしれませんね。

堀辰雄も若死にで、48歳で病死。奥さんは《堀多恵子》の名前で、夫に関する随筆を
多く書いたそうですが、亡くなったのは96歳。ちょうど夫の2倍の人生を生きています。
寿命というのはあまり才能や業績などには関係ないようで、不思議なものですね。
私は生徒~学生時代に芥川に心酔したものですが、堀辰雄の本は全然です。
私は、一番の関心事は?と聞かれれば、ずうーっと「生と死」でしたね。

2014/08/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

miss.keyさん ありがとうございます^^)

長文コメント、うれしいですね。
「大勢人はいるのに自分と係わり合いの有る人は誰もいない」のは「結構来ます」か。
そう言われると、かなり人間好きで、また、さみしがり屋さんのようにも感じますが、
「幸せは絶対的なものじゃなくて、他人との比較から生まれる相対的なものです」とも書いているので、ひょっとして自分を他人と並べて考える傾向が少しばかりないですか。

誰だったかが、人にはそういう傾向があると書いていましたが、私は、そうであっても結局は「幸せとは主観的」なもので、要は当人が満足していればいいのじゃないかと思っているのですが、どうでしょう。

とはいっても、「比較できる相手がいないということは幸せも優越感も感じる事はなくなる訳で、詰まらない」というのも分かるような気がします。地球が文字通りの楽園になったとしても、一人だけでは確かに人生は味気ないでしょうから。

と考えると、人は独りで生きるようにはなっておらず、必ず誰かとの出会いを経験しながら生きるようになっていると言え、だからこそ「考え方はいろいろあるから面白い」のであり、だからこそ、それらの人間関係が人生の貴重な学びになっているのでしょうかね。

2014/08/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

さみしさ

 バーソさん こんにちは♪

秋って なぜ寂しい気持ちになるのでしょうね
秋は好きなのですが 人恋しくなるというか
物哀しい気持ちになります。
緑燃える季節が終わって 枯れていく木々たちの美しさを感じると同時に、胸がキュッとなって涙が出そうになります。

バーソさんの文賞を読ませていただいてたら
カレル・チャペックの『園芸家の12ヶ月』という本を思い出しました。
生命が活動を始めるのは冬っていうようなことを描いてて。。
http://homepage3.nifty.com/kukkie/fuyu-4.html

人の死。。というのは 新しい生命の目覚めなのだということを
自然界も教えてくれてるのかな。。って
そう考えると、さみしい気持ちが少し薄れるような気がしてます。


芥川龍之介さんの『人と死』
初めて触れましたが 味わい深いですね。

さみしい気持ちってどこから来るのでしょうね
ほんとはひとつだったものが 分離という世界を味わってるから感じるのかなぁ? なんて思ったり。
でも、さみしさという気持ちからいろんな芸術が生まれたり
深い想いに至ったり。。ということもあるでしょうし。

大勢でいても 誰かといても寂しく感じるときもありますよね。
こころの繋がりとか共感があるかどうかなのかしら

例えば、気の合う友人と話してるときとか、おしゃべりをしてもしなくても 
一緒にそこで時間を共有してて
こころが触れ合うときって、静かな喜びがこみ上げるときがあります。
そんなとき、何かに触れた気持ちがします。
それが何かはわからないですが。。

なんだか、とりとめもない話を書いてしまいました。

2014/09/01(月) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

緑燃える季節が枯れて美しい木々になって、人恋しくて、物哀しくて・・・
わーー、メランコリーな感性の文章で、私もなんだか胸がキュッとなりました。
私も秋の気分が一番好きですね。着るものは、茶系や緑系のきれいな色を着たくなり、
他のシーズンよりもおしゃれをする意欲が増してきます。

カレル・チャペックの言葉。
おれたちの寂しさや、おれたちの疑いなんてものは、まったくナンセンスだ。いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、つまり育つ人間であるということだ

現在という古い作り土の中に、これから育つ芽が、生命が、将来が全部あるのですね。
イエスが「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」と言ってますが、これを私たちに当てはめれば、人が悔いのない人生をやり遂げることができれば、自分自身も満足でき、他の人たちにも良いものを与えることができ、みんな豊かな実を結ぶと考えていいのでしょう。

>さみしい気持ちって、ほんとはひとつだったものが、分離という世界を味わってるから感じるのか
そうなんでしょうね。私は甘党ですが、ケーキやフルーツやドリンクは甘酸っぱいのが好きなんです。この世界の事象も、ただ楽しい面白いだけでは味気なく、さみしさや哀しさつらさがあってこそ、よりいっそう奥深さや広がりが味わえるのでしょう。
無条件の愛そのものだと言われるワンネスの世界だって、こうして人間となって地球上の分離の世界を経験しなければ、素晴らしさはちょっと分からないのかもしれませんね。

kotorinさんの文章は、しみじみと深くて、いいお話でした。ありがとうございます。
でも、このままひとつのブログ記事になりそうで、もったいないな。(^<^)

2014/09/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは!

私にとって死は、精神やDNAの継続だと思っているので、死ぬ事に関して怖くもないし寂しくもないですけど、残された家族の事を思うと、やっぱり後ろ髪をひかれる思いは残ると思います。

ただ、死か生か、と問われたら、迷わず生を取ると思います。
なぜなら、この先、世の中がどうなっていくのか、そして宇宙の謎は解けるのか…などなど、まだまだ知りたい事がたくさんあるからw

科学の進歩を見届けたいという点では、永遠に生きるのもアリかなぁ…とか思ったりしてます。
なんて貪欲なんだ私(笑)

でもまあ、死を避ける事は自然摂理への禁忌だと思うので、自分に与えられた寿命の中で精いっぱい生きるしかないのかもしれませんね。

あの映画、私も観ましたよ!
なかなか面白かったです^^

2014/09/01(月) |URL|ウダモ [edit]

ウダモさん ありがとうございます^^)

おお、さすがにウダモさん。いろいろ知的な好奇心がピッピッとはじけてますね。
この先の世の中と宇宙の謎解きなどなどに興味がありますか。
実践面(まわりの社会)と知識面(自分の頭脳)の両方にアンテナを張ってるのですね。

私も宇宙の神秘に興味あります。中学のときは天文部に入っていて、星を見るのが好きでした。もっと大きな意味での宇宙の仕組みも、知りたいものだと思っています。

「死」は必須のもの、生きてるものは死ぬ、と人間には定まっているように思います。
おっしゃるように「与えられた寿命の中で精いっぱい生きる」のが素晴らしいのでしょう。

しかし、もし遠い将来、人が地上で永遠に生きるようになれば、子供が次々に産まれたら地球は定員過剰になるので、子供のいない、元気な高齢者だけの世の中になりますね。

2014/09/02(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

こんにちは、
昔、不死を扱ったハインラインの「メトセラの子ら」を
読んだことがあります。長寿を獲得した集団が地球で
迫害され、宇宙船で未知の世界に乗りだし、理想とも
思える世界に着きます。長寿でも退屈で、なじめなくて
また地球に戻ってくるというSF小説です。長寿でも
退屈ではだめなんですね。この「メトセラ」は聖書の中の
長寿、メトシェラからきたんでしょうね。

2014/09/03(水) |URL|エリアンダー [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

またまた面白そうな書籍の紹介、ありがとうございます。図書館に予約しました。
いま借りている本が10冊以上あるので、読むのはちょっと遅くなりそうですが。

メトセラは、アダムから8番目の世代の人で、聖書では最高齢969歳の記録保持者。
メトセラから2代目がノアになりますが、ノアの大洪水前は、レメク777歳を除いて、
みんな1000歳近くまで生きました(メトセラはその大洪水の年に死んだようです)。

ノアは950歳まで生きましたが、その後は「寿命」が100歳単位で短くなっていきます。
ノアの息子のセム(アジア人の祖先)は600歳。ノアから10代後のアブラハムは175歳。
その息子のヨセフは110歳。そのちょっとあとの時代のモーセは120歳でした。
ずっと後に書かれた詩篇には「人の齢(よわい)は七十か八十」と書かれています。

聖書の冒頭には、大空の上と下に「水」があったと書かれています。下の水は海。
上の「水」は水蒸気とすれば、その層が天蓋となって温室効果を及ぼし、地球は温暖。
水蒸気層で太陽からの有害光線が遮られ、長寿を保てたのだとする解釈があります。

2014/09/03(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

なつかしいです

芥川、中学校で読んでいました。一番好きなのは河童です。今でもそうです。

今の世の中ならば・・・彼は自死を選ばずに済んだかな、と。後半の作品は、どうみても統合失調症ですよね。薬できちんとコントロールできます。でも・・・私の会衆は「悪霊にとりつかれた」と言って、病気の兄弟にエクソシストまがいのことをしておりました。

読書から久しく遠ざかっておりましたが、また読んでみようかと。

いつも楽しみにしております。勉強になります~。

2014/09/10(水) |URL|かれん [edit]

かれんさん ありがとうございます^^)

おお、『河童』が一番好きでしたか。
そうですか。今なら薬で治療できる病気と思いましたか。なるほど。

無料サイトの青空文庫をちょっとのぞいてみました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/45761_39095.html

 「己は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考へてゐるうちに
 とうとう死んでしまつたものです」

 「これはツアラトストラの詩人ニイチエです。
 その聖徒は 聖徒自身の造つた超人に救ひを求めました。
 が、やはり救はれずに気違ひになつてしまつたのです」


うーん、救われると思っていても救われないことって確かにあります。
『河童』は、芥川の人生観が出ているようで、なかなか興味深い本ですね。


病気の兄弟にエクソシストまがいのことをしていたって、まあ、呆れ返りますね。
いいことがあるとすぐエホバだと言い、良くないことがあるとすぐサタンだと言う。
そんな精神傾向って、それこそ正確な知識と適切な信仰の《欠如》でしょう。
それにしても、あの組織の中枢部の方々は、こういう人種ではないでしょうか。
 「阿呆はいつも自分以外のものを阿呆と考えている」

家族揃って離れることができて本当に良かったと感じているでしょう。私もそうです。
またの感想をお待ちしていますね。(^^♪

2014/09/10(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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