「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 すべては神の分身であれば、あなたも私も神である。 

「私は神だ」と言う人がいれば、変人・奇人・狂信者扱いをされるでしょう。
ですが精神世界では、人間や動物を含め、あらゆるものは「神」である
と言われます。

なぜなら、
神が宇宙の根源であるならば、創造以前には、神(根源)以外のものは無い。
ゆえに、すべてのものは根源(意識・エネルギー)を材料にして創られたはず。
ならば、世界はすべて神(すなわち根源)の分身である---というわけです。
※根源の神とは、宗教が教える人格神(人間の壮大なヴァージョン)ではない。

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すべては神だと思った若者は、他の神と出あった時にどうしたか?

インドの聖者ラーマ・クリシュナが好んで語った有名な寓話「求道者とゾウ」。

ある賢者が、ひとりの若い求道者に宇宙の真理を説きました。
「おまえは、本質的に宇宙を支えている力、すなわち宗教的には《神》として
擬人化されている力と同一なのだ」

非常に感動した若者は、自己意識を高め、自分は宇宙の《主》と同化したとの信念を
持ちました。

若者が深い瞑想に沈みながら歩いていると、道の向こうからゾウがやってきます。
ゾウは背中に数人乗りの輿(こし)を乗せ、頭の上には御者のゾウ使いが乗っています。

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《私は神だ、万物は神だ》という信念について瞑想にふけっていた若い賢者候補は、
ゾウを見るなり、当然の論理的帰結として 《ゾウも神だ》と言います。

ゾウは歩みのリズムに合わせて鈴を鳴らしながら、のっしのっしと若者に近づいてきます。
頭の上に乗っているゾウ使いが大声で叫びました。
「道を開けろ、道を開けろ、このばかもの。 道をあけるんだ!」

若者はまだ恍惚として 《私は神だ、あのゾウも神だ》と考え続けています。
そして、ゾウ使いの叫び声に気づいたとき、こう自問します。
《はたして神は神を畏れるべきか。 神は神に道をゆずるべきか》

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ゾウの頭上の御者は「道をあけろ! あけろ!」と叫び続けます。
瞑想にふけっている若者は、道をゆずろうともせず、歩み続けます。

とうとう真実の瞬間が訪れます。 どちらの神が道をゆずるのでしょうか?

ゾウは大きな鼻で、若者の体をひょいと持ち上げ、ぽいっと道端に置きました。
若者は、たいした怪我もせず、道端に倒れただけですが、大きなショックを受け、
完全に自信を失いました。
ようやく立ち上がった彼は、衣服の乱れも直さず、半狂乱で賢者のところへ戻ります。

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若者は出来事を説明したあと、賢者に言いました。
「先生は、私が神だ とおっしゃいました」
「そう」と賢者は答えます。 「おまえは神だ」

「先生は、万物は神だ とおっしゃいました」。
「そう」と賢者はまた言いました。 「あらゆるものが神だ」

「では、あのゾウも神だったのですか?」

「その通り。 あのゾウは神だった。
 だが、おまえは、ゾウの頭の上から道をあけろ!
 と叫んでいた神の言葉を なんで聞こうとしなかったのだ?」

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☆資料:『生きるよすがとしての神話』 ジョーゼフ・キャンベル(著)

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この寓話は、《多様性》と《超越》という意識の二つの次元を同時に保つことが
いかに困難であるかを示すために語られたのだそうです。
聞いたり読んだりして頭で知った信念と、実際にからだの内奥で感じて得た信念とでは、
かなりな違いがあるということなのでしょう。

私が面白いと思ったのは、この話の中の求道者は、頭の中に「神にもレベル差がある」、
そして「偉い神に対しては皆ひざまずくべきだ」という意識が根底にあったことです。

「畏怖すべき至高の存在」という神の概念は、長年 宗教組織が人々に刷り込んできた
基本的な教えです。 それは宗教でも、また政治でも、組織のトップの座にいる人にとって
極めて都合のいい教えで、専制支配を正当化する精神的根拠につながっています。
                         
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クリシュナは「宇宙の母なる神は子供たちのお腹に合うように料理を作ってくださる」
という比喩を用い、さまざまな宗教に寛容を示したそうです。これも一つの見識でしょう。

彼は、自分の信じる宗教が他の人々と異なっていても、
要は神や究極の実在を求める気持ちがあればよいとしています。

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最後のことばがいいですね
「自分の信じる宗教が他の人々と異なっていても、要は神や究極の実在を求める気持ちがあればよい」。
まさにこういう寛容な姿勢が重要だと思います。
精神的な世界を描くブログが増えてますが、
貴ブログのように、
ゆったりとスロー感覚のあるブログがいいですね。
散歩するにも、
静かにたっぷりと歩いていきたいものですね。

2014/02/15(土) |URL|天安 [edit]

雪かきを半分終えました。

先週よりも雪の量が多かった。測ったら35cmありました。

自分の持っている神の概念と、体験によって得られる神のそれは
解離していて、若者はその解離を縮めながら成長していくというわけですね。
それにしても神の乱暴な言葉、「道を開けろ、このばかもの。道を開けるんだ」
仮にも若者も神ですよ。(笑)
すべてのものに神が宿るというのは八百万の神々を信奉する日本人には
受け入れやすい概念ですね。普段神を意識することはないですが、
手を伸ばせば届くところにいつも神がいるという感覚は捨てがたいものがあります。
この国に生まれてよかった。

2014/02/15(土) |URL|エリアンダー [edit]

天安さん ありがとうございます^^)

何かを強く支持するということは、それ以外のものを是認しない、信じない、
ということになり、それは独善的排他思考につながりがちです。
思想でも宗教でも、寛容という精神は貴重ですね。

「ゆったりとスロー感覚」のある点がいいと評されて、恐縮です。
じつは生来せっかちで、おっちょこちょいなほうなので、ちょっと意外でした。
「ゆったりする」とは、今この時を、貴重に思う、充実させる、楽しむ、
ということになるでしょうか。であれば、そうしてきたいと思います。(^<^)

2014/02/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

35cmもありましたか。この間の雪よりも8cmほど高かったでしょうか。
ひょっとして記念にタイムラプスのHD撮影などしてないでしょうね。(笑)
毎回毎回、拙なる文章をきちんと読んで要約してくださり、うれしい限りです。

人間はみな神であるとはいえ、時には、てめえらはそれでも血の通ってる人間か!
と仕置き人のようなセリフを言いたくなるような状況があります。(笑)
人が他人に悪事をするのは、実は心の深いところで愛を欲しているのだそうですが、
そう言われても、私はそういう場面では自分の信念がけっこう揺らぎます。(笑)

「手を伸ばせば届くところにいつも神がいるという感覚」。これ貴重ですね。(^<^)

2014/02/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

この手の話題は好きです。

朝眠い目をこすり起床し、会社に行って、ブーブー言いながら何とか過ごし、終わったら帰って、一日が終わる。

『この日常に意味はあるのか?神なんかいるのか?』という疑問がスピ系への興味の始まりでもあったのですが。

あらゆるものに神が宿るというか、あらゆる全ては神そのものという考えには、一応理解はしておるのだが、前述の日常を思うと、やっぱりほんまに神様はおるんかいななんて思っちゃう。

当たり前の日々がありがたいというのは、きっとそうなんだろうけど、とは言えいろいろと思案してしまう今日この頃でした。

2014/02/15(土) |URL|ナットウ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)

「この手の話題は好きです」という人にコメントしていただいて、うれしいです。

私が思う「神」の概念は、以前は長年こうでした。
 神は人間の心と行動を見ていて、善悪の行動の報いを(時間は掛かるが)必ず与える。
  だから、人間は神のご意思に合わせて生きるべきで、そうすることだけが正しい。
   神の基準を故意に破るような人間は、神から滅ぼされても仕方がない。

でも最近は、こう考えるようになりました。
 神はいろんな感情を実際に味わってみたいので、地球上でいろんな人間になった。
  だから人間(神の分身)は、好きなこと、楽しいこと、やりたいことをしていい。
   ただし他人の迷惑になることはするべきでない。その人だって神なのだから。

ソチ五輪の番組では「スポーツは結果がすべてだ」との言葉を何度か聞きました。
でもメダルを取らなくても、「出場に至るまでの日々が充実していた」とか「全力を出し切った」「ただ楽しかった」と思うのも いいことではないかと私は思います。

力を出し切れずに悲しんだのも いい経験。そこから這い上がるのも 特にいい経験。中継映像を見てハラハラドキドキするのも いい経験。テレビを見ないで他のことをするのも またいい経験。何かをしても しなくても、すべていい経験なのではないでしょうか。
いろんな経験をして、いろんな感情を味わうのが、人間の特権・使命なのですから。

で、バーソは何かをやりたいとは思いつつも、特に何もしてない今日この頃です。(笑)

2014/02/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神頼みとかよくしますよ〜。神はじぶんでつくり出す存在なのかもな、とかおもってたけど、自分を神だ、とは思ったことなかですよ。自分が神だったらひれ伏させるのもおもしろいから、やっちゃうかもです。結局人間だから傲慢になっちゃうかも。あぁ、わたしはレベルのの低い人間ですぅ。。。

2014/02/18(火) |URL|abe [edit]

abeさん ありがとうございます^^)

ああ、かなり書きにくい内容なのに、いつもありがとうございます。
コメントは書きたい時だけでいいですからね。よろしくお願いします。(^J^)

ここで言ってる「神」は、宗教で教えている「人格神」とは違って、
人間が悪いことをしたからといって真っ黒な罰を与えたりはしないし、
献身的に生きたからといって特別に黄金色の報いを与えることもない、
色でいえば無色透明の、大いなる意識&大いなるエネルギーのようなものです。

といって、そんな神が在るのか無いのかは絶対的には証明できないので、
結局はその考えを受け入れるか 入れないか ということになり、
私バーソの場合は、結局はその考えが好きだということなんですね。

《人間は何をしても自由、ただしひと様に迷惑を掛けない限り》の生き方が
その神の分身である私たち人間の生き方のような気がします。
ですので人間らしく生きること、これが大事で、それでいいように思います。
まれさんも、好きなこと、やりたいことを存分にやって生きてくださいねー。

2014/02/18(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

今日のお話しは難しいような簡単なような
でも、生き物という言葉が、神さまに変わったと思えば・・・babaは馬鹿です(>_<)

2014/02/20(木) |URL|babatyama [edit]

Lady-babaさん ありがとうございます^^)

石像や木像を神と呼ぶのも、あるいは生き物を神と呼ぶのも、
そうですね、そんなに違いはないかもしれませんね。
名前とは、それに関わる人の受け止め方で、変わるものなんでしょうかね。
ごく普通の女性でも、その人を愛する男が見れば、女神様でしょうし。
早く女神に出会いたいものです。あ、冗談ジョーダン。半分ホントです。(笑)

2014/02/20(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はじめまして、プロフも記事も拝見させていただきました。なかなか考えさせられる内容ですね。(本当の意味で理解できているかは別として・・)私はシニアナビというサイトで同世代の方との交流やブログを通して色々勉強させていただいています。たまにこうして知らない方のブログを読むと何も考えずにいきてきてしまったなと考えさせられます。よろしければシニアナビにも遊びにいらしてください。

2014/02/20(木) |URL|通りすがり [edit]

通りすがりさん ありがとうございます^^)j

訪問とコメント、ありがとうございました。
早速、ちょっとですが、サイトを訪問させていただきました。
なんだか日常の行動範囲が広がりそうなサイトですね。
もっと時間をかけてゆっくり見せていただきますね。(^J^)

2014/02/20(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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