「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 「十四万四千人」は王・祭司ではない。「大群衆」は天に行く。 

最近話題になった地検特捜部のやり方は、はじめにシナリオありきである。
それから、証拠と思えるものを継ぎはぎし、犯罪話を強引にでっち上げていく。

ものみの塔の「教理」も、はじめにシナリオありきだ。
まずものみの塔独自の教理があり、それをもっともらしく見せたいために、
考えに合いそうな聖句を探し出して、無理やり継ぎはぎしている。
だから、ある聖句を書かれている通り、文脈に沿って素直に読むと、
ものみの塔の唱える教理とまったく違う場合がある。

クリスチャンを「天的級」と「地的級」とに2分類するのは独自の教理。
ものもの塔協会は、クリスチャンを2つのグループに分けている。
「十四万四千人」は王・祭司として天から地を千年間支配し、
「大群衆」は大患難を通過して地上で永遠に生きると言っている。

今回は『ヨハネへの啓示(黙示録)』だけから(つまり他の書の聖句は考慮せず)、
「十四万四千人」と「大群集」に関わる聖句を、文脈から、文字通り、素直に読んでいく。
そうすれば、ものみの塔の教えの誤りが簡単に分かる。

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★念のために繰り返すが、ここでは『啓示』の書だけから教理の正邪を論じている。
※引用聖句は、要約して引用している場合があります。
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「十四万四千人」は『啓示』の書の2か所だけに記述されている。

1.啓示7:1-8 「この後わたしは、四人のみ使いが地の四隅に立ち、地の四方の風を
しっかり押さえて、地にも海にも、どの木にも風が吹かないようにしているのを見た。
彼は、地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んで 、こう言った。
『神の奴隷として証印を押してしまうまでは、地と海を損なってはならない』。
証印を押された者たちの数は十四万四千人。イスラエルの12部族から
各一万二千人ずつ証印を押された」


まず字義通りか象徴かは別として、素直に読むなら『啓示』の書では「十四万四千人」は
王・祭司ではなく「奴隷」であり、人種は「イスラエル12部族」の出身である。

注目点は「十四万四千人」が天ではなく、「地」にいることだ。
彼らが地上にいる証拠は「四人のみ使いが地に立ち、彼らを損なわないよう、
地と海と木に風が吹くのを押さえている」からだ。
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2.啓示14:1-5 「十四万四千人が子羊と共にシオンの山に立っている
新しい歌であるかのような歌が、み座と長老たちの前で歌われているが、
地から買い取られた十四万四千人でなければその歌を学び取れない。
彼らは初穂として人類の中から買い取られた者であり、子羊にどこまでも
従って行く。彼らは女によって自分を汚さなかった者で、童貞である。
初穂として人類の中から買い取られた者で、偽りもきずもない」


14章では「み座の前にいる」ので天に場所移動している。だが、そこで王・祭司になったとは
書かれていない。彼らは子羊と共に山に「立って」いるだけで、共に「座」に座してはいない。

ということは、「十四万四千人」は王であるとは言えないということだ。
(字義通りに解釈すべきかどうかは別にして男性の純潔が強調されている)

★以上2つの聖句からわかるのは「十四万四千人」は王や祭司ではないということだ。
(念のため補足しておくが、この聖句だけで、彼らは奴隷であると断定しているわけではなく、
あくまでも『啓示』の書の中からは「十四万四千人」が王や祭司であるとは読みとれないということだ)

普通なら、この光景からイメージするのは、「十四万四千人」とは12部族から選ばれた精鋭なので
ビシッと秩序正しく整列する近衛兵の整列か、あるいは奴隷なので王のそばで仕える側近たちの
整列だろう。北朝鮮やナチの軍列映像を思い出してほしい。

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●「二十四人の長老」は「十四万四千人」と同一であるとものみの塔は主張しているが、
その解釈は正しいか。
14章3節では、「十四万四千人」は「み座の前と長老たちの前」にいる。
ものみの塔は「二十四人の長老たち」は「十四万四千人」と同一と言っている。
ならば「十四万四千人」が「二十四人の長老たち」の前に居るというのはあり得ない。
これは両者が別の存在であることの決定的証拠である。

ものみの塔誌は「読者からの質問」で、『啓示』は幻の書であり、鏡の前では自分の姿が
前に映し出されるので、一つのグループが二つに見えてもおかしくない、というような
説明をしていた(昔の記憶なので少々あいまい)。

だが、たとえ鏡があると妙な仮定をしても、鏡とは左右逆に映し出すだけのもの。
映っている人数が増えたり減ったり、姿が変わったりはしないだろう。

さらに、「十四万四千人」は奴隷身分であって最初は地上にいたが、「二十四人の長老」は
長老であり最初から天にいる。

新しい歌であるかのような歌は「十四万四千人」だけが知っている歌だが、
「二十四人の長老」が歌うのは新しい歌で、ちょっと違う(5:9)。
両者が同じグループだとは言いがたいだろう。


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「大群衆」は『啓示』の書の3か所だけに記述されている。

1.啓示7:9-17 「大患難から出てくるあらゆる部族と国民の中から来た
数え切れないほどの大群衆が、自分の長い衣を子羊の血で洗って白くし、
神のみ座と子羊の前にいて、神殿で昼も夜も奉仕を捧げている。
彼らは命の水の泉に導かれる」


「大群衆」が神のみ前にいて、「十四万四千人」とは比較にならないほど、大いに祝福と恵みを
受けている。彼らを描写する文章量は「十四万四千人」よりもだいぶ長い。新世界訳では、
前者は39行もあるが、後者は16行(と単なる12部族の羅列が18行)に過ぎない。

さらに要注目点は「大群衆」が神の「み座と子羊の前」にいることだ。
ということは彼らは天にいる。すなわち「大群衆」は天的級なのだ。
これ以外の解釈はあり得ない。ここはぜひ過去に教えられたことを忘れて、
素直に『啓示』の書だけを読んでみてほしい。

ものみの塔は、使徒10章4節「コルネリオの祈りは神のみ前に上りました」から、
「神のみ前にいる」とは神の見える所、すなわち地上にいるという意味だと説明しているが、
誰にでも分かる通り、この聖句は比ゆ的に言われている。だから、これを啓示の書の
聖句に結びつけるのはかなり苦しい言い訳だ。

なぜなら、コルネリオと違い、「大群衆」は「大患難」という試練をパスし、
さらに「自分の長い衣を白く」されたので、「それゆえに神のみ前にいる」のだ(15)。
「それゆえに」という言葉に注目。「大群衆」には天に行けた理由・根拠があるのだ。

また、14章の「十四万四千人」も、7章の「大群衆」と同じく「み座の前」にいることを
忘れてはならない(7:15,14:3)。「十四万四千人」が天にいると言うのなら、
同じ状況下の「大群衆」も天にいると考えるべきで、これが一貫した論理だろう。
※エルサレムの「神殿」(他訳では「聖所」)には中庭はない。この原語については、
詳細に扱われているサイトが他に幾つもあるので、ここでは論じない。
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2.啓示19:1-4 「大群衆の大きな声のようなものを天に聞いた。
彼らは『神は大娼婦に裁きを執行された、あなた方はヤハを賛美せよ』と言った。
すると、二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し、み座に座っておられる神を
崇拝して言った、『アーメン! あなた方はヤハを賛美せよ!』「


大群衆の声(のようなもの)が天に聞こえたと書かれているではないか。
ここでは、啓示7章の「大群衆」と同じ「大群衆」が天にいて、大声で賛美しているのだ。
なお「ようなもの」とは「大群衆」ではなく、「声」に掛かっている。
つまり《大群衆のような者》の意ではなく、《声のようなもの》の意。
音量が凄くて声だか音だか内容がハッキリしないので、「ようなもの」と言っている。
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3.啓示19:6-8 「彼らは『子羊の結婚が到来し、
妻の支度が整えられた。あなた方はヤハを賛美せよ』と言った」

先ほどの1-3節の続きであり、メッセージの内容が少し違うだけ。
「大群衆」は天にいて、大声のような音をとどろかせ、権威のある言葉を語っている。

語る内容は極めて預言者的であり、命令的であり、非常に権威がある点に注目。
彼らが「あなた方はヤハを賛美せよ」と言うと、
「すると二十四人の長老と四つの生き物がひれ伏して(4節)」呼応しているほどだ。
どう見ても「大群衆」は「十四万四千人」より立場がかなり上だ。

以上、「大群衆」が天にいる点については、3つの聖句が証人である。

エル・グレコ「第5の封印」


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『啓示』の書で人間が「王」と描写されているのは3か所である。

1.啓示5:9-10 「あらゆる部族と国民の中からイエスの血で
買い取られた者たちが、王国また祭司となり、地に対しとして支配する」

ものみの塔は、この人々は7章に登場する「十四万四千人」と同一とし、
ゆえに彼らは王・祭司であると言っている。

しかし、よくよく見てほしいが、彼らはイスラエル人ではない。あらゆる人種の国民だ。
しかも数は十四万四千人限定でもない。それどころか、7章の「あらゆる部族と国民の中から
来た大群衆」と描写が酷似している。というより、この表現はもう同一と言っていいだろう。

※補足:「王国また祭司となり」という言い方は、出エジプト記19:6と似ている。
当時の「イスラエルの子ら」と「入り混じった大集団(出エ12:38)」は
神との契約を守るなら、全員が「王国また祭司」になると約束された。
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2.啓示20:4-6 「裁きをする力を持ち、イエスと神について語ったため
斧で処刑された者たちや、野獣や像を崇拝しなかった者たちの魂が
生き 返って祭司・王として千年支配した」

ここの描写でも人数・人種についてはいっさい言及がない。ただ、殉教の死を遂げたり、
過酷な迫害に耐えたりして強固な信仰を実証した者たちの「魂」が、死んで復活後に、
王・祭司として千年支配する、とだけ書かれている。

では「油注がれた残りの者たち」は、殉教の死を経験しているだろうか。
協会の役員数名が牢屋にわずかの期間入った経験がある程度のことではないのか。
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3.啓示22:3-5 「何の呪いも夜も太陽の光もない都市で、神の顔を見る
神の奴隷たちが限りなく永久に王として支配するであろう」


この「奴隷たち」は文脈(22:6)をみると、救われるクリスチャンの総称のように思われる。
ただし『啓示』の書で「奴隷」と呼ばれているのは、他に、ヨハネ(1:1)も、
「十四万四千人」(7:3)も、み使い(22:9)もいるので、明確には誰のことかは分からない。
この22章の「奴隷たち」は、千年間ではなく「永久に」王として支配する。


☆以上3つの聖句から、王国の王のシナリオをおおまかにまとめると…
 ●5:9-10 あらゆる国民からなる多国籍信者集団が天で「王国・祭司」となる。
 ●20:4-6 殉教者など強固な信仰集団が復活後「千年間」王として支配する。
 ●22:3-5 最終的に「神の奴隷たち」全員が「永久に」王になる。
   ただし、このシナリオは証拠不十分であり、断定は難しい。

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『啓示』の書は、象徴的・比ゆ的に読んだほうがいい場合がある。

例えば「子羊」は子どもの羊ではなく、キリストのことだ。なぜなら、
その意味はすでに認知・確定されており、字義か象徴かと論議する必要はないからだ。

だが「十四万四千人」など、『啓示』の書だけにしか出てこない特殊用語を解釈する場合、
重要なことは、同じ文節・文脈の中では一貫性のある解釈をつらぬくべきだろう。

「十四万四千人」を文字通りの人数とするなら、同じ文脈の「イスラエル」も文字通り
《生来のイスラエル人》と解釈すべきだ。「イスラエル」を象徴的な《霊的イスラエル》とするなら、
「十四万四千人」も象徴的な人数とすべきだ。そうでなければ首尾一貫性がない。

特に主要な教義をつくるときは、原則として書かれている聖句を言葉どおりに受け取り、
それからシナリオを構成すべきだろう。 シナリオに合わない聖句を、
無理な論理で言い訳するなら、証拠の捏造・偽造になる。

言い訳の論議に無理があるのを承知していながら(十分に承知している と
わたしは思うが)そうしているなら、それは「漸進的な啓発」ではなく、単なる解釈間違いでもなく、
「臼石を首に付けて大海に投げ込まれる」大罪になるだろう(マタイ18:6)。


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『啓示』を原則、言葉通りに素直に読むなら、次の結論になる。 

『啓示』の書だけを読む限り、
 ●「十四万四千人」だけが王・祭司であることを示す明確な聖句はない。
  (むしろ王に仕える近衛兵か側近のイメージである)
 ●「大群衆」は天に行く。そして、非常に大いなる祝福と特権を受ける。
  (十四万四千人よりもはるかに上位にいる印象を受ける) 
      
どうか『啓示』の書を先入観なしに一度読み直してほしいと思う。

なお、イエスに信仰を働かせる人々が死後「天」に行くという考えは、
クリスチャンギリシァ語(新約)聖書全体の教えである(コリント第一15章)。
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※この論述では、「十四万四千人」と「大群衆」に関する ものみの塔が主張する教理の
誤りを、『啓示』の書だけから論じたつもりだ。 「十四万四千人」が実数かどうか、
また「小さな群れ」 「他の羊」の解釈や、大群衆が奉仕した「神殿」のギリシア語の意味など
については、いろいろ良質なサイトがあるので、そちらを見ていただけたらと思う。 

※うれしいことに、このブログの反論を見かけた。
そこで、1/19付けで補足の続編ブログ記事を書いた。
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