「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 神の愛とは何か。ニール・ドナルド・ウォルシュ 『神より幸せ』  

いったい神は人間への愛があるのか、ないのか?

またまた「神」の話題が続いて恐縮ですが、前回の話の補足をさせてください。
宗教が教える神がおかしいのなら、おかしくない神はいるの?という話です。
(論理的な話のつもりですが、興味がなければスルーしてくださいな)

今まで拙ブログでは、幾度もこんなことを書いてきました。
すなわち、
・宗教が教える「人格神」は怖ろしい裁きと罰の神だから信じないでいい。
・人間に崇拝と奉仕と献身と服従を要求する神は絶対専制君主の模範だ。
・神は純粋な意識、知性、生命、エネルギーと考えるほうが辻褄が合う。
そうすると、
神は人間がどうなろうが全く意に介さないのか?という疑問が出てきて、
自分は神から愛されてると思っていたが、そうではなかったのか? 
悲しい、そんな冷たい神はいやだ、と思う人がいるかもしれません。

1950sColor TV

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニール・ドナルド・ウォルシュ著 『神より幸せ』 は、こう答えています。

神は、人間と同じ性癖や、(愛される必要や復讐する必要を含め)
感情的なニーズをもって天に存在する「超越的存在」ではない。

神とは、生命の「基本的なエネルギー」である。
そうしたければ、そのエネルギーを「純粋な知性」と呼んでもいい。

「知性」は、あなたが「それ」を信じようが信じまいが、気にかけない。
あなたが「それ」を目的をもって使おうが使うまいが、それも気にかけない。
あなたが「それ」をどんな目的で、どんなふうに使うのか、それもどうでもいい。

それどころか、「それ」はどんなことについても全く判断をしない。
純粋な知性は、何も望まず、何も必要とせず、何も求めない。
単純に、ただ「在る」だけだ。

それは「それ自身」の利用を許すかたちで存在する。
「それ自身」を「あらゆるもの」の内側に置くことで、利用を許し、利用を可能にする。

あなたは、どこを見ても「純粋な知性」を見出すだろう。
「それ」は、存在するありとあらゆるものの基盤にある。
雪の一片は「純粋な知性」を反映している。
広大な星空は「純粋な知性」を反映している。
生命と人生のプロセスそのものが、どのレベルで観察しようとも
「純粋な知性」を反映している。

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ここで「純粋な知性」と呼んでいるエネルギーは、別の名を「神」と言う。
その神は「ありとあらゆるかたちで存在する全て」である。
その中には物質と形を知覚できない霊的(スピリチュアル)な物事も含まれる。
どんなかたちであろうと、「在る」ものは何でも含まれる。
思考も気分もアイディアも、宇宙のブラックホールも含まれる。

さあ、考えてほしい。
神が本当に「ありとあらゆるかたちで存在する全て」であるなら、
はたして神が何かを欲したり、必要としたり、求めたりするだろうか?

神が欲し、必要とし、求めているだろうと私たちが想像することを、
神に差し出さないからといって、神が私たちを罰したりするはずがあるだろうか?

どう見ても答えは明らかだ。
議論する必要もない。ほんのちょっと頭を働かせれば、私たちが今まで、
自分たちの文化や過去の神話にどれほどがんじがらめになってきたか、よくわかるはずだ。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「私たちが何をしても神は意に介さない」とは、神に愛がないという意味か?

あなたが、子どもたちに、遊んでおいでと言って庭に出してやったと想像してほしい。
あなたは、子どもたちが何をして遊ぶかを気にかけるだろうか? 
子どもたちが鬼ごっこをするか、隠れんぼをするか、缶けりをするか、あなたは気にかけるだろうか?

もちろん、そんなことは気にしないだろう。それどころか、子どもたちが何をして
遊ぶかを指図して、子どもたちの自発性を損なおうなどと夢にも思わないはずだ。

あなたはきっとこう言うだろう。「さあ、楽しく遊んでおいで。でも気をつけるんだよ。
けがをしないようにね。それから用があれば、私はいつでもここにいるからね」。

神も同じことを私たちに言っている。
人が何をしようが、神は気にかけない。それは神が私たちを愛していないという意味ではなく、
どれほど愛しているかというしるしなのだ。

人は自分が選べば、自由にどんな人間にもなれるし、何でもできるし、何でも手に入る。
神が与えてくれる中でも、これ以上大きな宝物、これ以上偉大な贈り物はない。
伝統的な宗教でさえ、神がこの贈り物を与えてくれたと教えている。
それは「自由意志」と呼ばれている。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神が「純粋な意識」でも、知覚を持つ存在というかたちを取ることはあり得る。

「純粋な知性」が『存在するすべて』の本質的なエネルギーならば、
どんなかたちでも取り得るはずだ。神は望まれるかたちで私たちの人生に「現われる」ことができるはずだ。

だから、私たちが神と呼ぶ「それ」は、やっぱり人間にとてもよく似た姿で
現われることもできるだろう。それがいちばん理解されやすく、受け入れられやすい
のであれば、神は人間のかたちを取ることもできるのだ。

しかし神はそのかたちに限定されているわけではない。神は、私たちが望むどんなかたちで
「現われる」こともできる。エネルギーを何にでも形作ることができるのだ。

11.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そういうわけで、
私は聖書の「愛と裁きの神」を(納得し難い点は信仰によって受け入れ)
長年信じて従ってきましたが、今は、そのような人格神とは違う「神」を知ることができたこと、
そして自分が、少々ニュアンスは違えど、変わらず有神論者であることをとても喜んでいるのです。
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神が叶えてくれました

神は感情を持って存在する「超越的存在」ではなく、純粋な知性を
反映し、雪にも星空にも神を見いだせる。何だか神道の神に通ずる
ような気がします。神道では岩や、木や森や山にも神として祀ります。
19世紀のパリ万博で浮世絵に自然や虫や鳥が描かれ、外国人が
驚いたそうですが、自然との共生は神道では基本的な事でした。
日本のアニメでもそれが受け継がれていて、世界でも共感を呼んで
いるようです。
昨晩、生まれてはじめて神に祈り、私の願いは叶えられました。
東京オリンピック!!!

2013/09/08(日) |URL|エリアンダー [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

>雪にも星空にも神を見いだせる。何だか神道の神に通ずるような気がします。
はい、そうですね。宗教の中では神道の「神」の概念が近いように思います。
神道は、教義がない、経典がない、開祖がいない、僧職者がいない宗教です。
自然信仰が基盤だと言われますが、自然=原始=本質に近いとも言えます。
日本人ならではの「自然を尊ぶ意識」がよく表れている宗教だと思います。

>パリ万博で浮世絵に自然や虫や鳥が描かれ、外国人が驚いた
なるほど。やはり日本人の「自然に対する高い感性」に驚いたのでしょうか。
日本人は、とかく諸外国に比して自分の国を卑下する傾向がありますが、
自然に密着したみずみずしい感性には、もっと自信を持っていいのかもしれません。

ええ? 生まれて初めて祈った? そして願いが叶えられた?  
一発必中、打率10割ですね。この神と懇意にしたほうがいいかもしれませんよ。
必ず盆暮れには付け届けをして、忘れずに年賀状を出して(笑。

2013/09/08(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はたして・・・

こんちは~

おれおれ主義の無神論者ばくで~す。
バーソさんのお話を崇高な気持ちで読まさせて頂いておりますが、やはり論者の戯れ言やんなどと、心の中のもう一人のおいらは、ふふーんと鼻で笑ってもおります(・・;)

でもちょいと羨ましいのは、神様と言うものに対してのひたむきな探究心です、こればっかりは凡人のおいらにとっては成し得ない事です。

おいら、神様は人の知識が作り出した偶像だと思っています、だからといって神様を信じる人を否定することはありません、その御方の信ずるものが神様ならば、其れはそれで素晴らしいことだと思います。

かく言うおいらも、クリスマスのケーキを頂く前に十字を切りますし、初詣には賽銭箱に大枚(うそ)を投げ込みますし、苦しい時には手も合わせます、これって習慣、それとも・・・

2013/09/09(月) |URL|ばく [edit]

ばくさん ありがとうございます^^)

さすがに、初詣というと大枚になるんですね。んー、かないません。

人間が動物と違う点は、「葬式をすること」と「神を祭ること」だそうです。
また、動物は本能で生きるが、人間は信念で生きるということもあります。
人間は「考える葦」と言われる通り、思考、意識、霊性が動物と違うのですね。

だから、原始の人間は考えて考えて、「神」という存在を思いついたのでしょう。
そして神とは、人間の賢者で権力者の超大きなヴァージョンだろうと推測して、
それを全知全能の神として、崇拝するようになったのでしょう。
だから「神」のイメージは宗教・地域によってかなり歪められていると思います。

ばくさんに「ひたむきな探究心」と言われたのは、うれしいですね。
私は子どものときから、神というものを知りたいという気持ちが強くありました。
死んだらどうなるか? 何のために生まれてきたのか? アメーバが進化して
ヒトになったのではない、と心の奥深いところで思っていたせいかもしれません。

神については実証ができません。どう思うかは個人個人の見解の相違になります。
ただ、神は見えないところ、はっきり分からないところが、いいような気もします。
つまり、どう生きるかは人間一人ひとりの自由意思に任されているので、
自分の人生は自分で責任を持たなくてはならないし、また、それゆえ
人生の選択肢と幅が広がり、それが人生の面白さになってるようにも思います。

2013/09/09(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

そう言えば、もえりに「ゼミの合宿代が欲しいんだけど」とか「今月、お金、きびしいな〜」とか言われると、「はいはい」と言いながらお金を渡してますね。
それはもえりの自由意志によって、わたしが神と化したのですね。うん、たしかに、もえりにとっては常に神かもしれない。就活のときもエントリーシートをかくのを手伝ったなぁ。母は強いのであった。
じゃあ、わたしの神は?どこ? 自由意志をもっとわがままにつかったほうがいいのかなぁ。。。
強く生きられてるだけでよいですね。

2013/09/10(火) |URL|abe [edit]

abeさん ありがとうございます^^)

おー、もえりさんは、幸せな日々を送ってるようですねー。
いいお母さんがいて、幸せだなあ。ほんと、うらやましいです。
そうですよ。まれさんは、もえりさんにとっては常に神様ですよ。
もえりさんの自由意志によって、まれさんのおなかに宿り、
まれさんの自由意志によって、もえりさんは生まれてきたのですし、
今までも、今も、これからも、ずうーっとそれは同じでしょうね。

でも、それゆえに、まれさんは力強く生きなくてはならないし、
また、それゆえに、力強く生きていけるわけで、いいことですよねー。
そうそう。自由意志は、自由に自分のために使うことが大切。
まれさんなら、もっとわがままに使ったほうがいいですよ。
人間一人ひとりは神のようなもので、何をするかは自分に任されています。
これから、楽しいと思えることはどんどんやっていってくださいね。

2013/09/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

霊魂と肉体: あの世とこの世を分かつもの

私がこういう話題をネタにするのはおかしいのですがスピリチュアルに関心がある皆さんには面白いかもしれません
矢作直樹氏(東大病院救急部・集中治療部部長) に対するインタビュー
です
http://hlsp01.videonews.com/flash/?U2FsdGVkX1%2FwwF1e48H6ETCqna%2FQ8YZk%2B72cWiCPGjQ%3D
http://hlsp01.videonews.com/flash/?U2FsdGVkX18xzrvlMe859w4ViC3gPlrv9%2B2J3kLrZT8%3D
本も出されています
これから読んでみようと思っています

最近 「呼吸」に関しての本を読んでいて こちらの方を紹介しようと思いましたが 先に矢作直樹氏を取り上げてみました

2013/09/10(火) |URL|milestone [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2013/09/10(火) || [edit]

milestoneさん ありがとうございます^^)

いつもありがとうございます。お元気のようで、何よりです。
相変わらずピッピッと知的好奇心のアンテナを張り巡らしてますねー。
二つの動画、面白くてすぐ見終わりました。先生方は、なかなか謙遜ですね。
矢作先生の本は1冊読んだことがありますが、他の本も図書館に予約しました。
健康問題も抱えていますので、参考に「整」の本もAmazonに予約しました。
http://ameblo.jp/eyeofgod/
いつも訪問しているサイトですが、素晴らしい教えを発信しています。
ここ数回、福音書の話題を取り上げていますよ。今回は「何に関しても、
反省なんてしなくていい。後悔なんてしなくていい」 がテーマですが。
こちらを見ると、私のブログなど実に薄っぺらいものだと感じます。

2013/09/11(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

鍵コメさん ありがとうございます^^)

オリンピックも、もうまもなくです。
ギネスに出ないまでも、大台に乗るまで、いや、大台をはるかに超えるよう、
からだだけは大事にして、共にがんばりましょう。

2013/09/11(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

始めてコメントします。

バーソさんが言おうとしている神さんは、宗教組織で崇められている人格神でないもっと違うなんていうか『根本的な法則』みたいなもんやと感じるんですが。
世間では、それを色々な言い方があるようで、ソース、根源様(松下幸之助が言っていたもの)、クリエイターなどなどと各自が言ってることと同じやないかと感じますが。
なお、自分は全体意識っていう言い方が好きです。

2013/09/15(日) |URL|ナットウ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)

精神世界に関心を持っておられる方からのコメントはうれしいですね。
おっしゃる通り、いろんな言い方があり、みな同じものだろうと思います。
ただ、言葉というのは面白いもので、微妙にニュアンスが違うように感じます。
「根本的な法則」は少し無機質な感じがし、「根源様」は「様」の語のせいか、
いわゆる宗教的な神様に近い存在であるように感じます。
「全体意識」は、そういう意味で、ちょうど適当な言葉かもしれませんね。
『神』という言葉は宗教に密着しすぎていて、ちょっと困りものです。
また気づいたことがあればコメントくださいね。お待ちしています。(^^♪

2013/09/16(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

コンニチワ!

ちゃーんとワタシ生きてました。(笑)
アノ世界から自分をはがしてイテモ
ちゃーんとナンナク生きられてました。(笑)

文章は沢山たまっているのですが、
出してしまった時点で
充分満足してしまってイマス。
自慰で充分ナンデス。(笑)

この世界はワタシ独り、完全なる自己帰結、自己完結!!
唯我独尊・・・・。

”神”とは・・・・。

お~っとぉっ~と~。
なんだかノッてきました~
【礼節の調(しらべ)】に、だしてみますねぇ~。

コメントアリガトウゴザイマシタ。
【礼節の調(しらべ)3-中編】をアップ
いたしました~。

☆バーソ☆サンは、
神に何をお望みデスカ?

2013/09/25(水) |URL|なりびと [edit]

なりびとさん ありがとうございます^^)

おおー、よかったです。
きっと、どこかの世界でしっかり生きてるに違いないとは思ってました(笑。
なりびとさんの神サンは、いろいろ便利な存在のようですね。
私は、何でも瞬時に言うことを聞いてくれる神様がいたらいいなあ、
と思ったことはありますが、実際にそうなったら、それも怖いですねー。
人生は、一人ひとりが、自分でいろいろなことにトライして、
良かれ悪しかれその結果を個別に味わうのがいいみたいですからね。(^J^)

2013/09/25(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

『神』さんという言い方は?

また述べます。
『神』さんという表し方やと、どうもなんていうか『距離感』を感じてしまうんだな。その『神』さんという奴に。
昔の垂簾聴政(帝と家臣との間に水簾が垂れてて顔を見られないようにして、迫づけして政務を行う)あれみたいに、『神』という表現をしたばっかりに、『神』と自分とに見えないベールが出来ちまって、必然的に手の届かない所に『神』さんを追いやっちまったみたいな。スピ系でいう『分離感覚』っていうのかな。もしかして、ここ人類三千年のしょうもなさはそこに起因してたりして。本当は『神』さんとおぼしきものと自分は同一じゃないかな。

なんてこと想いました。

2013/10/02(水) |URL|ナットウ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)

おー、またまた、ありがとうございます。うれしいですね。(^o^)丿
そうですね。もう「神」という言葉は、しっかり概念が定着してます。
神はいわば「垂簾聴政」をする人格的存在ですか。そう、その通りですね。

神を尊崇の対象としたのは、宇宙には人知を超えた存在がいるに違いないと
原始以来、人々が推論したゆえでしょう。そして、神は絶対的支配者だとしたほうが
都合のいい人々、つまり政治・宗教の絶対権力者がいたゆえでしょう。
すなわち、権威に従うのは正しい、だから支配者に全面的に従え!というわけです。
確かに、人類の歴史は、その土地の神の教えにコントロールされてきたと思います。

私も、人間は、そして万物は、イコール「神」であると思っています。
ですが、そのように言うと、 自分を神と同等視するのか、不遜じゃないかとか、
神懸かっているじゃないかなどと、 勘違いされる可能性があります。
「神」に代わる言葉がないかと思うのですが、ブログを書くときに少々悩みます。
何かいい言葉がないでしょうか。やはり、「全体意識」がいいでしょうかね。(^J^)

2013/10/02(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神でなく、もっといい言い方は

実は、同様のテーマに関して、スピ系ブログをいろいろ眺め、『全体意識』という言い方で表現されているものが、自分ではいいなあと思えたんですね。

それ以外でもいい表し方はないかと勘案してみましたら
単純に『いのち』という言い方もいいかなと。
生き物が生きていると言う意味でのいのちではなく。
この世・あの世の全てのもの(生物、大地、石ころ、空間、思念さえもあらゆるあらゆる全て)は実は『意識』で出来ていて、その充満してる意識をあえて『いのち』というのはどうかと。

それもいいなあと。




2013/10/06(日) |URL|ナットウ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)

精神世界の「神」の呼び方はいろいろありますね。
「スピリット」「大霊」「空」「根源」「ワンネス」「一なるもの」
「サムシング・グレート」「I am that I am」「ありてあるもの」など・・・。
いずれにしても、人間の崇拝対象ではなく、信じて寄付をしないとご利益がない、
ということもない存在・・・おっと、存在ではないですね。「すべて」ですので。

「全体意識」や「いのち」も、いい言葉だと思いますが、
それに「エネルギー」が合体したようなもので、その実体は「愛」であるもの。
・・・・おっと、「もの」ではないですね。んんー、むずかしいです。
それにしても、よく、スピリチュアルの世界に関心を持ちましたね。(^J^)

2013/10/06(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ちょっと私事を。

何故か精神世界は小さい頃から好きでしたからね。組織に絡むのは大嫌いだったから、書籍やネットが主でしたが。

故に既存の宗教の実態はどうなのかはよく知らなかった。そこで、どんなもんかと触れてみようとここ数年、積極的に神社仏閣に行って見たり、お祭りに参加したりしてきました。
日本の神道のすばらしさを感じます。

仏教に関しては、おそらく現代の既存の仏教は、お釈迦様の説いたものとは、だいぶかけ離れたものになってしまっているのではと感じます。まさにインド人もびっくり!
教えは素敵なんですけどね。

ではキリスト教やその親のユダヤ教はどんなもんだろうと、ここんとこいろいろなサイトを眺めています。子供のころから、キリスト教には不思議に思うことがいっぱいありました。
信者が十字架のキリストに熱心に祈っている。このことが不思議で仕方なかった。
だって、人が死刑になっているところを祈っているから。

ただ、なぜそうなったのか  いきさつを知らねば、信仰を持っている方に失礼やし何も言えんと、背景や歴史を学ぼうといろいろなサイト、書籍を眺めていますが、大方のキリスト教関連サイトは読んでて眠くなってしまいます。

現代のキリスト教をクールに眺めて、一石投じていると思われるサイトに魅力を感じております。バーソさんのサイトはうなずかされたり学ぶことが多いです。

2013/10/08(火) |URL|ナットウ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)


今でも精神世界は主流の考えではないですし、関心のない人が多いのですが、
「精神世界を小さいときから好き」だったというのは、すごいですねー。
仏教やキリスト教に関するナットウさんの洞察も、たいしたものだと思います。
私も、意外にもと言うべきか、神道はかなり本質の教えに近いような気がします。

「組織に絡むのは大嫌い」というのも、正解ですね。良い判断だと思います。
私は何十年も教団に所属し、人生をかけて熱心に宗教に打ち込んできた人間です。
世の中に聖書ほど素晴らしいものはない、と長年信じ込んできたのですが、
でも、中にいると、教えの間違いや教団の実態は分かりにくいものですね。
近年のネットのおかげで、やっと外から客観的に見ることができるようになりました。

そんな私の反キリスト教的な記事を肯定的に読んでいただいて、うれしいですね。
宗教には良い教えもありますが、たいてい、矛盾点やおかしな点も含まれています。
そんな問題点に気づいたときは、その気づきを無視しないほうがいいようですね。
人間の「直感」というのは適切な指針である場合が多いような気がします。

私は最近、どれが正しい、どれが間違ってるというより、自分の波長に合ったものを
選択して、それを楽しくやっていければいいのではないか、と思うようになりました。
むろん、ひと様に迷惑を掛けない限りですが。

2013/10/08(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさんの方がずっと・・・。

バーソさま(今回はやたらに真面目調デス)

「神は純粋な意識、知性、生命、エネルギーと考えるほうが辻褄が合う。」「純粋な知性が『存在するすべて』の本質的なエネルギーならば、どんなかたちでも取り得るはずだ。神は望まれるかたちで私たちの人生に『現われる』ことができるはずだ。」etc.・・・

特に「ちょっと精神世界的」「神は愛の神か」「臨死体験は事実か」などのカテゴーリーに行かせて頂こうものならば、「目に見えない世界を信じること」への偏見が(まっすぐな心で読めば)緩和されずにはいられないような、モーレツに説得力のある文章を、バーソさんはこれまでにとてもたくさん書いて来られたことが分かります。

どの記事を読んでも共感の嵐で止まらない...までは良かったのですが・・・

自分の健康関連の記事には、(食事の重要性etc.)実践しやすい内容を書くべきだという感覚がついつい強くなってしまうのですが(その方が成果が上がり易い?)、それは結果として、自分の本心に忠実でいることから遠ざかるのを意味するんだ….、バーソさんの記事を読めば読むほど、そんな気持ちがどんどんと強くなることに気付きました。

記事に(ますます?)違和感を持たれてでも、自分の体験的な本音とズレのないことを、やはりもっともっと書いて行きたい(医療関連ですら・・・こそ?)という気持ちが、バーソさんのお陰で大きくなりました。

木内鶴彦さんやアニータさんの体験など、いかに有無を言わせずパワフルに、意識が体験そのものを作るかを示している良い例だと感じます。私自身、2度の大病のどちらのときもそう感じているように、人が病気になるときも治るときも、食のヘルシーさとか環境要因etc.といった “分かりやすい” ファクターは実際には副次的なもの….というより、それらも、意識(を含む集合無意識)に影響を与えるものだからこそ、そのエネルギーが大いなる存在と調和してくれたお陰で病気になったり病気が治ったりしたんだ...と感じます。特にガンの方の時は、その事実さえ心中で無かったことにして過ごしたので速攻でガンが消えたことや、あのときには感情面での体験(喜怒哀楽)がさほどなかったことを考えると、「実績ある療法家と出会わせてもらう」という目的のために(少なくとも)病気になってくれた、と考えるのがもっとも矛盾がない気がするんです。合理的な理由が何にもなくて何かが起こるなんて、ありえないと感じています。

なんかだかバーソさんの記事は、私には「難解」すぎるか「ピンポ〜ン」すぎるかのどちらかという感じです・・・ということがようやく分かりました。いろいろ心を揺さぶる数々の記事さんたち、どうもありがとうございました。あっ、バーソさん、どうもありがとうございました、でした。間違えました(笑)。

2017/04/29(土) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: バーソさんの方がずっと・・・。

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 いつもよく読み込んで、長文の感想まで書いていただき、有難い限りです。
 冒頭に引用された「辻褄が合う」が私の有神論者としての今の立場をよく言い表していると思います。霊の世界を垣間見たから信じているというよりも、宇宙には神は在ると前提したほうが論理的にリーズナブルで、その神は愛であると思うことが自分の感覚に、そして人生観にしっくり来るということですね。

 聖書の中に「苦しみに出会ったことは、私には良いことです」という詩があります。(詩編119:71)苦しみも喜びもすべて神の計画の中に入っていると受け取ることができるのは良いことだと解釈できますが、HeartLibertyさんが今まで大病をしたのは、「合理的な理由」があったからのはずで、「病気になってくれた、と考えるのがもっとも矛盾がない」というのも、実際の霊的体験で真理を実感できたということですから、このほうが確信が強くなれ、結果的には良かったという言い方もできそうです。
 
 コメントを読んでいてこんなことを思いました。真理というのは一つだけではなく、人それぞれにあると言われます。私たち一人ひとりの人生もその真理を味わうためにあるのだろうから、自分の今の状況をいつもそういう視点で見られれば、もっと有意義に人生を生きることができる。HeartLibertyさんは、いつもそういう視点で物事を見るのが心の習慣になっているので、顕著な霊的な体験もあったのだろう。とすれば、波風や嵐はあってもいいのだ、それをどう見て、どう反応するかが大事だ、結局は自分の意識が大切なんですね。

> その事実さえ心中で無かったことにして過ごしたので速攻でガンが消えた
 すごいですね。アニータのように本を出してもいいような話です。
 ともあれ、「本音を書いていきたい」とはいいことじゃないですか。自分の人生では、自分の思考と感覚にぴったり合うことをしていくのがいいのですから。

2017/04/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

訂正です。

アニータさんのようにぜんぜん何もしないでガンが速攻で消えたのではないんです、バーソさん。あのようにお返事を頂いて、随分と片手落ちな(しかも療法家の先生に申し訳ないような)ことを書いたものだと気づきました。

癌になったということをなかったことで過ごしたことは事実なのですが、(ブログにも書いたのですが)7回の足裏ツボ治療と、漢方も約10日間ほど(言われた量の半分近く)飲んで、1ヶ月半後に「もうあなた、治った。」と言われました。バーソさんのコメント欄だけを読むと、いかにも「治療的なことを一切しないで、意識の力だけで速攻で治した。」みたいな書き方になってまい、これでは“嘘つき”です。意識の力で速攻で治したのは、むしろアトピーの方でした....スミマセン。

・「辻褄が合う」が私の有神論者としての今の立場をよく言い表している。
・リーズナブル。
・自分の感覚に、そして人生観にしっくり来る。

バーソさんの納得のされ方には無理が無い(ナチュラルな?)感じがあり、スーッと共感できます。

前の時もそうでしたが、聖書から引用して下さる言葉が的確です。「この方が確信が強くなれ、結果的には良かった」うんうん、そうそう、そうとも言える・・・。自分の納得を別の言葉で説明し治して頂けるのはとてもありがたいです (○´∀`○)

少し古めのバーソさんの記事を読ませて頂き、たくさんの共感を覚えることができて、うれしい週末でした❀(*´◡`*)❀

2017/04/29(土) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: 訂正です。

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 私も今、ある漢方薬を飲み始めてから6週間ほど経ちますが、治っている感覚はほぼゼロです。医者からは、合うかどうかわからない、薬局からは、漢方は気長に飲まないと駄目と言われているぐらいですから、それを思うと、たった7回のツボ療法と10日間の漢方薬だけで、わずか一か月半で難病が治ったなんて、奇跡以外のなにものでもない、やはりHeartLibertyさんの意識の力が相当に強かったのだろうと思いますよ。
 「ガンになったことをなかったことにして」なんて、普通の人に出来ることではないでしょう。自分の意識を自己の制御下に置けるのはたいしたものです。
 
 ホメオパシー療法は極度に希釈した薬物を使って治す療法で、それで治る人が居るというのは、それを信じる人の意識の力(と自然治癒力)もかなり以上あるのではないでしょうか。そうでないとほとんど水のようなもので病気が治癒されることが科学的に説明できません。

 最近、不食で生きている人の本を2冊読みましたが、科学では説明できない不思議なことはずいぶんいろいろありますね。過去記事をずいぶん読んでいただいたようで、感謝申し上げます。

2017/04/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんなに何度もお邪魔しまっていいのでしょうか...?

「ガンになったことをなかったことにする」というのは「自分の意識を自己の制御下に置いた。」ということなのですね?! つまり、「うわっ、癌にかかったんだ!どうしよう…」と落ち込んでしまったとしたら、それは「自分の意識を自己の制御下に置いていない。」ということになるのですね?! すっ、すごい…。 「ウイットのバーソさん」ではなく「天才のバーソさん」です。

(前の前のになりますが)「コメントを読んでいてこんなことを思いました。」から「どう反応するかが大事だ、結局は自分の意識が大切なんですね。 」を拝読したとき、自分の物事の見方が立派に聞こえ過ぎる感じがしてしまい、その場からつい逃避しちゃいましたが...。バーソさんは「物知りさん」などではなく、「何かしらの言葉に触れた時、5次元とパッと繋がって、『それはね、こういうことなんだよ。』とwhole pointをそっと指し示してあげれるパワーの持ち主さん」という感じです。


漢方を飲んでおられるのですね。医者は「合うかどうかわからない。」薬局は「気長に飲まないと駄目。」という場合、「この漢方での速攻はあり得ませんよ。」と言われているようなものですよね?!

私は奇跡を起こしてなんかいないんです、バーソさん。間違いなくラスト・ステージらしかったことを思うとき、確かにスピードは早かったかもしれません。「無かったことにする。」という処理の仕方は、正直、変人っぽいかもしれません。ですが、その療法家の先生が「あなた、もう治った。おしまい。」というまでの超特急さ加減は、彼が根治の実績があることを単純に喜び、だから言われたことを「『これで治らぬ訳はなし。』で守った」患者さんみんなに、日常的に普通に起こることなんです。彼のツボ療法や漢方の効能も “質” という点で際立っていることはもちろん確かですが、こちら側の意識さえ「治ってとーぜん(←実績のおかげで、そういう意識になるのが簡単です)。」となれば、ホントにスピード感満点に治っちゃいます。

ホメオパシー療法のことも、仰ることにすごく共感です。やはりラストステージの癌を治した知人は、S先生の漢方は「いやだ!」と飲まずに(笑)、どこだったか、富士山からの名水で根治したようでした(訂正:富士山ではなく高野山の間違いでした。スミマセン。)。というか、本人はそれが一番効いたと信じているようだ....と聞いています。

不食のお話、90cc/日 の青汁のみで元気にしている女性のお話は、無限の可能性を知らせてくれますよね!ミラクルでさえないと思えるようになりました。

私たちが信じ込まされている「科学」そのものが「私たちを “親切に” 迷路に迷い込ませてくれて、『さああなた、そこからどう這い上がる気?』と試行錯誤する様子を上からスマイリーに見守ってくれている大いなる存在の便利な小道具」みたいに思えて来ます。


バーソさん、バーソさんの「アニータさんのお話」ですとか、こちらでのバーソさんとのやりとりですとかを、次の記事に載っけさせて頂いても大丈夫ですか?常識的に見れば奇跡を起こしたように見えるかもしれない(?)私のケースが、いかに平凡なことかということに、この週末、バーソさんが誘導して下さる格好で気付かせて頂くことができました。バーソさんの精神世界っぽい記事は、私の思いと良くハーモニーしています。とても亀の更新でなのですけれども、もしお許し願えればと....。

すばらしいたくさんの記事をお書き頂きまして、こちらこそ「感謝申し上げます」。

2017/04/30(日) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: こんなに何度もお邪魔しまっていいのでしょうか...?

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
> 「うわっ、癌にかかったんだ!どうしよう…」と落ち込んでしまったとしたら、それは「自分の意識を自己の制御下に置いていない。」ということになるのですね
 そうかもしれないですが、単に自分の意識が、あるいは感情が素直に反応しているだけかもしれませんよ。最初は素直な反応がいい。それから自分の意識を顧みてコントロールするのがいいんじゃないですかね。

> 「無かったことにする。」という処理の仕方は、正直、変人っぽいかも
 いやいや、そう思える人は非常にすごいです。普通の人は、思おうと思っても思えるものではないですから。
 でもその先生も、かなりすごいです。「患者さんみんなに、日常的に普通に起こること」なんですか。でも富士の名水で治した人と同じく、信じることが癒しの効果を上げる重要な要素なんでしょう。
 イエスは「信じる者は山をも動かせる」と言いました。私は、それは比喩で言っているのだと思ってましたが、なにかの精神世界の本では、それは真実のことを言っている、実際に動かないのは信じてないからだと書いてありましたね。本当は、そうなんでしょう。信じる人にとっては、山が動いた別次元の世界があるのでしょう。

 それにつけても、whole pointとか、ミラクル、スマイリー、ハーモニー、大いなる存在の便利な小道具とか、面白い言葉がよく出てきますね。ただ、ウイットのバーソより、ジョークのとか、駄洒落の、のほうが適切のような気もします。なので、引用は、いいんよ。(笑)

2017/04/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

最後の一文だけで筋肉痛に・・・

ほんとだ!「ウイットのバーソさん」は返上します。「ダジャレのバーソさん」がドンピシャです (*^▽^)/★*☆♪

ご許可いただき♪るんるん♪です。どうもありがとうございますm(_ _)m

2017/04/30(日) |URL|HeartLiberty [edit]

Re: 最後の一文だけで筋肉痛に・・・

HeartLibertyさん コメントありがとうございます^^)
 駄洒落は言わなかったことにしといてください。そうすれば筋肉痛もなかったことになり、ウィットとエスプリのバーソというパリジャンのようなお洒落な男というイマージュが残ったままになりますから。(笑)

2017/04/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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