「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 神は、人間に何かを望んでいるか? 

ある調査では、神の存在を信じる人が90%以上いる国は世界55か国中、24か国。
エジプト、ヨルダン、インドネシアでは、ほぼ100%が神を信じている。
米国、ポルトガル、アルゼンチン、アイルランドでは、90%以上が信じている。

神を信じる人が50%未満の国は、スウェーデン、エストニア、日本、チェコ。

日本人の特長は、「わからない」の比率が33%と圧倒的に多く、世界一。
「わからない」とは「どうでもいい」ということ。日本人は鷹揚で適当らしい。
※日本の宗教のほとんどは宗教法人で、その数は約18万2千(平成23年)。

別調査では、英国では人口の約半数近くの3300万人が宇宙人の存在を信じるが、
神を信じる人は2700万人。昨今はETがGODより人気があるかもしれない。

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                  http://paneandov.com/crop-circles-2012/

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ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神が望むこと』サンマーク出版をもとに書いています。
神が存在するなら「人間に何かを望んでいる」と考える人は多い。

多くの人は、「神は何を望んでいるか」について、こう教えられてきた。

1.「神が望んでいる」のは、神が至高者で、天地の創造者だ、と人々が知ること。
神は、全知全能であり、生命の与え主であり、人類の理解を超える最高の賢者。
神は最初であり、最後であり、「自らをかたどって」人間を造った。

真の神は、最後に偽りの神々に裁きを執行し、真正の神であることを示す。
そのとき、偽りの神々に従う人間たちは、それらの神々と運命を共にする。
 
2.「神が望んでいる」のは、愛と正義である。
神は人類が神と和解するチャンスを繰り返し与えてきた。神は、人間一人ひとりの
人生の終わり(または世界の終わりの日)に、最後の審判を下し、神の正義を実行する。

神は優しく、慈しみ深く、愛情にあふれているが、時には激怒して人間に暴力を振るう。
したがって、人間がすべきことは、ただただ神に従うことである。

★これらの教えの結果のひとつは、多くの人が「神を恐れる」ようになったことだ
神を愛すと共に神を恐れる人々は、神の言葉や要求を理解することを非常に重視する。
決断を下すときは、どうすれば神に認められるかを考える。そして宗教が教える
不必要な制限・制約に縛られ、生きたいように生きることができず、罪悪感が増えた。


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1ドル紙幣の裏にIn God we trust〔われら神を信ずる者なり〕と書かれている。

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あるいは、「神は何を望んでいるか」について、こう教えられてきた。

3.「神が望んでいる」のは、人間が聖なる書物と神の指導者に従うことだ。
どうやって神に従うべきかはたやすい。なぜなら神は人類に何をすべきか、
何をしてはいけないかを正確に語っているからだ。それらは全て聖なる書物に書かれている。

神の聖なる書物はひとつだけが正しい。他の経典はみな偽物だ。
(聖なる書物は、バガヴァッド・ギーター、ハディス、易経、古事記、論語、新約聖書、
コーラン、タルムード、老子、ウパニシャッド、ヨーガ・スートラ、トーラーなど沢山ある)

どうやって従うべきかは、地上にいる「神の代理人」を通して教えられる。
神のメッセンジャーは大勢いても、一人だけが救い主。他の者はみな偽者だ。
(メッセンジャーは、アブラハム、モーセ、孔子、ゴータマ・シッダルダ、ナザレのイエス、
ムハンマド、パタンジャリ、パラマハンサ・ヨガナンダ、ジョゼフ・スミスなど大勢いる)

※代理人はカリスマ的な人間の場合とカリスマを自称する組織の場合がある。

★この教えの結果のひとつは、人々が何千年もの間、どれが本物の聖典で、
誰が本物のメッセンジャーかを知ろうと努力してきたことだ

当然ながら、自分の信じるものだけが正しいと信じる信奉者は、世界的な宣教・
改宗活動に熱心になった。政府の手を借り、暴力によって強制的に諸国の人々に
改宗を迫り、神の名や大義を持ち出して戦いを仕掛けた。異教徒をさげすみ、
時には大勢を殺戮した。


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また、多くの人は「神は何を望んでいるか」について、こう教えられてきた。

4.「神が望んでいる」のは、人が善なる暮らしをすることである。
善人は死後、天国(極楽、パラダイス)に行くが、悪人は地獄(ゲヘナ、ハデス)に行く。
天国では神と共に終わりなき歓喜の中で暮らし、地獄では永遠に苦しまなければならない。
個々の魂がどこへ行くかは、神によって決められる。

(中には、地獄とは一時的な経験で、生涯の悪事によって積まれた負債が償われるまで
居る場所であるとか、地獄とは魂の旅のひとつの段階で、魂は輪廻転生を繰り返して
多くの経験を積むとか、地獄とは人生でつらい経験をすることである、と教えられた人もいる)

★この教えの結果のひとつは、大勢の人たちが「地獄行き」を回避する闘いと
「天国行き」の希望に振り回されて生涯を送ってきたことだ
。「地獄」と「天国」がある
という信念は、人々の人生観、行動に大きく影響を及ぼし、問題多き人類史をつくりあげてきた。
そして、むろん宗教は、救いを求める信者たちから大いに尊崇と金品の恩恵を受けてきた。


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さらに、「神は何を望んでいるか」について、こう教えられてきた。

5.「神が望んでいる」のは、人生が学校、学びの場、試練の時となることだ。
人生は、天国へ、神へ、やってきた元の場所へと、魂が戻るまでの短い貴重な機会だ。
本当の喜びが始まるのは、生命(人生)が終わるときである。全人生は前奏曲、
序章であって、魂が永遠の経験を築くための土台である。

それゆえ、いつも「あの世」を念頭において人生を送るべきだ。なぜなら、
今の行ないによって、あの世で何を永遠に経験するかが決まるのだから。

6.「神が望んでいる」のは、目に見えない霊的なものを信じてはいけないこと。
生命(人生)は、人が見て、聞いて、味わって、触れて、嗅ぐもの、つまり物質だけで
出来上がっていると理解すべきで、それ以上のものは何もない。目に見えないスピリチュアルの
世界を信じたり感じる感覚は悪霊的であり、神から非とされる極悪の罪である。
(聖典を書いたのは、神から啓示を受けたと自称する人たちなのに、それは除外する)

★これらの教えの結果のひとつは、生きるのは容易でないし、容易であるはずもない
という信念だ
。人生は、人間が神のもとへ、神の善き恩寵のもとへと戻ろうとすることである。
身体の中に宿る魂が元々そうであった霊の存在に戻ろうとする闘いである。

人生は常に闘いである。この闘いの中では、五感で受け取れるもの以外は「超自然」とか
「オカルト」とみなされ、「悪魔との取引」「魔物の仕業」というレッテルが貼られた。
その信念は魔女狩りや、神から啓示を受けたと唱える人々を排除することにつながった。


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「神が望んでいる」ことに熱心であろうとする人は多くいる。

「天国や楽園に到達すること」が人生の究極の目標だと熱烈に信じる人たちは、
当然ながら神から是認されると教えられることを一生懸命に行おうとする。


彼らは定期的に罪を懺悔し、何週間も断食し、教会や寺院に毎週欠かさず通い、
遠い聖地に巡礼し、寄付を欠かさず納め、ある種の食物を避け、ある種の衣服を避け、
髪を刈り上げ、剃り上げ、世の事柄を避け、ありとあらゆる儀式や規則や取り決めを遵守する。

彼らは自分たちが価値ある人間であることを示して「天国行き」の切符を確保するために、
宗教の規則に従い、信仰の伝統を大切にし、指導者の指示に従順に従う。時には約束された
「褒賞」と引き換えに、自分の命を犠牲にしたり、無辜の人々を殺す者も出てくる。

(その褒賞が、黒い瞳の処女72人と永遠の時を過ごせるというものであり、問題の人たちが
18歳から30歳までの男性で、ほとんど未来がなく、ホコリにまみれて貧窮にあえぎ、
正義がない現実を生きていたら、とんでもない破壊行為に出る可能性は、極めて大きい)

伝道
    http://www.wordsoftruth.net/wotvol10/wotbulletin11082009.html

「伝道が神のご意思である」と教えられた信者は、布教活動を神への『奉仕』と考える。
留守や無関心の家々、拒絶や罵りの家々を一軒一軒訪問してまわり、薄い印刷物
(自分が寄付して教団から求めたもの)をただ手渡すだけの『奉仕』を毎週毎週続ける。
一般のボランティア活動と違い、喜ばれず、感謝されず、話もできず、霊的な収穫は
ほとんど毎回ゼロだが、神に喜ばれ、自分の救いになると固く信じているのでそうする。
                   _ _ _ _ _

彼らはみな、そういったことは「神が望んでいる」ことだと信じているから、そうする。

・・・・・・・・・・だが、神は本当にそんなことを望んでいるのだろうか?


※資料
・世界数十か国の大学・研究機関の研究グループが参加した「世界価値観調査」
・文化庁「宗教法人と法務行政」http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/gaiyou.html
・市場調査会社Opinion Mattersの調査

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神は人間に何を望むか?
服従だけだとしたらつまらない。
神々は多岐にわたるのでそれぞれに違うんでしょうね。
反進化論の中に、創造主(神)が万物を創ったという創造説と
いうのがあります。創造説のなかには宗教色を離れて、天地
創造をしたのは神ではなく、なんらかの知的な存在だ、という
インテリジェント・デザイン説があります。一例として進化の過程で
首の短いキリンが化石として発見されていない(失われた輪)のは
進化論では説明がつかない。だから進化ではなく知的存在が
いろんな生物を創ってぽつぽつと置いていった、というかなりの
とんでも理論です。その知的存在(神)なら、人類に望むのは
早く自分に追いついてこいということでしょうか。

2013/09/01(日) |URL|エリアンダー [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

インンテリジェントなコメントをいつもありがとうございます。
人は類人猿から進化したと言う進化論は「失われた輪」という欠陥があります。
神が人間を造ったという創造論は、物的証拠と知的論理に欠けます。
しかしながら、宇宙の万物には人間の英知をはるかに超える叡知が見られます。
それゆえ、インテリジェント・デザイン説が生まれたのでしょう。

この説の「知的存在」は、宗教の人格神のように悪人を罰したり、善人を祝福したり、
人間の意識行動には関係しないだけで、やはりある種の「神」を想定している
ように思えますが、どうなのでしょうね。
私は以前、人類の祖先はアダムと信じていたので、今はちょっと恥ずかしいです。
いずれにせよ、宗教組織が教える「神」の概念はかなりおかしいと思っています。

2013/09/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あぁ、あの冊子は自分で買って配るのですね。。知らなかったです。。。

最近、おどろおどろしい絵でかいてある、地獄絵本がはやってますよね。
あれを見た子供は、きっと怖くて、悪いことをしないでしょうね。地獄に落ちるぞ、っておどしたら、統制しやすいですもんね。宗教もそうかもしれないですね。
怖いってことは、死後の世界があるってみんな思ってるってことですよね。前世とかあるんだったら、前世で経験したことを全部おぼえていたいものです。そしたらみんな同じしっぱいは繰り返さないで、平和な世界になるんだろうに。

タラタラとかいてしまいましたぁ。なにが言いたいかっていうと、死んだらアムと平和にすごしたいなぁってことだけです。

2013/09/02(月) |URL|abe [edit]

人間ってすごいと思う

こんちは~

やっぱ人間の創造力ってすごいと思う。
だって偉大な神様まで造ってしまうのだから・・

オーマイ・アンセスター的な・・

2013/09/03(火) |URL|ばく [edit]

abeさん ありがとうございます^^)

聖書で「地獄」と訳された言葉は「ゲヘナ」というヘブライ語です。
ゲヘナとはゲー・ヒンノムといって「ヒンノムの谷」の意です。
そこはエルサレムの城門の外にある、深くて狭い谷底のゴミ捨て場で、
ゴミや犯罪者の体を焼くため、硫黄が燃やされ、悪臭を放っていました。
だから「悪いことをしたら地獄(ゲヘナ)に行くぞ」というのは、本来は、
罪を犯したら、ゴミ焼却場で焼かれるぞ、滅んでしまうぞ、という意味でした。
でも、後の時代の宗教指導者が、人が死後、永遠に地獄の責め苦にあう
場所を神が用意している、という意味に改変していったのです。

人生はコンピュータゲームのようなもので、人はいろんなドラマの主人公として、
笑いながら泣きながら、ドキドキハラハラの人生を生きている、と言われます。
前世は、覚えていないからこそ、今の生活が面白くなるのだそうです。
とはいえ、失敗を覚えていると、同じ失敗を繰り返さないような気がしますね。
アムちゃんと平和に暮らす。・・・・これは間違いなく、そうなれると思いますよ。

2013/09/03(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ばくさん ありがとうございます^^)

おっしゃるとおりだと思います。宗教教団が教える「神」の概念は、
まあ、人間の創造力による部分が大きいと考えるほうが素直でしょうね。
大昔、原始の頃の人間は、自然界のいろんな事象に畏怖の念を感じ、
人間の知力を越えた宇宙的な叡智を持つ「知的存在」を感じたのでしょう。
それが全知全能の目に見えない天の支配者である「神」という概念を生んだ。
そして、神の考えとは、当然のことながら、人間の支配者層の考えることを
そのまま反映するようになったのだろうと思われます。
だから聖書を見ると、どうみても男性の権力者が書いたとしか思えないような
男尊女卑で、無慈悲で、野蛮な命令や規則がたくさんあります。
確かに、宗教組織は、自らを「アンセスター」と名乗るような場合がありますね。
自分たちだけが唯一で真正の教団だと唱える教団は、眉唾物だと思います

2013/09/03(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさんへ

ご無沙汰してます。AKIRAです。

キミは神を信じているか? と問われれば
「信じている」と答えそうですね。
何かを頑張った結果、当初の目標が達成されなくても
何か別のカタチで良い事があったりすると
「神様は見てくれてるなぁ」なんて、自分の都合のいいように
思うことはありますね。
信心深いわけではないですけどね。

2013/09/04(水) |URL|AKIRA [edit]

AKIRAさん ありがとうございます^^)

そうですね。「神様は見てくれてるなぁ」と思うのは、いいこともありますね。
そう思う人は、神様に喜ばれるように生き方をしていこうと思うでしょうから。
AKIRAさんは本質的に真面目な人のようですね(前からそう思ってましたが^^)。

私は子どものころから、例えば道を歩いていて石にけつまずいたりすると、
何か悪いことをしたかな、とすぐ自分の行動を振り返る傾向がありました。
でもそう思う意識の根底には、「天国と地獄」の概念が根強くあるんですね。
神は人に、生きてる時にも罰(地獄)を与えると思っているわけです。

何か自分に悪いことがあった場合、それは神からの罰だ、あなたが悪いからだ、
(あるいは悪魔のたたりだ)とか言われたら、
突然の災害や犯罪に遭った人や関係者たちは、やりきれないでしょう。

いいことをしたら、いい結果がある。悪いことをしたら、悪い結果がある。
それは「原因と結果の法則」が働いたに過ぎず、「神」は関与してはいない、
ということが、私は長年生きてきて、やっと分かり、気が楽になりました。(#^.^#)
(宗教は神の罰を教えますが、私の言う「神」は宇宙意識のようなものです)

2013/09/04(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

難しくてよくわかりませんねぇ。(苦笑)

ご無沙汰しちゃってすいません。

神についてはあまり深く考えたこともなくここまで生きてきたもので、コメントしづらい感じだったもので…。

私にとって「神」は、ややマイナスのイメージかもしれません。

神というのは人間自らが頭の中で創造した概念のようなものだと思うんですけど、そうでありながら、その自分が作った概念に自分の思考・言動が縛られ操られている。

本来本能のままに行動する生物としてはその状況はおかしいはずなんですが、でも人間はそのおかしい状況に理論づけを行い正当化しようとする。それが「神」の権威づけと、絶対的な「神の教え」だと思うのです。
そしてそれによりおかしな状況こそが正しい状況であると更に自らを信じこませ、その状況をおかしいという周りの人々をそのおかしな状況に引き入れようとする。つまり他の価値観の存在を認めず、同純化させようとするか排除しようとする、その争いの記述で歴史の記述は一杯だと思うんですよ。

神=人間の概念だとすれば、神が人間に望むこととは人間が自らが望んでいること。だとすれば、他の価値観を排除し自らの価値観で満たされた社会を実現するための闘争、これこそが「神が望んでいること」なのかもしれません。

…何書いてるか、わけがわからなくなってきましたので、この辺でやめときます。

一つだけ言えるのは、私が認める唯一の神は、「笑う門には福来る」の、幸せと一緒にやってくる福の神だけですかね。


2013/09/04(水) |URL|三流亭まん丸 [edit]

三流亭まん丸さん ありがとうございます^^)

>神というのは人間自らが頭の中で創造した概念のようなものだと思うんですけど、
>そうでありながら、その自分が作った概念に自分の思考・言動が縛られ操られている。
神を最高の賢者ということにしたので、最高の智恵に従え、ということでしょうかね。
ならば、その最高の知恵に従っておけば、もっといい状態になれるはずなのですが。

おっしゃる通り、他の人の価値観も認めて、互いに互いを尊重していけば、
世界から争いがなくなり、戦争を利用して金儲けを企む者らもいなくなるのでしょう。
いちばん親しくすべき隣りの国を敵国であるとして自国の民を教育していく精神は、
何とかならないかと思います。と、ムズカしい話はこの辺でストップしておきます。
とにかく「カミ」は怖いですね。神、お上、女将、オオカミ、かみさん・・ですよ(笑。

2013/09/05(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

もしも神が何かを望むなら。。。

自分としての生を全うすることかなぁ。。。と思います。

せっかく自分として産まれ、縁あっていろいろな方に出会い、喜び悩み考え。。。
そうやって生命を全うする、つまり死ぬまで生きることなんじゃないかと。。。

人間、いつが自分の命の終わりかすら知らないのですから。。。
その日までたくさん笑って、たくさん考えて、時には泣いて、たくさん幸せ見つけて生きたいです(*^^)v

2013/09/05(木) |URL|りんご [edit]

りんごさん ありがとうございます^^)

りんごさんはたいしたもんですねー。その若さでもう悟っている感じです。
「神が望んでいるのは自分としての生を全うすること」。その通りだと思います。

釈迦は「一切皆苦」と言いました。確かに人生には、時にひどい苦しみがあります。
なんで自分だけこんな目に遭わなければいけないのかと思うときもあるでしょう。
でも「自分」として生まれてきた理由は、その「自分」だけの人生を経験して、
それを乗り越えていくためなんですね。その「乗り越える」ところがいいんですね。
何か問題が生じたときには、そう思えればいいですね。

「宇宙意識」は全知だが体験はしてない。それで神はいろんなことを体験したくて、
自分の分身(人間)を創り、この地球で代理体験をさせているのだと言われます。
だから人生は「一切快苦」。楽しさと苦しさ、両方あるのが当たり前なんですね。
であれば「たくさん笑って、たくさん考えて、時には泣いて、たくさん幸せ見つけて
生きたい」と思うのは、素晴らしい達観です。で、またまた拍手です。(^_^)v

2013/09/06(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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