「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 エホバは至高なる神か、宗教組織の神か。 

世界人口は70億人を突破した。いま世界の二人に一人以上が「一神教徒」。
「世界の宗教別人口調査」によれば、
第1位はキリスト教徒で約22億人。 そして第2位はイスラム教徒で約16億人。
両者を足すだけで、世界人口の半分を超える。

ちなみに第3位は「無宗教」約11億人で、そのうち6割以上が中国人とのこと。
(アメリカの調査機関ビューリサーチ・センター2012年発表)

1..キリスト教、イスラム教と、ユダヤ教の神は同一の「神」である。
その神は「エホバ」とか「ヤハゥエ」、「主」とか「アッラー」と呼ばれる。
(アッラーとは名前ではなく、アラビア語で定冠詞の付いた「神」の意)

2.一神教の「神」は宇宙の至高者で、比類のない愛があるとされる。
「神は憐れみ深く、情け深い神、怒るのに遅く、恵みと真実に富み、
恵みを千代も保ち、咎と背きと罪を赦す」と言われている。(出エジプト記34:5)

3.愛ある神が本当に治めているのなら、人はみな完璧に幸福なはず。
そうでなければ至高者でも創造者でも何でもなく、看板倒れの最高神になる。
本当に憐れみと親切があるなら、人間の苦しみを黙って見ていられるはずがない。

4.しかし歴史上、全ての人が至福状態を味わったという例は全く無い。
精神的に神からの平安を受け、ご利益を受けたと信じる者は確かにいる。
だが全ての信者がそうではなく、多神教の信者も、みな同じようなことを言っている。

移転の画像フォルダ 343

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1.聖書の神が至高の絶対神であるなら、なぜ世界は平和にならないのか?

じつは聖書に、エホバは至高の神ではないことが示唆されている箇所がある。
まず、旧約聖書の申命記32章8、9節(口語訳)を意訳して引用する。

 いと高き神が昔、諸国の民に、相続物として領土を割り振られたとき、
 
イスラエルの子らの数に応じて、領土(パレスチナ)を与えられた。
 エホバの取り分はイスラエルの民であり、イスラエルがその相続物である。


ここは通常「いと高き神」と「エホバ」を詩文の平行法と採り、同じ者とする。
すなわち「いと高き神」である「エホバ」がイスラエルを特別なご自分の民とされたと解釈する。

manuel_cosentino_behind_a_little_house_05.jpg

だが、新共同訳では、聖句2行目の「イスラエルの子ら」を「神の子ら」と訳している。
  
 いと高き神が昔、諸国の民に、相続物として領土を割り振られたとき、
 神の子らの数に応じて、領土(国々)を与えられた。
 エホバに割り当てられたのはイスラエルであり、イスラエルが相続物である。

 
「神の子ら」とは普通、神の配下にある「み使いたち」を指す。(ヨブ38:7)
「み使い」は、人間の諸国家を国別に担当している。(ダニエル10:13,20,12;1)
「み使い」は、人々から「エホバ」と呼ばれたこともある。(創世記18:3,19:1)
エホバは「神の子ら」と比較されている。つまり立場が近い。(詩篇89:6)
「至高者の子ら」は「神々」とも呼ばれる。(詩篇82:6新共同訳・新改訳)


ゆえに、おそらく聖書原本では「いと高き神」が、世界の国々を分けたときに、
神の子ら(み使いたち、または神々)に、それぞれ担当する国民を割り振ったが、
「エホバ」に割り当てられたのはイスラエルの民である、という意味になる。

移転の画像フォルダ 344

つまり、ここでは「いと高き神」と「エホバ」が区別されていて、エホバは「いと高き神」
に従属する神の子(神々、またはみ使いたち)の一人という理解もできるのだ。
 
☆新共同訳で「神の子ら」と訳された訳は1974年以降に発見された死海文書で
そう書かれているのがわかり、それが元来の読みであると判断されたため。
☆ギリシア語七十人訳では「神の子ら」が「神の使い」と多少意訳されている。
☆ヘブライ語本文で「イスラエルの子ら」となっているのは聖書の写本家たちが
エホバをみ使いのレベルに貶めたくないと配慮して変更したと考えられる。


manuel_cosentino_behind_a_little_house_04.jpg

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2.もし、エホバが神々の中の神の一人にすぎないのであれば、
エホバは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の信者だけが信じる「宗教の神」にすぎない。
(エホバはやがて「至高者なる神」とされるようになり、キリスト教では西暦4世紀以降、
イエスと聖霊もエホバと本質が同じだとする三位一体論が主流の考えになる)。


3.そうであれば、
聖書の神は宇宙の至高者ではないゆえに、人間に何か影響を及ぼすとしても、
精々、熱心な信者だけにしか影響を及ぼさないのも無理はないということになる。

4.そうであれば、
全人類・全世界に関係する聖書預言は文字通りに信じないでいいことになる。
すなわち不信者や不敬虔な者が皆殺しにされるハルマゲドンは信じないでいい。
地球が楽園になり、人間は地上で永遠に生きられる話も、信じないほうがいい。

移転の画像フォルダ 342

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一神教の「神」は、アメとムチを与える絶対的な専制君主である。
こういっては何だが、エホバは全体主義・独裁政権・封建社会の専制君主と似ている。
人が死に至るまで忠実なら、祝福を与えよう、不忠実なら罰を与えようと言う。
 
「祝福」とは、日々幸福平安に暮らせ、死んだら永遠の命が授けられるということだが、
それはどの宗教でも言うこと。エホバ崇拝宗教だけに限られている話ではない。

そういうわけで、
人が社会のルールを守り、他の人の益も考えながら良心的に生きているなら、
教団がしきりに言う神の裁きを怖れる必要は無い。教団に所属する必要も無い。
日常の些細な失敗や自分の欠点で、神から裁かれる!と落ち込む必要も無い。

※資料: 『一神教の起源』 山我哲雄 筑摩書房
※写真: イタリアの写真家Manuel Cosentinoさんの作品『Behind a Little House』を
トリミングして使わせていただきました。素晴らしいオリジナル写真は
コチラです。

(今回は聖書のカタい話なので、遠慮なく、コメントはスルーしてくださいまし(^_^.)
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お久しぶりです(*^。^*)

この本。
「一神教の起源」
私も買って、先日読み終えたところです。
(感想もブログに書いちゃいました)

旧約聖書の通読をするうちに、
「聖書の神って元々本当に唯一の存在だったのかな?」
などと思うようになりまして。。。

この本の筆者の方が考察されているように、聖書の神はイスラエル民族にとっての唯一の神であって、世界(宇宙)で唯一の神としての特性は元々なかったように思います。

バーソさんがおっしゃるように、少なくとも全世界の神ではないのだから、聖書の預言?を必要以上に恐れなくてもいいと私も思います。
もしかすると、聖書の神の性格は、当時の王の性格を反映していたのかもしれませんね。

2013/08/24(土) |URL|りんご [edit]

こんばんは

おかげでキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の関係がおぼろげながらに
理解できました。11億人の「無宗教」に日本は入ってないのでしょうね。
日本は神道で多神教で、自然や動植物、歴史上の人物までも神になって
しまいます。ま、神の意味が違うんでしょうが。
マニュエル コセンティーノの写真、素晴らしいですね。背景の移り変わりで
情感がダイナミックに変化しています。以前に旅行した美瑛の有名な赤い屋根の
家を思い出しました。
http://image.mapple.net/ospot/photol/01/01/22/1012252_2806_1.jpg

2013/08/24(土) |URL|エリアンダー [edit]

りんごさん ありがとうございます^^)

お久しぶりです。この本、おもしろいですね。
公平であるはずの神がなぜアブラハムを選び、イスラエルを選んだのか。
聖書の説明は少々納得しがたく、その真の理由は、もっぱらイスラエルにとって、
ユダヤ教団にとって都合がいいからではないか、と長年思っていました。
りんごさんの洞察の通り「聖書の神の性格は、当時の王の性格を反映していた」
と思いますね。特に旧約聖書には、その印象がプンプン強く臭っていて、
ファブリーズでも取れません(笑)。私も以前、記事にしたことがあります。
http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-29.html

イエスは「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」のです。
異邦人に対する伝道を始めたのは、イエス死後、弟子たちです。
(マタイ28:19「父と子と聖霊の名に・・・」の言葉は後代の追加のように思えます)
人間として生まれたイエスを神のレベルに祭り上げたのは、後代の弟子たちです。

そもそも組織の一番の関心事は、組織の存続です。自分の特権の維持です。
宗教組織は、自分たちに都合のいいように教えを捻じ曲げていくことがあるんですね。
りんごさんのカルトの分析記事もずうーっと絶好調で、拍手を。!(^^)!

2013/08/25(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

ツマラナイ記事にも、こんなカタカタの記事にも、いつもありがとうございます。
日本人の宗教は、イザヤ・ペンダサン(山本七平)が「日本教」だと喝破しました。
エリアンダーさんの言われる通り、雑多な宗教を違和感なく全部受け入れています。

宗教というのは、テレビ通販の健康サプリメントに似てないでしょうか。
かなり効く人もいる。効いたような気もする人もいる。飲まないと不安な人もいる。
そして、それらの商品はいずれも「個人の感想です」の但し書きつきです。
そう思えば、どの宗教にもそれなりの存在意味があると言えるかもしれませんが、
ただ、インチキ医薬品を売りつけるインチキ会社もあるので、要注意ですね。

「美瑛の有名な赤い屋根の家」。いい家ですね。
大草原の小さな家に住みたいです。朝起きたら、さぞかし気持ちがいいでしょうね。
ただし、せいぜい20分ぐらいの所にコンビニがあるといいなあ(笑。
(予約投稿の設定を間違えて、推敲と校正が十分でない前に出してしまいました)

2013/08/25(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

宗教のお話は、あまりよくわからないのですが、このあいだ、朝のテレビで見たけど、新型うつ、っていうのがあるそうですよ。会社に行くのがつらくて、病院に行って鬱病の診断書をもらって、会社に提出するんだけど、あそびにいくと、ものすごく元気になるっていうことで。  結局、対処としては大人になること、だったかな。
あめと鞭のあめだけもらって過ごしてきた子供たちが、ものっすごく鞭に弱い大人になってしまった、みたいな感じでしょうね。わたしも褒めて育てたほうなので、若干反省したけど、ほかの場所で痛めつけられていたので、ちょうどよかったかな。
なにごとも、バランスって大切ですよね。宗教は、あめと鞭の使い方がうまかったから、のめりこむ人がたくさんいたのかもしれないかもですね。でも、人って弱い生き物ですよね。何かに頼らないと、なかなかむずかしい。。。

2013/08/26(月) |URL|abe [edit]

abeさん ありがとうございます^^)

>わたしも褒めて育てたほう
あー、そうですか。やっぱりね。もえりさんは知性も性格も優秀なようですから、
さぞかし褒め甲斐があったでしょう。もえりさんは、いいお母さんで幸せです。
まれさんだって、子どものころ、ずいぶん褒められて育ったんじゃないですか。
人間は、自分が受けた経験を、自分の子どもに反映するそうですから。

聖書では神も模範を示していて、最初に相手を褒め、それから助言をしています。
中には、褒めるところゼロで、神から厳しい叱責だけされているケースもありますが。
聖書は厳しいですよ。些細な嘘でも虚偽の罪ですので死に値する、ですから。
私は落ち込みやすいので、アメばっかりがいいなあ。「チェルシー」でもいいです。

 ♪ 忘れかけていた幸せ あなたにも分けてあげたい
 ♪ 小さな願いがかなった時の うれしい気持ちはもう隠せない
 ♪ あなたにも分けてあげたい ほら、チェルシー もひとつ チェルシー
(^^♪

2013/08/26(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

難しいのでお言葉に甘えスルーしていたんですが・・・
最後の
そういうわけで、
の言葉に凄く感動!
まさにその通りだと思います
babaはいつもそう考えていましたので
嬉しかった(^_^)

2013/08/27(火) |URL|babatyama [edit]

Lady-babaさん ありがとうございます(^^)

毎度毎度、すみませんねー。(^_-)-☆
おー。そうですか。共感していただけましたか。
そう言っていただけると、すごくうれしいですね。
宗教は、心の平安や救いになるだけならいいのですが、
熱心で厳しい教団ほど、不必要な命令や過酷な要求が多く、
かえって生きていくのが苦しくなる場合があります。
自分の宗教だけが正義、他は邪教、世界は邪悪だ、
と言うような宗教は、世の中を平和にはしませんね。

2013/08/27(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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