「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 メカニカルと言葉と精神世界と笑いが好き。 

2010年8月6日金曜、なんとなくブログをやってみようかと思い、
なんとなく始めた。
趣味や関心事を、徒然なるままに書いていきたい。
ジャンルは、人生、言葉、雑学情報のほか、精神世界や聖書など・・・。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
カタチのいいカメラが好き。
好きな機種は一眼レフ。
ファインダーの視野がふわっと浮き上がる空気感が好き。
今までに買ったカメラは新品・中古を合わせて50台以上。
東独製のペンタコンとプラクチナは、面と線が端正で美しい。
ペンタ部の革貼りは、ニコンFが影響を受けている。

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他は、1/30秒時のシャッター音がいいレチナⅢc・Ⅱc、戦前製ライカⅢA、
ニコンF・F2・F3P・FE、ニコマートFT、キヤノンペリックス、
オリンパスOM-1・2、ペンFT、コンタレックススーパー、コーワ6、
イコフレックス、マミヤC33、ローライ44、ブロニカSQなど。
手元に残っているのは、形がよくて、精密感がある金属製カメラが多い。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
機敏性に優れた、大きくないクルマが好き。
乗っている車は国産スポーツハッチ。速くはないが、俊敏な操舵感覚がいい。
ステアリングを切ったら、鼻先が遅れずにサッとすぐ回頭するのも気持ちいい。
アクセルとブレーキの段差が少なくてブレーキストロークが浅いため、
かかとをつけたまま瞬時にペダルの踏み替えができる。
シートはレカロにしているので、一日乗ってもおしりが痛くならないのがいい。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
オーディオは特にスピーカーが好き。
一番最初は、1000円ぐらいで買ったアシダボックスの16cmシングルコーンを
自作の背面開放箱に入れたもの。薄くてペナペナの頼りないコーン紙だったが、
柔らかい、いい音がした。それから、フォスターの16cm、ビクターSX3、
サンスイSP1005、JBL4313、KEF同軸3ウェイなどを聴いてきた。

6p-hf1_back11.jpg  ※6PH-F1

最近はほとんど「ウォークマン」と、何種類かのイヤフォンで聴いている。
好きなオーディオ評論家は、故・長岡鉄男氏。考え方がユニークで、切れ味鋭く、
世間大多数の真似や迎合はしたくないという個性主義が気持ちよかったから。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長年、聖書を学んできた。
神を知るには、一番有名な聖書が一番確実で早道だろうと考えたからだ。
きっかけは、誠実なエホバの証人の伝道者から聖書を教えてもらったから。
自分で言うのもなんだが、本当に人生をかけて、熱心に打ち込んだ。
しかし、インターネットのおかげで組織の実体が分かり、しずかに脱退。

聖書はいろんな訳を読んだが、全ページ読み通した邦訳聖書は5種。
最近は、聖書はほとんど読まなくなったが、今でも新約27冊・旧約39冊の
書名を「創世記」から最後の「黙示録」まで順番に言える。

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キリスト教の専門の研究書で何回も読んだのは、改革派恩寵教会の
榊原康夫牧師の著作で、氏のファンになって全部買い揃えた。
わたしの聖書理解は、氏の解釈法にかなり影響を受けている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「精神世界」は、いま最大の関心事。
人は死んだらどうなるのか? なんのために生まれてきたのか? 
そういったことが、小学生低学年の頃から一番の関心事だった。
夜、布団の中で、自分が何十年後には存在しなくなると思うと、
怖くなって、あーっと叫び声が出そうになることもあった。

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最近は「聖書」よりも、「精神世界」のほうに大きな関心を持つようになり、
関連する本を読み漁った。
この種の本は「玉石混淆」で、「石」のほうが圧倒的に多いが、
何回も読んで気に入ってるのは、
眼からうろこが剥がれ落ちたニール・ドナルド・ウォルシュ。
読んでると愛を感じて涙腺がゆるむバーソロミュー。
その他、セス、ラザリス、ラムサ、ゲーリー・レナード、葦原瑞穂など。
いまは「奇跡のコース」の発売を待ち焦がれている。
(まあ、ただ、本を読んでいるだけのレベルですが)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
タイトルの「バーソ」は好きな名前の略。
正確にはバーソロミューで、12使徒の一人バルトロマイとして聖書に出てくる。
英語のスペルはBartholomewだが、ブログでの省略形はbarsoと表記している。
バーソロミューは名前としては珍しいそうだが、姓としてはバートレット、
バートル、バルトなどがあり、神学者のカール・バルトが有名。
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コンニチワ!

すっごーい!
読書の量ですね~。

深く深く傾倒する方なんですね
なんという探究心!

私は、子供でもわかる聖書みたいな
漫画でも、全然意味が分からなくって
挫折、挫折の繰り返し・・・・・。

もっぱら、自分の口からでた言葉を
自分の耳できいてます。

それが自分から自分へのメッセージだと
想って・・・。

相手に喋っているような時でも、
自分に対して、メッセージを
送っているような時があるので、
よくそれも慎重に聞いてます。
感情的な時でさえも、
どっか冷静に自分の話した言葉は、
ちゃんと何故か聞いてます。

喋りながら、あっそうかって
すっごいいい答えを、
自分の口から発せられる言葉で、
もらって、救われる時があります。

どこまで、いっても世界は、宇宙は私だけのもの
私だけしか存在しないものだなあと、
つくづく感じる瞬間です。

唯我独尊っていう言葉は、
真実を言い表している、
最適な表現だなあ~って、
たった今関心してまります。

まあ彼がいたかどうか不確定であり、
いたとしても、その言葉が彼から発せられたかどうかさえ
私的には、疑問なんですが(笑)。
それに、彼?かさえも疑わしい・・・彼女かも(笑)。

でもいいんです、その真偽は、私の関心の外にあるのですから・・・。

その言葉が今存在しているというだけで、
なんだか救われます。
というか、今救われました。

それにしても、それにして、
貴方の枯れる事のない、
好奇心と、探究心には、
感服いたします。

長々となってしまいました~。
お邪魔いたしました!



2012/12/31(月) |URL|なりびと [edit]

なりびとさんへ。(^^)

丁寧なコメントをありがとうございます。
最初の記事を読んでくださったんですね。
私、本を読むのは早いほうなんですが、読んですぐ忘れがちなのが困ります。
それに、内容はなんとなく理解できたとしても、実践がなかなかともないなせん。

なりびとさんの、自分の口からいい言葉が出て、それを自分の耳で聞いて救われる、
るというのはすごいレベルですね。
「唯我独尊」を自分のこととして考えられるなら、それは「私=神」の意識のこと
でしょうから、もうブッダのレベルと言えるように思います。
どのようにしたらそうなれるんでしょうか。それを知りたいものです。
どうぞ来年もよろしくご指導の程お願いします。

2012/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん こんばんは♪

セス・・で検索してみたらここの記事に(^^ゞ

カメラ 50台もお持ちなんですか(゚O゚)
ビックリです~!
カメラのこと、かなり詳しいのでしょうね

カメラ壊れてからまだ買ってません。。(^_^;)
写真撮るのは大好きなのですが、メカには弱いというか。。
スマホのカメラで間に合ってますが
ちゃんとしたのもそのうち買わないと。。(^^ゞ

セス。まだ読んだことないのですが 良かったですか?
こちらのブログに少し書いてあったのを見て
買おうかなという気持ちがおおきくなりましたが
ほしい本がいっぱいありすぎて(^.^)
http://mm-maccyoman.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/03/post_a9a2.html

2014/08/23(土) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

検索でこの記事に来たのですか。日々まじめに人生を生きておられますね。(^^)v

手持ちカメラは、ほとんどが古いフィルムカメラばかりです。メカ好きなので、
写真を撮ることよりも、カメラを見たり触ったりするほうが好きなんですね。

『神との対話』は基本的な教えを分かりやすく解きほぐした初心者向けの本ですが、
『セスは語る』は精神世界をだいぶかじった人に必読の本じゃないでしょうか。
ちょっと難しいので、私は重要点に傍線を引きながら、3回ぐらい読み直しました。
死、輪廻、創造、意識、自我、多次元的な人格などの仕組みについて説明しています。
ですので、精神の平安や人生の指針を得るために読む本ではないと思います。

こんなことが書かれています。
生とは《何かになろうとしている状態》で、死とはその《何かになろうとしている状態》の過程の一部なのです。

あなた自身の関する考えの始原の力とエネルギーが、あなたの肉体像を生かしています。

あなたのすべての物質的環境も、言葉が口をついて出てくるようにごく自然に、あなたの内なる思いから表出したものなのです。人類は己の息づかいと同じほど、意識することなく自動的に物質としての対象物を創り出しています。

『カモメのジョナサン』の著者リチャード・バックは、こう言っています。
「極めて端的に言って、本書は私がこれまでに読んだ中で最も素晴らしい本の一冊だ」

この種の本は在庫切れになりやすく、再刷がされないと、古本もびっくりするほど高値になるので、買うなら早めのほうがいいように思いますが。

2014/08/24(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ありがとうございます。

丁寧に説明してくださってありがとうございます。

だいぶ前に、ほしいものリストには入れてたのですが
かなり厚くて難しい本・・というふうにレビューにあったので
敷居が高そうで躊躇してたのですが 買う気アップしました(^-^)

>ちょっと難しいので、私は重要点に傍線を引きながら、3回ぐらい読み直しました。

3回も読まれたのですね♪すごいです。

『生とは《何かになろうとしている状態》で、死とはその《何かになろうとしている状態》の過程の一部なのです。』

『あなた自身の関する考えの始原の力とエネルギーが、あなたの肉体像を生かしています。』

なんか、この行とか、ゾクゾクします♪
ちゃんとわかってるかどうかは別として(^^ゞ
なんとなく ジワーっときます^^

2014/08/26(火) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

>なんとなく ジワーっときます

そうですか。ジワーとくれば、それは自分に合ってるのでしょうね。
「精神世界」はけっこう多様な世界で、ひとによって言うことが違う場合があります。
どれもその著者の霊的次元では間違ってないのでしょうが、何かの文章がジワーと来るなら、それは自分の霊的レベルというか霊的次元に合ってるわけで、自分のハートに合ってるならそれでいいのじゃないかと思います。

もし『セス』の本が難しくても、いいなと思った言葉だけを拾い読みするだけでもいいですよね。そして今はピンと来なくても、ちょっと時間がたってから読むと、別の文章が自分に語りかけてくるということもあるでしょうし。

ともあれ、身のまわりで起きることは起きるべくして起きているのでしょうから、なにか決定するときは、《気が進むか進まないか》で決めていくといいのでしょうね。
kotorinさんは感覚が鋭いようですから、そんなこと、私が言うこともないのですが。

2014/08/26(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ブログを遡ってナナメ読みさせていただきました。バーソ様がどのような人なのか分かりました。

非常に丁寧な思考をされていらっしゃいますが、少し思い込みが激しいようにも思われます。

根底にあなたを縛り付けていた何かから逃れたい、もしくは新しい何かに縛り付けられたいという思いを感じました。

昨今流行のありのままではないですが、もっと自由に生きてみてはいかがでしょうか。あなたのブログに書かれている言葉はきっとあなた自身に向けられている言葉です。自由を訴える人は自由ではないのです。気付いたことを世の中の人々に分けてあげることはある意味ではエホバの証人のしていることと同じです。エホバの証人とコーランはどっちが正しいことを言っているんでしょうか。地球人類全員が同じ宗教だったら戦争は起こらないかもしれませんね。でも宗教とは閉鎖的なものなので人類全員が同じ宗教になることは考えられません。あるとしたらある宗教がある宗教の信者を滅ぼしたその瞬間です。でもまた既存の宗教が分派して対立が起きることは目に見えています。人と人は争うのです。歴史は繰り返すのです。

争いのない新しい世界の扉を開くのは我々です。でもあなたはエホバの証人と争っていますよね?尊重し合い、差別をなくすことが大切です。排他的な人はすべからく考え方を改めるべきだと僕は思います。

戦争のない世界を作るための戦争は是か非か。ガンジー主義者は平和を達成できるでしょうか。我々が草の根からノーモアウォーを訴えるしかないですね。ノーモアウォーを訴えていたら中国共産党が攻めてきました。どうしましょう?

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

おお、分析が鋭い。けっこう当たってますかね。

>少し思い込みが激しいようにも思われます
まあ、そうかもしれませんね。素直で、信じやすく、凝り性でもありますから(笑)。

こういう発言は相手に失礼になるので、なかなかはっきり言えないものですが、あなたは自分に相当自信がある人なんでしょう、いわゆる上から目線の態度に感心します。
私なら、ちょっとブログを読んだくらいで、見ず知らずの人に、いきなりこういう批評をすることは絶対にないので、あなたのほうこそ思い込みが激しいのではないですか。

なお、「少し」と「激しい」という言葉は対立語であり、両立し得ませんよ。
それから「思われます」という言い方。普通なら「思います」と書くべきところを、「思われます」と受身形で書くと、客観的に多くの人がそう思っていて、自分だけの意見じゃないというニュアンスになり、少々ずるさというか、嫌味を感じますが、どうでしょう。

>もっと自由に生きてみてはいかがでしょうか。
大きなお世話というものです。頼まれもしないのに、また、何の権限も資格もないのに、なぜ、そう偉そうに批評や助言までするのでしょう。不思議です。呆れます。

>あなた自身に向けられている言葉です。
まあ、そうかもしれません。大体、何かを見て何かを感じるというのは、自分の中にも同じようなものがあるからです。だから書くのです。人にはそういう傾向があるのではないですか。
また、ひとが同じ過ちを犯さないようにと思って書いている場合もあるでしょう。

>自由を訴える人は自由ではない
そういう場合もあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう。精神世界の覚者は人々に自由を語ることがあるでしょうが、その覚者は自由を得てないのでしょうか。
初めて三ツ星レストランで美味なる料理を味わった人は、その美味を実感したからこそ、その味を語りたくなるのでしょう。訴えること自体は別に悪いことではないはずです。

>でもあなたはエホバの証人と争っていますよね?
私はエホバの証人の個人の批判は一切していません。むしろ信者たちは騙されていて、かわいそうだと思っています。ものみの塔の聖書解釈や教団の運についての批判はしたことがありますが、最近はものみの塔関係の記事はほとんど書いていないと思います。

批判がすなわち争っているのであれば、こうして批評的なコメントを書いてきているのも、あなたの言葉で言えば、「争って」いる行為になり、あなたは「排他的な人」ということになり、そういう人は「すべからく考え方を改めるべきだ」ということになりますね。

>尊重し合い、差別をなくすことが大切です。
あなたはそうしていますか。こういう言い方は一見まともなようで、偽善を感じます。
それに勘違いもあります。人種や職業、性別で誰かを非難するのは《差別》になるでしょうが、考え方で異なる意見を述べるのは、単に考え方が違うだけのことでしょう。学者が学説に関して論争をしたとしても、それを差別とは言わないはずです。

>ノーモアウォーを訴えていたら中国共産党が攻めてきました。どうしましょう?
ガンジーがインドの独立を訴えていたとき、実際に英国軍が攻めてきました。その際、ガンジーに対して、あなたは排他的な考え方を改めるべきだとか、互いに尊重し合えとか、非暴力で平和は達成できない、と言ったインド人たちが間違いなく居たでしょうね。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様は他人に向かってこう生きた方がいいと発信していらっしゃるのに、自分がどう生きるべきかを人から言われると怒り出すのですね。自分の生き方に口を出すなと言いたいのですね。

僕はバーソ様とは少し考えが違っていて、他人の一見すると余計なお世話の中に、意外にも生きるヒントがあるんじゃないかなと思っています。だからバーソ様のブログに関心を持ちました。

バーソ様がもっと自由に生きてみてはいかがでしょうかというのが私の考えです。考え方はいろいろあるから面白いですよね。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

失礼な人の言うことは聞きたくないと耳を閉ざすと、もしかしたら人生損しますよ。というのが僕の考え方です。

バーソ様はよりよく生きることよりも、自尊心を満たすことを何より大事にされているとお見受けしました。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

失礼な態度、尊大な態度で嫌な思いをさせてしまったこと謝ります。それは本意ではありません。ごめんなさい。

バーソ様とは違う考え方があるということをお伝えしたかっただけなのです。それはバーソ様が自分の考えを他人に伝えたいと思いブログを書く行為と動機を同じくするものと思います。

そしてちょっとした悪戯心から、余計なお世話なことを承知で、バーソ様の気付いていないこと、問題にしていない問題を暴きたかったのです。失礼いたしました。

2014/11/29(土) |URL|わほマン [edit]

僕の信じるものを、バーソ様の信じるものにぶつけて、僕が何を信じたらいいのか見つけ出したかったのです。荒っぽい手段をとってしまったことを今は恥じています。恥ずかしくて死んでしまいたいくらいです。バーソ様に対してこう生きろなどと言うつもりは本当は毛頭ありません。私はこう思うのだけどおかしいところありますかと聞きたかっただけなのです。おかしかったらバーソ様は反発するはずと考えたのです。

だから僕は不毛な論争ではなく、有意義な論争がしたかったのです。失礼な僕に対して丁寧に返信とお説教してくださったバーソ様を僕は尊敬し、敬愛します。

バーソ様の熱心な信仰を前に、僕の虚無思想はまだまだ薄っぺらいものだと分かりました。僕はこれからも神を信じませんが、そのぶんこれからもしっかりと自分の力を信じて、自分の幸福について自問自答していきます。そのときにもしかしたらどこかの神様を信じるという道を選ぶときが来るかもしれません。

僕は神を信じる人を、自分を信じずに、神の愛にすがって生きていると考えています。それを悪いとは思いません。僕は神の愛にはすがりませんが恋人や家族の愛にはすがっている部分があります。だから信仰も似たようなものなのだから悪く捉えてはいけないと思いました。

でもお金を集めるために、宗教法人や教会が、人に向かってお前は弱いと言いくるめて、救われるのには宗教が必要です、お布施をしなさいというマインドコントロールの手段として宗教を用いるのは、良くないことだと思います。これはバーソ様と立場を同じくするものと思います。

人をマインドコントロールし、人を過った道へと導き、お金を集め、他教や他人を尊重しない宗教は、やっぱり間違っていると思います。マインドコントロールされずに、他の信者に圧力をかけられずに、他の宗教や他人を尊重したうえで、お布施をする分には構わないと僕は思っています。

そして、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教の排他性が、戦争や対立や差別の原因となっていることが僕は大いに問題ありと思っています。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

もうご承知のように、私は「考え方はいろいろあるから面白い」と思っています。
その意味は、ひとの見解は尊重する、そういう見方もあると思う、ということです。
あるいは、たとえ尊重できないとしても、わざわざ出向いていって、その人に直接、批評や批判を言うなんてことはしない、ということです。

>他人に向かってこう生きた方がいいと発信していらっしゃるのに、自分がどう生きるべきかを人から言われると怒り出すのですね。自分の生き方に口を出すなと言いたいのですね。

もしあなたが謙遜に、気遣いを示しながら、そうしていたのであれば、私は間違いなく感謝したでしょう。それが大人の礼儀というものですし、私の性格でもありますから。

ですが、あなたは、自分の見解を述べただけでなく、私の人格・性格から、私の個人的な生き方(私の自由であるはずです)についてまでも、高みに立った言い方で、ぶしつけに 偉そうに分析し、批評し、批判しました。「あんた」という言い方なんか、酷いものです。
その傲慢さ無礼さに対して、まあ、怒っているというか、不快に思っているのですよ。

聖書の中に、パリサイ人という特権階級の人たちが出てきます。彼らは自分は義人だとうぬぼれ、他の一般の人々を見下げていたので、温厚なイエスから「まむし(悪魔サタンの意)の子孫よ」と厳しい言葉で、強く叱責・非難されました。
私は何十年も聖書を学んだせいもあり、一番嫌いな人種は、たとえ行いが立派であったとしても、そういう独善的で尊大な性格の人なんですね。
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>悪い考え方を持っているだけなら構わないのですが、それを社会に対して発信されている場合、それが社会を変化させてしまうような気がして嫌な気分になります。

ここにあなたの動機が表れています。自分が嫌な気分だから人を攻撃しているのです。自分が嫌な気分だから、それを解消するために私に争いを仕掛けているのです。あなたの言い方を借りれば、これは「排他的」であり、「すべからく改めるべき」ではないですか。

大体、正邪・善悪の絶対の規準というのが、この世の中にはありますか? 無いでしょう。
皆、過去に知った多くの情報の中から、自分が正しいと思えることを選んで、それをただ自分の信念として信じているに過ぎません(だからイスラム圏の土地に生まれた人は、その環境の影響を受けていて、その正邪の倫理観が自分の信念になっているのです)。
大体、自分の考えが正しいと思い込んでる人は考えの浅い人です。あなたは自分の考えが絶対正しいと証明できますか。世界でそれができる人はいないはずですよ。もしできていたら、他の人の考えは現われないはずですから。

絶対の正しさなんてものはありません。なのに、おまえの考えは悪い(自分は正しい)。 それを社会に発信させているのは悪い、と決め付けるのはふさわしいことですか。

それこそ独りよがりの偏った考えであり、それを「独善」と言い、そう尊大に思う人を自称「義人」と言うのです。 あなた自身も「宗教の排他性が戦争や対立や差別の原因となっていることが僕は大いに問題ありと思っています」と言ってますね。 宗教以外の思想についても同じことが言えるはずです。

マホメットを批判する奴は殺せとか、魔女や同性愛者は殺せと考える人や、極左にしても極右にしてもキリスト教原理主義者にしても、彼らはみな自分が正しいと強く信じ込んでいます。こういう唯我独尊的な思考が、世界に争いや憎しみを生み出しているのです。

ブログの場合は、マスコミ宣伝と違って、多くの人に半強制的に発信しているのではありません。見たくない人、関心のない人は、見ない自由があります。見たい人だけが訪問します。見たい人は同じような意識や見解を持っている人です。冗談が半分以上もあるような、私の零細ブログが社会を変化させることは、まずないでしょうね。私は、私のブログを面白いと思う人と付き合ってるだけ。狭い世界で交流を楽しんでいるのですよ。
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>失礼な人の言うことは聞きたくないと耳を閉ざすと、もしかしたら人生損しますよ。というのが僕の考え方です。

なんと、まあ、独善的で思い上がった言葉でしょう。自分の考えはおまえの人生にプラスになるのだという傲慢な態度、それが大嫌いなんですよ。不快なんですよ。ほんとに大きなお世話です。私の言ってること、分かりますか。あなたは自信過剰過ぎで、僭越です。

じつは私は、ひとと意見を述べ合うのは嫌いじゃありません。相手が敬意を持って、謙遜に自分の意見を言ってくるのであれば、それは真摯なことですから、こちらも敬意を持って真面目に対応します。

以前にも、ある人と意見のやり取りを何度もしたことがあって、長くなるので、そのために専用ページを設けたことがあるくらいです。私は、ひとから異なる意見を言われただけで怒ったことなど一度もなく、多少偉そうにする人であっても、怒らずに、丁寧に答えています。聖書関係のコメント欄を見れば分かります。

私は、ひとから、立派で正当な意見を言われて、怒るタイプではありません。なるほどそうか、そういえばそうですねと納得し、むしろ自分より頭のいい人を尊敬するほうです。

ですが、無礼で傲慢で独善的な人は別です。そんな人とは論争したくありません。不愉快な思いをするだけで、不毛です。そういう人は大抵、相手への気遣いに欠け、ネチネチとしつこくて、素直でなく、そういうことも私の肌に合いません。ですから、そんな印象を受ける場合は、返信を二度として欲しくない、と最初に相手に言うのですよ。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

あなたからは最初、一挙に25件もコメントが来ました(この数も異常です)。
14/11/28の私の返信で「私のコメントに対して反論があっても返信はしないでください」と書きました。なのに、あなたは私の言葉を平気で無視して、また20件も書いてきました。

2回目までのコメントには返事をしましたが、3回目のあなたからの再返信にはそれぞれ返事を書く意欲が出ません。ストーカーのようにしつこくされるのは嫌いなんです。キリがありません。今後、また《再返信》があれば、すべて削除させてもらいますよ。

上の2つの返信は少し誠実そうな文章で、あなたの思いの変化が出てるようです。
ただし「恥ずかしくて死んでしまいたいくらいです」というのは嘘でしょう。
変化があるのはいいことです。私も言い過ぎたかもしれません。多分、あなたは私の鏡のようなもので、ある意味で教師なのでしょう。でも、せっかく書いたので、このまま出しますよ。

2014/11/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私は合理主義者なのです。思ったままにコメントすれば自分の課題が見えるはずだと思ってコメントしたまでです。現にいろいろと課題が見えました。私自身の生き方もこれをきっかけにすこし変わっていくような気がします。

あなたは尊大なものに対して排他的ですね。尊大なもの同士、排他的なもの同士は相性が悪いようです。

私は尊大ではありますが排他的ではありません。私はあなたともう少し絡みたかったですが、あなたが出ていけとおっしゃるのでもうコメントしません。お世話になりました。ありがとうございました。

2014/11/30(日) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ。

もう読まないでしょうが、私としては一応返事をして、このやり取りを終わらせます。

>私は合理主義者なのです。思ったままにコメントすれば~
人と議論するスキルが無いようですね。他の意見に異議を唱えるときの良い方法を教えましょう(新約聖書の中で使徒パウロがフィレモンに書いた手紙が模範ですが)。
①まず相手の《見解》の良い点を探し出して、偽りなく率直に褒めます。 ②それから言葉遣いに気をつけながら謙遜に自分の異見や異論を述べます。大事なのは、謙遜さと相手への気遣いです。それから次に自分の論議の質なんですよ。

相手の感情を思いやっていることが相手に通じれば、道理を心得ている人であれば怒ることはありません。しかし尊大な言い方をすれば、その無礼を相手は不愉快に思い、相手も厳しい言い方で言い返してくるでしょう。

>あなたは尊大なものに対して排他的ですね。
私は「考え方はいろいろあるから面白い」と言っています。ですから意見の違いや、生き方の違い、好みの違いなどは、当然ながら、有っていいものだと思っています。

しかし、《他の人に対する態度》はいろいろあって面白い、とは言ってません。
尊大な態度でひとを見下したり、馬鹿にしたり、意地悪をしたり、批判したり、攻撃したりする態度は、言うまでもなく、面白いとは思いません。
むしろ付き合いたくないので、そういう意味では確かに「尊大な者に対して排他的」です。なぜ尊大で傲慢な人間と付き合う必要があるのでしょう。

私が尊大な人間を嫌う理由は、イエスが嫌ったように、偽善者パリサイ人が大嫌いだからです。そのような尊大な独善者を散々見てきたからです。
自分が頭がいいとか、円熟してるとか、正しいと思っている人は、独善的になりがちです。思い上がっている人は、自分と違う意見の人や生き方の人を見ると、裁いたり、見下したり、非難したり、助言したがります。それは自分が義なる証拠だ、と勘違いしています。

私は、そういう尊大さだけは持たないように、今まで何十年も気をつけてきたつもりです。
ですから、尊大な人や失礼な人から何か不当なことを言われても、言い返したことはただの一度もありません。我慢し、許し、怒り返さないようにしてきました。本当です。
ですが、現在は、ああ、あのとき言い返しておけばよかった、相手の間違いや失礼を指摘しておけばよかったかと、昔を思い出して悔やむことがたまにあります。(笑)

今でも基本的には人とは争わず、ひたすら耐えて辛抱するほうなんですが、でも、このたびのように、歳は私よりだいぶ若いだろうくせに、あんたとか、あなたという失礼な呼び方をして、偉そうな物言いをする人がいると、今は、このように厳しく言い返したくなります。
でもね、じつを言うと、私もあなたのような人とは、知的に《絡みたかった》のですよ。

私のことですが、子供の頃から、自分ほど頭のいい人間はそうはいないと思ってました。
ところが、世間に出て気が付きました。世の中には頭のいい人がうじゃうじゃいるのですね。大きな勘違いをしていました。笑っちゃいますね。
自己を分析してみると、自分の中には本質的に尊大な性質があるのでしょう。だから、ひとの尊大さに敏感に感じるのだろうと思います。なるほど、「尊大なもの同士」です。ただ、ね。この何十年間、ひとに対して尊大な態度を取ったことは一度もないですよ。本当に。

>私は・・・排他的ではありません
そうすべき必然性もないのに、わざわざ出向いていって、ひとを攻撃し、その考え方を改めさせようとするのは排他的だと思いますがね。でも、長くなるので、これ以上 言うのはやめておきます。
なお、「出て行け」とは言ってませんよ。ネチネチされるのが嫌なので、また「再返信」があれば削除すると言っただけです。

2014/12/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

中空構造日本の深層


「100分de日本人論」(3-1)・中空均衡構造

2015年01月28日 | 哲学



 第三章は心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』です。『中空構造日本の深層』についてははるか昔に紹介したように思いますが、昔から河合隼雄先生の著書に触れてきました。

 第四章で登場する中沢新一さんが、その中で紹介している鈴木大拙著『日本の霊性』の思想は、この河合先生の日本の中空構造をさらに深めたものではないかと話されていましたが興味を持つ話です。

 さて番組第三章冒頭斎藤さんが冒頭に「中が、がらんどうの構造をもっている」と話されましたが、この言葉は印象に残る言葉です。

 スイスのユング研究所に学び心理療法を日本に根づかせた河合隼雄(1928~2007)。と紹介されましたが、個人的にユング心理学が好きで河合先生の影響によるものです。

 しかし世の中にはトコトン、ユング心理学を嫌いな人がいるもので今回は、河合隼雄先生、中沢新一さん、そして斎藤環さんの思想を批判する方の話から紹介したいと思います。

 サイトで調べると比較文学者、評論家、小説家という小谷野敦(こやのとん)が5年ほど前に書かれた『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)にその批判が書かれています。

<『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)>

学問的ではないユング心理学

 ところでユング心理学というのは、神話学を普遍化するという面が大いにあって、だから河合(隼雄)は、物語の類型が顕著に現れる童話、ファンタジーなどを分析していたのだが、そこでたとえば、日本神話のスサノオについて、吉田敦彦(1934~、神話学、学習院大学教授)、湯浅泰雄(1925~2005、倫理学、筑波大学教授)と鼎談『日本神話の思想 スサノヲ論』(ミネルヴァ書房、1983)というのをやっている。吉田は、フランスの神話学者ジョルジュ・デュメジルに学んだまともな神話学者だが、湯浅は、元和辻哲郎系の哲学、倫理学者ながらユングにのめりこみ、とうとうオカルトになってしまった人である。

 ここで、日本神話の中から、暴れ者のスサノオがとりあげられて、母の国へ帰りたいと泣き叫び、乱暴を働き、姉の神であるアマテラスが天岩戸に籠ってしまう原因を作るこの男神が「バイトゴゴ」と呼ばれる神話の類型である、と言われていて、それはいいのだが、その後、日本人にはスサノオ性というのがあって、それが太平洋戦争のような無謀な戦争を引き起こしたのだと言っている。

 どう考えたって、この論理展開は荒唐無稽である。比較神話学の世界で、スサノオのような存在はほかにもいると言われているのに、なんでそれが日本人の特性になったり、果ては太平洋戦争になったりするのか。これは紛れもないトンデモ本で、しかしけっこう売れたらしく、あとで新装版も出ている。いくらユングにやられた二人が加わっているといっても、これはひどい。しかし、80年代というのは、中沢新一のオカルト本がブームになったり、浅田彰が、
トラウマはトラとウマに別れて走り去る、などという冗談を、大真面目に紹介していたり、そういう学問的トンデモの時代だったのである。

 ユング心理学というのは、こんな風に、神話を調べて、それを無造作に現代人に当てはめたりするから、まともな学問扱いされないのだが、河合などは、82年に『中空構造日本の深層』(のち中公文庫)というのを出しているが、これは日本神話の三神、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを取り出して、ツクヨミは正体がはっきりせず、中空構造であって、日本文化にはこの中空構造が深層としてあるというのだが、実にバカバカしい。こんな途方もないことを言っていて、大学者扱いされるのである(ただし、学問を重んじる日本学士院などでは、河合などは相手にされなかった)。

 ユング心理学がオカルトであることは、リチャード・ノルの『ユング・カルトーーカリスマ的運動の起源』(月森左知、高田有現訳、新評論、1998)と『ユングという名の〈神〉ーー秘められた生と教義』(老松克博訳、新曜杜、1999)に詳しい。しかし後者の訳者・老松(1959~はユング心理学者、大阪大学人間科学研究科教授で、『スサノオ神話でよむ日本人ーー臨床神話学のこころみ』(講談杜選書メチェ、1999)などを出しているのだから、ノルの本を読んでも、ユングを信奉している人が反省するというわけではなさそうだ。

 しかしユング心理学者が阪大教授をしているというのも、やはり阪大ならではで、京大にはれっきとした精神分析学者がいるし(新宮一成と立木康介)、関西はこういう非学問に甘いようだ。東大の心理学研究室や医学部には、私の知る限りフロイトや、ましてやユングをやっている人などいない。ただ文学研究者で、精神分析、特にラカンなどをやっている人はいる。
 
 しかし東京だからといって油断はできない。「心理学者」というよりエッセイストの香山リカは、立教大学現代心理学部教授だし、明治大学文学部には、歴然たるオカルトであるトランスパーソナル心理学を専攻する諸富祥彦がいる。もちろん、多摩美大には、オカルトブームの帝王とも言うべき中沢新一がいるし、亜インテリに人気のある茂木健一郎なる「脳科学者」もオカルトだし、その茂木を「擬似科学」と批判している斎藤環も、フロイト派だから、学問的とは言えない。

 断っておくが、書店へ行って『対人関係の心理学』とか『恋愛の心理学』とかいう本がたくさんあっても、それらはみな「通俗心理学」であって、学問としての心理学ではない。東大の心理学研究室でやっているのは、そんな大衆の興味などまったく引かないような、知覚のメカニズムの実証的、実験的、科学的研究である。
 
もちろん岸田秀や小倉千加子のように、そんな心理学などちっとも面白くない、と思うのは自由だし(ただし小倉は神戸大学で医学博士号をとっている)、たとえば河合隼雄が「箱庭療法」の第一人者だといわれたように、科学性には乏しくても、セラピストやカウンセラーの存在が無意味だというわけではない。誰にも言えない悩みを抱えている患者の話を聞いてあげるだけでも意味があるし、実際には家族に問題があるのに、そのことに気がついていない患者に、それを気づかせたり汁なら、科学性が乏しくとも、いいカウンセラーだと言えよう。いわば、職人なのである。

 近代になっても、人はなかなか非科学的な迷信とは手を切れなかった。だから今では、大学で博士号をとった女性が、鏡リュウジのオカルトを信奉していたりするが、それは、若者がダメになったからではなくて、そういう若者までが博士号をとるようになった、というのが正しいのである。

 東北大の工学系大学院を出た後藤和智は、『おまえが若者を語るな!』(角川oneテーマ21、2008)、宮台真司、香山リカらの「俗流若者論」を批判したが、論旨はおおむね正しいとしても、やや倫理的な怒りが前面に出ているのは、営業戦略だろう。若者批判であろうが礼賛であろうが、学問としてダメなものはダメなのである。そういう意味では、後藤と共著を出した東大教授の本田由紀の論にも、おかしな所はある。
(同書p37~p41から)

以上の長い引用になりましたが、中に書かれている、

「日本神話の中から、暴れ者のスサノオがとりあげられて、母の国へ帰りたいと泣き叫び、乱暴を働き、姉の神であるアマテラスが天岩戸に籠ってしまう原因を作るこの男神が「バイトゴゴ」と呼ばれる神話の類型である、と言われていて、それはいいのだが、その後、日本人にはスサノオ性というのがあって、それが太平洋戦争のような無謀な戦争を引き起こしたのだと言っている。」

「日本神話の三神、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを取り出して、ツクヨミは正体がはっきりせず、中空構造であって、日本文化にはこの中空構造が深層としてあるというのだが、実にバカバカしい。」

は、第三章を反義的によく語っていると思うのです。ある人にはそう見えるし、ある人には正反対に見える。如実に現われている、ありのままの事実です。

 私がそう思うだけの話ですが、ある意味第四章の「日本の根源にあるもの」人類学者 中沢新一さんが選んだ名著鈴木大拙著『日本的霊性』から見えてくる「日本人論=無分別の活用」にも複雑に絡んでくる話しです。

 日本神話から日本人の精神と社会の特徴を読み解いていく、そこに河合先生は中空構造を見出してゆくのですが、「心と神話には関係があるのか」という竹内陶子アナの問がありましたが、実にいい疑問です。

 「想像力に形を与える」それが神話・物語の役割

 「そこにはフィクションかも知れないが普遍的な構造を持っていて現代の我々にも連綿として受け継がれているもの。」

 「神話の構造を分析すると現代日本の国民のあり方にもかなり大きなヒントがあるかもしれない」

と斎藤さんは語り、古事記の神の話に入ります。

 『古事記』という書物は本居宣長が『古事記伝』という形にするまでは、注目された神話ではありませんが個人的に、郷土史研究や古神道、民間信仰、また各地に残された神社の祭神研究をする中で大いに日本人の精神の形成、思想の形成に係わる書物だと思います。

 河合先生のこの『中空構造日本の深層』も当初から読ませていただき私自身の思想形成にも大きな影響を与えていると思っています。今回この番組をきっかけに『中空構造日本の深層』を再読してますとさらなる学びがありました。1月早々にとてもいい番組に出会ったものです。

<『古事記』神話における中空構造>



上記のパネルで語られる三神構造、松岡正剛さんの話しの後に中沢さんが、

【中沢新一】二元論だけでは世界はできませんよ、その奥にあるものがあって、だから三項必要でなんで、宇宙を作るには・・・。リアルに出ているのは天地、海彦山彦なのだけれど本当の根元は、バーチャル、日本の神話思考は。

【伊集院光】それを白黒で言うと「灰色なのか?」、白黒で言うと「無、無色のことなのか?」・・・。

【中沢新一】あらゆる色を生みだすものですね。

【松岡正剛】西洋の神は「在る」神だけれど日本の神は「成る」神で真ん中の神は、無いわけでもない。

【斎藤環】 作家の中上健次が「うつほ」という概念にこだわって『宇津保物語』という日本最古の長編小説があるわけですが、樹の「空(うろ)」の話です。その中でことなどを奏でる話で、それに近い話かと思う。中上さんは「うつほ」とはいろいろなバイブレーションがこもる場所だと言っている。中空だが色々なものが生成されてくる場所なのです。そういった意味では全くの空っぽではない、というところが一つの特徴といえるかもしれません。

【ナレーション】日本神話の中心は空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。

短い4人の方々の対話の中に見えてくるのが正反合の弁証法の世界。

【斎藤環】 日本は三項がバラバラをとりながら均衡して進展してきている。

【伊集院光】二つだとどっちかがどっちかを亡ぼす形になるけれども、日本てぇ「まぁまぁまぁ」みたいな感じでずっと、こうなんとなく、白黒をあまりつけない行くという、神話のときから日本人の心の構造としてあるんだよと。この具体的なメリットとは何ですか、中空構造であるが故(ゆえ)の?

【斎藤環】ドンドン外来のものを取り込んでくるんですけれども、外来のものは外来のものだというレッテルを貼って共存していくのですごく柔軟なのだけれども一方で日本文化的なものも並行して温存されていく、けっこう器用なシステムになっていると思う。外来物(ぶつ)に圧倒されるのではなく、かといって排他的になるのでもない、何か調和しているといった感じですね。。

【赤坂真理】もしかして自然発生的にそっちの方を人間は取りやすいと思ったのですが、一神教は危機の時代に出てくる、ちょっと飛躍があるので、もしかして自然状態で・・・。

【中沢新一】自然状態だとこの思考方法が一番合理的にこの真ん中の中空といわれている部分があると、例えば対立したものがあると、その対立したものを中間領域に持ってきて、お互いの間でネゴシエーション(妥協を図る)ということが行なわれる。自分と違うものを排除するのではなく、相手の原理を内の中に入れてくることが可能になってくるのがこの真ん中の部分で、大きなことを言うと日本列島にはもともと縄文人がいたわけです。そこへ倭人というものが稲を持って入ってきてそれで今の日本人を作ってきた。争いの痕跡があまりないんです。それは縄文人が弥生式の技術を受け入れてるんですね。弥生といわれている倭人の連中も縄文の連中の神さまの考え方を受け入れているわけですね。ハイブリットを必ず形成していくというように日本人形成がもう3000年前からこれが行なわれている。
 ところがユダヤ教の場合は、モーセの、聖書を見ていると反対者を排除するどころか虐殺したりして、大変な苦難の歴史をたどっているから自分たちのユダヤ教という考え方と違う要素が入ってくることを許さなかった歴史がある。

【伊集院光】これがそもそも日本人論の主張として僕が興味深いところは、「平和ありき」の日本人であるという誇らしい部分が一つと逆に言うと戦いには弱そうだなぁ・・・。

【斎藤環】ただ敵のタイプによると思いますが、先のネゴシエーションして取り込んでしまって吸収消化してしまうということもひょっとして得意なのかも知れない・・・・。

【伊集院光】まぁまぁ上がってご飯でも食べてというようなぁ・・・。


<日本社会と中空構造>(日本の政治に見る中空構造)

【斎藤環】政治に絡めていうと二大政党制がなかなか成長しなかったとか、・・・そのようなことに関係してきますし、政治的なことを決定するときに、誰かが主体的に決めないでそこを空気に任せてしまう。御神輿も一人ぐらいぶら下がっていても分らないという感じで、話だけがドンドン荷台だけが進んでゆく、これも誰が運んでいるのか分からないが何となく事態が動いていくみたいな、これはまさに中空構造です。まさに中心がいないわけですから。特に戦後の政治状況にはよくあったなぁという感じがあります。

【伊集院光】悪い方でいうと何か事が起こって誰が責任を取るのだという(話になって)『俺言ってねぇよ。』というような・・・。

【斎藤環】リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、あんまりいろんな人が中心にくるということは少なくて、どちらかというと傍に・・・参謀が優秀で真ん中は空っぽで、参謀が動かしているモデルが日本型リーダーシップだと言われますよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が、第三章心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』の前半の話で、日本の神話における中空・均衡構造と西洋型の中心統合構造の対比から見えてくる日本人論です。

『中空構造日本の深層』のⅠ「『古事記』神話における中空構造」の中で河合隼雄先生は次のように書いています。

<河合隼雄著『中空構造日本の深層』中公叢書から>

 日本の神話では、正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造になっている(同書p40)。

上記の対話の中にも出てきた正・反・合の話です。排中律を超える論理の段階が語られているように見えます。円環的な論理構造には円相の禅的世界があるようにも見えます。

 個人的には「<あいだ>を開くレンマ的論理」という山内得立先生の『随眼の哲学』を思い出します。

2015/09/06(日) |URL|milestone [edit]

Re: 中空構造日本の深層

milestoneさん ありがとうございます^^)
 おおおおおお、エディターにコピペして原稿用紙として文字数を数えたら、なんと40字詰めで263行の長文論文。拙ブログでは新最高記録の長文コメントですよ。(@_@) あ、ありがとうございました。書くのに時間掛かったでしょう。

 批評や反論や率直な感想を書いてほしいものだとは言いましたが、こんな難しい学術論文を書かれると、ついていけません。あー、困った。ちょっとはひとの頭のレベルというものを考えてくださいよ(~_~;)

 内容の濃さたるや、一度読んでも分かりません。これはじっくり3,4回以上読んでみます(そのぐらいじゃまだ分からないような気もしますが)。

 心理学は20代のときフロイトとユングに興味を持ち、15年ぐらい前にラカンの本を1冊読んだことがあります。フロイトとユングは何でもかんでも一つの深層心理の《仮定理論》に結び付けようとするところがありますね。ユングの集合的無意識の話は、昨今流行っている精神世界の考えと関連があって面白いと思います。ともあれプシュケーについては、肉体を持つ人間にはなかなか正解が見つからないような気もしますが、でもそれがまた面白いのでしょうが。

 古事記はそもそもつまらない神話に過ぎないと思っていたので、そこに日本人の精神のバックボーンを見出せるなどとは思っておらず、のちに聖書を知ったせいで神話には価値があるとは余計思わなくなりました。
 でもじつはそうではなく、かなり奥が深そうです。神道関係の本や神道系の精神世界のサイトを見るとそう思います。「日本神話から日本人の精神と社会の特徴を読み解いていく」というのも面白そうです。

 「100分de日本人論」はNHKの放送みたいですね。最近はテレビはほとんど見なくなりました。1時間半の映画を観るのもおっくうです。特に明確な理由ないのに、なにか追われているような気もあります。集中できないというか、いろんなことにあまり関心がなくなりました。歳のせい、いや、個性かもしれません。
 検索したら、こんなのがあったので、これもそのうち見てみます。
https://www.youtube.com/watch?v=XkOJzpg5S74

 読む本はいっぱいあって、今はヘッセの『シッダルダ』を読んでます。その前は『一九四六年憲法ーその拘束』なんて難しいのを読んだばかり。長年聖書以外に読んでいなかったので、新しい知識に追いつくのが大変です。

 今日のところは軽い感想も書けそうもないので、これぐらいでお茶を濁させていただきますが、マイルさんがこの方面にそんなに精しいとは! 驚きました。いま居る場所では、こんな話はできる相手がいないでしょう。もったいない。ブログはまだ開設してないのですか。これも、もったいない。

 「中が、がらんどうの構造をもっている」とは面白そう。河合隼雄著『中空構造日本の深層』は図書館に予約しました。また読む本が増えたわ。(笑)

2015/09/07(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あのー 僕はヘタレです

100de名著について 書かれてあったのは最近知った「思考の部屋」のブログ http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/cd08a8a7a781e02c763171f635132499 をコピペしただけす
申し訳ありません 私がこんな高尚な思考をできる分けありませんよ v-16

2015/09/07(月) |URL|milestone [edit]

Re: あのー 僕はヘタレです

milestoneさん ありがとうございます^^)
あー、よかった。安心した。と言うべきか、なんと言ったらいいか、ともかく相当重圧になっていたので、ひとまず肩の荷が降りましたよ。(笑)

今度はなるべく噛み砕いて、易しいのをお願いします。駄洒落入りぐらいのレベルのほうが私には適切ですので。でも見つかった動画のほうは見てみます。

2015/09/07(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

milestoneさんへ。

山本七平『日本人とは何か』。ざっとですが読みました。
あまりの多量な資料で、ひと言では感想は言えません。
こんなことは学生時代に習いたかったなあ、と思いましたよ。
家康についての見方がかなり変わりました、というか、社会というのは突然に変化が生じるのではなく、そこに至る経過があるのだということが分かりました。
歴史というのは後から見るとよく分かるということも分かりました。
先見の明が有る人は、過去からの社会の変遷を知っている人なのでしょう。
日本民族の、いい意味での特殊性というようなことも感じました。 
以上、とりあえず読書の感想です。

2015/09/13(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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