「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 メメント・モリとは死を想い、生を思うことである。 

私には、覚えておくべきなのに、普段よく忘れていることがある。

そのことを人生で一番強く意識したのは数年前、要手術と言われたときだった。
しかし術後、ガンではなかったと言われ、そのテンションは薄れてしまった。

その覚えておきたいことは、ラテン語で「メメント・モリ」と言われている。
memento moriは「死を想え」の意で、《いずれは自分自身も死ぬ》という警句。

中世の修道士たちが挨拶をするときに、決まり文句として口に出したそうだ。
キリスト教徒が天国の至福に思いを馳せるきっかけになる言葉でもあった。

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Carlos Schwabe, La Mort du Fossoyeur, 1893.

旧約聖書は、人が《死》を心に留めるのは良いと言っている。(伝道の書7章2節)

 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
 そこには、すべての人の終わりがあり、
 生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。


今回は「メメント・モリ」に関連する奇妙な絵画と音楽の話から……。


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 幸福を得るための『猿の手』という選択肢。 

何を隠そう。私バーソは二重人格かもしれない。
じつは子供の頃から、自分の心の中には、別の者が一人いた。

例えば道路で段差につまずくと、私は、あ、痛っ!と素直な反応をするのだが、
もう一人は、このニ三日なにか悪いことをしてないか※1と小さな声で言うのだ。
            ________
  
失敗や災難などがあったときには、二種類の受け止め方があるだろう。
・偶然だと考える人は、単に出来事が起きただけと思うかもしれない。
・必然だとみなす人は、人には運命はおおむね定まっていると思ったり、
 目に見えない存在から何かしらの教訓が与えられていると思うかもしれない。

tumblr_moi0nvXrET1so1fr6o3_1280.jpg出典
Bostock’s Consul the Chimpanzee, 1908-1910

願いは三つ叶うが、代償として災厄も付随する『猿の手』という短編小説がある。
どうしたら不幸は避けて幸福だけを得られるか、と調子のいいことを考えたい。

 ミレーの『落穂拾い』は旧約聖書の『ルツ記』による。 

(ミレーとトランプは馬が合うか)

今から三千年以上前、イスラエルのベツレヘムに、ナオミという貧しい女がいた。
ナオミ・ワッツとは違う、ナオミ・キャンベルとも違う、ごく平凡な女だった。

しがない女ナオミは、飢饉で異国モアブの地にいたとき、夫と息子に先立たれる。
やもめのナオミは、息子の嫁だったモアブ人のルツに、実家に戻るように言うが、
嫁ルツは、姑のナオミの故郷に一緒に行くと言って、ベツレヘムにやって来る。

ルツは、ボアズという男の畑で麦の落穂を拾(ひろ)わせてもらい、姑の面倒を見た。
ボアズは、異国人ながら献身的なルツの姿に心を打たれ、彼女を妻にする。※1

“Ruth in Boaz's Field” Julius Schnorr von Carolsfeld 
夏ニコラ・プッサン1660-64年
赤い衣服のボアズが畑の管理者からルツについて説明を受けている。ルツ記2:5-7

こうしてボアズとルツからオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、エッ
サイからダビデが生まれ、ダビデはイスラエルの傑出した王となり、その千年後
の子孫に大工ヨセフが生まれ、その妻マリアからキリスト・イエスが生まれた。

さあ、このルツの話は、ミレーとトランプに関係がありそうな話になりますよ。


 人を呪わば、墓穴は二つか、一つか。 

「墓穴(ぼけつ)を掘る」という慣用句がある。
自分の誤った行ないが原因で自らを窮地に至らせることの譬えとして使われる。

「人を呪わば穴二つ」という慣用句がある。
人を呪い殺せば、自分に跳ね返り、墓穴(はかあな)が二つになるという意味だ。

しかし人を呪い殺しても、殺し返されることはまずないので、墓穴は一つで済む。
では「人を呪わば墓穴墓穴はかあな ぼけつ一つずつ」のほうがより適切ではないだろうか。(笑)

何にせよ、人を呪い殺そうとする人間は、穴があったらすぐ入ったほうがいい。
人を呪う気持ちは恥の極みであり、心爽やかでいられるはずがないのだから。

The Bride
The Bride by Erté1

呪いと言えば、藁(わら)人形に五寸釘だが、江戸時代に面白い話がある。


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