「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 メメント・モリとは死を想い、生を思うことである。 

私には、覚えておくべきなのに、普段よく忘れていることがある。

そのことを人生で一番強く意識したのは数年前、要手術と言われたときだった。
しかし術後、ガンではなかったと言われ、そのテンションは薄れてしまった。

その覚えておきたいことは、ラテン語で「メメント・モリ」と言われている。
memento moriは「死を想え」の意で、《いずれは自分自身も死ぬ》という警句。

中世の修道士たちが挨拶をするときに、決まり文句として口に出したそうだ。
キリスト教徒が天国の至福に思いを馳せるきっかけになる言葉でもあった。

tooo.jpg
Carlos Schwabe, La Mort du Fossoyeur, 1893.

旧約聖書は、人が《死》を心に留めるのは良いと言っている。(伝道の書7章2節)

 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
 そこには、すべての人の終わりがあり、
 生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。


今回は「メメント・モリ」に関連する奇妙な絵画と音楽の話から……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
死の舞踏。死神は、金持ちと貧乏人を等しく連れ去っていく。

人間は、貴族も僧侶も職人も農奴もみな、身分・貧富の差なく、最後は土に還る。
西暦14世紀、ヨーロッパ全土でペストが大流行し、人口の3~5割が死んだとき、
教会は、誰にも訪れる《死》に備えよとして「メメント・モリ」を信者に説いた。

しかし百年戦争の最中でもあり、人々は死への恐怖と生への執着で半狂乱になっ
て踊り続け、この集団ヒステリーの様相は《死の舞踏》と呼ばれるようになった。

中世のキリスト教世界では、《死の舞踏》というテーマは徳化された意味合いで
絵画や音楽、文学の分野など、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきた。
ヨーロッパの古い教会には、骸骨の絵画や彫刻が多く飾り付けられているそうだ。

danse.jpg
La danse macabre、Leonie Justin Alexandre Petit(1875)


kjkjs.jpg
The Dance of Death、Michael Wolgemut (1493)


ihrtyk.jpg
Danza macabra,、Jakob von Wyl (1586-1619)



私はおしゃれもダジャレも好きだが、しゃれこうべはじつはかなり好きではない。
しかし《死の舞踏》の絵は、気味悪さを打ち消すように死を楽しげに描いている。


Dappp.jpg
The Dance of Death,Danse macabre (1888-1943)


lelarge.jpg
Halloween deserves Camille Saint-Saëns’s 1874 classical masterpiece, Danse Macabre.


mme2.jpg
Til Death Do Us Part-Wedding Party Poster



khfg.jpg静物画は、以前はラテン語で「ヴァニタス」
すなわち《空虚》と呼ばれ、死を意味する
頭蓋骨や腐っていく果物などが、豊かさを
意味する部屋の置物と一緒に描かれていた。
It is by Adriaen van Ultrecht, a Flemish painter
active in the early 17th century



骸骨の舞踏を見ると、人間は皮と肉を取れば違いなんか無いことに気付かされる。
死とは肉体を脱ぐだけのことと思えば、墓も怖くなく、喜び踊りたくなるだろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
サン=サーンスの交響詩『死の舞踏(Danse macabre)』作品40

サン=サーンスがフランスの詩人アンリ・カザリスの詩に霊感を得て、1872年
に歌曲として作曲し、1874年に管弦楽曲としてまとめた。午前0時の時計の音が
鳴ると、死神の奏でるヴィオリンの奇妙な音色とともに骸骨たちが蘇って踊り始
め、勢いを増すが、夜明けを告げるニワトリの声で、みんな土の中に戻っていく。


※1875年1月24日のパリ・シャトル座における初演は失敗に終わり、特におもちゃ扱い
だったシロフォンによる骨のかち合う表現などは、作曲者の悪趣味の極みだと非難を受
けた。しかし繰り返し演奏されるうちに現在のような好評を勝ち得ていった。
       
 (スコアの冒頭に引用されたカザリスの詩)

 ジグ ジグ ジグ 墓石の上 かかとで拍子を取りながら
 真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ  
 ジグ ジグ ジグ  ヴァイオリンで
 
 冬の風は吹きすさび 夜は深い 菩提樹から漏れる呻き声
 青白い骸骨が闇から舞い出で 屍衣を纏いて跳ね回る

 ジグ ジグ ジグ 体を捩らせ
 踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

 静かに! 突然踊りは止み 押しあいへしあい逃げていく
 暁を告げる鶏が鳴いたのだ 



生ある時間は刹那的で、慌ただしく踊らないと損だと言いたげな滑稽軽妙な旋律。
人類共通の死への怖れが、死神や悪魔を登場させ、不気味に見せているのだろう。

私は、魂の存続を信じたまま最期は、なるべく静穏に逝きたいものだと思います。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
言いたいことは、人の命は途絶えることがないはず、ということだ。

さて、死んだ後のことは分からないし、考えるのも愚かしいと思うかもしれない。
しかし超越的存在が居て、意地悪ではないと思うなら、次のことを考えてほしい。

 その存在は、失敗をし、悔やみ、後は死ぬだけという人間をつくるだろうか?
 その存在は、死んだらそれで終わりという不完全な人生を設定するだろうか?


メメント・モリとは《死を想え》ということ。
死を想えとは、生の有難みを思い、超越的存在の愛を思えということであり、
その愛をよくよく思えば、今の命は途絶えるはずがないと推論できませんか。


                 



「毎日を人生最後の日と思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」

スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式の式辞(2005) → YouTube
opqkj.jpg
(9分8秒時から抜粋)
1年前、私はガンと診断されました。医者から「自宅に戻り身辺整理をするように」と言われました。つまり「死に備えろ」という意味です。そして私は手術を受けました。
●死は、おそらく生命の最高の発明です。死は《古き》を消し去り、《新しき》への道を切り開く。ここでの《新しき》とはあなた方のことです。しかしそう遠からぬうちあなた方もに君たちも《古き》となり、消えていきます。
●あなた方の時間は限られています。だから、誰か他の人の人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマ(固定された独断的な教説や信条)の罠にとらわれてはいけません。それは他人の思考に従って生きることと同じです。
●他人の意見の雑音で、あなた方の内なる声がかき消されないようにしてください。心と直感は、あなたが本当になりたいと望んでいるものをすでに知っているのです。
※資料はWikipediaを参照しています。
スポンサーサイト

 幸福を得るための『猿の手』という選択肢。 

何を隠そう。私バーソは二重人格かもしれない。
じつは子供の頃から、自分の心の中には、別の者が一人いた。

例えば道路で段差につまずくと、私は、あ、痛っ!と素直な反応をするのだが、
もう一人は、このニ三日なにか悪いことをしてないか※1と小さな声で言うのだ。
            ________
  
失敗や災難などがあったときには、二種類の受け止め方があるだろう。
・偶然だと考える人は、単に出来事が起きただけと思うかもしれない。
・必然だとみなす人は、人には運命はおおむね定まっていると思ったり、
 目に見えない存在から何かしらの教訓が与えられていると思うかもしれない。

tumblr_moi0nvXrET1so1fr6o3_1280.jpg出典
Bostock’s Consul the Chimpanzee, 1908-1910

願いは三つ叶うが、代償として災厄も付随する『猿の手』という短編小説がある。
どうしたら不幸は避けて幸福だけを得られるか、と調子のいいことを考えたい。

 ミレーの『落穂拾い』は旧約聖書の『ルツ記』による。 

(ミレーとトランプは馬が合うか)

今から三千年以上前、イスラエルのベツレヘムに、ナオミという貧しい女がいた。
ナオミ・ワッツとは違う、ナオミ・キャンベルとも違う、ごく平凡な女だった。

しがない女ナオミは、飢饉で異国モアブの地にいたとき、夫と息子に先立たれる。
やもめのナオミは、息子の嫁だったモアブ人のルツに、実家に戻るように言うが、
嫁ルツは、姑のナオミの故郷に一緒に行くと言って、ベツレヘムにやって来る。

ルツは、ボアズという男の畑で麦の落穂を拾(ひろ)わせてもらい、姑の面倒を見た。
ボアズは、異国人ながら献身的なルツの姿に心を打たれ、彼女を妻にする。※1

“Ruth in Boaz's Field” Julius Schnorr von Carolsfeld 
夏ニコラ・プッサン1660-64年
赤い衣服のボアズが畑の管理者からルツについて説明を受けている。ルツ記2:5-7

こうしてボアズとルツからオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、エッ
サイからダビデが生まれ、ダビデはイスラエルの傑出した王となり、その千年後
の子孫に大工ヨセフが生まれ、その妻マリアからキリスト・イエスが生まれた。

さあ、このルツの話は、ミレーとトランプに関係がありそうな話になりますよ。


 人を呪わば、墓穴は二つか、一つか。 

「墓穴(ぼけつ)を掘る」という慣用句がある。
自分の誤った行ないが原因で自らを窮地に至らせることの譬えとして使われる。

「人を呪わば穴二つ」という慣用句がある。
人を呪い殺せば、自分に跳ね返り、墓穴(はかあな)が二つになるという意味だ。

しかし人を呪い殺しても、殺し返されることはまずないので、墓穴は一つで済む。
では「人を呪わば墓穴墓穴はかあな ぼけつ一つずつ」のほうがより適切ではないだろうか。(笑)

何にせよ、人を呪い殺そうとする人間は、穴があったらすぐ入ったほうがいい。
人を呪う気持ちは恥の極みであり、心爽やかでいられるはずがないのだから。

The Bride
The Bride by Erté1

呪いと言えば、藁(わら)人形に五寸釘だが、江戸時代に面白い話がある。


back to TOP