「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ニール・D・ウォルシュの「小さな魂」と「友好的な魂」の話。 

悪い人を赦すことは、自分が選んだ人生だ。

28年間も孤島で暮らしたロビンソン・クルーソーは、何が一番楽しかっただろうか。
(29年体験の小野田少尉は「楽しかった事は今の今まで一度もありません」と述べた※1)

ロビンソンは漂流25年目に、殺される寸前だった近隣の島の若者を助けた。
彼の言葉は理解できなかったが、ロビンソンの耳には非常に心地よく聞こえた。
というのも、じつに四半世紀ぶりに聞いた人間の声だったからだ。

若者フライデーは、命の恩人であるロビンソンに絶大な忠節を誓い、従僕になる。
ロビンソンは、フライデーと共に暮らした3年の歳月について、こう言っている。
「もしこの世に完全な幸福があるとすれば、まさにこれこそ、その幸福であった」

良い人間関係は祝福だが、悪い人間関係は運命の呪いかのように感じるだろうか。
身近にイヤな人間がいて、厳しく当たってくる場合は、どうしたらいいだろうか。

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ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話③』吉田利子訳(サンマーク出版)には、
どうしてそうなるのか、どう思ったらいいか、が感動的な例え話で記されています。
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 芥川とピカソの「泣く女」には感情の対極がある。 

情と理性。日頃、どちらかを優先しているだろうか。

8月8日、天皇陛下が高齢化による生前譲位のご意向を暗に示された。
 ある人は、平成の玉音放送だ、陛下のお気持ちは大事にすべきだと言っている。
 ある人は、南洋まで行くから忙しいのだ、皇太子夫妻が後継ぎかと冷ややかだ。

賛同者は感情で陛下を心配し、批判者は理性で皇室論を述べているようだ。

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ジャック=ルイ・ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」1806-07

感情と理性の表わし方。これを芥川龍之介とピカソが共に「泣く女」で描写している。

 「虹の足」の下にいる幸せに気づける8つの質問。 

オのオリンピックで、男子サッカーが1次リーグ敗退となった。
その最初の試合のとき、女子アナが、サッカーの神様に祈りますと言っていた。

旧約聖書は、王国に天使長が付いていると言っている。(ダニエル10:13,20 新共同訳)
もしサッカーの神様や守護天使がいるなら、ジャパン担当はまだ下っ端のようだ。
イエスは、辛子からしの種粒ほどでも真実に信じていれば「山も動く」と述べた。(マタイ17:20)
これは比喩ではなく、意識の持つ力を述べている。

人は、神に願い事をする。
神は、人が最も強く信じていることをかなえる。※1

ここで面白いのは、人は自分の心に嘘を付くことはできないということだ。
つまり、神に願いを述べていても、内心では、ほとんど信じてないことがある。
・苦しい時の神頼みというのは、普段は、願いはかなわないと信じていることを示す。
・百円硬貨のお賽銭を入れるのは、百円分位の御利益しか期待してないことを示す。

人は願っていても、心の奥底では信じてないので、その信じてないことが現実になる。
つまり、人の願いは大抵かなわない。

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ホセ・デ・リベーラ「砂漠のマグダラのマリア」1641

しかし必死に神に願わなくても、手軽に幸せになれる良い方法がある。
吉野 弘さん※2の詩が、そのことを教えている。

 鰻と別嬪と厚化粧の関係。 

が来れば、鰻(うなぎ)のかば焼きを思い出す。
だが、鰻屋に行くと、「松>竹>梅」という階級制のゆえにひと悶着が起きる。
すなわち、
最上位の「松」はちょっと畏れ多いなあ、と生来の弱気と貧乏性がしゃしゃり出て、
といって下位の「梅」はちょっと情けないなあ、と男の意地らしきものが顔を見せ、
しばし逡巡のあと、結局は「竹」を注文して、たけえなあと心の中でぶつぶつ言い、
鰻に階級があるというよりは、食べるほうの階級意識がお家騒動を起こすのだ。

そんな客の心理を考慮して、「梅>竹>松」の逆順にしている店もあるそうだ。
ただし、元々は「松=竹=梅」と三者平等で、序列はなかったとか。

それにしても牛丼の『吉野家』では、なぜ普通盛を「並」なんて言うのだろうか。
「並一丁」と店員に言われると、「お前は並だ」と言われているようじゃないですか。
まあ、その通りなんですがね。なんせ牛丼屋に入る客ですから。

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歌川国芳「春の虹蜺」。鰻を食べているときに虹が出て、振り返ろうとしている。

今回は鰻屋の話から、すかんぴんじゃあなく、べっぴんとすっぴんの話になりますよ。
ついでに厚化粧と薄化粧、どっちがお好きですか。

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