「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 己の義のために生きるか、大義のために生きるか。 

世間には「有名」になり「盛名」を馳せても、「醜名」に変わり、「汚名」を残す人がいる。
 2年ほど前には、作曲と聴覚障害の偽装をした音楽家がいた。
 最近は、経歴と出自の詐称をした経営コンサルタントがいる。

彼らは、演技力と変装術さえあれば「虚名」を得るのは容易だという平成の事例となった。

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※画像は松竹映画『切腹』(1962年)より。記事の内容とは無関係です。

武士道が廃れかかった江戸時代、「令名」つまり良い評判を命より大事にした人がいた。
これは男の尊厳を失うことを何よりも恥とした一人の下級武士の逸話である。
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 クレオパトラは知性と話術で歴史を動かした。 

絶世の美女クレオパトラは、本当は肌の色が黒いエジプト人だった。
ブ―――ッ、違う。クレオパトラはギリシア人である。

エキゾチックな容貌だったようにも思えるが、顔はギリシア彫刻を思い出せばいい。
白人顔をした映画俳優のキリストはおかしいが、クレオパトラならいいのだ。

なぜギリシア人がエジプトのファラオ(王)になったのか?
西暦前332年、古代エジプトはギリシア人のアレクサンダー大王により滅ぼされた。
大王は祝宴中、蜂に刺されて倒れ、「最強の者が帝国を継承せよ」との遺言を残す。

将軍たちが覇を争い、プトレマイオス将軍がエジプトを支配するようになるのだが、
そのプトレマイオス王朝の最後のファラオがクレオパトラ(7世)というわけだ。

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ヴィヴィアン・リー『シーザーとクレオパトラ』1945

 素人と玄人、アマとプロの違いとは? 

昔、「一億総白痴化」だと言った評論家がいた。
ラジオやテレビは「紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる」という意味だ。

この「一億総何々」という言い方は、日本人の集団主義心性を表すという見方がある。
戦時中は「一億玉砕」「出せ一億の底力」と煽られ、敗戦後は「一億総懺悔」と言われ、
高度成長期には「一億総中流」、2015年には「一億総活躍」という言葉が作られた。

「見せましょう 野球の底力を」のスローガンも、野球≒一億総のニュアンスがある。
 (※東日本大震災の復興支援慈善試合の前に手嶋基宏選手がスピーチした言葉)

vallo0.jpgby Felix Edouard Vallotton

誰もがブログやTwitter、Facebookなどで気軽に自説や自作を発表している今は、
「一億総プロフェッショナル」時代になっているとは言えないか。

 人はさまざまな「体験」をするために生きている。 

マット・デイモンといえば、昔のミニクーパーで市内を逃げ回るジェイソン・ボーン役の
アクション映画を思い出す。第1作は『ボーン・アイデンティティー』だった。

彼は、007のような都会的な二枚目ではなく、ランボーのような野性的なマッチョでもなく、
内面に静かな思索を秘めた素朴な田舎青年という印象がある。

先日、その内面性がうまく表現されている感動的な映画を観た。
1997年製作『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』。
(ふた昔前の話になりますが、映画は滅多に観ないので、申し訳ありません)

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マットはIQ160の秀才。脚本はハーバード大在学中に友人のベン・アフレックと共同で
書いたもので、アカデミー脚本賞を受賞している。2007年には『ピープル』誌が選ぶ
“最もセクシーな男”に輝いたそうで、あらら、そうなんですか。

この映画は精神世界の話だと思いましたね。二つのことを考えさせられました。
いいセリフが沢山あります。すでにご承知でしょうが、思い出すためにいかがでしょう。

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