「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ものみの塔の「油注がれた者」は、現代の「偽キリスト」だ。 

イエスは、「偽キリスト」や「偽預言者」が現れるが、信じてはならない、と警告した。
イエスの警告は重く受け止めたほうがいい。

今回は、その「偽キリスト」と「偽預言者」が、ものみの塔(エホバの証人)の
自称「油注がれた者たち」、特に『統治体』に当てはまる証拠をマタイ24章23,24節からえたい。

マタイ24:23,24
「その時『見よ、ここにキリストがいる』とか、『あそこに!』とか言う者がいても、
れを信じてはなりません。偽キリストや偽預言者が起こり、
できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして、大きなしるしや不思議を行なうからです」


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 続・バプテストのヨハネは「勇気を与える」人だった。 

今回の記事は、前回ブログの続きです。

というのは、前回のブログ「バプテストのヨハネは『勇気を与える』人だった」についての
コメント(疑問)をいただいたのですが、当方のうっかりミスで消去してしまいました。

それで、返事を前回ブログの『続編』として書かせていただくことにしました。

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コメント(疑問)
タイトル:イエスの皮肉では?
深い洞察記事読み入りました。この部分には疑問が残ります。

「しかし興味深いことに、イエスはそのあとヨハネを最大限に称賛している。」
のところの11:11 「女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は
起こされていません」 はその後に続く文を読むかぎり、
ヨハネに対するイエスの皮肉ではありませんか?

「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。
しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」
「彼よ・り・は・・・」 だとすると今回の記事全体のコンセプトがずれてくるような
気がしますがどうでしょうか。

 バプテストのヨハネは「勇気を与える」人だった。 

首を皿に載せられて祝宴の席に出された人と言えば、誰の名を思い出すか。
バプテストのヨハネだろう。

浸礼者ヨハネは生前、イエスを疑っているかのような質問をイエスにしたことがある。
ところが疑られたはずのイエスは、ヨハネを「最大の預言者」だと褒めている。
ヨハネは疑ったのに、なぜイエスから褒められたのか?

今回は、じつはヨハネは疑り深い人ではなかったのだ、と弁護する話である。

サロメ写真

※ヨハネは、ユダヤの領主ヘロデの不道徳な結婚を 大胆に非難し、牢屋に放り込まれ、
ヘロデの前で 官能的な「七つのヴェールの踊り」を踊った少女サロメへのご褒美として、
首をはねられ、悲惨な最期を遂げた。 --マタイ14:1-12,戯曲『サロメ』


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