「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 選挙の名前連呼は、無駄撃ちCMだ、無駄金使いだ。 


ちょっと前、お隣り韓国の選挙運動をニュースでチラッと見たら、
候補者の前で、お揃いのTシャツを着た若い男女が歌いながら踊っていました。

あの国では、20年前から「踊る大選挙戦」が風物詩のようになっているそうです。
まあ、あほらし。

と思ったのですが、名前をただ連呼するだけの国は、もっとあほらし、です。
「あと一歩 もうひと押しでございます」なんてフレーズは、あほらしの極致です。

ただ名前を連呼するだけの選挙活動は、三流CMみたいで、コンセプトがない。
自分の特長を短く、ひと言でいいから、名前の前に付けたらいいのに。
以前、職場でそう言ったら、同僚から、今のままでいいんだと力説されました。


わたしは、政治にはまるでボンクラなのですが、
ブログ『天野祐吉のあんころじい』の国会改革案が面白かったですよ。
 
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天野さんはコラムニストで、雑誌『広告批評』の主宰者でした。
亡くなってから間もなく4年になりますが、私の好きな人の一人でした。

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 幸福を得るための『猿の手』という選択肢。 

何を隠そう。私バーソは二重人格かもしれない。
じつは子供の頃から、自分の心の中には、別の者が一人いた。

例えば道路で段差につまずくと、私は、あ、痛っ!と素直な反応をするのだが、
もう一人は、このニ三日なにか悪いことをしてないか※1と小さな声で言うのだ。
            ________
  
失敗や災難などがあったときには、二種類の受け止め方があるだろう。
・偶然だと考える人は、単に出来事が起きただけと思うかもしれない。
・必然だとみなす人は、人には運命はおおむね定まっていると思ったり、
 目に見えない存在から何かしらの教訓が与えられていると思うかもしれない。

tumblr_moi0nvXrET1so1fr6o3_1280.jpg出典
Bostock’s Consul the Chimpanzee, 1908-1910

願いは三つ叶うが、代償として災厄も付随する『猿の手』という短編小説がある。
どうしたら不幸は避けて幸福だけを得られるか、と調子のいいことを考えたい。

 人を呪わば、墓穴は二つか、一つか。 

「墓穴(ぼけつ)を掘る」という慣用句がある。
自分の誤った行ないが原因で自らを窮地に至らせることの譬えとして使われる。

「人を呪わば穴二つ」という慣用句がある。
人を呪い殺せば、自分に跳ね返り、墓穴(はかあな)が二つになるという意味だ。

しかし人を呪い殺しても、殺し返されることはまずないので、墓穴は一つで済む。
では「人を呪わば墓穴墓穴はかあな ぼけつ一つずつ」のほうがより適切ではないだろうか。(笑)

何にせよ、人を呪い殺そうとする人間は、穴があったらすぐ入ったほうがいい。
人を呪う気持ちは恥の極みであり、心爽やかでいられるはずがないのだから。

The Bride
The Bride by Erté1

呪いと言えば、藁(わら)人形に五寸釘だが、江戸時代に面白い話がある。

 百年前の1917年は、戦争と災害と“今日もコロッケ”の年だった。 


2017-100=1917

今から100年前に生まれ、一世を風靡した舞台芸人がいた。

そろばんを楽器のようにかき鳴らし、ブロークン・イングリッシュを操り、
「レディース・アンド・ジェントルメン、おとっつあん・アンド・おっかさん」
と舞台で挨拶を始め、「ざんす」言葉で司会をしたトニー谷である。

そのトニー谷とそっくりなのが、いまPPAPの動画で世界に知られたピコ太郎だ。
面長の顔、コールマンひげ、音楽のリズム感のいいところが非常によく似ている。

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ピコ太郎の登場でトニー谷が生まれた1917年とつながった、否、つなげた。(笑)
当時はどんな時代だったのか。百年前を見るのも面白そうだ。

社会の出来事を見ながら、著名な画家の絵を観るブログ記事になります。


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