「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い。

 ブータンの象・猿・兎・鳥の教訓絵『フレンズ』を別解釈する。 

わたしは、ひとから論理で説得されると、心地よくなるほうです。
ひとつ理解が増え、頭のいい人がいるなあと感服し、人生が楽しくなります。

人生志向や価値観が異なる内容のブログであっても、
なるほど、そういう見方、考え方もあるかと面白く感じ、参考になります。

三者三様、十人十色、百人百様、千差万別、蓼食虫好好……。
人の思考や嗜好は、けっこう違いますね。

ブータンで有名な教育絵を見て、どう多様に解釈できるか考えてみました。


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1枚の絵には10の解釈がある。“Four Harmonious Friends”

絵は、象の上に猿→兎→鳥がいて、一番上の鳥は、木の実を取って下の兎→猿→
象に渡し、皆で一緒に食べている。さあ、この絵は、何を表しているのでしょう。


aqw4friends.jpg←木の実

←鳥

←兎(ウサギ)



←猿





←象








出典



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 雑念にギャグを噛ませると、思考は静かになる。 


「事実は小説より気になり」

以下は、ブログの友人ご本人の失敗談のようなんですが。

最近、近所のおばさんが私を避けているような気がするんです。
私はパソコンで仕事中によくコーヒーを飲みますが、
冷めたコーヒーを電子レンジで温めることがあります。
ところが仕事に熱中すると電子レンジに入れたままよく忘れるんです。
それで忘れないためにパソコンの上に紙を置いたり、手にハサミを
持ってたりするんです。で、この間、忘れないためにメガネと顔の間に
小さな料理用の撹拌棒を指していたんです。
ふとピンポーンの音がして、玄関のドアを開けると、
おばさんが回覧板を持って立ってたんです。
   ――――――ブログ『夏への扉』・「変人?」2014/07/08投稿

会話体のせいもあり、文末が5回「~んです」となっています。「~のです」と
比べて考えると、当たりがやわらかいです。文体や語彙には人柄が出るんですね。

で、仕事に忘我集中するのは学者型人間の特徴ですが、私の場合はうろうろ徘徊
して恍惚愉快のときに同様のことが日常紅茶的に起きますね(註:ネット巡回時)。
それは脳の劣化現象の他に、人間の思考そのものに本質的な原因があるようです。

zny90af.jpg

というのは、人間は考える葦、いや、絶えず考え続けている葦だからなんです。

  芥川の考える「信念」。侏儒の言葉――神秘主義。 


こんな格言がある。
「人間は、自分が考えている通りの人間になる」
「人間は、寝る前に考えた通りの人間になる」

共に意識が結果を作ることを言っているが、前者は顕在意識で、後者は潜在意識。

この格言は、現実には、現在形で言うほうがより適切なようだ。
すなわち「人間は、自分が考えている通りの人間になっている

私は以前、自分は駄目な人間だと思うようにし、友人にもそう言い、それが謙遜
だと思っていたが、今は、やはりまあ、その通りになってると感じている。(笑)

イエスは「求めよ、さらば与えられん」と述べた。
信仰を強く抱けば与えられるという意味だが、信念でも同じことが言えるだろう。

qno2.jpg
The New Yorker 1958

芥川龍之介が、我々の信念とは神秘主義だと論じている。どういう意味だろうか。

 八歳の童と孔子の問答。『宇治拾遺物語』より 

映画のワンシーンのように、金正男 キム・ジョンナム が派手な女に国際空港で毒殺された。
事件は北の工作説の他に、韓国の陰謀説、金正男の替え玉説(※1)もあるようだ。
真相はまだ分かってないが、防犯カメラの映像で犯行自体は秒単位で分かる。

どこもかしこも情報氾濫の現代。
多くの人は、自分の《目で見た情報》で物事を判断している。
だが《目で見た情報》は、大抵はマスコミやネットで知り得たものに過ぎない。

そうした情報は偏った視点で見ていたり、不確かであったり、虚偽であったり、
「群盲象を評す」の寓話のように、一面のみが真実という場合もある。

aelef.jpgフリー画像(pixabay)

どうすれば適切な判断ができるだろうか。
中世日本の『宇治拾遺物語』に、孔子が子供の目の賢さを褒めた話がある。

 今日もまたかくてありなむ。藤村『千曲川旅情の歌』 


日本人横綱の19年ぶりの誕生で、いま大相撲にスポットライトが当たっている。
しかし話題にもならないのが土俵の安全性で、特に今場所は怪我人が多かった。
法的な国技ではないが、伝統ある神事だという認識が改善を阻んでいるようだ。

外人にラーメンが好かれている。だが麺をすする音が耐えられないらしい。
しかし日本では、ソバはズズーッと吸い上げて食べるのが習慣になっている。
日本の“食”の伝統にも、外国のマナーという慣習が攻め込んできているようだ。

5ball.jpg 

伝統とマナーは、どちらも人間が定めたもの。
守ったほうが良い場合も多いが、マンネリとはどう違うのだろうか。


 名を揚げるか実を取るか、という平凡な話だが。 

ひと旗揚げるとは、成功を目指して新しい事業を始めるということである。
ひと花咲かせるとは、成功して一時でいいから栄えたいということである。
ひと角の人物になるとは、ある方面で優秀な存在になるということである。

この「ひと(一)」には、自分もひとつ名を揚げてやるぞ、という意欲と願望が表れている。

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ラファエロ『システィーナの聖母』の下に描かれた二人の天使(1513-1514年頃)

それにしても、人は一体なんのために名を揚げたいのだろうか。
小説家が、その理由を幾つか挙げている。

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